プロローグ
その日。
その日も、進藤匠は当たり前に自分の日常を経験していた。
大学二年の四月末、新しい環境にもそこそこ慣れ、将来について真剣に考える時期もはるか向こうにある。友人も何人かできた。
家庭はごく普通。(この場合、当人が普通だと思っていても実は、他人からしてみれば、普通でない場合が多い)
ふたり兄弟で、親はいる。
しかし、今は妹がホームステイ中で、母親と二人暮らしだ。
成績は中学の時から、中の上下を行ったり来たりしている。
自分を磨こうと思うほどの気概はない。しかし、怠け過ぎても恐いので、適度に努力する。
そのせいか、微妙に要領がいい、と中学以来の友人である学に言われたことがある。
彼女はいない。
隣の席の多田美穂に何くれとなく話しかけてはいるが、これは彼女に宿題等の援助をしてもらうためで、それ以上深くは考えていない。
最近は、焦って探すこともないと思っている。
目下の悩みは、迫るゴールデンウィークのお金の使い方ぐらいだろうか。
いつもの友人たちとどこかに出かけるのもいいけれど、買いたいゲームやマンガもいくつかある。その日の放課後に、市街地に足を向けたのも、ゲームと本を物色して、そのあたりの目星をつけようと思ったからだった。
この時まで、彼にはそんな日常がいつまでも続くものだと思っていた。
いや、そんな自覚すらなく、ただ単にこれが世界のすべてだと思いこんでいただけなのかもしれない。
血のように淡く光る夕焼けの中で、匠の生活はあまりにあっけなく燃え尽きたのである。
あるいは正確には、燃え上がったのかもしれない。
まるで竜がより高みを目指して、飛翔するかのように。