銃口
「今いたのは姉様か」
気が付くと、王狼さんが階段から降りてきていた。顔色はまだ悪かったけれど、自分ひとりでちゃんと歩けるくらいには回復したみたいだ。その背には悪魔の銃が見える。ルルちゃんたちは銃に戻ったらしい。
「ああ、お前さんの姉から色々聞いたよ。我々が尻尾巻いて逃げれば命だけは助けてくれるそうだ」
「……そうか」
王狼さんは銃をソファに立てかけ、さっきまでミナーヴァが座っていた場所に座った。そして祈りを捧げるかのように指と指を絡ませ、そのまま前のめりに体を俯かせた。しばらくそうしたまま黙っていたけれど、やがて小さい声で呟いた。
「皆、どうするつもりだ?」
「どうするもなにもねえだろ、お前のきょうだいぶっ飛ばすしかねえ」
王狼さんはうつむいたまま微動だにしなかった。
「分かっているのか、あの人たちは今まで戦ってきた連中とは違う。悪魔でもないのに、特別性能がいい武器を持っているわけでもないのに、悪魔を狩ることができるほどの力を持っているんだ。だから皆逃げてくれ……」
「おいおい何言ってんだ、逃げるつもりはねえってさっき言ったろ」
千晴さんの言葉に、王狼さんはさっと顔を上げた。
「お前こそ何を言っている。私だって今言っただろう? あの人たちは生半可な覚悟で戦っていい相手じゃないんだ。私たちが束になってかかっても勝てなかった悪魔を傷一つなく倒すような人たちなんだ!! それを……」
「あはは~☆ 優しいんだ~☆ でも~ここで逃げたら女がすたる~?」
「ふざけている場合じゃない!」
「……闘う雀人を恐れず」
「敵うはずがない! だから……逃げれば済む話じゃないか! そうすれば皆は助かって、私が家族の……家族の元に帰るだけだ! なんの問題があるんだ!?」
私は憔悴しきった顔で叫ぶ王狼さんの隣に座り、その肩に手を置いた。
「ああ、頼む。君からも言ってくれ。逃げればいいと。そうだ、そうすれば万事解決じゃないか。皆は生き延び、私は姉様と兄様とあの家へ……帰る。そう、それでいい」
「王狼さん、私たちは貴女と離れたくないんです」
「ち…違うんだ……違うんだよ。私は怖いんだ……そう、あの二人と戦うのが、怖い……ずっとそばであの二人の、あの家の戦いを……強さを見てきたから。ああ、私は……」
血の気の失せた真白な顔で、体を震わせて必死に訴える王狼さん。大事な家族のこんな姿をみて、はいわかりましたなんて言えるはずもない。
「……やっぱり、駄目です。こんな状態の王狼さんを残して逃げるなんて」
「違うんだ、大丈夫だ。皆が逃げれば私だって回復する、今は少し調子が悪いからそう見えるだけで、私は…私は元気だ! な? だから、頼む……」
王狼さんは私の両肩に手を置いて、揺れる瞳をまっすぐにこちらに向けて、無理やり陽気な声を出した。でも少しずつ笑顔は崩れていって、そのまま頭は力なく下を向いていき、最後には完全にうつむき、か細い声しか出せなくなっていた。
「……ああ、もういい。お前は来なくていい」
千晴さんの言葉に、王狼さんはゆるゆると顔を上げた。
「真理矢も言ったけどよ、そんな状態のお前置いて行けるかよ。でも戦いには来なくていい。まあ……家族と戦るのは辛い、よな……」
「あはは~☆ 心配しなくて大丈夫~☆ 殺しちゃったりはしないから~☆ 負けもしないし~☆」
「……闘う雀人を恐れず」
皆が王狼さんに向けて話しかけるけど、王狼さんの顔色はいっこうに良くならなかった。それはそうだろう。実の家族と、仲間が戦うなんて辛いだろう。千晴さんの時とは違い、王狼さんの家族は人間だということもより一層心が痛むだろう。
でも、私たちだって引くわけにはいかない。王狼さんが、とてもまともとは思えない場所に戻されるなんて絶対に嫌だ。その想いが通じたのか、王狼さんは私の肩から手を離すと、ゆっくりと時間をかけて頷いた。
「ああ、そうか……なら、仕方ないな……」
横から見た王狼さんの顔は、まるで死人の様だった。
けれど、その瞳には覚悟のようなものが見て取れた。
「おし! そうと決まれば早速行くぞ!!」
「お前さんはアホか、明日の正午までなんだから今日は休め。明日の朝に新作のお披露目してやるから」
「え~☆ なになに~☆」
「それは明日のお楽しみ、ほれほれさっさと飯食って寝ろ!!」
「……一日千秋」
わいわいと皆は緊張感無く騒ぎ出したけれど、王狼さんは銃を手に取って無言で階段を登って行ってしまった。皆がその背に声をかけると、力なく手を挙げて答えるだけで、こちらを振り向かずに上階へと消えて行ってしまった。
「そういえばご飯の準備してないんですが」
「じゃあなんかとるか!! 英気を養うぞ!」
「……それ私が言いたかった」
不満げな花牙爪さんをよそに千晴さんが宅配業者のチラシの束を机にばら撒き、ピザがいいだのなんだの話し始めた。私も最初はその話に参加していたけれど、王狼さんが気になってしまい、断りを入れて二階へ上がって王狼さんの部屋に向かった。
「王狼さん、入っていいですか?」
軽くノックをして待つけど、返事がない。もう一回ノックをしようかと思ったところで「どうぞ」と中から小さな声が聞こえた。「お邪魔します」と言って王狼さんの部屋へと入った。
王狼さんの部屋はミリタリー調というか、無骨な感じでとてもおしゃれだ。ルルちゃんたちも銃の姿でいると部屋に非常によく合う。いつも置かれている場所には銃はなく、今は王狼さんが持っている。
部屋は薄暗く、奥のベッドに腰掛けている王狼さんの顔は良く見えない。王狼さんは私に座るように促すと、手にした銃を二人掛けのソファに置いて立ち上がった。私が銃が置かれたソファの対面にある一人がけの椅子に座ると、王狼さんはその後ろにある小さなキッチンに向かった。
私たちの間に会話はなかった。ただ、コンロで燃える火の音と水が沸騰した音だけが後ろから聞こえる。少し待つとどちらの音も収まり、私の前にひとつティーカップが置かれた。香りをかぐと、甘い匂いがした。
「わあ、これなんですか」
「私の秘蔵のはちみつ紅茶だよ」
王狼さんは私の向かいの二人がげの無骨なソファから銃を持ち上げ座ると、カップの中身を飲むように手で促した。口をつけてすすると、紅茶の茶葉の香りとはちみつの香り、その二つの味がちょうどよく混じりあってとても美味しかった。
「美味しいかい」
「はい、とっても」
「それはよかった」
王狼さんは銃をもったまま席を立ち、また私の後ろのキッチンへ向かった。私は熱い紅茶を息で冷ましながら、また一口すすった。あったかくて、ほっとする味だ。
「本当に良かった――君の最期の時を彩れて……」
後頭部に、何かが当てられた。
硬い棒が三つ連なったような感触。
王狼さんは、私の頭に銃口を向けていた。