三つ首狼は眠らない
「んん……」
目を開くと、見慣れた天井が視界に入った。ここにきてどれくらい経っただろう。初めは馴染みのなかった天井を見慣れた、と言えるまでになってしまった。半分眠ったままスマホを確認すると、深夜の3時を過ぎたところ。起きるにはちょっと早すぎる。
中途半端な時間に起きちゃったなあ。寝る間際までスマホをいじくってたのが原因だろうか。目をつぶり数回寝返りをうってみるが、寝付けそうにない。これは一旦顔でも洗ってリセットしないとダメかな。
「……よいしょ」
ベッドから降りて部屋を出ると、ちょうど蛙田さんが通りがかった。彼女は私の前を通り過ぎながら、「おやすみ~☆」と言って自分の部屋に入っていった。蛙田さん、かなり夜更しするタイプなんだな、なんて思いながら洗面所に向かった。
今更だけど寝るときはゴブリンの姿だ。そりゃそうだ、寝たままお腹に力を入れる事なんてできるわけがない。初めのうちは慣れずに鏡の自分をみて悲鳴をあげていたけど、すっかり慣れて気にも留めない。
……慣れない方がいいのかな。
複雑な心境のまま洗面所を後にすると、今度は王狼さんと鉢合わせた。
「おっと、お姫様はずいぶん夜更しだね」
「ちょっと目が覚めちゃって。王狼さんもこれからお休みですか?」
「いや、私は寝ないんだ」
「え、寝ない?」
「悪魔に憑かれたせいなのか、ほとんど眠れなくてね」
「ええっ、それって辛くないですか?」
「目をつぶれば、うとうとはできるからそこまで辛くはないよ」
それでも、ちゃんと寝られないと辛いんじゃないだろうか。私なんて一日徹夜しただけで次の日なんてぼろぼろで何にもできないのに。
「さ、夜のキミも素敵だけど、夜更しは体に悪いよ」
自分の事は棚に上げて、王狼さんは私を部屋まで送ってくれた。王狼さんは「おやすみなさい」と言いながら私のつるつるの頭にキスをして、ドアを閉めた。
ゴブリン姿には慣れたけど、あの人のこういうところはまだ慣れない。じわりと顔に熱が集まるのを感じながら、私はベッドに戻った。でも、なかなか眠れなかった。
顔の熱は既に引いているので、そのせいではない。王狼さんが眠れないという事が気になったからだ。眠れない、と言うのは辛いだろう。それとも悪魔だから平気なのだろうか。でも、王狼さんは「そこまで辛くない」と言っていた。だったら少しは辛いのかな。
そんなことをぐるぐる考えているうちに睡魔が襲ってきて、のん気な私はすぐに眠ってしまった。
◆
「ルディが寝てないって?」
翌日、ハカセに昨夜のことを話した。この人も目の下にクマをたっぷり浮き上がらせている。クマがあるのはいつもの事だけど、ハカセも確実に寝れてない人だな。
「私も今日で三日も寝てないぞ」
「やっぱり」
「やっぱりってなんだ」
「それだけクマがあれば……なんで寝れてないんですか」
「研究がはかどりすぎて楽しくなってきてな」
「自発的にじゃないですか……」
「まあそうだが」
ハカセはズズッとコーヒーをすする。コーヒーばっかり飲んでるのも一つの原因じゃないかなあ。などと考えていると、からんころんとドアベルが鳴り、御鬼上さんが朝のランニングから帰ってきた。タオルを差し出すと「サンキュ」といって汗を拭きとる。
「どうかしたのか」
「いえ、王狼さんが夜寝れてないそうで」
「ほー、そうなのか。ナンパなやつだからな、興奮して寝れないんじゃねえの?」
「もう、ふざけないでくださいよ」
「へいへい。そうか寝れないのか、睡眠は筋肉にとっても大切なのにな」
「それは知りませんけど」
御鬼上さんは「ふむ」とあごに手をあてると、着替えもせずにどたばたと二階へ上がっていった。足音が頭上を通り過ぎ、バタンと扉が開く音がした。二階から聞こえてくる声に耳を傾ける。
「おいワンちゃん! 筋トレしようぜ!!」
「しない、汗臭い」
「運動すりゃ眠くなるって!!」
「ならない、うるさい」
「遠慮すんなって!!」
「してない、出てけ」
その後も似たようなやり取りが続いたが、やがてまた頭上を足音が通り、御鬼上さんが降りてきて、やれやれといった調子で首を振る。いや、今のは誰でもいい反応は返さないでしょうに。
「駄目だなあいつは、あたしは筋トレするわ」
「そろそろ朝ごはんつくりますから、ほどほどにしてくださいね」
「ああ、筋肉を起こしてくる」
脳筋、というのは彼女の事を言うのだろう。バーカウンターの横辺りでバネみたいな筋トレ器具をぎりぎりやり始めた御鬼上さんは放っておき、キッチンへと入る。今日は何にしようかなと考えていると「私はコーヒーだけでいいから」とハカセの声が聞こえた。あの人ちゃんとご飯食べてるのだろうか。
寝つきがよくなるご飯をつくろうか。……それって何があるんだろう。ホットミルクぐらいしか思いつかない。後で調べておこう。今日はとりあえずあるものでパパっと作っちゃおう。トーストを焼いているうちにスクランブルエッグを作り、ウィンナーを焼く。
ちょうど出来上がるころに、皆席に着いていた。カウンターに座っている花牙爪さんには大盛りのものを置き、ハカセにはコーヒーのお代わりを。御鬼上さんと王狼さん、蛙田さんはテーブル席で、私もここに座って食べる。置くや否や、皆すぐに食べ始める。
「眠れねえってのは一体なんでなんだ」
トーストを齧りながら、御鬼上さんが王狼さんにフォークを向ける。
「行儀が悪い」
「なんだよ、心配してんだろ?」
「半分は面白がってるだろ」
「まあな」
笑いながらウィンナーを突き刺す御鬼上さんに、王狼さんはため息を吐く。
「そもそも、もう何年も一緒に居るのに何故今更そんなこと聞く」
「そりゃあゴブ子ちゃんが心配してるからよ」
「ゴブ子って呼ばないでください」
「まったく、お姫様は心配症だね」
「ごめんなさい、でも……」
「謝ることは無いよ、少しでもキミの心を独占できるならそれ以上のことないからね。とにかく、私は大丈夫だから」
王狼さんは「それじゃ」と言うと食器を片付けて外へ出て行ってしまった。余計なこと言っちゃったかな、と思っていると、御鬼上さんが私の頭をがしがしと撫でる。
「大丈夫だよ、あいつがキレた時はあんなもんじゃない」
「はい……そういえば、蛙田さんも夜更ししてましたけど、大丈夫なんですか」
「あはは~☆ 私は夕方お昼寝してるし~☆」
蛙田さんはそう言ってから、昼寝?夕寝?と目玉をきょろきょろさせながら首をかしげる。
「花牙爪さんは……いつもぐっすりですもんね」
「……言い得て妙」
山盛りにしたはずのごはんをぺろりと平らげた彼女は、こくこくと頷いた。
「おそらくルディに憑いた悪魔が原因だろうな」
「ルルちゃんたちがですか」
「あいつらは見た目はチビだが種族としてはケルベロスだ。その特性のひとつに眠らないってのがある。その影響かもしれんね」
ハカセはコーヒーを飲み干し、ごきりと音立てて首を回した。
「先を考えれば休息はとってもらいたいとこだな……寝れないってのは辛い。だが、無理にやらせてできるものでもない。ということで、その辺りは頼むぞ聖女田中」
「聖女田中って私ですか」
「そうだよ、聖女ゴブリンのが分かりやすかったか?」
「そっちのが嫌ですけど!」
「皆の体調管理はお前さんの仕事だろう」
「いや初耳なんですけど」
「嫌か?」
「そういうわけではないんですけど」
だったらよろしく、と言い残してハカセはコーヒーのお代わりを淹れにいってしまった。その後色々調べて、王狼さんに安眠グッズなどをそれとなく勧めてみた、やんわりと断られたりしながら数日間の時間が過ぎた。
そしてその日が来た。
その日は少し熱かったけれど、涼しい風がふく心地よい日で、私は窓を開けて掃除をしていた。当然窓を開けているので人間の姿だ。一通り綺麗になったところで少し休憩でもしようかと思ったその時、王狼さんがバーカウンター前のソファ席に腰掛けているのが見えた。
銃を対面のソファに置き、腕を組んで目を閉じている。いまだ、と私は大きなジュークボックス型の音楽プレーヤーに近づき、用意しておいた曲をかける。蛙田さんのお願いして探してもらったハープの曲だ。
「ん……?」
「ああ、そのままで」
立ち上がろうとする王狼さんをそっと押し戻しながら、私は隣に腰掛けた。王狼さんは不思議そうな顔をこちらに向け、感覚の大きい瞬きを何度もする。
「いい…曲だね……」
「蛙田さんにお願いして、落ち着ける曲を選んでもらったんです」
「そう…キミの声の次に、綺麗な音だ……」
明らかに目を閉じる時間が増えてきた。あともう少し。私はぽんぽんと自分の膝を叩き、「どうぞ」と小さく囁いた。王狼さんは少し笑って視線を逸らした。でも、すぐに「少しだけ」と小さく呟いて私の膝に頭を乗せてくれた。
「重くないかい」
「全然です」
「……あたたかいね」
「そうですか?」
「うん、こんなにあたたかいのは…はじ、めてだよ……」
「……王狼さん?」
呼びかけても返事はなく、小さな寝息が聞こえた。優しいハープの音色と風の音、王狼さんの寝息がひとつになって、この空間の時間がゆっくりになったようだった。そっと彼女の髪を撫でると、少しずつ寝息が深くなっていった。
「ただい……」
外から帰ってきた御鬼上さんに向けて、口元に指を当ててみせると、彼女はふっと笑ってから足音を忍ばせて二階へ行った。その姿を目で追うと、二階の吹き抜けから蛙田さんと花牙爪さんが覗き込んでいるのが見えた。一度ジュークボックスを見てから蛙田さんに向けて頷くと、ひらひらとピースサインを返してくれた。花牙爪さんもうんうんと頷いている。
気が付くと、対面のソファにルルちゃんたちが横になっていた。三人ともすやすやと寝息を立て、ぐっすりと眠っていた。少しのあいだ、おだやかな時間が流れた。ジュークボックスから音楽が鳴りやみ、少しすると王狼さんはゆっくりと目を開き、起き上がった。
「私は……」
「起きました? 30分くらいでしたが、寝れましたね」
「ああ、そうみたいだね」
王狼さんはいつものように芝居がかった仕草で私の手を取り、
「ああ、どうやら私はお姫様の……」
と、そこまで言って動きを止めた。口づけでもしようとしたのか、口元までもっていった私の手をそっと降ろした。それから私を見ては視線をそらすという事を何度か繰り返してから、王狼さんは真っ直ぐに私を見つめ、そっと手を握り直した。
「……こんなに温かい気持ちで寝たのは初めてだよ。ありがとう、真理矢」
真っすぐに差し出された言葉を私は受けとり、「どういたしまして」と微笑みを返した。次の瞬間、ジュークボックスからジムで流れているような激しい洋楽が流れ始めた。ルルちゃんたちは驚いて銃の姿に戻ってしまう。
「筋トレするからBGM変えたぜ」
「ちょっと御鬼上さん!」
「やれやれ、嫉妬は見苦しいものだね」
「は? なにがだよ」
「こんな天使に膝まくらしてもらった私が羨ましいんだろう」
「なにいってんだか」
「ま、お前みたいなガサツな奴はしてもらえるわけないな」
「あぁ!? してもらえるわ!膝貸せ真理矢!!」
「そんなところで張り合わなくても」
「わ~い☆ ワタシもしてほしい~☆」
「……果報は寝て待て」
「ちょ、ちょっと待ってくださいー!!」
一度に詰め寄られた私は、彼女たちの中心で慌てふためくしかなかった。




