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4、

 こつん、こつんと、戸を叩く音。


 目が、開いた。


 これは、夢だ。

 何故か、そう分かった。

 躰はきっと、動かない。別に、動かすつもりもなかったけれど。


 懐かしい、感覚がする。春の月夜の、あの感覚。心満たす、切なくも柔らかな心細さ。

 違うのは、私の躰が大きいことと、天井が白い壁紙のままであること。

 あの夜ではない。


 鍵を掛けていたはずのドアが軋んで、ゆっくり開く音がする。


 あの時のように、首だけを僅かに動かして、そちらを見る。


 どこまでも暗い闇を背に、柔らかな灯が。そして紅い着物と、狐のお面が見えた。


「迎えに来てくださったの」


 ぬるい風と衣擦れの音を引き連れて、女はするすると部屋へと上がり込む。


 暖かな紙提灯を、脇に置いて。

 眠る子どもを優しく眺める母のように女は傍らに立って、私の顔をのぞき込んだ。


 あの時に見た小さな女の子は、供だっていなかった。

 いや、今見ているこの女が、あの時の女の子なのかもしれない。

 どちらでも、同じことだ。


「私はもうこんな歳だけれど、まだ間に合うかしら。あなたの後ろについてもよいかしら」


 私は、するりと身を起こした。

 躰が動いたということを、不思議に思う気持ちも忘れて。


 そして女は無言のままくるりと振り返り、そっと何かを差し出した。


 紅い着物と、狐のお面。


 ああ……そうなの。許してくれるの。あの時、あなたを拒んだ私のことを。

 ええ……もちろん、一緒に行くわ。


 少女趣味のベッドを下りて。パジャマの釦を外して。身に纏う全てを脱ぎ捨てて。


 私は、白い襦袢に腕を通す。

 蜂蜜を垂らしたような胸をくるむ、紅の絹。艶やかなほど黒い糸菊模様に、黒地の帯。金の帯留め、白い足袋。

 顔はいらない、名前もいらない。

 狐の面があればいい。


 着物に身を包んだ私に、女は確認するように頷いた。

 私は、応じるように目を閉じて顔を上げる。

 そして女はそっと私の顔に面を添え、紙提灯の手提げ棒を握らせた。

 触れ合った指は温かく柔らかく、そして優しかった。


 私は、立ち上がる。

 握った紙提灯に、ぽうっと小さく灯が燈る。あの夜、私の心に不安を掻き立てた豆電球のような、温かくも心細い灯りが。

 何をすればいいかは、もうわかっている。

 私たちは頷き合って、するすると部屋を出た。


 部屋の外は暗く、どこまでも深い。あの夜のように。

 ひしめき合った住宅街も、灰色の塔の群れも、どこにもない。

 どこまでも続く、優しい暗闇だけ。


 私はそれで、構わない。


 私の足跡の後ろに、菜の花が咲く。生温い春風が、妖しい夜のにおいを運んでくる。


 まずはあの下宿へ。

 そして次の子へ、その次の子へ。


 提灯を提げて、暗い道を巡っていこう。


 そうだ。この列に加わることが、ずっと私の望みだった。


 さあ、おいで。子供たち。


 怖いのなら、まだ来なくてもいいけれど。


 来たくなったら、呼びかけなさい。


 いくつになっても、迎えに来るわ。


 おばけと一緒に、暗い春の月夜を行きましょう……。




~終わり

●夢渡りの狐

 ゆめわたりのきつね。

 夢と現の狭間を歩き渡る、和服に狐面の女たち。

 飢えも渇きも眠りも果てもないぬるい月夜をただしずしずと、紙提灯の灯りを頼りに呼び声に向けて歩み続ける、紅い怪異の列。


 皆一様に表情のない冷たい印象の狐面を被っていますが、目の穴は開いていません。彼女たちはおばけなので、面が顔なのです。狐面の目で物を見ますが、声は発しません。お面の口は動かないからです。多分、面をずらすとのっぺらぼう。


 個の意識は薄く、言語による意思疎通は必要ないのです。やることはわかっているし、共に行きたいと望んだ者は何も言わずとも来てくれるから。そういう仕組みのおばけなのです。


 この物語は主人公の『私』主観で話が進むので、列に加わった者が現実世界でどうなるのかはわかりません。

 次の日以降も『私』は普通に目覚めて現実で暮らしているのかもしれないし、何かの原因で孤独死した死体として見つかるのかもしれないし、もしかしたら最初からいなかったことになるのかもしれません。


 『私』が行った先が天国なのか地獄なのかは物語を読んだ人の心次第です。

 それが『私』の望みであったことだけが確かなことなのです。

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