現れた女
意識して力を抜いた腕にチクリと鋭い痛みが走る。血管から血液が引き絞られるような痛みが後に続き、必死に耐える。
昔から注射は苦手だ。
というか注射得意な人なんているんだろうか。
「ほい、終わり……お前さんなんて顔してんだ。ただでさえ酷い顔がとんでもないことになってるぞ」
ほっといてください、と言いながら脱脂綿で注射されたところを押さえる。けれども、白い綿に赤い血がにじむことは無く、すぐに傷はふさがってしまったと分かった。これがゴブリンの再生力か。いやゴブリンに再生力あるかなんて知らないけど。
「どれどれ……」
ハカセが採取した私の血を、テーブルと一体になった機械に差し込む。すると、いくつものモニターに数字やらグラフやら図形やらが色々と表示された。ハカセはぶつぶつ言いながら世話しなくキーボードを叩いているが、見ていても何一つ分からない。
「あの、なにか異常でも?」
「そうだな、お前さんの体の中に魔素が少しずつ溜まり始めているってとこか。確認するが、人間の体に戻った時なにか体に変化はなかったか?」
体に変化といわれても、人間とゴブリンを行き来するとか異常さマックスな状態が続きっぱなしなんですけど。そういう事じゃなくて、人間の時の変化か。
「あ、最近爪が伸びるのが早いなーとか思いましたが」
「爪か、爪ね……」
「あとなんか耳の形が若干変わったような」
思いつくことを口に出していくと、ハカセは「なるほどね」と言ってまたキーボードを打ち始めた。
「まさか、ゴブリンに近づいて行っているなんてことはないですよね」
「前にも話したが、聖女になっても姿は変わる。悪魔になってもな。正の化け物か負の化け物かの違いだけだ。今のところお前さんの体に起きている変化は聖女、正の化け物のほうだからゴブリンになることは無いだろう……今のところ」
なんで今のところって二回も言ったの?
「お前さんの血が悪魔に順応するのはプラスかマイナスかは微妙だな。もしかするとお前さんが悪魔に近づくと、あいつらが血を接種した時の覚醒度合いが下がるかもしれん……そうなれば目標達成が遠のくな」
「えーと、真四角を倒すんでしたっけ」
「なんとなくだが、お前さんがイメージしている漢字が違う気がする。魔物の『魔』、『屍』に、区画の『画』で『魔屍画』だ。それに倒すというより潰すというか……まあ、どちらにせよそこに挑むにはまだまだ力をつけなきゃならんだろうな。レベル上げの途中でラストダンジョン挑んでも無駄死にするだけだ」
今までだってかなりヤバい見た目の悪魔憑きと戦ってきたと思うんですけど。その事を伝えると、ハカセはコーヒーをすすりながら首を振った。
「見た目がどんだけ悪魔でも、今まで戦ってきたのは元々は大した意思も力も持ってない奴だ。そりゃ悪魔憑きになればそれなりの力は手に入れられるが、あくまでそれなり止まりだ。人間の時から腕っぷしが強いやつとか、ガッチガチに覚悟決まってるような奴がなったらやっかいだ。……うちの四人みたいにな」
「皆さんでも勝てないくらいの悪魔なんですか」
「全く通じないわけではないだろうが、まあまず勝てないだろうな。練度も魔素の濃度も違う」
あんなに強い御鬼上さんたちでも無理なんて、一体どんな化け物が居るんだろう。
「だからお前さんが攻略の鍵なんだが……それにしても、お前さんはつくづく面白い。ゴブリンになっただけでも面白いのに……」
私が睨みつけると、ハカセは「怒るな落ち着け」と歯を見せた。
「何が面白いって、上に居る奴らみたいな悪魔に聖女の血を摂らせれば覚醒するのは証明済みだが、もしかするとその逆もあり得るのかもしれないってことだ……ちょうどここに悪魔の心臓があるんだがちょっと食ってみないか?」
嫌ですと即答すると、冗談だよとハカセは笑った。
嘘つけ目がマジだった。
◆
「暇だなあ」
御鬼上千晴は今日何度目かの台詞を吐いた。彼女の前に腰掛けた仲間の一人がその台詞を聞いてピクリと眉を吊り上げたことからも、何度も同じセリフを言っていることが伺えた。
「何度も同じことを言うな」
「なんだよルディちゃん、あたしには優しくしてくれないのかよぉ」
「お前、私に優しくしてほしいのか?」
「いや、絶対無理」
「だったら黙って筋トレでもしていろ」
「今日は筋肉を休ませる日なんだよ」
「知るか」と短く言うと、ルディは銃の手入れに戻ってしまった。三体の悪魔が姿を変化させている銃だが、掃除は必要らしい。時折くすぐったがるような声が銃から聞こえる。
千晴はバーカウンターの方へ目を向け、真剣に向かい合っている二人を見た。きらりと紫陽の間には将棋盤が置かれて置かれており、先ほどからぱちぱちと音を立てて駒を動かしている。
だが、きらりが将棋の駒を動かしているのに対して、紫陽は盤の好きなところに白黒で丸いオセロの石を置いている。しまいには紫陽が「チェックメイト」と言い出し、きらりが「負けた~☆」と盤をひっくり返した。
「それ何やってんだ」
「あたらしい遊び~☆」
「……オセロと将棋とチェスのコラボ」
「おもしれえのかそれ」
「う~んあんまり~☆」
「……張三李四」
千晴は乾いた笑いで返すと、暇をつぶしにどこかに行こうと立ち上がり、ジュークボックスを通り過ぎて玄関の向かい、ノブに手を伸ばした。彼女がドアノブに触れる前に扉は開き、悪魔な兎のドアベルが鳴る。
そこには一人の女が立っていた。パッと見たところちょうど真理矢と同じくらいの背格好だった。だが、その顔は整ってはいたが、思わず鼻筋に皺が寄るような尊大さが透けて見え、背筋に不快な寒気を感じた。真理矢とは対照的な印象を、その場にいた全員が感じていた。
「あーすいませんね、ここはお店じゃないんでね」
千晴が不快感を顔に出さないよう努めながら、作り笑顔を浮かべながら話しかけた。だが、女は千晴の言葉を聞く様子もなく、それどころか彼女が居ないかのようにずかずかと彼女の横を通り過ぎ、店の中をぐるりと見回した。
「こ汚いけど悪くないわね、ここにするわ」
「悪いけどなお嬢さん、喉乾いたんなら他のところいってくれねえかな。ほら、ここ出て真っすぐいけば大通りだ、そこなら気の利いたカフェでもバーでも何軒も……」
「さ、邪魔なものは片づけて」
「あ? あんた何言って――」
瞬間、ドアの周辺が吹き飛び、壁だったものが瓦礫へと姿を変えた。
千晴は後ろに飛び退き、着地と同時に銃と刀を構えた。
その場にいた全員が瞬時に臨戦態勢をとる。
各々の武器を構える千晴たち四人の悪魔。
それ合わせたかのように、女の後ろには四つの影が見えた。




