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古都奈良の和カフェ あじさい堂花暦  作者: 橘 ゆず
第一章 抹茶の葛プリン
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2.アラサー無職はつらいよ

予想していたことだったけれど、母は私の顔を見るなり挨拶もそこそこにまくしたてた。


「だから言うたやないの。大学を出たらこっちに帰ってきて就職しなさいって。百貨店ならこっちにだって仰山あるんやから。それを勝手にむこうで就職決めてしまって、今になってまた勝手にやめて帰ってくるなんて。そんな中途半端な年齢でいったいどないするつもりなの!!」

「いや、それをちょっと考えようかと思っていったんここに帰ってきたわけなんやけど……」

実家に帰ると、たちまち語尾にこちらの響きが戻ってきてしまうのはいつものことだった。


「考えてる暇なんてないわ! あんたいったい自分が幾つやとおもてるの?」

「……27歳」

「ほら、みてみい! ぼけ~っとしとったらあっという間に三十や。結婚せん仕事もないてどないするのっ」

「お義母さんったら。今は三十過ぎて結婚するのなんてむしろ当たり前なんやから」

弟の奥さん──つまり私の義妹にあたる沙代里(さより)ちゃんが遠慮がちに割って入ってくれる。


けれど25歳にしてすでに二歳の女の子を抱いている状態では申し訳ないけどいまいち説得力がなかった。

案の定、母はますます勢いづいた。

「サヨちゃんをみてみ。あんたより二つも年下なのにもう立派な一家の主婦で、奈江ちゃんのママなんやで。それに比べてあんたときたらいつまで学生気分でおるんよ」

「学生気分でなんかおらん」

さすがにむっとして反論する。


「親に何の相談もなく五年もつとめた職場急に辞めて、帰る三日前になって電話一本で知らせてくるようなん、とっても立派な社会人とは思えんわ」

そう言われてしまうと何も言い返せない。

「……もうええ。あんた結婚しい」

「はぁ?」

思わず間の抜けた声が出てしまう。


「何言ってるの? 意味わかんない」

「意味わからんのはあんたやろ。お父さん、お母さんが反対するのに耳も貸さんと東京の大学に進んで。それも、なんでもそこやないといかん勉強をしたいとか資格を取りたいとかいうんならともかく、そういうわけでもないみたいやったし」


う……っ。

「就職だってそうや。あんたのお勤めしてたとこやったら京都にも大阪にもあるのに。わざわざたっかいお家賃を払うて東京に住んで……」

ううっ。


「そんでもな。あんたがそうまでして東京にいたがるからには、よっぽどあっちの水があんたに合うとるんやと思うとったわ。お稽古仲間のお友達は、皆さん『娘さん、あちらにいい人でおるんやないの?』『そのまま東京で結婚して、奈良にはもう帰って来おへんとのちがう?』なんて言わはるし。なんやそんなん寂しいけど、それならそれでまあしゃあないかと思っとったんやで。こっちには佳彦たちもおるし。それが寿退社いうわけでもなく、いきなり帰っててきて。いったいあんた何しに何年も東京にいっとったんよ」


立て板に水とはこの事かと勢いで一気に言ってのけると、母はびしっと私に指を突きつけた。

「まあこれでようわかったわ。あんたの言い分を聞いとったら結局はあんたのためにならへんいうことがな。あのな、悠花。東京やったらいざ知らずこっちではその年になって今さらゆっくり自分探しなんかしとる子なんかおらへんのよ。お母ちゃんがお相手見つけたげるからすぐにお見合いをして三十歳までには結婚し。ええか? 分かったな?」

「え、ええわけないやろ!!」

焦った拍子にまた盛大にこっちの言葉が出てしまった。


「なにがいかんの。だったらどうするの? 次の仕事のあてはあるん?」

「それはこれから探して……」

「だからそれがそもそもおかしいて言うてるの。次の仕事のあてもないのに考えなしに仕事を辞めるなんてちゃんとした大人のすることやないわ。それとも、そんなに急に辞めなきゃならない理由でもあったんか?」

「それは……」


あった。思いっきりあった。

それがなければ私だってこうなることが分かっていて、実家に帰ってきたりなんかしなかったわよ!

けどその「理由」を話したら母は余計に怒って手がつけられなくなるに決まってる。


「ま、まあまあ、お義母さん」

再び沙代里ちゃんが割って入る。

「悠花ちゃんも帰ってきたばかりで疲れてるやろし、とりあえず今日のところはそれくらいで。あの、それから明日なんですけどまた奈江をお願いしてもよかったですか? お稽古の間、二時間くらいなんやけど」


「あら~。もちろんええわ。喜んで。奈江ちゃん。明日はばあばと一緒に遊んでくれるか?」

母が、うってかわった機嫌の良い声で振り返る。


「うん! 奈江ちゃんな、鹿さん見に行きたい」

「ええよー。でも明日も暑そうやから、すこーしだけ鹿さんを見たらそのあと、かき氷食べに行こか」

「わあい、行きたい。行きたーい」

奈江ちゃんがはしゃいで膝に飛び乗ると、母は蕩けそうな笑顔になった。


「奈江ちゃんはほんまにお利口さんやねえ。……あ、そう言えばサヨちゃん。明日は笹山のお祖母ちゃんのところだったわねえ?」

「はい。明日はお茶をお願いしとります」

「ちょうどええわ。悠花もサヨちゃんと一緒に行って来」

「ええっ、なんで?」

「何でいうことがあるかいな。久しぶりに帰ってきたんやもの。挨拶に行くのが当たり前やろ」


「それはそうかもしれないけど、何も明日行かなくても」

「こういうのは早い方がいいんや。人づてに妙な話が伝わったりせんうちにはよう行っといで」


笹山のお祖母ちゃんというのは私の父方の祖母である。つまり母にとっては姑にあたる。

この祖母という人が私は昔から苦手だった。

元は大阪天満の大店のお嬢さんだったという人で、お茶、お花、着付けにお琴など、一通りのことを娘時代のお稽古で身につけていて、今は自宅で茶道のお教室を開いている。

私や従姉妹たちも幼い頃からお稽古に通わされた。


古風で厳しいというわけではない。

むしろ、昔の人にしてはさばけているというかある意味、うちの母などよりずっと進歩的な考えの人だったがそういった部分も含めて私はこの祖母の前にでるといつも萎縮するというか、ただでさえあまりない自信がよけいになくなって小さく縮こまってしまうような気がしていた。


そんなわけで、私は中学に入った頃からだんだん行かなくなってしまったけれど、高校で茶道部だったという沙代里ちゃんは弟と結婚したのをきっかけに祖母のもとへ通い始めて、奈江ちゃんが生まれたあともお稽古を続けているらしい。


つくづく、母にとって理想的な女の子と弟は結婚したものである。まさかそれで選んだわけでもないだろうけど。


それでも、二年ぶりにようやく帰ってきたのだから祖父のお仏壇にお参りがてら挨拶に行けという母の言い分ももっともで、私は気が進まないながら沙代里ちゃんと一緒に明日、祖母のもとにお茶のお稽古に行くことを約束させられてしまった。


母はとたんにうきうきとした様子で、奥の和室から畳紙の包みをいくつも出してきた。

「やっぱり今の季節は絽か紗やろね。小紋もいくつか誂えたはずだけどこの子ったらちいとも着ようとせんのやから。下手をしたら成人式以来やないの」

「あら。私たちの結婚式に素敵なお着物で来てくれはったやないですか」


「ああ。あれな。せっかくの晴れの場やからって張り切って京友禅こさえたったのにこの子ったら歩き方やら立ち居振る舞いががさつっちゅうか不細工でねえ。目立つ着物着せたのがかえって恥ずかしかったわ」

……べつに私が着せてくれって頼んだわけじゃないのに。


むすっとして黙り込んでいる私をよそに、母と沙代里ちゃんは着物がこれなら帯はこれ。帯揚げは、帯締めは……半襟の色はこっちでと楽しそうに話している。


「だいたい、いい年齢して浴衣も自分で着られへんいうのからしておかしいわ。ちょうどええから、これからお祖母ちゃんのところにしばらく通うて、着付けから何から一通り教えて貰いなさい」

「はいはい」

「返事は一回やろ。まったくいつまでも中学生みたいな話し方して。考えてみたらあんたがこっちに帰ってきたのも良い機会かもしれんな。仕事を辞めたんやったらしばらくはそういうお稽古に励んでみたらどうや?」


「辞めたって……別にこっちで仕事探して働くわよ。お見合いなんかする気ないんだから」

「仕事って何するの? また百貨店の売り子さん?」

「私がしてたのは売り子じゃなくて外商部」


「何だってええわ。どっちにしてもあんた一生独りでおる気はないんやろ。だったら最低限のことは身につけておかな。そもそもあんたお料理とか出来るん?」

「出来るわよ。むこうではちゃんと自炊してたんだからっ」

「ふうん。せいぜい、パスタやらカレーやら作るくらいだったんやないの?」


言葉につまった私を見て母は大袈裟にため息をついた。

「学校出たばかりの若いお嬢さんならともかくあんたくらいの年齢の娘がろくに料理もつくれん、家事も出来ん、お茶もお花も心得ない、着物も一人で着られへんじゃお見合いさせたくても出来へんわ。みっとものうて」

「ほっといてよ。別にお見合いなんかしたくないから!」


「しないならしないで結構。仕事も探すなら探しなさい。でもこっちにおる間にせめて料理と着付けくらいは身につけて貰いますからね」」

そんなわけで、私は母に言われるままにしばらく職探しをしながら母の知り合いがやっているクッキングスクールに通い、祖母のもとで着付けからお茶、お花などのお稽古を受けることになってしまったのだった。


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