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古都奈良の和カフェ あじさい堂花暦  作者: 橘 ゆず
第一章 抹茶の葛プリン
3/11

3.和カフェ「あじさい堂」

翌日。

お昼過ぎに夏らしい水色の夏着物を着た沙代里ちゃんと連れ立って私は祖母の家へ向かった。


母に抱かれた奈江ちゃんが「いってらっしゃーい」と可愛い手を振って見送ってくれる。

「悠花ちゃん、素敵やわ。よう似合てる」

「そ、そうかな……」

私が着ているのは淡いグリーンの着物だった。若苗色というらしい。

()といううっすらと透け感のある涼しげな生地の訪問着で、お茶のお稽古の席には少し改まり過ぎているけれど、久しぶりに会う祖母への挨拶の場ということも考えて母が選んだものだった。


セミロングの髪は、母が貸してくれた緑のとんぼ玉のついた髪留めでまとめてある。自分ではとても似合っているとは思えなかった。

馴れない草履でのぎこちない歩き方といい、傍からみたらレンタル着物を着て散策中の観光客にしか見えないに違いない。


「そのうち慣れるって。私だってはじめはそうやったもん」

そう言ってにっこり笑う沙代里ちゃんは、生まれついての大和撫子といった風情で着物姿がしっくりと絵になっている。


母の前よりも少し打ち解けて、こっちの柔らかな響きの言葉で話す沙代里ちゃんは同性からみてもとても可愛らしくてなんとなく色っぽかった。


私たちは並んで日傘をさして歩いた。沙代里ちゃんのそれは藍色に白で朝顔の絵が描いてある涼し気なもの。私のは母に借りた白のレースだった。


「それにしても悠花ちゃんてほんま親孝行なんやなあ」

沙代里ちゃんが日傘をくるくる回しながら言った。

「は!? どこが?」

沙代里ちゃんの言葉に私は目を丸くした。

むしろ、ただ今、絶賛人生最大の親不孝中だと思うんだけど。


「だってなんやかんや言うてお義母さんの言うこと聞いてこうして出かけてきとるやろ? うちやったら実家の親があんなん言うたらもう口きいたらへんわ」

おっとりとした口調で痛いところをつかれて私は黙り込んだ。


沙代里ちゃんの言う通り。

私は結局、母の言うことには逆らえない。


進学先や就職先を勝手に決めたり、ちょっとした口答えは出来ても昨日みたいにああやって面と向かって詰め寄られると、正面切って言い争うことが出来ないのだ。


「親孝行なんかじゃないよ」

私はぽつりと言った。


「母のことを思って言うこと聞いてるんじゃないの。ただ、争うのがめんどくさいっていうか……」

ううん。それともちょっと違う。

私は昔から誰かから強く何かを言われたり、争いになりそうな雰囲気が苦手で、そうなってくるともう何でもいいからその場をおさめて立ち去りたいということしか頭になくなってしまうのだ。


そしてそれは母だけではなく、他の人に対してもそうだった。

今だってそうだ。親孝行だという沙代里ちゃんの言葉のうらに、呆れているような憐れんでいるような響きを感じてそれに嫌な感じを受けているのに反論することも出来ない。


曖昧に笑っているだけだ。沙代里ちゃんはそんな私を見て、

「まあ、お義母さんも言い出したら聞かへんところあるもんね」

と首をすくめるようにして笑った。


途中、興福寺の南の石段のところを通った。

昨日、作務衣姿の男の人に助けられ、ついでにお説教みたいなことを言われた場所である。


(また偶然会ったりしないよね……)

そんな偶然そうそうあるものじゃないとは思いながらも、ついビクビクとあたりを伺ってしまう。


祖母の家は元興寺というお寺の近くの「ならまち」と呼ばれる一角にある。小学校の頃までは、両親や弟と一緒によく遊びに来ていたっけ。


中学に入って、「部活や勉強が忙しい」というのを口実にしてお茶のお稽古に行くのをやめてしまって以来、なんとなく行きづらくなってしまって足が遠のいてしまっていたので、家に行くのは本当に久しぶりである。


祖父の法事のときは、京都の駅前のホテルで行われる集まりに出席してそのまま新幹線に乗って東京に帰ってしまっていたから。

まわりの街並みは、古い町家風の風情を残しながらお洒落なカフェやレストランが出来たりして、昔の記憶にあるものからだいぶ変わっていた。


父の実家──笹山茶舗は町家風の建物の一階の通りに面した部分を店舗、細長い敷地の奥と二階を住居にしているこのあたりに多いつくりの家だった。

濃緑に白で「お茶のささやま」と染め抜いた暖簾のかかったお店の入り口を通り過ぎ、その横の細い路地を入っていくと白木の玄関がある。


沙代里ちゃんが慣れた風にインターフォンを押すと内から応対する声がして戸がからりと開いた。


 藍色の露芝模様の着物をすっきりと着こなした祖母は、私の記憶のなかの姿とあまり変わっていなかった。白髪まじりのグレーの髪をフェミニンな感じのショートヘアにしているのも若々しく見える。


「沙代ちゃん、いらっしゃい。暑いなかご苦労さんやな」

「ほんとう。毎日暑いですね」

沙代里ちゃんはにこにこ笑って日傘をたたんだ。


その時になって祖母がはじめて私に目を向けた。

「悠花か?」

私は思わずこくんと頷いて、それから急に恥ずかしくなった。


「は、はい。ご無沙汰してます。今日は急に一緒にお邪魔してしまって……」

私のぎこちない挨拶は祖母の朗らかな笑い声に遮られた。


「なにをかしこまっとるの。この子は。長いこと東京におったからって何もお祖母ちゃんにまでそんな気取らんかってええやろ」

ころころと笑いながら祖母はそっと私の着物の帯に触れた。


「まあ、しばらく見んうちにすっかり娘さんらしゅうなって。お祖父ちゃんもびっくりするわ。はよう見せたって」

促されるままに私は仏間に通されて、慣れない着物姿でなんとか正座をしてお焼香をあげ、それから慌てて母から持たされた菓子折りの包みを差し出した。


あれ、これって風呂敷っていつ取ればいいんだっけ? 家に入る前だっけ? それとも渡す直前?

内心うろたえている私に構わず祖母はさっさと受け取って自分で風呂敷をほどくと嬉しそうに顔を綻ばせた。


「いやあ。若雀(わかすずめ)さんのわらび餅とくず饅頭。お祖父ちゃんとうちの好物やわ。由香里さんはいつもよう覚えとってくれること」

由香里というのは母の名前だ。持ってきたのは私でも買ってきて持たせたのは母だということを、祖母にはすっかり見抜かれていた。


「ひとつはお祖父ちゃんにあげて。あとはお稽古のあとで皆でいただこか」

お稽古の場所には、奥の庭に面した和室があてられていた。


来ていたのは私と沙代里ちゃんの他に三人。

二人はご近所の奥さんで、もうひとりは祖母とカルチャースクールで知り合ったという母くらいの年代の女性だった。


お茶席に出るのなんて中学校の時以来なので緊張したが、祖母が亭主をつとめるその場はとても和やかで、おおらかな雰囲気で、私もうろ覚えの知識ながら大きな恥をかくこともなく無事に手順をこなすことが出来た。


お点前が終わって皆で私が持参した和菓子を頂いているときに、ピロン、とメッセージアプリの着信を知らせる電子音が響いた。


「あら、いややわ。音切っといたつもりだったんやけど」

白の椿柄の着物を着た五十代くらいの女性が慌てたように巾着を取り上げた。


「いいんよ。気にせんでも」

「うちもようやるわ」

そんな声のなかで恐縮したようにスマートフォンを取り出して画面を操作した女性は、

「あらっ、いややわ」

と頓狂な声をあげた。


「どしたん?」

「娘からやわ。なんか急に入院せなならんことになったって言うてきた」

「えっ、真緒ちゃんが?」

「確か今二人目がお腹におるんやろ」

祖母やお稽古仲間の女性たちが口々に訊ねる。


「そう。予定日はまだ先なんやけど、なんか今日の検診で切迫早産の可能性があって絶対安静にせなあかんて言われたって」

「いやー」

「大変やないの」

「真緒ちゃんのお家って桜井やった?」

「うん。先生、すいませんけど私今からすぐ行ってきますわ。上の孫が保育園に行っとるからお迎えに行かな」

「もちろんや。気いつけてな」

「真緒ちゃん、お大事に」


あたふたと立っていきかけた女性は、

「あ、あかん」

と言って棒立ちになった。


「何があかんのん?」

「うち、今日、『あじさい堂』の手伝いの日やった。午後から行けるって約束しとったんや」

「沢野さん、あんた、こんな時に何言うとるん。そんなこと言うてる場合やないやろ。すぐに真緒ちゃんとこ行ったり」

祖母が叱りつけるような口調で言った。


「でも、この間バイトの子やめてしまって今日うちが行かへんと奏ちゃん困ると思うんや」

「また辞めたんか。いったい何人目や」

「今度の子はひと月ももたんかったな」

おばさんたちが口々に言う。


「あんたがおらんと困るのは真緒ちゃんとお孫さんの方がもっとやろ。いいからはよ行き。あっちにはうちから言うといたるから」


沢野さんと呼ばれた女性はそれでも躊躇うそぶりをみせていたが、祖母や他の女性たちに追い立てられるようにして、

「ほな、すんませんけどよろしくお願いします。奏ちゃんにもくれぐれも謝っといてください」

と言いおいてせかせかと帰って行った。


どうやら沢野さんはどこかのお店でパートの仕事をしていて、そこに急に行けなくなってしまったことを気にしていたみたいだった。

 祖母が沢野さんのパート先に事情を説明しに行くというので、その日はそのままお開きとなった。皆を見送ったあとで、祖母がくるりとこちらをふり返った。


「さ、あんたも行くで」

「え?」

「聞いてたやろ。奏ちゃんとこに今日沢野さん来られんようになったって伝えにいかな」

「聞いてたけど何で私まで……」


「いいから。どうせ帰ったってお母ちゃんにあれこれ叱られてばっかりおるんやろ。それよりかマシや。ついといで」


それはその通りなんだけど……。

奈江ちゃんを母に預けている沙代里ちゃんは遅くなれないというので、私は不承不承、祖母のあとについて家を出た。


「どこまで行くの?」

「すぐそこや。角曲がったらほら、もうそこに見えるやろ」

祖母が指さす先にそのお店はあった。


祖母の家の茶舗と同様の町家風の住居を改装したと思われる店舗で、黒い格子のはまった入口の戸の横には綺麗な青紫の布看板に、白い字で「あじさい堂」と染め抜かれてあった。


看板の下の方にはピンクと水色の紫陽花の絵が描かれている。葉の上にちょこんと載っているカタツムリと蛙の絵が可愛い。

近くまで行くと、黒板風の立て看板にメニューが書かれているのが見えた。


「本日のセット 水ようかん 葛餅(ドリンク付き)」

「黒蜜きなこプリン」

「柑橘寒天(柚子・檸檬・甘夏・夏蜜柑)」

「抹茶のシフォンケーキ」

「季節の羊羹(七月) 土用羊羹」


そんな文字が並んでいる。いわゆる「和カフェ」……というお店だろうか。

「準備中」の札のかかっているドアを祖母は何の躊躇いもなく開けた。


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