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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
58/64

君のリーサル・フォックス

  057


 楠上カズマが到着したとき、既に襲撃と略奪は始まっていた。

 戦端は予想通り、北の外縁部で切られたらしい。

 そして一瞬にして形勢が決したのであろう。

 防壁があったと思わしきその一帯は、爆散した壁の欠片と同様、原型を留めないほど破壊された|死体で覆い尽くされていた。


 恐らくは防衛に当たっていた先住民族(オクスゥ)側の封貝使いだ。

 高い治癒能力を持つ彼らを、腕の一本を落としたくらいで無力化することはできない。

 そのため真っ先に狙われ、再生できないほど徹底的なやり口で殺害されたのだ。

 

 そうして防衛ラインを蹴散らした〈スリージィン〉は、勢いをそのまま内部へ侵攻。

 既に奥深くまで入り込んでいる。

 そこには慈悲も容赦なかった。

 むしろ徹底していた。


 特に、封貝使いが上空から繰り返す爆撃は、集落の姿を一変させていた。

 もはやそこにどんな街並みがあったのか――カズマには想像すらできない。

 まるで津波や地震の跡だった。

 建並んでいたはずの家屋は跡形もなく、濛々と土煙をあげる瓦礫野原と化している。


 火災もそこかしこで発生し、猛烈な勢いで延焼範囲を広げつつあった。

 その炎は家畜たちにも及び、恐慌状態に陥れた彼らに悲鳴をあげさせている。

 (たてがみ)を火で巻かれた農耕馬が、半狂乱になって暴れ回る気配も伝わってくる。


 炎上する家屋からたちのぼる黒煙。

 爆煙。

 蔓延する砂塵、土煙で、周囲は濃霧に包まれたかのように視界がきかない。

 

 それでも、やるべきことは見えていた。

 なにをしなければいけないのか、カズマにはもう迷いはなかった。

 カズマは今、武装した成人男性二名に挟まれる位置にあった。

 男たちはいずれも高い殺傷力を持つ刀剣類を帯びていた。

 その武器の使用、また殺人そのものにも慣れており、抵抗感も希薄という人種だ。

 すなわち殺人鬼である。

 

 さして手入れもされていない、汚れだらけ傷だらけの不潔な刀身。

 それでも妖しく鈍い光りを放つ刃物は、凶賊どもの豪腕に振り回されれば恐るべき威力を発揮するだろう。

 

 自然とイメージが膨らむ。

 かすめるだけで肌は易々と切り裂かれるであろう。

 途中、ぶちぶちと幾つもの重要な血管を切断し、簡単に骨まで達するに違いない。

 突かれれば、何の抵抗もなく脂肪と肉を潜り抜け、内臓のなかにまでざっくりと潜り込む。


 マンガやゲームで良く見る武器を弾かれるシーンも、現実にはあれほど綺麗には済まないはずだ。

 きっと激痛が走って武器を飛ばされたと思った時には、指も数本、一緒に切り飛ばされている。

 その断面から見える白い骨。

 真っ赤な肉。

 そして冗談のようにぴゅーぴゅーと吹き出る鮮血。

 

 日本にいた頃、彼らと対面していたら――カズマは何もできないに違いなかった。

 呼吸も忘れて、恐怖でその場から動けなくなるか。

 良くて(だっ)()のごとく逃げ出すか。

 

 なのに今、カズマは不思議と落ち着いていた。

 少なくとも恐怖に支配されてはいない。

 状況を正確に把握できている。

 思考はクリアだ。


 なにせ、周囲が良く見えていた。

 まるで高い所からチェスの盤面を見下ろしているような感覚であった。

 表情から敵の心理を透かして読み取ることができた。

 相手の次の一手が分かった。

 それに備える身体は適度にほぐれ、強張りは欠片もない。

 

「――遅くなってごめんね」

 カズマは盗賊らを無視して、地に()した少年へ言葉を投げた。

 児童と表現したくなる幼子だった。

 その華奢な体躯は、潰れた(カエル)のように這いつくばらされ、硬い靴底で踏みつけられていた。

 地に縫い付けられた昆虫標本さながらの姿は、いつかのカズマ自身に重なるものがあった。

 

 目の前でヨウコが拉致されようとしているのに、何もできなかったあの日――。

 巨獣の蹄に右腕を踏みつぶされ、ひしゃげた空缶のように地べたに転がされるだけだった、あのとき。

 涙で(にじ)む視界。

 薄れゆく意識の中。

 もうそこにいるかも分からない彼女を探し続けた、(みじ)めな記憶。

 自分が経験した無力感と絶望に今、押し潰されそうになっている少年がいる。

 

 カズマを挟んだその向かいには、凶賊に拘束された巫女装束の女の子がいた。

 記憶にあるネネと同じ装いだが、彼女よりは明らかに年少だった。

 恐らくは倒れた少年と同年代。

 一〇歳前後であろう。

 

 説明を受けずとも、一目で状況は理解できた。

 カズマは右手で握り拳を作った。

 それを胸の前にかざして、少年を見詰める。

 呆然とする彼と、視線が合った。

「勝てないって分かってる相手に、きみはひとりでがんばった。ここからは、ワイズサーガを使えばいい」


 封貝〈*ワイズサーガ〉は玉池サトミと楠上シゲンから授かったものだ。

 他人からの借り物である。

 少なくともカズマの中にはそういった感覚がある。

 では、なぜ彼らはこの封貝を与えてくれたのか。

 言うまでもなく、ヨウコ奪還のためだ。

 もっと言えば、力なき者が喪失したものを取り戻すため――ということになるだろう。

 

 奪われ続けるだけの弱者が、それでも世界の理不尽に、不条理に、自分より遥かに強大な何かに対抗するための武器。

 それが〈*ワイズサーガ〉であるならば、これは自分だけのものではなくなる。

 あまねく全ての抗う者たちに、この黒腕の拳を使う権利がある。

 

 だったら(ゆだ)ねられた人間として、正しい使用者を見つけ出さねばならない。

 自分だけでなく、他にも相応しい誰かがいたなら、届けなければならない。

 自分と同じく、彼が敗北を知りながら――それでも不屈であるならば。

 ワイズサーガを使えばいい。

 彼にかわってこの黒腕を振るわねばならない。

 

「僕は、そのために来たんだ」

「なんだてめぇはァ」

 聞き取れたのはそこまでだった。

 少年を踏みつけていた男が、意味不明な()(かく)()(たけ)びをあげた。

 口角から(よだれ)を散らし、猛然と襲いかかってくる。


 左利きなのか、血管の浮いた丸太のように太い左腕で剣を振りかぶっていた。

 小ぶりだが恐ろしく肉厚。

 枝を払うための工夫か、曲線的なフォルムを持つそれは、人間の指すら枝扱いでやすやすと斬り落してしまうだろう。

 だが、距離はたっぷり五歩以上。

 慌てる必要はなかった。

 

「――BUST (バスト)YOU(ユー)

 カズマはほとんど唇の上だけで短く口訣する。

 瞬間、何かに引っぱられるような――吸い寄せられるような強烈な感覚が全身を襲う。

 そしてカズマは、世界から消えた。

 消えたと同時、男の背面に現れる。

 

 振り返り、山賊の(けん)(こう)骨あたりに、ギターピックに似た一対の紅いシンボルが付着しているのを、カズマはちらと確認した。

 そのままがら空きの背中に一撃いれても良くはあった。

 しかし、カズマはあえて倒れた少年の方へ向かった。

 

 ゆっくり二歩歩き、彼が起き上がるのに手を貸す。

 その幼い身体に容赦のない暴力を加えられていたのだろう。

 カズマに支えられてなお、少年は立ち上がるまでには到らなかった。

 片膝をついた状態で苦痛に顔を歪ませている。

 それでも脂汗を浮かせた顔を、すぐにカズマへ向けてきた。

 

「あん、たは……」

 カズマが返答の口を開きかけた矢先、〈スリージィン〉の賊徒が背後を取られたことに気付いた。

 ばっと身体ごと振り返り、

「てめぇ、封貝使いかッ」

 顔から血の気を引かせながらの叫びであった。

 カズマは無視して少年に顔を戻した。

 

「僕のことは――そうだな、とりあえず人型の封貝とでも思ってくれればいいよ」

 そんなものがあるかは知らないけど。

 胸のうちで付け加えながら微笑む。

 少年は血だらけの口をぽかんと丸くあけた。

 カズマはその肩にワイズサーガの右手を置いた。


「どうにもならないし、勝ち目なんてこれっぽっちもないこと、自分が一番良く知ってて。なにやっても無駄で、時間稼ぎにもならないことだって、もうとっくに分かってるけど。

 それでも自分よりずっと大きなものに向かっていくって決めた人――」


 それは自己犠牲に似ていて、それとはまるで異なる何かだ。

 正しいとか、間違ってるとかではない。

 意味のありなしや、無駄がどうとかいうことでもない。

 たぶん、究極的には誰かのためですらないのだろう。

 

「負け続けの戦いを挑み続けて、誰も知らないところで消えていこうとしてる。そんな人だけが最後の最後に使える、今日限り、一度限りの封貝」

 カズマはゆっくり肩から右手を放し、少年の前で拳を形作った。

「それが、〈*ワイズサーガ〉。僕のことは、人の姿をしたキミの封貝だと思ってほしい」

「俺、の……」

 つぶやく少年が、次の瞬間、はっと息を呑んだ。

 

(うし)……ッ」

 彼が言い切るより早く、野盗は得物を一閃させていた。

 無音で忍び寄り、背後から急所に一撃。

 カズマの首筋を正確に狙い定めたその致命打は――しかし(すん)での所で不可視の壁に跳ね返される。

 甲高い金属音が耳障りなノイズを交えて周囲に響き渡った。

 

 少年が丸くしていた目を、さらに見開く。

 警告は間に合わなかった。

 なのに、敵の背面奇襲(バックスタブ)は防がれた。

 彼の目には、カズマが危険を予知でもしたかのように見えたのだろう。

 

 実際、カズマは振りすらしなかった。

 それどころか、指の一本も動かしていない。

 ただ、タイミングを合わせ、口訣省略で〈防御用封貝(デルタ・ワン)〉を召還しただけだった。

 

 そもそも地上に降り立ったとき、最初にカズマが行ったのは〈*ワイズオレイター〉の無口訣(さん)()だ。

 目に見えない極小サイズにまで縮めた――音を集め、音を発する性質を持つ――ユニーク封貝(ペルナ)を無数にばらまいたのである。

 

 これらは敵の周囲に花粉のごとくまとわりつき、本来、人間の聴覚では聞き取れないほどの微音すら(ひろ)い上げる。

 息(づか)い。

 (きぬ)()れ。

 心拍音。

 ことごとくを(あるじ)――楠上カズマに伝え聞かせる。

 

 その中にあっては、忍び足など何の意味もなさない。

 たとえ熟練盗賊(マスターシーフ)(わざ)であろうと、砂利石の上を騒々しい足音をあげて歩いているようなものだ。

 ナイフを振りかぶる動作すら、衣服の摩擦音で完璧に察知できる。

 ときにそれは目視による確認よりも正確で明瞭だ。

 

 そうして展開された頑強な壁を、剣でしたたかに殴りつけてしまったのだ。

 単に腕が(しび)れるどころでは済まない。

 手首にかなりのダメージを負ったのだろう。

 低い唸りをあげつつ盗賊がバックステップで遠ざかっていくのが――また音で――分かった。

 もはや疑う余地はない。

 彼らは封貝を持たない(ただ)(びと)だ。

 カズマは警戒レヴェルを一ランク下げ、向き合った少年に意識を戻す。

 

「ほんとうに、封貝……俺の……」

 幻でないことを確かめるように、彼が震える手を伸ばしてきた。

 カズマは、その指先が遠慮がちに〈*ワイズサーガ〉へ触れのを、そのまま許した。

「そう。僕は、キミの〈切り札(リーサル・フォックス)〉だよ」

 自然と微笑が浮かんだ。

「自分にその資格があると思うなら口訣して。きっと、封貝は(こた)えるから」


 言葉の真意を探るように、少年はじっとカズマの(そう)(ぼう)を見詰め返した。

「助けて、くれる……のか……これは、夢なのか?」

「助けるんじゃない。封貝は道具。手段だよ。少なくとも僕は、主の気持ちを力に変える」


 少年は、どこか安堵したように笑んだ。

「だったら……負けっこ、ない」

 それで張り詰めていたものが緩んだのだろう。

 少年の意識が急速に混濁していくのが分かった。

 瞳から力が失われ、焦点がぼやけはじめている。

「知ってるよね。普通の子どもにだって有名なんでしょ? 封貝の切り札の口訣――」

 少年の手を握り返しながら、呼びかけるように言った。

 

 彼が注意していなければそれと分からぬほど微かに頷く。

「俺の……、今日だ、けの……」

 花が(しお)れるのを数倍速で見るようであった。

 言葉と共に少年は急速に力を失い、徐々に(うな)()れていく。

「ハイオー君ッ」

 背後で小さな巫女が悲鳴じみた叫びをあげた。

 今はそれを聞き流し、カズマは黙って待った。

 経験者として、少年の気持ちは痛いほどよく分かる。

 

 ――一度きりでいい。

 命と引替えでも。

 もう二度と使えなくたって構わない。

 もし、戦う意志を力に変えられるなら。

 想いの強さがそのまま力になるなら。

 今この瞬間、自分は誰にも負けたりしない。


 君はやっぱり、あのときの僕なんだ。

 そう思った。

 違いがあるとすれば、カズマに奇跡は起こらず、少年の元には機会が訪れた。

 そして、少年はその機会を逃さなかった。

 残った気力をすべてかき集め、それを言の葉にかえた。

 

「リィ……サル・フォックス」

 最後はもうほとんど吐息だった。

 それでもカズマの〈*ワイズオレイター〉は聞き逃さなかった。

 口訣は成された。

 崩れ落ちようとする少年を、カズマはすんでのところで抱き支えた。

 その場にゆっくり寝かせた。

 胸は呼吸に合わせて上下している。

 命に別状はないのだろう。

 血だらけの、しかしどこか穏やかな顔を眺めながら、カズマは立ち上がった。

 

「ワイズサーガのカズマ。求めに応じ〈コード・カゥチギ〉の御名においてキミの切り札になろう」

 覚え立ての仁義を切り、反転した。

 敵と対峙する。

「う、動くんじゃねえッ」

 目が合った瞬間、〈スリージィン〉が金切り声をあげた。

 カズマを直接倒すのは諦めたということか。

 剣を持った方が、もう一人によって羽交締めにされている巫女に近付き、喉元に得物を突きつけている。

 

「指一本でも動かしたら、このガキの首()(さば)くぞォ」

 カズマは構わず頭の中で〈遠距離用封貝(フォックス・ツー)〉を念じた。

 それは音もなく、瞬時に現れた。

 普段より二回りは小さいピンポン球大。

 凶賊の手元に二個の白玉が浮いている。

 視線をカズマに張り付かせた野盗たちは、いずれもそれに気付かない。

 想像もしていないのだろう。

 

「大丈夫だからね」

 カズマは巫女に微笑みかけると、無造作な足取りで歩き出した。

「おいッ。動くんじゃ……」

 剣を持った方が慌てて()(かく)の声をあげかける。

 だが直後、その身体は感電したように跳ね上がった。

 信じられないものを見るように、自分の手元へ視線を落とす。

 それでようやく、野盗たちは抜身の刃が上下からぴたりと白い封貝に挟まみ込まれていることに気付いた。


 一個だけでも、八〇キロ台を誇るエリック・J・アカギの全体重を軽々支えてみせる球体だ。

 それが万力のように剣を挟み、締め上げている。

 成人男性が腕一本でどうにかできるものでは到底なかった。

 火鉢に触れてしまったかのように、剣の野盗は武器から手を離した。

 胸を押されたように二、三歩後ずさる。

 

 カズマはその(すき)を見のがさなかった。

 口訣省略にて素早く〈*ワイズピック〉を召還。

 野盗の身体にピック状のマーカーを貼り付けるや、

LOCK YOU(ロック・ユー)――」

 間髪入れず追加口訣を結ぶ。

 例の吸い込まれるような強い引力に全身が包まれる。

 と同時、カズマは一瞬で間合を飛び越え、野盗のいた場所に出現した。

 移動距離分の加速度をそのままに、〈*ワイズサーガ〉を相手の胸板に叩き込む。

 

 肩関節が外れそうなほどの反動が腕から全身を突き抜け、カズマの臓腑を激しく揺らした。

 だが、相手にくらわせた衝撃はその比ではない。

 〈スリージィン〉の身体が人体とは思えない勢いで吹っ飛んでいく。

 弾かれたボーリングピンさながら。

 ぴぃんと伸びきった人体が縦回転しながら舞い上がっていく様は、なにか(たち)の悪い冗談のようにさえ見えた。

 

「か、勘弁してくれッ」

 残ったひとりが、放り出すように巫女の拘束を解く。

 そのまま慌てふためき数歩後退し、すぐ足をもつれさせて尻から崩れ落ちた。

 それでも諦め悪く、ずりずりとカズマから距離をとり続ける。

「もうこいつらに手は出さねえ。もともと、嫌々命令に従ってたんだ。オウバルパの奴に無理やり駆り出されたんだよッ。俺らだってこんなの――迷惑だったんだ!」


「で? 〈スリージィン〉はやめて、許してと泣いて頼む人たちに慈悲をかけることがあったのかな」

 カズマは放り出された巫女に歩み寄りながら、野盗に向けて問うた。

 ふらつく巫女の肩を抱きとめ、身体を支える。

 彼女は少なくとも少年のような酷い殴打を受けてはいなかった。

 唯一、右耳の付け根から鮮血が伝っているが、救急治療を要するほどの傷ではないだろう。

 

「彼を()ててあげて」

 小声で語りかけると、巫女はすぐに「はい」と応えて走りだした。

 カズマは改めて野盗と対峙する。

 冷ややかに見下ろした。

「あの子たち――先住民族(オクスゥ)たちは自分たちより強い〈スリージィン〉と戦おうとした。

 その〈スリージィン〉は、自分よりちょっと手強そうな相手と会った瞬間、あっさりへりくだるのか」


「そいつらが馬鹿なだけだ。弱い奴には弱い奴なりの生き方がある」

「生き方? 生きることを認めなかった結果がこれじゃないのかな」

 カズマは集落を見回した。

 倒壊した家屋。

 あちこちに散らばる切断された無数の指。

 封貝で木端微塵に砕かれた人体の破片。

 炎上する厩舎から飛び出し、暴れ狂う火に巻かれた家畜たち……。

 

「お望みなら、生きることまでは否定せずにおくよ」

 しかし、報いは受けねばならない。

「――〈*ワイズオレイター(Fox 2)〉」

 カズマは()えて口訣した。

 標準形の白い球体を一二個、一気に呼び出す。

 宙に浮かぶ封貝の群れを見た男が、顎を震わせ半狂乱で戦慄(わなな)いた。

 

「やめ……やめてくれ。降参だ。謝るッ。勘弁してくれぇ」

 球体たちは無慈悲だった。

 三個ずつのグループを成し、それぞれに分かれて男の四肢に手(かせ)足枷と喰らい付いていく。

 先ほどの剣の再現だ。

 両腕両脚を左右と上から挟み込み、徐々に締めあげはじめる。

 

「ふッ――ぐぁあ……ァ!」

 盗賊は痙攣するように全身を震わせ絶叫した。

 ()(ちょう)する顔面は紅潮を超えてもはや黒紫に染まっている。

 唇の端には唾が泡状になって浮いていた。

 その間にも〈*ワイズオレイター〉の群れは、互いの隙間を容赦なく詰めていく。

 調味料の一(しょう)瓶が通る大きさから、五〇〇ミリのペットボトルのサイズに。

 ドレッシングのボトルの細さへ。

 そして、三色ボールペンを挟めるまで――


 カズマ以外に、骨の破砕音はほとんど聞こえなかっただろう。

 獣のような男の悲鳴でかき消されたからだ。

 どうあれ、男の手足は途中からあり得ない方向に曲がり、力なくぶらりと垂れ下がっていた。

 もう剣を握ることも、立つこともできない。

 

「とりあえず、僕からはこの辺にしておくよ」

 カズマは事務的に告げた。

 白目を剥いた男に言葉が届いているかは、もはや定かでない。

 興味もなかった。

「あとで君を発見したオクスゥたちが、これで裁きは充分だと思うかは別問題だけどね」

 言うだけ言うと、カズマは巫女と少年の元へ向かった。

 

「えっと、大丈夫?」

 声をかけると、目尻に涙をためた巫女が振り返った。

「はい。あの……助けていただいて……」

「さっきも言ったけど、助けたんじゃないよ。君を助けたのは彼だ」 

 だが、その言葉は彼女を混乱させるだけだったらしい。

「貴方は、その、本当に封貝なのですか?」

「あー、その辺はあんまり詳しくつっこまないで」

 手を振りながら苦笑する。

 

 自分が人型の封貝は良いとしても、だとしたら盾やスピーカー型など、封貝がさらに封貝を使うという極めて不自然な構図ができあがってしまう。

「君は巫女さん? もしかしてネネさんの知り合いかな」

 それで思い出したのか、小さな巫女は全身を強ばらせる。

「ネネ姉様ッ」

 叫び、いきなり取りすがってくる。

 

「えっ」

 鼻白むカズマの衣服をくしゃくしゃになるほど握りしめ、(おさな)巫女は悲痛な叫びをあげた。

「お願いします。どうか、姉様をお助けて下さい!」

「――ってことは、妹さん?」

 問うが、彼女は激しく(かぶり)を振るばかりであった。

 妹であることを否定しているのか、何かを恐れているのか、判別は難しい。

 

「ネネさん、どうかしたの」

 カズマは低く問うた。

 彼女がようやく答える。

「オウバルパという野盗の頭領に連れて行かれて――」

「どこに」

「祭壇です。中央広間の……そこで」

 彼女の(まなじり)からぽろぽろと大粒の涙が零れだした。

 

「そこで、処刑する――公開処刑だって」

「分かった。中央広場、オウバルパだね」

 彼女の小さな手を包み込むようにして握った。

 すると徐々に彼女は指先から力を抜いていった。

 やがて、するりとカズマの衣服を放し、離れていく。

「僕はあまり強くない。でも、頼りになる封貝使いの仲間を何人か連れてきた。やれるだけのことはやってみる」


「どうして……?」

 彼女は心底不思議そうにカズマを見上げた。

 涙が頬を伝っていく。

「貴方は先住民族(オクスゥ)でもないのに」

「はは、なんでだろうね」

 まったく、自分はなにをやっているのか。

 改めて自問のひとつもしたくなる。

 

「ただ、気にくわなかったんだ。……気にくわなかったんだよ」

 ヨウコの拉致には、超大国ユゥオがなんらかの形で関与している可能性がある。

 その彼女を取り戻そうというのだ。

 客観的に見るなら、オクスゥが〈スリージィン〉を相手にするより遥かに分が悪い挑戦なのだろう。

 

「もし、ここでオクスゥの力になれたら、僕はもっと酷い――到底無理そうな困難にも、なんとか向かっていける自信を持てるかもしれない」

 自然と浮かんだ笑みは、小さな巫女へ向けた慈しみのものか、あるいは自嘲のものであったのか。

 自分でも分からない。

 

「僕はいくよ」

 立ち上がって言った。

 それから指輪に向かって呼びかける。

「――ドリュアスさん」

 (すい)(りょく)の貴婦人は即座に反応した。

 透き通った薄緑色の燐光が指輪からあふれ出し、踊るように渦巻きながら女性の輪郭を形作っていく。

 気付けばそこには、森の精霊が静かに(たたず)んでいた。

 

「お呼びですか、オウル・オ・イレス」

 鈴振るがごとき玲瓏な声は、ただそれだけで音楽的に響く。

「この場をお願いできますか。これ以上、殺生や略奪が行われないように、たくさんの遺体で場が陰相に近付いてしまわないように」

「承りました。お任せ下さい」

「僕は元凶をなんとかしてきます」

 言いながら、前方の空間へ無口訣で〈*ワイズピック〉を射出する。

 名の通りギターピックを彷彿とさせる真紅のマーカーが、空高く飛んでいく。

 やがて五〇メートルほど先の上空に達したところで、それはシールのようにぴたりと空間に張り付いた。

 

「どうかお気を付けて。ご武運を」

 精霊が艶然と笑む。

「ありがとう。行ってきます」

 言って、追加口訣しようとした矢先だった。

「あのっ」

 巫女の声にカズマは動きを止めた。

 

「貴方は……貴方様は、〈ほむら〉……なのですか?」

 でなければ(つじ)(つま)が合わない。

 そんな表情で彼女が訊いた。

 天使か悪魔にでも直面しているような目の輝きだった。 

 ――ほむら。

 だが、カズマにそんな響きの言葉は聞き覚えがない。

「よく分からないけど、僕はワイズサーガのカズマだよ。多分、それ以外の何者でもない」


 今度こそ、「BUST (バスト)YOU(ユー)」を口訣する。

 腰に巻きつけられたロープを、全長一〇メートルの巨人に思い切り()()られたかのような感覚。

 加えてエレヴェータの上昇時に感じる類の酩酊感と、血流が止まるほどの凄まじい加速度に耐えながら、カズマはマーカーの位置まで一気に空間跳躍した。

 そして空中に放り出された身体が落下を始めるより早く、マーカーを射出。

 再度、跳躍する。

 この転移を何度も繰り返す。

 

 途中カズマは、制空権を取っていた〈スリージィン〉たちが数を減らしていることに気付いた。

 辺り構わず上がっていた爆煙と爆音も鳴りを潜めている。

 あちらを任せていたナージャとレイ・ムカイザーノの活躍だろう。

 遥か上空を不規則な動きで飛び回る紅い光点が見えた。

 彼女たちが計算通りの働きをしてくれているのだ。

 

 もっとも、〈スリージィン〉の封貝部隊も雑魚ばかりではない。

 事前に集めた情報によれば、主戦力になっているのはムウブなる青級封貝使いを頂点とする支部員たちである。

 このムウブの元にはもう一名、青級の部下がいると聞く。

 ――青級(ブルー)

 ナージャと同格と(もく)されるランクである。

 カズマでは一分も相手をしていられない遥か格上だ。

 加えて、ムウブは白級や無印級の部下を何人も(よう)している。


 一方で、こちらはマオが〈青薔薇〉戦でのダメージから戦線を離脱している。

 また、単独で情報収集に向かったトーリ・〝鉄拳〟・クゥガーの合流も間に合っていない。

 派閥としては力半分の状態だ。

 戦力的に大きく不利な状況と言える。

 楽観はできない。


 カズマは〈*ワイズピック〉を上向きに射出して、高度を上げた。

 ――近い。

 そう確信できるのは、ずば抜けて強大な封貝使いの気配を感じるからだ。

 間違いなくこれが〈氷狼〉なのだろう。

 情報によれば、〈氷狼〉の異名をとるジン・フェイジョーは、高位幹部オウバルパの護衛だ。

 常に(かたわ)らに付き従い、これを守護している。

 逆に言えば〈氷狼〉がいるところにはオウバルパがいるのだ。


 噂が事実だとすると、彼の実力は青級のさらに上、百人長級(グリーン)に匹敵するという。

 インカルシ護士組の隊長クラス――すなわちケイスやマオ・ザックォージ、トーリ・クゥガーらと肩を並べる手練ということだ。


 ――このままかち合ったら、多分、丸きり反応できずに初撃で殺されちゃうかな……?

 カズマは思わず固唾を飲んだ。

 その事態を避けるため、〈氷狼〉対策にはケイスを当ててある。

 彼の姿がまだ見えないのはトラブルで遅れているのか、身を隠してカズマの到着を待っているのか――

 前者ならカズマの命はないが、迷っている時間はなかった。

 

 中央広場はもう目前に迫っていた。

 耳もとでびゅうびゅうと渦巻く風の音を聞きながら、カズマは目を()らす。

 先住民族(オクスゥ)の集落はどこも同じで、上から見ると巨大な円形を成している。

 〈分け火〉を(まつ)(さい)(だん)広場が全ての中心にあり、そこから放射状に道と街並みが広がっていく。

 チュゴ族の広場は〈大集落〉を(うた)うだけあって、カズマが知る少ない比較対象の中では群を抜く規模であった。

 うちの高校の校庭(グラウンド)くらいはあるかな――。

 半ば現実逃避気味にそんな印象を抱く。

 

 その広場には多くの先住民族たちが集められていた。

 全住民の七、八割に及ぶだろうか。

 これをわずか数人で統制しているのは、武装したオウバルパの手下たちだ。

 恐怖と力。

 羊を追い立てる牧羊犬の原理である。

 

 ただし、牧羊犬は家畜を襲うことはないが、野盗にとってオクスゥたちは獲物だ。

 村人たちの大半は陵辱や拷問の対象となり、遠目にも肌の色より血の色の方が目立った。

 

 それでも、ナチスの収容所へ送られるユダヤ人のように、オクスゥたちはほとんど抵抗の気配を見せていない。

 既に戦士たちが殺されるか無力化されていることもあり、抗う力もないのだろう。

 残ったのは老人や女性、そして子どもが主であり、その彼らが蹂躙されているのだ。

 カズマにも、彼らがあげる悲鳴と慈悲を請う叫びがはっきり聞こえ始めている。

 

 同時に気付いた。

 天を(こが)さんとばかり(こう)(こう)と燃え盛る〈原初の分け火〉とその祭壇の手前、一際目立つ集団がある。

 なかでも異様なのは横一列に並べられ、地べたに組み伏せられた四人の存在だ。


 先ほど見た幼巫女と同じ白装束の女性。

 小柄な若者。

 意匠を凝らした長衣の老人。

 なにより、自らが生んだ血溜まりに沈むように伏している戦士風の男。

 その(おびただ)しい出血は、すっぱりと切断された右腕が原因なのだろう。

 

 四人のうち三名が顔見知り――巫女のネネであり、友人のオックスであり、そして死にかけたオキシオだと気付くまでに時間はかからなかった。

 彼らはそれぞれ武装した〈スリージィン〉の兵に拘束され、うつ伏せの状態から動くことを許されていない。

 その上で、凶賊どもは四人の前に数名ずつ村人たちを引っ張り出して、見せつけながら拷問にかけていく。

 

 ――「これがお前らがやらかしたことの結果だ」。

 「てめえらの行動が(まね)いた結果だ」。

 そう繰り返しながら若い娘を集団で強姦し、泣き叫ぶ幼い子の耳や指を切り落とす。

 最後は高笑いしながら斬り殺し、次を引っ張り出してくる。

 その流れが既に複数回繰り返されていることは、近くに積み上げられた死体の山が物語っていた。

 

 ようやく、あと二度転移すれば到着、という地点へカズマが差しかかったときだった。

 斬り刻まれていた四、五歳ほどの女の子にとどめが刺された。

 野盗のひとりが、喉元を鋭利な刃物で真一文字に切り裂く。

 家畜を屠殺するような作業そのものの動きであった。

 だがそれは、幼女にとってはある意味で苦痛からの解放――救いですらあったのかもしれない。

 凄惨な拷問を続けられた彼女の小さな四肢は幾つかが欠損し、全身が鮮血にまみれていた。

 

 そのすぐあと、隣で犯されていた全裸の娘も殺害された。

 (くび)の骨をねじ切るようにへし折られて、だらりと動かなくなる。

 彼女たちの遺体を数人がかりで担ぎ上げるのは、剣で脅され、あるいは人質を取られた、同じ先住民族(オクスゥ)の男たちであった。

 広場の片隅に作られた死体の山へ、命じられるまま同胞の(なき)(がら)を運んでいく。

 積み上げていく。

 次の知り合いが拷問され、処刑される空間をあけるために。

 

 一方、オウバルパの部下たちは、マジックショウの協力者を観客席から集めるかのように、次の標的の物色を始めていた。

 顔を伏せ、震えて祈るオクスゥたちの間を歩きまわる。

 そうして下卑た笑みと共に、犠牲者を選び出す。

 毛髪を力任せに引っ張り上げられ、またひとり妙齢の女性が人生の終わりを宣告された。

 半狂乱になって泣き叫ぶ彼女の声が広場に響き渡った。


 その腰にとりすがる中年の女は母親だろうか。

 だが、女はすぐ野盗から足蹴にされて強引に引き()がされる。

 倒れた母に手を延ばす少女は、しかし腰に腕を回されて野盗に担ぎ上げられた。

 彼女の足が地面から離れる。

 そのまま強引に祭壇前へ――処刑台へとひっ立てられていく。

 

 それからのことは、もうほとんど記憶にない。

 ただ、ツンと鼻の奥が熱くなった。

 頭の中で何かが切れるような、ぶちんという音も聞いた気がする。

 だが、一瞬で沸点に達した頭に残っているのはそれだけだ。

 

 気付いたとき、カズマは地上にいた。

 恐らく広場上空に達した時点で、〈*ワイズピック〉を下向きに射出したのだろう。

 そして、娘を連行していく野盗に照準をつけ、間髪入れずに転移した、といったところか。

 

 カズマは右腕の芯に重く伝わる痺れにも似た衝撃で、ようやく我に返った。

 急降下の勢いをそのまま威力に転嫁した一撃は、野盗を足元に文字通り叩きつけていた。

 三〇階建ての高層ビルから転落してきたような勢いで、男は石畳を叩き割りながら地面に激突。

 ばんという銃声に似た音を上げて、一メートルほど大きくバウンドした。

 そして浜に打ち上げられた海藻のように動かなくなる。

 封貝使いではなかったらしい。

 即死であったのは一目瞭然であった。

 周囲のあちこちから悲鳴があがった。

 それらの全てを無視して、カズマは歩き始める。

 

「あ? なんだてめえは」

 祭壇の前、ショウを(たの)しんでいた男が、口元に浮かべていた笑みをすっと引かせていく。

 どこから持ち込んだのか、背もたれの長い椅子から腰を上げると同時、鬱陶しげに長衣の裾を払う。

 上級幹部オウバルパ・ジィンファウス。

 

 病で()けたような肉付きの薄い相貌は、噂に聞くままだった。

 落ち(くぼ)んだ眼窩からは、ぎらつき血走った、それでいて腐った魚のような(にご)りが同居する(そう)(ぼう)がカズマ()めつけている。

 

先住民族(うじむし)どもの同類には見えねえな。だがブウムの手下にゃ、てめえみたいなガキはいなかったはずだ」

「…………」

 敵と見なしたのだろう。

 オウバルパのすぐ後ろ、女性のような長髪をまっすぐ背に下ろした青年が、さっと主を背に守る位置へ素早く移動する。

 その凄まじい威圧感ですぐに分かった。

 この男こそ〈氷狼〉である。

 

 オウバルパはその百人長級の肩に手をかけ、無言で横にどかせた。

 ずいと一歩進み出る。

「つまり、あれか」

 にやりとして続ける。

「お前、正義の味方ってわけか」

「こっちにもそういう言い回しがあるんだ?」

 カズマは言うと、オウバルパから視線をはずした。

 かわりにその場で軽く腰を屈める。

 そして、足元に横たわる若い女性に手を差し伸べた。

 殴り飛ばした野盗に、祭壇へ連れ出されようとしていた娘だ。

 

「平気? 怪我はありませんか」

 転倒時、背中を打ち付けたのだろう。

 女性は答えようとして軽く()きこんだ。

 混乱して見えるのは状況のせいか、放り出された衝撃のせいか。

 いずれにせよ頬に筋を残すだけで、流れていた涙はもう止まっていた。

 

「あの――」

 彼女は長い睫毛(まつげ)を揺らしながらしばたたき、戸惑いがちに手を握りかえしてくる。

 カズマは彼女を立ち上がらせ、目立った外傷がないのを確認した。

「さっきの、お母さんかな? 彼女のところに行って、なるべく遠くまで離れていてください」

 言うと、背に手を回して彼女を行かせた。

 なにか言いたそうに口を開くのが見えたが、無視して前を向く。

 

 娘の背は、軽く触れただけで薄さ、華奢さが分かるほどだった。

 これが壊されるのを防げた。

 少なくとも、彼女は泣き止んだ。

 その事実が、カズマを奮わせる。

「で、なんの話だったかな」

 軽く首をひねり、歩き出しながら続けた。

「僕が何者かだっけ」

 思いだし、カズマは欧米風に肩をすくめてみせる。


「正義とかそんなのは関係ないよ。上から見てたら偶然、妙にイラつく感じの頭頂部が目に入ったんで、ついカッとなって気付いたらぶっ飛ばしちゃってただけで。

 彼、知り合いだったりした? ごめんね。でも、よくある話でしょ?」

「――ほう」

 なかなか面白いことを言う。

 そんな笑みだった。

 

「そういえばキミの顔もなかなかどうして、さっきの頭頂部に負けず劣らずな感じだね」

 カズマは挑発的に口角を持ち上げ、〈*ワイズサーガ〉でぴたりとオウバルパを指差した。

「カルシウム不足なのかな。今日は気に入らないものを相手構わず殴りたくなる日みたいだ」

「そいつも、よくある話か?」

「よくある話だね」


「おい。随分と勢いよく吠えてるが、この俺が誰だか理解してはいるんだよな、小僧。

 それとも何も知らない馬鹿か?」

「そちらこそ、僕が誰だか気付いてるのかな」

 カズマは足を止めた。

「ちょっと前の話だけどね。()()だと思って襲いかかった隊商にあっさり返り討ちされた、頭の悪い山賊団がいたんだけど。

 僕、その事件の関係者なんだよね。ちょうど通りすがったもんだからさ。商人のひとに手を貸したんだよ」


「な、に――?」

 相手の眉がぴくりと震えるのを確認し、カズマは続けた。

「ちょっと強く殴りすぎちゃったのかな? 軽く()でただけのつもりだったのにねえ。

 泣いて逃げ帰った山賊は、あとで何人か死んじゃったとかなんとか。まあ、自業自得だけどさ」

 途端に、オウバルパの表情が変わった。

 

「てめえ、まさか……」

「リースゴ君っていうんだっけ、その笑えるモヤシ山賊は」

 カズマは(あお)り口調を深めて続ける。

「大物のお気に入りだったとかで噂になってるらしいね。

 いやあ、弱かったよ彼は。

 まあ、ほんとはそんな雑魚、顔も覚えてないわけだけど」


「てめえか……」

 関節を白く浮かせて、オウバルパが両の拳を握りしめる。

「てめえがぁッ」

 ぶるぶると(はた)目にも明らかな拳の震えは、腕から肩へ伝播し、瞬く間に全身に広がっていった。

 頬の皮膚までもが痙攣気味に引きつりはじめる。

 

「おや、お知り合いでした? メンゴ、メンゴ」

 カズマは片目を閉じて、軽い口調手で舌をだす。

「でもまあ、これもよくある話じゃない?」

 と、そのとき〈氷狼〉が動いた。

 一歩、踏み出したかと思った瞬間、その姿がかき消える。

 カズマも、なんとかその動きの一部を目で追えはした。

 消える直前までの初動と、懐に入り込まれてから攻撃までのモーション。

 そこだけは認識できた。

 それだけだった。

 見えることと対応できることとは、あまりに違う。


 封貝も使わずに〈*ワイズピック〉並――!

 戦慄しながら、自分の生命を絶つべく放たれた一撃をただ凝視する。

 死の予感した本能が全身を硬直させる。

 反応できない。

 防げない。

 避けられない……

 見ているしかない。

 

 しかし、それで良いことをカズマの理性は知っていた。

 広場に下り、オウバルパとの会話で時間を稼いでいる最中のことだ。

 耳に仕込む〈*ワイズオレイター〉ごしに入った連絡こそが、その根拠だ。

 

 ――すまん。遅れたが今、開始位置に着いた。

 

 彼はそう合図し、また経緯の短い報告も寄越した。

 それによれば、受け持ちの南側に回り込む途中、集落を脱出する子どもの一団を発見。

 だが、彼らの動きは〈スリージィン〉に読まれていた。

 待ち伏せを受け、全滅しかけていた所に介入し、救出してきたのだという。

 その分、広場への到着が少しだけ遅れたのだ。

 

 ――だが、もういつでも出られる。

 

 そしてカズマは、彼が言葉を(たが)える男でないことを知っていた。  

「……ッ!」

 鼓膜に突き刺さるような金属音が周囲に響き渡る。

 同時、目の前で凄まじい火花が散った。

 己の放った必殺の一撃が、(はた)から完全に受け止められた。

 想定外の現実を前に、〈氷狼〉が狼狽を(あら)わにする。

 だが、それも(しゅん)(もく)のこと。

 後ろへ大きく跳躍して間合を取ったとき、彼は再び鉄仮面を被り直していた。

 

「――無事か、カズマ」

 声の主、ケイス・ヴァイコーエンが背中ごしに振り返った。

「ええ。助かりました」

 礼を言うと、彼は素早くひとつ頷き、改めて〈氷狼〉と対峙の構えを取る。

「お前の相手は(こっち)だ」


 それは、〈氷狼〉をして迷いの生じる言葉だったのだろう。

「ぬッ……」

 眉間に微かな皺を寄せ、ジン・〝氷狼〟・フェイジョーは見比べるように主と敵を交互に見やる。

 もう一押しか。

 カズマは隠していたレイダーの認識票(ライセンス)を引っ張り出しながら、ケイスの影から出た。

 

「――僕は無印(ブランク)クラスのレイダーだ。そっちは一つ上の白級(パール)らしいけど」

 オウバルパを真っ直ぐ見やりながら続けた。

「〈スリージィン〉も上級幹部様となると、格下相手でもひとりじゃ戦えないのかな?」

「はっ」

 顎を上げながら、オウバルパが唇を歪める。

 目は笑っていない。

 顔の位置が戻ったとき、口元からすら笑みは消え去っていた。

 

「いけ、ジン」

 冷ややかに命じる。

「小僧は俺がやる」

「だ、そうだ」

 すかさずケイスが顎をしゃくった。

「場所を移すぞ〈氷狼〉。それとも、百人長級の流れ弾で主を危険にさらしたいか?」

「貴様――」

 鋭く目を細めるが、反論の余地がないことは〈氷狼〉も理解している。


 彼らが近くで全力戦闘すれば、無印や白級など余波だけで消し飛んでしまうだろう。

 それが百人長(グリーン)というクラスである。

 両者は無言で(にらみ)み合うと、どちらともなく〈移動用封貝(ヴィクター・ワン)〉を唱え、一瞬で空の彼方へと姿を姿を消した。

 遅れて稲妻が天へ遡っていくかのような轟音が響き、尾を引き、やがて消えていく。

 

 そして、地上に一瞬の沈黙がおりた。

 気付くと、周囲を埋め尽くす先住民族(オクスゥ)の人だかりが割れ、真っ直ぐに道ができていた。

 祭壇へ――オウバルパ・ジィンファウスと続くそれを、カズマはゆっくりと踏み締めて歩く。

 

 距離が詰まるにつれ、人垣に遮られ今まで見えにくかったものが視界に入りはじめた。

 組み伏せられた四人の男女がそうだ。

 巫女のネネ。

 オックス。

 そしてオキシオ。

 あちらからもまた、カズマの姿が確認できる位置に辿り着く。

 

 瞬間、巫女がはっと息を呑むのが聞こえた。

「カズマ様ッ――!?」

「先生……?」

 ネネとオックスがほぼ同時に声をあげる。

 巫女は悲鳴のように叫び、対する少年は我が目を疑う自問の囁きであった。

 

「やあ」

 カズマは微笑み、〈*ワイズサーガ〉の手を軽くあげた。

 せんせい、か。

 オックスには封貝使いの実力者と勘違いされ、そう呼ばれていたことを思い出す。

 随分と遠い、昔の出来事のように感じられた。

 

 面白がって、誤解させたままにしといたんだっけ。

 思わず、笑いが「はっ」という小さな声となって零れた。

 あのときは、彼の思い込みとは裏腹に無能も良いところだった。

 封貝も義手の〈*ワイズサーガ〉を除けば、スピーカーがわりに使っていた〈*ワイズオレイター〉のみ。

 それも使いこなすにはほど遠かった。

 だが、今は防御用封貝(デルタ・ワン)にも覚醒し、移動用封貝〈*ワイズピック〉の追加で実戦に耐え得るコンポーネントが組み上がっている。

 

「ちょっと待ってて。なるべく早く片付ける」

 カズマが言うと、ふたりは平手打ちを食らったように目を白黒させた。

 刹那の硬直をおいて、また揃って声をあげる。

「どう、して……ここに」

「逃げてください、先生っ」

 そういうこと言うから、見捨てられなくなるのに。

 カズマは苦笑し、そして足を止めた。

 抱き留めようとする母の手を振り切り、幼児が行く手に躍り出たからだった。


 年の頃はミーファティアより少し上に見えた。

 とすると、三歳から四歳。

 どうやら男児のようだった。

「どうしたの?」

 カズマは視線の高さを合わせて問いかける。

 彼のぷっくりとした柔らかそうな頬には、落涙の(あと)があった。

 茶色の下睫毛に、まだ雫が残っている。

 

「助けてくれるの?」

 彼が訊いた。

「そうした方がいいかな」

 問い返すと、彼は生真面目な顔でこっくりと頷いた。

「やっつけて」

「そっか」

 笑って、〈*ワイズサーガ〉を彼の頭に乗せた。

 

「じゃ、悪い奴はみんなやっつけるよ。お母さんと一緒に危なくないところまで行って、見てて。みんながパワーを送ってくれると強くなるんだ。応援してくれる?」

 ふたたびこくんと頷いた。

 使命を帯びた顔だった。

「やられそうになったら、ワイズサーガって呼んでね。そしたら元気になって、最後は勝つから」

 頼りにされている。

 自分が勝負の鍵を握る。

 男児はカズマの言葉からそう考えたようだった。

 瞳に更なる決意が宿る。

 

 カズマは先ほど女性をそうしたように、背を押して彼を親の元へ返した。

 立ち上がり、再び歩き出す。

 恐怖はある。

 負けたときにどんな地獄が待っているか。

 どれだけの人々が絶望するか。

 この集落がどうなるか――。

 

 相手は遥か格上。

 ランクが一つ違えば、集団(しゅうだん)で挑んでようやく互角の力量差がある。

 ケイスやクゥガーら熟練の戦士たちが口を揃える、純然たる事実である。

 恐らくは一〇回やって一回たりとも勝てない相手。

 今、それに生命を賭して挑まねばならない。

 

 それだけではなかった。

 恐らく、今日だけでももう二人は人間を殺害している。

 運良く戦いに勝利できても、そこにまたもう一人加わるという業からは逃れられない。

 禁忌を犯すこと。

 手を汚すこと。

 もう、元の自分には戻れないこと。

 すべてがたまらなく怖かった。

 

 だが、恐怖以上のものがある。

 目の前の男はあまりにやり過ぎたのだ。

 罪もない人を傷つけ、尊厳を踏みにじりすぎた。

 凄惨な拷問を受けて殺された、手足の欠損した女児の遺体。

 (けだもの)どもに陵辱の限りを尽くされた挙句、頸をへし折られて骸の山にゴミ同然に捨てられた娘。

 

 あと五分早く到着していれば――

 その悔い、耳にこびりついた悲鳴が、目の前を真っ白に染めるような憤怒を呼び起こす。

 この世には、到底許容することのできない悪意がある。

 

「――〈第二移動封貝(ヴィクター・ツー)〉」

 カズマは静かに歩を進めながら、口訣した。

「――〈第一移動封貝(ヴィクター・ワン)〉」  

 オウバルパの冷ややかな殺意を秘めた口訣が続く。

「ワイズサーガといったか? お前、正義の味方じゃないと言ったな。

 ……その通り。歴史の書ってのは勝った奴が書く。

 後々、〈オウバルパ年代記〉にはこう記されるだろうよ。

 フ=サァンにおける先住民族(オクスゥ)は、国家公認の義賊〈スリージィン〉に反旗を(ひるがえ)し怒りを買って滅亡した」

「勝利者こそ正義つてことだね」

「そういうこった」 


「もし、そうなら」

 カズマは足を止め、初撃にそなえて小さく腰を落とした。

「前言は撤回だね。

 〈僕の(ワイズ)冒険譚(サーガ)〉はいずれこう(うた)うと思うよ。

 暴虐の限りを尽くした凶賊〈スリージィン〉は、先住民族(オクスゥ)虐殺に義憤を燃やした人々によって壊滅した――」

 刹那、無言の一時が訪れる。

 

 直後、カズマとオウバルパは同時に地を蹴った。

挿絵(By みてみん)

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