その③
花牙爪さんの後に続いていると、周囲の目が気になる。
彼女は蛙田さんとは違った意味で目立つ。だって彼女、身長2メートルくらいあるんだもの。体のラインが分かりづらい服を着ているから、体形はよくわからないけど足音から察するにかなりのヘビー級らしい。
「……時は金なり」
そしてこの人、意味があってるのか分からない諺とか四字熟語みたいなのをぼそりと呟く。それだけでもずいぶん変わってるなと思うけど、一番変わってるのは腕だ。彼女の腕は巨大な爪が刃物のようで、まさに悪魔、といった感じだ。
「なんです?」
「……急ぐ、お腹空いた」
「えっ…わわっ!」
花牙爪さんは私の服の襟を器用に二本の爪で掴むと、自分の首に私をまたがらせてかついだ。うわあ、ちょっと怖いくらいの高さだ。
「……焦眉の急」
「へ? なんです?」
「……掴まって」
よく分からないまでいると、がくんと上半身が後ろに置いて行かれる。花牙爪さんが勢いよく走りだしたのだ。反射的に体に力が入って何とか落ちずに済んだが、とんでもないスピードだ。振り落とされないように花牙爪さんの頭にしがみつく。
「わああああ! スカート! めくれるめくれる!!」
「……五里霧中」
「なんです!?」
「……前、見えない」
「ああごめんなさい! でもどこ掴んだら!」
「……髪」
「ええ! 駄目ですよ!!」
「……わたし、髪丈夫」
髪をわし掴みにするなんてできるわけない。でもこのままじゃ絶対に危ない。意を決して頭から手を離すとまたがくんと上半身が持っていかれる。落ちそうになった恐怖から全身からじわりと汗が吹き出し、咄嗟に髪を掴んでしまった。
さらりとして、それでいて縄の様な強靭さを感じさせる手触り。手のひらに伝わって来た予想外の感触に驚き、髪の毛をさらにぎゅっと掴んでしまう。
「あっ! ごめんなさい!」
「……平気の平左」
それは諺なのだろうか。などと疑問を浮かべながらも、ようやく姿勢が安定してきたので辺りを見る余裕ができた。そして気が付く通り過ぎる人たちの好奇の目。身長2メートルのチャイナが、人ひとり肩車して爆走してたら誰だって見ますよねそりゃ。
「……嚢中の錐」
「は、早く行きましょう……!」
うつむいて顔を見られないようにしながら耐えていると、あたりの景色が変わってきた。辺りに背の高い建物は少なくなり、住宅街と言った風情になってくる。
「……ここ」
花牙爪さんは速度を落とし、がりがりと道路を削って止まった。
え、これ怒られるよね。
……見なかったことにしよう。
「到着したんですか」
「……うん」
花牙爪さんの肩から降りると、目の前には一軒家があった。いたって普通の二階建ての建物。その建物全体から、ふさぎ込んでしまいそうな陰気な雰囲気が漂っていた。周囲は聖歌隊が作ったのであろう立ち入り禁止の電子表示があった。
「……急がば回れ」
花牙爪さんそう言うと電子表示器を蹴倒し、さび付いた門扉を切り裂き、敷地内に入って行ってしまった。今呟いた諺たぶん意味逆じゃないですか、と言うか何堂々と門切り裂いてるんですが。色々と言いたいことを口の中でもごもごさせながら、私はその大きな背中を追いかけた。
「だぁっ! ちょっとストップです!」
「……なに?」
「何じゃなくてですね!! 目立つのは良くないと思うんですよ」
「……そう?」
「そうです!」
蛙田さんと一緒に行ったときみたいに目立つのはごめんだ。私は花牙爪さんの先に立ち、玄関の扉を開いた。
扉を開けた途端、埃っぽい冷気が私の全身を撫でる。その空気はここが廃屋であることと、そして異常な空間であることを物語っていた。目の前の景色は普通の住宅なのに、漂う重苦しい空気に思わず喉が鳴った。
「……二階から目薬」
家に入るのに躊躇している私の横を通り、花牙爪さんは頭を下げて玄関をくぐり、のしのしと入って行ってしまう。
次の瞬間、目の前の階段から何かが駆け降りてきた。激しい金属音と火花が飛び散り、花牙爪さんが私のところまで吹き飛んでくる。
「わああああ!!」
驚きのあまりゴブリンになった私。
はじけ飛ぶ服と下着。
もういいや、いちいち気にしてられるか!
「だ、大丈夫ですか!?」
「……平穏無事」
襲い掛かって来たのは、西洋甲冑だった。大ぶりの剣を手に持ち、関節の部分からは青白い煙のような物が出ている。花牙爪さんは両手の爪をゆるりと構えて迎撃態勢をとるが、西洋甲冑はその場で止まって動かなくなった。
「……こない」
西洋甲冑は廊下で立ち尽くしているのみで、一向にこちらに向かってはこない。花牙爪さんが少しだけ前に進むと、また剣が振るわれ火花が散る。だが、玄関のところまでくるとまた動かなくなる。まるで入ってくるなと言っているようだ。
「……面倒」
「ど、どうしましょう」
「……一気呵成」
花牙爪さんは一旦私のところに戻ってくると、私の背中を爪でチクリと傷つけた。
痛ったいんですが。
「いっだ! せめてなにか言ってからやってくださいよ!」
「……いただきます」
花牙爪さんの襟元から大きな舌が伸びてきて、私の背中をベロリと舐めあげる。
「ひっ…あぅ……ッ!」
私の背を、異形の濡れてざらつく舌が、熱い吐息と共に這う。少しの恐怖と、よく知らない熱い体の震えが、彼女に舌に沿って私の背を上る。べろり、と首筋近くまで舐め上げられ、私は震える息を吐きながらその場にへたり込んだ。
はい、例のごとくこれやってるの全部ゴブリンですけどね。
「……はな、れて」
花牙爪さんがそう言うと、服の前面に見えた大きなファスナーが上から外れていくのが見えた。ぎちぎちと音立てて外れていくファスナーの下にあったのは、裸体ではなく巨大な口。
ファスナーの金属だと思っていた部分は鋭利に伸び上がって牙になり、もともとあった手の爪も、更に長く鋭くその姿を変えて行く。花牙爪さんは、恐ろしい悪魔の姿に変貌した。
「ガァアッ!!」
叫んで地を蹴り、花牙爪さんは一瞬で西洋甲冑の首をはねた。だけど、はじけ飛んだ首からは血もなにも出ずに、床に転がるだけだった。そしてその兜がふわりと浮き、また甲冑に着いた。
「……グゥ?」
一瞬面くらった花牙爪さんに、西洋甲冑は駆け寄って剣を振り下ろす。花牙爪さんと甲冑の悪魔は金属音を響かせながら、奥の部屋へと消えてしまった。
「えぇ…ちょっと……!」
ゴブリンのまま外に居るわけにもいかず、私は激しい剣戟が繰り広げられている屋内へ飛び込んだ。




