王狼ルディという人間
悪魔を狩ることに疑問など抱かなかった。
獲物は長銃と手甲、脚甲。それらを使って姉様と兄様と次々に悪魔を葬り、神童だともてはやされた。そうやって人々を守れるのが嬉しかった、楽しかった。悪魔を狩ることに負い目など感じていなかった。悪魔は憎むべき相手、慈悲などかける必要もない。
悪魔憑きも同じだ。悪魔の誘いに乗った愚かな人間だと教えられ、そのまま疑いもしなかった。ただ、私よりも力の無い兄弟姉妹が下に扱われているのはよく理解できなかった。私はそんな皆に話しかける度、父に殴られたけど、納得できなかったので従うことは無かった。
はたから見れば異常な一族だったろう。母親の違う何十人もの兄弟姉妹と暮らし、身近にいる親と呼べる人間は父親だけ。家族内での絶対的な身分の格差。そして年端もいかない少女が命をかけて悪魔を狩る。でも、それが私たちの日常だった。
ひとつ、一般的な日常と言っていい出来事と言えば、子犬を買ってもらったことだろうか。はじめて大型の悪魔を狩った日に、褒美としてねだった。姉が一緒になって父を説得してくれて一匹買ってもらえた。美く白い毛並みの、狼のように凛とした女の子だった。
その犬を皆で一緒に可愛がった。ミナ姉様とヴァル兄様以外の兄弟姉妹と交流を持つことに、相変わらず父はいい顔はしなかったけど、私は悪魔狩りの才能があったから黙認されていた。
その犬と私はずっと一緒だった。一緒にご飯を食べ、一緒にお風呂に入り、一緒に寝た。私と彼女は一緒に大きくなっていった。そして15歳の時、彼女は三つ子を妊娠していることがわかった。兄弟姉妹と話し合って、ルル、ロロ、スゥと名付けることにした。
彼女はいつも敷地の中に居たから、相手の分からない急な妊娠に驚いたけれど、大切な家族に三匹も子供が生まれるという事に私は喜んだ。その日からますます悪魔狩りに精を出した。
その時もっと考えるべきだったんだ。
なぜ突然子を宿したのかを。
気づいた時にはもう遅かった。
彼女がお腹に抱えている子供は、悪魔の子供だった。父が言っていた。悪魔憑きとは地獄の悪魔が人間を媒体にこちらの世界を覗き込んでいるようなものだと。そして、そのうちに人間を乗っ取り、好き勝手に暴れるのだと。
悪魔がこちらの世界を除くときに使用するのは人間だけではない。動物だって悪魔に憑かれる。私の大切な家族は、悪魔ののぞき穴として使われた。それも、わざわざ胎の中に入り込んだ。
父と兄はすぐに殺せと言ったけれど、私は嫌だった。彼女に死んでほしくなかった。一緒に可愛がってくれていた皆も、父に許してもらうよう一緒にお願いしてくれた。でも、それがいけなかった。
皆も悪魔に憑かれたのだと父は喚き散らした。
そしてその場で、私の目の前で、みんなを殺した。
許して下さいと懇願しても駄目だった。逃げてと言っても遅かった。私と彼女によくしてくれた、私の家族たちは、実の父の手によって肉塊と血だまりに変えられた。悲鳴を挙げる間もなかったのが唯一の救いだろうか。
私だけは痛めつけられただけで殺されはしなかった。悪魔狩りの才能があったからだろう。私は瀕死の状態で、累々と横たわる兄弟姉妹の死体のそばに放置された。悲しむ暇も、痛がる暇もなかった。私は虚ろな意識で、ただ床に転がっていた。
ぼんやりとした視界に、彼女の死体が映った。兄弟姉妹たちの死体の真ん中に、白い毛並みを血に染めて転がっていた。それでもまだ、私は何も感じなかった。冷たい床の感触とむせ返るような血の臭いだけが、私の脳に伝わって来た。
その時だった。小さな鳴き声が聞こえた。声のする方に無意識に焦点が合わさると、そこには子犬が三匹転がっているのが見えた。生まれた子犬を見たのは初めてだったけど、死にかけているのは分かった。
私はゆっくりと体を起こし、這いずってその子犬の元に行った。目の前まで行き、私が上体を起こしたその時、異変が起きた。悪魔の子供であるその三匹が、床や壁に滴る皆の血を吸い取り始めた。
死んだ人間の血を全身で啜る悪魔の子供たち。恐らくそれはおぞましい光景だったんだろう。でも、その時の私には死んでしまった兄弟姉妹の血が、その三匹を生かそうとしてくれているように見えた。みるみるうちに三匹は生気を取り戻し、すんすんと甘えるように鼻を鳴らした。
そこで私は彼女と目が合った。
この子たちの母親。
私のかけがえのない家族。
血に濡れた彼女は首を持ち上げ、私を見据えて「子供を頼む」と目で伝えてきた。私は血を吸いきり寝息を立て始めた子犬をしっかりと抱き上げて頷いた。すると彼女は一つ吠えた、綺麗な声だった。私の手の中の子犬たちが光り、その姿を変えた。
私が愛用していた武器に似た装備が、手の中にあった。
私が顔を上げると、彼女はこと切れていた。一緒に育ち、一緒に戦ってきた親友を私は失った。私はその手に彼女の子供を、私の家族の血が通った三匹を抱えて、私は勇気を振り絞って駆け出した。
一族から逃亡するのは重罪だった。捕まればどんな仕打ちをされるかよく知っていた。幼い日に兄一人が逃げ出し掴まり、火に焙られた。当時は彼は悪人だという父の言葉を信じて疑わなかった。天国に行ってくださいと無邪気に祈った。
走っている間、心臓の音で自分の足音すら搔き消えた。体の内側からあふれ出る汗は身震いするほど冷たかった。それでも私は走った。残された家族を守るために、無謀で浅慮な勇気だけで脚を動かした。
見つからなかったのは幸運という他はない。道中誰にも会わずに敷地を抜けることができた。足を止めずに港に向かって駆け、停泊していた貨物船に飛び込んだ。そのまま泥のように眠り、乗組員にたたき起こされた時に着いていたのがこの国だ。
悪魔騒ぎの発端の地、日本に来たのは運命だと思った。
悪魔がいなければ皆死ぬこともなかった。
彼女も、自分の子と幸せに暮らすことができていたはずだった。
私は悪魔をよりいっそう憎み、日本で悪魔を狩り続けた。
彼女たち三匹と共に生きられればそれでよかった。
気が付くと私は彼女たちと同化し、悪魔憑きになっていた。
それでよかった。
もう失いたくない。
私には守る力はない。
自分の守れる範囲の人たちだけと交わりたい。
でも、私はまた仲間を、家族を作ってしまった。
ハカセと千晴に出会い、殺し合いの末に友になってしまった。
きらりも、紫陽も、悪魔憑きだというのに狩るべき対象ではなかった。
真理矢、あの子もまた家族だ。
穢れを知らないと思っていたあの子も、暗い過去があった。
あの子にとっては、死ぬほどつらかった過去が。
そして、私にも過去が襲い掛かって来た。
私はまた、家族を失うのか。
あの日のように。
何もできずに目の前で失うのか。
嫌だ、もう失うのは嫌だ。
許しを請うても意味はない。
逃げ出したとしても意味はない。
どちらにしても私は失う。
そうだ、もう分かっているだろう。
戦わなければ、守れない。
私の家族を守るんだ。
ああどうか、この子たちと共に駆け出した時の勇気を、もう一度だけ。