食屍獣《アルゴル》
046
まだ地球にいたころの話だ。
楠上カズマはシゲンの趣味に付き合い、たまに格闘技の試合をTV観戦することがあった。
あれは、もう中継自体が珍しくなったキックボクシングの大会であったか。
数人が勝ち抜きで連戦し一日で優勝者を決める、ワンナイトトーメナント方式のイヴェントであったと記憶している。
「奴は次の試合、棄権するかもしれんな」
とある試合が終わった後、シゲンがそうつぶやいた。
意外だったのは、彼が試合の勝者を見てそう発言したことだった。
どういうことか。
顔面が腫れ上がっている敗者とは対照的に、勝者の顔には傷一つついていない。
質すと、シゲンは生真面目な表情で答えた。
「顔は綺麗でも、脚に蹴りを受けすぎた。トランクスで隠れた腿の外側だ。試合中なら、興奮状態で痛みにもまだ耐えられる。脳内物質が大量に分泌されて、痛覚が鈍っているからだ」
しかし、休憩を挟むと駄目なのだ。
それが彼の言い分だった。
あの手のダメージは、時間をおけば回復するタイプではない。
逆である。
どんどん痛みだす。
運動中ではなく、翌日症状がでる筋肉痛と近い。
休憩が否定的に働くのだ。
――あれと同じだな。
カズマは今、広げた手のひらを見て痛感する。
右の義手は当然ながら無傷だった。
しかし、生身の左手は酷い。
指の付け根からやや下ったあたりで、べろりと皮が剥けていた。
その下からは、鮮やかな鮮血が滲んでいた。
汗を拭うため、一度、シャベルから手を離してしまったのが運の尽きだった。
一度、脳と身体をクールダウンさせてしまった。
それで、感覚が正常に戻った。
本来、感じているはずの痛みが、急に現実になったのだ。
試しにシャベルを握ってみると、案の定、激痛が走った。
だが、続けないわけにはいかない。
今回の山賊討伐では、複数の死者が出ている。
ゲームと違って、遺体は煙のように勝手に消え去ることはないのだ。
いつまでも放置しておくわけにはいかなかった。
埋葬なら、捕虜にした山賊たちにやらせれば良い――
ケイスからはそう言われたが、カズマは首を縦には振れなかった。
命を奪ったのだ。
その責任を実感するためにも、せめて墓穴を掘ることくらいは――封貝に頼ることなく――自らの手でやっておきたかった。
たとえ慣れない穴掘りで、手に血豆を作っても。
カズマは夜明けと共にひとりで動き始めたが、作業は遅々として進まなかった。
それなりに深く掘らないと、獣や魔物に嗅ぎつけれてしまう。
高さ二メートル。
幅八〇センチ。
そして深さ一メートル。
そんな穴をシャベルで地面に空けるのだ。
しかも、死体は一つではない。
加えて、辺りの地中には大きな石がごろごろと埋まっていた。
伸び放題になっている草木の根も、仕事を遅らせる大きな要因の一つとなっていた。
朝も一〇時近くになると、ケイスが迎えにいった非戦闘班が合流してきた。
すなわちセーフハウスで待機していた依頼人のエリナー・フォウサルタン、マオ・ザックォージ、エリック、そしてコロパスの二歳児ミーファティアらである。
このうち、エリックとエリナーは「穴掘りを手伝う」と主張し譲らなかった。
彼らはカズマに何も質問しなかった。
ただ、山賊達の中から多数の死者が出たこと、カズマがシャベルで何をしているかを知ると、血の気の引いた顔で数瞬硬直した。
それから、道具の在り処を誰かから聞き出し、道具を引っ提げて帰ってきた。
「手伝います」
エリナーはそういうと勝手に作業を始めた。
エリックに到っては終始無言であった。
それからは三人とも、何かに急き立てられるかのように手だけを動かし続けた。
一度、「自分だけで手は足りる」というような台詞を投げてはみたが、彼らはカズマのその声を完璧に無視した。
気持ちは分からないでもない。
殺人にその手を染めてしまった責任。
自分のために、誰かにそれをやらせてしまった責任。
重いのはどちらなのか。
より辛いのはいずれか。
答えなどないのかもしれない。
カズマ自身、かつて頭を悩ませた問題だった。
あれは、オルビスソーに来たばかりの時である。
野盗に襲われるオキシオやオックスたち先住民族の商隊に加勢した、あの戦いの中で、カズマはその問題にぶつかった。
この先、自分の指示が原因で、ナージャに人を傷つけさせたり、場合によっては殺しをさせてしまうことになるかもしれない。
そのことに考え当たった瞬間、全身を流れる血液が半分凍った冷水になったかのような寒気を覚えた。
同じ苦悩を抱えたエリックとエリナーは、昨夜、眠れなかったことだろう。
そして今は、汚れ仕事を他人に押しつけた卑怯者だと、己を責めているに違いない。
カズマに殺しをやらせている間、無力を理由に自分たちは安全な所に隠れていた……。
この善良な友人たちは、そんな理屈で己を責め続けているのだ。
結局、カズマに彼らを救ってやることはできない。
立場が分かれたのは単に運の問題だ。
役割が入れ替わっていたら、カズマもまた彼らと同じ苦しみを抱えることになったのは間違いないのである。
無力というなら、自分もふたりと何ら変わりがない。
それが正直な思いだ。
「ごししんさま、いないよお?」
「あそこ。穴の中にいるぞ。前屈みだから見えにくいのだ。高い高いしてやる。そしたら見えるだろう」
不意に遠くでやりとりが始まったかと思うと、
「ごししんさまー」
一、二歳児特有の甘ったるい声がカズマを呼んだ。
兄リックテインから礼儀作法を躾けられているミーファティアは、特にカズマに限ってご主人様という呼称を利用する。
それが舌足らずになった形が、この「ごししんさま」だ。
カズマは名前で呼ぶよう吹き込んでいるのだが、すぐに兄によって矯正されてしまうらしく、なかなか浸透はしていない。
「ダーガ。ケイスが呼んでるぞ」
降ってきた声に、中腰にしていた身体を起こし、顔を上げる。
穴の縁にはナージャが立っており、その首元から伸びる赤いマフラーにミーファティアが握られていた。
ミーファは布おむつを巻いている以外は服を脱ぎ捨て、ほとんど半裸状態である。
どうも彼女は着衣を鬱陶しく感じるらしく、気付くと自分で服を脱ぎ捨てていることが多々ある。
ミーファは宇宙遊泳のように手足をばたばたと動かし、カズマに近付こうとしている。
気付いたナージャが、望みに沿うようマフラーを動かす。
「ミーファちゃん。迎えに来てくれたの」
カズマはシャベルを足元に突き刺し、微笑で少女を抱きとめた。
それを見計らい、この小さなコロパスを支えていた〈*旋火の綾〉が、巻き取り式の電源ケーブルよろしくしゅるしゅると退いていく。
「ごししんさま、呼んでるよ?」
「教えに来てくれたんだね。お手伝いできるなんて凄いじゃないか。お姉さんみたい」
頭を撫ながら言うと、褒められたことを理解したミーファはにぱっと笑った。
彼女にとって「お姉さんになった」ないし「お姉さんみたい」というのは最上級の賞賛にあたる。
ふさふさしたブルーグレイの毛に覆われる三角形の猫耳を掻いてやる。
付け根の裏側をくすぐるようにしてやると、彼女が大変に喜ぶことは既に把握済みだ。
頭部はうなじから肩胛骨近くまで、ほとんどどこに触れても彼女は歓迎する。
良く動く尻尾は気になる所だが、本人としては無関心らしい。
ただし、生え際の上部分は別だ。
軽く触れてやるだけで、途端にとろけてしまうほどお気に入りのポイントである。
「ダーガ。私も呼びに来たぞ」
「うん。ありがとう。やっぱりナージャが近くにいてくると安心感が違うね」
あまりミーファばかり猫かわいがりすると、最近、ナージャは拗ねる、ヘソを曲げるなどの反応を見せるようになっていた。
回避のためには、こうして「役に立つ重要な存在である」といった評価を定期的に繰り返さねばならない。
生まれたての妹に、親の愛情の全てを奪われてしまったと感じる幼い姉のようなものだ。
「――来たか。作業中呼出してすまんな」
昨夜まで山賊の根城であったこの拠点は塔と館から成っている。
ケイスが詰めていたのは後者、館の方であった。
この箱型の建造物には、正面の入口を潜ると暖炉のある大広間が構えられており、彼が待っていたのもそこだった。
そばにはマオ・ザックォージの姿もある。
広間は油断すると足首をひねりそうになる石畳敷きだった。
その所々で不気味な艶を放っているのは、巨大な赤黒い染みだ。
昨夜の戦闘で、床が夥しい量の鮮血を吸った痕跡である。
辺りにはまだ血の生臭さが漂っているような気がした。
とは言え、少なくともこの階での争いは、ほとんど一瞬――かつ一方的に幕を閉じたはずである。
その証拠に部屋はほとんど損傷しておらず、それは部屋の中心部に鎮座する大テーブルも同様だった。
大男が並んで一〇人は雑魚寝できるそうなこの卓は、今、宝飾品の放つ眩いばかりの煌めきで覆い尽くされている。
似た光景をカズマは故郷で見たことがあった。
下着泥棒の逮捕を報じるTVニュースで、警察がずらりと押収品を並べているシーンがそうだ。
署内にある武道場か何かであったのだろう。
だだっ広い床に、女性ものの下着が番号札をつけられて整列されている異様な光景であった。
「さすが、国家認定の盗賊団。なかなか溜め込んでいましたよ」
マオ・ザックォージが半分あきれ顔で言った。
まだ顔色が悪いが、起き上がれるくらいには充分回復したらしい。
もちろん、まだ一切の封貝は召喚できず、能力の九割以上を失っている状態であることに変わりはない。
だが逆を言うなら、封貝使いは力を九割以上封じられていても、普通の人間程度には活動できるということだ。
「すごいねえ、ミーファちゃん。綺麗なのがいっぱいあるね」
カズマは空いている椅子の一つに腰を落とした。
抱いていたミーファティアは、そのまま自分の膝に座らせる。
「きらきらだね、ミーファちゃん」
「首さかり」
ミーファは冗談のように短い腕を伸ばし、冗談のように小さな手で近くのネックレスを握り上げる。
細い金細工のチェーンに、黄緑色の宝石を埋め込んだものだ。
「盛っちゃったね」
「首さかり、しる」
首飾りをする。
ないし、したいと発言したつもりなのだろう。
ミーファティアはぎこちなく手を動かし、ネックレスの輪に早速、自分の頭を通そうとしている。
もちろん、その努力はまるで報われていない。
チェーンが頭の上についた三角の猫耳に引っかかり、そこで完全に止まっていた。
カズマが知る限り、赤ん坊は誰しもが何でも口に入れようとする恐るべき性癖を持っている。
自宅のアルバムを見てもそれは明らかであった。
スリッパを食べようとしている自分と、それを慌てて止めようとしているサトミの写真が、完璧な形で保存されているのだ。
反論のしようもない。
だが、兄リックテインの証言によれば、ミーファティアはそうした時期を既に卒業してくれているらしい。
ほとんど誤飲の心配はない。
そう聞いているため、カズマはある程度、好きにさせておくことにした。
光り物に夢中になっている間は静かにしているであろうし、母親のことを思い出して火が付いたように泣き出すこともない。
「想像してたより、山賊っていうのは稼ぎが良いらしいですね?」
カズマはミーファの両脚を握って、彼女を安定させながら言った。
「こんなの、〈スリージィン〉だからですよ」
多くの女性は宝飾品に目がないと聞くが、例外もあるらしい。
マオが卓上に向ける視線は、汚物に対するそれと大差がない。
「国家権力から一種の略奪権を保証されているからといって……どれだけやりたい放題暴れていたのやら」
「だが、俺たちからすれば助かる話だ。ざっと査定してもらったが――」
ケイスはちらとマオに視線を走らせると続けた。
「宝石だけでも、換金すれば二万グラティアは下らんそうだ」
一グラティアはだいたい一〇〇円相当。
それが、エリックとの検証の末に得られた換算値だ。
となると、二〇〇万円くらいか。
カズマはさっと暗算する。
「現金そのものも見つかった。金貨だけでも九枚ある」
金貨とは、正式には〈一〇〇グラティア金貨〉だ。
名前とは裏腹に白っぽいコインで、カズマは一万円札のように認識していた。
本当に金色をしたコインとしては王貨と呼ばれる上位的な存在があり、これは一枚で一万グラティア相当。
主に商取引などでしか使われておらず、カズマもまだ実物をじっくり鑑賞する機会に恵まれたことはなかった。
「つまり、彼らは三万グラティア前後のお金を持っていた、と」
「昨夜まではな」
「ここはもう私たちのものだから、お金も財産も今は私たちの物なのだ!」
隣の席で、ナージャが我が事を誇るように胸を張っている。
「どっちが山賊なのか分からない状況だな……」
カズマはなにか哲学的な命題にむきかけた思考を、強引に頭から振り払った。
「とにかく――じゃあ、思いがけず今後の活動資金を稼げたんですね?」
「少なくとも、貴方がやっていたような農作業の手伝いよりは、極めて効率の良い稼ぎではありますね。こんなもの、稼ぎとは呼びたくないですが」
マオが顔をしかめつつ指摘する。
「それに、三万前後どころじゃないですよ。気付きませんか? ここにあるのは、単に現金や宝飾品だけではありません」
それは気付いていた。
向かって左手、カズマから遠いサイドになるが、そちらには武器や防具が集められている。
逆に右手側には、宝飾品でありながら少し毛色が違うように見える、アクセサリの類が明らかに分けて並べられていた。
「奴らは装備品にも力を入れていた。こっちの方もかなりの価値がある。評価額は現金や宝石を合わせたより大きくなるかもしれない」
「えっ、そうなんですか?」
「紙とインクがあったから、分類しながらリスト化しておきました」
言いながら、マオが手元の紙片を渡そうとしてくる。
が、途中ではたと気付いて動きを止めた。
「――と、貴方はまだ文字が読めないのでしたね」
「いやあ、面目ない」
「武器と防具は、エリックやリックテインたちにも優先的に回そう。少ないが、宝貝製の物もある」
「見つけ物があるとすれば、同じジ・ショルズ製でも耐性アクセサリの方でしょう。これは封貝使いにとっても有用です」
「じしょるず?」
翻訳されなかった言葉に、カズマは目を眇め気味にする。
「宝貝のことだ。もともと公用語ではジ・ショルズと呼ぶ方が正しいんだよ。だから、マオのような貴族はそっちで呼ぶことが多いんだ」
ケイスが言った。
「じゃあ、宝貝っていうのは?」
「それは、フ=サァン限定の――まあ、方言のようなものだ。そのうち本土に行くなら、ジ・ショルズ呼びにも慣れておいた方が良い」
「その宝貝――ジ・ショルズ?――っていうと、アレですよね。僕らが使ってる封貝の劣化版みたいなやつって言ってた……」
今まで、話のやりとりの中で何度か聞くことがあった存在だ。
確か、不思議な力を秘めた鉱石か何かを加工した物であったか。
〈*ワイズサーガ〉やナージャの〈*旋火の綾〉と違い、一般人を含め誰もが使いこなし、効力を引き出すことができるという魔石の総称。
それがカズマの認識であった。
実際に見たことがある宝貝の代表例は、ポーションだ。
あれは、治癒力を持つ宝貝を瓶型に加工した物だと聞いていた。
その瓶に普通の水を入れれば、それがやがて力を得て回復液へと変容する、というカラクリだ。
「まあ、そうだな。宝貝は――つまり、ジ・ショルズは、武器として加工すれば俺たち封貝使いにも有効にダメージを与えられるし、防具にすれば逆に、俺たちの封貝から受けるダメージを軽減できる」
もちろん限界はあるがな、と肩をすくめつつ、ケイスは続ける。
「そして――マオが言ったように――耐性だ。呪詛。毒。精神攻撃。幻覚。音響。閃光。熱変化……俺たちが持つ防御系封貝ではどうしても対応しきれないこれらの攻撃に、装備品で対応できるのは大きい」
「流石にここにあるのは、二流三流の工房の物がほとんどですけどね」
マオ曰わく、一流の工房の耐性アクセサリは、希少価値が極めて高い。
たった一つで豪邸が買えるような価格になることも珍しくないという。
製法が失われたという古代文明のそれや、クルプンという種族の最上級職人が作り出す特級品ともなれば、国宝指定されることも珍しくないというから驚きである。
「で、実際のところ、ここにはどういう宝貝があるんですか?」
「一番良いのは――」
ケイスが当該品を摘まみ上げる。
ミーファティアがすかさず「首さかり」と声を上げた。
彼女の言う通り、それは銀細工のベースに宝石を嵌め込んだ首飾りであった。
耐性を保証するジ・ショルズ鉱石は、微かな透明度を持つ濃い灰色。
大きさといい色といいアーモンドチョコを彷彿とさせる楕円形のなめらかな石だった。
「〈ノボーク工房〉の精神耐性の白級アミュレットだな。封貝であれ民俗伝承のものであれ、広く呪詛に対して一割から二割前後の確率で回避を見込める」
「白級ってことは……レイダーの階級みたいに、上に青や百人長があったり?」
「そう。ランクが一つあがると、レジスト率が一割上がるというのが定説だ」
ならば、青級で二〇~三〇%。
百人長級で三〇~四〇%。
英雄級で四〇~五〇。
伝説級で四〇~五〇%。
神話級でようやく五〇以上ということになる。
「一〇〇パーセント回避は成立しない――?」
「無理だな。仮に回避率が三割のものを三つ揃えても単純計算で九割というわけにはいかない。積算はされないんだ。三割のものは幾つ持っても三割ってわけだ」
「損害保険みたいなものか」
カズマは聞こえないように小さくつぶやいた。
自転車をぶつけて人に怪我をさせてしまった。
相手から治療費と賠償金として一〇〇万円請求されてしまった――。
そんな時、保険会社が代わりに一〇〇万円払ってくれる。
損害保険とは、そういう性質の商品だと聞いている。
たとえ五社と契約していても、支払い額が五倍化――五〇〇万円にアップすることはない。
一〇〇万円を五社がわけあって、それぞれ二〇万ずつ負担しますという話になるだけである。
「じゃあ、良いのはエリナーさんとかエリックさんとかに持たせときましょうか?」
質問というより確認という感じで問うと、意外にもケイスは首を横に振った。
隣ではマオも同じ仕草を見せている。
「いや、耐性アクセサリは俺たち実戦部隊が持つ」
「えっ」
目を白黒させるカズマに、ケイスが説明の口を開いた。
「想像してみるんだな。催眠や幻覚で敵に操られたナージャとフォウサルタン嬢、どっちが厄介か」
「――あ」
言われて初めて気付く。
それは当然、ナージャの方であった。
エリナーが混乱して暴れだしたとしても、取り押さえてしまえば良い。
容易な話だ。
一方、封貝を解き放って暴れ回るナージャが相手となれば、事はそう簡単にはいかなくなる。
状況と被害は比較にならないほど悲劇的なものとなるであろう。
「そもそもこいつは、俺が斃したここのボスから剥ぎ取った戦利品だ」
手のひらの上でアミュレットを揺らしながら、ケイスが言った。
「つまり、そういうことだよ」
「逆にこの白級の加速ピアスなら、封貝使いじゃないメンバーに持たせても良いですね」
と、マオは金色の耳飾りを摘まみ上げて見せた。
「加速系は、文字通り機敏さ、俊敏性を底上げしてくれるもの。精神攻撃耐性に並ぶ人気の品で、やはり高価な部類に入ります。ですが、効果が絶大な分、使用条件がシビアなことでも知られているタイプです」
加速系の場合、グレードは上昇率ではない。
効果が見込める対象を示す。
白級なら、つまりは白級以下の能力しかない者にしか効果が出ないという。
「じゃあ――えっと、その白級の加速ピアスは、僕には効果があるけどナージャやマオさんたちが着けても、ただの飾りにしかならないってことですか?」
「そうです。私に効果がある加速のピアスは最低、百人長級である必要があります」
「へえ」
「この地方には、まだ〈スリージィン〉の拠点がもうひとつあります」
言葉と同時、マオが手の中の物を放った。
緩い放物線を描くそれを、カズマは余裕を持って受け止める。
「数日中にそっちにもしかけることになるでしょう。それは当面、カズマ。貴方が使うと良いでしょう」
「えっ、良いんですか? あ――でも僕、ピアスの穴あけてないんですけど」
「心配ありませんよ」
マオがどこか悪戯っぽく口角を上げる。
手にした実物を見ると、カズマにもすぐその理由が分かった。
宝貝――ジ・ショルズは封貝使いも愛用する物だ。
ならばピアスとしては、そもそも成立しにくい。
それが極小のものであれ、封貝使いの身体に穴を穿つというのは至難であるからだ。
仮にどうにかしてピアスホールを空けても、封貝使いの超回復能力はそれをすぐに治癒し、埋めてしまう。
渡されたピアスは、実際にはイヤリングに近しいものだった。
耳たぶに触れる部分は透明な樹脂を思わせる素材で出来ている。
横から見るとアルファベットの「C」に似た形状で、ここに耳たぶを挟み込むらしい。
「ダーガ、私がつけてやるのだ」
試しにつけてみるかと慣れない作業に悪戦苦闘していると、見かねたナージャが横から手を貸してくれた。
「ありがとう」
「ダーガは耳たぶ薄いなあ……」
ナージャのぼやきを聞いて、一瞬、眉間に不安そうな皺を寄せたのがマオだ。
「ちゃんと固定できますか? あまり薄い人は外れやすいそうですが」
「大丈夫だ。そこまでではない」
「なら良いですが。最上グレードだと、使用者に合わせて素材が自動でサイズ調整してくれるので、こういう心配もせずに済むんですけどね」
「そんな素材があるんですか? 凄いな」
「ミーファもしる!」
膝の上で大人しくしていたミーファが、突然振り返って言った。
自分もカズマの耳につけてやりたい、という主張である。
彼女は、少し目を離した隙に少なくとも二桁に及ぶアクセサリをじゃらじゃらと身につけていた。
腕には幾つものアミュレットが通され、指にもぶかぶかのリングが並べ立てられている。
はじめて気付いたが、カズマ自身の指にもまるでサイズが合わない物が押し込まれ、第一関節のあたりで中途半端に止まっていた。
右手の人差し指に到っては、串団子よろしく三つの指輪がぎっちりと並べられている。
「どこの成金だよって感じになってるなあ……」
その時だった。
奥に続く木製のドアが、向こう側から乱暴に押し開かれた。
ノブが壁に激突し、バンと大きな音をあげる。
両の肩をそれと分かるほど怒らせ、荒々しい足取りで入り込んできたのは長身の女だった。
背中まで伸びる天然のウェイヴヘアは黒みがかった深い緑色。
シーツかバスタオルのようなものを簡単に巻き付けたようにしか見えない格好は、服と呼んで良いのか極めて微妙なところにある。
風呂上がりなのか、髪にも肌にもそれと分かる湿り気を帯びていた。
「あんたたち? この砦を落としたっていう馬鹿は」
ずかずかと近くまで寄ってきた彼女は、端からけんか腰だった。
その背を追うように、やや遅れて飛び込んできたのは、顔を青くしたコロパスの少年――リックテインだ。
「おにいちゃん」
外で蝶々を見つけた時とそっくり同じ口調で、ミーファティアが彼を指差した。
「そうだね。お兄ちゃん来たね」
「申し訳ありません!」
リックテインは乱入してきた女性のすぐ後ろで、勢いよく頭を下げた。
「お止めしたのですが……」
直後、彼の後ろからも二人ほど、若い女性が姿を見せた。
こちらは先頭の勝ち気な娘と違い、部屋の出入口付近で遠慮がちに止まっている。
抱き合うようにふたり身を寄せ合っているのが印象的であった。
「ええと、あなたは――」
代表して、カズマは長身の娘に声をかけた。
山賊の一掃後、この本館の地下から女性が何人か見つかった、と報告は昨夜の時点で受けていた。
賊の仲間ではなく、近隣の村々から拐かされてきた娘たちだ。
彼女らのことはリックテイン――合流後はマオ――に任せきりで、カズマはまだ直接会っていなかった。
男性に対する嫌悪感があると予測されたからだ。
ナージャに封貝で風呂を入れてもらい、希望者がいれば身を清められるよう手配もしていたが――
「えっ、なに? 赤ちゃんが……なんで、赤ちゃん?」
カズマが抱いたミーファティアを見て、娘は目を丸くする。
気持ちは理解できた。
山賊の住み処に乗り込み、一夜にしてコレを壊滅せしめた武装集団。
そう聞いていた連中を実際目の当たりにしてみれば、おむつの幼女を連れているのだ。
「一応、僕がこの派閥を率いるナンジョウ・カズマです。あの、何か不都合でもありましたか?」
「はあ? あなたが――」
彼女はカズマを凝視した後、確認を取るようにケイスやマオといった年長組に顔を向けた。
そして異論が出ないことを知るや、再びカズマに戻ってくる。
「あなたが、リーダー……?」
顔と声音が「冗談でしょ」と語っている。
だが、事実であった。
「いや、そんなことより。どういうつもりなの、こんなことして」
丸く見開いていた眦を吊り上げて、彼女は語気荒くカズマに迫った。
叱責口調であった。
「全滅させたって聞いたけど、あなたたち、ここの奴らが〈スリージィン〉の一味だって理解してる? 奴らのアジトを襲うなんて、それがどうなるか責任を持てるからやってるんでしょうね」
「え――っと、つまり?」
「ああ、もう……よしてよ」
絶望と苛立ちをない交ぜにした仕草で、娘は天を仰ぐ。
「奴らはただの野盗じゃない。国から許可を受けた特殊なやつらなの。村を荒らされて、金品奪われて、女をさらわれても――悔しいけど何もできない。それは認められた権利だから」
「でも、あなたは被害者でしょう。そして捕まって、酷い目にあっていたんですよね。これで自由の身じゃないんですか?」
「あのねえ」
女性はこれ見よがしに嘆息して続けた。
「あいつらは私たちを鎖で繋ぎもしなかったし、ドアに鍵もかけなかった。
何故だか分かる? 逃げられないと知ってたからよ。逃げたら、奴らは見せしめに私たちの村をまた襲う。
一度目は奪うだけだったけど、今度は違う。徹底的にやるの。女子供も老人も、容赦はない。根絶。皆殺しよ」
なぜ――?
思わず考えが顔に出た。
適度に残さなければ、奪う物がなくなる。
獲物を狩り尽くすのは、狩人として自殺行為だ。
「言ったでしょ。奴らは略奪権を認められてる。私たちのことだって、正当な仕事で正当に獲得した扱いになってるのよ。
その正当な報酬である私たちが逃げるということは、〈スリージィン〉に対する反逆と同じ。そうみなされるからよ。
奴らは通常、人殺しの権利までは認められてないけど、反逆者を粛正する権利は認められてる。この意味は理解できるわよね?」
「できます、けど……そんなこと言われてもなあ」
煮え切らない態度にカチンと来たらしい。
「私たちは誰も助けてなんて言ってない!」
娘は一際ヒステリックに叫んだ。
「責任も取れないくせに、英雄ぶって余計なことしないでよッ」
カズマは彼女の肩越しに、部屋の出入口に視線を投げた。
同じく山賊達の慰みものにされていた二人組は、相変わらず戸口からこちらの様子をうかがっている。
目の前の娘のように喧嘩腰で突っかかる度胸はないらしい。
だが、主張そのものに反論があるようにも見えなかった。
気持ちは同じなのだろう。
「ちょっと、聞いてるの!」
よそ見がまた癪に障ったらしい。
胸ぐらをに掴みかかってくる勢いで、娘が金切り声をあげる。
「ああ、はい。聞いてます」
「あんたらのくだらない虚栄心のおかげで、私の村は近々、この世から消え去るでしょうよ。
私が辛抱して奴らに抱かれてさえいれば平和に暮らせたはずの親や幼い弟たちも、友だちも、切り刻まれて殺される。火をつけられて思い出もろとも何もかも灰にされる!」
娘はまくしたてた。
カズマの顔に飛んだ唾がかかる。
だが、眦に浮かぶ涙を見ると、文句は出てこなかった。
「もちろん、私も見つけ出され次第、拷問で嬲り殺しよ。おかげさまでね!」
女性の剣幕に怯えた様子のミーファが、カズマの腕の中でもぞもぞと身体の向きを変えた。
そうして、ぎゅっと首に抱きついてくる。
カズマは彼女の頭から首筋にかけてを、安心させるように優しく撫でてやった。
それを見て娘の方も、声を荒げすぎたことに気付いたらしい。
やや声のトーンを落とした。
とはいえ、言葉の棘の数はまではまったく減った様子がない。
「ねえ、これから私たちがどうするか想像できる? 死ぬ気で村まで走って家族に危険を知らせた後は、ナイフで首を突いて自殺よ。奴らに捕まって、この世の地獄見せられて死ぬよりマシだから」
「えっと、ですね」
カズマ身体を軽く揺すり、ミーファティアを抱え直した。
ゆっくり頬ずりすることで、彼女をあやしつつ続ける。
「まず第一に、僕らはここが〈スリージィン〉の拠点だと承知した上で襲撃しました。第二に、僕らがそうしたのはあなたたちを助けるためではなくて、自分たちの利益のためです」
「だったらなんだってのよ」
「つまり、なんで助けたと責められても、そもそも助けた覚えがないということです」
カズマは諭しかけるように指摘した。
「それに、あなたの態度や行動は矛盾している。僕らは小さくはあれ〈スリージィン〉の拠点を武力制圧できる力をもった集団です。
その僕らに、あなたはこうして正面から突っかかってきた。機嫌を損ねれば殺されるかもしれない、未知の相手なのに。
なぜ、僕らにできたことが〈スリージィン〉相手だとできなくなるんです?」
「そんなこと――」
娘は少し鼻白んだように身をひいた。
「僕は弱いから、同じように力のない人と手を取り合うことに積極的な方だと思っています。そうしないと力を持つ人たちから押しつけられる理不尽とは到底、戦っていけないので」
カズマはミーファを抱く腕に少しだけ力を込めた。
「あなたは今、自分が弱者であると主張しました。では、あなたと手を取り合うことで、僕は何かと戦えるようになるでしょうか?」
娘は黙った。
「僕は、あなたと同じように〈スリージィン〉に捕まって酷いことをされていた女性を知っています。でも彼女は、僕たちと行動を共にして〈スリージィン〉と戦ってる点であなたとは違う。一口に弱者といっても、それには二通りあるということです」
「何が、言いたいの……」
「あなたが僕にぶつけたのはただの愚知だ。何も生まないし、何かを変える力なんてありません。たぶん、そのことはあなた自身もどこかで分かってる」
娘はほとんど脊髄反射的にカズマを睨み付けた。
あんたに何が分かるって?
燃えるようにぎらつく瞳が、そう如実に語っている。
「でも」とカズマは顔色を変えることなく続けた。
「それは、あなたの責任じゃない。誰でもそうなり得る。奪われるだけの毎日で、身も心もすり減って、他にできることがなくなってしまう……それは、そう仕向けた奴らが悪い。だから、今は少し休んでください」
「だから!」
娘は憤然と腕を振り回した。
「ここが落とされたことを〈スリージィン〉の他の奴らに知られたら――」
「〈スリージィン〉はしばらく、それどころじゃなくなります」
被せるように言った。
えっという顔の娘に、カズマはにやりとして言葉をつぐ。
「この一帯には、もうひとつ〈スリージィン〉の拠点があるそうですね? 僕らの次の狙いはそこです。そこを落としたら、次はもう少し大きなところだ」
口をぽかんと開けたまま、女性は呆然とカズマを見詰めている。
握り固めていた両の拳は、いまや力を失い身体の両側にだらりと垂れ下がっていた。
「だから、少し休んで色々考えてみる時間くらいは稼げますよ」
僕らが負けなかったら、ですけど。
これは、流石に言葉にはしなかった。
彼女自身、冷静になればすぐに気付くことであろう。
腕のなかでミーファがびくりと身体を震わせたのは、その時だった。
背すじを縦にぴんと伸ばし、外に顔を向けたまま動かない。
垂直に立てた耳が、時おりぴくぴくと震える。
「――ミーファちゃん、どうかした?」
ただ事ではない。
そう感じながら訊くと、彼女は何かから目を背けるように、カズマの胸へ顔をこすりつけ始めた。
「こわいこわい」
既に耳はぺたんと伏せられ、尻尾も不安げに丸まっていた。
「こわいこわいが来た」
「怖い……怖い?」
カズマはオウム返しに問いながら、どういうことだと兄のリックテインに顔を向けた。
ミーファ語の訳に関して、彼の右に出る者はいない。
だが、今回ばかりはさしもの彼も困惑顔だった。
「たぶん、何か異形の化物だと……ミーファは良く知らないものをまとめてコワイコワイって言いますから」
流石に歴戦の戦士といったところか。
それだけ聞いただけで、ケイスは立ち上がり、何があっても対応できる構えに入っている。
マオも気持ちは同じようだが、同時に、自分が戦える状態でないことも把握している。
ちょうど手元にジ・ショルズ製の武具が並んでいるため、使えそうな物の選別の方にかかり始めていた。
カズマは素早く決断しなければならなかった。
「リックテイン君、ミーファちゃんをお願い」
まず、顔にへばりつくミーファを顔から引っぺがし、駆け寄ってきた兄コロパスに預けた。
それから相棒に声をかける。
「ナージャ」
「おう!」
彼女はとっくに臨戦態勢であった。
呼んだカズマを追い越し、先頭切って外に飛び出していく。
その背に続こうとした矢先、背後から呼び止められた。
「カズマ、これを」
振り向くと同時、マオが何かを放り投げる。
空中で受け止めると、思いがけずずしりとした手応えが伝わった。
金属製の鞘に収まった、両刃型の剣だった。
刃渡りは、カズマの肘から指先までくらいだろうか。
握りを含めてようやく五〇センチを越える程度。
長剣というには少し短く、短剣というには長すぎる、微妙な代物である。
最初は重みを感じたが、鞘つきの剣だとすれば異様に軽い。
「ジ・ショルズ製の剣です。軽く、切れ味は鋭い。攻撃手段に乏しい以上、今はそういう物に頼りなさい」
少し考え、素直に受け入れることにした。
礼を言って出口に向かう。
外で墓掘りの作業をしていたのは、エリックとエリナー・フォウサルタンの二名。
戦闘能力という意味では、派閥内で最底といえる組み合わせであった。
ナージャを先行させているとはいえ不安は残る。
だが――屋外に出たほぼ直後と言って良いだろう。
気付けば、足を止めて棒立ちになっている自分にカズマは気付いた。
恐らく一〇歩も進まないうちだった。
開けた敷地内の向う正面、先程まで墓穴を掘るために作業をしていた、まさにその付近にそれはいた。
一瞬、地球では幻とされている太古の恐竜かと思った。
太く先端まで真っ直ぐな四本の脚は象や犀に近く、それが繋がる胴体もまた横倒しにした樽を連想させる象、ないし犀に似たものがあった。
一方、これらの大型ほ乳類とは違い、尾は第五の脚部かというほどがっしりと長く、蜥蜴などの爬虫類――否、スケール的にはまさに恐竜を彷彿とさせるものであった。
首は馬のように長く、しかしその終端には顔らしい顔がついていない。
おぞましくも丸ごと金魚のような円形の口になっており、ぱっくり開かれたその内側には、何重にも連なった鮫そっくりの鋸歯がずらりと並んでいた。
どことなくヤツメウナギを連想させるそれは、見る者を総毛立たせるに充分な醜悪さを放っている。
なにより最悪なのは、その皮膚が黄色人種そっくりの肌色で、かつ粘着質のぬめぬめとした湿り気を帯びていることだった。
しかも、全身に太いひび割れのように静脈に良く似た青い筋が走っている。
雨の日、靴に脚を突っ込んだ瞬間、ぐにゃりとした嫌な感触に襲われ――そして、慌てて確認した足の裏に、潰れたナメクジの死体が張り付いているのを見てしまった時より、気分は悪かった。
最悪だった。
「――やはり、食屍獣か」
後ろから聞こえたケイスの声に、カズマは飛び上がるほど驚いた。
ケイスは気にした様子もなく、淡々と続ける。
「こういう山中や、深い森の奥には必ず見られる化物だ。あらゆるタイプの屍臭を驚くほど敏感に嗅ぎつけて、ああして漁りに来る」
「自然界の掃除屋ということですか? つまり、害はない?」
恐竜サイズの食屍獣からすれば、四本の有刺鉄線からなる鉄条網もなんら障壁とはなり得ない。
人間が蜘蛛の巣を払う程度の感覚で根元から薙倒し、墓穴の側に並べた死体に食い付いている。
しばらく、肉類は喉を通りそうにないな――。
どこか諦観にも似た念と共に、カズマは顔をしかめる。
「こちらから仕掛けない限り、向こうから襲ってくることはほとんどない」
ケイスが言った。
「だが害がないわけじゃないし、奴を掃除屋と認識するのは間違っている。奴の存在は場の相を陰に近づけるからな。地相が陰化すれば――前にも言ったように――不死系の化物たちが発生し始める」
だから、食屍獣が目撃されると、レイダース連盟は積極的に討伐依頼を出してくるのだ、と彼は続けた。
「だが、まあ……この山は〈スリージィン〉の縄張りだ。下手に血の気が多いレイダー連中を近づけると、無用な摩擦や揉め事に繋がる。
それを嫌って、連盟は〈スリージィン〉のテリトリィを避ける傾向にあるらしい。食屍獣も放置されていたんだろう」
「おうい、ダーガ。こいつ、ぶっ殺しちゃって良いか――?」
既に〈*火尖鎗〉を召喚済みのナージャが大声で問うてくる。
穂先から火を吹く槍を吹奏楽団のバトン演技よろしく振り回し、逸る気をなんとか抑え込んでいる状態だった。
「ちょっと待って! エリックさんたちは?」
「あいつらなら塔に逃がしたぞ」
ならば、ひとまずは安心と言える。
改めてケイスに向き直った。
「ケイスさん、あれは狩るべき魔物なんですね?」
「ああ。――ナージャには悪いが、譲って貰ったらどうだ? 食屍獣は無印級レイダーでも、装備を調えたパーティなら倒せてしまうレヴェルだ。腕試しにはもってこいだぞ」
マオは、敵の気配と聞いた時点でここまで考え方たのかもしれない。
不意にそう思った。
剣を渡してきたということは、カズマが最前線で戦うことを想定していたことになる。
結局、ナージャが出るまでもない雑魚が相手でなければ、そうしたシチュエーションは成立しにくいのだ。
「ややっ、あれに見るは食屍獣! しかもうら若き乙女、咲き誇る一輪の花が今まさに手折られんとしているではないかッ」
芝居がかった声が、やにわに響き渡った。
やけに通りの良い凜とした発声がまた、舞台役者然とした印象を助長する。
恐らくは、食屍獣を挟んで敷地の外側からだろう。
化物の巨体が壁になって、カズマからは声の主を確認することは難しい。
「いや、ありゃどう見ても封貝使いだろ」
どこかのんびりとした、年配の男性の声が答えた。
「そのような些事、ムカイザァ――ノ家の男子を躊躇らわせるにあたわず! さあ、救出にゆくぞ爺ッ」
「おいおい。家名は隠しとかなきゃ駄目なんじゃなかった?」
「あ」
芝居がかった声の主が、一瞬沈黙した。
が、それは本当に刹那のことであった。
彼はすぐに気を取り直すと、開き直ったように宣言する。
「乙女が危急とあらばそれも些事なり。いざや、突貫!」
「あー、はいはい」
そして、いきなりだった。
凄まじい封貝の圧力が爆発的に広がり、一瞬で周囲の空間を埋め尽くした。
一瞬、電柱さえへし折る殺人的暴風雨の中に放り込まれたのかと錯覚しかけた。
無意識に、何か掴まれる物を探しそうになる本能的恐怖は自然災害そのもの。
吹き荒れるエネルギィの乱気流が、呼吸すら許さない。
そして――その嵐の中心に、途方もない何かがいる。
それはかの〈青薔薇〉スカイアナハと、マオ・ザックォージが死力を尽くして立ち合った際の圧ともなんら見劣りしない――紛う事なき百人長クラスも上位以上の存在であることが、はっきりと皮膚で感じられた。
「これは……」
さしものケイスも驚かされたのか、重い呻き声を漏らす。
何者だろうか。
彼に問いかけようとした矢先だった。
カズマの視界を、何か黒い影のような斜線が横切った。
錯覚を疑いたくなるような一瞬のそれは、人型の――そして男性の――シルエットを伴って敷地内、カズマと食屍獣を結ぶ直線上のちょうど真ん中付近に着地する。
やや遅れ、何が起こったのかを現実が遅れて認識したように、彼の背後で爆発が起こった。
食屍獣の巨体が轟音と共に四散した瞬間であった。
肉体の崩壊と共に体内ガスのような何かが一気に解放されたのか、はたまた単に男の爆発的攻撃の余波か。
いずれであれ、刹那、目を開けていられなくなる程の突風が吹き荒れた。
それに乗って食屍獣血肉が花火のようにまき散らされる。
しばらくすると、ボトボトという嫌な落下音が周囲で弾け始めた。
「あぁーっ、私の獲物が!」
ナージャが、冷蔵庫のプリンを勝手に食べられた女子高生そっくりの叫びを上げる。
「そこな乙女。お怪我などありませんか?」
盾型の封貝を傘がわりにして肉片の雨をしのぎながら、雅な足取りでその声の主は現れた。
爽やかな笑顔を浮かべナージャへと歩み寄っていく。
「なんだお前は!」
当然の問いだった。
「なに、名乗るほどの者ではありませんよ」
ほとんど金髪に近いライトブラウンの髪を、気障にかきあげて彼は言った。
その振る舞い。
着衣のグレード。
彼が貴人に類する者であることは疑う余地もない。
だが、少なくともその外貌は、カズマがイメージする貴公子からはほど遠いものがあった。
たとえるなら、床に落としてひしゃげた大福といったところか。
年齢はカズマとそう変わらないのだろう。
しかし、身長は同年代の平均と比較しても明らかに低い。
恐らくは一五〇センチ前後。
その縦に足りない分の尺を横幅に傾けたような極端な体型が、彼を強烈に特徴付けていた。
かといって肥満体と表現する気になれないのは、腹が出ていないせいだ。
むしろ分厚い胸板の方が主張は大きい。
女性の太腿ほどもある太い首からも分かるように、短躯のわりに骨太に過ぎるせいで、異様にずんぐりとして見えるのだ。
常人より一回り大きな丸顔であることに目を瞑れば、鼻梁はすっきりと通り、目元も涼しげと造形には問題がない。
体型の問題さえクリアできたなら、キャラクターに相応しい美男子になっていたであろうことが返す返すも惜しかった。
「それより乙女よ。ささ、急ぎ僕の後ろに」
貴公子はナージャを庇う位置に移動し、なぜか鋭く細めた双眸をカズマたちに向けた。
「民を苦しめる匪賊よ。その悪行三昧も今日限りと思え! たとえ国家が認許しようとも、お前たちの非道、この僕が許しはしないぞ」
「えっ――?」
疑問は色々とある。
そもそも、突然現れたこの貴公子達は何者なのか。
何の目的で動いているのか。
だが、この展開は分からない以上に、ひたすら意外だった。
何故そうなる、としか言いようがない。
「償いの時は来たぞ。いざ、尋常に我が剣の錆となれ」
「その前に!」
カズマは負けじと大声でやりかえした。
このままでは向こうにペースを持っていかれる。
そうならないうちに、勢いで主導権の取り返す作戦だ。
「どうするのさ、これ」
カズマは周囲にぶちまけられた化物の肉片を目で示す。
「やったのは君たちでしょ。責任持って後始末して下さい!」
「なにい」
何に衝撃を受けたのか。
貴公子が気圧されたように半歩後ずさる。
「実にもっともな主張だ!」
「いや、それよりこの連中、どう見ても盗賊じゃないでしょ」
食屍獣を一撃の下、葬り去った男が横から言った。
「ぬ、どういうことだ。爺」
「どうもこうも、聞いてた構成員とメンツが違いすぎじゃないの」
爺の呼び名通り、彼は老人だった。
サンタクロースを思わせる真っ白で豊かな髭がまず印象的な人間種だ。
歳の割に大変豊かな頭髪も純白で、これはとろんと眠たげに見える双眸の上――眉についても同じ事が言えた。
彼は護衛としての役割も担っているらしく、簡易型の防具を身につけている。
だが、その下には鋭い刃すら弾き返しそうな程、見事に鍛え上げられた鋼の肉体が見え隠れしていた。
何より、ケイスやマオにも比肩し得る、あの一瞬の強大なプレッシャーを発したのは、この老人であることを忘れるべきではない。
「まあ、良い。そこの賊徒の言い分には理を感じた。爺、共に清掃するぞ!」
よく分からないポーズを取りながら、短躯の貴公子が宣言する。
「マジかい……」
大きく肩を落とした老人が、諦めたように大きく嘆息した。
それから二人でちまちまと散らばった肉片を集め始める。
その光景は、丸きり日曜日に庭の草取りをする老人と孫の構図そのものだった。
「いや、本当になんなんだこの人たち」
カズマのそのつぶやきは、場の全員の心情を代弁するものであるはずだった。




