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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
49/64

狂気の画布

  048


 移動型ヴィクター封貝の多くは、空気抵抗の低減ないし無効化の異能を備えている。

 ケイスが駆るこの翼竜アルハングェラもその一例であったが、効果は限定的でもある。

 まさに今、逆巻く大気が耳もとで轟々たる風切り音をあげているのもそのためだ。


 日没を待って召還したアルハングェラは、ケイスをはじめカズマ、ナージャ、そしてエリックを背に乗せ、高度約一〇オービット(約五〇〇メートル)を順調に飛行している。

 既に〈スリージィン〉が拠点を構える山地上空に到達しているはずだが、月明かりが照らす眼下の風景にそれらしき建造物はまだ見えてこない。

 黒々と広がる山林は、波のうねる夜の海洋を思わせる眺めだ。


 しばらくすると、愛騎がやにわに首を巡らせ、ケイスに目配せした。

 アルハングェラに限らず翼竜種は高い知能を有し、人語をある程度解する。

 確かな知性を宿したその瞳が、無言で語りかけていた。

 ケイスは頷いて了解の意を返し、背後の仲間達を振り返る。

「どうやら、そろそろらしい。皆、降りる準備をしてくれ」

 全員が一様に表情を引き締めるのが分かった。

「えっと、ドリュアスさん。人の気配は感じますか?」

 ケイスのすぐ後ろで片膝を立てていたカズマが、左隣に声を投げる。

 その宙空で揺らめいているのは新緑色の燐光を放つ、神秘的な女性だった。

 妙齢の麗人であるが、一見して人間エインやその亜種ではない。

全身に薄く陽炎かげろうのような霊気オーラまとう彼女は、輪郭が薄く透けていた。


 ――ドリュアス。

 森の守護者。

 すいりょくの貴婦人……

 彼女たちは、様々な異名で知られる伝説的存在だ。

 ケイスも物語や民間伝承の類に聞くのが精々で、実際に目にしたことはなかった。

 すなわちこれが人生初のかいこうとなる。

 言うまでもなく、これはワイズサーガの構成員に例外なく言えることだった。

 マオなど、実在を信じてすらいなかったらしい。


「歌っていたら寄ってきた」

 とカズマがこの精霊を連れ帰ったとき、彼女が見せた仰天ぶりはケイスの記憶にも覚えのないものだった。

 目の前に一〇年後の自分自身が現れたとしても、あれほど驚愕を露わにすることはなかっただろう。


「ドリュアスとは、あの? 本当に、あなはあの……? ドリュ、アス……?」

 質問しながら混乱を深めていくマオは、深酒で記憶を飛ばし、見知らぬ場所で朝を迎えた者のようだった。

 落ち着きなく視線をまよわせ、必死に状況の把握に努めしかない。


 実際、現れた女性はドリュアスそのものであった。

 本人のげんによれば、彼女たちについて人間エインやレタルの間でささやかれている通説は、おおむね間違ったものではないという。

 すなわちドリュアスは単純な生物ではなく、木々に宿った半エネルギィ体のようなものであり、誤解を恐れないのなら精霊と呼んで差し支えない存在である。

「――貴方あなたがたは封貝ペルナをお持ちのようですが、私たちはその封貝に近い存在とも言えるでしょう。共通するのは、半分はこの世界に、もう半分は違う世界に属しているということ。

 封貝が貴方がたのような個の生命体と契約することでこの世界に姿を現わす何かだとすれば、私たちは土地と契約することで実体を持つ何か、という風にたとえられると思います」

「お話を聞いた感じじゃ、土地神様って感じもしますね。

僕の故郷に伝わる古い思想に近いものがありそうな」

 話を聞いてそうこぼしたのはカズマであった。

 そして彼は口調を正し、暗誦しはじめた。

れ天地にありては神といい、万物にありては霊といい、人にありては心という。心とは神なり」

 どういう意味だ?

 と首をひねる妹分ナージャに、彼はふんわりと微笑みかけた。


ようは、宿る先によって呼び名が変わるだけで、神も霊も心も本質は同じものって意味なんだと思う。

 僕も、なにかの罰でヨウコに読まされた本かなんかでちょっと囓っただけだけど。封貝や精霊も同じような関係なんじゃないかなーと……」

 どこか自信なさげにドリュアスを流し見るカズマに、

「私たちは封貝とも神々とも明確に異なった存在ですが、性質を掴む上では面白い解釈だと思います、オウル・オ・イレス」

 艶然とした笑みで、精霊はそう答えていた。


 続く話を聞いた限り、ドリュアスは本当にカズマの歌にかれて姿を現わしたようであった。

 周辺の森や山林をつかさどる彼女たちは通常、その深部に秘匿された大樹をしろとして成立しているのだという。

 つまり、その神聖な巨木こそがドリュアスの器、肉体というわけだ。


 ただし、半精神体である彼女たちは器に人間エインほど縛られない。

 今、ここにいることがその証明だ。

 支配域の内部であれば好きなように移動し、分身わけみを実体化させることもできる。

 この辺りの山には、近頃――と言ってもドリュアスのいう近頃が人間の感覚でいう近頃と同じなのかは疑問だが――新しくドリュアスが宿ったため、古い彼女は比較的、自由に行動できるようになったらしい。

 それで、カズマの奏でる旋律に、ほいほいと釣られてみたということなのだろう。


 彼女の存在や、彼女自身から語られるドリュアスの実態、生態は驚くに値することばかりであったが、ケイスを心底唖然とさせたのは別のことだった。

 歓迎したいのはやまやまだが、我々はこれから出かけなくてはならないのだ――

 そうカズマが告げると、ドリュアスは「行動を共にしたい」と申し出たのだ。

 これにはマオも椅子から腰を浮かせて驚いていた。

 貴女の支配する領域とは別の山へ行くことになる。

そう説明しても、この〈翠緑の貴婦人〉は意思を変えなかった。


「オウル・オ・イレス。左右、いずれでも構いません。手を出していただけますか?」

「えっ――と、僕ですか?」

 カズマはピンとこない顔をしながらも、精霊のそうぼうが他ならぬ自分に向けられていることに気付き、生身の方の手を言われるまま差し出した。


「害はありません。どうか、そのまま動かれませぬよう」

 言うと、ドリュアスは封貝でも召還するように、どこからともなく折りえだを呼出した。

 まさに無からの出現だった。

 こずえの長さは短剣ほど。

 女性の親指くらいしかないほっそりとした物で、風が吹けば折れてしまいそうなニ、三本の例外を除けば、枝はほとんど存在しなかった。


 ドリュアスは一度も触れることなく、念で枝を操っているように見えた。

 やがてそれは宙を滑るように真っ直ぐカズマの手へと近付き、長さと形を変えながら、人差し指にからみついていった。

 そうして気付けば、飾り気のない木製の指輪に変わっていた。


「急ごしらえですが、私の加護を指輪の形にしたものです。ニ、三日なら私はそれに宿ることができるでしょう」

「ほぉ――」

 カズマは左手をかざしてまじまじとそれを眺める。


「良いのもらったな、ダーガ」

 横から覗き込むナージャは、我が事のように喜んでいた。

 が一転、彼女は何かに気付いた顔をしたかと思うと、牽制するようにドリュアスに迫った。

「お前、ダーガの子分になりたいのは分かったけど、一番は私だからそこはわきまえるのだぞ。義妹と義子なら義妹の方が偉いのだ」

「よく分かりませんが……身の程は弁えているつもりです」

「そうか。ならば良いのだ」


 指輪に宿れるというのは、実際、そのままの意味だった。

 彼女は同行したいという言葉を曲げることなく、ここまでついてきている。

 なんのつもりなのかは分からない。

 だが、戦力になってくれる気はあるようだった。

「――ここから、人間エインたちのいう六オービットほど」

 あちらの方に、と実体化したドリュアスは西の方を指差す。

「大きな生物がいます。恐らく、エキドナでしょう。我々にはまだ気付いていません」

「エキドナって?」カズマが問う。


「でかいヘビの魔物だ」

 ケイスはすぐに言った。

「蛇と言っても馬より胴が太くて、最低でも一〇キュービット(約五メートル)は長さがある。知能も高くて、腕が二本あるのも特徴だ」

「それは……蛇と言えるんですか?」

 青い顔でエリックがいう。

 その疑問はもっともだった。


「少なくとも半分はな。嘘か誠か、人間を丸呑みした蛇が魔物化したと言われてるからな」

 蛇はもともと、明らかに大きすぎる生物を丸呑みすることがある。

場合によっては消化しきれず、そのまま死亡する例も報告があるほどだ。

 エキドナの場合はそれが人間だった。

 人間を食おうとして死んだ蛇と、腹の中で少しずつ溶かされて死んだ人間。

 両者の苦痛と怨念が、陰相転化の呪いで魔物化したのがエキドナというわけだ。

 事実は分からない。

 だが、そんな与太話を真に受けたくなるような異形の化物ではあった。


「さすが、ドリュアスさん。三〇〇メートルも離れてるのに、気配だけじゃなくて何かまで探知できるなんて」

 カズマが賞賛を声をあげると、ドリュアスは艶然と微笑んだ。

「オウル・オ・イレスにお褒めいただけるとは光栄です。

ですが、申し上げた通り、これはどのようなドリュアスにも可能なこと」

「ここはお前の支配している山とは違うのに、それでも色々分かるのか?」

 ナージャが訊く。

「無論、自分の支配域であれば何がどこに存在するか、より詳細に知ることができます。ですが、支配域でなくともこの力は大きくは落ちません」


 ――これが、彼女の同行を認めた理由だった。

 自然の中に存在する生物なら、アリの一匹からでも詳細情報を獲得できる。

 感知系の封貝使いの能力すら圧倒する、異次元としか言いようがない能力だ。

「このまま進んだとして、エキドナは問題になるだろうか?」

 ケイスは市販のなたを抜きながら聞いた。

 ここからは行く手を阻む枝葉を散らしながら、道なき道を行かねばならない。

「気付かれぬまま進めるでしょう」


「山賊のアジトは察知できますか?」

 とカズマ。


「はい。正面方向に――そうですね、二〇オービット(一キロメートル)前後でしょうか。そこに、人工の建造物があるようです」

 ただ、と彼女はその柳眉をひそめた。

「なにか?」

 ケイスが水を向けると、精霊は慎重な口ぶりで話しはじめる。

「形状からも間違いなくそれなりの規模の建造物なのに、まったく生命の気配がありません。ただのひとりの人間エインもいないようなのです」

「それは、お前が建物の中までは探知できないからだろう?」

 ナージャは、なにを当然のことを、という顔だ。


「いえ」

 ドリュアスは静かに首を振る。

「木や石を積み上げた大雑把な構造の建築物であれば、精度は落ちますが完全無効というほどには落ちません。そして、この先にある建物は石と木材によるものです」

 音でたとえるなら、森の中の存在ならはっきりと細部まで聞き取れる明瞭なもの。

 建物の中の生物なら、それは壁を隔てたくぐもったものくらいにまで落ちる。

 だが、決してなにも聞こえなくなるわけではない。

 ドリュアスは自らの異能について、そう語った。


「気配を消しているとか?」

 エリックが異界の言葉で問う。

 ドリュアスは驚くべきことに、これを通訳なしでも――大雑把にだが――理解できるようだった。

「いいえ。私が感知するのは生命力そのもの。基本的に、足音のように意図して大小を制御できるものではありません」

「この時間に、山賊が全員出払ってるってことは……」

 否定されると分かっていて、カズマが問うてくる。


「まあ、通常考えられんな」

 ケイスはすぐに答えた。

「デイン・ムカイザーノの妹君だったか。彼女が付きの封貝使いと一緒に連中を壊滅させた後――とでも考えた方が、まだ自然だ」

 だが、自分で言いながら、どちらにもまるで説得力を感じなかった。

 直感が否定している。

 もっと、違う何かが起こっている。


「私が先導しましょう。木々も協力してくれるはずです」

 ドリュアスが先頭に立つ。

 すると、言葉通りの事が起こった。

 風でざわつくように木々が揺らめき、行く手から横枝を退けていく。

 もちろん、大樹が地に張った根っこごと動いて真横にずれる、というような大袈裟な変化まではない。

 そのため、最初は何かの勘違いかとさえ思った。

 だが、張り出したこずえの動きは、明らかに意思を宿し、ドリュアスのために道をあけるためのものであった。


 この神秘的な助けもあって、目的地まではあっという間の行軍となった。

 四半刻も経たず、前方に石組みの建造物が見えてくる。

 北側のアジトとは違い、こちら側に鉄条網はなかった。

 代わりにこけす石垣が周囲を覆っている。

 ただ、かなりの年代物らしく、大部分は崩落して防壁として用をなしていない。

 残っている部分も、手をかけると倒壊しそうなもろさが感じられる。

 こうなると、枝で引いた境界線とほとんど同じだ。


「おい、血と……なんか腐った臭いがするぞ」

 鼻をひくつかせながら険呑なことを言い出したのはナージャであった。

 彼女以外、まだ誰も同じものを嗅ぎつけた者はいない。

 だが、野生児めいたこの少女の感覚が、常人より遥かに優れているのはケイスも認めるところだ。

「ドリュアス。気配に変化は?」

 比較的原型を留めている壁に身を隠し、ケイスは小声で問う。


「ありません。やはり無人のように感じられます」

「生命力を探知するということは、たとえば不死の怪物(アンデッド)がぞろぞろ徘徊してる可能性はあるわけですよね」

 カズマが顔をしかめながら指摘する。

「いえ。陰相転化したそれら不死の存在は、逆に針が振れた存在として感じられます」

 意味が分からず、全員が怪訝な顔をする。

 詳しく聞き出してみたところ、つまりはこういうことらしい。


 生命力は、いわば熱のようなもの。

 大きく、強いエネルギィを秘めていればそれだけ熱く感じられる。

 死ぬとその熱は失われるが、アンデッド化まですると、今度は熱が負の方向に強くなり、それは冷たさとして明確に感じられるようになる。

 つまり生命力とは、プラスの値をとっても、マイナスの値をとっても感知自体は可能だということだ。


「あー、熱を視覚的に見てるような感覚なのか」

「サーモグラフィ?」

「そうそう。生者は赤く、死者は青く、ポテンシャルが高いほど濃く、みたいな」

 異世界人には理解しやすいところがあるのか、カズマとエリックは何やらふたりで納得し合っている。

「とにかく――踏み込んでみるか」

 ケイスは無口訣で二挺拳銃〈フォリオン〉を呼出し、言った。

 壁から身を翻し、走りだす。


 結論として、ナージャの鼻は正しかった。

 議論の余地はなかった。

 南側のアジトに建物は一つのみ。

 その館の開け放たれた入口に向かったケイスは、残り五歩の時点で既に鼻孔をつく凄まじい悪臭に気付いた。

 これは尋常じゃないな――。

 戦場での経験ですぐに分かった。

 入口脇の壁に背を押しつける。

 本来、山の夜は騒がしい。

 風。

 虫。

 木々のざわめき。

 それが一切感じられない。

 場は凍ったような不自然な静謐に閉ざされていた。

 その中で、ハエたかるブーンという音だけが異様に際立ち、を打つ。


 カズマたち後続が足並を揃えるのを待った。

 ひとつ大きく息を吸い込む。

 そして、一気に突入した。

 ドアを蹴破る必要はなかった。

 それは既に、先客によって行われていた。

 背後で「うっ」という呻き声が聞こえた。

 エリックが腹を殴られでもしたかのように、身を屈めている。


「これは……」

 さしもの精霊も、ここまで凄惨な光景はなかなか見ないのだろう。

 口元から、常にたたえられていた微笑が消えていた。

 入ってすぐの広間は鮮血にまみれ、あふれていた。

 一体、何人分の血を集めれば、こうまで隙間なく空間を塗りつぶせるのか。

 蒸発、飽和した血の気が空気に混じり、粘り気を持った生臭さを空間全体に染みつかせている。

 吸い込めば、喉の奥で鉄の味を感じそうな気さえした。


 よほど勢いよく噴出したに違いない。

 血飛沫は壁の上部から六キュービット(約三メートル)を越える天井にまでべっとりと、かつ広範囲に渡って飛び散っている。

 間違いなく、生きた状態で動脈を切断したのだ。

 確かにそうすることで、冗談のような勢いで人体から血が噴き出すことがある。


 戦場でもそうだが、護士組に入ってからもケイスは似た情景を見たことがあった。

 楽に死ねると信じ、刃物で手首を切って自殺を図った者の現場がそうだ。

 実際、それは決して楽に済むとは限らない。

 手首を深く切ると尋常ではない痛みに襲われることは、決して珍しくないのだ。


 そうした場合、自殺者は覚悟以上のそれに全く耐えきれず、また噴出する血の勢いに驚いて、その場で暴れ回る。

 結果、なかなかに凄惨な現場ができあがる。

 パニック状態でのたうつ人間がバラ撒きく血は、時に信じられない場所、距離にまで届くものなのだ。

 どんな化物が何人をバラバラにしたのか――と戦慄するが、なんのことはない。

 ただの自殺騒ぎだった。

 多くの新人が一度は経験することだ。


 ――だが、ここは違う。

 そんなレヴェルでは到底済まない。

 そんな何かが起こっている。

 自分にすら経験がないほどの。

 ケイスそう見極め、改めて仲間たちの状態を確認した。

 一番酷いのはエリックだった。

 彼は人の死に慣れていなさ過ぎる。

 胃の内容物をぶち撒けていないだけ上等と言えた。

 しかし、奥には更なる惨状が待ち受けているだろう。

 ケイスのこの手の直感が外れた試しはない。

 間違いなく、進めば輪をかけた狂気の光景を見ることになる。

 エリックがそれを見た後も踏みとどまれるとは、到底思えなかった。


 意外なのは、カズマが割合、平然としていることだった。

 内心がどうなのかは分からないが、少なくとも大きく取り乱してはいない。

 目をすがめつつも、冷静に状況の把握に努めている様子であった。

 ナージャとドリュアスについては、間違いなく男性陣よりもタフだった。

 遥かにたくしい。

 なんら心配はいらないように見えるし、精神状態もケイスと同程度には落ち着いているように見える。


「――蠅の羽音は奥から聞こえる。恐らく、物体はそっちだ」

 ケイスは落ち着いた声音で語りかけた。

「気が進まないなら外で待っていて良いぞ。ナージャ。その場合、護衛を頼めるか?」

 いいぞ、という声が返ったが、カズマもエリックも離脱する気はないようだった。

 ケイスは向かって奥に向き直り、手近な壁を指先でなでた。

雨水をたっぷり吸い込んだ土にも似た、ぬちゃりとした感触が伝わる。

「半分固まっているが……完全でもない」


「これって本当に……」

 カズマはそれだけ言って、先をにごすように口をつぐむ。

「血液であることは間違いない」

「ごく最近のものですね。まだ丸一日は経っていないでしょう」

 精霊なりの特殊な感覚があるのか。

 ドリュアスが断定的な口調で言う。

 ケイスも同感だった。

 昨夜か、今日の早い時間帯に何かが起こったのだろう。


 奥に進んだ。

 外に面した壁沿いを走る通路で、いくつかの小部屋と連絡しているらしい。

 床には何かを引きずったような血痕が幾筋もっていた。

 それを無数の足跡が踏み荒らして、凄まじいことになっている。

 血塗れの死体――あるいはまだ生きている人間を何人も運んだのだろう。

 今いた広場から奥へ、いく往復も、だ。


 念のために途中に並ぶ小部屋を覗いてみたが、こちらの状態は様々だった。

 綺麗なまま放置されている部屋。

 逆に、広間同様に床、壁、天井が血、血、そのまた血で塗りつぶされている部屋。

 全てに共通しているのは、無人であるという一点のみだった。


 蠅の羽音が強まる。

 一歩進むたびに屍臭が強まり、今やそれはケイスをもむせ返らせる程であった。

 あまりの臭気が刺激となって目が痛む。

 胃が痙攣するように震える。

 かなり後ろの方で、びしゃりという水っぽい音が聞こえた。

 足を止めたエリックが、ついに吐瀉物をぶち撒けたのだ。

 ケイスは構わなかった。

 動けないなら、むしろその方が良いだろう。

 この先の光景は、見ずに済むならその方が良い。


 構造と間取りからいって、目的地は恐らくちゅうぼうなのだろう。

 そして、まさに厨房だった。

 だが、調理されるものが間違っていた。

 かつて人体であった物が、そこには散乱していた。

 ――違う。

 ケイスはすぐに否定した。

 無造作に散らばっているのではない。

 ただ、乱雑に放られているのではない。

 逆だった。

 配置には意味がある。


 これは……

 語彙から相応しい表現を探り当てるまで、数瞬を要した。

 生じたそのタイムラグで、ケイスは自分が精神に強い衝撃を受けていることを理解する。

 ――そう、デコレーション。

 これは飾り付けだ。

 ケイスはようやく結論した。


 この場を作り上げた連中は、楽しみ、胸を高鳴らせながら、弾む足取りで作業したのだろう。

 皮や爪を剥ぎ、骨を砕き、関節をねじ切る。

 眼球をえぐり、耳をぎ、鼻を落とし――そして、ぶちぶちと筋繊維が断ち切れていく手応えと感触に酔いしれながら、湯気を上げる温かな鮮血を浴びたのだ。

 四肢を切り落とし動けなくなったまだ生きている人間を、寸胴鍋に入れて少しずつ煮詰めていったのだ。

 スープを作るように。

 ことことと、その音に耳を澄ましながら。

 大喜びで。


 悲鳴。

 絶叫。

 死を懇願する声。

 激痛と絶望のあまり発狂した被害者たちの哄笑。

 それらを背景音楽(BGM)にして、パーティ会場でもこしらえるように、人体というオブジェクトを配置していったのである。

 こうしたら素敵。

 ああしたら可愛い。

 これはお洒落。

 あれは斬新。


 デザインやセンスを競い合い、引っ張り出した臓腑をリボン代わりに結びつけ、引き裂いた娘の腹に切断した大男の生首を詰め込み、丁寧に全身の剥ぎ取った全身の皮をタペストリにして壁に飾る。

 蝋燭の代わりに切り取った何十本もの指を並べる。

 きっと、その配置にも、連中は悩んだのだろう。

 庭にどの花を植えるか悩む庭師のように――。

 剥き出しにされた人間の最も深い暗黒面が、そこには広がっていた。

 狂気を全面に塗りつけた、地獄の画布キャンバスだ。


 と、真横に気配を感じて、ケイスは身構えた。

 エリックがいた。

 なんで――こいつがここに。

 狼狽しながらも、自分の迂闊さを呪う。

 異様な光景に呆然とし過ぎていたのだ。

 それでもほんの数拍分のごく短い短時間であったのだろうが、硬直してしまったのは事実だ。

 本来なら、真っ先に後続を振り返るべきだった。

 そして「来るな」と、「お前たちは見るな」と指示を出さねばならなかった。


 幸い、カズマとナージャについては、命じずとも後方で立ち止まってくれていた。

 胃の中のものをぶちまけたエリックを介抱していたらしい。

 だが、当のエリックが予想外だった。

 助けをはね除け、強引に近付いてきてしまったのだ。

 女の子(ナージャ)すら平気そうにしているのに、ひとりだけ吐いてしまった。

 それを無様をさらした、と解釈したのだろう。

 プライドが傷ついた彼は、ムキになって無謀な前進を選んだ。

 その結果が、これだ。


「止まれッ」

 追いかけてこようとするカズマたちに、ケイスは遅まきながら叫んだ。

「えっ――?」

「いいから、絶対に近付くな!」

 鋭く指示してエリックに向き直る。

 彼は瞬きも忘れて目を見開いたまま凍り付いていた。

 脳が、視覚情報を正しく受け入れるのに時間を要しているのだろう。

 一種の防衛本能が働いているのかもしれない。


 だが、それも長くは続かなかった。

 彼は声にもならない奇音を喉から発し始めた。

 幼い子どもが大泣きする前に発するような、一種、笛のにも似た高音だった。

 後ずさりしようとしたのだろうか。

 だが、すぐに脚をもつれさせ、彼は尻からカクンと崩れ落ちていった。

 それから野太い、獣のような喚き声をほとばしらせた。

まさに、気が狂ったような絶叫であった。


 ケイスは有無を言わさずえりくびを掴み、力任せにエリックの巨体を後方へ放った。

 多少、勢いが付きすぎたが、ナージャが問題なく受け止めてくれる。

「外に出ていろ!」

「なんです? 一体、何があったんですか」

「死体だ。何人もの死体が、言葉にできないほど滅茶苦茶な状態で部屋中に転がっている。お前たちは見るな。心に傷を残す。三〇年後も、この光景を思い出して、夜中に叫びながら飛び起きることになるぞ」

「ここの盗賊たちか?」

 ナージャが食い下がる。

 一歩、こちらに踏み出しながら訊いた。

 彼女をにらみ付け、更に手振りでも制しながら答えた。

「まず確実にな。ただ、それだけじゃない」

 思わず室内に視線を泳がせた。


 その表情も芸術――作品ということなのだろう。

 顎が外れるほど口を大きく開け、苦悶に目を剥き出しにした状態で死んだ少女の生首が、天井からぶら下げられている。

 だが、切り取られ、オブジェクトの一部として飾られている乳房は明らかに二人分以上あった。

「多分、ここで山賊どもに飼われていた村娘たちも犠牲になっている。この拠点にいた全員が、この部屋に集められているんだろう」

「そんなに凄惨な光景なのですか?」

「ドリュアス、恐らく貴女が想像する一〇倍は。正直、俺もここまでのは見たことがない」


 精霊を含め、三人が遠ざかっていくのを確認し、ケイスは現場検証に戻った。

 細切れに分解し、それを飾り物として混ぜているため、被害者の総数は極めて割り出しにくかった。

 しかし、一〇人を下回ることはどうやらなさそうである。

 カズマあたりは被害者を埋葬してやりたいと言い出しそうだが、それは何としても無理な相談だった。

 無論、陰相転(アンデッド)化を避けるため浄化の必要はある。

 が、その場合でも建物ごと焼却するしかない。


 ざっと厨房の検分を終えると、屋内を一通り見て回った。

 言うまでもなく、犯人はとっくに逃げ去っている。

 しかし、隠れた生存者がいないかは念のため確認しておく必要があった。

 しばらく、肉は喉を通らんだろうな――

 建物が完全な無人であることを確認すると、首を振り振り屋外に戻る。

 腐臭と血と蠅の羽音に汚染されていない外気は、何か聖なるものにも感じられた。

 降りそそぐ月光はさしずめ浄化の光といったところか。

 泥水の中を泳ぎ、ようやく水面に浮上した気分である。


 だが、それでようやく一休み、とはいかなかった。

 隠そうともしない封貝使いの気配が、すぐそこに迫っていた。

 敷地を取り囲む壁のすぐ向こうに一つ。

 そのやや後方に一つ。

 ナージャも同じものに気付いたらしい。

 彼女がカズマを背中に隠し〈火尖鎗〉を構えたとき、ケイスはもう二挺拳銃〈フォリオン〉のトリガーに指をかけていた。


「とうッ!」

 凜とした叫びと同時、壁の向こう側から人影が飛び出した。

 高らかに跳躍した何者かは、月明かりを逆光にして輪郭だけを黄金に光らせるシルエットと化す。

 闖入者は宙空、肉食獣のしなやかさをもって身体をひねった。

 そのまま敷地内へ落下体勢に入る。

 予測され得る着地点は、ケイスたちワイズサーガの集団から距離にして一〇キュービット(約五メートル)といったところか。


「レイ・ムコウザァ――ノ! 〈(せき)てい〉の御名にて」

 彼女は緑色の長い髪をなびかせ、仁義を切りながら軽やかに着地を決めた。

 肩幅よりやや広めに足を開き、前に傾けた上体を地面に伸ばした左手で軽く支えている。

「見!」

 伏せていた顔を凜と跳ね上げ、叫んだ。

「参ッ」


「おい、レイ」

 遅れて――こちらは無駄のない流れるような身のこなしで――現れた壮年の男性が、物腰同様の落ち着いた口ぶりで発する。

「家名は伏せて行動するんじゃなかったのか」

「あっ」

 一連のやりとりに強い既視感を覚えたのは、ケイスばかりではあるまい。

「しまった!」

 宮廷様式の男装に加え、声にも変声期前の男児声域(ボーイソプラノ)さながらな中性無色の感が強くありながら、レイと呼ばれた若者は一見して明らかに女性であった。

 成長期、変化していく体型と甲冑を合わせるのに苦労したタイプだろう。

 ナージャほどではないものの、押し込んでも押し込みきれない豊満な胸部が、性別をこれ以上なく主張している。


 兄デインが短躯のわりに貫禄たっぷりな体格であったのとは対照的に、妹の方は長身でほっそりとしたプロポーションの主であった。

 端整な顔立ちであることだけは兄妹で共通しているが、そのパーツを収めた顔自体は、妹の方が優に一回り以上小さい。

 本土ではスレンダーで通る細身は、ふくよかで肉付きの良い体型が好まれるフ=サァンでは、美女の条件からは大きく外れている。


 まだ一〇代の外貌を保つこの凜々しい少女は、しかし今、悪戯がバレたことを恐れるわんぱく小僧そのものの顔をしていた。

 今の聞いてしまったか? とでも感じの、すがるような表情でこちらを窺っている。

 もっとも、あれだけ大音声の見栄である。

 聞こえなかったわけがない。

 彼女自身、その現実は認めざるを得なかったらしい。

 やがてがっくりとうなだれ――それも一転、すぐに腹をくくったように顔を上げた。

 そして一言、きっぱりと発する。


「今の、なし!」

「いや、それはさすがに無理じゃないかな……」

 困惑ぎみの笑みを浮かべたカズマが、思わずといった感じで漏らした。

「くっ、勢いで押し切れぬものもこの世にはあるのか」

 少女は奥歯を噛みしめて悔しがる。

 その後ろでは、相棒の男が眉間に手をやり、小さく嘆息していた。

「しまらねえな……」

 ぼやく声が、ケイスの耳にも届いた。

「まあ、良い」

 レイが吹っ切った声で言った。

 切替えの早い性格らしい。

 もはやその振る舞いに、先程の狼狽の影は微塵も残っていない。


「周辺の村々を荒らし回る賊徒ども」

 きっとケイスたちを睨み据え、彼女は朗々と語り始める。

「お前たちはやりすぎた。たとえ王が許そうとも、国家が許そうとも、これ以上の狼藉は、私こと謎の少女が許さぬ。貴様等の命運、今日限りのものと思え!」

「おい。お前、ちょっと待て! 私たちは悪い山賊じゃないぞ」

 ナージャが火尖鎗の石突き(刃と反対側の先端)で地を叩く。

 空いている左手を腰に据え、真っ向から対峙の構えだった。


「悪くないとは笑止。良い山賊だとでも言うつもりか!」

「違う。私とダーガは、山賊を倒しに来た良い人なのだ」

「なにっ?」

 出鼻をくじかれた少女が軽く仰け反る。

「――って言うか、君ってデイン君の妹さんだよね」

 横からカズマが問うと、レイ・ムカイザーノは見開いていた目を更に丸くした。

「なぜ、あにさまの名を」

「僕らは、北にもう一つある〈スリージィン〉の砦で彼に会ったんです。僕たちがあそこを壊滅させたあと、彼がちょうど今の君みたいに乗り込んで来て……」


 話を聞く体勢に入った相手に、カズマがざっと経緯を語る。

最低限のことにしか触れていないが、よく整理された分かりやすい説明だった。

 一通り状況を把握したあと、沈黙を破ったのはレイ・ムカイザーノの相棒だった。

 一言、「見てくる」と言い残し、すたすたと砦に入っていく。

 当初はお嬢様も同行の意を示したが、「もう少し詳しく話を聞き出しておいてくれ」と言いくるめられ、大人しく引き下がった。


 その背景にはエリックの惨状もあったのだろう。

 茫然自失の状態で壊れたように何かつぶやき、時おり奇妙なタイミングで笑みを浮かべる彼を見れば、慎重にもなろうというものだ。

 だがそれより何より、ドリュアスの存在が大きかった。

レイ嬢は神秘そのものが顕現したかのごときその存在に気付いてからは、エリックよりむしろそちらに気を取られた様子だった。

 視線に気付いてカズマが精霊を紹介すると、途端に目の輝きを変え、口調まで一変させて自己紹介を始める。

 この辺り、同じ貴族の出であるマオと反応が良く似ていた。

 伝承によっては下位の神として語られることもある存在だ。

 ある意味、格上の貴族ないし王族をぐうするようなこの彼女たちの対応こそ、正解なのかもしれない。

  

「ドリュアス! あの伝説に語られる……〈翠緑の貴婦人〉が貴女だというのですか」

「皆さん驚かれますね。私もこれほど続けて人間エインまみえるのは久しくなかったこと。貴方たちの尺度で数百年ぶりと言ったところでしょうか。そのせいやもしれませんね」

「おお――」

 レイ・ムカイザーノは興奮と感動に震えを隠し切れていない。

「その貴重な機会にこうして立ち合うことが許されるとは、なんというぎょうこう! レイ・ムカイザーノ、この誉れを生涯忘れることはないでしょう。

 それにしても、歌でドリュアスを呼び寄せたという――ナンジョーといったか。けいは一体、何者なのだ」

「いやあ、しがないレイダーですよ」


 そうこうしているうちに、御付きの男が砦から戻ってきた。

ケイスは改めて彼を観察する。

 実用的にビルドアップされた屈強な体躯に、手入れの行き届いた禿頭とくとう

 これにレンズに到るまで全てが真っ黒な眼鏡を着用している。

 その厳ついふうていは、知らぬ者が見れば山賊の親玉そのものだ。


「おお、クゥガー。戻ったか」

「――レイ、こいつらの言ってることは本当だった」

 相棒の言葉に、レイ・ムカイザーノはすっと目を細めた。

「山賊が、さらっていた女性達もろとも皆殺しにされていたと?」

 クゥガーと呼ばれた男は重々しく頷き、自分が眼にしてきた光景を口述し始める。

 改めて他人の口から聞かされても、それは異常の一言に尽きた。

 吐き気を催すような、この世に再現された地獄の描写だ。


「クゥガー……。その呼び名で思い出した。貴殿、〈鉄拳〉のクゥガーだな?」

 本名トーリ・クゥガー。

 先の大戦でオルビスソー中に轟いた名だ。

 デインを護衛していた〈不死〉のレンガショップ同様、全世界級(ワールドクラス)のビッグネームである。

「――ああ。あんたは?」

「今はただのケイスだ」

「かつては違うのか」

「少し前まではヴァイコーエンがついてたな」

「……インカルシ護士組の隊長格に、確かそんな名前の男がいるそうだが」

 ケイスは軽く肩をすくめる。

「それはちょっとばかり古い情報らしい」


「おい、クゥガー。聞き違いでなければ、たびの件、賊徒のみならず罪なき娘たちまで切り刻んだ外道がいるということになるが?」

 底冷えするような声音が問うた。

 レイ・ムカイザーノが冷たい瞳で専属護衛からの返答を待っている。

「そうだ。拷問の限りを尽くし、苦しめ抜いて殺している。死体はどれも人間の形を留めていない。分解した大勢の人体と内臓と皮膚を集め、グロテスクなオブジェクトを作る遊びが行われていた」

「何者の仕業か?」

 答える前に、クゥガーはちらとケイスを一瞥した。

 ケイスが頷いて返すと、彼は主人に顔を戻して、言った。


「まず間違いなく、〈イス〉が関わっている」

 これに二人の女性――レイ・ムカイザーノと精霊ドリュアスは、電撃を浴びたかのように身体を戦慄(わなな)かせた。

「〈イス〉……あの邪神か! するとつまり実行犯は――」

「教団の連中が活動を始めたのだろう」

 とんとん拍子で話が進む中、ついてこれないのがカズマとナージャだ。

「む、どういうことだ」

「イスってなんでしたっけ。じゃしん?」

 自分の役目だと理解したケイスは、彼らに向き直って講義の口を開く。

「お前たち、リックテインやミーファティアたちコロパスがどうして生まれたかは覚えてるか?」

「えっ、それは……むかし、人間と猫が混ざり合ったんでしょう?」

 カズマが怪訝そうな顔で言う。

「だから、その原因だ」

「それは、神様を怒らせたとかなんとかで……」

 言いながら気付いたらしい。

 カズマがはっとした顔で黙る。


「そうだ。かつてコロパス族という人間エインの小数民族であった彼らの祖先は、邪神〈イス〉の不興を買った。そして呪詛を受けた。猫と混じり合い、獣の身体能力を得る代わりに、二〇年にも満たない短い間しか生きられなくなったわけだ」

「でも、そのイスって神様は、世界最強の封貝使いという奴と戦ってぶっ殺されたんだろう?」

 ナージャが横から口を挟む。

 彼女がその話を覚えていたことに軽い驚きを覚えつつ、ケイスは頷いた。


「〈雷帝〉ヒウンだな。そう、イスは破れて殺された。これは他の神々も認めているから、まあ事実なんだろう」

「だがまあ、〈イス〉に限っては討伐されたとされる過去、伝説が幾つかあるからな」

 考え込むような口調でレイが指摘する。

 その通りで、イスは神としては珍しく死にまつわるエピソードが多い。

 ケイスが知る限りでも、この一〇〇〇年で二度、英雄や軍に打破されている。

 魔神、邪神としてあらゆる種族から恐れられるイスならではの逸話だ。


「問題は、イスを狂信する集団が存在することだ。あらゆる神には、神自身に認められ、加護を受けた代弁者、巫女、使徒などと呼ばれる者がいるが、イスの場合は毛色が違う。

イスが殺される度に、復活の儀と称して〈イス教団〉なるカルト集団が活動を活発化させてきた歴史があってな」

 その儀式というのが――と、ケイスは後ろの砦を一瞥した。

 それで察したのだろう。

 カズマは青白い顔で息を呑む。


「奴らは苦痛と鮮血をイスに捧げる。〈イス教団〉にとってあのみどろの地獄は、儀式の間なんだ。

 生贄は高い知識を持つ生物が良いとされているらしい。虫や植物より、人間エインからの方がより質の良い苦痛を引き出せるって理屈だな」

「それで……拷問を?」

「そうだ。簡単には殺さない。生きたまま皮を剥ぎ、指を折り、耳や鼻を削ぎ落とす。何十本という釘や金属片を身体に打ち込む。

殺さないように注意しながらな。

 そして絶叫させ、殺してくれと泣いて懇願させるんだ。与えた痛み、あげさせた絶叫が魔神復活の力になると奴らは考えている」


「おのれ――」

 レイ・ムカイザーノは自分の腿に拳を打ち付けて歯を剥く。

「邪教の輩め。野盗にかどかされた憐れな娘たちに、なおも過酷な仕打ちをしたというのか。笑いながら彼女たちの悲鳴を聞き、わざと苦しめ、少しずつ肉片に変えていったのか!」

「その、〈イス教団〉の仕業というのは確定なんですか?」

 眉間にしわを刻んだカズマが訊く。

 何か物証があるのかを問うているのだろう。

 これには現場を見てきたばかりのトーリ・クゥガーが答えた。

「〈イス教団〉は必ず儀式の場にしるしを残すことで知られている。

 楕円に袈裟斬りの軌跡を加えたような独特のシンボルがそうだ。

ここの現場でも、人間の腹から引きずり出した血塗れのはらわたで再現していた」


 人間(エイン)の腸は、平均して一六キュービット(約八メートル)にもなるという研究もある。

 何人分かを結び合わせれば、かなり大きなマークを作ることも可能だ。

 実際、ケイスが見たそれも大がかりなものだった。

「許せぬ! よりにもよって……なぜ、ような理不尽が許されるのだ。彼女たちがなにをしたというのだ! ただ静かに暮らしたいだけの、普通の乙女たちではないか。これから……未来のある、貴重な領民ではないか! それをなぜッ」

 レイ・ムカイザーノはまなじりに薄く涙すら滲ませていた。

力任せに握りしめられた細袴は、引き千切れる寸前に見える。


「しかし、厄介なことになったな――」

 ケイスは思わず唸った。

「何がだ?」

 ナージャが小首を傾げる。

「〈イス教団〉の邪悪さは古今東西、とにかく飛び抜けている。オルビスソー全土、どの国でも第一級の駆除対象だ。奴らやその儀式の情報を掴んだ者は報告の義務がある。ここの惨状も、まず遠からず表向きになるだろう」


 ナージャの首の角度は変わらない。

「で?」という顔だった。

「教団がここを襲ったのは、山賊相手なら皆殺しにしても騒ぎになりにくいと踏んだからだろう。つまり、賊徒が狙われたんだ。

 なら、国の調査はここから近い、北の砦にも行くだろう。するとどうなる?」

 組織された捜査団は、北側も全滅してることに気付く。

 同時に、南とは様子が異なることにもだ。

 なにより、北側には儀式が行われた形跡がない。

 死体を埋葬した痕跡すらある。


「北をやったのは誰か。教団か。それとも第三者か。しかし、教団じゃないとしたらタイミングが良すぎる。北と南、ふたつの砦が同時に別勢力によって壊滅させられるなどということがあり得るか?」

「実際、あったではないか」

 すかさずナージャが言った。

「まあな。だが、事情を知らない奴はそうは思わない。偶然にしてはできすぎている。現実的ではないと考える。

 そして疑問を解消するため、徹底的に調べるだろう。そうすれば、遠からず俺が〈スリージィン〉のアジトについて近隣の村で聞き込みをしていたことは突き止められるはずだ。

 デインたちや、レイ・ムカイザーノ。おたくらも事前に情報収集をしたと思うが、それも掴まれる」


 国をあげての捜査である。

 優秀な人材が動員されることは間違いない。

 護士組にも応援がかかる可能性があるだろう。

 ならば、感知系・探査系もトップクラスが出てくる。

 彼らなら、現場から残存思念を読み取ったり、土地が記憶している情報を可視化して蘇らせたりすることも可能だ。

「最終的に、俺たちの関与は明るみに出るだろう。そして、捜査班が筋を読み違えると――」

 レイ・ムカイザーノが弾かれたように顔を跳ね上げた。

 信じがたいものを見るように、かっと目を見開いている。

「まさか……私たちこそが〈イス教団〉であるという、誤った疑いをかけられると?」


「まあ、可能性は――否定できんな」

 トーリ・クゥガーが呻くように言った。

 女性の腰ほどもある極太の両腕を、矢尻さえ跳ね返しそうな分厚い胸板の前で組んでいる。

 それだけで、鋼鉄のつなで編み上げたような筋肉の束がぎりぎりと音を上げそうだった。

 その泰然とした構えと、サングラスで目元を隠した相貌からは、いかなる感情も読み取ることはできない。

 だからこそ、逆にその一言には有無を言わさぬ説得力が備わる。

「何らかの関連があると見られることはあり得る」


「私は断じて外道の輩と関係など持たぬ!」

「お前自身がそう思うことと、他人がどう思うかは別だ」

「ならば、証明すれば良い!」

 全員の視線がレイ・ムカイザーノに注がれた。

 正面からそれを受け止め、彼女は胸を張った。

「〈スリージィン〉も〈イス教団〉も到底看過できぬ。教団が盗賊団を標的に定めたというなら、その双方を追い、双方を壊滅させるまで」

「あのう、それって……」

 カズマが遠慮がちに声をかける。

 そのカズマに向け、レイ・ムカイザーノは鋭く首をめぐらせた。

 いきなり正面から視線をぶつけられ、カズマは鼻白む。


「ナンジョー・カズマ! 私は先ほど、貴団ワイズサーガの方針を拝聴し、いたく感動した! たった一人の少女の願いを叶えるため、たった一人の少女を囚われの身から救わんがため、縁もゆかりもない者たちが団結し巨悪に挑まんとするその姿勢や見事。

 貴団の理念は私の理想に極めて近しく、そして今、具体的行動方針までもが重なり合おうとしている。ならば志を同じくする者として、互いに手を取り合うことにいささかの躊躇もない!」

「ん……それって、お前もワイズサーガに入りたいということか?」

「その通り! ナージャ・クラウセンといったな。お前たちに異論さえなければ、今この瞬間よりワイズサーガの旗の下で剣を振るおうと私は決めた!」


「でも、お前はレイダーじゃないだろう?」

「そう。僕もそれを言おうと思ってたんですよ」

 カズマが尻馬に乗る格好で声をあげる。

 デインや兄に良く似た性格のレイは、相性の良くないタイプらしい。

 確かに、たまに会う分には愉快で済ませられる連中だ。

 しかし、身内にするとなると疲れそうではある。

 二の足を踏む気持ちはケイスにも理解できた。

 だが、そんなカズマの心理を余所に、レイは得意げな笑みを見せる。


「砦攻略の競争で、私たちが半日も兄様たちに遅れをとっていたのはなぜだと思う? それは兄様たちと違い、先にレイダー登録を済ませていたからだ」

 と、彼女は懐を探り、レイダー証を取り出す。

 自分の手首に装着して見せた。

「〈スリージィン〉を襲った事実が記録されると面倒なのでな。

今回の作戦では着用を避けていたのだ。しかし、普段はレイダーとして害獣や魔物を討伐し、市井の泰平に寄与しながら路銀を稼いでいる」

「そう、なんですか……」

 いよいよ逃げ場がふさがれてきたことを悟ったのだろう。

 カズマの笑みが微妙に引きつり始める。


「カズマ。大局を見れば――」

「ええ」

 ケイスにみなまで言わせず、カズマは頷いて見せた。

 歪な笑みは引っ込ませ、既に表情は真剣そのものだ。

「ここが〈イス教団〉にやられたことを知るのは国家だけじゃない。

やられた〈スリージィン〉もそうです。

 そして連中もまた、ケイスさんが考えた通りに、自分たち盗賊が儀式の標的になっていることをさとるでしょう」 

 その通りであった。

 となると、〈スリージィン〉は教団に対して組織的な対策を必ず取る。

 どこの砦でも襲撃に対する警戒ランクを上げるに違いなかった。

 これは結果として、基地を潰して回ろうというワイズサーガへの無意識的な対策にもなってしまう。


 追跡部隊の〈青薔薇〉に破れ、万能型のマオが長期の戦線離脱となっているのだ。

 ワイズサーガの戦力は大きく削がれている。

 そこに来て、〈イス教団〉という不確定要素が状況をさらに難しくしてしまった。

 レイ・ムカイザーノに加え、〈鉄拳〉のクゥガーが加入してくれるというなら渡りに船だ。

 というより、戦力の補強なくして目標の達成は難しい。


「ドリュアス殿。貴女とも長い付き合いになることを期待しております!」

 レイ嬢はもう、派閥入りを決まったものと疑っていない。

「すまんな、色々と」

 トーリ・クゥガーが眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら言った。

 ケイスは、同じ保護者役としてその心労を容易に察することができた。

 自然、苦笑が漏れる。

「いや、気にしないでくれ。それに、こちらにもメリットはある」


「ですね」

 諦めがついたのか、カズマは憑きものが落ちたような微笑だった。

「でも、クゥガーさんは良いんですか?」

「俺はあくまで御付きだからな。主人の意向は尊重するさ」

「なんか、どこかで聞いたような答えだなあ」 

「それより、おたくのあの若いのは――現場を見ちまったのか?」

 クゥガーが親指でぐいと背後を示す。

 その先にいるのはエリックだ。

 彼は依然、焦点の合わない目を虚空に彷徨わせていた。


「ああ」

 ケイスは自然、眉間に深い縦皺を刻んでいた。

「迂闊だった。事前に止めるべきだった」 

「あのままと言うわけにはいくまい。良かったら眠らせるが」

「えっ――と」

 カズマの瞳が迷いに揺れた。

「彼はごく普通の人間エインなんですが」

「問題ない。怪我はさせない。一瞬で済む」

 ならば、ということで頼むことにした。


 何をする気かは、ケイスにも分からない。

 見守る中、トーリ・クゥガーはエリックへ無造作に近付いていく。

「座り込む」というより「へたり込む」という表現が相応しいエリックは、大男の接近にも、もはや何の反応も示さない。

 クゥガーは二歩ほど手前で足を止めると、右腕を折り畳んだまますっと後ろに引いた。

 直後、ぼっという破裂音に似た何かと同時、真正面からエリックの全身を突風が吹き抜けていった。

 頭髪が一本残らず逆立ち、顔の皮膚は大きく波立つ。

 風を孕んだ上着に到っては、一瞬ながら脱げかかるほどに大きく暴れた。

 千切れた草と飛び散った小量の土砂が、乱気流に翻弄されながら吹き飛んでいくのが見える。

 余波か、あるいは単にタイミング良く風が吹いただけか。

 遠くで木々がざわつく葉擦れの音が鳴った。


 そして静けさが戻る。

 クゥガーは何事もなかったように引き返してきた。

 その背後で、エリックの身体が思い出したように崩れ落ちた。

 隣でカズマがぎょっとするのが分かったが、これは過剰反応に過ぎない。

 エリックは単に気を失っただけであった。

 証拠に、呼吸と同時、胸が問題なく上下しているのが見える。

 寝顔など、むしろ穏やとすら言えた。


「カズマ。機会があったら、クゥガーに教えをえ」

 ケイスは小声で言った。

 レイとクゥガーの派閥入りを、むしろ積極的に支持したのはそのためでもあった。

「えっ――?」

 カズマがぽかんとした顔で見返してくる。

 それを横目に、クゥガーを見たままケイスは言った。

「彼はお前と同じ、数少ない拳系の封貝使いだ。恐らく世界でもトップ5に入る、な」

挿絵(By みてみん)

残酷描写が苦手な人、マジさーせんっした――っ!!

これでも具体的というか直接的な描写は避けたつもりなんですが。

苦手な人に限って想像力が豊かだからあまり意味ない気も。

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