突入
045
作戦は、カズマがセーフハウスに戻ってから約一〇時間後に開始された。
陰の四刻の鐘が鳴った直後であったため、深夜〇時頃と考えて良いはずである。
この世界ではカズマが知る現代日本のように、安価なエネルギィ資源がない。
よって夜の光熱費も馬鹿にならず、街灯もなければ、開いている店も存在しないのが普通である。
屋外に出ると、月明かり以外の光源は一切が消え失せていた。
街を出ると、すぐにケイスが翼竜〈アルハングェラ〉を召還し、空の旅となった。
両翼を広げると優に五メートルを超えるこの巨鳥は、数人程度なら問題なく背に乗せて飛べる。
実行部隊のメンバーは、カズマにナージャ、ケイス。
そしてリックテインの四名に厳選されていた。
無論、この人選はすんなり決まったわけではない。
依頼人であり自身も――無印クラスではあれ――封貝使いであるエリナー、そしてエリックのふたりは最後まで抵抗感を露わにし続けた。
特にエリックの抗議は強弁姿勢であった。
「なんで、リックテイン君が……カズマくん、きみが許可したのか」
一瞬呆然としたあと、詰め寄ってきた彼はかつてない形相だった。
「メンバーに入れるなら、彼じゃなくて僕であるべきじゃないか」
詰問口調の彼を慌てて押しとどめ、カズマは事情を説明した。
それだけでは足らず、リックテイン本人からも口添えを願わねばならなかった。
そもそも、今回のメンバー選びは全てケイスに判断を任せていたのである。
カズマはケイスにも助けを求めた。
「僕は納得できない」
それでもエリックは頑なだった。
「生後一年でコロパスが成人扱いになるのは良い。でも、リックテイン君はまだ生後三ヶ月前後だったよね。明らかに実戦投入には早すぎる。猫だって、そんな小さな子に狩りの実践訓練なんてさせないよ、きっと」
「だが、本人が望んでいるんだ」
そう言ったのはケイスだった。
「エリック。確かに、お前さんが言っていることは正しい。子どもは時間が許す限り、健やかにゆっくりと育っていくべきだ」
「だったら――」
「だが」
被せるように発されたケイスの一言は、今もまだ印象に深い。
「それはあくまで理想に過ぎない。リックテインは既にその理想的環境を失っている。他人より早く大人になることを強いられる環境下にある。俺たちにできることはなんだ? たとえ明日、俺たちを失ったとしても、妹と一緒に生きていくための方法、力の付け方を彼らに与えることだ。温室培養することじゃない」
「それに、現状で……エリックさんは連れていけませんよ」
カズマの静かなその指摘は、エリックに少なからぬショックを与えたようだった。
「どう、して――」
その問いにカズマは、バトンリレーさながら、自分に与えられていた課題をそのまま渡すだけで良かった。
「盗賊退治っていうから分かりにくいですけど。僕らがこれから行くのは、人殺しです」
次の一言で彼との議論は終わる。
そう知りながら、カズマは続けた。
「エリックさん、人を殺すなんてできないでしょ?」
喉で言葉がつかえる「うっ」という音が、かすかに聞こえた。
その時見せた、傷ついたようなエリックの表情は、まだ目蓋の裏に焼きついている。
呆然と立ち竦む彼と、押し黙ってうつむくエリナーを残してカズマたちはセーフハウスを出た。
幸いにもミーファティアは深い眠りに落ちており、あとのことはマオに任せることができた。
「――奴らの支配域に入る。そろそろ下りるぞ」
不意に、前方でケイスが言った。
ややあって、翼竜〈アルハングェラ〉が高度を落とし始める。
飛行封貝を持たないカズマ、リックテインの両名は、ケイスが召喚したこの巨鳥の背に同乗させてもらっている。
唯一、ナージャだけが自前の移動封貝〈*脚踏風火〉で隣を飛んでいた。
支配域に入るという警告とは裏腹に、野盗の拠点と思わしき建造物は見えてこない。
校舎の三階ほどの高さから見下ろす〈尾剣山脈〉には、山肌を覆い尽くす常緑樹の海原がただ黒々と広がるばかりだ。
巨大な双子月から降りそそぐ光を受けて、木々はどこかプラスチックめいた鈍い光沢を帯びている。
封貝使いは視力に優れ、また夜目も定命の人々より格段に優れるが、全ての感覚が鋭敏化するわけではない。
事実、カズマは〈アルハングェラ〉の飛行速度に見当をつけきれずにいた。
これは一面、仕方のない話でもあった。
というのも――そうした特殊能力を帯びているのか――この翼竜は明らかに空気抵抗を軽減している節がある。
眼下を流れる風景からして間違いなく自動車以上の速度で飛行しながら、ランニングでなびく程度にしか髪が揺れない。
それ故、隣に座るリックテインとの会話も〈*ワイズオレイター〉を通さず、肉声で充分に成せた。
「ケイスさん。しゃべっても大丈夫ですか?」
翼竜が優雅な滑空の後、軽やかな着地を決めると、カズマは声をひそめて訊いた。
「ああ、まだ構わん」
「近いって言ってましたけど、どれくらいあるんですか?」
「大体、ニオービットといったところか」
聞き慣れない単位であったため、質問して確かめる。
ナージャにも確認してもらったが、どうやらオービットとはこちらの世界で一般化されている距離、長さの単位であるらしい。
後日、エリックを交えて詳しく検証してみる必要があるが、大体オービットとは五〇〇メートル前後ではないか。
それが、現状でのカズマの認識であった。
すなわち、ニオービットとは一キロメートル前後ということになる。
「ザックォージ様くらいの感知力なら、ニオービットは充分に索敵範囲ですね」
リックテインが引き締めた表情で言った。
とても六歳児の台詞だとは思えない。
「そうだ」
油断なく周囲を警戒しながらケイスが言った。
「俺たちに感知系の封貝持ちはいない。向こうにそれが板場合、既に接近を察知されている可能性がある」
「でも、その……マントみたいなやつ、封貝使いの気配を消せるみたいなこと言ってませんでした?」
カズマは、ケイスが羽織る濃茶色――というよりもはや黒色――の外套を指差す。
それはフード付のポンチョに近いもので、初めて見たとき、カズマは幼少期に使っていた子供用のレインコートを思わず連想した。
現在、ケイスとナージャの二名が揃ってそれをすっぽりと羽織っている。
「完全に消せるわけじゃない。気休め程度だ」
ケイスがすぐに否定した。
「雪原を歩く時、ブーツからカンジキに装備を代えるようなものだ」
すなわち足跡は浅く、薄いものになるが、残らなくなるわけではない。
「それに感知系は、音や体温、空気の揺らぎ、直感……様々な方法で存在をとらえてくる」
「今さらですけど、感知系って多いんですか」
「むしろ多数派だな。レイダーでもそうだ。無印級は戦闘要員としては使えないクラスだが、それでも飯を食っていけてるだろう? 狩りに向くかどうかが実力の全てではないからだ。戦闘能力より、感知や治癒の力を必要とする仕事も多い」
「僕、耳は良い方です!」
挙手と共にリックテインが宣言した。
私という一人称を忘れているあたり、どこか誇らしげに見えるのは気のせいではないのだろう。
「私もだぞ、ダーガ!」
対抗心丸出しでナージャも名乗り出た。
「私も、あれだ。耳の、耳は……形ならそれなりに良いはずだぞ、ダーガ」
「うん。二人とも、期待してるから」
とはいえ、可聴域こそ猫獣人に数歩譲るとしても、音に関してはカズマも一家言ある方だ。
なにせ、手持ちの封貝は音関係に特化している。
目に見えぬほど小さくした〈*ワイズオレイター〉を大量に散布すれば、少なくとも半径一〇〇メートル、三六〇度の範囲内の音は、枯れ葉が落ちる音まで拾える自信があった。
「――では、先導する。縦一列。カズマ、リックテイン、ナージャの順で続いてくれ。各自、警戒を怠るな。途中、気付いたことはなんでも言うように」
いうが早いか、ケイスが音もなく歩き出した。
まるで道が見えているような足取りで、夜陰に沈む木々の狭間を縫い進んでいく。
彼に限らず、流石に鍛えられた封貝使いとコロパスからなる面子なだけあり、移動速度は相当なものだった。
山中、足場の悪い道ならぬ道ながら、まるで舗装路のようなピッチで行軍していく。
唯一の例外であるカズマは、荒い息で必死に食らいついていく。
幸いにも、ケイスが背中に握り拳を回す「とまれ」の合図を出すまで、一五分前後しかかからなかった。
「見えるか?」
ケイスが半歩、横にずれた。
にわかに前方の視界が開ける。
最初に見えたのは、いわゆる有刺鉄線だった。
等間隔に枝を切り落とした木が柱として植えられ、それが棘つきの太い針金で編まれたフェンスを支えている。
こちらの世界にも鉄製品があるのは、カズマも承知していた。
が、有刺鉄線の発明を確認したのはこれが初めてである。
中世ヨーロッパには、まだなかったはずの物だ。
「近くに気配はないですね。外に見張りはいないのかもしれません」
リックテインが頭の上の耳をぴくぴくさせながら囁いた。
彼のやや丸みを帯びた三角の大耳は、猫同様、左右が別の動きを見せる。
そしてパラボラアンテナのように、様々な音を集めて分析できるらしい。
「公認機関である奴らは敵なしだ。警戒も緩いんだろう」
予測していたことのように、ケイスが言った。
「なんか、小さなところだな……」
ナージャがぽつりと零す。
第一印象としては、カズマもまったく同感だった。
有刺鉄線で切り取った彼らの縄張りは、学校の体育館程度の面積しかない。
フェンスで囲ってはいるものの敷地の半分は、森に埋もれているも同然であった。
伐採されていない木々が多数見られ、面倒そうに切り開いたわずかばかりの場所に建物が二つ築かれている。
「空から発見しにくかったわけだ」
カズマのつぶやきに、リックテインが無言で小さく頷く。
二つある建物のうち、一つは二階建ての箱形。
規模としては、少し大きめな公民館程度のものだろう。
そこからやや離れた――カズマ立ちから向かって――奥の角近くに白く長細い塔が見える。
シルエットだけ見れば灯台を思わせる部分があるが、高さはせいぜいが三階程度。
直径も細く、内側に螺旋階段を這わせればスペースはもうほとんど残らないであろう程度の小物だ。
「ひとつ、目立つ気配があるな」
ケイスが言って、カズマたちを振り返った。
「恐らく、コイツが青級の首領だって話のリーカデルトだろう。あっちの、低い方にいるようだ。恐らく地下だな」
「高い方には明りが見えますね。分散してるわけか」
カズマは言った。
「青級は俺が片付ける。お前たち三人は、あの高い方を制圧しろ」
ケイスのその言葉で、心臓が一つ大きく跳ねた。
一瞬、背中に痺れるような感覚があり、それをきっかけに胸がざわつきはじめた。
相手の数、力も分からないまま、敵の拠点に乗込む。
そして――命を奪う。
自分がこれからしようとしていることを実感すると、身体も敏感に反応する。
全身からどっと汗が噴き出し始めた。
「やり方は任せる。ただ、一つだけ。ナージャ」
「ん――? 私か」
着心地が悪いのか、しきりに外套のフードを弄っていたナージャが、手を止めて答える。
「お前さんはできるだけ手を出さないよう、バックアップに徹してくれ。これはカズマとリックテインを鍛えるための、実戦を通した訓練だ。戦闘は二人を中心に行われることが好ましい」
言うだけ言うと、ケイスは腰を落としたまま柵沿いに走って行った。
カズマたちから大分離れると、人間離れした跳躍で一気に鉄条網を飛び越える。
敷地内に着地した時にはもう、担当の箱形建造物に向けて再び疾駆に入っていた。
「ご主人様、私たちも参りますか?」
「うん。でも、リックテイン君。咄嗟の時にご主人様呼びだと、僕が相手なのかナージャなのか分かりにくい。戦闘中だったりすると、それが致命的な対応の遅れを生むかもしれないよ」
「あっ、はい――すみません」
カズマの鳩尾までしかない頭が、ぺこりと更に下げられる。
「あの、では失礼ながら、ナンジョウ様にクラウセン様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「いやいや、前から言ってるように名前で呼んでよ。カズマにナージャ。決定ね?」
強引に決定すると、カズマは反論の暇を与えずに移動を開始した。
攻略対象の塔は敷地の反対側に見えている。
ケイスがそうしたように、まずは鉄条網沿いに走り、ぐるりと回り込むことにした。
幸い、周囲にはどっしとした幹の樹木が密集しているため、遮蔽物に不自由はしない。
「外に人が出してる音は感じないな……リックテイン君、何か見える?」
猫の眼を持つという彼は、月光さえあれば夜でも昼間のようによく物を見渡せるという。
封貝使いも常人の数倍夜目がきくが、コロパスはさらにその数段上をいくらしい。
「いえ、見張りはいないみたいです」
「OK。じゃ、一番近いところまで寄ろう」
カズマは宣言して、先頭切って歩き始めた。
木と木の間を野ねずみのようにちょろちょろと駆ける。
既に、塔はフェンスを挟んでも二〇メートルもない位置に迫っていた。
余裕で〈*ワイズオレイター〉の有効射程範囲内だ。
「中に封貝を送り込みたいな。入口は……ドア付きだよね、あれ」
暗い上に、角度の関係で判別しにくいが、石作りの頑強そうな壁面にアーチ状の穴が空けられており、そこには木製の扉が嵌め込まれているように見えた。
「そうですね。結構、がっしりしたドアです」
リックテインが言った。
「あ、でもご主――カズマ様。窓がありますよ」
言われてそちらに目を向けると、確かに塔の壁面には幾つか、縦長の四角形にくり抜かれた箇所がある。
採光用なのだろう。
硝子のような洒落たものこそ存在しないが、比較、高い位置に設けてあり、どれも子どもすら通り抜けられない程小さく、サイズを留めてある。
侵入経路としては到底使えない。
だが、〈*ワイズオレイター〉にとっては、巨大なトンネル口のようなものだ。
「どうだ、ダーガ。敵はいそうか?」
ナージャが訊いた。
「一階は静かだ。ただ、二階からは男の話し声が幾つもする。窓の近くに何人もいるよ。広い空間だ。三階は分からない。封貝を動かしてみたけど、どう動かしてもすぐ壁にぶつかるんだ。小さい倉庫があって、その向こう側にメインの空間があるのかも」
「封貝使いはいるか?」
「それは分からないよ。僕は封貝ごしに音を聞いてるだけだし」
「作戦はどうしましょう?」
とリックテイン。
彼は既に腰に吊した短めの剣の柄に片手を沿わせていた。
戦闘を前に、狩猟本能が昂り始めているらしい。
「ダーガたちは下から、私は封貝で飛んで上から攻めて、挟み撃ちということもできるぞ?」
「うん。僕とリックテイン君の実力が充分なら、それもありかもしれない。でも、下の階に封貝使いがいた場合、僕らが瞬殺されちゃう可能性がある。それに、封貝を出した時点で、気配抑制のマントがあってもナージャの存在は察知されちゃうよ。
相手に封貝使いがいれば、だけどね」
「封貝だけでなく、宝貝にも気配を探知できる能力を持ったものがあると聞きますが――」
リックテインが遠慮がちに述べるが、これは貴重な情報と言えた。
「そうなんだ? だとしたら、相手が常人だとしても油断はできないね。と言うか、僕もその宝貝欲しいな。市販はされてるの?」
「庶民にとっては高価ですけど、市場に出回ってはいるようです」
「そうだ……警戒すべきは封貝使いだけじゃない。劣化封貝なんて馬鹿にされてるけど、宝貝だって半端者の僕には充分な脅威だ」
土壇場でその事実に気付き、カズマは固唾を飲む。
思いのほか大きく喉が鳴った。
効率や効果は落ちるが、宝貝でも封貝使いを傷つけることは一応できる。
高クラスの装備品で身を固めた者がいれば、カズマにとっては充分な脅威になりえるだろう。
また脅威的な身体能力と神秘の力をもつ獣人や亜人もまた、自分を殺す力を持っているのだ。
油断はできない。
カズマは深呼吸を繰り返し、湧き上がってくる恐怖をなだめすかさねばならなかった。
――殺すのは、怖い。
殺されるのも怖い。
だが、ゆっくり哲学している暇はなかった。
「一階から三人揃って突入する。最初に、僕が〈*ワイズオレイター〉をニ、三個叩き込むよ。いわゆる音響爆弾を再現する」
人間を含めた多くの生物は、ヴォリュームが一定以上の大きさになると、音ではなく痛みとしてそれを認識するようになる。
場合によっては鼓膜が破れるほどの激痛だ。
一時的ではあれ深刻な聴覚障害の症状も避けられない。
精神面でも強い衝撃、恐怖を受けてパニック状態に陥ることが多い。
そう説明した。
音。
閃光。
ないしは煙幕。
これらで相手を一瞬、麻痺状態にして一気に突入、制圧する。
地球の特殊部隊が人質立て籠もり事件などで使う手法であるが、これに関しては言及を避けた。
ナージャとリックテインが相手では一〇中八九通じまい、と思われた。
カズマは〈防御封貝〉を無口訣で召還し、階段状に配置した。
この板型をした無色透明の封貝は、防御力こそ高くないが、瞬時に展開させることができ、かつ封貝としての気配をほとんど発しない。
今夜のような局面では重宝されるタイプと言えた。
封貝の階段を上り、全員で鉄条網を越えた。
越えさえすれば、塔――その入口――は目と鼻の先である。
三人固まって、取り付くように扉の前へ移動しきった。
いかに無防備とはいえ、流石に正面入口の施錠を怠るほどに怠慢ではなかったらしい。
金属製の輪になった把手を慎重に引っぱってみたが、扉は開かなかった。
がつんとロックの突っかかる感触がある。
閂でも下ろされているのだろう。
「リックテイン君、猫にはなれる?」
「短時間なら」
「なって、また人間モードにすぐ戻ることは可能?」
「一度なら、スムーズにやれると思います」
聡い彼は、もうこの段階で自分の成すべきことを察していたのだろう。
カズマが頼む前から、窓の方へ歩き出していた。
「服をお願いできますか?」
「うん。任せて」
金属音がしないよう、カズマはあらかじめ剣だけ受取った。
直後、背を向けたままリックテインが変化する。
カズマの目にそれは、突然、リックテインの姿が消えたようにも見えた。
ぱさりと彼のまとっていた服が地に落ちる。
と、その服がもぞもぞと動き出した。
するりと高貴な蒼灰色の毛並を持った子猫が抜け出てくる。
月光を弾くその美しい毛並みは、出会った頃とはもはや別物だった。
ナージャの治癒液とポーションの効果もあり、虐待によって負わされていた彼らの傷は、いまや八割方癒えている。
カズマは両手で彼を抱き上げ、頭上に位置する窓へ近づけた。
肉球がカズマの手のひらを蹴る。
一瞬の衝撃のあと、リックテインの重みと体温が失われた。
代わりに、まだ彼の体温が残る衣服を拾い上げ、再び入口に戻る。
待つこと数秒。
内側から「開けました」という囁き声が聞こえてきた。
もちろん、封貝を通してカズマにしか聞こえない、鳥の吐息のような小声だ。
扉を開き、ナージャと共に素早く内へ滑り入った。
リックテインに服と装備を返し、準備が整うまで待つ。
その間、ざっと周囲を確認した。
入口から続く最初の部屋は思いのほか狭かった。
入ってすぐの壁際に上り階段があり、奥には木製の小さなデスクセットと棚が一つずつ。
他には別室に続くドアのない出入口があるが、その先には単なる物置になっていた。
貯蔵されている物資の確認は――占拠後で良い。
リックテインの着替えが終わると、カズマは先頭に立ち階段に向かった。
続くリックテインが、すらりと剣を抜く気配が背中越しに伝わる。
最後尾にはナージャがつけた。
彼女は気配を押えるため、直前まで武器を召喚しない手はずだ。
階上のフロアでは火が焚かれているらしく、漏れ出す光が階段の最上部から数段を照らしている。
蠅サイズにまで縮めた〈*ワイズオレイター〉を潜り込ませているが、ここまで来るともはやそれも必要ない。
男たちの話し声が耳で直に聞き取れた。
その反響具合からして二階は大広間になっているらしい。
時おりパキンと何かが弾ける音は、暖炉の火にくべられた薪のあげるものだ。
その周囲には少なくとも四名の男性がおり、うち一名は寝息を立てているのが分かる。
封貝の気配は――カズマのお粗末なセンスでは――今のところ誰からも検知できなかった。
カズマは残り四段というところで足を止めた。
内よりの壁に背を預け、やや腰を落とす。
それから、口訣破棄で新たに三球の〈*ワイズオレイター〉を呼出した。
握り拳大に近い、通常サイズのフォックス・ツーだ。
三つともに、指向性の爆発音をプログラムした。
投げてから四秒後に音が出る設定も加える。
この四秒というのは、色々試した結果、一つの目安として得られた数字である。
封貝の調整は一瞬で済む作業だった。
終わると、宙に浮かせて一時的に待機させた。
これで準備は整った。
カズマは一度後ろを振り返り、二人の仲間を確認する。
ナージャは既に指を両耳に突っ込んだ上で、マフラー型の〈*旋火の綾〉で顔をぐるぐる巻きにしていた。
覗いているのは眼だけだ。
リックテインの方はといえば、三角の猫耳を両手でぺたんと押え込で、上目遣いにカズマを見返してくる。
彼は人間型の耳も持っているが、こちらにはカズマが与えた小さな〈*ワイズオレイター〉を耳栓代わりに詰めていた。
微かな音を発しながら小刻みに震えるようにしててあるため、上手くいけば外部からの音波をある程度は相殺してくれるであろう。
カズマは二人の対応に、無言のまま頷いてみせた。
それから顔を戻して、仲間に見えるよう、右手の指を三本立てた。
カウントダウンだ。
一拍置いて二本に減らす。
そして一本。
さらに一拍置いて、最後に残った人差し指を折った。
と同時、自らも両耳を塞ぐ。
そうして三つの〈*ワイズオレイター〉を同時に二階の大広場へ放った。
実際には一、二秒の間しかなかったはずだが、コン……というゴム玉が跳ねるような音が連続して聞こえてくるまで、ずいぶん長くかかったような気がした。
実際には投擲からきっかり四秒。
比喩ではなく、塔全体が強風にびりつく窓ガラスのように震えた。
屋内にあり得るはずのない突風が生じ、猛烈な勢いで放射状に吹き抜けた。
複数のガラス瓶、ないしは陶器、そして金属製の――おそらく食器類――が散乱して石床に叩きつけられる不協和音が鳴り渡る。
それは、爆音に備えていたカズマたちすらたじろがせる狂騒だった。
だが、カズマ自身に限って言えば、突入をワンテンポ遅らせてしまった原因は他の所にある。
ここから出て、走りだす。
それが意味することを、一瞬、考えてしまったのだ。
自分の仕事は分かっていた。
今すぐ敵に向かい、パニック状態につけ込み一方的に蹂躙する。
殺す。
だが、カズマは踏み出すべきその足――スニィカーのゴム製の爪先――を見詰めたまま動けずにいた。
靴底は張り付いたように床から離れようとしない。
出ろ。
行け。
走れ。
でなければ、敵に回復の時間を与えることになる。
迷えば迷うだけ、反撃を受けて味方が死ぬ確率はあがる。
動かねば、出ていかねば――自分が殺らねば、代わりにリックテインやナージャが、それをやってしまう。
自分の分まで殺しをさせてしまうことになる。
動け。
踏み出せ。
でないと……
自分の両脚を睨み付けながら念じる。
駆り立てる。
だが、動かない。
と、その時、頬を撫でる空気の揺らぎを感じて、カズマは顔を跳ね上げた。
リックテインとナージャだった。
二人がすぐ横をすり抜け、雄叫びをあげながらフロアに飛び込んでいく。
その背中が壁の向こうに消え去った直後、カズマは頭の中でぶちんという嫌な音を聞いた。
そんな気がした。
同時、唐突にもたげあがった――脳が沸騰しそうなほどの――激情は、怒りだった。
自分に対する純然たる憤怒だ。
もう、カズマは考えるのをやめた。
念じるのも放棄した。
ただ頭を真っ白にして吠えた。
本能と理性が綱引きを始めるから身体が動かなくなってしまう。
ならば片方、理性をカットしてしまえば良い。
それで綱引きは終わる。
勢い余って揺れる本能に、殺人への恐怖ではなく、自分への怒りを刷り込んでしまえば、身体は動き出す。
気付くと、カズマはフロアに躍り込んでいた。
開けた空間の左手に巨大な暖炉があり、釜や鍋、ちょっとした調理用のスペースが見えた。
それ以外の大部分は、学食のように長細いテーブルが等間隔にずらりと並べられていた。
床には食器や割れた酒瓶の破片が飛び散り、零れた酒の水溜まりが強烈なアルコール臭を発している。
その中で、苦痛の呻きを発している人型が四つ。
ひとりは全身が黒い毛に覆われた獣人であった。
人間より聴力が良かったのか、音響爆弾で一際大きなダメージを受けたらしい。
耳を押え、悲鳴を上げながらのたうち回っている。
その隣、仰向けにひっくり返っているのは、恐らく寝息を立てていた一人だろう。
もともと泥酔していたらしく、そのこともあって最も混乱しているのがこの男であった。
起き上がることもできず、未だに何が起こっているのかまったく把握できていない。
リックテインとナージャは、この状況を見て、残る二人の方に駆け寄ろうとしていた。
この両名の賊はいずれも壮年の人間で、音響爆弾により聴覚にダメージを受けた素振りこそ見せてはいるが、それでも敵襲を受けたことを瞬時に理解し、それぞれの武器に手を伸ばそうとしている。
ここからは、刹那の判断を要求された。
助勢すべきは封貝を持たず、幼いリックテイン。
そう見定めたカズマは、出遅れた分を取り戻す唯一の手段を取る。
「〈楯板の封貝〉――ッ!」
叫ぶと同時、見えざる壁がリックテインを跨ぎ、敵の手元に直接、展開された。
賊の手が食卓に転がる剣を掴むより一瞬早く、間に割り込む。
「痛アッ――」
男が、熱湯に触れでもしたように右手を跳ね上げる。
見えない壁に無防備にも突っ立ててしまったのだ。
最低でも突き指くらいにはなっただろう。
その一瞬の隙に、リックテインがあと二歩の位置まで到達した。
右手で握った剣は、既に自分の左側に引かれ、スイングの体勢に入っている。
その動きに、カズマのような躊躇は一切ない。
賊の顔が恐怖に引きつる。
口訣は間に合わない。
咄嗟に判断したカズマは、無言で〈*ワイズオレイター〉を呼出した。
敵の胸元、五センチもない距離に突然現れたそれは、リックテインが剣を横薙ぎに振るうより刹那早く、賊の胸板をどんと突いた。
オッ――という悲鳴を上げて、山賊が後ろへよろめく。
同時、その腹をリックテインの切っ先が掠め過ぎていった。
完全な空振りではない。
それでも剣は、シャツとその下、薄皮を一枚切り裂き、ごく浅い傷跡を紅い細線として残す。
一方、予測していた手応えを得られなかったリックテインの身体も、慣性に引っぱられてやや泳ぎ気味になる。
その時、既に駆けだしていたカズマは、彼のすぐ後ろ――地上一メートルの高さに〈楯板封貝〉を展開し終えていた。
それを踏み台にして、一気にリックテインの頭上を飛び越える。
勢いをそのまま、尻餅をついた男の真上に急降下した。
真っ直ぐ突きだした右の踵を、その無防備な腹へ真下に突き刺す。
肉と脂肪と内臓を一緒くたに穿つ、嫌な弾力的感触が伝わった。
このままでも戦闘不能ではあるだろう。
だが、リックテインはとどめが必要と判断するかもしれない。
折り畳んでいた左脚で着地しながら、思考した。
そして脳が結論を出すより早く、カズマは〈*ワイズサーガ〉の義手を振りあげていた。
腰を回転させ、肩から突き出すように拳を突き下ろした。
手加減はしなかった。
半端な印象を与えれば、リックテインが動く。
迷わず、全体重を乗せて男の鼻っ柱を粉砕。
そのまま顔面に拳を埋め込む勢いで振り抜いた。
押し出された後頭部が床にぶつかり、頭蓋骨がゴンという固い音をあげて大きくバウンドした。
死んだかどうかは分からない。
だが、意識はもうないだろう。
「――次!」
リックテインの意識を引くため、カズマはわざと叫んだ。
すぐにナージャの元に向かわなかったのは、敵に封貝使いはいないと結論したためだった。
常人相手なのに、彼女はまだ一人目の敵を倒していない。
視野の外にいるため確かなことは分からないが、恐らく、加減をして戦っているのだと思われた。
ケイスの指示を忠実に守っているのだろう。
すなわち、カズマとリックテインに主役を演じさせるため、自分は足止めに徹しているのだ。
だったら――
カズマは前方に残る二人に照準を定めた。
鋭敏すぎる聴覚が仇になり、未だに苦しんでいる獣人。
そして、寝起きの混乱に痛みと酔いが加わり、未だに起ち上がれもしていない男。
この両名だ。
「〈*ワイズ〉――」
双方を視界に収めたまま、慌てず確実に口訣した。
「〈オレイター〉ァ!」
一人あたり四つ。
計八個の球体を同時に召喚し、賊たちの元へ飛ばした。
封貝は軽くフェイントを混ぜながら、羽虫の群れのように不規則な軌道を描いて標的に迫っていく。
そうして、あれよという間に二人の首元に取り付いた。
以前、〈強欲〉のスコッチが雇っていた護衛を締め落とした時の経験が活きた。
前後左右。
四方向から〈*ワイズオレイター〉で頸部を圧迫し、相手の動きを封じると同時に、失神させる。
封貝使いにも有効性が証明されている技だ。
二人の四肢が、絞首台に吊された死体よろしくぶらりと垂れ下がるまで一〇秒――あるいは一五秒ほど要しただろうか。
その間、カズマの後方では、リックテインが四人目を仕留めていた。
ナージャのアシストを得ながら、しかし実質、ひとりでやったらしい。
カズマが振り返った時、彼はちょうど、敵の胸に突き刺した剣を鮮血を浴びながら引き抜こうとしていた。
「ああ……」
カズマは宙をあおぎ、重く嘆息した。
握り固めていた拳から力が抜けた。
三人を片付ける間に、残りの一人に回られてしまっていたのだ。
間に合わなかった。
座り込みたくなるような虚脱感を覚えたが、状況はそれを許してくれない。
塔にいるのは、この四人が全てではないのである。
突入開始から、おそらくまだ一分も経過していないだろう。
だがそれは、三階の連中にとって充分な準備の時間となったはずだ。
遠く屋外からは、爆発音とも地鳴りともつかない響きが時おり轟いてくる。
ケイスもケイスで、封貝使い相手に戦闘を始めたらしい。
「ナージャとリックテイン君は、奴らの武器を集めて。外にでも投げ捨てちゃって」
指示しながら、カズマは〈*ワイズオレイター〉を三階へ続く上り階段に向かわせた。
案の定、乱暴に扉が開かれる音、怒号、慌ただしい足音等が聞こえてくる。
重なり合うほど多いせいで、正確な数は分からない。
一つだけ確かなのは、急速に近付いてきていることだけだった。
「誰だてめえらァ!」
「俺らを〈スリージィン〉と分かって喧嘩売ってんだろうな」
口々に威嚇を繰り返しながら、階上から三人の男達が姿を現わす。
だが――二階を見渡せる高さに到って、仲間の一人が血溜まりに沈んでいるのが見えたのだろう。
青筋を立てた激怒の形相から、すっと引くように表情が消えていった。
「覚悟はできてんだろうな」
一転、感情を押し殺した声が、低く言った。
「身内の血ィ見たからには、もうタダじゃ収まんねえぞ。ジャリども。楽に死ねるとは思うなよ?」
後ろでリックテインとナージャが身構えるのが分かった。
と、三人の野盗の最後尾、やや遅れて走っていた人間の右腕が、一瞬、ノイズが走ったようにブレて見えた。
それが投擲のために行われた、恐るべき速度のスイングであったことに気付いた時――ぎらつく銀色の斜線はもう、カズマの顔面一〇センチを切るところにあった。
戦慄で全身が凍り付く。
コンマ数秒後、カズマの脳はよくやく、迫り来るそれが中指ほどの長さを持つ、柄まで金属の投げナイフであることを認識する。
どんな早業であったのか、数は横に並んで二本。
そのうち左側の一本は、大きく見開いたカズマの眼球に突き刺さる寸前だった。
ほんの二センチ先にまで肉薄している。
避け……られ、ない。
封貝使いでありながら、本能が死を直感する。
時間が止まったかのような錯覚に襲われたのは、その直後だった。
えっ――と思ったのも束の間、カズマは何が起きたのか、存外すぐに理解できた。
逆の立場でなら、既に同じ現象を何度も経験していたからだ。
それは、模擬戦を通してケイスが度々披露してくれた奇跡だった。
封貝使いを皮膚から数十センチの範囲で覆う、一種オーラのような特殊領域。
それは危険な光線、音波、熱、パルス、毒素などから有害性を削ぎ、襲い来る物理的脅威に対しては速度を奪うという。
カズマも訓練中にその発動を実体験していたが、なにせ手合わせ相手がケイスやナージャだ。
彼らは相手の特殊領域の中だろうと、平気で目にも留まらぬ動きを取ってくる。
そのため、これだけ――ほとんど時間が止まったかのような――劇的な効果を体感するのは、カズマにとっても初めてのことだった。
戸惑いつつも、カズマはとりあえず首だけひょいと動かし、ナイフの射線から顔を退かした。
途端、凍った時が動き出す。
「なっ――」
ナイフ投げの男が、カズマの見せた挙動に驚愕の声をあげた。
一方、前を走る二人は怯むどころか、逆に色めき立つ。
「てめえ、やっぱり封貝使いか、コラァ!」
激昂に顔を赤黒く染め、唾を吐き散らしながら彼らは同時に身を躍らせた。
階段の残り数段を跳躍で一気にパスするつもりなのだろう。
だが、カズマの仕込みはもう終わっていた。
間もなくドンという鈍い音が連続したかと思うと、盗賊たちは見えない壁に正面から激突した。
ばっと唾液が飛沫のように散るのが見えた。
その一部が、階段の降り口に展開した〈不可視の壁〉にかかり、小さな泡をあげる。
片や「うっ」という絞り出すような呻きと共に、片や声すらあげることもできず、二人の男たちは糸の切れた操り人形さなが、崩れ墜ちていく。
助走に加えジャンプによる重力加速が加わっていたのも、彼らに災いした。
予想だにしていなかった正面衝突による衝撃は、ちょっとした交通事故レヴェルのものになっていたのだろう。
床に叩きつけられてしばらく、なかなか起き上がる気配を見せない。
取り落とした武器が落下して転がる、耳障りな音がシンバルの残響のように木霊した。
あとは、彼らの後方にも同様の壁を展開し、徐々に前後の間隔を縮めていくだけで良かった。
迫り来る壁――。
それは落ちてくる天井に並ぶ、致死性の罠である。
実際には、三人がひき肉と化して混ざり合うまでは締付けなかった。
そこまで非情にはなりきれない。
後始末のことも考え合わせると、到底無理な話だった。
カズマは、悲鳴が止み、最後の一人が動かなくなった時点で早々に壁を消した。
それでも内臓破裂や肋骨を含めた複数箇所の骨折を負ったのだろう。
死を免れてはいても、血を見せていない者はひとりもいなかった。
倒した計七名の監視をナージャに任せると、カズマはリックテインを伴って、未確認の部屋を見て回った。
三階は寝泊まり用のフロアらしく、ベッドの置かれた小部屋が無数に並んでいた。
どれも無人で、隠れ残っている者はいない。
「任務は完了でしょうか?」
獲物を持ち帰った家猫のような顔で、リックテインがカズマを見上げた。
「どうやら……そうみたいだね。お疲れさま」
言って、カズマは彼の頭をやさしく撫でる。
リックテインはくすぐったそうに目を細めた。
気付けば、外から聞こえてきていた爆音の類も、ぴたりと止んでいる。
あちらも、既に決着がついたらしい。
当然、ケイスが仕事を終えたのだろう。
彼が格下を相手に不覚を取るとは考えにくく、仮にそうだとしたら、敵はこちらの増援のため姿を現わしているべきである。
「リックテイン君。ひとっ走りして、こっちの状況をケイスさんに伝えてきてくれる?」
分かりましたと目を輝かせ、小さなコロパスは風のように駆け去って行った。
その背を見送った後、カズマは一息つき、近くの壁に背中からもたれかかった。
そのままずるずると腰を下げていく。
最後は床に座り込み、また一度、今度は深めに息を吐いた。
その時に到って、近くの壁から、青白い月光がさらさらと差し込んでくることに、カズマは初めて気付いた。
空気を浄化するかのようなその光にすかすようにして右腕を見た。
人の拳は、頭蓋骨のような固いものを殴れば傷つく。
プロのボクサーでも潰してしまうことがあるときく。
だが、この黒い金属製の腕は僅かなへこみすらついていなかった。
左手で包み込ませるように預けてみると、ずしりと重みを感じた。
こんなものを、他人の顔の真ん中に、躊躇いもなく力いっぱい振りかぶって叩きつけたのだ。
それは金槌で殴りつけるより、硬度的にも質量的にも危険な行為であったのだと、今さらながら理解する。
これから下に降り、倒した山賊たちの様子を確認しなければならない。
死者は何人出ただろう――出したのだろう。
カズマは座ったまま、膝ごと拳を身体に引き込んだ。抱き締めるように身を縮めた。
今夜、やらなければならないことは、やり遂げた。
作戦は成功した。
味方に犠牲は出ず、小細工なしの真っ向勝負で完璧な結果を出したと言える。
個人の話をしても、ある意味で初の実戦であったのに、いきなり複数の敵を倒すこができた。
これ以上はないだろう。
完全勝利だ。
それでもカズマは長らく、冷たい壁に背つけ、冷たい床に座り続けた。
胎児のように丸まり、全身に広がり始めた小刻みな震えが収まるのを待った。
22時30分くらいに更新しようと思ったんですが…
サイトが重くて、投稿させて貰えない罠。
土曜日はいつもこんななのだろうか。




