1.ダンジョンのある日常
五月晴れの通学路を家に向かって歩きながら、私は家に帰ってから何をしようかと考える。
近所の商店街からは賑やかで楽しげな宣伝の音楽が流れてくるのを聞いていると、私の気分まで楽しくなってくる。
商店街のはずれにある築20年とやや古びている2世帯住宅が私の家だ。
「ただいまー」
玄関であいさつをすると、「おかえり」と大学生の美奈お姉ちゃんの声がする。今日は珍しくバイトもサークルもない日だったみたい。
「ああ、そうそう。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはいつもの場所に行っているから、昨日みたいに下着姿を見られたくなかったら、着替えには私の部屋を使いなさい」
そうお姉ちゃんは私に告げる。
「はーい!」
私は、そう返事をすると着替えを取りに行くため、まず自分の部屋に向かった。
自分の部屋の箪笥の中から着替えを取り出していると、クローゼットの方からガタガタという音が聞こえてきた。自分ひとりしかいないはずの部屋で物音がするなんて、ちょっとしたホラーみたいだけれど私は慌てない。だってこの音が何の音かよく知っているんだから。
丁度その時、半開きになっていたクローゼットの扉ががばたんと内側から開き、中から黒光りする大きな鳥居が出てきた。鳥居は物理法則を無視した大きさで10メートルくらいもある。クローゼットはもちろん、私の部屋よりも大きいんだけれどどうなっているんだろう。
やがて、鳥居の中からゲートボールのハンマーを持ったかくしゃくとした老婦人が出てきた。そうこれが私のお祖母ちゃんの三崎菜奈です。
お祖母ちゃんはあらかじめ敷いてあった古新聞の上に足を下ろした。なぜなら、お祖母ちゃんは安全靴というか土足のままだったから、床に直接足をつけると床が汚れてしまうからだ。
「あら、加奈さんお帰りなさい」
私にそう挨拶をした後、クローゼットの方に向かって「あなた、出てきても大丈夫ですよ」と合図を送る。
その合図に答えて、中から大型のスコップを担いだいかにも好々爺といった感じの人が出てきた。私のお祖父ちゃんの三崎重蔵です。
「おう、加奈。もう帰って来とったのか」
お祖父ちゃんは私の顔を見てそう呟く。
「ただいま。お祖父ちゃんお祖母ちゃん。今日もお疲れ様です。それより二人とも着替えてきたら? 埃っぽいよ」
「む、そうか。なら、先に着替えさせてもらおうかの」
そう言って二人は、土足を手に持って部屋を出て行った。
二人が現れたことから想像がつくかと思うけど、私の部屋のクローゼットはダンジョンになってしまっているのです。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、そのダンジョンのモンスターの間引きをしてくれているという訳なのです。本当、二人には感謝しています。
二人が出入りしたために、少し埃っぽくなった部屋に掃除機をかけてから、高校の制服を私服に着替える。
今日の気分はピンクのストライプのシャツにデニムのパンツ。もともと、この服はお姉ちゃんのものだったのだけれど、クローゼットの中に入れていた私の服がダンジョンに吸い込まれて消えてしまったから、代わりに譲ってもらったのだ。
着替えてからリビングに行くと、お姉ちゃんが何か食べていた。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、まだ着替えの途中みたい。まあ、いろいろと装備を身に付けていたから時間がかかるのも仕方がないのかな。
「お姉ちゃん、何食べてるの」
「冷蔵庫にあった水まんじゅうよ。加奈も食べる?」
「うん。一つちょうだい」
水まんじゅうのくず粉のぷるぷるした食感と餡子の甘さが癖になりそう。
あれ、でも水まんじゅうの餡子って漉し餡じゃなかったけ? この水まんじゅう餡まで寒天質なんだけど。
「ねえ、お姉ちゃん。猫屋さん、水まんじゅうの作り方変えたのかな? 何か前と違ってる気がするんだけど」
あ、猫屋さんってのは商店街にある和菓子屋さんのことね。どの和菓子もおいしいんだけれども、私の一番のお勧めはどら焼きよ。
お姉ちゃんは私の疑問に対して、首をかしげながら答えた。
「そういえば、前に食べた時と何か違うわね。前よりも美味しくなっているような……。猫屋さんも研究しているってことなのかしら」
「そうなのかな。じゃあ問題ないか」
私は納得して、残りの水まんじゅうを食べる。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、リビングに入ってきたのはその時だった。
「あらあら、二人とももうそれを食べてるのね。お味の方はどうかしら?」
「うん、おいしいよ。猫屋さん腕を上げたねって、今もお姉ちゃんと話してたところよ」
「残念ながら、それは猫屋の水まんじゅうじゃないぞ」
「そうなの? じゃあ、どこのお店のものなの?」
お祖父ちゃんは、にやりと人の悪そうな笑みを浮かべると答えを告げた。
「それはな、ダンジョンに出るスライムの核なんじゃ」
丁度お茶を飲んでいたお姉ちゃんはその答えを聞いて、大きく咳き込んだ。
「ごほごほ。油断してたわ。変なもの食べさせて病気になったらどうするのよ」
「まあまあ、ネットの情報ではスライムは食べても大丈夫だそうですよ」
お祖母ちゃんの答えにも、お姉ちゃんは納得できなかったようで、大声で叫ぶ。
「ネットの情報なんて信用できないわよ」
「うるさいぞ。そもそも、冷蔵庫の中に入っていたそいつを勝手に食べたのは、お前さんじゃろうが」
お祖父ちゃんにつまみ食いしたことを指摘され、お姉ちゃんはたじたじとなる。
そこで、お祖父ちゃんはにやりと笑みを浮かべ続きを話す。
「まあ、今食べなくても、夕食後には出すつもりだったがの」
「やっぱり、食べさせるつもりだったんじゃないの」
そんな二人のやりとりを微笑ましそうに眺めていると、お祖母ちゃんが立ち上がり、キッチンの方に向かいながらみんなに告げる。
「それじゃあ、私はお夕飯の準備をしてきますね」
その言葉を聞いて、お姉ちゃんも慌てて立ち上がる。
「それじゃあ、私も手伝うわよ」
この言葉だけを聞くと家事の手伝いを進んでする立派なお姉ちゃんに見えるけど、実はお姉ちゃんの目的は違う。
「見張っておかないと、どの料理にモンスターの材料が混ぜられるか分からないもの……」
「あら、美奈さんはまだモンスターが食べられないんですか。モンスターは美容や健康にも良いんですから好き嫌いはいけませんよ」
「ダンジョンもモンスターも現れたのは最近でしょう! 人間、モンスターなんてゲテモノを食べなくても生きていけるようにできているのよ」
「あらあら」
お祖母ちゃんはそう言いながらも、とりあえず家事を自分でやるようになったお姉ちゃんに不満は無いようで、お姉ちゃんのことを微笑ましそうに見ていた。
私は、そんなみんなの様子を見ながら、それまでの日常が変わって無いようで変わってしまった私の部屋にダンジョンが現れた昨日のことを思い出していた。