逃げるか、戦うか
私が彼女と――瀬川和珠奈と出会ったのは中学一年生の時。
彼女はただのクラスメイトだった。まともに話したことすらなかった。ただ、彼女にいい印象は持っていなかった。彼女の周りにはいつも人が居たけど、友達には見えなかった。いわゆる取り巻き、そんな風に見えた。
クラスの中でグループが固定され始めた6月、私は彼女に話しかけられた。この頃になると、私の中で彼女の印象は最悪だった。彼女がクラスの誰を仲間外れにするとか、誰がクラスの中心に……彼女の周りに居られるとか、そんな酷い事を決めているような状況だったから。
話しかけられた内容はよく覚えていない。たしか、私を中心メンバーにするとか、今仲良くしてるクラスメイトと話すなとか、そんな誘いだったと思う。それを私は断った。彼女とは話したくなかったから、短くはっきりと断りの返事をして、逃げるように下校した。
たぶんそれが、彼女の気に障ったんだと思う。
その週の間は何もなかった。でも、ある日登校して教室に入ると空気が違った。私が入ってきたほんの一瞬会話が途切れ、そしてまたすぐにクラスは賑やかになった。でも、何でもないはずのクラスメイトの話し声が、遠くに感じた。教室全体の空気が冷えたみたいで、肌にぴりぴりと痛みが走るような感覚だった。
違和感を覚えながらも私の席に着くと、隣の席の子に話しかけた。以前、彼女に話しかけるなと言われた子だった。いつも通り挨拶をしただけなのに、その子はまるで悪魔にでも会ったような引きつった顔をした。
どうしたの、と私が聞く前にその子は立ち上がり、私から離れて教室の本棚の方へ行ってしまった。何も知らない私は通学鞄を降ろして、その子の後を追った。何度話しかけても返事はなく、私を避けるように教室を出て行った。
避けられているとすぐに理解できたけど、朝のホームルームが始まりそうなので席に戻るしかなかった。ホームルームが始まるとその子は戻って来たけれど、私の方を見ようとはしなかった。
私の事を避けているのはその子だけじゃなかった。昨日まで普通に話していた子が、まるで私が居ないかのように振る舞い始めた。それでもその時はまだ、声を掛けると返してくれる人もいたから「何か嫌われることしちゃったかな」とのん気に考えていた。
その返事をしてくれた人たちも私を無視するようになった。それでもまだ、馬鹿な私は自分が何か怒らせたのかもしれない、明日になればまた前みたいに話してくれるはずだ……そんなことを考えていた。前みたいに何でもない日常が帰ってくると、なんの疑いもなく信じていた。
でも、そんな日はこなかった。
6月も中ごろになると私は誰にも相手にされなくなった。皆が普通に生活している中、私だけが取り残されているようだった。そしてそんな私の姿をみて、彼女はこっそりと、でも私にわかるように嘲笑っていた。
この時誰かに相談していればよかった。私は意地になってしまって。負けてなるものか、誰が消えてやるものかと登校し続け、勉強も頑張った。そうして1学期が終わり、夏休みに入ると、私は懲りずに2学期からは元の生活に戻れると考えていた。
2学期から、私への攻撃は表面化した。
私の筆箱の中から頻繁に文房具がなくなった。私の分のプリントだけが無かった。私の提出物だけが先生に渡っていなかった。きちんと掃除したはずの場所が汚された。私にだけ、授業の変更が伝えられなかった。
こうなってくると私への先生の心証が悪くなってきた。反対に彼女は先生に上手く取り入り、発言権を強めていった。先生から見れば私は忘れっぽい不真面目な問題児、彼女はクラスを引っ張るリーダーに映っていたのだろう。それだけ彼女の立ち回りは上手だった。
彼女が力を持つごとに、私への攻撃はエスカレートしていった。
すれ違う度に稚拙だけど直接心に突き刺さるような、汚い言葉を投げつけられた。私の机に見るのも嫌になるほどの暴言が刻まれた。制服やジャージ、鞄や靴を汚され、隠され、捨てられた。
お父さんやお母さんに聞かれても、自分が汚した、自分がなくしたと誤魔化した。その時の気持ちは今ではよく分からない。二人に心配をかけたくなかったのか、それとも情けない姿を見てほしくなかったのか。
私も初めは反抗していたけど、徐々に気力は萎え、だんだん教室へ入れなくなってきた。教室のある階に来ると息が詰まる。クラスメイトの声は耳鳴りを呼び起こす騒音になった。先生の説教は私は一人なんだと思い知らされるだけの音になった。
最初のうちは教室へ行かずに保健室へ向かったりしていた。でも、そうしていくうちにクラスの中で私はサボった事になり、ますます私の立場は悪くなっていった。この頃の私は、何を言っても先生に相手にされないところにまで落ちていた。明日が怖くて眠ることもできず、毎日がぼんやりと、けれどもとげとげしく私に襲い掛かった。
保健室に逃げ込んだとしても、登下校中は他の生徒とすれ違うことになる。その頃になると私は、学校に居る人全部が敵に見えていた。通り過ぎる人全員が私を笑っている様な気がした、私を責めているような気がした。
もう隠しきれなくて、耐えきれなくて、お父さんとお母さんに相談した。二人はすごく怒ってくれて、泣いてくれて、私を抱きしめてくれた。私はなんて馬鹿だったんだろう。早く相談してればよかった。そう思った。
お父さんはすぐに学校に電話してくれて、すぐに話し合う事になったと教えてくれた。お母さんと一緒に校長先生と話すから、真理矢は家で休んでいなさいと、そう言ってくれた。
私は救われたような気がして、その日は久しぶりにぐっすりと眠れた。
でも、私の睡眠は、安らぎは電話の音で無理やり中断させられた。
電話口から聞こえた言葉は、私を更なる地獄へ突き落した。
悪魔事故に遭って死んだ。
お父さんとお母さんが。
危険区から出てきた悪魔に、襲われた。
そして死んだ。
そこから先はよく覚えていない。私の周りの世界が急に縮こまって、世界に私しかいないような孤独感に襲われた。何を見ても色も形も識別できなかった。何を触っても指先に感触がなかった。音楽と声と雑音の区別がつかなくなった。何の匂いも、味も感じなくなった。
私に感覚が戻って来たのは、世界が広がり始めたのは、お姉ちゃんのお母さん……ああ、そうだ、あの人に会ってからだ。色々な事を教わった。色々な事を試した。一緒に笑ってくれた。あの人のお陰で立ち直ることができたんじゃないか。
そうだ、そうだよ。私はこんなところで立ち止まるなんて嫌だ。やっと見つけたやりたい事じゃない。皆の助けになるために、私は聖女になったんじゃないか。
……見た目はゴブリンだけど。
いいぞ、冗談だって言えるじゃないか。いや、冗談じゃなくゴブリンになっちゃってるんだけど、そこは今どうでもいい。
私はもう閉じこもらないって、あの人と約束した。何かが立ちふさがった時、立ち止まってはいけない、そうしたら自分が壊れるだけ。逃げるか、戦うしかない、そう教えて貰ったじゃないか。
あの時私は、彼女から逃げた。
私だけが傷ついていたから、それでもよかった。
逃げれば解決することだったから。
でも今回は違う。
彼女はまた、私の居場所を奪おうとしている。
あの時よりも、大きな悪意を持って。
もう二度と、そんなことはさせない。
体の震えは収まった。
行こう。
私はベッドから起き上がり、部屋のドアを開けた。
書いていて気分のいいものではなかったので省略していましたが、繋がりが悪くなるので入れさせていただきました……




