もうやめて
飛び込んできた水龍を千晴さんが正面から刀で迎え撃つ。
「だあああありゃあああ!!」
千晴さんの叫びと共に刀剣が燃え上がった。刀を両手でつかみ、大きく振り抜くと水龍が両断された。その瞬間、ルディさんが銃弾を発射した。赤く熱を帯びた散弾が切り離された水龍の体に入り込み、爆発した。水流は一瞬で蒸発し、その形を失ったが、蒸気となった龍はすぐに元の形を取り戻し、千晴さんたちに襲い掛かった。千晴さんもルディさんも、今度は防ぐのが精いっぱいだったけれど、ほんの一瞬開いたその隙に私たちは水龍の背後に回っていた。
続けて襲い掛かってきた蝶たちを、先頭を走るきらりさんが無数の触手で叩き落とす。落としきれなかった蝶たちが一斉にきらりさんの体に取り付き、その力を奪っていくが、反対にきらりさんの毒液に触れてどろどろと崩れ落ちていく。力を吸い取られ倒れこむきらりさんを飛び越え、私と紫陽さんで蝶華に肉薄する。わずかに焦りの表情を浮かべた蝶華は、黒い槍を構えて突き出してきた。
紫陽さんはその槍を爪ではじき飛ばす、かと思いきや、その槍をそのまま腹で受けた。よけることもできないほど弱ってしまったのか。そう思った私の思考は外れていた。紫陽さんは腹で槍を受けた代わりに、その爪の先で蝶華の目を狙った。それに気が付いた蝶華はとっさに身を引いたが、僅かにかわし切れずに爪先が目に届いた。視界を失った蝶華に、明確な隙が生まれた。
「今だ!やれ!!」
誰が言ったのか分からない言葉に背を押され、私は蝶華に向けて銃を構えた。それを察知したのか、蝶華は紫陽さんから槍を引き抜き、盲目のまま私に向けて振るった。この程度なら、私にもよけられる。私は槍の一振りを飛び上がってかわし、再び銃を構える。当たる、そう思った瞬間、腕が何かに払われた。大きな蝶の羽、いや違う、これは蝶華の髪の毛だ。
「うっ……だらあああああ!!」
私は無我夢中で蝶華の肩をつかみ、思い切り頭を振り下ろした。ごちん、という音と共に視界に星が飛ぶ。こんな攻撃でダメージを与えられるはずがない。そう分かってはいたが足搔きたかった。頭部の痛みをこらえて目を開くと、蝶華の口から血が噴き出た。そんな威力があるはずはない、そう思っていた私の視界の端に、突き出された黒い刃が見えた。これは、この爪は。
「紫陽さん……!」
紫陽さんの爪が、蝶華の胸を、心臓を貫いていた。どく、どくん、と脈打つたびに鮮血が流れ出す。それはやがて勢いを増し、辺り一面を真っ赤に染め上げた。ゆっくりと、糸が切れた人形のように、ぐらりと傾いだ蝶華の体が地面に落ちる前に、私もその場に倒れた。だが、蝶華は倒れなかった。ダン、と足で地面を踏みしめ耐えきると、胸に突き刺さる紫陽さんの爪を引き抜き、振り回すようにして投げ飛ばした。地面に倒れていた私は巻き込まれ、紫陽さんと共に壁際まで投げ飛ばされた。
「はぁっ! がふっ……よくも、よくもこの体に……!!」
よろめきながら蝶華、自分の胸を押さえ、吐血しながら怒りの声を上げた。紫陽さんも私も立ち上がれないままだったが、何とか視線だけは向けることができた。まだ死んでいない。紫陽さんの攻撃は確かに致命傷を与えたはずだった。それなのに、どうして。
「まだだ、まだ私には、蝶華には『先』がある……!!」
ぶつぶつとつぶやくと、蝶華はがくんと立ったまま項垂れた。死んでしまったのか、そう思う前に蝶華は上体を振り上げ目を見開いた。そして、絶叫した。その声はもはや人のものではなく、獣のような、いや、悪魔のものとなっていた。次の瞬間、蝶華の全身が光り輝いた。白と黒が混じり合ったような、およそこの世には存在しないような光だった。
思わず目を閉じた私たちが再び見た光景は、神々しく、そして禍々しかった。彼女の背には、白と黒の翼がそれぞれ三本ずつ、六本生えている。髪は更に長く伸び、その一部が頭上で輪のようになっている。その姿はまるで天使のようであり、同時に悪魔そのものでもあった。彼女は笑っていた。狂ったように笑い続けていた。その顔はもう、人ではなかった。
私たちは呆然としていた。いや、正しくは動けずにいた。何が起こったのか理解できなかったのだ。目の前の現実を否定したくて、脳が思考を停止することを選んだのかもしれない。しかし、すぐに私も皆も正気を取り戻して構えた。でも、正気取り戻したから何ができるというのだ。もうみんな立っているのがやっとだというのに。
「あ、はははは……!! やっぱり蝶華は、私はすごい、ここまで到達した!!」
彼女は大声で笑った。ひとしきり狂ったように笑ってから、私たちを見据えて一歩ずつこちらへ近づいてくる。槍も龍も、もはや彼女には必要ないのだろう。
「これなら! より確実に『私』の理想が実現できる!!」
「イカレ野郎が……!」
千晴さんの悪態と共に、私たちは戦闘態勢を取りはしたけれど、もう抵抗らしい抵抗などできないだろう。それでもただ殺されるわけにはいかない。やれるだけのことはしなければ。
「ははは! 無駄なことはやめたほうがいい! 今の貴女たちになにが――」
不意に、蝶華は口を閉じ、その足を止めた。油断させて一気に攻勢に出るつもりかと私たちは身構えたけれど、蝶華は動きを止めたままだった。それどころか、苦悶の表情を浮かべ、頭を手で押さえている。何かに耐えかねるように体を震わせていたが、突然大きく体をのけぞらせて大きく口を開いた。
「もういい、もうやめて……禹夏――――!!」
その声は、何度も聞いた蝶華の声だった。
でも、今まで聞いた声とはどこか違った。
その声はとても優しくて、そして悲しそうだった――。