表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女ゴブリン 今日も嘆く  作者: 海光蛸八
魔屍画~四凶と八仙花~ 編
191/208

イコン

 紫陽さんの言葉に私は絶句した。薄緑の液体の中で浮かんでいるのは蝶華さんだというのか。顔を見たことのない私は判断できなかったけど、紫陽さんの様子を見ると、それが本物の蝶華さんだと理解できた。異様な形のポッドの中に、まるで貼り付けにされたような格好で少女が収められている。その異様な光景に、私は自分の心臓を掴まれたように感じた。


「……っ!!」

「ああ、これは本物の蝶華だよ……彼女もまた、あの日のまま……」


 禹夏は恍惚した表情で蝶華さんの入ったポッドを撫で、 ゆっくりと、そしてはっきりとした声で言った。私も紫陽さんも敵を目の前にして一瞬固まってしまった。ポッド内には小さく美しい少女が浮かんでいる。その白い肌にぬくもりはなく、陶器の人形のような美しさだった。白地に煌びやかな金銀の装飾が施された衣服が液体の中で、熱帯魚の美しいヒレのように揺れている。


 背筋が凍り付きそうな美しさだった。


「これは聖像(イコン)だ。彼女が我々悪魔憑き、その平和の象徴になる……お前も協力してくれるだろ?」

「……ッふざけるなぁああああッ!!」


 紫陽さんは絶叫しながら再び禹夏に襲いかかった。蝶華さんの収められた十字架を飛び越え、そのまま勢いに任せて爪を振るう。しかしそれもまた先ほどと同じように弾かれてしまう。今度は、禹夏が手にした長い棒によるものだ。禹夏はその棒を両手に持ち変えると、構えた。すると、その先端に青白く光るものが現れた。あれは――水? そう思った瞬間にはもう遅かった。


 禹夏の持つ杖から大量の水が噴き出したのだ。その水流は蛇の如く紫陽さんに向かっていき、彼女を飲み込んだ。私が攫われた時の技だ。あの時は私の体ごと飲み込んでしまったが、今回は違う。紫陽さんは水の奔流に飲まれながらも、必死に抵抗していた。だが、その努力も虚しく、紫陽さんは壁に叩きつけられ、床に転げ落ちた。その衝撃で、壁際に飾られていた壺や絵画がいくつか落ちて割れた。その破片と埃を浴びながら、紫陽さんは呻いた。


「私に勝てる訳ないだろう、お前もあたしも闘技場では『負けなし』だったろう?」

「ぅ、ぐ……っ」

「さっさと降参して、ワタシと一緒に平和な世界にしよう」


 私は禹夏の言動に全身が泡立った。この人はまともじゃない、それは分かっているつもりだった。でも、私が思っていたよりこの人はもう取り返しがつかない状態なのではないか。さっきから一人称が安定しない。目の前にいるのはいったい誰なんだ。紫陽さんの知っている『禹夏』ではなくなっている。それはきっと、紫陽さんも分かっているはずだ。


 不意に、倒れていた紫陽さんの体がびくんと震えた。彼女の胸元から筒状の何かが落ちた。筒の先端からは注射針のようなものが飛び出している。あれはきっと私の血を打ち込んだんだ。バキバキと骨格が変わっていく音と共に、紫陽さんが四つ足の形態に変異していた。ぶるりと大きな胴震いをして、全身の水滴を振るい飛ばした。


「グゥルルルル……ッ!」

「あはは、すごい事になってるねえ。私よりよっぽど悪魔だ」


 紫陽さんは獣のような低い声を上げ、びっしりと生えた巨大な牙を剥き出しにした。かつて見た姿とはまた違い、体躯はそこまで大きくなってはいないが、衣服が黒い筋繊維となって全身を覆っている。その姿はまるで黒色の肉食恐竜のようだった。彼女はそのまま禹夏に飛び掛かった。禹夏は慌てた様子もなく、長棒を構えた。その刹那、紫陽さんは大きく跳躍し、その巨体を禹夏の頭上へと躍らせた。その攻撃に対して禹夏は素早く反応した。宙に浮かぶ紫陽さんに向けて、棒を振るって水流を発生させる。紫陽さんは躱すことなく突っ込み、水流を押しのけて接近する。


「ガァアアッ!!」

「ぐ……ッ!」


 紫陽さんは勢いのまま、禹夏目掛けて突進するように噛み付いた。禹夏は咄嵯に身を捻ったが、右半身に太い剣山のような牙が突き刺さった。紫陽さんは着地し、そのまま押し倒そうと力を込めた。前足の長い爪が絨毯を切り裂き、床を砕く。だが、禹夏の体は僅かに揺れ動いただけでその場に踏みとどまった。


「調子に乗るんじゃないッ!!」

「ウガ……ッ!?」


 禹夏は叫び、手にした長棒を紫陽さんの首根っこ目掛けて振り下ろした。紫陽さんをたたき伏せ、半身に突き刺さった牙を無理やり引き抜くと、倒れた紫陽さんを何度も打ち付け蹴飛ばし、距離を開けた。そして、再び棒を振り回して水を発生させた。先ほどよりも多くの水を、その先端の鋭利な刃物のように変形させ、槍にして射出した。紫陽さんはその攻撃を、身を低くして避けた。そして、一瞬のうちに禹夏に肉薄すると、喉笛めがけ、鋭い爪を振りぬいた。


 しかしその直前、禹夏は手にしていた棒を地面に打ち付け、自身の体を浮かして躱した。攻撃を外し体制を崩す紫陽さんの顔を、上空から思い切り殴りつけた。紫陽さんは後方に吹き飛ばされたが、転がりながら体勢を立て直した。二人の戦闘は熾烈を極めた。紫陽さんは次々と攻撃を仕掛けるが、禹夏はそれを全ていなしていく。禹夏の傷はもうすっかり塞がっていた。


「あはは! やるじゃないか、紫陽!!」

「グルルル……!!」

「やはりお前はあたしと一緒に来い!悪魔憑きの住みよい世界を共に作ろう!!」

「グアウッ!!」

「あハハァっ!ダメかそうか!!」


 禹夏は紫陽さんの攻撃を下へ受け流し、ぐらついた彼女の巨体を水流で持ち上げ天井へと叩きつけた。水流はそのまま暴れる大蛇のように部屋中をうねり回った。天井や壁が砕かれ、削り取られ、その先端にいる紫陽さんの血が水流に交じり始める。禹夏は楽しげに笑い声を上げ、水流を操作していた。しかし、次の瞬間、突如として横合いからの衝撃を受け、真横に吹っ飛んだ。


 そこにはいつの間にか、紫陽さんがいた。禹夏が放った水流によって、壁に空いた穴から飛び出してきたのだ。紫陽さんは、口元を真っ赤な血に染めながらも、しっかりと二本足で立っていた。一瞬覚醒の効果が切れたのかと思ったけど、その姿はいつもの紫陽さんではなかった。普段はゆったりとした紫の衣服が、赤黒く染まり全身に包帯のように、いや、鎧のようにがっしりと巻き付いている。


「グゥルルルル……ッ!」

「……あはは、まだそんな力が残っていたとはねえ!!」

「グオオオオッ!!」


 二人はまた激突する。紫陽さんは、獣のような雄たけびを上げて、爪と牙を剥き出しにし、禹夏に向かって飛び掛かった。禹夏は水流の壁を作り出して手招きした。紫陽さんは誘いに乗るように水の中を突き進んでいった。水壁の向こうはどうなっているのかよくわからない。かろうじて水流の音に戦いの音が混じるのが聞き取れるだけだ。


 瞬間、水の壁の向こうから紫陽さんが転がり出てきた。体には傷が増えている。私が声をかける前に、紫陽さんは再び水の向こうへと飛び込んでいった。戦いの余波か、時々水流の壁が途切れて中が見えた。紫陽さんも禹夏も傷だらけの血まみれだったに。覚醒した紫陽さん相手に正面からやりあえるなんて、どれだけ強いんだ。

 

 だけど、私は何か不自然さを感じていた。二人は同じように傷を負っているのに、どこかがおかしい。禹夏の流す血に生気が感じられなかった。ほんの一瞬見えただけだから私の思い違いかもしれないけれど、じっくり見ていないからこそ直感で違和感を感じ取ったのかもしれない。この違和感の正体はいったい何なんだ。私は音立てて吹き上がる水壁から目をそらし、部屋を見まわした。


 ふと目に入ったのは、蝶華さんが入れられた十字架だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] これは!!! 何ですかね。 気になりますね。 そして! 嘆くひまがない! スペシャルドリンクもない! [一言] 昔のテレビまんが(アニメ)は 喧嘩シーンが煙で描かれてて とき…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ