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古都奈良の和カフェ あじさい堂花暦  作者: 橘 ゆず
第一章 抹茶の葛プリン
5/11

5.とりあえず開店です

着物は結局、アルバイトの子用のポリエステルの簡易着物とエプロンがあるということでそれをお借りすることにした。


藍色に紫陽花の模様のプリントされたそれは軽くて、肌触りも良くて、母が着付けてくれた絽の着物よりも格段に動きやすかった。これなら安心して働けそうだ。


祖母は話がまとまったと見るや、

「じゃあうちは昼からお客さんがあるよって」

と言い置いてさっさと帰ってしまった。

まったくマイペースなんだから……。


「えーっと、じゃあ悠花さんにはフロアの方をお願いしようと思うんだけどいいかな?」

「はい。お客様を席にご案内して、オーダーをとって料理を運んだり下げたりすればいいんですよね」


「うん、そう。厨房の方はこれまでも基本的に俺が一人で回してたから」

「分かりました。手が空いている時は出来ることならお手伝いするので指示して下さい」

「了解。お客さんに何か聞かれたりとか分からないことがあったら言って」

「分かりました。あ、メニュー見せて貰って良いですか。今のうちに一応確認しておきますね」

焦げ茶色の表紙のメニューを手にとってパラパラとめくっていると、奏輔さんがほうっとため息をついた。

「何です?」

「いやあ、昨日の感じからもっとぼうっとしとるかと思ったら意外とテキパキしとるんやなと思って」

「そ、そうですか?」

「うん。今まで来たバイトの子らはまず着替えるとこからモタモタしとるっていうか、何したらそんなに時間かけられるんやって思うくらい更衣室から出て来ん子が多くて」

私はちらっと奏輔さんを見た。

「バイトの子って学生さんですか?」

「うん。この辺の大学生の子がほとんど。求人かけたら最初はびっくりするくらい応募があったんやけど、長く続けてくれる子はなかなかおらんくてなー」

成程ね。分かる気がするわ。

昨日は、あのズケズケした話し方に気をとられて気づかなかったけど、この人って意外と綺麗な顔してる。

キリッとした眉に黒目がちの、切れ長の目。

通った鼻筋と引き締まった口元。

短めの黒髪も爽やかでよく似合っている。

若い女の子がここでアルバイトをしようとする志望動機としては十分なんじゃないでしょうかね。

なれば、身支度に時間がかかるのも無理がないというか自明の理というか。

好意を持っている異性の前で少しでも綺麗でありたいっていうのは、古今東西、普遍の女ごころだものね。

「言ったことしかやらんのはまあイマドキの若い子やからしゃあないとしても、やること遅いし、間違っとるし、手動かすより口動かしとる時間の方が長いし」

イマドキの若い子って……あなたもまだ二十代でしょうに。

「それでちょっと注意したらすぐ泣くし、かなわんわ」

うーん……。それはどうかな。この人の「ちょっと」は世間一般の基準とはだいぶズレてるような気がするし。

かなりキツイこと言ったんじゃないのー、とか思ってしまうなあ。

そう言えば、さっきのお茶席でもおばさまたちが「バイトの子が続かない」って話してた気がする。若い子が居ついてくれないから、祖母みたいなご近所のつてを辿って沢野さんみたいな年頃の人にパートに来てもらってたってことなのね。

「古代のエジプトかどこかの記録にも『イマドキの若いもんはー』って嘆いてる言葉が残ってたとかって話聞いたことがありますけどね」

言いながらパラパラとメニュー表をめくっていく。

一ページ目は、あんみつやわらび餅、葛餅などのセットメニュー。二ページ目は和風のパフェ。三ページ目は、かき氷。次のページは団子とぜんざい。その次が季節の和菓子のセットメニュー。ころてんやアイスクリームなどの単品メニューもある。

ドリンクのページも、基本の緑茶の他にも抹茶ラテやほうじ茶ラテ、柚子ジンジャーソーダやきなこカフェオレなど、美味しそうな名前が並んでいる。

「なんかすっごいメニューが豊富なんですね。これほんとに全部ひとりで出してるんですか」

「ああ。まあな。日替わりで出せないメニューとかはあるけどな。あ、今日は人手がないからパンケーキ系はなしで。メニューから抜いといて」

「あ、はい」

メニューはルーズリーフのようにバインダーに綴じる方式になっているので簡単に抜き差しが出来るようになっている。

私はパラパラとめくって、「抹茶」「きなこ」「豆乳」「黒蜜」などの心惹かれるワードの並んだパンケーキのページをメニュー表から外した。

「どれもすごく美味しそう……」

呟きながらページをめくっていく。

「今日のおすすめみたいなのはありますか? お客さんに聞かれることあると思うので」

「ああ。そやな。今日はこのへん。「本日のセット」の水羊羹と葛餅のセットと、あとはプリンとかババロアとか。あとはこっちの練り切りのセットメニュー」

「抹茶の葛プリンに、黒胡麻プリン、きなこに豆乳……。練り切りは紫陽花にヒマワリ、あ、朝顔もあるんですね。夏らしいな」

メニューはA4サイズの白い紙にメニューの名前と写真が印刷されたシンプルなものだった。

「これ、写真って店長が撮ったんですか?」

「店長?」

「でしょ?お店で名前で呼ぶのも変だし。それともオーナーとかの方がいいですか?シェフは変ですよね。 和風のお店だから大将……って、それもお寿司屋さんみたいか」

「て、店長でええよ。あ、写真。うん。俺がデジカメで撮ったやつやで」

「ふうん」

「何? 何か変?」

「いえ。変じゃないですけど……」

「けど?」

「いえ別に。それよりお店のなか見てきていいですか? テーブルの配置とか。物の置き場所とか一通り見ておきたいので。あ、席は全席禁煙でOKですよね? 電話は鳴ったら取って大丈夫ですか。予約って受け付けてます?」

「あ、ああ。ちょい待って。ええっとまずはこっちから見て貰おうかな」

「はい。あ、メモとペンお借り出来ますか?」

「ええと、じゃあこっちのこれ使って……」

「はい。お借りします」

飲食店のアルバイトなら大学時代に経験がある。(居酒屋さんだったけど……)

接客の仕事なら百貨店でしっかり叩き込まれたマナーと、外商部のお客様の多種多様なご要望に応えてきた経験がある。

祖母に知り合いのお店のお手伝いをいきなり押しつけられたと思ったからこそ、最初はオドオドしてしまったけれど、これは仕事だと割り切ったら俄然、しゃきっと背筋が伸びて、やりやすくなってきた。


それから開店の時間まで、私はメモを取りながら仕事内容についてレクチャーを受けた。

開店時間の二時になったので、表の準備中の札を引っ繰り返しに行く。


よくあるプラスチックの白い札をくるっと返して「営業中」にする。

せっかく可愛いお店なんだからこれももうちょっと可愛いものにしたらいいのにな。

木目調の札にするとか、せめてフォントだけでも毛筆風にしてみるとか。


さっきのメニューもクリアファイルに、ただお皿を真上から撮っただけっていう写真が並んでたし。

なんていうかここのお店って外観やメニューは素敵なのに、そういう細かいところが雑っていうか、愛想がないっていうか。


あの店長のキャラクターそのままと言えばそのままなんだろうけど、なんだかもったいない気がするな。

まあ、今日限りのバイトの私が口を出す筋合いのことでもないけど。

最初のお客さんは観光客らしい二人組の女性客だった。


「いらっしゃいませ」

黒の丸いトレーを胸の前に抱いて挨拶をする。


にこやかな笑顔もお辞儀の角度も、新人研修時代に「鬼の接遇講師」と呼ばれていた先輩の女性社員にビシバシ鍛えられたものなので自信がある。


スマホの地図アプリを頼りに辿りついたらしい彼女たちは、おずおずとした様子で私が案内した席についた。

町家風の外観も、藍色の大きな暖簾も見た目はシックでお洒落だけど、ちょっと敷居が高く感じてしまうところはあるかもしれない。観光客の人なら特に。


もうちょっと店内の様子が外からも見えるようにしたら少しは入りやすいかもしれないな。

まあ、それも私がどうこう言う話じゃないけど。


女性二人はメニューを開いてしばらく相談した末に、一人は抹茶プリン、もう一人は水羊羹のセットをオーダーしてくれた。

セットのドリンクは、定番のコーヒー、紅茶のアイスとホット、抹茶、ほうじ茶、アイスグリーンティーの他にも抹茶ラテやほうじ茶ラテなどかなりの種類が揃っている。

選ぶ側にとっては嬉しいけれど、用意する方にとっては大変だろう。


カウンター越しにオーダーを通すと、「了解!」と元気な返事がかえってきて、てきぱきと動き始める奏輔さんが見えた。

10分も経たないうちに、ほぼ同時に二つのオーダーが出来上がって来る。

さすがに一人でこれだけのメニューを出しているだけあってものすごく手際がいい。


出来上がってきたメニューはどちらもものすごく、綺麗で美味しそうだった。

間違っても落としたりしないように、一つずつ順番にテーブルに持っていく。

二つのトレーが並ぶと、二人の女性が同時に「わあ~」と嬉しそうな声を上げた。


「すごい、綺麗。可愛い」

「写真よりずっと美味しそう」


言いながらスマホを取り出して、パシャパシャと写真を撮り始める。

カメラの高さや角度を変えながら熱心に撮影しているところを見るとSNSにでもアップするつもりなのかもしれない。

あの子たちが撮ってくれた写真をメニューに使った方がよっぽど見映えがいいんじゃないかしら。


カウンターに戻り、小声で

「こんな感じで大丈夫ですか?」

と自分の接客について尋ねると、「バッチリ!」の一言と一緒に全開の笑顔がかえってきた。

やっぱり、かなりのイケメンなような気がする。


「やっぱり亀の甲より年の功だな!」

……ただし、口を開かなければだけど。

その後も次々とお客さんが入って来た。


観光客らしい女性グループの姿が目立つけれど、地元の女子大生や高校生らしいグループも結構やってくる。

常連客らしい母くらいの年代の女性二人組には、「あらあ、また新しいバイトの子?」と声をかけられた。

いえ、臨時の手伝いで……などとここで私から説明する必要はないだろう。

「はい。よろしくお願いします」

とにっこり微笑み返して、オーダーの抹茶プリンのセットを三つ、厨房に通す。


「はいよ」

休みなく手を動かしながら、奏輔さんは毎回元気に返事を返してくれる。


百貨店に勤務しているとき、繁忙期になると目に見えてピリピリして、声をかけるのをためらってしまうような上司や同僚を何人も見てきた。

ううん。私自身もそういうところがあったと思う。何度も同じことを訊いてくる後輩にイライラして、それを態度に出してしまったり。


奏輔さんはどんなにお店が混雑してきても、そんなに広くない厨房のなかをくるくると動きながら、少しも苛立ったそぶりを見せなかった。

一度、私がオーダーを間違えて……というかお客さまに「これ、違うんですけど!」と言い張られてしまった時に、

「ご、ごめんなさい。抹茶あんみつじゃなくって、抹茶ぜんざいだったそうです……!」

と慌てて謝ると、

「了解。すぐに出すから待っていただいて」

という返事が返ってきた。


その後、合間を見て

「オーダー、自分が言い間違えたの気づかないでクレーム言ってくるお客たまにいるけど、ハイハイって聞いておけばいいから」

小声でフォローをしてくれた。


「いきなり忙しくて悪いけど、頑張ろな」

頑張れ、じゃなくって頑張ろうなというその言い方は、私たちは店長と臨時雇いのバイトだけれど、今は一緒にお客様対応にあたるームなんだと思えた。


奏輔さんは私の仕事ぶりを監視して叱責する人じゃなくって、一緒にお客様のために頑張る人なんだ。

おかげで初めてのお店でのはじめての仕事にも関わらず、私はとても安心して、仕事に集中することが出来た。


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