3.デリカシーのなさ国宝級
「え、ええっと。それで、奈月ちゃんのお兄さんが三笠山学園だったっていうのと、奈月ちゃんが若草山以外受験しなかったっていうのはどういう……」
「兄貴の方に金かかるから妹は公立中学で十分っちゅうんやろ? どうしても行きたいんやったら若草山やったら許す、それ以外やったら行く意味ないって」
厨房から出て来た奏輔さんがそっけなく言った。
「そんな時代錯誤な! 今どき男だから女だからって……」
そこまで言って私は口をつぐんだ。
高校卒業後の進路について両親に相談したときのことを思い出す。
「あんた、女の子が東京の大学なんか行ってどうするん? 地元のそこそこのとこでええやん」
「どうせ結婚して子ども出来たらまともにお勤めなんか出来へんのやから。大学なんかどこでも一緒やろ? 下手に東京の大学出てむこうで勤めとったなんていうたら生意気や思われて嫁の貰い手がなくなるで」
我が家にもガッチガチの古い価値観の人がいたんだった……。
しかも、私にそういう一方で弟の佳彦には、
「佳くんには、いいところ行って貰わんとね」
とか言って、塾の送り迎えからお弁当、夜食の差し入れ、果ては福岡の太宰府天満宮までわざわざ合格御守を買いに行ったりとサポートに余念がなかった。
ちなみに私の時も一応父が御守は買ってきてくれたんだけど、それは東大寺のものだった。いや、ありがたかったけどね! 手近感が半端ないのは否定できないよね……。
私が暗い思い出に想いを馳せている横で、佐保ちゃんも眉を曇らせて言った。
「うん。奏ちゃんの言う通りやねん。奈っちゃんのお父さん。お嬢さん学校の若草山やったら聞こえがいいから行ってもええけどそれ以外やったら行く意味ない。授業料の無駄やって。そやから奈っちゃん。一校しか受けとらんくて」
「それで不登校に……?」
「それは分らんけど。でも入学してすぐに休みがちになったってお母さん言うとったし。学校が合わんかったのは確かやと思う」
「そうだね。強がりもあったとは思うけど、合格発表の直後は高校での編入を目指して頑張る! って言ってたんだもんね。その後、その気持ちが挫けるような何かがあったっていうことか……」
私は朝、お店の前で見かけた奈月ちゃんの姿を思い浮かべた。
黒い髪をショートカットにした活発そうな外見だけれど、うつむきがちに歩いているその姿は確かに元気がなかった。
「奈月ちゃんのお母さんが佐保ちゃんのところに来たのっていつ頃の話?」
「夏休みの始まる少し前。そんで、そのあとうち、心配になって奈っちゃんに会いにいってん。でも奈っちゃん、なかなか出てきてくれんで……お母さんが怒り出しちゃって、私は『ええです、また来ます』って言うたんやけど『せっかく佐保ちゃんが来てくれたのに何やの、いい加減にしなさい!』って無理やり部屋から連れ出さそうとして喧嘩になって……」
佐保ちゃんの大きな目にみるみる涙がたまり始めた。
「奈っちゃん、最初はお母さんに怒っとったんやけど、そのうち私の方見て、『何しに来たん! 若草落ちた私が落ちぶれとんの見て笑いに来たんか! どうせこのことも皆に言い触らして面白がるんやろ。好きにしたらええわ!』って……」
「そんな……」
私が肩を抱くと佐保ちゃんは、堪えていたものが溢れたようにわっと泣き出した。
「そらまあ、いらんことしたなあ」
テーブルに頬杖をついてぽつんと言う奏輔さんを私はきっと睨みつけた。
「奏輔さん!」
「だってそうやろ。そんなもん来られたないってちょっと考えたら分かるやないか。おかんに頼まれたからって何のこのこ行っとんねん」
「もう! あなたはちょっと黙ってて下さいよっ」
「えー、だって相談されたからやな」
「佐保ちゃんは私に話してくれてるんです。奏輔さんには相談してません!」
「なんやそれ、人の店先勝手に人生相談室にせんといてくれるか」
駄目だ。この人と言い合っても埒があかない。それより今は佐保ちゃんだ。
私はハンカチを取り出して佐保ちゃんに差し出した。
「佐保ちゃんが心配してきてくれたのは奈月ちゃんも分かってると思うよ。ただ、ちょっとお母さんの手前意固地になったというか、心にもないことを言っちゃったんじゃないのかな?」
「意固地になったからって言うていいことと悪いことがあるやろ。落ちぶれとんの笑いに来たんか、って……どんだけ僻み根性やねん」
「奏、輔、さんっ‼」
私の怒り声にも構わずに奏輔さんは続けた。
「本当のことやろ。そら受験に落ちたり学校行けんくなったり色々大変なんは分かるけど、だからっちゅうて心配して家まで来てくれた友達にそないな悪態ついて言いっちゅうことにはならへんやろ。被害者気取りもいいとこや。アホちゃうか」
「でも、奈っちゃんが可哀想なんは本当やんか」
佐保ちゃんが抗議する。
「どこが可哀想や。試験に落ちたんは自分の努力が足りんかったか運が悪かったか、まあどっちにしろ誰のせいでもないわな。偏屈な親父のもとに生まれたっちゅうのも運が悪かったといえば悪かったけど、それも誰のせいでもない。学校行けんようになったのも何があったか知らんけど、嫌やから行かへんって決めたのは自分やろ? そんで今実際に行かんですんどるんやろ? そしたら全部自分の好きなようにやっとるやないか。なーんも可哀想なことあらへん」
「奈っちゃんは好きで学校休んどるんとちがう! 行きたくてもいけないんや」
「そんなん本人に聞いてみんと分からへんやろ」
「分かるわ! 好きで休んどるんやったら今の自分のこと『落ちぶれとる』なんて言うはずない」
「ふうん……。まあ、そいつのことはええわ。そんで佐保はどうしたいんや」
「えっ」
佐保ちゃんが虚をつかれたように、ぱちぱちと瞬きをした。
「私?」
「そもそも、その奈月って子のおかんが春日堂に会いにきたんが夏休み前で、おまえがその子ん家に行ってボロカス言われて泣いて帰ったんが夏休み中やろ。何を今になってメソメソ、グズグズ言うとるんや」
「それは、今朝。お店の前で偶然、奈っちゃんと会って……」
奈月ちゃんに面と向かって詰られたあと、ショックなのとどうしていいか分からないまま日を過ごしてしまっていた佐保ちゃんは、今朝、奈月ちゃんと会った後、やはりこのまま放ってはおけないと思って小学校時代の塾友達の何人かに連絡をとり、奈月ちゃんの現状について何か知らないか聞いてみたのだそうだ。
そのうちの一人が、奈月ちゃんの通う公立中学に従姉妹がいる子がいて問い合わせてくれたらしい。
それによると奈月ちゃんは中学校にあがって間もなく、同じ小学校から来た女子グループの数名から、
「あれだけ受験、受験って言ってクラスの行事サボったり、学校まで休んだりしておいて結局ウチらと同じ中学来とるって、めっちゃウケへん?」
「四年生からずっと塾行っとったのにな」
「若草山って受験するだけでも結構、受験料取られるんやろ」
「お金と時間、めっちゃ無駄やん」
「うわー。ミジメ。ウチやったら平気な顔してよう来られんわ」
みたいなからかいを受けていたらしい。
それでも奈月ちゃんは頑張って学校に来ていたみたいなのだけれど、そのグループのからかいや嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、中二の夏休み前にあった一泊二日のキャンプ行事では一緒のグループになってくれる子がおらず、くじ引きで一つのグループに入ったものの当日は結局欠席してしまったのだという。
それについても、「サボり」だの「協調性がない」だのと責められて、その後すぐに夏休みに入ったものの、奈月ちゃんは夏休み中の登校日にも部活にも一度も姿を見せなかったそうだ。
そして夏休み明けの二学期から今日まで、一度も登校していないのだという。
「うち、奈っちゃんがそんなつらい思いしとるのに何もしらんと呑気にしとって……。知った今でも何をどうしてあげたらええのか分からんくて、情けなくて……」
言いながら佐保ちゃんはまた、涙をぽろぽろとこぼし始めた。
それを見ながら私も、どうしていいのか分からずに唇を噛んだ。
いじめも不登校も根深い問題だ。はたの人間が軽々しく口をはさめることじゃない。
奈月ちゃんの状況はとても可哀想だし、それを知った佐保ちゃんが心を痛める気持ちもよく分かる。
けれど、奈月ちゃんは今佐保ちゃんに対して心を閉ざしてしまっている。
その状態で何が出来るか、と問われるととても難しい。
下手なことをしたら、よけいに奈月ちゃんを傷つけ、追いつめてしまうことになりかねない。
黙って向かい合っている私たち二人の横で、奏輔さんが
「まあ~、人生色々あるわな~」
と、うーんと両手を真上にあげて伸びをしながら言った。
「人生イロイロ。男も女もイロイロ。みんな違って、みんなイイってか」
そのまま立ち上がると、SMAPのヒット曲「世界に一つだけの花」を口ずさみながら厨房の方に歩いていってしまう。
こ、この人は……っ!
デリカシーのなさもここまできたら国宝級なんじゃないかしら。興福寺まで引きずって行って阿修羅像の横に展示してやろうか。
わなわなと拳を握りしめる私の横で佐保ちゃんがふうっと溜息をついた。
「ええよ。悠花さん。うちもう慣れとるから」
「な、慣れちゃ駄目だよ。佐保ちゃん。ああいう男の人ばっかりじゃないからねっ。あれが普通じゃないからねっ」
「うん……」
そこで入口のベルがちりりんと鳴った。若い女性の二人連れのお客様が入って来る。
「あ、いらっしゃいませ!」
私は佐保ちゃんを気にしつつもトレイを持って立ち上がった。
「すみませーん。表の看板の『今日のお茶セット』ってまだ大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですよ。空いてますから好きなお席にどうぞ」
お客様を案内して、水とおしぼりを運んでメニューをお渡ししたりしていると、接客中は滅多にフロアに出て来ない奏輔さんが黒いトレイを持って出て来た。
佐保ちゃんの席に近づくと、
「お待たせしました」
と、テーブルの上に器を置く。
「何も、頼んでないけど……」
佐保ちゃんが言う。
「サービスや。景気づけに食ってけ。そんで食ったらさっさと帰れ」
特に抑えてもいない声に、お客さんがびっくりしたように振り返る。
私はハラハラしたが、奏輔さんは気にした風もなく
「白玉あんみつ。好きやろ、佐保」
不服げに奏輔さんを見あげた佐保ちゃんは、それでも黙ってスプーンをとり上げた。
白玉を小豆を一緒にすくい、ぱくんと口に入れる。
「おいしい……」
「当たり前や。へこんだ時はややこしい事ごしゃごしゃ言わんと甘いもの食べといたらええねん」
言うだけ言ってさっさと厨房に戻っていく。佐保ちゃんは黙ってぜんざいに添えて出されたアイスグリーンティを飲んでいる。
(なんだ。一応、気にしてるんじゃない)
ほっとする私の耳に、
「ちょっと……何あれ。ツンデレ?」
「俺サマ系? やだ、ちょっとカッコ良くなかった?」
押し殺した囁き声が飛び込んできた。
見ればメニューを見ていたお客さん二人が顔を寄せ合って盛り上がっている。
「えー、でも相手のコ、中学生くらいじゃない? ロリコン?」
「妹じゃない?」
(どっちでもないですって……)
「あのー、すみません」
一人がこちらに向かって手をあげた。
「お決まりでしょうか?」にこやかにテーブルの横に立つと二人は、
「あ! 白玉ぜんざいとグリーンティのセットを!」
と声を揃えた。
「あの、『本日のお茶セット』まだございますけど……紅葉の練り切りと葛餅のセット……少しお得になりますが」
「いいんです! あちらと同じものを下さいっ」
「二つで!」
「……はい。かしこまりました」
軽い疲労感を覚えつつ、百貨店仕込みの完璧な笑顔でお辞儀をして、私は厨房にオーダーを通した。
「白玉あんみつとグリーンティ、二つずつ」
「了解!」
威勢のいい声にまた女性たちが、きゃあっと小さな嬌声をあげて顔を見合わせている。
ふうん。あのキャラに日常的に接しているとつい忘れがちになるけど、やっぱり奏輔さんって初対面の女性にときめかれちゃうレベルのルックスなんだなあ。
個人的には、その突き抜けてるルックスのパラメータを少し削ってでも性格の方にまわせるものなら、まわした方がいいと思うけど。
その後、次々とお客さんが入ってきて仕事に追われているうちに、いつの間にか佐保ちゃんは帰ってしまっていた。