悪夢
久しぶりにあの夢を見た。
私がゴブリンになる前の記憶――お父さん、お母さん、大切な人がまだ生きていたころの夢。なんでもない日々の記憶を、モニター越しに見ているような感覚。断片的な記憶がもやの向こうにいくつも見える不思議な空間。
そして私の足元から暗闇が広がり、周りから声が聞こえてくる。それは聞くに堪えない罵り声、いわれのない中傷。少しずつ周りから孤立してく焦燥感と、胸の奥底から湧き上がる孤独感。
体がぶるぶる震えだし、頭痛がしてくる。
ああ、いつも通りだ。
そろそろ目が覚めてくれないかな。
「――――ッ!」
目を開けると、見慣れた天井がはっきりと見えた。体中がじっとりと濡れている。顎や腋にこびりついた脂汗を拭って、自分の姿がゴブリンだと思い出す。
ここにもずいぶん慣れた。皆とも少しは打ち解けられたし、日々の仕事も手際よくこなせるようになって空き時間も増えた。まあ、相変わらず悪魔狩りの時は悲鳴をあげっぱなしだけど。
だからこそ。慣れたからこそ久しぶりにあの夢を見てしまったんだろう。大丈夫だ、もうあの頃とは違うんだ。いつまでもあんな人たちに縛られるなんて馬鹿らしい。早く忘れてしまえればいいのに。
「おい、どうかしたか」
軽いノックの音と共に、ドアの向こうからハカセの声が聞こえた。時計を見てみると、9時を少し過ぎたところだった。いけない、朝ご飯の準備ができてない。
慌てて飛び起きてゴブリン姿のままドアを開ける。扉の前にはハカセの他にも御鬼上さん、王狼さん、蛙田さん、花牙爪さんの全員がいた。
「ごめんなさい、寝過ごしちゃって」
「どうしたんだ体調悪いのかよ?」
「大丈夫です、本当に。ちょっと寝過ごしちゃいました」
「それならよかった。キミになにかあったらと思ったら私は……」
「あはは~☆ ひと安心だね~☆」
「……一件落着」
「まあ……どちらにしろ、そろそろお前さんの体を見ておきたい。準備ができたら下の研究所まで来てくれ。エレベーターは使えるようにしておくから」
「分かりました、今すぐ行きます」
「急ぎじゃない。顔洗って朝飯食ってからでいいから」
こきこきと肩を鳴らして去って行くハカセに「でも」と声をかけると、御鬼上さんたちが立ちふさがった。
「ほら、早く下行って飯食おうぜ。そうだ、あたしが作ってやるよ」
「お前が作るとしょっぱいか焦げてるかだろ、やめろ」
「いいだろ味濃い方が」
「あはは~☆ あとは脂もたくさんがいいよね~☆」
「キミも揚げ物を控えたほうがいいんじゃないかな」
「……河豚は食いたし命は惜しし」
一瞬で騒がしくなった廊下の様子に、思わず私は吹き出してしまった。そんな私を見て、皆表情を緩めてくれる。私の事を気遣ってくれたんだろう。直接言われなくてもそれが伝わってきて、夢の事なんかすぐ吹っ飛んでしまった。
今の私の見た目はゴブリンだし、安全とは程遠い仕事に連れていかれ、死ぬような目に遭っている。置かれた状況だけ見れば不幸と言う他ないと思う。でも、一緒にいる人たちは皆優しい。悪魔を狩って血みどろの戦いをしている人たちだけど、心の根っこの部分は優しいって分かる。それはたぶん、これ以上ない幸福な事なんだ。
「さ、早く行こうぜ」
御鬼上さんにぐいぐいと背中を押され、私はまた頬が緩んだ。そうだ、私の周りにはいつも優しい人がいてくれる。今の幸せを大切にしていけばいい。だから、悪い夢なんて早く忘れてしまおう。私は笑顔のまま、皆と一緒に階段を下りていった。
この後、自分の身になにが起きるかも知らずに――。
悪夢が、形を成して私に襲い掛かってくることも知らずに。




