当たり前
私たちは今、帰路についていた。
ゴブリンの私を始め、悪魔憑きの皆がいつものバンに乗っている。
今日は皆騒ぐこともなく、静かに座席に腰掛けている。
悪魔を閉じ込めたキューブを手にしたハカセは、それを持ち帰ると言い出した。
お姉ちゃんを初め、聖歌隊の人たちは当然難色を示した。
するとハカセは、突然どこからか呼び寄せたバンに私たちを押し込んで逃げた。
まともなお別れもできずに逃げて、今に至る。
私はゴブリンの体のまま、座席に深く体を沈み込ませた。
この後お姉ちゃんに逃げたこと謝らないと。
帰ってからでいいや、今日はもう疲れてしまった。
私は別にいいけれど、きらりさんはもっと話したかっただろうに。
久しぶり、と軽く言えない重さの時間を、家族と離れて過ごしていたんだから。
まあ、だから今私の隣で電話してるんだろうけど。
「あはは~☆ 心配ないよ~☆」
家族と話すきらりさんの顔には、いつもの笑顔が張り付いていた。
きらりさんにとっては、もうそれが普通の顔になってしまったのだろう。
でも、時折本当に楽しそうな笑顔になるから、今までとは違う。
当たり前の笑顔を、きらりさんはようやく取り戻せたんだ。
「うん、嬉しいけどごめん。一緒には暮らせないかな~☆」
それでも、取り戻せないものもある。
悪魔憑きとなってしまったきらりさん。
元の通りに家族と一緒に、とはいかないのだろう。
「うん……わかった、いつでも遊びに来て。皆にも会いたいし」
失った物も、時間も、取り戻せたりはしない。
なくなった『当たり前』はもう二度と戻ってはこない。
そればかりは、悪魔だろうが聖女だろうができないことなのだろう。
私たちにできるのは、新しい『当たり前』を受け入れることだけ。
いつものバンに乗って、いつもの家へと帰る。
すっかり慣れてしまった、私たちの新しい『当たり前』。
でも、今となってはかけがえのないものになっている。
この当たり前は、いつまで続くのだろうか。
そんなことを考えても仕方がない。
今は休もう。もうクタクタだ。
目を閉じて休もうとした瞬間、私の前にスマホが差し出された。
差し出した人の顔を見ると、感情の読み取りにくい笑顔。
きらりさんが悪魔のスマホを私に差し出していた。
「あはは~☆ いろはが話したいって~☆」
「ええ、私とですか?」
きらりさんはにっこりと笑うと、私の返事も待たずにスマホを渡して来た。
仕方がないので耳に当てると、いろはさんの声が聞こえた。
『すみません、お疲れなのに』
「いえいえ、こっちも最後バタバタ逃げる感じになって……大丈夫でしたか?」
『あはは、あの後聖歌隊さんに怒られました……』
「そ、それは気の毒に」
『でも真理矢さんのお姉さんが取りなしてくれて、すぐ解放されました』
お姉ちゃんにはちゃんとお礼を言わないと。
『重ね重ねご迷惑を……』
「いろはさんのお陰でたくさんの命が救われたんです」
本当に、もしいろはさんが行動を起こしていなかったらどうなっていたか。
聖歌隊がどう対処できたか予想はできないけど、たぶん沢山の命が失われていた。
だからいろはさんの行動は間違っていなかったに違いない。
「いろはさんは沢山の命を救ったんです」
『……あの、やっぱり真理矢さんは聖女さんなんですね』
「どういう意味ですか?」
『悪魔を閉じ込めた後、泣いてしまったお姉ちゃんを抱きしめてくれていた時、真理矢さん姿はゴブリンでしたけど……なんていうか、とても優しく見えました。今までみてきた聖女様たちよりもずっと――姿はゴブリンでしたけど』
私は「なんでゴブリンって二回言った?」という言葉を飲み込んだ。
そうして、ありがとうございますとお礼を言った。
「今度ぜひ、遊びに来てください。ご家族も一緒に」
『はい、必ず――』
その時だった。
急にバンが停止し、私は座席から転げ落ちた。
逆さまで「どうしたんですか」とわめく私に、運転席のハカセが振り向いた。
ハカセは窓の外をちょんちょんと指で示し、
「お前さんたち、頼むぞ」
窓から外を見ると、大小の悪魔が廃屋の陰からぞろぞろと出てきていた。
そういえば、私たちが住処へ帰る時には、近道の危険区を通るんだった。
そうなれば当然、悪魔達と鉢合わせになる。
「よし、もうひと暴れか!!」
「こっちは疲れているのに……」
「……正面突破」
「あはは~☆ 頑張っていこ~☆」
いつものようにバンの扉が開かれ、いつものように皆が飛び出す。
目の前で悪魔の血肉や手足や首が飛び散る。
そんなスプラッタな光景が、いつの間にか当たり前になった。
『だ、大丈夫ですか!?』
「ああ、はい、大丈夫です」
『なんかすごい音してますけど……』
「……いつもの事ですから」
こんな当たり間はとっととなくなって欲しい。
日常と化した非日常を前に私は――ゴブリンは今日も嘆いた。