空虚な小部屋(★★2018年クリスマス企画・第2弾★★)
061
窓のない部屋は、会話が途切れると静謐に包まれる。
だが無音ではない。
壁のあちこちが金属製に補強され、光源として篝火が焚かれている。
その割木が時折あげる弾けるような音が、静けさの中では時計の秒針のようによく聞こえた。
そんな中、ふとあることに思い至ってカズマは口を開いた。
だが声に出す直前、思いとどまる。
結局、発したのは考えていたものとは違う言葉だった。
「ナージャ」
「うん?」
すぐ傍らで、あぐらに近い格好で腰を落としているナージャが、ごくわずかに首をかしげた。
「僕が今――ガス欠状態で封貝を使おうとしたらどうなる?」
「どうなるとは、どういうことだ?」
「仮にMP不足的に失敗するとして、何が起こる?」
「ふむ……」
珍しくナージャは即答を避けた。
いかにも考えていますというように腕を組む。
「場合によるんじゃないか? なにも起こらないだけで済むこともあると思うし、不完全な状態で召喚されることもある。最悪はまた〈空虚な小部屋〉の一番酷い状態になって意識を失ったりすると思うぞ」
カズマはまだ完全な封貝使いではない。
そのため、予測はさらに難しい。
彼女はそう補足した。
「そっか……」
「封貝を使いたいのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。使ってみたら何か思い出せるかなって」
「何か?」
「うん。いやさ――最後にオウバルパに一発入れてから、その後のことが全然ダメなんだよね。思い出せない」
「そりゃそうだろう」
何を言っているのだ、という顔だった。
「ダーガはその瞬間、気を失ったからな」
聞けば「|bite (on) the bullet《バイト(オン)ザ・ブレット》」の口訣と共に〈*ワイズサーガ〉の一撃を入れた直後、カズマは失神したという。
そのまま上空二、三〇メートル上地点から真っ逆さまに転落していったらしい。
そこを、慌てて駆け寄ったナージャに抱きとめられたとのことであった。
「あ、やっぱり?」
「意識がなかったんだから、記憶がないのは当然なのだ」
「なぁんだ。良かった」
笑みをこぼしながら、文字通り胸をなで下ろす。
「――いや、良くはないか。え、じゃあどうなったの? オウバルパは結局、どうなった」
「奴は死んだ」
ごくあっさりとナージャは言った。
「……僕の、攻撃で?」
「そうだ。決着の瞬間、時が止まったみたいにダーガもオウバルパも動かなくなって――それから、凄いことになったのだ」
どんな、と問うより早くナージャは自ら続けた。
「〈スリージィン〉に殺された先住民族の死体から、魔法みたいに傷が消えたのだ。全部、一瞬で」
「――はぁ?」
カズマは口を半開きにする。
「それでな、消えた傷が全部、オウバルパの身体に移ったのだ」
もはや声も出ない。
「こう、何回かに分けてダン! ダン! ダン! と、凄い数の斬り傷やら刺し傷やらが奴の身体にあらわれてな? その度にビクッビクっとなって……」
熱が入ってきたらしい。
ナージャが説明に身振り手振りを加え出す。
それによると、傷は四肢の末端から中心部に向けて段階的に転写されていったのだという。
その度に、指やその他細切れにされた肉片が、ばらばらと雨のように地表へ降り注いだ。
筆舌にしがたい激痛があったのだろう。
だが、失神すら許されなかった。
オウバルパは全身から鮮血を噴き上げながら、獣のような絶叫をあげた。
それはチュゴの大集落に、長く、遠く響き渡った。
ナージャはそう語った。
「耳とか鼻とかも見えない刃物で斬られたみたいにスパスパ削られて、目玉も爆発したみたいに弾け飛んで、最後は頸がぽろっと取れたのだ。
それで、残った胴体の破片と一緒になって地面に墜ちていった」
残ったのは、たった一人の人間から流れ出たとは思えない量の鮮血の海。
そして、そこに水揚げされたように散乱する、かつて人体であった大量の何かだけであったという。
「傷は――死体からしか移らなかったの? 生きてる人たちの分は?」
「それはダメだったみたいだ」
「…………」
カズマは何か言おうとしたが、口から出たのは深い吐息だった。
焦点が定まらない。
しばらく無言で、虚空を眺め続けた。
どれくらいそうして呆けていただろう。
自分でも分からない。
慌ただしく近づいてくる足音で、カズマはようやく我に返った。
ここ最近の癖で、無意識に人数や性別を推測してしまう。
人数は三人。
どれも成人男性より明らかに軽い。
それは足取りという意味でもそうだ。
恐らく全員が女性で、揃って若い。
一人は子どもかもしれず、その場合は女性とは限らない……といったところか。
一〇秒ほど待つと、答え合わせの機会が訪れた。
「お邪魔するよ」
扉の向こう、いかにも勝ち気そうな声があがる。
カズマが入出を許可すると、ためらいなく三人の人影が足を踏み入れてきた。
先頭は赤毛とそばかすが目を引く娘だった。
三人中唯一、移民系の白い肌を持っている。
野盗の根城で、奴隷として捕らわれていた少女のひとりであった。
気の強さから被害者たちのリーダー格を務めている。
カズマのおぼろげな記憶を信用するなら、名をサニィと言ったはずだった。
解放後は故郷に戻ることを拒み、今は派閥〈ワイズサーガ〉のサポート要員となっている。
そのすぐ後ろの男女二人組は、典型的な先住民族だった。
いずれもカズマより年少で、やはりいずれの顔にも見覚えがある。
この異世界で最初に出会った人々。
隊商のメンバーとして出会った巫女のネネと、オックス少年である。
「カズマ先生ッ」
二人はカズマの姿を認めるや、サニィを追い越して駆け出す。
いきなりの全力疾走だった。
「先生、カズマ……カズマ先生ッ」
「カズマさま」
叫ぶふたりの顔は見る間に紅潮し、眦からは大量の涙が分泌され始める。
誘拐された我が子と奇跡の再会を果たした母親もかくや、という形相であった。
「あ、うん。久し――ぶり」
カズマは軽く腰が引けつつも、なんとか応じる。
ネネとオックスは接近するなり、身を投げ出すようにしてひれ伏した。
事前に打ち合わせていたような、揃いの動きだった。
共にシーツを握りしめ、身を震わせて泣きじゃくっている。
「えっと……あの、どういうこと? どうしたの、二人とも」
問うが、二人はまともに答えを返せない。
一瞬顔を上げても、溢れ出る涙、嗚咽と一緒にまた俯いてしまう。
落ち着くまで時間が必要なのは明白だった。
しばらく彷徨わせた末、最終的に、カズマはサニィへ視線を向けた。
目が合うと、彼女は肩をすくめて見せる。
それからどこか投げやりな口調で言った。
「一部のオクスゥたちはこんな様子ですよ。アタシは見てないけど、団長は〈分け火〉ってのを身体張って守ったんでしょ。
それがどうも……この人たちには命を救われた以上の大事だったみたいで」
「ああ――」
カズマは意味もなく天井付近を見上げ、ひとつ首肯する。
目線を二人のオクスゥへ戻すと、ちょうど面を上げたネネと視線がぶつかった。
小麦色の肌でもはっきりと分かるほど鼻頭を赤くしている。
同じくらい赤い目元を拭いながら、彼女ゎ震える声で言った。
「カズマ様。この度は私たちチュゴ族のために多大なお力添えをいただきましたこと、一族並びにこれに連なる全ての同胞を代表して、深く、ふか、く――っ……」
そこまで言うと、彼女は感極まったように言葉を詰まらせた。
あとはもうひたすら頭を下げられる。
隣のオックスに至っては、床に額をこすりつけたまま微動だにしない。
「えっと、そうだな。僕も自分なりの思惑があってのことだし……」
カズマは生身の方の人差し指で頬をかく。
「うん。感謝して貰ってるのはもう充分に伝わったから……その、気持ちは嬉しいんだけどね。僕ら的にはそんなに大げさにしてくれなくても良いって言うか――」
二人のオクスゥとは、それから何度かのやり取りを経てようやく会話が成立するようになった。
もっとも、それで全てが順調とはいかなかった。
口がきけるようになった彼らは語彙の限りを尽くし、あらゆるパターンで謝辞を繰り返しはじめたのだ。
これをなんとか中断させることで、カズマはようやく会話の主導権を得る。
最初に確認したのは――極めて切り出しにくかったが――何より集落の現状であった。
オウバルパを失った〈スリージィン〉の動向は最大の関心事の一つだ。
無論、オキシオ老のことも気になる。
彼――オキシオを名乗る初老の戦士と初めて出会ったのは、やはりこの異世界〈オルビスソー〉に転移した直後。
野盗に襲われる隊商を見つけ、助太刀に向かった先のことだった。
彼はその行商の一座を率いる実質的なリーダーであった。
この野盗撃退をきっかけに交流を深めたが、行動を共にしたのはそう長い時間ではない。
そんなオキシオを最後に見たのは昨日のことだ。
彼はここにいるネネやオックスと同様、復讐に来た野盗〈スリージィン〉の虜囚となっていた。
しかも祭壇広場の〈分け火〉の前に引っ立てられ、荒くれどもに組み伏せられていたのである。
公開処刑の寸前。
あるいはその真っ最中。
カズマの目にはそう映ったが、事実見た通りだったのだろう。
〈スリージィン〉を率いるオウバルパにとって、オキシオたちは愛人の仇だ。
隊商を襲い、返り討ちにされた野盗の一人が、その愛人であったのだ。
完全な逆恨みである。
だが、もとより道理の通じる相手ではない。
オウバルパによる報復は苛烈を極めた。
オウバルパは捕らえたオクスゥの幼児を斬り刻んで拷問し、うら若い娘をよってたかって陵辱した。
用が済むと惨たらしく虐殺した。
その死体を、脅しつけたオクスゥに山と積ませた。
身動きを封じられたオキシオたちは、同胞が嬲りものにされるその一部始終を幾度も幾度も見せられたのだ。
目の前で。
その責め苦は、カズマが乱入しなければその後も延々と続いただろう。
最後はネネやオックスも死体の山に加わっていたことは疑いようがない。
「〈スリージィン〉の野盗たちは壊滅しました。多くは先生のお仲間の方々によって討ち取られましたし、首領のオウバルパが斃れたことをしると、残った者たちも散り散りに逃げていきました」
語るオックスは、床に置いた己の手を見詰めている。
その両の拳は関節が白く浮き出るほど強く握り固められていた。
「オキシオ老は……亡くなりました」
オックスが消えかかりそうな声で言った。
同時、幼い巫女は口元を覆って顔ごと目を逸らす。
肩が震えていた。
カズマは適当な言葉を探したが、恐らくそんなものは元より存在しなかった。
「――そっか」
結局、出てきたのはそんな一言だけだった。
「ボグ……」
声が喉に詰まる。
「僕が」と言い直し、続けた。
「見た時、オキシオさんはオックス君たち一緒に捕まってて、その時点でもうかなり酷い怪我をしてるように見えた」
ここにいる二人に加え、オキシオともうひとりの――服装からして高い地位にあるのであろう――老人は、その時、横一列に並べられていた。
群がる野盗どもに、力尽くでうつ伏せに組み伏せられている格好だった。
髪を鷲づかみにして顔を上げさせられていたため、目の前で繰り広げられる同族の拷問から目を逸らすことも許されない。
そんな地獄絵図だった。
「オキシオさんは、あの腕の傷が原因で?」
ネネが先に、少し遅れてオックスも続き頷いた。
カズマは数秒間、目を閉じてその事実を受け入れた。
その可能性を考えなかったわけではない。
一目見た時、「生きているのか」と戦慄したくらいだ。
それほどの夥しい出血であった。
「集落の感じは……今、どんなふう?」
声のトーンを変えたつもりだったが、雰囲気は変えられなかった。
「強酸の洪水で、集落の大部分は汚染されました。建物もかなりが水没して、それもただの水ではなかったので……溶けたり、燃えてしまったり……」
過去、日本が経験してきた自然災害を思い起こした。
特に、豪雨などで家屋浸水が発生した場合だ。
あれは酷ければ、取り壊しての建て直しになると聞く。
今回の場合、〈強酸の海〉で土台や柱が傷んでいることは確実だ。
土壌も汚染されているなら――
「もう、この地は捨てるよりないと、言う声も」
ネネが洟をすすりながら言った。
それはまさに、カズマの抱いた危惧をそのまま口にしたものに他ならない。
「もっとも深刻なのは〈分け火〉です」
つぶやくオックスは、この数分だけで何歳分も老け込んだように見えた。
「まさか……」
「いえ、先生のおかげで消失は免れました。
でも、まるで燭台の灯火のように弱り切って……」
問題はその火勢なのだという。
オクスゥは死者の亡骸を〈原初の分け火〉に投じることで弔う。
これにより魂は役目を終えた肉体から解放され、女神イレスの御許へ送られる。
この神聖なプロセスを経てこそ、オクスゥは初めてオクスゥたるのだ。
その話がどこまで現実に即しているのかは分からない。
だが、当人たちが固くそう信じていることは紛れもない事実だ。
元の〈分け火〉はちょっとした小屋ほどの大きさがあった。
それがロウソクに少し色をつけた程度にまで萎んだとあっては、確かに火葬など不可能であろう。
「――〈分け火〉で死者を還せないって、オクスゥはどんな気分なんだ?」
唐突な隣からの声に、カズマはびくりとした。
それでようやく、ナージャが同席していたことを思い出す。
「オクスゥとして死ねないと言うことです」
俯けていた顔を上げ、答えたのはネネだった。
「オクスゥは生き方と同じくらい――もしかするとそれ以上に死に方を大事にします。
多分、オクスゥでない人にとっては……自分や家族が死んだあと、死体を面白半分に剥製にされて、侮辱的な方法で見世物にされたり、おもちゃにされるような非道が、感覚的に近いものになると思います」
「同じ墓に入れないどころじゃないんだ――」
カズマは唸るように独りごちる。
日本人にも想像しやすいイメージは、はっきりと否定された形だった。
「〈分け火〉を元の勢いに戻すって、何か方法ないの?」
カズマの問いに、オックスが力なく首を振る。
「少なくとも、今のところ私たちの間でその方法を知っている者はおりません」
「〈分け火〉はイレス様から寵愛の証としていただいた、いわば気持ちなのです。かまどの焚き火とは違い、薪をくべれば大きくなるというようなものではありません」
カズマはバースディ・ケーキを思い浮かべた。
あれも減ることはあれ、その分が回復することはない。
元より大きくなることも然りだ。
同じケーキを買ってきて補充することはできるが、それは贈り主がくれたケーキの復元とは別物だろう。
「団長さん、ちょっと良いかい?」
と、サニィが入り口付近からやや張り気味に声をあげた。
オックスと幼巫女を案内後、一度出て行ったようだが、何の用かまた顔を出したらしい。
「なんです?」
「どうしても団長に会いたいって客人が、そこまで押しかけてるんですけど」
「えっ、誰? オクスゥの人?」
「若い女性が二人ですよ。片方はオクスゥだけど、もう片方は違う」
カズマは首をかしげた。
全く心当たりはない。
だが、怪しい人間ならケイスたちが先に止めているだろう。
「まあ、良いや。入って貰ってかまいませんよ」
「はぁい」
気の抜けた返事が投げられる。
そこには、距離感を図りかねて「カズマ様」などと呼んでいた頃の面影はない。
「団長」もこの赤毛娘が考えて広めたオリジナルの呼称だ。
再びサニィが奥に引っ込むと、ややあって入れ替わりに客人が通された。
物々しい足取りだった。
歩を進める度、甲冑の関節部分からかすかな金属擦過音があがる。
一歩前を歩く人物は、一瞬、男性に見えた。
むき出しの腕部は丸太のように太く、鍛え抜かれた筋肉がレンコンのようにこれ以上なくくっきりとした節を備えている。
その他の部位も鋼のような分厚い筋繊維で満遍なく覆い尽くしていた。
首の太さなど、ほとんど大樹の幹だ。
背丈は一八〇センチ台も後半に至ろうかという高さであった。
それでいて動きに鈍重さはこれっぽっちもない。
ネコ科の大型肉食獣を彷彿とさせる、優美なしなやかさすら感じさせる。
戦士風ではあるが、防具は最低限。
着衣も品を失わない程度に着崩した印象があり、総じて野性味を感じさせる出で立ちだった。
そんな中にあっても女性的な曲線は損なわれておらず、相貌もよくよくみればそれなりに整っている。
ただ、頭頂部付近で乱雑にまとめ上げられた髪や、猛禽のような鋭さを持つ両の眼のインパクトがあまりに強すぎるのだ。
向かって右、その一後ろを歩く女性は、対照的な人物だった。
全身から放たれる気品は、王者の風格すら漂わせている。
恐らくカズマより幾つか年上なのだろうり。
だが、日本の高校や大学に彼女ほどの女性を見いだすことは限りなく困難だろう。
全身を鎧うのはインカルシ護士組の制式甲冑だが、彼女がまとえば聖騎士の装備にも見えてくる。
――メイヴ・スカイアナハ。
もちろん、カズマは彼女を知っていた。
通称〈蒼薔薇〉。
ナージャの捕縛、マオ・ザックォージの抹殺指令を帯びてインカルシ護士組から放たれた、派閥〈ワイズサーガ〉追跡部隊。
その長である。
あのマオ・ザックォージを歯牙にもかけず、一度は死に至らしめた恐るべき手練だ。
「あ……ッ、蒼――」
顔から血の気が引くのを感じた。
ざあと音が聞こえそうな程、はっきりと自覚できた。
腰を抜かすとはこのことだろう。
カズマは後ろに両手をつき、脚をカサつかせて虫のように後退する。
隣では、あぐらだったナージャは片膝に体勢を変え、既に臨戦の構えだった。
「いや、待ってくれ」
大柄な方の女性が、広げた右の手のひらをゆっくり突き出した。
「アタシはア=ラーウォ。確かにこっちの――」
と、斜め後ろの〈蒼薔薇〉を一瞥する。
「メイヴ〝蒼薔薇〟スカイアナハの指揮下であんたらを追っていた。追跡部隊って奴の一員だ。だが、今日はそれを抜きでアンタに会いに来た。争うつもりはない」
「なに?」
ナージャが怪訝そうに肩眉を吊り上げる。
「信じてくれ。お互い封貝使いだから意味はないだろうが、こうして武器も帯びてない。話を、させてもらえないか?」
「えっと……はぁ、じゃあ……どうぞ」
「すまないね」
ア=ラーウォを名乗った女丈夫は、顎を引くように一礼する。
すると、慣れた身のこなしで板張りの床に腰を落とした。
他方、これまで一言も発さない〈蒼薔薇〉は真逆だ。
床にベタ座りという作法に不慣れなのは一目瞭然。
加えて、あぐらは矜持が許さないのかもしれない。
迷った末、片膝を立てた謁見の構えに似た座し方で落ち着いた。
そこへ見かねたサニィが床机と呼ばれる、低い椅子を運んできた。
「改めて、アタシはベズス・ア=ラーウォ。〈ゲー=メイ〉の御名にて封貝〈アペムベルテ〉を賜った百人長級のペルナマスターだ」
ア=ラーウォが両の拳を床に突き立てつつ、口火を切る。
ゴンと音が響いた。
「で、こっちがスカイアナハ侯爵令嬢。今回は、付き添いで来て貰った」
「メイヴ・スカイアナハです」
あくまで黒子に徹するつもりだろう。
紹介を受けた〈蒼薔薇〉は短く名乗り、また口を真一文字に結ぶ不動の構えだ。
「今日、この場を設けて貰ったのは、他でもない。どうしてもアンタに一言礼を言いたかったからだ」
「えっと、〈コード・カゥチギ〉の御名において封貝〈*ワイズサーガ〉を賜った姓をナンジョウ、名をカズマと言います。
――それで、お礼って?」
「肌の色が少し薄いから分かりにくいかもしれないが、アタシはオクスゥの血を半分引いている。母方が〈ロニンカ〉の出身で、外でアンカー系の父との子を産んだ。それがアタシだ」
言われてみれば、ア=ラーウォの骨太で頑強そうなアスリート体型は先住民族系の成人そのものの特徴を備えている。
肌も純血ほどよく焼けた小麦色ではないが、それを少し薄めたような褐色を帯びている。
混血というのは頷けた。
「アタシは外の文化で育ち、風神カントを信仰してる。火神を崇めるロニンカのオクスゥとはえない。でも、ロニンカと縁を切ってるわけじゃない。
むしろ逆だ。集落には母方の家族が大勢いて、そこの子どもらはアタシにとって妹や弟も同然の存在なんだ。あいつらのためなら、アタシはいつだって命張るつもりでいる」
両親の死後、自分のルーツを辿り訪れたア=ラーウォを、ロニンカ一族は思いがけず歓迎してくれたという。
それ以来、同胞ではないが友人として彼らとは強く結びついているのだ、と彼女は語った。
「そこにきて、今度の〈スリージィン〉の暴走だ。ロニンカの里は直接の襲撃こそ免れたが、近隣集落が〈スリージィン〉の餌食になって、自分たちも時間の問題だった。それで避難を繰り返し、最後にこのチュゴの大集落に辿り着いていたんだ」
状況を知ったア=ラーウォたちは、ただちにその足跡を追った。
仲間である〈蒼薔薇〉たちも同調してくれた。
だが、彼女たちは間に合わなかった。
以前にショウ・ヒジカの奇襲を受け、ア=ラーウォを含めた隊のメンバー複数が瀕死の重傷を負っていたことが主な原因だ。
一時的な戦力低下により、追っているはずのカズマたちとの力関係は逆転。
打って来られる危険性が出てきた。
動きの読めないショウ・ヒジカの再襲来も怖い。
失態を上層部に知られるのも問題だったため、姿を隠しながらの移動を強いられた。
「アタシらがここに着いた時、集落はもう水浸しだった。
愕然としたよ。――でもその時、甥っ子の声が聞こえたんだ。アタシから見ると、母親の妹の子でね。赤ん坊の頃から知ってる。
その子が、アンタを呼んでたんだ。それでアタシは、アンタらが命懸けでオクスゥを守ってくれてることを知った。
そんなアンタたちが助けてくれた女子供や老人の中には、アタシと血の繋がった大事な人たちが大勢いた」
「ああ……あの子ですか」
カズマはぽんと手を打つ。
「いやあ、僕もあの子には助けられましたよ」
「聞けば、アンタらは大した理由もなく駆けつけてくれたんだろ。
ちょっとした知り合いがいるって、ただそれだけの理由で一族のために身体張って、命かけてくれた」
そこまで言うと彼女は勢いよく頭を下げた。
拳の時同様、額と床がゴンという固い音を上げた。
「感謝してもしたりない。ありがとう!」
「そんな、大げさですよ。思いがけずお役に立てて良かったです」
「うむ。お前たちも、ようやく私とダーガの偉大さに気づいたようだな」
何故かナージャまでもが我がことのようにふんぞり返っている。
「えっと、じゃあ――」
カズマは頬をかきながら言った。
「今回の働きに免じて、しばらくは休戦っていうか、見逃して貰えると思って良いんですかね?」
「やむを得ないところです」
メイヴ・スカイアナハが長い沈黙を破って言った。
苦虫を噛みつぶしたような、不本意そのままの表情だ。
「まあ、そういうわけだ。今回は仕事抜きさ。アンタらが次、どこへ行くつもりか知らないけど、少なくともそこに着くまでは手出しはしないよ」
ア=ラーウォは「上官の分も」と言わんばかりに破顔する。
「なら安心ですけど、問題は〈分け火〉なんですよねえ」
カズマは脇にどき、黙してやりとりを観ていたオックスたちに視線を走らせる。
「凄く小さくなっちゃって、火葬もできないとかで」
「ああ」
神妙な顔つきに戻り、ア=ラーウォが首肯した。
「今回の襲撃じゃ三桁に及ぶ犠牲者が出たと聞いてる。遺体も、涼しい時期とは言えいつまでも放っておけるもんじゃない」
「なんか良い知恵はないですかね?」
「難しいね。アタシは所詮、外の人間だし。純血のオクスゥたちが知らないことはアタシも知らない。
むかし――統一戦争で全土が荒れてた頃、オクスゥも戦禍に巻き込まれて〈分け火〉を失う部族を出したらしい。
その時は、一度名を捨てて血筋の近い集落に吸収されたって話だ。で、その集落の一員として新しく名を授かるって感じだったようだね」
カズマは二人のオクスゥに確認の視線を向ける。
彼らは一つ頷き、ア=ラーウォの言葉が正しいことを認めた。
「消えてこそいなくても、〈分け火〉が象徴として機能しないほど小さくなってるなら……それこそ余所から分けてもらうか、火を一緒にしてもらうかするしかないんじゃないのかい? 何しろ 読んで字のごとく〈分け火〉だからね。元は一つのドデカい炎だったって伝説だ。それを分けて各部族に配ったのなら、また戻すことも、もう一度分けて貰うこともできるだろ」
「ふうむ……」
カズマは眉根を寄せつつ、〈*ワイズサーガ〉で顎をなでた。
ア=ラーウォの案が使えないことは分かっている。
以前、〈スリージィン〉に滅ぼされ、同じように〈分け火〉を失った小集落に行ったときのことだ。
精霊ドリュアスから、そのように聞かされた。
普通の焚き火と違い〈分け火〉の扱いはそう簡単なものではない――。
「団長ォ、何度も悪いけどちょっと良いですかねえ」
どこか気だるげな声が、また戸口の方から投げられる。
言うまでもなくサニィだ。
「ん――?」
「目が覚めたなら、起きてこれるかってオクスゥの偉い人が聞いてますよ。もし来れるなら、〈星読み〉とかいうのをしてくれるって」
「はあ、……なに? ほしよみ?」
地元民に顔を向けると、ネネが解説の口を開いた。
「〈星読み〉はオクスゥの語部が行う特別な儀式です。洗礼に近いもので、その者を司る星を読み、ちなんだ二つ目の名を授けます。これを経て、オクスゥは真に一人前と認められます」
「先生。これは普通、オクスゥの同胞しか受けられない儀式です。
外部の人に開かれるなんて凄いことですよ。長老たちの感謝のあらわれです」
オックスが興奮気味にまくしたてる。
「そうなの?」
「はい。少なくとも僕は、オクスゥの血を引いていない人が〈星読み〉の儀を受けたという話を知りません」
「ほう。特別住民票みたいなものかな。しんちゃん一家が神奈川県は春日部市から住民票を発行されたみたいな。いや、あるいは英国に貢献した人が〈勲爵士〉の称号を授かるようなものか」
カズマはにやりとして膝を打つ。
「何やらかっこいいな。もらっとこう!」
勇んで立ち上がろうとするが、三時間正座をしたあとのように上手く立ち上がれない。
極度の衰弱の影響なのは間違いなかった。
「団長、何か食べた方が良いんじゃないですか」
サニィが言った。
「私もそうすべきだと思うぞ」
即座にナージャが同調する。
「空虚な小部屋〉で足りなくなった生命力は呼吸とか食事とか、普通の人間の燃料補給と同じ手段で回復できる」
「そっか。でも、街は壊滅状態なんだよね。食料なんてあるの?」
「少しなら」
サニィが肩をすくめる。
「それに、団長に食べさせるのに文句を言う奴は今、この集落には一人もいないと思う」
「でもなあ……死ぬわけじゃないし」
「持ってくるよ」
サニィは強引に会話を打ち切り、戸口から去って行く。
しかたなく、カズマはア=ラーウォたちに顔を戻した。
「追跡部隊の人で、この集落に来てるのはお二人だけですか?」
「ああ、今んところはね」
ア=ラーウォが頷く。
「でも、仲間が遅れて合流する予定だよ」
重症者を連れているため、移動速度が遅いのだという。
「それまではどうされます? 集落はご覧のありさまですけど」
「アタシは復興を手伝うよ。ここでまたやり直すのか、移住するのかは分からないけどさ。
実を言うと、アタシもまだ本調子にはほど遠いんだけどね、でも並の人間よりは馬力も出るはずだ。色々と役には立てるさ」
そもそも彼女たちがロニンカの里を目指していたのは、落ち着いた場所で怪我人の治療に専念するためであったという。
脱落者がいたままでは部隊として機能しないからだ。
ならば、療養がてら被災地に留まり、復興支援というのは合理的な思考といえた。
それから幾つかの確認を取り合うと、追跡部隊の二名は辞去していった。
程なく、宣言通りにサニィが夕餉を手に戻った。
流石に献立は質素なものだったが、一口ひとくちが身体に染み渡っていく感覚があった。
砂漠をさまよう者が飲む冷水といったところだろう。
食事とは生命の糧を得るものなのだ。
そんな当たり前のことを、実感を伴って再確認させられる機会となった。
「さて、じゃあ行こうか」
まさに上げ膳据え膳。
サニィが空の食器を運んでいくのを見送ると、カズマはやおら立ち上がった。
途中、よろめく。
だが支えようとしてくれたナージャの手に触れることはなかった。
自力で体勢を立て直す。
「どうだ。動けるか、ダーガ?」
介助の手を差し伸べたままナージャが訊く。
「うん。でも、せっかくだからナージャと手を繋ぎたいな」
「もちろんいいぞ」
彼女は上機嫌で右手を差し出してくる。
生身の方でそれを握り返すと、驚くほどしなやかな感触が伝わった。
「では、先生。ご案内します」
戸口付近でスタンバイしていたオックスが、巫女と共にカズマを振り返った。




