1.だからそれセクハラですってば
「薄と白菊、あとは桔梗に竜胆と……あとはどうしようかな」
「こちらの藤袴なんかも秋の花材ですよ」
「じゃあ、それも」
近鉄奈良駅の南にある、もちいどのセンター街。
ちなみに漢字だと「餅殿」と書く。
250mほどの長さのアーケードのなかに大小、新旧とりまぜて100店舗以上のお店が並んでいる商店街である。
そのなかの一つ、「花たちばな」という花屋さんの店先で私はお花を選んで貰っていた。秋らしい草花を選んで包んで貰い、お金を払う。
「いつもありがとうございます」
何度か訪れているので顔見知りになっている店員の女性からお釣りを受け取ってお店を出る。
レストランや喫茶店、パン屋さんに雑貨屋さんなど色々なお店が並んでいる商店街を南側に抜けると、もう「ならまち」にある元興寺さんの屋根が見える。
アーケードを出ると、私は手に持っていた水色の日傘をさした。
九月に入り、一時期の歩いているだけで倒れそうになるような酷暑と比べたら、だいぶ和らいだとはいうものの、まだまだ日差しが強い日が続いている。
(和服であんまり真っ黒に日焼けしてるっていうのもちょっと不釣り合いだものね)
ほとんど勢いと成り行きで「和カフェ・あじさい堂」で働くようになってからはや一ヶ月以上がたっていた。
(なんだかあっという間だったなあ)
毎日覚えることや、やることが多すぎて夢中で取り組んでいるうちにいつの間にか日にちが経過してしまっていた、という気がする。
片手に日傘、片手に花の包みを抱えて「あじさい堂」に着き、ちょっと苦労しながら日傘を畳もうとしていたその時。
準備中の札のかかった入口のドアがバンッと開いて、中から若い女性が飛び出してきた。
ミントグリーンの鮮やかなカットソーに白のレース風の素材のフレアスカートといった出で立ちの彼女は、驚いて立ち尽くしている私には目もくれず、すごい勢いで走り去っていった。
アスファルトに七㎝はありそうなヒールの踵がカツカツと尖った音をたてる。
(ああ、またか)
私はため息をつきながら入口のドアを開けた。
「何、まだなんか文句……」
険しい顔でこっちを見た店長──石和奏輔さんが私を見て驚いた顔をした。
「なんや、悠花ちゃんか。びっくりした。どしたん。そんなとこから」
私は普段、店の裏手の通用口から出入りしている。それについての「どしたん?」だとは思うけれど。
「どしたん、じゃないですよー。奏輔さん、またやったんですか」
私は呆れた声で言った。
「またやったって何や」
今飛び出してったの今日面接に来てくれた子でしょ。今度はいったい何したんですか?」
「人聞きの悪い。俺は何もしてへんで。むしろ逆や。あの女にボロッカス言われたとこだったんやから」
「何もしてないのにそんなボロッカス言われるわけないじゃないですか。また何か怒らせるようなこと言ったんでしょう?」
言いながら私は畳んだ日傘とお花の包みを持って奥へと向かった。
そのあとを、
「違うってー。俺なんも間違ったこと言うてへんもん」
小さな子供のように口を尖らせた奏輔さんがついてきて訴えた。
「何も間違ったこと言うてへんのに、この一ヶ月で面接に来てくれた三人のうち、三人ともが最後、カンカンに怒ってお店を飛び出していくのはなんでなんでしょうね。不思議ですね」
言いながら、キッチンとは別に奥にある水道のところに行ってバケツに水を張り、薄やお花の茎を漬けていく。
思いきり厭味で言ったのに、奏輔さんは妙に納得したような顔で
「ほんま、ならまちの七不思議やで。今時の若い子の考えることは分らんな? 悠花ちゃん」
と同意を求めてくる。
ナチュラルに「若い子枠」から外された私は仏頂面で奏輔さんをふり返った。
「奏輔さん。本当に新しいバイトの子、雇う気あるんですか?」
「あるに決まってるやん! そうでなかったらこの忙しいのにわざわざ時間とって面接なんかするわけないやろ! 求人出すのにだって金かかっとんやから」
「だったら」
花鋏を手に菊の花の水上げをしていた私は、手を止めて奏輔さんをじっと見た。
「なんでせっかく来てくれた応募者を皆、怒って帰らせるんですか。採用しないんならしないでいいんです。怒らせることないじゃないですか。おかげで求人サイトの担当者さんからは苦情がくるし。この間、グルメサイトに酷評書き込まれたのだって絶対、この前、奏輔さんと大喧嘩して帰ったコのどっちかの関係者ですよ。本人かもしれないけど」
「……証拠もないのに人を疑うのは良くないで。悠花ちゃん」
「私だって疑いたくて疑ってるわけじゃないです! っていうか今話してるのはそいういうことじゃなくて! 客商売をしてるのになんで無駄に敵を増やすようなことをするんだって言ってるんです。私は!」
語気を強めて言うと、奏輔さんは両耳を押さえるポーズをして、
「そんな悠花ちゃんまでギャンギャン怒らんとって。さっきの女に喚かれて、俺こうみえてもダメージ受け取るんやから」
と哀しげな顔をしてみせた。
クールの顔立ちの美男のそんな子犬のような表情はいつ見ても可愛い。悔しいけれど。
「それでそんなダメージを受けるような何を言われたんですか」
「無神経でセクハラ、モラハラ、信じられない。こんなお店頼まれたって働いてなんかやらない、お客としてだって二度と来ない、潰れろ! とか何とかかんとか……」
「それはまた随分な……」
「クソジジイとまで言われたんやで? わざわざ開店前の忙しい時間に時間とって面接して何であんなに言われなあかんねん」
「いったい何を言ったらあんな清楚そうな女の子にそこまでの暴言を吐かれることになるんですか」
「だから俺、なーんも言うてへんて。普通~に面接しとっただけで……」
「嘘よ、悠花さん」
「きゃっ」
ふいに背後から声をかけられて私は悲鳴をあげてしまった。振り向くとベビーピンクのシャツを着た小柄な女の子がにこにこして立っていた。
「あ、佐保ちゃん。もう来てたの」
「はい」
「悠花ちゃんが呼んだんやて、そいつ」
奏輔さんがぶすっとして言った。
「はい。お花生けるの手伝って貰おうと思って」
「な、言うたやろ。悠花さんに頼まれたんやって」
佐保ちゃんは得意げに言って私に、細い腕を絡ませた。
倉橋佐保ちゃんは「ならまち」の中にある仏具店「春日堂」の孫娘さんで現在は近くの中高一貫の女子校に通っている中学三年生の女の子だ。
佐保ちゃんのお祖母さんとうちの祖母が親しいことから、小学生の時から祖母の茶道教室にも通っていて、その縁で時々「あじさい堂」にもお手伝いに来てくれている。
もちろん、佐保ちゃんの通う「若草山女学園」はこのあたりではなかなかの名門進学校で、アルバイトなどは厳しく禁止されているので、あくまでも「知り合いのお店のお手伝い」という体である。
ここ奈良は観光名所なだけに、お土産屋さんや飲食店、旅館など観光産業を営んでいるお家の子も少なくないので、そういった形の「お手伝い」は黙認されているとのことだった。
「もうすぐ仲秋の名月だし今、さっき『花たちばな』さんに寄ってきたんです。佐保ちゃん、生け花も習ってるから手伝って貰おうと思って」
佐保ちゃんのお祖母さんもうちの祖母と同じく、お茶にお花、着付けに三味線、琴に日舞、なんでもござれのツワモノで、そのお祖母さんのもとで育ったサラブレットの佐保ちゃんは、若干十四歳にして和の習い事を一通り身に着けているというスーパー大和撫子の卵なのである。
「そう。それで十時頃に来たらちょうど奏ちゃんがバイトの面接の人が来るところだって言うから奥で待ってたの。そしたらあの騒ぎだもん。びっくりしたわ」
そこまで言って、佐保ちゃんはまじまじと奏輔さんを見た。
「奏ちゃん、まさかほんまにあの女の人が何で怒ったんかわからへんの?」
「土日のどっちも入れんのは困る、って言うたからか?」
「ちがうわよ。それはあの人もちょっとごねたけど、最終的にはいいって言うてたやない。その後よ。じゃあ、一応採用っていうことでーってなってその後」
「俺、なんか言うたか」
「言ったどころの騒ぎやないわ。バイトの時はちゃんと髪はまとめて、っていうところまでは分かるけど、『そのバブルの生き残りみたいなケバいメイクはどうにかして』だとか『山姥みたいな恐ろしい爪は切って来い』だとか、挙句の果てにリップグロスのことを『その天ぷら食ってきましたみたいな唇、いいと思ってやってるん?』とかめちゃくちゃ言ってたじゃないの」
私は思わずこめかみを押さえた。
「はあ? 俺そんなん言ったか?」
「言ってましたー」
私の冷ややかな視線を感じてこちらを見た奏輔さんが真顔になった。
「あ、いや。ちゃうねん。そらそれに近いことは言うたかもしれんけど。飲食店の店員に清潔感が大切っていうのは確かやろ?」
「それは確かにそうです。間違ってません。でも……」
そこで言葉を切って私は、はったと奏輔さんを睨みつけた。
「奏輔さんが言ったのは完全にセクハラ、モラハラの域です。会社組織の中だったら社内規違反で懲罰モノですよ!」
びしっと人差し指を突き付けていうと奏輔さんは、「だってさあ……」と不服げに呟いた。
「だっても何もないです。この間のバイト面接の時に注意したのに、なんでまた同じ過ちを繰り返すんですかっ」
「だってな、悠花ちゃん」
「だってもへちまもないです!」
ぴしゃりと言うと、奏輔さんは恨めしげに佐保ちゃんを見やった。
「……チクリ女」
佐保ちゃんは、べーと舌を出して笑った。
「そんなことより、あと三十分で開店だよ。いいの?」
「あ、いけない。お花生けちゃわないと」
「そっちは私がやったげる。悠花さん、他にもやることあるやろ」
「ありがとう~、助かる~」
私たちがそれぞれ動き始めると、奏輔さんもブツブツ言いながら厨房の方へ引っ込んでいった。
テーブルを拭いたり、ナフキンやシュガーポットの中身を確認している私の横で佐保ちゃんは手際よく、草花を花瓶に生けてくれた。
色合いといい、茎の長い薄と、他の花々との釣り合いといい見事としかいいようがない。
素晴らしいとは思うけれど、それに引き換えて我が身の拙さがつくづくと思い知らされてしまうなあ。
佐保ちゃんのほぼ倍(!)近く生きていながらいったい私は今日まで何をしていたんだろう、なんてネガティブなことを考えてしまう。
中の準備を終えて、店の前のスペースを箒で掃いていると、その横で入口のドアを拭いてくれていた佐保ちゃんがふいに声をあげた。
「奈っちゃん……!」
見ると、水色のカットソーに白のスカートを着たちょうど佐保ちゃんくらいの年頃の女の子が店の前を通りかかるところだった。
その子は、佐保ちゃんを見るとはっとしたような顔をして、そのまま走っていってしまった。
佐保ちゃんはその後ろ姿を黙って見送っていた。。
「同じ、学校の子?」
おずおずと訊ねると、佐保ちゃんは困ったような顔をして首を振った。
「ううん。小学校のとき、一緒の塾に通っててん」
「そっか……」
見るからにワケありげな様子だったけど、それ以上聞くのも無神経な気がして私は黙って箒を動かした。
(まあ、この年頃の女の子同士って色々あるよね)
開店時間がやって来て、このあと塾があるという佐保ちゃんは帰って行った。