セーフハウス
044
「半人前の貴方に心配されるほどではないですよ」
素っ気ない言葉と一緒に、人差し指でこんと額を突かれた。
痛みはまるでない。
だが、楠上カズマは触れられた箇所を両手で押えながら、思わずつぶやいた。
「半人前……」
「貴方は、弱り切った今の私にすら勝機を見出せないでしょう。事実を言われて悔しいのなら、もう少し力をつけなさい」
マオ・ザックォージの言葉は相も変わらず小さな棘だらけだが、表情には憔悴の色が濃い。
やにわに寝椅子から起き上がろうとしたため、カズマは慌てて彼女を押しとどめねばならなかった。
「お願いですから寝ててください。なんで起きようとするんですか」
「人を病人のように……」
憎まれ口を叩きながらも、強い抵抗はしてこない。
それで、カズマは掴んでいたマオの両肩から手を離した。
思いのほか華奢に感じたその体躯に、罪悪感がさらに強まった。
「あの、本当にすみませんでした」
半歩ひいて頭を下げた。
「あんな作戦……マオさんがどれだけ傷つくのかちゃんと理解もせずに……下策でした」
「だから、貴方が謝ることなんてないんです」
最初より幾分、優しい声音が返った。
「貴方はただ方向性を示しただけでしょう。それに全員が知恵を持ち寄って肉付けしていった。最終的には皆の同意を得た上で、決まったことです。誰かひとりが責任を取らねばならないということではありません」
「でも……僕、一応、派閥代表ですし」
〈青薔薇〉率いる追跡部隊を迎え撃ち、逃げ切ることに成功してから一日が経っていた。
当初の予定通り、派閥〈ワイズサーガ〉のメンバーは西に進路を取り、その日のうちに合流を果たしている。
現在は、尾剣山脈にほど近い、ケイスの隠れ家に身を寄せている状態だ。
無論、メンバーは誰ひとり欠けていない。
これはひとえにマオ・ザックォージの功績である。
彼女の能力、彼女の奮闘がなければ無傷で追跡部隊を振り切るのは、恐らく不可能であっただろう。
具体的には、マオの〈動物寓意譚〉である。
カズマは最初、この第二移動封貝《Vector 2》を、召還憑依術の一種であると説明されていた。
本物と全く見分けが付かない昆虫や小動物の幻を作りだし、それに自分の意識の一部を移して操る。
幻とはいえ、これら〈動物寓意譚〉は実態を持ち本物と全く同じ能力を有する。
そのため、偽物と見破ることは極めて難しい。
そうも聞いていた。
知能の低い生物なら一度に複数を使役することができるため、あちこちに散開させて周囲に警戒網を敷くこともできる。
見張りやスパイ活動に向いた感知・探査系の封貝だ。
これを聞いてカズマが最初に抱いたのは、「人間はどうなのか?」という素朴な疑問だった。
「――可能です。いわば、この〈動物寓意譚〉の究極奥義とも言える技術ですね」
それが、マオ・ザックォージの回答だった。
結論として、蟲や獣だけでなく〈動物寓意譚〉は人間を生み出し、操り人形として動かすことができる。
ただし、作り出せる人間はマオが細部まで知り尽くしている人物のみ。
この場合の細部とは、外見のみならず、生理的特徴や身体能力なども含まれるのだという。
すなわち、多くの場合、該当するのは何年もかけて知り尽くした自分自身のみ。
長年連れ添い、幾度も肌を重ねた恋人や伴侶がいれば、理論的にはそちらにも可能性はある。
だが――マオにはあいにく、そうした人物はいないらしい。
「つまり、マオさんは自分の完全な複製を作って動かせる?」
「まあ、そういうことです」
無論、自分のコピィとなれば、意識の全てを移さなければ操りきれない。
よって本体は魂が失われた抜け殻状態になってしまう。
「危険なので、本体の方の安全を確保できないとそうそう使えないのが難点です。戦場などではまあ、無理でしょう」
逆に言えば、安全を確保できれば使える。
カズマはそう解釈した。
「その複製は、マオさんの封貝の気配を本物そっくりに発しますか」
「発します。完全に私そのものです」
「リスクは、本体が幽体離脱状態で無防備になるだけですか?」
「いいえ、もうひとつ」
感覚や経験といったプラスの効用と一緒に、マイナスの効用もフィードバックされる。
それが、もう一つの――そして最大のリスクである。
マオはそう語った。
つまり、分身が受けたダメージまで、本体に伝わってしまうのだ。
「じゃあ、あの……分身の方が死んじゃった場合は?」
「その場合、封貝が破壊された扱いになります。回復・復元されるまで〈動物寓意譚〉は長期間、使用不能になるでしょう。
封貝の受けた外傷がそのまま本体に現れることはないですが、斬られた部分は動かせなくなりますし、打たれた箇所は痛みます。体力もダメージ分だけ奪われるので……
そうですね。死ぬほどの痛撃が伝われば、私自身も大幅な弱体化を免れ得ないでしょう。しばらく戦線離脱することになると思います」
結果的に、このやりとりが作戦の方向性を決めることになった。
追跡部隊は、幻獣型封貝〈カルタゾーノス〉による瞬間移動が可能なマオをもっとも警戒していると考えられた。
ファウ・シノンを帯同していることが、その証明だった。
対象のマーキングという追跡特化の封貝を持つファウ・シノンは、まさにマオ対策の要だ。
いわば人間レーダー。
一度、マーキングさえしてしまえば、シノンの能力なら相手がどんなに速く動こうが、転移しようが大体の位置を把握できるようになる。
なにをおいても、このマーキングからどうにかして逃れなければならない。
そのためにまず――朝、宿を出てくる瞬間、物陰からマーキングを狙ってくるであろうファウ・シノンを騙す。
手順はこうだ。
宿を出る前の段階で、マオは〈動物寓意譚〉で自分の完全複製を生成。
これと入れ替わっておく。
そして分体の方を操り、さも本物のように仲間たちと宿を出る。
敢えてこちらをマーキングさせる。
本体が隠れるのは、宿内でも入手の容易な空の酒樽だ。
これは、カズマたちが追跡部隊を釣りだしたあと、金を握らせた店員に外へ運び出させた。
そして、これも事前に雇っておいた馬車に、荷物として運び込まれる。
この馬車の手綱を握るのは、あらかじめエリナー・フォウサルタンのリーサル・フォックスで暗示をかけ、事実上の味方に引き入れておいた御者だ。
こうしてマオはネクロスから街道へ向かう馬車の荷台から分身を操り、〈ワイズサーガ〉本隊に同行。
追跡部隊を待ち構えた。
読み通り彼らが現れたら、あと〈青薔薇〉をたきつけて一対一の決闘に持ち込めば良い。
彼女の実直さ正義感は誰もが知っている。
それにつけこみ仲間の安全を確約させれば、作戦はほぼ成功だ。
実際、マオ・ザックォージはやってのけた。
否、それ以上だった。
彼女は言葉巧みに〈青薔薇〉のリーサル・フォックスまで引きだしてのけた。
これは〈青薔薇〉の隠し持つ能力を暴くと同時、カズマたちに空間支配系を体感させるという貴重な機会を与えてくれもした。
「恐らく、この国に空間支配系のリーサルを受けて生きて帰った奴はいないだろう。俺たち以外には、誰一人」
逃走中、ケイスがつぶやいた言葉は今も耳に残っている。
「極めて――国王すら望んで得られることのない、極めて貴重な経験を得た」
背後でドアが開く音がして、カズマは振り返った。
ケイスとエリナー・フォウサルタンが入ってくる。
二人とも食事や飲料、着替えなどを山のように抱えていた。
ケイスが現れたのを見て再び起き上がろうとしたマオを、その反応を先読みしていたカズマは素早く阻止する。
ケイスも苦笑しながら寝ているよう手振りで示した。
「弱ってはいるが、そんなに気分は悪くなさそうだな」
「ええ。おかげさまで」
元部下として、寝転がったままというのはどうにもばつが悪いらしい。
マオは気まずそうに返す。
「〈動物寓意譚〉は実際、どれくらいかかりそうだ?」
「メイヴは完膚無きまでにやってくれましたからね。再生ではなく、復元になりそうです」
修理ではなく、同じ物を一から作り直すという意味だろう。
後者の方が時間がかかることは言うまでもない。
「と、なると……戦線復帰までひと月はかかるか」
「いえ、私自身の身体の方はその半分でどうにかなるはずです。使えない封貝があろうと、できることはあるはずです」
マオはちらとカズマに一瞥くれながら主張する。
この半人前程度の働きならいつでも――とでも言うつもりだろう。
カズマからすれば、反論できないのがまた悔しいところであった。
「なら、療養してる間は、エリックの語学習得に協力してやってくれるか? 身の回りの世話の方は、同性の方が具合が良いだろう。フォウサルタン嬢に頼んでおいた」
「あの、よろしくお願いします」
エリナーは慌てたように一礼し、手にしていた食事のトレイを寝台脇の卓上に置いた。
「こちらこそ。出会って間もないというのに、いきなりご面倒をおかけてして申し訳ありません」
「とにかく、時間がかかるならマオさんは無理せずゆっくり休んでてください。盗賊退治の方は、動ける組の僕らでガンガンやっちゃいますんで」
動ける組の部分をことさら強調して、カズマはやり返す。
「ああ――そのことだが、カズマ。今夜いくぞ」
ケイスがさらりと言った。
散歩に誘うような口ぶりであった。
一瞬、意味をはかりかねてカズマは呆け面をさらす。
「え、今夜って……」
「調べてみたが、流石は〈スリージィン〉。国家公認なだけはある。どこにどの程度の支部があるか、その辺の町人でも知っていた」
ケイスは肩をすくめて軽くおどけてみせると、話を続けた。
それによると、このセーフハウスのあるミールの街付近には二つの拠点があるらしい。
一つは北。
もうひとつは街を挟んでその南側。
どちらも馬で一日かからない山中に構えられている。
規模は〈スリージィン〉の支部としては小さめであるらしい。
「今回は比較的近い北側を狙う。俺の翼竜型封貝なら、ゆっくり飛んでも半刻(一時間前後)もあればつく」
「具体的な戦力は?」
マオが訊いた。
「ボスはリーカデルトという青級の封貝使いだ。他、封貝使いは恐らく二名。獣人もいるらしいが、大半が定命の人間だ。話を総合すると一〇人前後。極めて小さな集団のようだな」
「情報ってそれだけですか?」
「これがすべてだ」
「だったら――」
言いかけたカズマの言葉を、ケイスは片手を突き出して制した。
「場所が分かってるなら偵察して、敵情を詳しく調べ、作戦を考えてからでも……と言いたいのなら、今回それはなしにしたい」
カズマは口を半開きにする。
もはや訳が分からなかった。
ほとんどの戦いは、準備の段階で勝敗が決まっている。
これはどこの世界でも共通する理論だろう。
ケイスの主張はこれに真っ向から反していた。
「なんでですか」
当然の疑問として訊いた。
ケイスは即答する。
「お前は入念な情報収集と策の練り込みにこだわり、重きを置くタイプだ。それは良い。だが、実戦ではそれが許されない事態も発生し得る。いつも充分な準備や策を用意できるとは限らない。後手に回って、いきなり出たとこ勝負の状況に放り込まれるようなことも、今後経験することになるだろう」
「じゃあ……」
カズマは唇を舐めた。
鼓動が早い。
「今回はあえて準備や作戦を放棄して、その出たとこ勝負に近いシチュエーションの経験を積んでおく、ということですか」
「そうだ。今回の標的は〈スリージィン〉の中では最小、最弱レヴェルの集団と考えて良い。この程度が相手なら、ぶっつけ本番の力勝負でもねじ伏せられるくらいでなければ、上位集団とは勝負にならない」
「ケイスさんの考えも分かりますけど……」
「カズマ。〈スリージィン〉に喧嘩を売って回ると言い出したのはお前だ。フォウサルタン嬢の依頼を受けて、奴らが持つ大きな拠点の一つに挑む。そこに捕らわれているリロイ・タレン嬢を救出する。
これは、誰でもない。派閥の代表としてお前が一存で決めた方針だ。だったら、お前が最優先で固めるべきものは一つだ。それは戦略じゃない。そうではなく――」
ケイスはそこでわすかな間を挟んだ。
カズマの目を正面から覗き込み、断固とした口調で続けた。
「人間を殺せるか。その覚悟だ」
部屋を出ると、下唇を突きだし、前髪を吹き上げるように息を吐いた。
階下からは、コロパスの童女ミーファティアのあげる激しい泣き声が聞こえてくる。
人間でいえばまだ二歳。
彼女は自分の母親が死んだことをまだ理解できていない。
なぜ彼女に会えないのか。
数時間おきにこうして大泣きの抗議を繰り返している。
――と、背後でドアの開く音がした。
現れたエリナー・フォウサルタンは既に涙で目を赤くしていた。
「えっ……」
女性が目の前で泣いていること自体、カズマには充分な衝撃である。
しかも、原因が分からない。
「エリナーさん、どうしたんですか」
声をかけると、彼女はほっそりと長い指で口元を押えたままカズマの顔を見上げた。
途端に、涙に潤んだ瞳が少し細まる。
たちまち涙腺が決壊し、珠のような涙がぽろぽろと零れ始めた。
「いや、ほんとにどうしたんです?」
「私……考えもしてなくて……自分が、何をお願いしたのか」
「はい?」
詳しく聞いてみると、つまりはこういうことらしい。
先程、ケイスの発した「人を殺す覚悟」という言葉は、カズマに向けられたものではあったが、エリナーの胸にも突き刺さった。
結局、カズマやケイスが動くのは、エリナーの依頼を果たすためであるからだ。
自分が持ちかけた仕事が誰かに殺人を強いている。
自分とそう歳も変わらぬ、争いを好まない優しい少年の手を、血塗られたものにしようとしている。
そのことの重さと責任をきちんと考えぬまま、自分は依頼を出してしまった。
これは大きな罪である――。
「えっ、じゃあ、僕らが盗賊を殺すかもしれないから、そのことに責任を感じて? それで、ショックを受けてるんですか?」
エリナーは嗚咽しながらこくんと頷いた。
「私、自分が許せなくて……どうしてこんな大事なことに、今まで気付かずにいられたのか。少し考えれば当たり前なことなのに」
カズマは周囲に目がないことを確かめた。
なんとなくの行動だった。
誰にも見られていなかったことにどこか安堵すると、エリナーをうながして二階に向かった。
ケイスの隠れ家は――町家としては一般的らしい――細長な三階建てで、二階は暖炉を備えた憩いのフロアになっている。
もっとも落ち着いて話ができる空間だ。
「やーやんがいい! やぁやんがいい――」
だが、その落ち着けるはずの空間は、ミーファティアによる泣きながらの絶叫に支配されていた。
あの小さな身体のどこから、と思わせる大音声には、迷惑を通り越してもはや感心させられる。
顔全体を見事に紅潮させ、限界まで大口を開き、全身をスピィカーさながらに震わせた、お手本のような複式の発声法であった。
「お願いだよ、ミーファ。もう泣かないで。お願いだから……」
その小さな妹を抱きかかえ暖炉の前を右往左往しているのは、兄のリックテインだ。
一向に泣き止む気配を見せないミーファをもてあまし、途方に暮れている。
頭の三角耳は力なく伏せられ、尻尾も同様に垂れ下がっていた。
彼自身、許されるなら泣き出しそうだった。
「ご迷惑はかけられないんだ。ここに置いて貰えなくなったら……」
震える声で哀願するが、二歳相当の幼児には届かない。
ミーファティアにとって、母親は世界の九割を占める太陽にも等しい存在だ。
もはや理屈の問題ではないのだろう。
気の毒なのは、むしろ兄リックテインの方だった。
詳細は聞いていないが、彼らは奴隷として売り払われる原因となった何らかの事件で、両親を失っている。
人間なら六歳相当とはいうが、実際にはまだ生まれて三ヶ月。
まだまだ甘えたい盛りであるはずのこの少年もまた、寄る辺をなくした幼子なのだ。
生後たった三ヶ月で両親を失い、まだ言葉もまともに喋れない妹を抱えて世界に取り残される。
自分なら――?
置き換えて考えるだけで、カズマは身がすくみ上がるようだった。
「いやあ、ミーファちゃん元気になったねえ」
カズマはわざと足音を立て近付いていった。
リックテインの背がびくりと震える。
弾かれたように振り返った。
「ご主人様……!」
ざあと音が聞こえそうなほど、少年の顔から見事に血の気が引いていくのが分かった。
「申し訳ありません! 今すぐ黙らせますので。静かにさせますので」
早口にまくし立てる。
「いや、良いって。そんなに気にすることないよ」
カズマは微笑んだ。
「お母さんがいなくなって泣くのなんて、むしろ普通じゃないか。
それが駄目なら、幼馴染の女の子がいなくなったからって、〈世界の果て〉超えて異世界まで探しに来ちゃう僕はどうなるのさ」
カズマはリックテインに歩み寄り、その腕の中で泣いているミーファティアを優しく撫でた。
彼女は全身全霊をかたむけた絶叫で体力を著しく消耗したらしく、徐々にトーンダウン傾向にある。
「二歳って言っても結構重いし、疲れるでしょ。少し座って休むといいよ」
「はい。ありがとうございます」
リックテインは安堵の笑顔で言うと、猫の耳が付いた頭をぺこりと下げる。
それから思い出したように「あの」と顔を上げる。
「今日の夜、山賊のアジトに攻め込むとお聞きしました」
「あ、うん。ケイスさん、リックテイン君にも話してたんだ」
「はい。それで、もしよろしければ私もお手伝いさせていただければと! ご主人様のお役に立って見せます」
「えっ」
カズマは一瞬硬直したあと、慌てて首を振った。
「いやいや、手伝いって……リックテイン君も連れて行けってこと? 無理だよそんなの。なんでそんな話に……ケイスさんがなんか言ったの?」
「いえ。今夜、実働部隊は山賊退治で留守にすると。私はそうお聞きしただけですけど……」
「リックテイン君。ちょっと、そこ座ろうか。エリナーさんも一緒に」
言って、カズマは暖炉の側にある長椅子にふたりを誘った。
自身は腰を下ろさず、並んで座る彼らと向き合う位置に立った。
「君たちが、ただお客さん気分でいるだけじゃなくて、派閥のために少しでも役に立ちたいって積極的になってくれてるのは嬉しい。でも、自分を潰すほど躍起になることはないんだよ?」
特にお前だ、というようにカズマはリックテインを見据えた。
「リックテイン君はまだ幼い。生後三ヶ月とか……僕なんて一日中ベビィベッドに寝転がって、ほ乳瓶のミルク飲むか寝るかの二択が全てだったよ? 立ち上がったことすらなかったし、言葉も喋ってない。
だからリックテイン君は、妹の世話をしながら自分に合った仕事をゆっくり見つけていけば良い。野盗討伐なんて……聞こえは良いけど、要するに殺し合いなんだよ。小さな戦争だ。六歳の子どもがそんなことしちゃ駄目だ」
「あの、ご主人様――」
「普通に名前で呼んで良いって言ってるのに……なに?」
「お言葉を返すようですが、僕たちコロパスは生後一年くらいで成人扱いになります」
意味を理解するまで数秒要した。
それからようやく、えっとなる。
目を見張るカズマを尻目に、リックテインは淡々と続けた。
「僕らは狩猟をして生肉を食べる猫科の遺伝子を半分持っているので、生き物を上手に殺せる狩りの上手い個体が優秀なコロパスだとみなされます。僕自身、そういう成体に憧れていますし」
「えっ、一年? じゃ、リックテイン君はあと七ヶ月でもう大人のコロパスになっちゃうの?」
「そうです。大抵、その前から狩りや戦闘の練習は始めます。コロパスは人間を食べませんけど、事情があるなら人間を殺すことも仕方ないと考えます。人間が、殺すなら同じ人間より猫が良いと考えるのと同じです」
「えぇ……いや、でもなあ……」
「盗賊は悪い人たちです。僕たちコロパスもよく盗賊団に襲われて、奴隷商に売り飛ばされます。僕も本当なら、もう少しすれば親たちから盗賊との戦い方を教えて貰っていたと思います。コロパスの間では、人間の殺し方を勉強するのは当然のことです」
カズマは、胸を誰かに押されでもしたかのようによろめいた。
思わず数歩後退し、そのまま近くにあった椅子に崩れ落ちる。
頭を抱えた。
コロパスは見た目こそ、猫の耳と尻尾を持つ人間だ。
しかし、中身も似たり寄ったりと考えるのは誤りであるのかもしれない。
そのことに今さらながら気付かされつつあった。
自分が水中では呼吸できないからといって、「苦しそうだ」と魚を陸に引きずり出すのは暴挙だ。
たとえそれが親切心から相手を思いやった行為であったとしても、である。
子どもは戦場に出すべきではない。
少年兵は虐待である。
これらは人間的な考え方であり、コロパスにとっては侮辱になるのだろうか――。
否、コロパスであったとしても本人が望まぬ戦争に巻き込み、駆り出すのはやはり問題であるはずだ。
だが、自身がそれを狩りないし自衛のための戦い、闘争と解釈するものであれば、話もまた変わってくる。
すなわちこれは種族、民俗。
そして文化の問題なのだろう。
どちらかの一方的な価値観や常識で決めて良いことではない。
「あの、ご主人様――?」
「あー……分かった。いや、本当のところはよく分からない。分からないなりに、リックテイン君の言いたいことは理解したと思う。
ただ、この場で――僕の一存だけでそれを判断するのは難しいし、危険だ。もうちょっとして、皆が集まってから改めて考えたいと思う。とりあえずは、それで良いかな?」
「はいっ、ありがとうございます!」
リックテインは顔を輝かせた。
その素の表情を見る限り、本当に人間殺しの禁忌はないらしい。
山賊退治に参加したいというのは、派閥の義理をさておいて、彼自身の欲求でもあるのだろう。
ぐすぐすと鼻をすするまでに沈静化した妹を寝かしつけるため、リックテインが三階に上がっていく。
再びエリナーと二人きりになったカズマは、小さく嘆息してから彼女に微笑みかけた。
「なんか、お待たせしちゃってすみません。少しは落ち着かれましたか?」
問うまでもなく、エリナー・フォウサルタンの顔からは涙がほとんど消えていた。
両目が少し充血気味であることと、頬に微かな筋が残っていることを除けば、ほぼ平静を取り戻している。
「はい、カズマ様。困らせてしまって申し訳ありませんでした」
「リックテイン君といい、新入りは堅苦しい呼び方が好きな人ばかりだ」
場を和ませる冗談とでも認識したのだろう。
エリナーはにこりと無言で笑った。
「さっきのコロパスの話、知ってました?」
「いいえ、詳しくは。でも、コロパスに限らないなら、それらしい話を聞いたことがあるような気もします。つまり、獣人や亜人の方々は大体、私たち人間に対して似たり寄ったりな考え方でいるのだと思います」
だからか――。
カズマはそう納得する。
自分と比較して、エリナーはリックテインの話にあまり驚いた様子を見せなかった。
「ケイスさんが言ってました。人間は、自分たちが思ってるより結構、殺人に抵抗感を持ってる生き物だって。戦場でも、敵を撃つふりして、実は空や地面に向けて撃ってる兵士が結構な割合でいるんだとか。やっぱりどうしても本能的、生理的にどうしても無理って人はいるんですよ。努力とか甘えとかじゃない、生まれつきのどうしようもない部分として」
「私も、そうかもしれません。その一人なのかもしれません」
自分が死ぬかもしれないのに、それでも敵を殺せない。
それはある意味、美徳とも取れる。
人としての優しさであると。
だが、エリナー本人がそう解釈していないのは明白だった。
俯き加減の顔に浮かぶ、極めて沈痛な面持ちがそれを物語っていた。
「自分は人を斬れないのに、誰かにそれを求める。その卑怯さを自覚しないままに、私は依頼を出していたんですね……」
「難しいところですよね」
カズマは腕組みして、敢えて明るく言った。
「僕の故郷では、食用の家畜を自分で屠殺したことがある人は、恐らく一〇〇人に一人もいなかったと思います。どこかの誰かが自分の代わりに家畜を殺してくれていることは知ってました。
でも、普段はそんなこと意識もしません。中には、動物なんてとても殺せない。血なんて見るのも無理だという人もいたでしょう。エリナーさんの理論なら、それもまた卑怯だということになります」
気付くと、彼女は顔を上げてカズマを見詰めていた。
強く感心を引かれた様子で、真摯に話の続きを待っている。
「つまり、僕が言いたいのは……必要なのは、それができるできないではなくて、自分が普段しないこと、できないことを代わりにしてくれている人がいること。その人たちのおかげで、今の自分の生活が成り立っていること。そういった事実と、それへの感謝を持つことなのかもしれないな、と……。なんかちょっと、今の話の流れで思いました」
「それで、良いのでしょうか……?」
どこか戸惑いがちな声が問うてくる。
カズマは笑みで返した。
「少なくとも、今回の野盗退治に関してはそれで良いと思いますよ」
いただいた言葉を胸に、自分なりに考えを整理したい。
そう告げるエリナーを残し、カズマはセーフハウスを出た。
襲撃が夜なら、まだ時間はたっぷりある。
気分転換に昼下がりの街をぶらつくつもりだった。
島国であるフ=サァンは縦向きに置いた魚のような形をしているらしく、背骨にあたる部分に長く山脈が走っている。
ケイスがセーフハウスを置くこのミールの街は、その〈尾剣山脈〉にほど近い内陸の街だ。
人口は三〇〇程度と聞いているが、このような数字はどんな場合も大して参考にならないという。
奴隷や物乞い、賤民、貧民などが人間としてカウントされていないためだ。
隠れ家なら人目に付かない森の奥や山中が適当ではないか。
カズマは素人なりにそう考えてしまうが、ケイスによるとこれはなかなか難しいらしい。
管理が大変で、長期間の維持ができない。
山賊や野生動物に発見されると、乗っ取られていざという時に使い物にならないことになる。
聞けばなるほど、と思わされる話だ。
その点、このミールの街のような、小さすぎず大きすぎもしない街中の方が都合は良いのだという。
もちろん、だからと言って長居すれば目立ってしまうことは避けられないが。
水の都であったネクロスと比較すると、ミールは世事にも清潔とは言いがたい街だった。
まず、あちこちに水路があった首都と違って、水洗システムが敷かれていない。
街中が巨大なトイレのような感覚なのだろう。
比較的まともな通りを歩いても、風に生ゴミが発するような悪臭が混じっていた。
だが、ケイスやエリナーが言うに、これが標準的なフ=サァンの街の姿であるらしい。
――標準的、か。
自分はどちらなのだろう。
ふとエリナーとの話を思いだし、カズマは考えた。
今夜、野盗の拠点を攻撃し、奪取する。
否、今日だけではない。同様の襲撃・占拠を繰り返す事で頻繁に居場所を移し、〈青薔薇〉たちの追跡を避ける。
と同時、エリナーからの依頼である、〈スリージィン〉の大規模拠点へ迫っていく。
この作戦は、過程において必ず戦闘を発生させる。
それは言い換えれば殺し合いだ。
相手が普通の盗賊であれば、生け捕りにして治安当局に引渡すのも良い。
場合によっては賞金がかかっている犯罪者もいるだろう。
金になる。
だが、〈スリージィン〉は国家公認の野盗集団だ。
盗賊ギルド、あるいは国と契約した傭兵団と解釈することもできる。
生け捕りにしても、引渡す先がない。
彼らは犯罪者とは扱われていないのだ。
ならば生け捕りは意味がない。相手に封貝使いが含まれる以上、監禁しておくのが不可能に近いからだ。
護士組ですら、封貝使いの犯罪者を長期間収監しておくのは無理だと割り切り、すぐに処刑に入るのである。
小集団である派閥〈ワイズサーガ〉に護士組以上のことができようはずもない。
かといって逃がせば、情報が漏れてしまう。
〈スリージィン〉の上層に対策をとられ、結果、エリナーの依頼に深刻な悪影響を及ぼすことになるだろう。
つまり、殺すしかないのだ。
戦闘で即死させずとも、いずれは処刑しなければならない。
なんとしても死は避けられない。
では、自分はそれができる人種であるだろうか。
彼らの首を刎ねられるのか――この手で。
改めて考えた。
――僕は銃口を人に向けて撃てるタイプなのか。
それとも、空や地面に向けてしまうタイプなのか。
自分に問うた。
意外なことに、結論はすぐに出た。
たぶん……絶対の自信があるわけじゃないけど……僕は、殺す。
カズマはなんとなく、自分の右手――ワイズサーガの広げた手のひらを見詰めながら思った。
自信がないなどと言いつつ、それはもはや確信に近かった。
脳裏に過ぎるのは、人攫い騙された時のことだ。
もう随分と昔の話に思えるが、実際にはごく最近の話である。
あの出来事の中で、カズマは人攫いたちの口から、美しい少女をさらって奴隷商に売ったという情報を聞き出した。
少女を最初に捕らえたのは、野盗の一味であること。
既に連中から様々な非道の仕打ちを受けている可能性が高いこと。
最低でも、「味見」と称して運び屋から性的な暴行を受けた事実があること。
なにより、その娘がヨウコである可能性……
これらの情報を得てしばらく、カズマの身体を動かしていたのは間違いなく人を殺せるもう一人の自分だった。
あんな人格が己の内に存在していたことは、カズマ自身、その時まで知らなかったことである。
だが、あれを通して分かった。
自分は殺せる側の人間なのだ。
なにか一線のようなものがあって、それさえ超えなければ普通の人間のまま、一生を無難に終えることができる。
だがその一線を踏み越え、非日常の理が支配するあちら側にいってしまったら。
その時は自分の中にあった何かが永遠に崩れ去り、禁忌にすら躊躇いなく手を染める自分と入れ替わる。
人攫いの時に出たあれが、主人格になる。
その一線を想像することは、もはや容易い。
たとえば、ヨウコがエリナーと同じ目にあわされていたら。
何の罪もない彼女を、下劣な欲望を満たすためだけに拐かした奴がいたら。
エリナーがそうであったように、陽のささない湿った檻の中に閉じ込められた彼女を、にやつきながら代わる代わる陵辱する獣たちの姿を見たら。
屈辱と絶望の悲鳴を押し殺す呻き――あるいは男達が去った後、ひとり啜り泣くその声を耳にでもしたら。
力なく横たわる彼女の身体に残された、殴打による出血斑、無数の痣、そして肌にこびりつく乾いた体液のあとを見たてしまったら……
間違いなく、あの時の同じか、それ以上の濃さで視界が鮮血の深紅に染まるに違いない。
自分の中で何かが壊れる音を聞くことになる。
精神が歪み、もうに二度と戻らなくなる瞬間を感じ取るだろう。
そして、それからはもう何も考えれなくなる。
喉の奥から人間を辞めた咆哮を絞り上げ、自分が死ぬか、周囲に存在する連中を原型を留めない肉片に変えるまで、止まらなくなる。
殺人。
罪の意識。
そんなもの、とっくに頭から消し飛んでいるはずだ。
それに――と、カズマは思考を切替えながら、空に向けて軽く息を吐き出した。
それに、自分は〈強欲〉の異名で知られていたスコッチ・スウォージを既に殺してしまっているのである。
もはや、この手は血に汚れていると言って過言ではない。
ナージャあたりは「直接、手を下したわけではない」「事故に近い」と弁護してくれるかもしれない。
だが、そのナージャを奪還する際、暴力をもって彼を拉致し、人質として使ったのは間違いなくカズマだ。
たとえ、その後でケイスとショウ・ヒジカの大規模な戦闘が起こり、都市破壊級の爆発と大森林火災が発生することが予想不可能であったとしても。
カズマが、〈強欲〉の死に繋がる行動をとったことは否定できないのである。
責任がないなど、到底言い切れない。
「結局、もう逃げられないわけだし……」
だったら、まだ汚れていない人のために――エリナーのために、ヨウコのために、彼女たちができないことをした方が良い。
人を殺せない優しい誰か。
人殺しになどにしてはいけない誰か。
そんな人たちのために、この手を使えば良い。
というより、そうしたい。
究極的には、自分のためにそうありたい。
きっと、騎士や戦士はそうして家族や弱者のために剣を取る決意をするのだ。
自分の葛藤は、彼らが経験してきた、つまりはどこにでもあるものでしかないのである。
「うん――」
声に出して言いながら、カズマは改めて右手を握り固めた。
それでも恐らく、実際にその時が来れば心臓が縮み上がるような恐怖を味わい、大いに葛藤、逡巡することだろう。
だがなんとなく、自分の気持ちは決まったような気がした。
少なくとも楠上カズマという人間が何を望んでいるか、その自分の心に触れることはできた感じはあった。
次回更新は、22日の土曜日です。




