空白の祭壇
052
首都ネクロス。
護士組を擁するインカルシ。
フ=サァン最大級の大都市が居並ぶ東側と比べ、〈尾剣山脈〉を超えた西側は様相を大きく異にしていた。
東側に広がっていた平野部の代わりに、視界の遥か先まで延々と深い森が続いている。
その大森林には間欠的に正体不明の地鳴りが襲い、絶え間なく怪鳥や獣の泣き声が響き渡り、時おり頭上をあまりに巨大な何かの影が過ぎっていく……楠上カズマに言わせれば、そこはアマゾンの大密林と大差のない非日常の世界だった。
気候はうって変わって蒸し暑く、肌をべとつかせる嫌らしい湿気が不快だった。
旅立ちから二日目。
どうにか尾剣山脈を越えてこの樹海に入り込んだワイズサーガ一行は、最初のトラブルに見舞われ、この大森林で思わぬ足止めを食っていた。
「――やっぱ、こりゃあ駄目だな」
荷台の前面部に向かってしゃがみこんでいたトーリ・クゥガーが、立ち上がりながら言った。
サングラスのブリッジをぐいと持ち上げて続ける。
「見ろ」
彼の太い人差し指と親指が、その原因を摘まみあげた。
「枠が外れちまったのは、衝撃を受け続けて釘穴がバカになったからだ。
気付かない間に少しずつ緩んでいったんだろうよ」
原因は分かっていた。
東側から登った〈尾剣山脈〉を抜け西側へ下る途中、絶え間なく負荷を受け続けたためだ。
派閥ワイズサーガが利用している荷台には車輪がない。
カズマの封貝で宙を浮いて走る特別製である。
そのため振動とは無縁だが、幻獣に牽かれている以上、下り坂ではどうしても斜め傾かざるを得ない。
中身が半分になった瓶を傾けると、下になった方へ液体が偏る。
同じ事が荷台の上でも起こったのだった。
そうして圧力を受け続けた前面の枠が、ここにきて遂に限界を迎えたのだ。
「問題は、釘より枠の方ですかね」
クゥガーの肩越しに状態を検分し、カズマは唸る。
釘が抜けてしまったのは、枠に使っている木材の経年劣化のせいだ。
思っていたより古く、耐久性のない木であったらしい。
もろく、傷つきやすい。
釘を打ち込んでも、穴が広がりすぽすぽと抜けてしまう。
「どうするのだ、カズマ? 木材はその辺の木を切り倒して加工すれば良いが……釘はそうもいかんぞ」
レイ・ムカイザーノが訊いた。
いざとなれば自分の移動型封貝を呼出せば良い彼女は、さほど深刻そうな顔はしていない。
「気付くのが遅すぎましたね。半分くらいしか残ってない」
途中、ぽろぽろと脱落してしまったのだ。
「あの、後ろの方も――前よりはマシですけど――時間の問題みたいです」
エリナー・フォウサルタンが控えめな口調で指摘した。
確認してみると、確かに後部にも問題が見つかった。
こちらも枠と言えば枠だが、荷台の上を囲う柵としてのそれではない。
底面に敷いたカズマの〈*ワイズオレイター〉が荷台とずれてしまわぬよう固定するための、下向きの枠である。
こちらも壊れかけている理由は同じだった。
下り坂で傾いた時、滑り落ちようとする荷台を支えようと一番負担がかかる箇所である。
こちらは比較的質の良い木材を使用していたため、前面の枠ほど状況は悪くない。
釘も少し緩んでいる程度であった。
とはいえ、限界を超えるダメージに木材自体が痛みはじめていた。
「山は下っちゃいましたけど、この先なにがあるかわからないですし……このままじゃ流石に危ないですよね?」
カズマは場の全員に問いを投げる。
これを真っ先に拾ったのはマオ・ザックォージであった。
「私たち封貝使いはもし放り出されても痛い程度で済むでしょうが、そうでないメンバーはそれだけでは済まないでしょうね」
「ですよねえ」
カズマは腕組みして再び唸る。
特に後部は深刻だ。
ここが割れるなり裂けるなりすると、車輪がわりである〈*ワイズオレイター〉と荷台が分離してしまう。
状況としては、自動二輪の運転中いきなりハンドルがもげてしまうに近い。
「ねえ、要は枠になれば何でも良いんでしょ? だったら封貝で固定したり、封貝の盾自体を枠代わりにしたりはできないの」
新規加入の三人娘のリーダー格、赤毛とそばかすがトレードマークのサニィが、全員に向けて言った。
質問というより提案の体だ。
「応急的になら、それでも構わんだろうな」
とレイ。
「だが、長時間となると別だ。敵襲など咄嗟の場合に、対応が遅れるからだ。盾を張れる者は雨や空からの魔物の襲撃に備えておかねばならないし、同じようなことが別タイプの封貝にも言える」
これはカズマにとって耳の痛い話だった。
本来の用途ではない使い方を色々と模索できるのは、逆に言えば、それが許されるほど役に立たないと思われているからなのだ。
戦力として勘定されていないからこそ、封貝で荷台を持ち上げたり、盾を足場にしたりという遊びも黙認される。
「まあ、どうにか修理するしかねえわな」
クゥガーが煙草に火を付けながら言った。
「なら、どっかで釘を調達しなくちゃならねえが、この辺に街なんざねえんだろ?」
相変わらず、副流煙がまったく出ない不思議な煙草であった。
ほんのりと漂う香りはどこか爽やかで優しく、空腹時に焼いた肉の香りを嗅ぎつけたときのように、自然とそちらに顔を寄せてしまう。
地球の煙草と違い、むしろ人を引きつけるアロマ的な芳香だ。
「地図上では――ないな」
見ると、ケイスが荷台の上に大地図を広げていた。
普通のドアの半分はあろうかというサイズに、〈尾剣山脈〉から西側の地理が記されている。
こちらは空を飛べる封貝使いが大勢いるため、こういう基本的な地図は思ったより簡単、かつ安価に手に入るという。
「おーい、遠くに集落みたいなのが見えるぞ」
ほどなく、頭上からナージャの声が降ってきた。
移動封貝〈*脚踏風火〉で上空数十メートルにまで上り、周辺地理を目視で確認してくれたらしい。
「凄く小さなとこだ」
地上に戻ってきて続ける。
「なんか幾つも煙が出てたな」
「もしかしたら先住民族かもしれません。彼らは西部に多いですし、遊牧民のように住む場所を変えることがあると聞きます」
エリナー・フォウサルタンは、もともとこちら――西部の出身だ。
その言葉にはいつも以上に説得力が感じられる。
レイ・ムカイザーノも同調した。
「私もそのように聞いているな。
彼らは〈原初の分け火〉と言われる部族の象徴さえあれば、どこであろうと故郷のように生活できると」
「あー、それ聞いたことあります。なんとかの火」
カズマは言った。
「あれでしょ? 彼らが信仰してる火の女神様から、大むかしに直接分けてもらったとかいう神聖な火ですよね」
「それより、煙が幾つもと言うのはどういうことでしょう」
マオはそちらが気にかかるらしい。
「その〈原初の分け火〉とかから出てるのではないのか?」
ナージャが指摘する。
だが、マオがすぐに否定した。
「〈原初の分け火〉は集落に一つしかありませんよ。村の中心に祭壇を作って、そこで巨大な焚き火として燃やし続けるんです。それに、あれは目立つ煙などあげないはずです」
「ドリュアスさん。何か感じますか?」
カズマが聞くと、翠緑の貴婦人は珍しく表情を険しくしていた。
「生命はいくつか感じます。ですがとても少なく、集落という程の数ではありません。それに、この感覚は……オウルが大きく乱れています。今にも陰相転化しそうなほどに」
「えっと、どういうことですか?」
「なにか……大いなる災いに襲われている可能性があります。土地の属性を陰相に大きく、急激に傾かせるほどの死が、あの集落で発生したのでしょう」
「まさか……〈イス〉」
カズマは思わずつぶやき、仲間たちと顔を見合わせた。
話は偵察を出すことで即座にまとまった。
まず、ケイスがプテラノドンを彷彿とさせる翼竜〈アルハングェラ〉を召還する。
カズマ、レイがその背に同乗。
ナージャは自前の〈*脚踏風火〉で飛び、計四名の封貝使いで空から接近する。
ドリュアスは帯同せず、本隊の聖域化にあてた。
目的地までは五キロはあっただろうか。
体感であるため、カズマにはまったく自信が持てない。
いずれにせよ、ナージャが見たのは確かに人間の集落であったことが、やがてはっきりした。
正確には、集落であったもの――だった。
数百メートル手前の段階から、既に強くきな臭さが感じられていた。
しかし、現場は想像以上だった。
開かれた学校のグラウンドほどの土地は大部分が地面まで黒く灼け、焦土と化していた。
建築物もことごとく炭化するまで焼き尽くされ、無惨に崩落して原型すら留めていない。
これらの大半はまだ強い熱を持っており、集落を襲った大災厄がそう遠い日のものでないことを物語っていた。
「これは……」
さしものレイも目を覆わんばかりの惨劇に柳眉をひそめている。
「やはり、先住民族の集落だな」
骨組みの一部が黒炭として残るだけの家屋を見つめ、ケイスが言った。
「火事、ですかね?」
カズマが聞くと、ケイスは首を左右した。
「いや、恐らく違う」
オクスゥの住居は木造だが、密集はしていない。
猛烈な風でも吹かなければ、延焼して全ての家屋が全焼するということにはならないだろう。
それが彼の推論だった。
「じゃ、強い風が吹いてたんだろう?」
ナージャが、例によって目の前の結論に飛びつく。
だが、それが間違った解答であることはカズマにもすぐ分かった。
「ナージャ。そんなに強い風が吹いてたなら建物だけじゃ済まないよ。周りの森にまで延焼して、今ごろ大森林火災になってるはずだよ」
「その通りだな」
レイが決然と言った。
「逆説的に、森林火災がなく家屋だけがこうまで被害を受けているということは、これが人為的に行われた破壊であることを意味している」
降り立ったのは村のはずれであったため、全員で中心部に向かって移動を開始した。
だが、すぐに先頭をいくケイスが立ち止まった。
理由はカズマにも分かった。
死体だ。
かつて人体であった肉片と血溜まり。
遺骸の一部は、民家と共に焼け焦げ、かろうじて人と分かる炭の塊になっている。
そうでないものは屋外で切り裂かれ、鮮血の海に沈んでいた。
恐らくは襲撃者から逃げ惑い、その途中で捕まったのだろう。
そして嬲り殺しにされた――。
そんな男女の骸と、彼らの身体の一部がそこら中に転がっていた。
中でもとりわけ目立つのは指だ。
食い込んで外れない指輪を奪うため、手っ取り早く切り落としたということか。
これらの死体は、面倒だからとうち捨てられた村人の一部らしい。
彼ら以外の亡骸は引きずられ、どこかに集められた痕跡がある。
それらしき筋が地面に幾つも描かれていた。
酸化し、どす黒く変色した血の道だ。
すべてが〈イス教団〉の、人体を使った狂宴を思い起こさせる光景だった。
中心部分は、すくなくとも集落の全員が一同に介せる規模の広間になっていた。
中央には大相撲の土俵にも負けないようなステージが設けられ、金属製の荘厳な円形台座が置かれている。
間違いなく、マオが言っていた〈原初の分け火〉を祀る祭壇であったのだろう。
だが、〈分け火〉はどこにも存在せず、元から無かったようにかき消えていた。
代わりに祭壇に山と積まれているのは、殺害された集落の人々であった。
男、女。
老いも若いも関係ない。
中には小さな――本当に小さな子どもの遺体も相当数あった。
折り重なったそれら遺骸の頂上には金属製のポールが突き立てられ、巨大な旗がはためいてた。
旗章はアーモンド形のひとつ目玉に、熊の爪痕のような三本のひっかき傷が縦に並んで走っている、印象的なものである。
「――〈スリージィン〉の印だな」
「えッ」
ぼそりとしたケイスのつぶやきに、カズマは跳ねるように反応する。
「〈イス教団〉ではなく……〈スリージィン〉の仕業だということか。これは」
レイが射貫かんとばかりに旗印を睨めつける。
確かに、東部の砦で見た〈イス教団〉の所業はもっと徹底していた。
そして常軌を逸した――異様な何かを感じた。
むろん、どちらも間違いなく鬼畜の所業ではある。
しかし、この集落で行われた暴虐には、指輪目当てに指を落とすといった欲や思考、理屈が感じられる。
徹底して焼き払ったのも、見せしめなどの目的があってのことだろう。
あくまで人間が人間としてやったことなのだ。
だが〈イス教団〉は違った。
連中に思想はない。
金品に対するような分かりやすい物欲もない。
何もない。
ただ感情を発露し、表現し、愉しんだ結果なのだ。
馬鹿騒ぎのパーティの後に残された、空の弁当容器や空缶、コンビニ袋が人間の死体であったのだ。
生み出されたその地獄絵図からは、人の姿をした化物たちの哄笑が聞こえてくるようでさえあった。
あれは次元が違う。
この世界にねじ込まれた、異界だった。
「〈スリージィン〉って、通常の略奪でここまでやるんですか? 集落の住人を皆殺しにして、建物には一つ残らず火をつけて……」
草の根一本残さない、文字通りの根絶やし。
「いや。俺の知る限りではそんなことはない」
ケイスが油断なく周囲を見回しながら言った。
「奴らにとって、街や村は畑と同じはずだ」
レイが引き継ぐように口を開いた。
「荒し尽くすと二度と作物が育たなくなる。それより、ほどほどに留めて二度、三度と収穫できた方が良い。ここまでする理由はないはずだ。普通なら」
彼女は一息に語りきると、瞑目し「ユー=パスよ」と静かに唱えた。
死者に捧げる祈りの言葉か何かなのだろう。
「さらわれた自分たちが逃げ出したら、反乱と見なされて〈スリージィン〉に故郷を丸ごと滅ぼされる――みたいなこと、あの三人組の女たちが言ってなかったか?」
ナージャの指摘で、カズマもそのやりとりを思い出した。
「言ってたね。だから僕らが砦を落とした時も、彼女たちは喜ばなかったし、逃げだそうともしなかった」
「むしろダーガは怒られてたな」
「うん。余計なことするなってね」
このなんでもない会話は、あえてのことだった。
ナージャは違うだろうが、少なくともカズマにとってはそうである。
雪山で遭難した時は口を動かし、声を出し、話でもしていなければ、眠気と戦えない。
そして今、カズマが戦わねばならないのは、死体の山という眼前の異常な光景だった。
普通にしていては、とても神経が耐えられない。
日本で生活していれば、人生を一〇回繰り返しても見ることのなかったものなのだ。
「で、どうするんだ?」
ナージャが投げた問いに、すぐ答えを出せる者はいなかった。
ただちに分かるのは、もはや釘の調達うんぬんどころではなくなったことだけだ。
「ムカイザーノさん。皆の所に戻って、状況を伝えてくれませんか?」
派閥の代表としては、時々はポーズでもリーダーシップを発揮しておかねばならない。
カズマはとりあえず思いついたことを口にした。
「兄様と紛らわしくなるから、名で呼べと言っているだろう。
――しかし、伝えてからはどうする。ここに連れてくるのか?」
「ですね。この広場までは連れてくる必要ないですけど。いつまでも森の中で待たせておくわけにもいきませんし。荷台もここまでくらいだったらもつでしょう」
承知と返し、レイが封貝で飛び去っていく。
見たこともない、巨大な鳥の姿をした幻獣型であった。
それから残った三人で詳しい被害状況の調査に入った。
来る前、ドリュアスから「生命反応がある」という情報を得ていたことを思い出したのだ。
まずはこれを信じ、生存者がいないか分散して一軒一軒確認していく。
無論、〈スリージィン〉が居残っている可能性もあるため警戒は怠らない。
そんな中、カズマが向かった二軒目は、比較的だが状態が良かった。
他がほぼ全焼全壊している中、そこは半壊で留まっていた。
恐らく、なんらかの理由で早いうちに家屋が部分的に崩れ落ちたのだろう。
そのために、残った部分へ火が燃え広がらなかったのだ。
踏めば脆く砕け散ってしまう残骸の山を慎重に進み、延焼を免れた奥のブロックへ立ち入る。
こちらには藁葺きの屋根が残っており、日が遮られていた。
板張りの床も無事だった。
割合広い部屋の中には、飾り気はないが造りの良さそうな木製家具が幾つか無傷で並んでいる。
荒らされた形跡もない。
デザインに完全な統一性があるあたり、住人の手ずからの作品なのかもしれない。
種族全体の傾向だとすれば、オクスゥは家具職人としても高い能力を持っていることになる。
と、奥に据え置かれた一際巨大なタンスの向こう側から、床板の軋む音が聞こえた。
同時、黒い影が勢いよく躍り出てくる。
「キヒィァ――ッ!」
意味をなさない絶叫が響き渡った。
大量の唾と一緒に裏返った声を吐き散らし、何者かが真っ直ぐにカズマへ向けて突っ込んでくる。
槍――!?
まず、尖った穂先が目に入った。
それはたちまちカズマの視線を釘付けにした。
鈍い光を放つ鋭利な刃物が、ほとんど身体ごとという勢いで迫ってくる。
意思とは関係なくびくりと身体が跳ね上がった。
遅ればせながら、カズマは距離を稼ぐべくバックステップを踏む。
その余地があったのは、単純に相手が遠くから現れたせいだ。
だが、その好条件下でカズマは左足を滑べらせるというミスを犯した。
ほとんど間合を稼げないまま大きくバランスを崩す。
その場に片手を突いて、なんとか転倒だけは避けた。
許されたのは、そこまでだった。
――あっ。
そう思った時にはもう、鋒がそこにあった。
先端から三センチほどの場所に、小さな傷がある。
深さはほんの〇・三ミリほど。
ちょっと倒してしまった時にでもできた、ひっかき傷のようなものだろう。
それが、くっきりと見えた。
瞬間、「死」の一字が思考の全てを占めた。
全身の皮膚を粟だち、思考が完全停止する。
だが、脳から切り離されながらも、肉体は反応していた。
本能的に動き、無口訣で防御封貝《Delta 1》の召喚モーションをとる。
カズマは目の前に〈盾〉の気配を感じ、さらに一拍の空白を置いて、最後にようやく自分がしたことに気付いた。
と同時、ドゴンという重たい低音が大きく響いた。
続いて「うッ」という潰れ気味の小さな呻き。
それから相手が崩れ落ちる気配と、取り落とされた槍の甲高い落下音が連続して耳朶を打った。
カズマが奇跡的に冷静さを取り戻せたのは、相手がこちらの混乱状態を振り切るほどの反応を見せたからだった。
彼は老人であった。
健康的な日焼けを思わせる小麦色の肌と、エメラルドクリーンの瞳。
そして淡い茶系の毛髪は、全てが先住民族〈オクスゥ〉の特徴と一致する。
若い頃はさぞかし均整の取れた屈強な肉体を誇っていたのであろうことを名残として感じさせる老体。
それに、古代ギリシア人のように片側でのみ結び、布地が胸の前を袈裟懸けに走る特徴的な長衣をまとっていた。
攻撃したはずの自分がダメージを受けた事実を認識するのに一秒。
それが相手の防壁によってもたらされた結果だと理解するまでにもう一秒。
その後、彼はさらに一秒かけ、これらが封貝でしか説明できないことに気付いた。
点と点がつながり線になり、それが輪郭を成す。
――すなわち、相手は封貝使いである。
その結論に到った老人の顔から、一瞬で血の気が引いていった。
ざあと音がしそうな勢いだった。
双眸が絶望に濁る。
だが彼は、すぐに落とした槍に飛びついた。
次の一秒で、それでも戦わねばならない理由を思い出したのである。
そして、死を覚悟した者の悲壮な瞳で、カズマを睨み付けた。
たかだか四、五秒。
だが、生死を賭けた極限状態での四、五秒は状況を決するに充分過ぎる時間だった。
相手はオクスゥ。
この集落の関係者であろう。
襲撃された側。
被害者なのだ。
加えて封貝を見て蒼白になった。
太刀打ちできないと考えたのだ。
ならば、この老人は封貝使いですらない。
自分の脅威にはならない――。
余裕をもって結論できたカズマは、完全に落ち着きを取り戻すことに成功していた。
思いがけず、老人が現れた物陰から二人目に人影が飛び出しても、それは変わらなかった。
幼児特有の甲高く、それでいて柔らかさを決して失わない叫びと共に現れたのは、声に相応しい年頃の少女であった。
彼女は武器とも言えない棒きれを両手で振りかぶり、一直線にカズマへと向かってきた。
よくよく見れば、その後ろには更に小さな――それこそミーファティアと大して変わらない――子どもが棒立ちで状況を見守っている。
その頬には乾いた涙の筋がくっきりと残っていた。
「シーンッ!」
彼女の名なのだろう。
老人の悲痛な叫びが響き渡る。
「待って」
負けじとカズマも大声で発し、大きく後方へ跳躍した。
自分でもびっくりするほどの距離が一息で稼げたが、ともかく今は間合が取れたことだけが重要だった。
「ちょっと待って。僕は悪い人じゃないよ」
それでも追跡を止めようとしない少女に向けて、カズマは早口に続けた。
「オクスゥの友達だ。助けに来たんだ」
もう何度目になるか、ドリュアスを連れて来なかったことを悔やんだ。
彼女の神秘性は万人を圧倒する。
本能が神聖なものに打ち震え、一瞬で深い信頼を置くようになる。
彼女がいれば言葉による説得など全く必要ない。
だが――幸いにも――目の前の幼子は、精霊抜きでも話を聞く気になってくれたらしい。
カズマの前で急停止し、手にしていた棒きれを下げた。
「ともだち?」
五、六歳の娘だった。
「レイダーって分かる?」
膝を折って目線を合わせた。
いつもは外しているライセンスリングを取り出し、彼女――と老人に――見せた。
本来なら目立つ場所に常時着用すべきものではある。
だが、手出しが禁止されている〈ハリージィン〉と事を構えている以上、レイダーであることを公にするわけにはいかない。
支部にも迷惑がかかることだった。
「僕は、ワイズサーガっていう派閥の代表でカズマ。〈スリージィン〉っていう盗賊に友だちを連れて行かれちゃったから、取り戻しに行こうと思ってるんだ」
その途中で、この村を見つけたんだよ。
笑顔で語りかけた。
ともあれ、幼女の方はそれで疑いを解いてくれたらしい。
全てを理解できたかは分からないが、敵意がないのは伝わったようだった。
「おじい、いじめない?」
「お爺をいじめたりしないよ」
カズマは可能な限りもっとも優しい微笑を浮かべた。
脅かさないようゆっくりと手を動かし、彼女の頭を撫でる。
「お爺がいじめらてれると思って助けに来たんだね。それと――」
カズマはちらと後ろのニ歳児相当を一瞥した。
「妹を守るために。きみは僕なんかよりずっと勇敢な子だ」
だが、彼女はにこりともしなかった。
真意を見透かさんとばかりにカズマの両目をじっと覗き込んでくる。
「おうちも燃やさない?」
「おうちも燃やさないよ。きみたちに悪いことも、酷いこともしない。オクスゥが好きなんだ。きみとも友だちになりたい。仲良くしてくれる?」
それでようやく、彼女は微笑を返してくれた。
だが、それはともすれば見逃してしまうほど刹那のものでしかなった。
彼女の目元と頬にも、泣き腫らした痕跡があった。
ここに住んでいたのなら、家族があの老人一人であったとは考えにくい。
つまり、他の全てを失ったのだ。
と、老人がゆっくりと歩いてきた。
一連のやりとりで、彼も冷静さを取り戻したように見えた。
カズマがどの角度からも盗賊には見えないことに気付いたのだろう。
もはや大部分の警戒感は引っ込めていた。
「――旅の方。失礼をしたようですな」
それでも老人は女の子とカズマの間へ、割って入るように身体を滑りこませた。
背後に子どもをかばいながら言葉を続ける。
「おひとりか?」
「いえ。派閥の仲間がいます。あの、一体ここで何があったんですか?」
聞いた途端、自分が置かれている状況を思い出したのだろう。
老人は一瞬で更に一〇歳は老け込んだように萎んでいった。
沈痛な面持ちで足元を見詰め、そのまま随分と長いこと黙り込んだ。
そうして忘れた頃に、ぽつりと言った。
「見ての通り……盗賊に襲われた。〈スリージィン〉だ。私はこの子たちを連れ、森ではぐれた家畜を探しに行っていた。その間の出来事だった……」
老人はかすれた小声でぽつぽつと語っていった。
それによると、ごく最近〈スリージィン〉はある声明を出した。
その中でオクスゥを名指しして標的に設定。
以来、集落を手当たり次第に焼き討ちして回るようになったらしい。
「その声明って……?」
「オクスゥが〈スリージィン〉に反逆したのだと、奴らは主張しておった」
「反逆したんですか?」
老人は答えず、眉間に深く皺を刻み、口を真一文字に結んだ。
それからゆっくりと息を吐き出し、全身から徐々に力を抜いていった。
伴って表情からも険が消え、代わりに深い疲労感がにじみ出してくる。
「オクスゥが種族の全体意思として反逆したということはない」
では、なぜ。
カズマの脳裏に浮かんだその問いに、老人は答えとなる言葉をすぐによこした。
その話を聞くにつれ、カズマは自分の顔から急速に血の気が引いていくのを感じた。
最後は目を見開き、冷や汗を流しながら耳を傾けることになった。
聞き手の異常には、老人どころから幼子たちすら気がついた。
年少者は不思議そうに首をひねり、老人は途中で口を閉ざし、怪訝そうな顔でカズマをうかがってくる。
「すみません。途中ですけど、ちょっと良いですか? 急いで仲間を集めます。
……今の話、彼らを集めた後、みんなの前でもう一回お願いできますか?」
「それは、構わんが」
言下の元、カズマは廃墟を飛び出した。




