その③
「さあてここか」
御鬼上さんについていくと、目の前にはいかにもな建物。三階建てくらいだろうか。なんというか、壁の落書きとか、外観の荒れ具合から『一般人が入ったら生きて出られませんよ』っていうのが雰囲気で分かる。そして当然のごとく危険区の中。もうやだ帰りたい。
「どうした、もうやだ帰りたいって顔してるぞ」
「当たり前じゃないですか、ここ危険区ですよ」
「危険区の看板は黄色だったろ、だからそこまでヤバいのは居ないって。チンピラに毛が生えた……いや、マフィアに毛が生えたようなのしかいないから大丈夫だ」
何も大丈夫じゃないですって。
マフィアに毛が生えちゃったら、もうそれただの化け物ですよ。
「ま、今回はヤバい奴がいるみたいだけどな」
「やばいんじゃないですか!」
「聖歌隊から仕入れた仕事らしいからな、雑魚だけってことはないだろ」
聖歌隊、世界に悪魔が現れてからできた民間組織の一つだ。とある企業が巨額の資金を投入して組織した悪魔退治業者だ。対悪魔用の最新鋭の装備は神々しい天使をモチーフに作られており、市民の支持も厚く、首都の治安維持の要となっている。
「なんで聖歌隊から御鬼上さんたちに依頼が来るんですか……」
「市民から各企業、自治体だとか国までが聖歌隊に悪魔退治を依頼するんだ。あいつらも手一杯なんだろうよ。だからあたしらみたいなフリーランスはそのおこぼれを貰ってるわけだ」
「おこぼれならそんなにヤバいのは出てこないんじゃ……」
「普通ならな。でもあたしらに回ってくるのは他が断ったやつだからな、多分ヤバいよ」
御鬼上さんは大きく口を開けて笑うと、腰に差した刀に手をかけた。鞘から刀身を抜き放つと、その軌跡を追うように赤い炎が尾を引く。右手にその刀を握り、左手には拳銃を握ってビルの前に立つ。私はどうしていいか分からずその後ろについていく。
「さて、これから突入なわけだが……その前に、ずっと気になってたこと言っていい?」
「な、なんですか?」
「あのさ、乳首隠すのおもしろ過ぎるからやめてくれない?」
私は自分の掌で隠された胸を見下ろしてから、バッと顔を上げた。
「し、仕方ないじゃないですか! せめて可愛い服を着ようとしたんですよ、そしたらなんか知らないですけど服が破れ飛んだんですよ!」
「なんだそれおもしろすぎるだろ」
「面白くないですよ! なんなんですか、私は一生この薄汚い腰布一枚しか着れないんですか! 胸丸出しじゃないですか!!」
「ゴブリンだからいいだろう」
「ゴブリンだけどよくないんですよ!」
騒いでいる私たちの目の前で、扉がガチャリと開いた。
そこから顔を覗かせたのは人ではなかった。人の形はしていたが、落ち窪んだ目はギラギラと妙な光を放ち、こけた頬や薄汚れた肌、だらりと地面までついた長い腕は異様で、見るだけで不快なのに、目が離せなかった。
その男は、私たちを見つけるとニヤリと黄色い歯を見せて笑った。間違いなくヤバイい。もう本当に帰りたい。
「ぎゃあああ――――」
私が叫ぶのと同時に男はただでさえ長い腕を私たちに向けて勢いよく伸ばしてきた。だが、その腕は私たちに届くことなく宙を舞っていた。自体が呑み込めていない男(と私)がその腕を目で追っていると、銃声が轟いた。
突然の大きな音に「ぴゃっ」と私が妙な声を挙げると、扉を開けた悪魔憑きの男の眉間に穴が開き、どす黒い血がどろりと流れ落ちた。うわあ。
他の悪魔憑きたちも銃声に気が付いたのか、建物の中がにわかに騒がしくなる。
「さあ、害虫駆除の時間だ!!」
「私はどうしたら!」
「あたしのケツ守ってな!!」
「わ、分かりましたああああ!!」
駆け出し、扉を蹴破った御鬼上さんのお尻だけを見てついていく。別にいかがわしい意味じゃなく、そうでもしてないと御鬼上さんの残虐ファイトを見ちゃうんだもの。視界の端に血飛沫や死体が見えるんだもの、銃声とか肉を切り裂く音とか断末魔とかが聞こえるんだもの!
それらのグロテスク映像から目をそらすためには別のものを見ている必要があるの。うつむいてちょうどいい位置にあるのがお尻なの。筋トレしてるだけあって引き締まったいいお尻だなあ、なんて思ってない。決して、思ってない。
「わぶっ」
急に立ち止まった御鬼上さんにぶつかって止まった。けっこうな勢いでぶつかったのに彼女はぴくりとも動かなかった。その分私は柱にでもぶつかったのかと思うほど痛かった。
「ヤバい奴は上に居るみたいだな」
「これ以上ヤバいのがいるんですか」
「当たり前だろこいつらは毛チンピラだ、毛マフィアが上に居るぞ」
毛チンピラって何、という突っ込みも満足にできないまま、前方の階段を凝視した。さっさと進んでしまう御鬼上さんの後に続いて行くと、ぶるりと体が震えた。吹き抜けの最上階から冷気のようなものが降りてきているような気がした。
「よし、派手に行くぞ」
御鬼上さんは刀を振るい、まるで楽しんでいるかのような表情で吹き抜けの天辺を見上げた。
「いやいや慎重に行きましょうよ!」
「不意を突いたほうが楽なんだよ」
「そうは言いますけどね……!」
「オッケーわかった、お前はここで待ってな。雑魚全部倒したら上からそいつら落とすから、それ見たら上ってきな、それでいいな?」
私の返事を待たずに、御鬼上さんは階段を駆け上がって行ってしまった。響く靴音に銃声、怒号、断末魔、その繰り返し。二、三回それが繰り返されると、建物の中は静まり返った。
「ご、御鬼上さーん?」
返事はない。
「だ、大丈夫ですかあ?」
何も聞こえない。
「へ、返事して――」
「落とすぞー!」
目の前に、どどどぉっ!っと何かが落ちてくる。
それはおびただしい数の悪魔の死体だった。
「ひぃいいいい!!」
人間と他の生き物が中途半端に混ざったような、悪魔憑きの死体が小さな山を作っている。鳥とか獣の腕や脚が見えたと思えば、虫のような頭部もあり、トカゲの尻尾みたいのもある。どの部位が誰の蚊も分からないし、血だまりも赤だか黒だか緑だか分からない色になっている。
「あらかた片付いたから上ってきな!」
うわあ絶対行きたくない。でもここに居るのも嫌だ。
どうしようかと迷っているうちに、足に何かが当たったのを感じた。
足元に視線を向けると、悪魔の生首が。
「いやあああああ!!」
裏返った声で情けない悲鳴を挙げながら、しゃかしゃかと体を動かして階段を上っていくゴブリン。なんて滑稽な絵面だろうか。できるだけ周りを見ないようにしながら最上階まで一気に駆け上る。最上階には部屋は少なく、一番奥に大きな扉が見えるだけだった。
「はあ、はあ……」
遠くからその扉を見てみると、ホールと案内板が出ていた。姿が見えないところを見ると、御鬼上さんはこの中だろう。入りたくないけど、一緒に居ないと不安で仕方ない。覚悟を決めてその扉に向けて一歩進んだ、その時だった。
いきなり扉が吹き飛んだ。左右の扉が私の両脇をものすごい速さで通り過ぎ、背後の階段から落ちていく。あまりの出来事に、私はその場にへたり込んでしまった。扉に当たりそうだったからではない。目の前に巨大な悪魔が現れたからだ。
「また醜いのが来たわね……」
巨大な悪魔は天井や壁が壊れるのも厭わずに、こちらへと向かってくる。巨大な女性の彫像のような悪魔。さっきまで見てきた悪魔とは違う。その姿を見ているだけで、肌がぴりぴりと痛むような感覚にとらわれる。
そんな悪魔がこちらを明確な敵意をもって見下ろしている。それだけで私は気を失ってしまいそうだった。でも、なんとか持ちこたえられた。
私を守るように、御鬼上さんが立っていたからだ。