その②
バタンと勢いよく扉が開いた。
悪魔っぽい兎の形をしたドアベルがやかましく鳴る。驚いたけど今は別にゴブリン姿だから気にすることは無い。いや、気にしないと駄目だ、この姿を見られたらえらい事になる。私は音を立てないように静かにバーカウンターの陰に隠れた。
「おっとぉ……」
入口の所に立っていたのは白いアーマーに天使の羽のようなガジェットを付けた人。間違いなく聖歌隊の人間だ。ピンと背筋を伸ばしたままバーの中に入ってくる。まずい、ここに悪魔憑きが居るってバレちゃったのかな。そっとカウンターの影から覗いていると、その顔に見覚えがあることに気が付いた。
「あれ、お姉ちゃん?」
その人は私に気が付くと、「真理矢!」と優しい声を出して駆け寄って来た。その人の――彩芽お姉ちゃんの広げられた腕に飛び込み、ぎゅっとハグをする。
彼女は聖歌隊に所属する私のお姉ちゃんだ。聖歌隊の仕事で忙しいのに時間を見つけてはこうして様子を見に来てくれる。血は繋がっていないけど、私の大切な家族だ。
「大丈夫か? なにか酷い事はされてないか?」
「良くしてもらってるよ、心配しないで」
たまに死にそうな目には遭うけど。
「そうか、よかった……」
彩芽お姉ちゃんは小さく呟くと、もう一度ゴブリンの私を抱きしめてくれた。こんな姿でも私の事を大切に思ってくれているのが分かって、心があったかくなる。
「目と声だけでも戻ってよかった!」
うん、その一言はいらなかったかな。
「それにしても、なんていう姿だ。美人な真理矢が何故こんな……」
「あはは、でも慣れて来たよ」
「そうか、それならいいが……」
「聖歌隊の小隊長様がさぼっていいんですかねえ」
ぼりぼりとスナック菓子を頬張りながら、ハカセが現れた。袋からスナックをわし掴んで口放るハカセを、彩芽お姉ちゃんは睨みつけてつかつかと大股で歩み寄る。
「ハカセ、約束が違いますよ?」
「はぁん? 何のことだい?」
凛とよく通るお姉ちゃんの声に、御鬼上さんたちもなんだなんだと顔を見せ始める。
「この子が危険な目に遭わないようにここに預けたんですよ」
「そうは言っても、仕事のお手伝いくらい……」
「そうですね、多少の危険は仕方ない。でもこれは一体どういうことだ!!」
彩芽お姉ちゃんが手をかざすとモニターが空中に表示された。
そこに映っていたのは、半裸の女性がふたり――。
「ああああぁああああ!!!???」
「あはは~☆ この間のだ~☆」
「大胆だなオイ」
「驚いた、この美しい裸体が彫像じゃないなんて」
「黙ってええええ!!」
なんでこれ、え、誰かに撮られてたわけ!?
「何がどうなったらこうなる!? 真理矢は嫁入り前だぞ!!」
「嫁入り前て」
「古臭いですよ義姉さん」
「君に義姉さんと呼ばれる筋合いはない!!」
「ここだけ古いドラマみたいになってるぞ」
「ネットのデータ全て消去するのに私の部隊の予算がどれだけかかったと思っている!」
「職権濫用じゃないの」
「消すと増えるよ~☆」
「やかましい!!」
お姉ちゃんはモニターを閉じてカウンターを音立てて叩いたが、ハカセたちは特に反応することもなくいつもの調子。彩芽お姉ちゃんは更に何か言おうと口を開いたが、出てきたのは怒声ではなく深いため息。
「とにかく、この子の身に危険がないように頼む。ああいった事もないように!!」
ハカセがやる気なく応えるが、お姉ちゃんはそれに構うことなくカウンターの上に茶封筒を放った。ハカセが手に取り開いてみると、ホチキス止めされた書類が出てきた。
「今滞っている仕事だ、どれならできる」
「前から思ってたけど、今どき紙媒体かい」
「データでやり取りして妙な連中に目をつけられたら面倒だ。そう言う面での秘匿性なら紙媒体の方が上だ。場所、状況、ちゃんと目を通して覚えてくれ」
「信用されてないねえ」
「信用してるさ、大切な妹を預けているだろう」
ハカセは書類にざっと目を通してお姉ちゃんに差し戻した。
え、今ので覚えられたの?
「五枚目と八枚目、あと十二枚目だな」
「ご……ちょっと待て」
お姉ちゃんは書類をめくり、ハカセが言った場所の書類を抜き取った。
「きちんとこなしてくれ、君たちはあくまで黙認されているだけだ。上に役に立たないと判断されれば私ではどうすることもできないんだ。……妹の為にも頼むよ」
ハカセが手をぶらぶらとさせて返事すると、お姉ちゃんは肩を落としてから私に向き直り「それじゃあまた来るからね」と言い残して出て行った。
「それじゃあ千晴とルディ、ここ行ってこい。きらりはこっち」
「は~い☆」
「へいへい、よろしくワンちゃん」
「よろしくアホ鬼」
王狼さんの口から「アホ」という言葉が出てきてちょっとびっくりする。
「で、お前さんは……この住宅街のでいいか。なんでも廃屋に悪魔が住んでて取り壊しができないとか」
「悪魔が住んで……?」
「案外オバケかもな」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「……お前さん、あれだけ悪魔見てきてお化けが怖いのか?」
「悪魔とオバケってなんか微妙にちが――」
みしり、と頭上で床が軋む音が聞こえた。軋みは私たちの頭上を横切り、階段へと続いて行く。直前の会話のせいで嫌に意識してしまう。ぎしぎしと音を立てながら階段を降りてきたのはお化けではなく、中華な出で立ちの人だった。
「ちょうどよかった紫陽、田中と一緒にお仕事だ」
「……春眠暁を覚えず」
「いいから行ってこい」
中華な彼女は――花牙爪さんは、じとりと視線を横に動かしてから頷いた。ミシミシと床を軋ませながら私に近づいて来て、「行こう」と小さく呟いた。




