演劇
「ぐぉおおおお~っ!!」
醜い悪魔が両腕を開き、耳障りな叫びを響かせた。
それを見ていた子供たちから悲鳴が上がる。
緑色の骨ばった醜いゴブリンはその様子を見て舌なめずりをした。
もう分かるよね? はい、私です。
別に悪魔に乗っ取られたとかそう言うのじゃないです。
今、私たちは保育施設のホールで劇を演じていた。
聖歌隊の大本であるポインター社は、事業の一環として教育施設も経営している。
この時代、聖歌隊の警護付きの学校はそれだけで価値がある。
デイジーさんからの依頼で聖歌隊の宣伝劇をやって欲しいと頼まれたのだ。
ただ守っているだけでなくいろいろやってますよアピールがしたいらしい。
パトロンである彼女のお願いを無下にするわけにもいかず、今こうしてる訳です。
「ぐははは! 食ってやるぞ~!!」
腕を開いたまま、棒読み演技で階段を下りていくと、また悲鳴が上がる。
こんな棒演技だからか半分は笑いみたいな悲鳴だけど。
でも、中には泣いてしまっている子供も居た。
怖がらせてごめんね、でもお姉さんも一緒なんだ、泣きたいんだ。
慣れてきたとはいえこの姿はやっぱり乙女には辛いものがあるんだよ。
まあこんな姿になったら性別問わず耐えられないだろうけども。
「待てぇ~い!!」
乙女心を傷つけているゴブリンに向かって勇ましい掛け声が放たれる。
私が大げさに振り返り「何奴!!」と叫ぶと、聖歌隊姿の四人が現れた。
何奴て。悪代官かなんかか私は。
「人々を傷つけることは、私たち聖歌隊が許さない!」
「皆! 私たちが来たからにはもう安心だ!」
「悪魔め~☆ 覚悟するがいい~☆」
「……揚清激濁」
皆が聖歌隊の装備を身に着け、たどたどしく戦隊ヒーローみたいな台詞を言っている。
ここで笑ってはいけない。私は笑いをこらえるのに必死だった。
子供たちは真剣に見ているんだから、正しいゴブリンを演じなければ。
正しいゴブリンってなんだ。
「ええい小癪な!!」
私は悪代官モードのままステージ上に飛び戻り、千晴さんたちと相対した。
悪魔VS聖歌隊(悪魔)の始まりである。
聖歌隊姿の千晴さんたちがオモチャの剣を抜き、構えた。
「死ぃぃいねぇえぇええ~~~い!!!」
私は奇声をあげながら、皆の元へ飛びかかって行った。
◆
「いや~ありがとうございました!!」
頭を下げる施設長さんに、私たちは会釈を返した。
今はもちろんゴブリンではなく、人間の姿に戻っている。
ずいぶん人間のままでいるのも楽になった。気を抜かなければすぐに人に戻れる。
油断すると服が弾け飛ぶのは変わらないけど。
「こちらこそどうも、酷い演技で申し訳なかった」
「いやそんなことは! 本当に素晴らしい演劇で……」
施設長さんは繰り返し頭を下げながら、機嫌を取るような声でそう言った。
ぶっちゃけ練習不足でグダグダだったと思うけど、そう言う訳にもいかないんだろう。
なにせ施設長さんのさらに上のデイシーさんの意向でやったんだ、酷評はできない。
「そうだろ? 私らの演技力も捨てたもんじゃないな!」
「ルルたちが出られなかったのが残念だね」
「……千両役者」
何でこの人たちはこんなにやり切った感を出せるんだ。
文化祭だってもう少しましな演技だろうって感じだったでしょうが。
まあ、子供たちは喜んでくれてたからいいか。
「…………」
珍しく、蛙田さんだけはなんの反応もなかった。
施設長さんから借りた子供たちの名簿をずっとみている。
なにか興味をそそられるものでもあったのかな。
「コーヒーも御馳走になったし、そろそろ帰るか」
「ああ、そうですか! それではお車をすぐに……」
施設長が応接間のドアを振り向いた瞬間、ドアが勢いよく開いた。
息を切らせて飛び込んできたのは、女の人だった。
エプロンにチューリップ型の名札が付いてるから、ここの先生だろうか。
「あ、あの……!」
「なんだねいろは君! ノックもせず……お客様に失礼だろう!」
「申し訳ありません。ひとつお聞きしたいことが!」
「あ、あのね君! この方たちに何か粗相があったら……!」
「あの! きらりさん、は……どなたでしょうか」
施設長さんの話をさえぎり、職員さんは蛙田さんの名前を口にした。
「きらり? あいつだったらそこに……」
ハカセと同時に、蛙田さんが座っていた場所に目を向ける。
そこに蛙田さんの姿はなかった。
おかしいな、さっきまでそこで名簿を見ていたと思ったけど。
というか、どうやっていなくなったんだろう。
この部屋への出入り口は職員さんが飛び込んで来たドアだけだ。
あの人なら色々な移動手段を持ってはいるだろうけども。
「あれ? 蛙田さ~ん?」
皆で部屋中見回してみたけれど、蛙田さんは見つけられなかった。
◆
応接室から少し離れた廊下の陰に、黒い水溜まりのようなものがあった。
その黒い液体から、ずるりと何かが浮き上がって来た。
少しずつ人の形になっていき、液体はきらりへと姿を変えた。
黒い液体はそのまま、彼女の悪魔のスマホへと吸い込まれていった。
きらりはその場で天井を見上げると、もたれるように壁に背をつけた。
彼女の心音は、鼓膜を内から押し出すようにやかましく鳴り響いていた。
冷え切った全身からじとりと汗が湧き出し、肌に張り付く。
「――やっぱり、間違いなかった……」
その声は、普段のつかみどころの無いものではなかった。
どこにでもいるような、ただの人間の声できらりは呟いた。
足から力が抜け、壁にもたれたままその場にずるずるとへたり込んだ。
「……いろは」
きらりはうつむき、突然うわ言のように名前のような言葉を呟き始めた。
うつむいたまま、過剰なまでに速まる呼吸をおさえるように、胸に手を当てた。
地面を見ているその目は、飛び狂う羽虫のようにふらふらと定まらなかった。
「……七音、天音、雅龍、龍和、美音泰助、実莉、侑助、名桜子、倫太郎、愼太郎――それに、いろは」
少しずつ、きらりの呼吸が整ってくる。
きらりは汗にまみれた顔を痙攣させるようにして口角を引き上げる。
瞬きを繰り返しながら、目の形を弧の字へ近づけていく。
「……皆、居た」
額ににじむ汗を拭きとり、大きくひとつ息を吸い込んだ。
長く、長く息を吐き出し、きらりはゆっくりと顔を上げた。
「……よかったぁ」
そこには、いつも以上に感情の無い笑顔があった。




