〈勇者〉と〈氷狼〉の対決
055
女神イレスの巫女クレメンタインは、暗がりの中で目を覚ました。
寝起き特有の軽い混乱はあったが、虫の鳴き声でまだ真夜中なのがすぐ分かった。
奇妙なのは、本来静まりかえっているはずの神殿内が喧噪に満たされていることだった。
通路を行き来する慌ただしい足音。
扉の向こう――恐らく大広間の方から――聞こえてくる複数の話し声。
しかもそこには、普段ならいるはずのない男性の低音が混じっている。
月明かりを頼りに、同居人の姿を探す。
だが、彼女の寝台は空だった。
触れてみたシーツには体温が残っておらず、しわの一つもよっていなかった。
クレメンタインは目をこすりながら、寝床を抜け出した。
素足でぺたぺたと戸口に向かう。
そっとドアを開けた瞬間、まばゆい照明光に網膜を焼かれた。
通路の松明に残らず灯がともされていたのだ。
「クレメンタイン!」
染みるような痛みに屈み込んだと同時、廊下の向こうから名を呼ばれた。
駆け音が近付いてくる。
目はまだ痛く、相手の姿は確認できない。
だが、声と足運びだけで誰かは分かった。
探していた巫女、ネネに間違いない。
「ネネ姉様?」
なんとか薄目を開けながら、両手を広げて彼女を待った。
少しして柔らかな感触に包み込まれた。
同時にいつもの優しい香りに鼻孔をくすぐられる。
それだけで、もう何が起きても安心なのだと心が安らいだ。
「なにがあったのですか」
ネネの胸の中から問いかけた。
「クレメンタイン。起こしてしまったのね」
「どうしてみんな起きてるの? 誰かお客様が来てるんですか」
「聞いて、クレメンタイン」
ネネが腰を屈め、目線を合わせてきた。
「凶賊が私たちの仲間たちを襲って回っていることは話したでしょう。つまり、山賊たちのことだけど」
「はい」
「その凶賊は〈スリージィン〉という、とても大きくて強い組織なの」
クレメンタインは深く頷いた。
もう九歳になるのだ。〈スリージィン〉のことくらいもちろん知っていた。
否――大人たちは見くびっているが、それ以上のことだってクレメンタインは理解している。
すなわち、今回〈スリージィン〉の動きがいつもと違うこと。
金品と女性を目当てにした略奪が目的ではないこと等をだ。
ここ数日、神殿内の巫女たちが一人の例外もなく、普段見せないような険しい表情をしていたのも、それと関係している。
「クレメンタイン、カワヒの集落は知っているでしょう?」
「おとなりです」
答えて、クレメンタインは急ぎ補足の口を開いた。
ネネは自分をやたらと子ども扱いはしない。
そこが好きだ。
しかし、もっと頼りになると思われたかった。
「カワヒの方々は、集落を捨ててここに逃げてきたんでしょう? 私、知ってます。カワヒだけじゃなくて、他の近くの人たちもたくさん集まってきてる」
「ええ、貴女の言う通りよ」
頷くネネの顔は青ざめていた。
野盗に襲われ、毒で死にかけた彼女の体調はまだ万全ではない。
だが、顔色の悪さはそれだけが原因ではなさそうに思えた。
「凶賊はもう、そのカワヒまで来ているそうです」
クレメンタインは思わず口を半開きにした。
だとしたら、もう目と鼻の先だ。
「そう。彼らはここに来るでしょう。恐らく、夜明けを待って――日の出と共にこの大集落は襲撃を受けると予想されています」
もはや言葉もでない。
夜明け?
そんなもの、すぐだ。
「盗賊は普通、金品や女性を目当てに襲ってくるけど、今回は違うの。彼らは私たち――先住民族を根絶やしにしようとしている」
「どう、するんですか」
舌をもつれさせながら訊いた。
「オキシオ様たちが追い払ってくださるのですか」
質問というより、それは願望に近いものだった。
だが、ネネは悲痛な顔で黙り込むばかりで答えてくれない。
その間、侍女のひとりが急ぎ足でふたりの横を通り過ぎていった。
両腕に大量の古布を抱えているのが見えた。
割いて包帯に使うための物だった。
負傷者を想定して、今から準備しているのだ。
「神殿は、怪我をしたひとを運んでくる場所になるんですね」
その問いは、ネネに少なからず衝撃を与えてしまったようだった。
彼女は何か耐えるように唇を噛んだ。
そうかと思うと突然、クレメンタインを強く抱き締めた。
夜着越しに感じる姉巫女の身体は小刻みに震えていた。
「貴女は残酷なほど賢いのね、クレメンタイン……」
「……あの」
何か言わなければ。
そう思ってまごついているうちに、ネネに機先を制された。
「〈スリージィン〉はとても強いの」
「オキシオ様より? でも、クォーン様がお持ちの封貝なら」
実際のところ、クレメンタインは自分たちの勝利を疑っていなかった。
なぜなら、オキシオは定命の人間としては、氏族を超え先住民族中に広くその名を知られた歴戦の勇士だ。
彼の持つ業物〈イェルナンテ〉は、高位の宝貝を鍛えた神器のひとつ。
嘘か誠か、太古のむかし先祖が女神より直々に賜ったという伝説さえある。
またクォーンに到っては、そのオキシオすらも凌ぐ戦士であり、封貝使いだ。
その実力は巷でいう青級レイダーにも匹敵し、その高潔な人格もあわせて〈勇者〉の誉れも高い。
同等に近い力を持つ者は、フ=サァン全土の先住民族を見回しても他に片手で数えられる程度しか見つけられないという。
「そう、ね。……きっと、クォーン様たちなら〈スリージィン〉だって追い払ってくれる。でも、簡単な戦いではないの。相手にも封貝使いが何人もいるから」
「私たちにだってクォーン様以外にも、ベアミドゥ様やイノノハイ様がいます」
「ええ、その通りよ。だけど、彼らと〈スリージィン〉の封貝使いたちが戦えば、大きな被害が出ます。たくさんの人が傷つき、多くのものが失われてしまう」
ネネはクレメンタインから身体を離すと、両肩を掴んで瞳を覗き込んだ。
「聞いて、クレメンタイン。貴女はまだ幼い。戦う力も持っていません。そういう子たちを集めて、戦いが始まる前に外へ逃がす計画があるの」
嫌です。
即座に言うこともできた。
しかし、クレメンタインは黙って言葉の続きを待った。
「普段は見逃されることが多いけど、今度の〈スリージィン〉は子どもにも容赦がないと言われてる。
貴女たちは次代を担う可能性よ。それが奪われてしまうのはオクスゥ全体の損失です。西側はまだ被害も少ないらしいから、そちらに逃げる脱出組を今、作ってるところなの。貴女はそれに入ってここから逃げてほしい」
「ネネ姉様。私は見習いですけど、イレスの巫女です」
なるべく静かに、だが決然とクレメンタインは言った。
「〈分け火〉を放り出して逃げる巫女って、それは巫女と言えるんでしょうか」
「それは――でも」
「もし〈分け火〉を捨てて生き延びられたとしても、いつか大きくなって本当に〈ほむら〉が現れたときどうすれば良いんですか?」
クレメンタインは伝家の宝刀を抜いた。
イレスの巫女は〈ほむら〉の偉業と血脈を伝え残すためだけに存在する。
その〈ほむら〉を持ち出されては、巫女に反論の余地などない。
「そんな巫女、彼に嫁げません。〈ほむら〉だって、そんな巫女は嫌だって言うと思います」
ネネは一瞬黙り込んだあと、
「彼らは……本当に残忍なのだそうよ、クレメンタイン」
力なく言った。
駄目で元々、という口調であった。
「これは襲われた村を実際見てきた人の言っていたことです。私たち、捕まったら殺される前に拷問を受けるの。さっきも言ったけど、指を何本も斬り落されて……それだけじゃない。
巫女は特に酷いことをされると聞いています。貴女くらいの小さな女の子でも許して貰えないの。同じ事をされた赤ちゃんの死体も見つかってるくらいだって」
血の気が引いた。
指を斬り落される。
それも何本も――。
想像しただけで、蟲が這うように背中がぞわついた。
心臓がぎゅっと縮まり、戻らなくなってしまったような感覚があった。
絶対に耐えられないと思った。
「……私、ネネ姉様たちと一緒にいます」
お腹のあたりに力を入れて、言った。
溜め息が返った。
「分かりました。だけど、私たちの指示には必ず従うこと。それを約束できるなら、ですよ?」
ネネはどこか悲しげに告げた。
クレメンタインは口を真一文字に結んで頷く。
するとネネはクレメンタインの手を握り、黙って歩きはじめた。
ふたりで向かった大広間は、クレメンタインの知る普段のそことは様相を一変させていた。
荘厳なる静謐――天窓から差し込む陽光が、宙を舞う誇りをきらきらと照らし出す、そんな穏やかな日常風景に到っては面影すら残っていなかった。
何十人もが神殿にあるまじき所作で走り回り、すでに戦場さながらの熱気と喧噪を醸成している。
あちこちからガンガンと鳴り響く鎚で釘打つ打撃音は、戦傷者に備え急造の簡易寝台を設える職人衆によるものだ。
戦が始まれば、神殿は急ごしらえの野戦病院になるのである。
そんな大広間の一角に、全身を甲冑で固め鈍色色の光を放つ戦士の集団が見えた。
ネネはクレメンタインを伴ったまま、彼らの方へ向かっていく。
そして、一際目立つ壮年の男性に声をかけた。
「オキシオ殿」
「おお、我が巫女」
振り返った戦士オキシオは、クレメンタインたちに気付くと、とたんに目元を緩めた。
他の兵士たちも作業の手を止め、黙礼の構えで敬意を表してくる。
ふたりの巫女は会釈でそれに応じていった。
「すまんな、巫女たち。本来、男子禁制の神殿を我らのごとき無骨者がうろついていては落ち着かぬだろう」
「この危急存亡のおり、是非もありません。それに傷病者としてなら、普段から殿方も拒んでおりませんので」
ネネが毅然として返すと、オキシオはひとつ大きく頷いた。
それから、つと視線をクレメンタインに移す。
「稚巫女よ。状況は聞いているな? すまぬが、避難の準備を急いで欲しいのだ」
「いいえ、オキシオ様。私は残ります」
オキシオは、少なくともネネほどには驚かなかった。
あるいはこれが人生経験の差なのか。
彼は一拍の沈黙をおいて、ただ「そうか」とだけ答えた。
「――それで、オキシオ殿。やはり戦は避けられませんか?」
ネネが儚い願いを託して訊く。
「もはや不可避だ。〈鷹の目〉で監視しているが、奴らはもうカワヒを立つ準備を始めている。それから――」
刹那、逡巡する様子を見せたが、オキシオは覚悟を決めた顔で続けた。
「これは伝えてるか迷ったのだが、奴らは私たちを探しているようだ」
「はい? 私たちというと……」
「此度の〈スリージィン〉の動きは、オウバルパという有力な幹部の暴走だと言われている。
そのオウバルパには腹心の――たいそうお気に入りの部下がいてな。その部下を私たちオクスゥに殺されたというのが、暴走の原因らしい」
「そういう事実があるのですか?」
ネネが怪訝そうに顔をしかめる。
クレメンタインも同じ心境であった。
同胞がそんな野蛮なまねをしたとは想像しにくい。
「ネネ殿。共にインカルシまで行商へ出たとき、野盗に襲われたことはもちろん覚えておられるな?」
オキシオの一言がもたらした影響は劇的だった。
ネネが目がゆっくりと見開かれていく。
気付けば口も同様、ぽかんと開け放たれていた。
そしてそのまま動かなくなる。
「そう。カズマ殿やナージャ殿に危ういところを助太刀いただいた、あの襲撃のことなのだ」
「えっ、でも……えっ?」
かわいそうなほどの取り乱し方だった。
「彼らは〈スリージィン〉でしたか? だって、そうなら必ず一目で分かる印をつけてるはずで……あのときの野盗にはなかったはずです。そんなものどこにもありませんでしたよね?」
落ち着けという手振りのあと、オキシオは静かに口を開いた。
「確かに奴らは〈スリージィン〉と分かるものを何一つ身につけていなかった。ただの山賊に見えた。実際、ただの山賊だったのだろう。
だが、そこにどういうわけかオウバルパのお気に入りが混じっていて、我々と戦い、結果として死んだというのは事実らしい。その情報が、最近になってオウバルパの耳にも入ったのだ」
「じゃあ……じゃあ、その幹部が探しているというのは」
「私と、そしてネネ殿。貴女のことだ。それにオックスやサイトたち。カズマ殿やナージャ殿も恐らく含まれるのであろう。要するに、あのときあの場所にいた全員だ」
「そんな……なんてこと……」
ナナの顔色は青白いを通り越して、もう土気色になっていた。
「そのこと、他のオクスゥたちにはもう伝わっているのですか?」
「とっくにな。事実の確認がとれた時点で、私が申し出たのだ。すでに多くの里に伝わっている。
だが、われらが巫女よ。少なくとも表だって私や貴女を謗る同胞はおらなんだ。あれは事故だったというのが、オクスゥの共通見解になっている」
「でも、お話が本当なら私たちのせいじゃないですか」
オキシオは重々しく頷いた。
「私も気持ちは同じだ、巫女よ。皆が寛容だからと言って、自分の責任感から逃げることはできない。
元よりそのつもりではあったが、此度の戦い、私は最前線に出て当たるつもりでいる。可能なら敵指揮官の前に出ていき、探しているオキシオが自分であると名乗り出るつもりだ」
「えっ」
クレメンタインは思わず声を上げていた。
吐息のように小さな音だったが、オキシオには聞こえたらしい。
彼は孫を見るように目を細め、クレメンタインをと視線を合わせた。
「稚巫女よ。これは、けじめのようなものだ。それに、直接の仇さえ見つけ出せれば、オウバルパとやらの暴走も収まるかもしれぬだろう」
「そんな……きっと酷い目にあわされるだけです。彼らのここまでの所業を見れば、私たちの首だけで収まるとはとても」
ネネの言葉はほとんど悲鳴にも近かった。
一方で、周囲の兵士達は沈痛な面持ちで拳を握り固めるだけだった。
恐らく、事前にオキシオの決意を聞かされていたのだろう。
「どうしてもと言うなら、私もご一緒します」
ネネは口調を改め、きっぱりと言った。
「ネネ殿。それは認められぬと分かっておろう」
展開として予測していたに違いない。
絶句するクレメンタインを尻目に、オキシオはすぐさま反論した。
「私は荒事が仕事だ。戦士は死ぬ時に死ぬのが役目。だが、巫女はまた違う。生きて伝えるのが役割であるはずだ」
「でも、オキシオ殿がひとりで出ていっても、他に仇が残っていれば彼らは納得しないでしょう。名乗り出るなら全員でいくべき。それが筋でしょう」
そのとき、息を切らせて若い衆のひとりが大広間に駆け込んできた。
緊張で声を裏返らせながら叫ぶ。
「伝令ッ。オウバルパの部隊がこちらに向けて進軍開始の由!
なお、本隊に先行し高速で接近する封貝使いを数騎確認。こちらへの到着は時間の問題とのこと」
場が一気に静まりかえった。
直後、揺り戻しのように反転し、騒然を通り越して狂騒状態に突入する。
気の弱い者からは、早々に啜り泣きの声があがりはじめた。
「予想よりわずかに早かったな」
オキシオが眉間に深い皺を刻み、唸るようにつぶやいた。
血管の浮いた分厚い手が、腰に佩いた剣の柄を強く握りしめている。
「ネネ殿。もはや問答の余地はない。巫女として自らの責務をまっとうされよ。――往くぞ、お前たち」
「応ッ」
オキシオは一方的に会話を打ちきり、拒絶するように背を向ける。
部下に号令をかけると、足早に立ち去っていった。
ネネは呼び止めようという素振りを見せたが、あきらめざるをえなかった。
急き立てられるように作業に没頭しはじめた人々が垣をなし、遠ざかっていく兵士たちを追わせない。
しかたなく、クレメンタインたちは人手が不足しているセクションへと助っ人に回る。
神殿は集落において、三桁の人間を収容できるほとんど唯一の大規模建築物だ。
野戦病院としての機能はもちろん、調理施設を活用した炊き出しの機能も求められる。
オキシオの言葉通り、仕事は手が四本あっても足りないほどあった。
クレメンタインは、白い帯に朱色で横線を入れる仕事に就いた。
これは、運び込まれた怪我人の腕に巻く目印になる。
白地に赤のラインは、「手遅れではないが、極めて重篤な患者」の意味だ。
怪我の重さごとに患者を選別しないと、効率良く治療を行えない。
歴史から神殿の巫女たちが学んできたことのひとつだ。
当然、見習いとしてクレメンタインもそれは心得ている。
現実逃避の意味もあったのだろう。
いつしか作業に没頭し、黙々と手だけを動かし続けてどれくらいが経ったのか。
爆発音と地響きが突如、神殿を襲った。
爆発音はどこか遠く聞こえたが、揺れの方は違った。
神殿が軋み、天井からぱらばらと粉状の建材片が落ちてくる。
足の裏から伝わる振動はクレメンタインの臓腑を揺さぶった。
途端に、大広間は絹を裂くような女達の悲鳴で埋め尽くされた。
クレメンタイン自身、頭を抱えながら気付くと声をあげていた。
「始まった――ッ」
男か女かも分からない。
ただ、誰かが金切り声をあげたのをきっかけに、様々な悲痛の叫びが飛び交いだした。
もう終わりだ。
イレスよ加護を。
今の音はなんだ。
私たちがなにをしたって言うの。
助けて――。
大のおとなが恐怖に泣き叫んでいる。
そうでない者は、単に震えて声も出せずにいるに過ぎない。
その事実が、クレメンタインからなけなしの勇気を一瞬で剥ぎ取っていった。
そして二度目の爆発音と揺れが伝わってくる。
心なしか、今度のは最初のそれより近く、強く、大きい気がした。
しかも、音が鳴り止んでも振動の方は延々と収まらない。
押されている?
まさか凶賊にもう護りを突破されて――中に雪崩れ込まれた?
立っていられず、クレメンタインは気付くと四つ這いにへたり込んでいた。
いつの間にか、座っていたはずの椅子が目の前に転がっている。
凄まじい揺れだった。
地面についた手など、残像で細部の輪郭が定まらないほど震えている。
それでようやく、その震えが自分自身のものであることにクレメンタインは気がついた。
「クレメンタイン、大丈夫?」
背後から問われ、思わず振り向く。
と同時、相手を確認する間もなく抱き締められた。
「ネネ姉様」
ありがたいことに声は普通に出た。
「大丈夫、です。ちょっと揺れただけです」
「本当に?」
ネネは身体を離すと、やんわりクレメンタインの頬を両手で包み込んだ。
正面から目を覗き込まれる。
「はい」
「――ごめんなさい、クレメンタイン。私はいかないといけない」
えっと思った。
漂白されたように思考が真っ白になる。
当然、姉巫女は一緒にいてくれるものだと信じ込んでいた。
「オキシオ殿に合流しないと。この騒動の原因になっているのが私なら、ここに隠れているわけにはいかない。私が――」
一瞬、彼女の声が揺れたような気がした。
「首を差し出せば、まだ全面衝突は避けられるかもしれない」
その言葉で、ネネが死ぬ気なのだと分かった。
覚悟なんて決まっていない。
怖くてしかたがない。
行けば気が狂うような凄惨な拷問を受けることは分かっている。
犯されながら斬り刻まれる。
生きたまま耳を切り落とされ、鼻を削がれ、目を抉られる。
竦みきって、本当は一歩も動ける状態ではない。
それがネネの本来の状態であることもまた、分かった。
「貴女は生きて、生き延びて、大きくなるのよ。そして立派な巫女になるの。それとも……好きな男の子ができたら、まだ間に合うから他の道を見つけても良い」
「待って――」
その遺言めいた言葉を止めようと、クレメンタインはなんとか囁く。
「〈ほむら〉は伝説でしかないのかもしれない。もう何世代も、何百年も彼に出会って嫁ぐことができた巫女はいないんだし。だから貴方は――好きなように生きて良いのよ」
彼女はそこで唐突に口を結んだ。
少し首を傾けるようにして、改めてクレメンタインを見詰めた。
その両の手が愛おしむようにクレメンタインの頬を撫でた。
「クレム……」
滅多に使わない愛称で、ネネはクレメンタインを呼んだ。
「本当に、妹みたいに思ってたんだよ。年上なんだから私が守らなくちゃって、お手本にならなくちゃって。クレムのことを思うとなんでも頑張れた。
もらっていたのは、私の方だったのかもしれない。今だってきっと貴女がいなかったら私、おかしくなってたと思うから」
柔らかに細められた双眸は、どこまでも穏やかだった。
悲愴感は微塵もない。
涙で潤みもしていない。
ただ陽だまりのようにやさしく、あたたかだった。
それからは一瞬だった。
あっと思った時には、ネネの体温は失われていた。
彼女は立ち上がって、半歩下がったところにいた。
言葉はなにもなかった。
ただ、最後までこちらを見ていた気はする。
そのまま後ろ向きに去って行ったのか。
それとも、どこかで踵を返したのだろうか。
はっきりしない。
気付けば、そこに彼女の姿はなかった。
最初からいなかったように、消え去っていた。
なぜ、こんなに現実感を欠いているのかは分からない。
痺れたように神経と思考が鈍っている。
永遠の離別にしては、あまりにあっさりし過ぎていたからか。
本当に夢なのかもしれないという、愚かしい妄想にすがりつきたくなる。
そうだ。
うそだ。
こんなの……本当のわけがない。
べったりと床にへたりこんだまま、呆然と床を眺めて思った。
だって、ほんの何日か前までは普通の日だった。
自分が死ぬとか、姉巫女が死ぬだとか。
そんなの考えたこともなかった。
だが、身体は真実を理解していた。
ほとんど無意識のうちに立ち上がり、歩き出そうとしている。
行かなくてはならない。
ネネを追いかけ、止めねば――
「おい、クレム!」
批難めいた呼び声と共に、後ろから右腕を掴まれた。
痛みすら覚える力強い制止に、クレメンタインはバランスを崩しかける。
「やっと見つけた。ここ、なんで今からこんなに人多いんだよ」
「ハイオー君?」
振り向いた先にいたのは、幼い頃からの顔なじみであった。
一歳上の男児で、クレメンタインが神殿に入るのを最後まで反対し、寂しがってくれたのが彼であった。
「どうしてここにいるの? 子どもは避難したんじゃ……」
「残ったんだよ。お前こそ、どこ行こうとしてんだよ」
クレメンタインは黙り込んだ。
自分ですら、半分分かっていなかったことである。
だが言った。
「私、行かないと。ネネ姉様を追いかけて止めないといけないの」
「はあ?」
ハイオーは訝かしげに眉根を寄せる。
「外行く気かよ。封貝使いたちがバチバチやりあってるんだぞ。巫女だからって、お前らにできることなんてないよ」
「そうだよ。なのに、ネネ姉様は……殺されるって分かってて、敵のリーダーのところまで行くって」
「なにそれ? 意味分かんねえ。なんでそうなるんだよ」
「とにかく、ハイオー君は早く避難して」
「なわけいくか。お前が外行くってんなら、俺もついて行くからな」
それこそ理屈が通らない。
言い返そうとしたが、時間が惜しかった。
今なにより優先すべきはネネの制止である。
既に掴まれた腕が解放されていたこともあり、クレメンタインは黙って出口へ走りだした。
背後から当然のようにハイオーの気配がついてくる。
神殿には最初の怪我人が搬入されはじめたことで、もはや前も後ろも分からぬような混雑ぶりだった。
それがかえって幸いしたのだろう。
ひしめく人の群れを縫うようにして出口に向かう二つの小さな人影は、誰に見咎められることもなく屋外まで辿り着いた。
だが、そこまでだった。
「稚巫女殿――?」
神殿の守りとして配置されていた二人組の兵士が、クレメンタインを見て驚きの表情を浮かべる。
「なぜ貴女まで出てきたんです。外は危ない。中へお戻りなさい」
クレメンタインは無視して訊いた。
「ネネ姉様はどちらに行かれましたか」
「では、彼女を追って出てきたのですか」
別の兵士が渋面で寄ってきて会話に加わる。
聞けば、ネネは「北に行く」と言ってきかなかったらしい。
無論、兵士たちは止めた。
しかし、巫女は部族の中でも位の高い存在だ。
その彼女が「一族の存亡に関わる重大な案件」と言い出せば、力尽くで抑え込むわけにもいかない。
「――一応、条件として護衛に二名つけることに同意していただきましたがね」
「北ですね?」
ありがとうございますと続けたが、その言葉を口にしはじめる前から、クレメンタインは駆けだしていた。
「あ、ちょっと――ッ」
慌てて制止の声が投げられるが、待てと言われて待つ気はない。
「心配すんな、おっさんたち。俺がついてくから」
ハイオーが、助力の申し出なのか挑発なのか判断しにくい言葉を投げる。
「こいつ、巫女様を止めるつもりなんだ。一緒に行って、俺がふたりとまとめて連れて帰るよ」
「くそっ。危険を感じたら絶対に引き返せよ坊主!」
「まかせとけ」
大通りに出て、ハイオーとふたり北門を目指す。
同胞の大半は避難所や自宅で身を寄せ合っているはずだが、一方で表に出て戦況を見守ろうという者も思いのほか多くいた。
彼らが一様に空を見上げていることからも分かるように、戦いの舞台となっているのは蒼穹である。
飛行能力を持つ〈スリージィン〉の先遣隊が上空から襲いかかり、それをオクスゥ側の封貝使いが迎え撃ったという構図らしい。
見える範囲だと、敵は二名から三名と少ない。
対して、こちらは一〇人近くの封貝使いが出撃している。
ときおり群衆から歓声があがるのは、数で押す味方が一方的に優勢だからだ。
〈勇者〉クォーンの姿が見えないあたり、最強の駒を温存する余裕すらうかがえる。
「すっげえぜ。見ろよ、クレム! やっぱ、イノノハイ様とベアミドゥ様のあの連携だよ。合図もなにもなしで、なんであんな完璧にタイミングを合わせられるんだ?」
ハイオーが指を鳴らし、はしゃぐように言った。
すっかり足を止めて観戦を決め込んでいる。
だが、クレメンタインも他人のことは言えない状態だった。
なにせ、自分と同じ人間の姿形をした生物が、空中を凄まじい速度で飛び回っているのだ。
空間がひび割れてしまいそうな程の爆音を轟かせながら、凄まじい破壊エネルギーをばらまき、ぶつけ合っている。
そして――幼い頃から聞かされてきた話が事実なら――一拍する間に何十と飛び交うあの光弾の一つひとつは、かすめるだけで人体を血の霧に変えてしまうほどの威力を持つのだ。
加えて彼らが駆る幻獣たちの異形。
咆哮。
――すべてが想像を絶する光景だった。
「うおっ!?」
突然、ハイオーが叫びをあげたかと思うと、体当たりのように飛びつかれた。
押し倒されこそしなかったが、勢いに押されクレメンタインはたたらを踏んだ末に膝を折る。
かばわれたのだ、と気付いたのはその一瞬あとだった。
滝の音を彷彿とさせるドドド……という超重量級の低音が、圧縮された空気の塊となって襲いかかってくる。
周囲からあがった複数の悲痛な叫びと合わせて、クレメンタインはようやく自分に危険が迫っていたことを理解できた。
どうやら、追い詰められた敵の封貝使いが、敵ではなくこちら――眼下の集落――へ向けて銃弾をばらまいたらしい。
だが、その行為は一切の被害を生まなかった。
まるで先読みしていたかのような位置にオクスゥの戦士が三人陣取っており、封貝の結界で凶弾を一発残らず跳ね返したのだ。
「すっげえ! やばいと思ったけど、計算通りだったのかよ」
がばと身を起こしたハイオーが目を輝かせながら叫ぶ。
「そっか、狩りと同じなんだ」
ぽつりとつぶやき、直後、彼は興奮気味にクレメンタインへ顔を寄せた。
「分かるか、クレム。あの人たち、狩りの要領でやってんだよ。相手に気付かれないうちに獲物を囲い込むんだ。少しずつ追い詰めていって、一カ所だけ逃げ場を作って――」
そこまでヒントを貰えば、狩りの経験のないクレメンタインにも理解できる。
つまり、その用意された唯一の逃げ道にの先に、必殺の罠がしかけられているのだろう。
獲物はまるで自ら望んだかのように、口を開けたそこへ飛び込んでいくのだ。
そして仕留められる。
敵の封貝使いも同じだ、というのがハイオーの言い分だ。
オクスゥの戦士には当てられないからと、苦し紛れに矛先をクレメンタインたち非戦闘員へ向けた。
だが、自分で判断したように見えて、それは相手に誘導されたものに過ぎなかった。
「よっしゃ!」
ハイオーが叫んだとき、味方の封貝使いの一人が、敵の懐深くに入り込んでいた。
素人目にもそれと分かる、目立って動きのキレのある男――歴戦の勇士、ベアミドゥであった。
彼が鋭く短槍封貝を真横に一閃させると、上空でぱっと鮮血の花が咲いた。
刹那、敵の封貝使いの身体が感電したように大きく跳ねる。
それからゆっくりとバランスを崩し、やがて思い出したように重力の手に絡め取られて、真っ逆さまに落下しはじめた。
「おおッ」
「やったぞ!」
「ベアミドゥ様。ベアミドゥ様よ」
爆発するように歓声がわく。
ハイオーも飛びあがってその一員に加わっていた。
「おい、こりゃいけるぞクレム。あの人たちは余所者相手でも一流なんだよ。本気出せば〈スリージィン〉の封貝使いたちだってあの通りだ」
「うん」
クレメンタインは勢いよく頷いた。
自分の声が思いのほか弾んでいることにも気付く。
これまで、一方的に蹂躙された集落の話ばかりを聞いていた。
何の抵抗もできず、〈分け火〉を抱えて這々の体で逃げ出してきた人々の、死人のような白い顔しか見てこなかった。
しかし今、連合した同胞の精鋭たちは〈スリージィン〉相手にも怯まず、むしろ敢然と立ち向かい圧倒しているのだ。
このままなら、ほんとうに――
そのとき、頭上から同時に複数の声があがった。
クレメンタインは思考を中断し、そちらを見やる。
屋根や火の見櫓によじのぼった男や子どもだった。
おい、見ろ。
大勢いるぞ。
もう来たのか。
あれが奴らの……
表現はそれぞれであったが、どれもが〈スリージィン〉本隊の発見を告げるものであった。
「本隊が来たのか?」
ハイオーはつぶやくと、すぐに近くに生えたミノスの樹に駆け寄っていった。
そのまま幹にとりつくと猿のごとくあっという間によじ登っていく。
「ほんとだった」
クレメンタインの元へ戻ったとき、その顔にはもう先ほどまでの喜色はかけらも残っていなかった。
「――五〇人はいる」
「封貝使いは何人いたの?」
問うと、彼はまず首を振った。
それから言葉でも答える。
「分かんねえ。でも何人いたって、ベアミドゥ様たちがまたやってくれるよ」
こっちは切り札の〈勇者〉クォーンだって温存してるんだ。
ハイオーはそう言って息巻くが、傍目には自分に言い聞かせているようにすら見えた。
囲い込んでの追い込み猟。
今の戦法が通じるのは、こちらに数的優位があればこそだ。
彼もそれに気付いている。
「急いで姉様を探さないと」
クレメンタインが言うと、ハイオーはハッとしたように頷いた。
「おう。そうだ、急ごう。ぐずぐずしてると本格的なのが始まっちゃうかもしれない」
彼に手首を掴まれた。
引っぱられるようにして走りだす。
北門は最寄りの里であるカワヒと接続されていることもあり、規模がもっとも大きい玄関口だ。
一応、周囲には木柵が張られているが貧弱で、門扉のひとつもなく、普段から見張りも配置されていない。
まさにオクスゥの開放的な気質を如実に物語る存在である。
遊牧の気があるオクスゥは、壁で囲まれた強固な砦を築く文化など、元よりないのだ。
しかし〈スリージィン〉の暴虐がはじまってこっち、急ピッチで拡張が進められたことは、クレメンタインも知っている。
現在は即席ながらも門扉が設けられ、木柵も壁と呼べそうな程度には厚みと高さが増している。
「姉様――ネネ姉様ッ」
北門前につくと、そこは武装した戦士たちでひしめいていた。
恐らく三桁単位になろう彼らが人垣を成し、前の様子すら窺えない有様だった。
どうやら、封貝使いや宝貝の装備で固めた上級兵たちほど門に近い位置に陣取っているらしい。
逆にクレメンタインから見て手前に集っているのは、自宅から農具を持ってきたというだけの一般兵たちだ。
「くそっ、これじゃ前に進めないじゃんかよォ」
ハイオーは悪態をつきながら、なんとか隙間を見つけようと右に左に動き回っている。
訓練を受けていない市民兵たちは見るからに神経質になっていた。
愛用の農具を――ほとんどそれにすがりつくように――強く握りしめている点ではほとんど全員が共通している。
違いがあるとすれば、うつろな目でうつむいているか、血走った目で前をじっと見つめているかの差だ。
当然、どちらであっても周囲に気を配る余裕などない。
それでも、しばらくするとクレメンタインに気付く者が現れはじめた。
彼らは稚巫女の存在に戸惑いながらも、呼びかけあって道をあけてくれた。
そうして二〇歩ほど進んだだろうか。
群れの中間点にようやく達そうかというとき、振り向いた隊長風の男に向こうから声をかけられた。
「稚巫女――殿?」
顔の部分だけ開けた釣り鐘型の兜を被ってはいたが、声で分かった。
チュゴ族の若い衆を束ねるダンだ。
「ダン殿。ネネ姉様を見かけませんでしたか? こちらへ来たはずなんですけど」
訊ねた瞬間、ダンはそれと分かる渋面を作った。
それからクレメンタインから視線を外し、躊躇うような素振りを見せる。
「……ネネ様なら、確かにおいでになりました」
ややあって、斜めを見たまま観念したように言った。
もちろん、クレメンタインはその言葉に飛びつく。
「それで、今は」
「前に――」
そちらを見ずに前方、壁の方を指差す。
「行ってしまわれました」
「どういう」
口にし終えるより早く、ダンから「こちらへ」と手招きされた。
彼はそのまま逃げるように背を向け、歩き出す。
「行こうぜ」
一瞬、呆気にとられたクレメンタインの背に、ハイオーの手がそっと触れた。
それで、会話の間この幼馴染の存在を完全に忘却していたことに気付かされる。
ダンが向かったのは、すぐそこの空きスペースだった。
隊列の間に意図的に設けられた空間らしい。
中心に小さな長テーブルが置かれており、それをダンのような隊をまとめるリーダーたちが囲んでいる。
卓上には集落の全体図が広げられていた。
色分けされた無数のピンは、配置された各隊を示すのであろう。
だが、全員の注意はその隣、赤ん坊の頭ほどの大きさがある水晶玉に注がれていた。
いわゆる〈鷹の目〉だ。
「壁の上に伏せた物見の目に同期させています」
ダンが事務的な口調で言った。
横目で、ハイオーが顔をしかめるのが見えた。
言葉が難しく理解できなかったのだろう。
が、クレメンタインにはなんとか分かった。
壁の上に見張りの兵が隠れている。
今、水晶に映っているのは彼の目から見た戦場である――という解釈で間違いないはずだ。
ダンと他数名が横に移動し、クレメンタインのために場所を開けた。
黙礼して水晶に近付く。
覗き込んだ瞬間、クレメンタインは息を呑んだ。
無意識に両手で口元を覆ってしまう。
その指の隙間から、勝手に声が漏れ出した。
「姉様……」
巫女特有の白を基調にした装束は、甲冑の集団の中にあっても大変に眼を引いた。
すぐ横にはオキシオの短く刈りこまれた胡麻塩頭も確認できる。
さらにその隣、ネネよりも小柄で中性的な後ろ姿は、隊商に加わっていたオックス少年だろう。
物見が見ているのは、当然ながら門と壁の向こう側の風景だ。
すなわちネネたちは集落の外に出て、あろうことか最前線に構えているのだった。
外では、そのネネら――延いては集落そのものを背中にかばうように、封貝使いを中心にした精鋭部隊が展開されていた。
数はざっと二〇前後。
いつの間に移動したのか、先ほどまで敵三名と戦っていたイノノハイやベアミドゥたちの姿もある。
彼らを束ねるように最前列で仁王立ちしているのは、〈勇者〉クォーンだ。
彼の足元には、無力化した〈スリージィン〉の封貝使いたちが転がされていた。
意識を失っているのか。
はたまた死んでいるのか――。
特に拘束されている様子はないが、三人ともぴくりともしない。
封貝使いたちは既に自分の幻獣や武器を召喚し、既に臨戦態勢を整えていた。
彼らの険しい視線は対面、もう目と鼻の先に迫っている〈スリージィン〉本隊に固定されている。
もう物見の目からすら、接近する敵兵の顔を識別できるほどの距離だ。
というより、なにに頼らずともクレメンタインの聴覚は直接、無数の蹄が大地を抉る――一種、雪崩か地滑りにも似た――轟音を音をとらえていた。
集中すれば、びりびりと地面を伝う行軍の振動すら感じられる気がする。
野盗たちは矢尻さながら、長く綺麗な三角形の陣を成していた。
先端、先頭に立つ豪奢なマントをなびかせているのが――この暴虐の元凶、オウバルパなのだろう。
贅肉をこそげ取ったかのごとき痩躯に生白い肌。
病でも患っているのかと思わせる風貌の男だった。
だが、落ち窪んだ眼窩の底からは、狂気を宿し異様にぎらついた光が放たれている。
と次の瞬間、目が合った。
信じがたいことに、水晶を通してオウバルパがクレメンタインをはっきりと見た。
その双眸に渦巻くどろりと濁った悪意が、クレメンタインを真っ直ぐ射貫いた。
ヒッ――
悲鳴をあげずに済んだのはほとんど奇跡だった。
クレメンタインは胸を突かれたように後ずさり、両手で口元を覆いながら悪寒に身体を震わせた。
膝ががくがくと笑う。
実際には、目が合ったというのは錯覚だろう。
祭儀の際、巫女として絶大な人気を誇るネネが登壇し挨拶のひとつでもすれば、群衆の男たちはいつも「俺の方を見た」「巫女様と眼が合った」と主張しだす。
理屈は同じだ。
自意識がそうさせるのだ。
しかし、分かっていても心臓を握られたような恐怖は払えなかった。
立っているのもやっとのクレメンタインを、ハイオーが横から支えてくれる。
そうしている間に、時は訪れていた。
水晶の中で、オウバルパが鷹揚に右手をあげる。
ランコォル種を中心とした高級馬の足並が、それに応じて止まった。
門前に集ったオクスゥの精鋭たちから、おおよそ半オービット(約二五メートル)。
一触即発の険呑な緊張感を漂わせて、ついに両軍が対峙した。
「ずいぶんと雁首揃えて、こりゃなんのつもりだ先住民族ども」
オウバルパが唇を歪めながら言った。
水晶ごしには、ごく普通にしゃべっているようにしか見えない。
だがその声は不思議と響き、よく通った。
クレメンタインの耳すら壁越しにはっきりと届いてくる。
これが噂に聞く封貝使いの発声か――。
すぐに気付いた。
名称も教えられていたはずだが、咄嗟には思い出せない。
それでも理屈の方は記憶にある。
彼らが普段から放出している封貝使いに特有の〝気配〟。
これを意図的に操作し、媒介にして声を拡大、拡散しているのだ。
本来は戦闘時、裂帛の気合いや怒号、咆哮などで相手を威圧するための技術だと聞く。
と、オクスゥ側から一歩進み出る者があった。
「我が名はクォーン。そちらは〈スリージィン〉のオウバルパ殿とお見受けする! その余地があらば、チュゴ族を代表し貴殿との交渉を望む」
「ほう。お前がクォーンか。名前は聞いてる。〈勇者〉なんだろ、先住民族の」
だが、オウバルパの表情からうかがえるのは敬意ではなく、嘲笑の気配だった。
「村長でも族長でもねえ戦闘員を代表に出してくるたあ、口じゃ交渉だのぬかしておいて、てめえらもやる気満々じゃねえか」
物見に背を向ける格好であるため、クォーンの表情は分からない。
だが、無言で返す彼の心中が穏やかであるとは思えなかった。
「いいぜ、オクスゥ最強の戦士様よ。話が早いのは嫌いじゃねえ。長だと萎れたジジイが出てきたら手足斬り落してさっさと皆殺しタイムに入ろうと思ってたが……初手からてめえを出してきたことは評価してやる」
そう言うと、オウバルパは背後の部下を振り返り「おい」と一言発した。
その命にこたえて、すぐ後ろにいた戦士風のひとりが馬上から地へ軽やかに降り立つ。
鞍から身を翻した瞬間、背中まで伸びる長髪がぱっと翻ったのが見えた。
女性かとも思ったが、骨格は間違いなく若く屈強な男性のそれだ。
「こいつはジン・フェイジョーつってな。ウチで最高の使い手だ」
オウバルパが言うと、一瞬のタイムラグを置いて各所から低いどよめきが涌いた。
水晶ごしに見る〈勇者〉クォーン以下の精鋭部隊。
そして、クレメンタインの周囲に詰め寄せた一般兵たち。
彼らが一斉に、ジン・フェイジョーの名を唱えはじめたのだ。
その中に時おり混じる〈氷狼〉のつぶやきが、クレメンタインに不吉な予感をかきたてる。
広く知られた二つ名を持つ封貝使いが、簡単な相手であるはずがない。
「お前ら三人出せ」
と、オウバルパが馬上でふんぞり返った。
「クォーンと、他に強い奴から二人。上位三位だ。そいつらでこの〈氷狼〉のジンを倒せたら勘弁してやる。俺たちは退いて、少なくともお前らの集落には手を出さないと約束してやろう」
「なに――」
野性味のあるクォーンの頭髪が刹那、ざわりと騒いだように見えたのは錯覚か。
少なくとも声のトーンが微妙に変わったのは間違いない。
だが、好条件の提案に思わず上擦ったのか、侮辱ととらえて気色ばんだのか、その区別まではつかなかった。
「その話、間違いないな」
そう言ってクォーンと肩を並べる位置にふたりの戦士が歩み出る。
イノノハイとベアミドゥであった。
クレメンタインは食い入るように水晶を覗き込みながら、思わず拳を握りしめた。
戦闘能力を基準に選び出す上位三名。
そう問われてこれほど説得力を持った顔ぶれはない。
「ああ、約束してやるよ。お前らで良いのか。闘んのはよ」
クォーンは自分の左右に並んだ志士たちをそれぞれ一瞥し、そして正面に顔を戻した。
そしてしっかりと頷く。
「そうだ。私、クォーン。そしてこの――」
途端、オウバルパがわずらわしげに手を振った。
「あー……いい、いい。噛ませ犬の名前なんぞ興味もねえ。さっさとはじめろや。俺の気が変わったら責任とれんのか、雑魚三人衆さんよ」
すると主のその意向を受けてか、〈氷狼〉が手の平を上に向けて右腕をすっと突きだした。
無言のまま中指と薬指が二度、前後に揺らされる。
種族は違えど、その手振りの意味するところは変わらない。
すなわち、「向かってこい」である。
書いてたらなんか80キロバイトを超えてきたので、とりあえず半分に分けることにしました。
残りの分はもう8割がたできあがっているので、今週末にはリリースできると思います。




