カエルの悪魔が初めて殺したのは
蛙田さんはぴょこぴょこと何でもないように歩き寄ってきた。
「ビビらせんなアホ!!」
「え~☆ けぇっこうギリギリだったんだよ~☆」
叫んだ千晴さんに、蛙田さんはいつもの笑顔で答えた。
つかみどころのない、感情の読めない笑顔。
張り付いたような、笑顔。
「ありがと~☆ 皆のお陰で助かったよ~☆」
「そいつはもう大丈夫なのかい?」
「あはは~☆ わかんな~い☆」
「……前途多難」
「まあ待て、私に任せろ。良い研究材料だ」
皆はいつもの調子で蛙田さんに話しかける。
でも、なぜだか今の私にはその顔が笑っているようには見えなかった。
本当にお面でもつけたかのように、無機質に見えた。
笑顔の形をしているだけの、仮面。
ああ、今なら分かる。
その笑顔は見たことがある。
菊さんが私に一度だけ向けた笑顔と一緒だ。
菊さんが学校の先生をやんわりと追い返した時、私に向けた笑顔。
ふう、と息を吐いて緊張の糸をほぐしたあの笑顔。
家族を困らせまいと無理をしていた時の笑顔。
蛙田さんの笑顔がその記憶と重なった
でも、蛙田さんの笑顔は菊さんのそれとは少し違う。
蛙田さんはずっと、ずっと無理に笑って生きてきたんだ。
無理をしすぎて、その笑顔が張り付いてしまったんだ。
自分では剥がすことができなくなるほど長く。
少し笑顔が崩れても、すぐに戻ってしまうほど長く。
自分の感情があやふやになってしまうほど長く。
蛙田さんが初めて殺したのは父親じゃない。
そのずっとずっと前に殺していたんだ。
何よりも大切な人を。
他でもない蛙田さん自身を殺していたんだ。
自分を殺して、弟や妹のために笑顔になったんだ。
それだけ、家族のことが大好きだったんだ。
なんて、優しい人だろう。
「あはは~☆ 」
「蛙田さ……いえ、きらりさん」
「ん~? なになに~☆」
「もう、お姉ちゃんしなくていいんですよ」
ぴたり、と蛙田さんの――きらりさんの動きが止まった。
横にいたいろはさんはパッと私を見てから、きらりさんに向き直った。
そうして、黙ったままゆっくりと頷いた。
「あは、は……」
きらりさんは視線を頭ごとあちこちに向けた。
少しずつ、彼女の笑顔が崩れてきた。
口元が震え始め、頭はわずかに上を向いて止まった。
上を向いた瞳から、ぼろぼろと雫が零れ始めた。
無理やりに弧を描いていた口元が震えと共に崩れていく。
無機質な笑い声をあげていた喉の奥から、小さな嗚咽が漏れだす。
「こっ……怖かった…こわかったよぉ……」
顔をこちらに向けたきらりさんは泣いていた。
頬を染め、しゃくりをあげ、大粒の涙をこぼしていた。
私が手を広げると、きらりさんは倒れ込むように飛び込んできた。
「皆が居なかったら、いろは……死んでた、そんなの…そん、なの……!」
そしてそのまま、大声をあげて泣いた。
きらりさんは私の胸の中で、ずっとずっと泣いていていた。
今までの抑え込んできた感情を、涙を、一気に吐き出すかのように。
笑顔の下に居た、優しいきらりさんという人に、ようやく会えた気がした。