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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
64/64

神話になる少年(★★2018年クリスマス企画・第4弾★★)

とりあえず、クリスマス企画としての一挙更新はこのエピソードまでです。

追加がある可能性もゼロではないですが、あまり期待しないでください(笑)

メリークリスマス。

  063


 厄災の爪痕を覆い隠そうとするかのように、夜の(とばり)が下りていた。

 しかし(ほし)(くず)(またたき)きと月光は、先住民族(オクスゥ)の悲嘆を冷徹に(あば)き立てる。


 地理上、精神上――いずれの意味でも里の中心に置かれる祭壇広場は今、(おびただ)しい数の(むくろ)で埋め尽くされていた。


 中央に向かって下り階段状に(けい)(しゃ)していくこの円形の神域は、エリック・J・アカギの脳裏に故郷の野球場(ボールパーク)を想起させる。

 だが、スタジアムであらば選手(プレイヤー)以外の立入りが禁じられる区域も、この場にあっては祈る者たち(プレイヤー)に埋め尽くされている。

 その様はさながら、落ちた砂糖菓子に群がる(あり)だった。


 ある者は愛する者の亡骸にすがりついている。

 ある者は胎児のように身体を丸めて平伏し、ひたすらに祈りの言葉を繰り返している。

 共通して(こうべ)を垂れる彼らの中心に掲げられているのは、風前の灯火のごとく頼りなく揺れる〈原初の分け火〉だ。


 半身を失った遺族の嘆き。

 陵辱を受けた娘、指を斬り落とされた男たちの苦(もん)(うめ)き。

 凶刃に親を奪われた幼子の(すす)り泣き……

 広場はただ悲しみに満ちていた。


 ――と、エリックの視界の隅を白い何かがよぎった。

 青白い月の光をそのまま集めたかのごとく錯覚されたそれは、しかしひらめく純白の巫女(しょう)(ぞく)だった。

 それを(まと)った少女、ネネだ。


 エリック同様、広場のオクスゥたちも一部が彼女の存在に気づきはじめた。

 多くの視線を集めつつ、巫女は一言も発しなかった。

 ただ決然とした足取りで〈分け火〉の祭壇へと向かっていく。


 それだけで充分だった。

 外縁部に近しいオクスゥらが彼女のために身を退く。

 道を空ける。

 その動きは水面に広がる波紋のごとく(でん)()していった。

 やがて人波は完全に割れ切る。

 群衆の中に〈分け火〉へと続く一筋の道が出現した。


 ネネはただひたすら前しか見ていなかった。

 人垣の狭間を(ゆう)然と()く。

 それはあたかも一筋のスポットライトを浴びながら客席を突っ切り、舞台へと向かう役者のようだった。


 だが彼女すら露払いに過ぎないことを、エリックは知っていた。

 舞台は巫女のたっぷり五歩は後方――ゆっくりと歩く少年のためにこそある。


 その事実は、〈分け火〉の(たもと)に辿り着いた巫女の動きからも明白だった。

 彼女はそのまま祭壇脇へと移動し、祈るようにひざまずいたのだ。

 まるで、主の到着を待つ従者の振る舞いだった。


 そのネネの少し手前で、少年――(なん)(じょう)カズマは自らの右腕を外しはじめた。

 彼が隻腕であることを知らない者には異様な光景だ。

 案の定、先住民族(オクスゥ)たちからも微かなざわめきが生じる。


 だが、当のカズマは外野の反応を気にする風もない。

 外した〈*ワイズサーガ〉をネネにそっと差し出した。

 巫女は一瞬でその意図を察したらしい。

 あたかも神聖な祭器を扱うかのように、うやうやしく義腕を受取る。


 本来の片腕姿に戻ったカズマは、一つ頷き、数歩前進した。

〈分け火〉の祭壇がすぐそこにある。

 身を賭して守った神火を前に何を思うのか。

 彼はしばし無言で〈分け火〉と向かい合っていた。

 エリックの目には、何か語らいあっているようにも見えた。


 だがそれも束の間のこと。

 カズマは何事もなかったように身体を反転させ、祭壇に背を向けた。

 それから周囲を埋め尽くすオクスゥをゆっくりと見回していく。


「たっくさん集まったなあ……」

 それが、第一声だった。

 独り言にも近い、ごく小さなつぶやきであった。

 なのにそれはこの祭壇広場全体にあまねく届いた。


 もうそれだけで、群衆の心に一つの予感が生みだされつつあった。

 自分を含めたこの場の全員が同じ〝何か〟を感じはじめている。

 エリックは根拠もなく、しかし強くそんな思いを抱く。


 ――この夜に何かが起ころうとしている。


「みなさん、僕の時間(ギグ)にようこそ」

 彼の第二声は、(みな)の予感をただちに確信へと変えた。




 カズマは再び身体を反転させ、祭壇に向かい合った。

 エリックの位置からでも、少し(あご)をあげて〈分け火〉に視線を注いだのが分かる。

 それからカズマは、やおら肘から先が失われた右腕を真横に振り払った。

 同時、彼と〈分け火〉を中心に、浮遊する無数の白球が出現する。


 否、祭壇周りだけではなかった。

 頭上高く――まるで星々に成り代わろうとするかのごとく――何十という数の球体が召喚され、集落全体に広がっていく。

 カズマの遠距離用封貝(フォックス・ツー)〈*ワイズオレイター〉であった。


「全部取っ払って、遠慮なしの全開でやれるのなんて、いつぶりだろう」

 封貝を通し、カズマの声がチュゴの里を包み込む。

「みんなにとってこれが二度と再現できない、特別な夜になりますように。

 ――誰も忘れられないステージにしよう」


 一瞬の沈黙。

 だが、それが耳に馴染むより早く、旋律が聞こえはじめた。

 遠く風に運ばれてきた調べのような響きだった。

 やさしく、しかし胸を締めつけられるような哀愁を感じさせる、鍵盤楽器の音色だ。


 オクスゥたちのあげていた嘆きは――苦悶の呻き、啜り泣きは、もはや完全にやんでいた。

 全てのオクスゥが、愛する者の(むくろ)から身を()がし、伏せていた顔をあげ、祈りの口をつぐんで、ただカズマを見詰め、旋律に聴き入っていた。


 その調べに、歌声が重なりはじめた。


 ――陽光なくした この(たま)(うさぎ)

 ――(またた)く星にさえ その座を追われて


 歌い出しの歌詞を聴いた瞬間、エリックは反射的に身体を震わせた。

「ヨウコを喪失(なく)した」と、聞こえたからだ。

 続く文脈から、それが(よう)(こう)であったことはすぐに分かった。


 だが同時に、自分の聞き違いが間違いではなかったことにも気づく。

 言葉は陽光だが、カズマが歌っているのはまさに千葉ヨウコのことに他ならない。

 それを事実として理解できた。


 ――月の別の呼び方を何か知らないか。

 そうカズマに問われたのはいつだったか。

 答えとして〈太陰〉や〈(ぎょく)()〉などの異称を教えたのはエリックだ。


 あれはこの曲の歌詞のためであったのだと、今なら分かる。

 カズマは〈玉兎〉を「たまうさぎ」と読むことで、自らの歌に取り入れたのだ。

 それをまさに、自分自身に重ねながら……。


 月は自ら光を放つことのない衛星である。

 輝いて見えるのは太陽光を反射しているからでしかない。

 必然、太陽である千葉ヨウコを失えば、月――楠上カズマは自らの輝きをも失う。

 そうして闇に沈む月は、夜空に散りばめられた小さな星々の瞬きにすら劣る。

 カズマはそう歌っているのだと、直感した。


 オクスゥたちが悲鳴にも似た叫び声を上げたのは、その時だった。

 エリックは、はっとして思索を中断する。

 そして見た。


 ――乾いた荒野のように (ひび)割れる

 ――流るるは ただ(あか)き大河よ


 カズマの全身が、(りん)(かく)を淡く縁取るように光を帯びていた。

〈分け火〉の逆光ではない。

 明らかに性質も光源も違う。


 セルリアンブルーというのだろうか。

 放たれているのは、南洋の()みわたった珊瑚礁を思わせる、瑞々しく鮮やかな(みどり)色だった。

 その神秘の色彩にエリックは見覚えがある。


 と、視線の先で、カズマが左拳を高く突き上げた。

 途端に、その先端部がまばゆい光をまき散らす。

 そこに至ってようやく、場の全員が理解した。

 光の発生源はその指に()められたリングであったのだ。

 そこから新緑色の光の奔流がほとばしっている。

 祭壇に近い者は、(まばゆ)さに手で覆わねばならないほどであった。


 溢れだした光の束はつむじ風のように激しく渦巻き、見る間にひと型を結んでいった。

 〈翠緑の貴婦人〉(けん)(げん)の瞬間だった。


 夜空をたゆたう半透明の精霊は異名に違わず、美貌と品位を兼ね備えた女性の姿をしていた。

 彼女は口元に艶然とした微笑をたたえ、(たわむ)れるように、じゃれつくように、歌うカズマのまわりをくるくると舞い踊る。


 その信じがたい光景に、オクスゥたちが激しくどよめく。

 先ほどまで地に崩れ落ちていたはずの彼らは、既に五人に一人がその場に立ち上がっていた。

 やがて彼らは、口々に伝説の中でしか知られていなかったその名を唱えはじめた。


 森の精霊。

 翠緑の貴婦人。

 ドリュアス……

 オクスゥはここに来てついに、〈強酸の海〉から自分たちを救ったものが何であったのかを理解したのだ。


 祭壇広場の外縁を中心として林立する聖樹――。

 その偉容は、エリックをしてビルのような高層建築を持ち出さねば()()にも困るほどのものだ。

 本来ならば一〇〇〇年をかけて成長していくはずの巨木は、しかし新芽として現れた直後、噴水のような勢いで伸び上がっていったのだと聞く。

 そしてあれよという間に、今の姿にまで生長を遂げたのだという。


 その時も、ドリュアスは実体化しその身を(しゅう)目に晒していたはずだ。

 だが、〈強酸の海〉に逃げ惑うオクスゥたちはそれどころではなかったのだろう。

 そのため、突如として現れ、集落と自分たちを救った聖樹の並木を、ただ奇跡として受け入れるしかなかったのだ。


 だが今、彼らは事実を知った。

〈ワイズサーガ〉のカズマは〈分け火〉を守り、精霊はオクスゥの命を守ったのだ。


「精霊様!」

「ドリュアス、伝説の――ドリュアス」

「女神が〈翠緑の貴婦人〉を(つか)わせてくださった」

「精霊よ……我らがイレスよ……」


 ――吹きすさぶ この向かい風の中を

 ――それでもまた……


 あの細い身体の一体どこから。

 いまやカズマの声量は、封貝で拡張されていることを差し引いても驚異を感じずにはいられない水準にまで達していた。

 空間そのものを支配下に置き、直接微振動させることで音を発生させているとしか思えない。

 世界そのものが彼のためのスピーカーとして使われているような気すらしてくる。

 一切の誇張を抜きにして、歌声はチュゴの大集落全域にあまねく響き渡っているに違いなかった。


 それは、エリックが知る「歌」の概念をとうに超越していた。

音楽というものに抱いていた認識がガラガラと音を立てて崩壊していく。

 そして根底から――永遠に塗り替えられていく。

 その破壊力には、恐怖にも似たものを感じるほどだった。


 ――なんなんだ……なんなんだ、これは。


 戦慄とともに、エリックは自問を繰り返していた。

 こんなものは、知らない。

 これは何か、全く違ものだ。

 俺の知っている音楽はこういうものじゃなかった。

 これはもう歌とか、そういうものじゃない。

 もっと違う……別の、未知の、恐ろしい何かだ。


 直接芯に突き刺さり強烈な(しび)れをもたらす波動。

 胸の奥底にともされる炎。

 その圧倒的熱量。

 揺さぶられる魂から生じる(たか)ぶりを抑えきれない。

 抑えられない。


 エリックはこの時ようやく、自分が頬を濡らしていることに気づいた。

 胸の奥底から湧き出るものを抑えるため、右手は無意識に胸のシャツを強く掻きむしっていた。

 その事実に(がく)然としなから、涙を拭う。

 濡れた指先が放つ光は、全てが現実であることを物語っている。


 見れば周囲のオクスゥも同じたった。

 多くが(まなじり)に涙を浮かべていた。

 そしてエリック同様、そのことに気づいていない。

 気にもとめていない。

 止めどなく雫をこぼしながら(ひざまず)き、祈るように手を組み、精霊と歌う少年にただただ魅入られている。


 エリックはだしぬけに、いつか千葉ヨウコから聞いた言葉を思い出した。

 楠上カズマという男の存在を、意識しはじめるきっかけの一つとなった話だ。


「中一の時に、クラスでクリスマス会みたいなのをやったんです。

カラオケボックス借りて。

 出不精のカズマは渋ってたけど、私が引っ張り出して連れて行って。その時、あいつ、自分でも何も知らずに思いっきり歌っちゃったんですよ」


「凄い騒ぎになりました。今思い出しても、あれはほんとに酷かった。その店では未だに語り継がれてるそうですよ。

 あいつが本気出したら、ホールでもマイクなんかいらないですからね。それが、その場の空気でちゃんとマイク握って、遠慮なくやっちゃったから」


 最初こそ、やんややんやの(かっ)(さい)をあげる者が多数だったという。

 だが、Bメロ(ブリッジ)も中盤にさしかかった時には、もう場の空気は一変していた。


 面白がるような笑みを浮かべていた者たちは、残らずぽかんと口を半開きにしていた。

それは音楽の時間でやった少し古いラヴソングだったというが――

 会場内はもう、曲とカズマの歌声しか音は存在しなかったという。


 誰もが呼吸すら忘れて、自分の中の歌と音楽の概念が崩壊していくのを感じていた。

 空間に存在する者は一切の感情に至るまで、たった一人の少年に囚われ、支配されていた。


「カズマが本気で歌うってのはそういうことなんです。

女子なんか、もうぐっちゃぐちゃになってボロ泣きしてる()が何人もいて。そんなコたちが抱き合いながら歌に聴き入ってた。

 カズマも入り込んじゃってたから、そうするとボックスの薄い防音壁とかもう関係ないんですよ。貫通して外まで聞こえちゃって……ドアの外には、別の部屋からも人が集まって異様な光景になってた」


「あいつ、それから半年くらいは凄い騒がれて。女子からも凄い構われちゃって。

 自分の歌一つで、周囲の世界ががらっと変わったって言うか、無茶苦茶になっちゃったような怖さとか、そういうのがあったんでしょうね。

 一瞬だけ浮かれてたけど、あとはもうひたすらおびえてました。

だからあいつ、それ以来は抑えてしか歌わないんです。と言うか、私や家族以外の前では歌うこと自体控えてる感じで――」


 自分は音楽を買ったことがない。

 カズマがいたから。

 (うそぶ)くヨウコの話を、当時、エリックは話半分に聞いていた。

 イメージがまったくつかなかったからだ。

 歌や音楽と言えば、それこそ学校の授業程度の認識しかなかった。

 ヨウコとは違い、純粋に興味の問題で曲を買ったことがなかったのだ。


 しかし、今なら分かる。

 実感として理解できる。

 彼女は物事を誇張して吹聴するような人間ではなかった。

 そのことをもっと真剣に考慮すべきであったのだ。


 千葉ヨウコは事実を淡々と描写していたに過ぎない。

 自分の身に形容しがたい激情を無理矢理埋め込まれ、生涯忘れ得ぬであろう衝撃を深々と刻み込まれることでようやく、エリックは思い知ったのだ。

 これが、彼女の言っていた楠上カズマか。


 ――忍べない 嘆きだけ連れて()こう

 「果ての、彼方へ――!」


 遂に曲は最高潮に至ろうとしていた。

〈*ワイズオレイター〉からはドラミングが刻む鼓動と絡み合い、鍵盤の抜けるように澄み渡った響きや、深く空間に染み渡る弦の音色が溢れだしてくる。


 その色鮮やかな奔流を従えて全天を震わせんとばかりに放たれるカズマの高音は、圧倒的声量に支えられながら、どこまでも伸びやかに透き通っていた。


 曲調は決して激しいものではない。

 歌詞しかり、むしろどこか(せき)(りょう)感すら漂わせる(ゆる)やかな調べだ。

 だが、発散されるその途方もないエネルギィは、さながら小さな嵐だった。

 対抗する術などない。


 人々が吹き荒れる音の暴風に翻弄される中――

 遂にそれは起こった。

 カズマのサウンドを真正面、至近距離から浴びせかけられていた〈原初の分け火〉が刹那、一際大きく揺らめく。


 単に風に煽られたようにも見えた。

 しかし、見守るうちにそれは否定された。

 エリックの頭に真っ先に思い浮かんだのは()化直前の卵だった。


 それは内なる何かの蠢動を感じさせる動きだった。

 当然、オクスゥたちも同じものに気づく。

 否、異変を感じ取ったのはむしろ彼らの方が先であったのかもしれない。


「オオ――ッ」

 誰かが雄叫びのような声をあげる。

 そこから起こった現象は、丸きりドミノ倒しの逆再生そのものだった。

 祭壇広場にいた全てのオクスゥたちが、弾かれたように揃って立ち上がりはじめる。

 気づけば満場の総立ちだった。


 無理もない。

〈分け火〉が明らかに輝きを増している。

 カズマの歌唱が一小節を刻むごとにみるみる成長しているのが分かる。

 幼児の握り拳サイズから、大人のそれへ。

 大人の拳から、ソフトボール。

 ソフトボールからバレーボール大に。


 角度によってはカズマの身体に隠れて見えなかった〈分け火〉は、瞬く間に人を丸々飲み込めるサイズにまで巨大化し、いまやどこからでもその偉容を視界に収めることができる。


 オクスゥたちが歓喜を爆発させた。

 大の男達が涙混じりに吠えたけりながら固い抱擁を交わしている。

 内気そうな娘は、母らしき恰幅の良い女の胸におずおずと顔を埋めて、肩を震わせはじめた。

 親の長衣の(すそ)を盛んに引っ張りながら、〈分け火〉を指さして目を輝かせる幼子たち。

  杖にすがりついた格好のまま、神火を見詰め彫像のように動かなくなる老婆。


 そして、それら全てを祝福するように〈翠緑の貴婦人〉が祭壇上の宙空を乱舞する。

 エメラルドグリーンの美しい薄光がその軌跡を描いては、星屑のように(きら)びやかな輝きの雨を降らす。


 この光景を、先住民族(オクスゥ)たちは百年語り継ぐだろう。

 エリックは今、自分が伝説の一幕を目撃していることを理解した。


 ――時だけが唯一 痛みと傷に

 ――癒やしを与うる 救いの御業よ

 ――だけど刻み込んだ 追憶の

 ――君の眼差しまで 削られる


 エリックはここに来るまで非戦闘員と見なされ、後方に配置されていた。

 そのため、健在であったころの〈分け火〉を見てはいない。

 ちょっとした小屋くらいの規模はあった。

 そんな証言の中で知るばかりである。


 その上での印象で良ければ、〈分け火〉は既に当初の姿を取り戻しているように見えた。

 少なくとも死者を()()にふすというなら充分だろう。

 この時点で、カズマは最低限の仕事をこともなげに成したと言える。


 だが、本人にそうした意識はなさそうだった。

 挑むように〈分け火〉を見上げ、汗をはじけさせながら歌い続けている。

 役割。

 ノルマ。

 もはやそうした細々とした事情は頭にないのかもしれない。

 背後にした群衆の存在すら意識にあるのか怪しい。

 一種のトランス状態に陥っているようにも感じられる。


 呼応して〈分け火〉はいよいよ燃え盛り、ついには溢れだ(オーヴァフロー)したエネルギィが飛沫となって噴出しはじめる。

 その様は、蛇型の龍神が海面を割って飛び上がり、また戻っていく――そんな猛りを見るようだった。

 この〈分け火〉のプロミネンスは二本、三本と徐々に数を増すと、互いに(から)み合って巨大なうねりとなった。

 そうして()(せん)を描きながら、本体の周囲を駆け巡る。


 ――だからまだ この痛み手放せない

 ――血を吐いても

 ――抉り出し 今日もまた独り歩く

 「果ての、彼方を――!」


 カズマの叫びが木霊する。

 間違いなく、臨界を超えた瞬間があるとすれば、この時だった。

 歌声に呼応し〈分け火〉が輝きを極端に強めた。

 影さえ塗りつぶし、視界を漂白し尽くすような強力な光り方だった。


 一種、爆発を疑うようなその異常発光と共に、神火は祭壇からふわりと浮き上がった。

 気づけば形態も一変していた。

 火の球状の巨大な塊になっている。

 小型の太陽と化したのだと説明を受ければ、恐らくエリックは疑わなかっただろう。


「おお――ッ」

 もう何度目になるだろう。

 オクスゥたちがどよめく。

 その視線の先、〈分け火〉に縦方向へ走る無数の亀裂が生じていた。

 それは切れ目だった。

 次の瞬間、あたかも花弁が開くように神火はゆっくりと割れていった。


 そして露わになった内側中央。

 ()(ちゅう)のごとく奇跡が姿を現す。


 人々は――そしてエリックは同時に気づいた。

 それは火炎そのものであり、また女性そのものだった。

 彼女は黄昏色の神火を衣に纏い、帯状にひらひらと揺らめく(こう)(えん)を仙女の(てん)()のように従えていた。


 ドリュアスが〈(すい)(りょく)〉の貴婦人なら、彼女はまさに〈(せん)(こう)〉。

 しかし、精霊すら遙かに凌駕するその(しん)()は、単に貴婦人と評すにはあまりに圧倒的過ぎた。

 彼女を表現できる言葉など、エリックは一つしか知らない。

 ――すなわち女神である。


 祭壇広場は文字通り(しん)(かん)した。

 オクスゥたちのあげる爆発的な歓声は、かち割らんとばかりに空間そのものを激しく揺さぶった。

 文字通りの狂喜乱舞は怒濤の地鳴りとなってチュゴの集落を駆け抜けていく。

 その振動にエリックは足下から揺さぶられた。

 冗談でも比()でもなく、ただ立っているだけでも視界が微かにぶれて見える。


「なんということだ……なんということだ……」

「イレス、女神イレス! 神が降臨なされた」

「おお、|我等が神よ。その加護を賜らんと畏みまおす《アーペ・オカムイ・オリパ・トゥラーノ・ネ=ワネ》……オリパ・トゥラーノ……」

「呼び起こした……イレス様を呼び起こした!」


 この世界には神が実在する。

 それははエリックも聞いていた。

 自分も経験として、クーネカップなる女神と出会っている。

 あの白昼夢のような出来事を経験と呼んで差し支えなければ、だが。


 なんであれ、オクスゥたちの反応を見れば、実際に神の顕現を目の当たりにすることなど、恐らくは一生に一度もないのが当然なのだろう。

 実際、彼らが語るイレスの逸話は、どれも大昔の神話の中の出来事ばかりだった。


「来て下さったッ。女神様が我等チュゴのもとに!」

 突然、叫びと共にエリックは真横から体当たりを受けた。

 あまりの衝撃に身体が大きく傾ぐ。

 だが、たたらを踏みつつも、持ち前の体幹でなんとか堪えた。

 何事かと思えば、見知らぬ大男から肩に腕を回されていた。

 喜びのあまり、(だれ)(かれ)構わず周囲の人間に抱きついて回っているのだ。

 抗議のひとつもあげたくなるが、向うは気にした風もない。


「我等の同胞を……同胞の魂を(なぐさ)める……ためにッ」

 オクスゥの男は感激のあまり顔をくしゃくしゃにして男泣きに泣き、だが同時に笑顔を浮かべてもいる。

 興奮の()(つぼ)と化した集落では、いまや全ての人々が似たり寄ったりの状態に陥っていた。


 ――今はまだ この(しょう)(そう)癒やせない

 ――明日もまた この歩み止めはしない


 と、泳ぐように宙を舞い踊っていたドリュアスが、カズマの頭上でぴたりと動きを止めた。

 そして神託を下さんとばかり、高らかに叫んだ。

「〈女神を呼び起こす者(オウル・オ・イレス)〉!」


 女神イレスがその言葉に薄く笑む。

 伴って、覚醒後まだ半開きであった目蓋がゆっくりと大きく開かれていった。

 露わになった炎と同じ色の虹彩が神秘的に輝きを増す。


 同時、イレスの背後、不動明王の〈火焔(こう)(はい)〉を思わせる聖火が、巨大な翼のように一つ大きくはためいた。

 その羽ばたきから生み出されたのは風ではなかった。

 無数の(りん)火である。


 大きさは人間の拳ほどだろうか。

 火の玉と言うより、むしろ恒星を思わせる輝きを放っている。

 その数がまた尋常ではない。

 数百に及ぶであろうそれらは、大型花火が上空で炸裂した瞬間を、時を凍らせてそのまま移動させてきたかのようだった。


 次の瞬間、それら無数の燐火は、まさに打上げ花火のように一斉に夜空へと飛昇を開始した。

 そして数十メートルほどの上空で弾け散る。

 四方八方へばらまかれた燐火は大小それぞれの美しい放物線を描きながら、流星のごとく地上に降り注いだ。


 女神がもたらした炎の雨は、もちろんのことオクスゥを毛ほども傷つけることはなかった。

 その一つひとつは例外なくスリージィンの凶刃にかかり散らされたオクスゥの(なき)(がら)の元へ向かい、横たえられたその胸元のすぐ上でぴたりと静止した。

 そして、吸い込まれるようにその内側へと潜り込んでいく。


 誰もがその光景を呆然と見守る中、次の奇跡は起こった。

 遺体から黄昏色の――光とも(もや)ともつかない――何かが、ゆっくりと立ち上りはじめたのだ。

 エリックの乏しい語彙では、それを幽体とでも表現するしかない。

 透き通り、燃えるように輪郭をやや曖昧にして存在する人間を、他になんと呼べば良いのだろう。


 だが、遺族たちには名などどうでも良い問題でしかない。

 そこかしこで失ったはずの親、きょうだい、子、そして恋人や伴侶の名を叫ぶ声があがった。

 触れよう、抱擁しようとする者も多数ある。

 しかし、幽体相手にそれは叶わない。


 それでも、苦悶と絶望の中で惨たらしく、場合によっては人間としての原型すら留めずに殺された者たちだ。

 生前の健やかな姿、穏やかな表情をした彼らとまた会えたことを喜ばないオクスゥは存在しない。


 死者たちの魂は、残された者にやさしく微笑みかけ、おずおずと手を振り、あるいは両手を広げて抱きしめる仕草を見せた。

 なにか伝えようと、唇を動かす者もいた。

 ただ静かに愛する誰かを見詰める者。

 身振りで最後のやりとりを交わそうという者。

 思い思いに最後のひとときを過ごしていた。


 誰もが、これが束の間与えられた奇跡なのだと知っていた。

 思い思いの別れを済ませた彼らに、不思議と取りすがってその時を拒む者はいなかった。

 涙で顔中をぐしゃぐしゃにしていても、皆一様に安堵と納得の笑みを浮かべていた。


 永遠の別離は身を引き裂かれるような悲痛であろう。

 だが、彼らの愛した者たちは〈分け火〉ではなく、地上に降臨した母たる大神イレスの御手に直接抱かれ、祝福を受けながら逝くのだ。

 これ以上の幸福はない。


 与えられた時が満ちたことを知ったのだろう。

 死者たちは一様に自然と微笑を浮かべた。

 ほどなく、彼らの幽体がゆっくりと空に昇りはじめる。


 それは流星として降ってきた時の流れを逆に辿るものだった。

 人の姿から燐火へと徐々に姿を変え、彼らは天へ昇る流星として一斉に飛び去っていく。

 女神のもとへと還っていく。

 きらきらと光の軌跡を描きながら――


 ――打ち付ける 無慈悲な氷雨の中を

 ――凍えながら……

 ――灼熱の 熱砂にその身炙られ

 ――枯れ果てても……

 ――吹きすさぶ この向かい風の中を

 ――それでもまた……


「いと慈しみ深きイレスよ、我等オクスゥの魂を導きたまえ」

()(むね)に抱き慰めたまえ」

「旅立つ魂が罪の絆より解放され、無窮の光のうちに迎えられ救われた同胞とともにあらんことを」

「イレス、女神イレス」


 オクスゥたちが口々に祈りの言葉、聖句を唱えはじめた。

 それはいつしか〈分け火〉を蘇らせた者、精霊を従える者への讃辞へと変わっていく。


「呼び起こせし者にもまた祝福を」

「精霊と〈ほむら〉」

「オウル・オ・イレス――」

「女神を呼び起こす者」

「竜と歌う者」

「精霊を従える者」

「其はほむら」

「うたうほむら」


 ――空っぽの 希望だけ連れて往こう

 「果ての、彼方へ――」


 エリックは、夜空を昇る流星群をただ呆然と見上げながら、自分がなにも理解していなかったことを痛感していた。

 ――何が百年か。なにが伝説か。

 全てのオクスゥは今夜、この時の光景を一〇〇〇年語り継ぐだろう。

 一族が絶えるまで子々孫々、今日の奇跡を魂に深く刻み込み、決して忘れることはない。

 〈オウル・オ・イレス〉と呼ばれる少年と、精霊と、そして降臨せし女神の物語として。

 それは伝説を超えるもの。神々と英雄の叙事詩(サーガ)

 

 オクスゥの歴史はこの日、新たな〈神話〉を得たのである。

挿絵(By みてみん)

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