プロローグ
街夫は人類最強の男であった。
彼が小学生のときに買ってもらったゲームの主人公のステータスはパワー・筋力極振り、物理で殴る殴る殴るの一手でクリアした。当然、魔法など様々な攻撃方法はあったが、この頃から圧倒的パワーの魅力に取り憑かれていた。
彼の人生はパワーそのものである。今年で齢八五を迎えるその肉体は未だ衰えを知らず。
年齢を感じさせるのはその面のシワと禿頭ぐらいのものだった。
ただ、彼は悩みを抱えていた。
「足りぬ」
朝食を食べ終わると彼は呟いた。一日一万キロカロリーを摂取する彼の朝食のメニューは三〇〇グラムステーキ五枚、ご飯五杯、ゆで卵三個、キャベツ一玉、トマト三個。
「街夫さん、これ以上の摂取は身体が吸収――」彼の専属栄養管理士の言葉を遮る
「そういうことではない、私が言っているのは、人生で何かを成し遂げるにはあまりにも短過ぎて足りないということだ」
栄養管理士は唖然としてる様に見えた。
「そうですか……しかし、これ以上何を成し遂げるというのです?若きし頃、パワーリフティングの世界チャンピオンの後、ボクシング、柔道、レスリング、総合格闘技で、その圧倒的な筋力のみで人類最強となられた貴方に」
街夫が人類最強と謳われる所以は、それぞれの格闘技の重量無制限スーパーヘビー級のチャンピオンであるからだ。この四つの格闘技を制した街夫に対し、それぞれの連盟から『出場停止』、その他の様々な格闘技連盟から『出場取り止め願』が殺到した。
「確かに、私は人類最強だと自分でも自負しておる。おそらく私に勝てる人間は居ないであろう。ただ、それは相手が武器を使用しない人間だけの話だ。銃弾を止めることは出来ん、研がれた刃は私の肉体をなんの抵抗もなく貫くだろう」
「相手がライオンなら熊ならどうだ、あまつさえ、チンパンジーにすら勝てるかあやしい。やつらの握力は平常時でさえ三〇〇キロを出す。怒り狂った雌は五〇〇キロを出すらしいじゃないか」
「三〇代、私が全盛期のときだ。本気を出した値が二五〇キロだったな、自分の握力で手が潰れるかと思ったのをよく覚えておる。あの時でさえも、チンパンジーに力負けをしているのだ。」
所詮、私は人間だ。そう言うと彼は部屋を出ていった。
彼は人生の中で限界を定めた。限界までやり肉体が拒否しても、あと一回やるのが限界なのだ。
しかし、彼の限界は、すでに本当の限界まで来ていた。骨、関節が耐えられないのだ。
彼は悟った。人間の限界はここまでなのだと。いくら足掻こうとも人間の設計図は変えられない。あの頃夢見たモンスターを倒す主人公には成れないのだと。
彼は、自身が経営しているトレーニングジムでいつも通りのメニューをこなし、老いて死にゆく身体を痛めつけ、ただ、死を待つのみである。
そして、そのときがやって来た。
夕飯を食べ終えた彼は眠りについた。
朝、栄養管理士が起こしに行くと、彼は冷たくなっていた。老死だった。
世界中の人々は彼を惜しんだ。新聞社は『人類最強、老いに勝てず。』、テレビは連日、彼の特集が放送された。
人類最強の男 街夫は異世界へ転生した。