消える聖火
053
カズマはまずナージャ、ケイスと合流し生存者の発見を報告した。
しばらくしてレイが仲間たちを引き連れて到着すると、集落のはずれでキャンプを張るよう指示する。
それから自身は廃墟に戻り、老人と二名の子どもを連れ出した。
少女たちは腹を減らせていたため、食料を分けてやると目の色を変えて食い付いた。
一方、老人は心労からそれどころではないらしい。
一応、押しつける形で水だけは受取らせたが、それにもほとんど口を付ける気配がない。
「奴らの――〈スリージィン〉の言い分は常にそうだが、イレスの分け火にかけて、とりわけ今回は極めつけの言いがかりだった」
老人は荷台に据え付けられた椅子のひとつに腰かけると、カズマが請うまでもなく、自ら語り始めた。
「奴らの主張はこうだ。〈スリージィン〉は国家に認められた正当な権利にもとづいて、我々オクスゥの隊商と接触し、協力を求めた。
しかし、そのオクスゥの隊商は複数の封貝使いの力を借り、〈スリージィン〉を拒み、その構成員を殺傷して逃走した」
国家に認められた正当な権利。
これは、言うまでもなく略奪行為のことだろう。
確かに〈スリージィン〉はフ=サァンで唯一、存在を公認された盗賊団だ。
彼らの通常の活動には、誰も文句を付けられない。
盗み、奪い、拐かしても、一定の範囲内であれば彼らは罪に問われない。
「だが、奴らの主張は正確ではないし、オクスゥが全体として取った方針でもない」
聞けば、その事件はこの西部地方ではなく、〈尾剣山脈〉を超えた東部で起こったのだという。
すなわち、インカルシや首都ネクロスがある、カズマたちが来た地方での出来事だ。
襲われたのは、西部から〈尾剣山脈〉を超えて行商に出た隊商で、確かにそれはオクスゥのグループであった。
だが、彼らを襲撃したのは正確には〈スリージィン〉ではない。
「奴らには下部組織がある。〈スリージィン〉はもともと他の盗賊団を取り締まることで国家の公認を得た組織だ。だから、自分たち以外の盗賊の存在を許さない。しかし例外がある。自分たちに忠誠を誓った盗賊団がそうだ」
つまり、〈スリージィン〉は従順な盗賊団は見逃し、生かす。
あえて潰さない。
自分たちの邪魔にならない限り、商売――すなわち強請、窃盗、略奪なども許すのだという。
そのかわり上納金と呼ばれる金を、定期的に払うよう迫るのだ。
「つまり下部組織は、〈スリージィン〉ではないが〈スリージィン〉に保護された関連団体だと言える。そうやって〈スリージィン〉に飼われている盗賊団は、国中に星の数ほど存在してるようだ」
東部地方でオクスゥの隊商を襲ったのは、この下部組織の一つなのだという。
だが、運悪くそのオクスゥの隊商には強力な封貝使いを護衛に付けていた。
そして、襲ってきた下部組織の野盗どもを完膚無きまでに返り討ちにしたのだという。
「――どこかで聞いたような話だと思わない?」
カズマは当事者であるナージャ、そしてエリックに向けて言った。
どこか声音に硬さが感じられたとしたら、それは口元が引きつり気味であったせいだろう。
「うーむ。私が野盗をぶっ飛ばしてオキシオたちを助けた時と似てる話だな」
ナージャがあっけらかんと言う。
対して、エリックの口ぶりはシリアスそのものだった。
「と言うより、そのまま僕らの話だとしてもおかしくない。オクスゥだけで構成された行商が、強力な封貝使いの強力を得て野盗を完全撃退したっていうのは、話を聞く限りそう滅多にあることではなさそうだ」
「エリックさんの言う通りです」
細かいところを見れば、「隊商に封貝使いの護衛がいた」という部分は正確ではない。
最初から雇われていたような表現だが、カズマたちは後から助けに入っただけだからだ。
とはいえ、話が広がるうちに曖昧になっていった部分と考えれば、そう深刻な齟齬とは言えなくなる。
「襲撃事件が起こったっていう大体の場所は僕らがオキシオさんたちを見つけた状況にぴったり当てはまるし……もう僕たちのこととしか思えないんですよね」
言って、カズマは眉根を寄せる。
「ちょっと待ってくれ。では、〈スリージィン〉は下部組織を撃退されたから、それを理由としてこのような蛮行に出たというのか?」
レイが信じられない、というように目を剥く。
「下部組織とはいえ、そいつらは〈スリージィン〉の正式な一員ではない。である以上、国家の公認の対象にはならないのだろう?
それとも、〈スリージィン〉は下部組織にまで自分たちの看板を使うことを許しているのか」
老人は億劫そう首を左右すると、やがてしわがれた声でも否定を繰り返した。
「それはない。公認がある以上、〈スリージィン〉を名乗るには非常に厳しい条件があるというのは有名な話だ。
当の〈スリージィン〉自体、名を騙る偽物を絶対に許さず、それを行った者には徹底した苛烈極まる制裁を加えると聞く」
もちろん、下部組織も例外ではない。
彼らは〈スリージィン〉本隊とは一線を画す外部団体だ。
許可なく〈スリージィン〉を名乗ったり、関係をほのめかしたりすれば、即座に粛正される。
それこそ見せしめとして、末端の構成員に到るまで一人も逃さず皆殺しだ。
では今回、なぜその下部組織を撃退しただけのオクスゥが、〈スリージィン〉に狙われることとなったのか――。
「現状、〈スリージィン〉に表だって逆らえる者はいない。奴らは国の公認を笠に着て、一方的に弱者狩りを行っているだけだ。楽な話だが、弱い者いじめが常態化すれば人材は育たん」
そこで近年、〈スリージィン〉は将来有望な幹部候補を、下部組織に出向させるシステムを作り上げた。
いわば盗賊版の武者修行だ。
一度、〈スリージィン〉の看板を使えない現場を経験させる。
相手から反撃される可能性、別の盗賊団との抗争の可能性がある下部組織で第一線を知る。
「えっと、出向ってなんですか?」
自動翻訳されたその言葉は、去年まで中学生であったカズマには聞き慣れないものであった。
「組織の命令で、別の組織へ移ることだ」とケイス。
「護士組にもありましたよね」
マオが同調した。
「あのショウ・ヒジカを見れば分かるでしょう。腕っ節が全ての護士組は、所詮封貝に物を言わせる武装集団ですから。
宮廷から政治に詳しい人間が派遣されてきて、護士組で顧問官のような役職に就くというようなことは、昔からよく行われてきたそうです」
「あー、あれか」
カズマは好きだった古い刑事ドラマを思いだし、思わず声をあげる。
「警察の偉い人が、なぜか一等書記官とかいって大使館で働くことになるやつ。法務省だっけ。留学みたいなもんだって言ってたけど……そっか、あれを出向っていうのか」
「よく分からんが、結局どういうことだ? オキシオたちを助けるときに私がぶっ飛ばした山賊たちの中に、その出向とかいうやつで〈スリージィン〉の奴が混じっていたということか?」
よく分からないと言いつつ、ナージャの理解は正確だった。
まさに、そういうことなのだろう。
出向だか武者修行だかで、〈スリージィン〉の幹部候補が田舎の小さな盗賊団に混じっていた。
それを知らず、オキシオやオックス、巫女のネネたちの隊商は自分と商品を守るため応戦。
結果的に両者にとって不幸であったのは、そこにナージャが乱入したことだった、というわけだ。
なるべく殺さないように。
カズマの指示を受けたナージャは、実際かなり手加減したはずだ。
それでも盗賊たちは血祭りにあげられ、完全撤退を余儀なくされた。
即死者こそいなかったが、何人かの傷は極めて重かったことは疑う余地もない。
結果的には助からない者も現れただろう。
その死者の中に、研修に来ていた〈スリージィン〉の正規構成員が含まれていた、という話だ。
「おい、それは言いがかりというものだろう」
すかさず反応したレイが、座っていた椅子から軽く腰を浮かせる。
「だから、爺さんが最初に言ってたじゃねえか。今度の話は極めつけの言いがかりだってな」
クゥガーが冷静に指摘する。
サングラスで双眸を隠された顔からは、いかなる感情も読み取ることができない。
だが、見えない紫煙をくゆらせるその様は、非常に落ち着いて見えた。
それから、幼児とその面倒係を除外した全員で、中央広場に向かった。
惨殺された村人たちの処理のためである。
「ご老体。〈原初の分け火〉は奴らに消されたのか?」
祭壇を沈痛な面持ちで眺めていたレイが、トーンを下げた声で訊いた。
かつて聖火が煌々《こう》と燃えさかっていたはずのそこ明りはなく、ただ血塗れの骸が山と積み上げられた。
「……恐らく。子どもたちを連れて森から戻ったときには、もう……」
「しかし、〈原初の分け火〉は単に水をかけたくらいでは消せないと聞く。それを消したとなると」
老人は答えなかった。
その気力も失われてしまったのだろう。
心を無くすと書いて「憮然」。
魂の抜け殻と化した彼は、虚ろな目で同胞たちの遺骸を見詰めている。
「先住民族の集落を焼き討ちして回ってる〈スリージィン〉は、封貝使いを連れているということでしょうか?」
気丈にも同行してきたエリナー・フォウサルタンは、胸の前で両手を握りしめている。
今にも泣き出しそうなその様は、苦手なホラー映画を観てトイレに行けなくなった子どものようだ。
「そう考えるべきなのかもしれんな」
レイが険しい表情で認める。
「通常の手段では消せない火を消したとなると、やはり封貝が使われた可能性が高い」
その声音は徐々に小さくなっていき、最後は吐息と混じり合ってほとんど聞き取れないまでになっていた。
「ここまでしなくてはならないのか……」
小さくつぶやいたかと思うと、今度はいきなりの怒号だった。
「ここまで! こんなことまでしなくてはいけない程のことなのかッ」
その剣幕にカズマは鼻白む。
呆然とレイの顔を覗き込むと、彼女は眦に薄く涙すら浮かべていた。
白磁のような肌は頬を中心に鮮やかに紅潮していた。
「絶対に手を出してはいけない領域というものはあるのではないか? どのような理由があろうとやってはいけない事があるのではないか? 〈原初の分け火〉が先住民族にとってどれほど重たいものなのか知らぬわけではないだろうにッ」
パンと破裂音にも似た乾いた響きがカズマの鼓膜に突き刺さった。
やり場のない怒り拳に変えたレイが、自分の手の平にそれを叩きつけたのだ。
「なんでこんな惨いことが平然とできる……なぜだ? なぜこうも軽く生命を扱える輩がいるのだ」
きょとんとするカズマやナージャを見て、思う所があったのだろう。
ケイスが説明の口を開いた。
「俺もむかし、同じく兵士として会ったオクスゥに聞い程度のことしか知らないが――」
前置きして彼は続ける。
「先住民族にとって〈原初の分け火〉は部族としても個人としても、まさに全てなんだ。
彼らにとって、〈分け火〉はオクスゥの守護神イレスそのもの。
部族内で子が生まれれば本人を連れて〈分け火〉に報告し、祭壇の前で名付けが行われる。
オクスゥの婚姻は独特のシステムだが、その儀式も宣誓も〈分け火〉という神前で行われる。いわゆる裁判も、一族の方針を決める重要な会合も――そして葬儀もそうだ」
死者が出たとき、オクスゥは遺体を祭壇の前に安置し、鎮魂の儀式を行う。
そして最後は〈分け火〉に死者を投じ、火葬するらしい。
そうすることでオクスゥは〈原初の分け火〉と一体となり、同じく伴われてきた幾千幾万の先祖の列に加わると考えられているからだ。
それは彼らの魂が女神イレスの元に誘われ、抱かれ、そして魂の管理者であるユー=パス神の元へと送られることでもある。
朝、昼、夜。
時間を問わず天穹を仰げば、オーロラさながらに揺らめ輝く星屑の大河が見える。
聞けば、それは自然現象で説明がつくものでも、遠く銀河の彼方に見える星々の集団でもないらしい。
透き通った翠のそれは煙のように長く細くどこまでも続き、意志を持つかのようにゆっくりと揺らめいている。
人々はこれをライヴストリームと呼び、そしてオクスゥは死者の魂はそこへ還るのだと信じている。
「文化、思想、歴史、矜恃、象徴、思い出。なによりオクスゥにとっては魂そのものなんだよ、〈原初の分け火〉ってのは。
何かを約束するとき、誓うとき、契約するとき、許しを求めるとき……オクスゥはすべて〈分け火〉と向き合い、〈分け火〉を通す。
自分の全てを知るもの。自分のすべてが記録されているもの。いつか命が尽きたとき、自分が還るべき場所。
自分だけじゃない。親もその親も……全ての先祖、そして家族、友人、恋人、伴侶、子、孫。過去から未来まで、全オクスゥの魂を繋ぐオクスゥがオクスゥたる理由であり答え。それが〈原初の分け火だ〉」
「そう。だから私はこう教わった」
レイが人差し指で涙をすくいながら、決然と言った。
「オクスゥは〈原初の分け火〉か自分の命かと問われたとき、迷うことなく〈分け火〉を選ぶ存在なのだと。誰ひとり、自分の名をようやく言えるようになった幼子すら違わず、その選択をする一族なのだと」
それでようやく、カズマにもなんとなく分かりはじめた。
多分、文字であり言語なのだ。
オクスゥが〈分け火〉を消失するということは、きっと日本人として「日本語」を奪われるような感覚なのだ。
どこかの国に戦争で負け、侵略者に日本の文化を徹底破壊、根刮ぎ抹消されたとき――恐らく自分は今のオクスゥの絶望を理解できるのではないか。
カズマはそう考えた。
言語、文字とはその国の文化そのものと言ってよい存在だ。
日本語の存在が世界から消され、忘れ去られ、なかったことになること。
日本語で綴られた歴史書も、公文書も戸籍も。
物語、歌、手紙、日記、なにより国民の名前さえも……ありとあらゆるものが灰と化し、無に帰す。
喋る言葉がない。
綴る文字もない。
帰る場所もなく、また何に帰属することもない。
もはや何者でもない。
全てを失い、忘れ去られた者――。
それが言語を奪われた亡国の人であり、〈分け火〉を失ったオクスゥなのではあるまいか。
「ああ……」
乾いたつぶやきが口から零れたとき、カズマは自分の両の拳がかすかに震えていることに気付いた。
爪が食い込むほど強く握られたそれは、関節が固まってしまったかのように力を抜こうとしても解けようとしない。
「やっと分かってきた」
「クゥガー。到底、捨て置けないるものではないぞ、これは」
レイが決意を秘めた目で言った。
「派閥にとって遠回りになるのは分かる。通った道で起こっている問題全てに救いの手を伸ばせるわけではない。
しかし、それでも私はこの問題を放置はできない。たとえ一人でも」
「だろうな」
クゥガーはひょいと両肩を持ち上げた。
お嬢様の性格は把握済みということだろう。
「だが、情報が少なすぎるぜ。俺は西部の地理にゃ明るくない。この辺にオクスゥの集落がどのくらいあるのかすら分からない以上、〈スリージィン〉がどういうルートで進行するかの予測も立たたねえ」
その指摘には大いに頷けるところがあった。
なにせこの集落自体、地図上には載っていなかったのだ。
遊牧民的なところがあり、集落単位で移動することもあるというから無理もない。
全てを把握しているのはオクスゥ自身だけだろう。
「結局、〈スリージィン〉の奴らはどこまでやる気なのだ?」
その問いは無邪気ともとれる口調で発されたが、核心を突いていた。
ナージャだ。
「オクスゥ狩りは西部だけでやってるのか? この辺のオクスゥを全滅させるつもりの勢いなのか?」
「――まあ、問題はそこになるわな」
クゥガーは咥えていた葉巻をつまみ、一度深く息を吐いた。
「急がば回れってやつだ。ここは分担といこうじゃねえか」
彼は短くなった葉巻を靴底ですり潰し、続けた。
「レイ。お前今、一人でもやると言ったな。だったら俺とは一旦、別行動してもらうぞ」
「お前はどうするつもりなのだ?」
レイが訝かしげな顔で訊く。
「俺は予定通りのルートで進んで、キィネオ伯爵領に入る。あそこが〈スリージィン〉一大拠点になってることは、余所者でも知ってるくらい有名だからな。情報も集まるだろう」
「では、私はこの近くで生活しているオクスゥを手当たり次第に当たって回るということだな」
「お前はそっちの方が性に合ってんだろ?」
「その通りだ。情報を集めても手遅れになっては意味がない。確かに二手に分かれた方が確実だな」
「僕も個人としてはレイさんと同じ考えですよ」
カズマはすかさず言った。
早めに指摘しなければ、レイは今すぐにでも飛んで行ってしまいそうな勢いだった。
「もし、僕に決定権があるなら派閥としても、オクスゥの助太刀に動きますよ。そもそも原因は僕らにあるんですし、オクスゥには友だちだっている」
レイはカズマを振り返ると「おお」と喜色を露わにした。
「義に厚いお前ならそう言ってくれると思ったぞ、カズマ」
一気に二人称が気やすくなった。
「大将がそう言うなら、派閥としては従わざるを得んだろう」
ケイスがともすれば見逃しかねないほど微かな苦笑で言う。
「おい、爺さん」
ナージャはずかずかと歩いていって、老人の肩を掴んだ。
相手が放心状態でもまるで遠慮がない。
空気を読まない人間の強みだ。
「お前、オキシオという奴を知らないか? 同じ先住民族仲間だろう。あと、オックスっていう子供と、ネネって言う巫女がいる部族だ。どこに住んでるか分かるか」
老人はのろのろとナージャの顔を見上げた。
相手が短躯なこともあり、相対するとナージャの方が頭一個分、上背に勝るのだ。
「オキシオ。オックス。巫女ネネ。サイトとかいう戦士もいた。どこの部族か知らないか」
寝起きさながらぼんやりとした老人に、ナージャは辛抱強く質問を繰り返した。
「オックスは……〈三番目〉の子という意味だ」
ややあって、老人がぼそぼそと口を動かしはじめた。
「世界には第一に神が現れ、第二に〈大いなる者〉が現れ、そして三番目に先住民族が住まうようになった。
オクスゥとは古い言葉で〈三番目〉という意味なのだ。それが変化しオックスとなった」
そのため、第三子の名を持つ人物はそこら中にいるという。
老人の弟もオックスだったらしい。
「だが、戦士オキシオとネネという名の巫女が揃って存在する部族は一つしかない」
「知ってるんですか」
思わずカズマも勢い込む。
「チュゴ族だ。彼らの集落は西にある。ここから馬で二日ほどの場所だ」
「おい、そこは無事なのか?」
ナージャが老人を揺さぶる。
「分からん」
力なく首を振る。
「場所的にはここよりキィネオから遠いが……それはなんの保証にもならぬだろう」
「待って下さい」
エリナーが土気色の顔で言った。
「もし、先ほどのお話が本当なら――先住民族が自分の命よりも〈原初の分け火〉を重んじる方々なのでしたら、それを消そうとする〈スリージィン〉に降伏することはなくなるのではありませんか? だとしたら」
言われてはっとさせられる。
カズマは目を見開いて絶句した。
だとしたら――
その後の言葉は、もはや聞くまでもない。
オクスゥは〈原初の分け火〉を消そうとする者を決して許さないだろう。
カズマの知る彼らは皆、温厚で礼儀正しい穏やかな人格の人々ではあった。
しかし、いざとなれば彼らは戦う。
〈分け火〉が本当に一族の魂ともいうべきものなら――間違いない。
最後の一人になるまで戦おうとするだろう。
勝てる勝てないの問題ではない。
他に選択肢はないのだ。
それは結果的に、「〈スリージィン〉への反逆」という構図を成立させてしまうことになる。
始まりは言いがかりだったが、それが事実になろうとしているのだ。
そうなるともう、どちらもただでは止まれない。
〈スリージィン〉はメンツを丸潰れさせられた報復、見せしめとして徹底的にオクスゥを叩こうとするだろう。
オクスゥはそれに全力で抗うだろう。
すなわち、戦争が起ころうとしているのだ。
否、もう起こっている。
それはどちらかが滅びるまで終わることのない、血みどろの殲滅戦に発展し得る。
〈スリージィン〉はそもそも侵略したいのでも、支配したいのでもない。
オクスゥを根絶やしにしなければ気が済まない状態なのだ。
もしそうなら、戦火は際限なく広がりフ=サァン全土に拡大する怖れがある。
何千、何万という犠牲が出てもおかしくない。
話は思っていたよりも遥かに大きく、極めて深刻なものになりつつあるのだ。
もはや一レイダー派閥として介入したところで、なんの力にもなれないと考えるべきだ。
目の前が暗くなるのを感じた。
もはや高校生の手に負えるレヴェルではない。
急に、なにをどうすれば良いのか分からなくなった。
どこから手を着けるべきなのか。
行動したとして、それは意味のあるものになるのか。
もし、下手に動いて状況を悪くしてしまったら――?
そもそも、オキシオたちを助けたことが今に繋がっている。
無論、それは良かれと思ってやったことだった。
実際、本人たちからは感謝された。
死を待つばかりの人命も救えた。
あれは間違いではなかったと断言できる。
それでも今、カズマの胸中はざわめいていた。
自分の選択、決断が大量の死体を生んだという事実に圧倒されていた。
理屈や大義は慰めにならない。
現実に、目の前には見上げるほど高いオクスゥの死体の山が積み上がっているのだ。
無惨に切り刻まれ、むせ返るほどの血に塗れた骸がだ。
似た話は聞いたことがある。
小学生時代、クラスメイトの父親がクルマで死亡事故を起こしたのだ。
それは不可抗力に近い事故であったと聞く。
飛び出してきた歩行者に過失の大部分があった。
そんな災難だった。
だが、その歩行者は死んだ。
残ったのは、人を自分の運転するクルマが殺したという事実だ。
そのことに、クラスメイトの父は耐えきれなかった。
避けようがなかった。
むしろ自分も被害者。
それらもまた事実の一面であったが、意味を成さなかった。
「ダーガ?」
声に思考を中断される。
目の前にナージャの顔があった。
ほとんど吐息さえ感じられる近さだった。
「どうした。お腹空いたのか?」
見れば、レイやエリナー・フォウサルタンたちも、気遣わしげな視線をこちらに注いでいる。
「あ――いや」
反射的に身をひいて距離を取った。
「大丈夫。思ってもみなかった大事になってきたから、ちょっと怖くなっただけだよ」
「心配するな、ダーガ。盗賊の奴らは私が全員ぶっ飛ばしてやるから安心だ。ついでにオクスゥも助けてやるのだ」
ナージャは丸っこい拳を誇示するように掲げ、得意げな笑みを口元いっぱいに広げてみせる。
「頼りにしてるよ」
彼女の肩に手を置きなんとか微笑を返す。
「じゃ、悪いが俺はさっそく行かせてもらうぞ」
かく言うクゥガーの声に振り向いたとき、彼は既に移動系幻獣型封貝〈狻猊〉を傍らに召喚していた。
相変わらず牛のように巨大なこの狛犬もどきは、ここまで延々と荷台を牽かされていた上に、また長距離の移動に使われるらしい。
「どっちにしてもキィネオには誰かを偵察にやるべきとは思ってたんだよ。〈スリージィン〉の砦の一つが〈イス教団〉に落とされたってのは、いつまでも伏せておけることじゃねえ。
情報が命の大商会なんざは金かけて強力な人脈をあちこちに繋いでる。もう事実を掴んでるだろう。奴らがその情報を手下の封貝使いに持たせてキィネオに飛ばせば、俺らが幾ら急いだって先を越される」
「それは俺も考えていた」
ケイスが認めた。
「俺たちが到着するよりはやく、キィネオは情報を手に入れて警戒態勢を強めてしまうかもしれない。その可能性はある」
「そこんとこが実際どうなのか、それがオクスゥの件にどこまで影響しそうか――とにかく情報が必要だ」
「お任せして良いんですか?」
カズマは遠慮がちに言った。
「キィネオには、前の大戦で知り合った古馴染みがいたはずだ。移動してなけりゃだがな。まあ、それなりにやれるだろ」
言いながら地を蹴ると、クゥガーはひらりと〈スアンジ〉の背に跨がった。
まるきり重力を感じさせない動きだった。
今回はどういう仕組か、前回は見られなかった鞍が同時召喚されており、彼はそこに腰を落ち着けた。
手綱もセットになっていた。
レイのおもりは頼んだぜ。
言うが早いか、鞭を入れられたわけでもないのに、スアンジは疾駆しはじめた。
走るというより跳躍という表現が相応しい、文字通り飛ぶような勢いだった。
「我々はどうする。とりあえず、ここから一番近い集落に行ってみるか?」
相棒兼護衛の後ろ姿を見送った後、レイがよく通る声で訊いた。
「それともカズマの友人だというチュゴ族だったか? そこの集落に向かうか」
難しい問題だった。
結局、これにも多くの人の命がかかってくる。
この集落が襲われた以上、次は近場の集落を心配すべきなのは当然だ。
それを素通りして、遠く離れたチュゴ族の元へ向かえば救えるはずのオクスゥたちを見殺しにすることにもなり得る。
逆もあり得た。
寄り道をした結果、ついた時にはチュゴ族が滅ぼされていた――という可能性も考えねばならない。
そのときは〈分け火〉の消された祭壇に、手や脚を切り落とされたオキシオやオックス、ネネといった知った顔がさらされているのを見ることになるだろう。
「……僕としては、チュゴ族の所に行きたいです」
散々迷った上で、カズマは絞り出すように言った。
今は一つひとつの選択が、ひたすら重く感じられた。
「苦肉の選択」という言葉の意味を、初めて理解した気さえしていた。
「途中、近い順に集落の様子を見て回るというのはどうでしょう」
「時間はかかるが、まあ無難ではあるな」
ケイスのその言葉に、カズマはどこかほっとする。
「ようし。じゃあ、オキシオたちのところに行くか」
腕まくりのような仕草を見せながら、ナージャがぺろりと唇を舐める。
「その前に、死者たちを弔ってあげて下さい」
少し離れた所から涼やかな女性の声が聞こえてきた。
非戦闘員たちとキャンプに残してきたドリュアスだ。
彼女は存在自体が精神安定効果をもたらすらしく、親や友だちを亡くしてしまった小さな姉妹たちを落ち着かせる役に回っていたのだ。
「精霊様。あの子たちは……」
流石の老人も、森の精霊に対しては反応が違った。
「彼女たちは眠りました。自然の豊かなここはオウルに満ちています。その力を借り、ささやかながら加護を与えました。今宵は安らかな夢を見るでしょう」
もちろん、目覚めれば非常な現実が待ち構えている。
だが、それに立ち向かうためには休息も必要だった。
「死者より生者を優先する人間の考えも分かります。
しかし、これだけ多くの遺体を放置するわけにはいきません」
「陰相化のおそれがあるのでしたね」
敬虔な信者の顔つきでエリナーが言った。
マオもそうだが、人によってはドリュアスに対して、明らかに敬服の姿勢を取る者は少なくない。
カズマがまだ知らないオルビスソー独特の文化が関係しているのだろう。
「でも……どうするのだ?」
ナージャが目をぱちくりさせる。
「死んだ奴は〈原初の分け火〉で焼くのがオクスゥのルールなのだろう。でも〈分け火〉はないぞ」
「近くの集落から〈分け火〉を少し貰ってくるとかは? 駄目なんですかね」
カズマは胸の前で小さく挙手しながら訊いた。
もしそれで良いのなら、封貝使いがひとっ飛びすれば一、二時間で問題は解決できるだろう。
「〈原初の分け火〉の本質は超高純度、超高濃度のオウルです。それは普通の火と違い、枝を差し出せば燃え移らせることが可能なものではありません」
ドリュアスが落ち着いた口調で告げるが、少なくともカズマには理解できない説明だった。
「どんな嵐の中でも消えないと言われる聖火だ。常識が通じずとも不思議はない」
レイが神妙な顔つきで言う。
それに片方の眉を吊り上げて反応したのがナージャだった。
「要するに、〈分け火〉なのに余所から分けて貰うのは無理ということか? なら結局、どうするのだ」
「〈原初の分け火〉じゃなくて、普通の火でとか? それとも、文化的には土葬とかになるんですかね」
助言を求めるようにカズマはケイスを見やる。
だが、彼が返答の口を開くより早く、視界の外からむせぶ声が聞こえてきた。
それはやがてはっきりとした嗚咽へと繋がっていく。
「あまりに不憫だ……」
膝から崩れ落ち、老人は両手で口元を塞いでいる。
とめどなく涙の溢れ出してくる目は、積み上げられた遺骸の山に向けられていた。
「なぶり殺しにされた挙句、〈分け火〉に還ることすらできぬ。オクスゥとして死ぬことすら許されない何を……」
激昂していく老人の声は徐々に高まり、最後は裏返った悲痛な叫びとしてヒステリックに木霊した。
「この者たちがしたというのだッ!」
老人は突っ伏し、獣の咆哮のように太く号泣する。
無実の罪で死刑にされ、首をさらされた身内を見るような心境なのだろう。
家族だけではない。
遠縁に到るまで、老若男女問わず一族郎党の何十にもなる首がずらりと並べられている。
そんな光景にも等しいのだ。
死してなお不名誉を強いられる。
魂を汚される。
そんな同胞を見ながら何もできない。
老いた生き残りにはただ慟哭することだけしか許されない。
そこにさらされているのが、もし自分の身近な人々であったら。
滅多刺しにされ体中から血を噴き出したシゲン、腹に槍を突き刺されたままのサトミ、指が一本もなくなったヨウコであったら――
「ドリュアスさん。なにか方法はないんですか」
精霊に問いかけた。
弔えというのなら、何か腹案があるのかもしれない。
「一つだけ、〈分け火〉を蘇らせる方法があるかもしれません」
その言葉に誰よりも早く反応したのは、ほかでもない泣き暮れていた老人であった。
彼は弾かれたように顔を上げた。
ぐしゃぐしゃになった顔で、すがるように翠緑の貴婦人を凝視する。
「それは誠ですか、精霊様!」
ドリュアスはこくりと頷く。
「あくまで望みがある、という程度のことではありますが」
「どのような――それはどのようなッ」
老人は膝立ちのまま精霊に迫る。
必死の形相であった。
「貴方です、オウル・オ・イレス」
唐突に首を巡らせ、彼女はカズマに視線を定めた。
「貴方の歌にはオウルを活性化させる力があります」
「は――?」
思わぬ展開にカズマは思わず口を半開きにする。
ドリュアスはそれに構わず淡々と続けた。
「先ほども申し上げた通り、〈原初の分け火〉の本質はオウル。そして基本的にオウルは不滅です。消えたように見えるのは、形を成せぬほど弱り、拡散してしまったからだと考えて良いでしょう。
ならば、必要なのはオウルです。どのような方法であれオウルを注げば、再び〈分け火〉は形を成し、輝きを取り戻すやもしれません」
無論、オウルは自然エネルギィの総体とも言うべき存在。
エーテルともライヴストリームとも呼ばれる神秘の領域にある。
人間であれ精霊であれ、本来、意のままに制御できるものではない。
「ですが、稀に例外が生まれるのです。その一つが、私たち精霊の間ではオウル・オ・イレスとして語られています」
「途中ですまんが――」
先ほどのカズマの真似というわけではないだろうが、レイが遠慮がちの挙手と共に口を挟んだ。
「今の話のどの部分がカズマと関連するのだ?」
それはカズマ自身の疑問の代弁でもあった。




