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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
44/64

スピア

  043


 腕に抱えたマオ・ザックォージの亡骸は、悲しくなるほど軽かった。

 通常は逆だ。

 死体は重い。

 生きた人間は無意識に重心やバランスを保とうとするが、それがなくなるからだ。

 だが、今のマオは身体の大部分が爆散し、消失している。

 バランスも何もない。

 居たたまれなくなって、メイヴ・スカイアナハは目を閉じた。

「行きなさい……」

 かすれた声を投げ、仲間の死に然とするワイズサーガの派閥員たちへ背を向ける。

 歩きだしながら思った。

 ――最後の一撃で加減を誤ってしまった。

 もはや、それは認めざるを得ない。

 マオが〈カルタゾーノスの戦乙女〉と化していたことを過大に評価してしまったのだ。

 本来、あの状態の彼女は高い防御力を持つ。

 一度は、致命傷を負っても完全蘇生することすら可能だ。

 しかし、メイヴの〈ダァン・スカー〉がもたらす弱体化により、それらの能力は想像以上に削がれていたらしい。

 蘇生能力は完全に失われ、耐久性も加減した一撃で肉体が消し飛ぶほど弱っていた。

 やはり、〈*影の国(Lethal Fox)〉を切ったのはやり過ぎだったか――

 後悔しかけたがメイヴは、その思考を振り払った。

 相手が最後の手向けとして望み、自分は名誉のためにこたえた。

 それをいるのは、マオ・ザックオージという武人に対する侮辱であろう。

「――本当に行かせるのかね、隊長」

 距離を取って一連のやり取りを見守っていたマーティン・モウがいた。

 三〇そこそこに見えるが、実際には半世紀を超えて生きる経験豊かな古兵である。

 追跡部隊においてはメイヴの補佐を務める男だ。

 今回の作戦において、彼は本来、上空にとどまり制空権を確保するのが役割であった。

 しかし、メイヴが〈*ダァン・スカー〉を展開したことにより、封貝が弱体化。

 飛行能力の維持が難しくなったのであろう。

 今は地上に降りてきている。

「再三言っているように、今回は行かせます。彼らがその気でないのなら、別ですが」

 その返答を耳ざとくとらえたに違いない。

 遠くでア=ラーウォが不満げにうなったのが分かった。

 〈狂牛〉の異名を取る彼女は、それに違わぬ大変に好戦的な性格の持ち主だ。

 敵とみれば殲滅の二文字以外の解決を決して認めない。

 それに反する決定をしたメイヴの近くに置くと、上官相手と知りつつ噛みつきかねない。

 そう判断したスィーオドル・〝テッド〟・エトーによって、彼女は今、遠く引き離されている。

 争いごとを好まない、温厚な彼らしい対応と言えた。

「我々はこのまま一度、インカルシに戻ります。どの道、彼女を――」

 メイヴは一瞬、抱きかかえたマオに視線を落とす。

「このままにはしておけぬでしょう。しかるべきところへ送り届け、丁重にとむらわねばならない」

「それは、確かに」

「では、速やかに帰還します。貴殿はア=ラーウォをなだめてください。エトーだけでは手に負えないようですので」

 命じると、マーティン・モウは鼻を鳴らすように嘆息した。

振り返りくだんの二人を見やる。

犬歯を剥き出しにして威嚇を繰り返す猛犬と、首輪の紐を握りしめ必死にそれを押さえつけようとする飼い主。

そんな構図の若者たちだ。

「やれやれ……」

 マーティン・モウは肩をすくめながら、メイヴに向き直った。

それから何か言いかけ、唐突に表情を凍り付かせた。

「――ッ?」

 同時、メイヴも異変に気付いた。

 弾かれたように自分の手元へ視線を落とす。

 マオを抱えた両のかいなから、いきなり重量感が失われていた。

 まさか、落としたか――?

 一瞬、狼狽させられる、いきなりの喪失感。

 だが現実にはマオ・ザックォージの肉体自体が、今まさに失われようとしていた。

 メイヴが目の当たりにするなか、陽光にさらされた朝靄のごとく、粒子化して消えていく。

 それは、瞬く間の出来事だった。

 気付けばもう、そこにはマオ・ザックォージを包んでいた騎士マントだけしか残ってなかった。

「これは……」

 さしもの古兵もこれには目を見開いている。

 もちろん、封貝使いだからといって死体が光の粒となって消えていくというような事実はない。

 そこは定命の者たちと同じだ。

 死体は死体として残る。

 そして自然の流れにそってちていく。

 この消え方はつまり、死体の消え方ではない。

 むしろ――

 封貝だ。

 マーティン・モウと目が合った。

 その表情から、彼も同じ事に気付いたことが分かる。

 封貝使いとして当然だろう。

 粒子化して空間へ溶け込むように分解されていく。

 これは、使用者が体力や気力の限界を超えて形を維持できなくなった時、ないし強い負荷を受けて破損した時の封貝の消え方に他ならない。

はかられたようだな、隊長」

 古兵は既に平静を取り戻していた。

 冷静な口調で指摘してくる。

 認めざるを得なかった。

 メイヴは身体を素早く反転させた。

遠ざかりつつあった、レイダー〈ワイズサーガ〉をきっとめつける。

「ヴァイコーエン卿! これは如何なることか」

「俺はもう、ヴァイコーエンじゃないぞ。スカイアナハ」

 ケイス・ヴァイコーエンは既に、幻獣型封貝〈翼竜アンハングェラ〉を召還し、メンバーらと離脱の準備に入っていた。

「そのようなことを論じているのではない」

「分かってるさ」

 争う気はない、と彼は肘を直角に曲げて両手を掲げてみせる。

「だが、約束は約束だ。ウチのザックォージは、逃げずに決闘に応じること、その身が滅びるまで戦うことを条件に戦った。そしてその言葉通りに振る舞った。違うかな?」

「それは――」

 無意識に一歩踏みだし、だがメイヴはそこで踏みとどまった。

 べんと言えば詭弁だ。

 だが一方で、それはメイヴの感情的な判断でもある。

 では、マオ・ザックォージはきょげんろうしたのか。

 嘘をついて騙していたのか。

 そう問われれば、返答に窮することになるのはこちらだ。

 言葉遊びではあれ、マオが自らの言葉、誓いを忠実に守ったのは事実なのだ。

 それに――と、メイヴはいつのまにか右手に握りしめていた血染めのマントを見やった。

 マオが操っていたのは、リーサル・フォックスまで完全再現する分身である。

 それを殺されるまで動かし続けるとなると、ノーリスクであったとは考えにくい。

 安全な場所からこちらを嘲笑いつつ人形(つか)いを演じていたのとは違うだろう。

 相応の痛みを負う覚悟で、今回の作戦を練ってきたはずだ。

 そう思えば、メイヴとしてはなかなか強くは出られない。

 ――このままいかせるべきか、否か。

 そんなメイヴのしゅんじゅんをつくように、それは現れた。

「――Lethal Fox(リーサル・フォックス)

 それは恐らく、音声として聞こえたのではない。

 メイヴの第六感が気配としてとらえたものだった。

 同時、世界の一部が歪み割れる、バキンという硬質な破砕音が響き渡った。

 周辺の木々を根(こそ)なぎたおしながら後方で空間が異常膨張し、そして弾けたのが分かる。

 爆風のしょうねつが、メイヴの背をあぶった。

 だが、それらは幻視だった。

 空間を歪めるほどの殺気、および封貝の気配によって見せられた白昼夢、ヴィジョンに過ぎない。

 メイヴは経験から刹那のうちにそれを理解し、マーティン・モウと同時に身体ごと振り返る。

 それ自体は状況に対する最適解であったのだろう。

 だがメイヴは、自分たち二人が後手に回ったことを――

 致命的に出遅れてしまったことを知った。

 敵のリーサル・フォックスは既に、テッド・エトーに迫っていた。

 灼熱の業火がそのまま巨大な〈火眼金晴獣〉の姿をとり、跳び蹴りのモーションを取る敵をオーラのように取り巻いている。

 ――スピア系……!

 肉眼でとらえた情報をメイヴの脳がそう処理した時にはもう、テッド・エトーは反射的に防御結界(Delta 1)を展開していた。

 直後、その防御にリーサル・フォックスが炸裂する。

 凄まじい土煙と火花を散らしながら、金属的な轟音をあげる。

わずかに遅れて聞こえてきた破裂音は、敵の攻撃が音を置き去りにする豪速であったことのしょうだ。

「四――ッ」

 そのすぐかたわら、ア=ラーウォは叫びかけて声を止めた。

 四半時(約五秒)もたせろ。

 言おうとしたものの、即座に不可能と判じたのが、メイヴには分かった。

 奇襲に対してテッド・エトーが反射的に展開できたのは、口訣を省略したぜいじゃくな盾が一枚。

 リーサル・フォックスは激突後、これをいっぱくの間も置かずに崩壊せしめる。

 四半時はおろか、口訣の暇すら与えない。

 対するエトーは直前、追加の盾を――耐久力が著しく落ちると知りつつ――無口訣で三枚同時召還するのがやっとだった。

 が、敵のリーサル・フォックスは嘲笑うようにそれすら瞬く間に粉砕していく。

 最初の一拍で二枚は展開と同時に一蹴され、すぐに三枚目にも致命的な亀裂が入る。

 これを見たア=ラーウォの判断は一瞬だった。

 眼にもとまらぬ速さでテッド・エトーを後ろにつき、抱えるように彼を支えつつ封貝を口訣召還する。

防御封貝(Delta 1)――ッ!」

 もろいが瞬時に召還できる盾。

 頑強だが展開まで四半時のめが必要な壁。

 二種の防御手段を持つア=ラーウォだが、選択の余地はなかった。

 メイヴとマーティン・モウが振り返り、最初の一歩を踏み出した時点で状況は既にここまで進行していた。

 そして、その一歩目を軸足に重心を移し終えたときにはもう、全ては終わっていた。

 到底、受けきれない。

 早々に見切ったア=ラーウォが、咄嗟の――そして苦肉の判断として、衝撃を少しでも逃がすべく結界に角度をつける。

 全ての盾を砕かれたテッド・エトーは刹那、相棒に防御を任せ、口訣して防御封貝(Delta 1)を張り直す。

 だが、振り下ろされる斧を皿で防ごうというのなら、それが一枚であろうと二枚であろうと、まったくの無力であることに変わりはない。

 直後、陶器を大理石の床へ力任せに叩きつけたような豪快な破砕音が響き渡った。

 部下二人の防御があえなく砕け散った瞬間である。

 火眼金晴獣のスピアは、ア=ラーウォの小細工でわずかに進入角度を下方向にずらされつつ、しかし的確に標的をとらえる。

 蹴りはエトーとア=ラーウォを冗談のような速度で吹っ飛ばし、一〇キュービット(約五メートル)ほどの地点へ突き刺さるように衝突した。

 鼓膜を撃ち抜かんばかりの爆音が轟く。

 衝撃が土砂を噴水のごとくほとばしらせた。

 メイヴとマーティン・モウは、散弾と化して襲い来るこいしに刹那、動きを封じられる。

 矢尻が耳もとをかすめる時そっくりの風切り音がひっきりなし続いた。

 気配を辿ると、エトー、ア=ラーウォの両名は、驚くほど遠くまで吹っ飛ばされていた。

 方向と距離からして、周囲に点在していた森林の一つに突っ込んだのだろう。

 ブレーキがわりに木々をなぎ倒し、ようやく止まったらしい。

 どちらも深手を負っているのは明らかであった。

 到底、戦線復帰できる状態ではない。

 とりわけエトーの気配は今にも消えそうだった。

「モウ! 二人を」

 (もう)(もう)と立ちこめめる土煙に視界を奪われながら、メイヴは叫んだ。

 同時に腰のホルスターからポーションの瓶を二本抜き取り、彼のいる方へ放る。

「――おう

 瓶を素早く掴み取ったマーティン・モウが口訣した。

 召喚した移動封貝を駆り、あれよという間に遠ざかっていく。

「……〈*ブルームーン(Fox 1)〉」

 唱え、顕現した愛槍を握った。

 平原を吹き抜ける風は土煙を払い、徐々に視界をクリアにしていく。

 不意にワイズサーガたちを意識から外していたことを思いだし、メイヴはその気配を辿った。

 しかし、ときすでに遅し。

 ケイス・ヴァイコーエンは絶好機を逃すほど愚かな男ではない。

 当然のように彼らは姿をくらましていた。

 遠くにそれらしい気配を感じないでもないが、感知型ではないメイヴには、もうはっきりとしたことは言えない。

「逃がしたか……」

 が、もはやそれはどうでも良かった。

 してやられた。

 完全に出し抜かれた。

 今回は彼らの作戦勝ちだ。

 そう認められる。

 どの道、自分は彼らを追えなかっただろう。

 マオに誓わされた時点で、もう負けていたのだ。

 だが、背後から奇襲をかけてきた相手は別だ。

 部下を二人、瀕死の重傷においやった卑劣は到底、看過できない。

「言い訳くらいは用意してあるのだろうな」

 メイヴは視線の先、大地に生まれたクレーターに向けてゆっくり歩を向けた。

 円環状に小さく隆起したへりの向こう――すりばち状に大きく落ち込む窪みの中心点で、ゆらりと立ち上がるシルエットがあった。

「何のつもりかお聞かせ願おうか――ショウ・ヒジカ」

「お前こそ、どういうつもりだ?」

 唇を薄笑みの形に歪めながら、爬虫類の冷たさを思わせる低音が言った。

「なに」

「良いとこのご令嬢なんだろう、お前」

 長剣型の封貝〈*呪怨の烙印(カースブランド)〉で僧帽筋のあたりを軽く叩きながら、ショウ・ヒジカはゆっくりとクレーターを上ってくる。

「貴族のお上品な狩猟では、獲物の横取りは御法度のはずだぜ」

「狩猟……」

 痙攣するように、眉が勝手に震えた。

「獲物とはどういう意味です」

「ヴァイコーエンだ。奴とは先約がある」

「何を言い出すかと思えば」

 一笑にしつつ、だがその笑みも眼にまでは及ばない。

「確かに相性が良さそうには見受けられませんでしたが、表だった敵対関係にあったとも聞かない。その先約とやら、ヴァイコーエン卿とはどのような因縁によるものです」

「インカルシの北で森林火災を見ただろう。何故、あれが起こったか知ってるか」

 ショウ・ヒジカは最後の数歩分を軽い跳躍で飛び越え、地表に立つ。

 そこで一旦足を止めた。

「〈赤繭〉をめて罪人にしたてあげたのは俺だ。それに気付いたヴァイコーエンは奴についた。〈赤繭〉と、あのガキが冤罪で処刑される前に奪還しようっていう仲間側にな」

「まさか……」

 だが確かに、〈赤繭〉の案件には不可解な点が多かった。

 メイヴのみならず、護士組のあちこちから疑問の声があがっていた。

「それでヴァイコーエンと俺はやりあうことになったのさ。

リーサルをぶつけ合った。その結果があれだ」

 動揺はあったが、素早く思考を巡らせた。

 ショウ・ヒジカの言い分を鵜呑みにするわけにはいかない。

 油断のならない男だ。

 一言ひとことをよく検証する必要がある。

 だが――北の森で見つかった謎の巨大なクレーターは、百人長級のリーサル・フォックスの激突があったとすれば、説明が付く。

 先程、ケイス・ヴァイコーエンの傍らに、〈赤繭〉の特徴を備えた赤い首巻きの少女がいたこと。

 マオに続いて、ショウ・ヒジカがまでもが姿をくらましていた理由。

 全てにおいて、話が合う。

「では、今回の騒動の元凶は貴殿ということでよろしいのか、ヒジカ卿。無実の封貝使いを陥れ、〈赤繭〉として処刑させんと画策。さらに北の大森林火災の原因を作り、更に断りもなく職務を放棄して行方をくらました。全ては貴殿の利己主義によるものであると」

「どうでも良い……そんなことは」

 退屈そうに吐き捨て、一転、ぎらついた野獣の双眸をメイヴに向けてくる。

「俺が仕留めるまでお前らは引っ込んでろ。それとも邪魔してみるか、ここで」

「愚問を。卑劣にも部下を後ろから穿ってくれたこと、私が見逃すとでも思いますか」

「見てたぜ」

 どうもうさを漂わせた愉悦の笑みで、ヒジカは言った。

「さっきは派手にリーサルを使っていたな。空間支配……あれだけの力、一度出せばしばらくは使えないだろう」

「それが?」

 平坦な声で返しながら、メイヴは瞬速で距離を詰めた。

 カースブランドの間合の外から、致死性の突きを見舞う。

 青級になら脅威的な一撃になったであろうそれは、しかし百人長級も上位の手練相手には通用しない。

 長い助走距離が、充分な準備の猶予を与えたのだ。

 ショウ・ヒジカが披露したのは、紙一重の完璧な見切りだった。

 外側へ向かって横向きに回避。

 勢いをそのままにのごとく半回転し、遠心力を加えた裏拳の軌道でよこなきぎのカウンターを返してくる。

 間合に勝るランスは、しかし取り回しで長剣には劣る。

受けきれないと判断した時にはもう、メイヴは身を屈めてその一撃をかわしていた。

 同時、一瞬で槍の握りを逆手に変え、がら空きになったヒジカの左脇に一撃放つ。

 もはや思考ではない。

 訓練によって染みこませたモーションをなぞり、身体が条件反射的に動いていた。

 けんげきの金属音が轟き渡る。

 ヒジカはカースブリンガーで難なくその胴薙ぎを受け止めた。

 息を吐く間もなく、中段の左回し蹴りが返ってきた。

 メイヴは右腕のとっに防御を作るが、それでも丸太で殴られたような衝撃が伝わった。

 骨がきしむ。

 だが、戦士の本能はその痛みを情報として切り捨てる。

 そしてメイヴは、ヒジカが繰り出した蹴り脚を戻しきるより早く、反撃モーションに入った。

「ハアッ――!」

 自然、裂帛の気合いが漏れた。

 半身の構えから上体を後ろに倒しつつ、あごち上げるように左脚を突き出す。

 しかし、このこんしんのトラースキックにも、ショウ・ヒジカは獣の反応速度で対応してみせた。

 左腕と右で握ったカースブリンガーを交差させ正面から受け止める。

 更にインパクトの瞬間、自ら後方に飛び退すさって衝撃を逃がすことも忘れない。

 もっとも、それで殺しきれる威力ではない。

 ヒジカは立ったまま真後ろへ吹っ飛んでいく。

 踏み締めた両脚が、土を削りながら地表を滑っていった。

 派手に突き放した感じだが、ダメージは与えられていない。

それは手応えからも分かった。

 だからこそ、メイヴはようやく異変に気付いた。

 既に体勢を整えているショウ・ヒジカのたたずまいに、ごく微妙なブレを感じる。

 表情こそ平然としながら、時おり奇妙に呼吸が乱れる――とでも言ったところか。

 だしぬけに、手負いの獣のイメージが彼と重なった。

 考えてもみれば自明の理だった。

 ケイス・ヴァイコーエンほどの使い手と真っ向から激突したのだ。

 加えて、切り札まで出し合う死闘を演じたというのである。

 仮にリーサル・フォックス同士がその破滅的威力を相殺し合ったとしても、双方、無傷で済んだはずがない。

 あれからまだ数日。

 行方をくらましていたショウ・ヒジカは、護士組の医療班から治療封貝の施しを受けることもできなかったはずである。

 隊長クラスの最終決戦封貝による傷は、ポーション程度ではそうそう簡単には癒やせない。

「……貴方、怪我してるようですね」

「それが?」

 乾いた声で返すと、ヒジカはすっと左手を前に突きだした。

「――〈火眼金睛獣ヴィクター・ワン〉」

 その馬に酷似したフォルムを持つ幻獣は、召還された時点で既に疾駆をはじめていた。

 もはや特攻としか表現しようのない、迷いのない正面突進が、メイヴを刹那、迷わせた。

 火眼金晴獣は元来、戦闘能力向きの幻獣ではない。

 このまま斬り捨てるのは容易だ。

 封貝は破壊されても死ぬことはないが、回復に長期を要し、その間は一切の召喚に応じなくなる。

 これは、封貝使いにとって腕を一本もがれるに等しい痛手だ。

 それを理解する者なら、幻獣はあくまでおとり扱いだ。

 敵がそちらに向かったところを、本命の自分が叩きにいく。

 こんな使い捨てのような運用はしない。

 ――だが、あのショウ・ヒジカなら?

 それすら平然とやってくるのではないか。

 そんな疑念が、メイヴの判断を一瞬、遅らせた。

 突進してくる火眼金晴獣を、メイヴは身をひるがえしてやり過ごす。

 実戦経験の差が生んだ中途半端だった。

 この緩みをショウ・ヒジカが見逃すはずもない。

「――ッ?」

 突如、背後に気配を感じ、メイヴは振り向きざま得物を振るった。

 霊槍〈*ブルームーン〉の切っ先がショウ・ヒジカをとらえるのが見えた。

 ――が、手応えがない。

 当然だった。

 距離を隔てて対峙していたヒジカが、一瞬で後ろに回ったというならカルタゾーノス並の瞬間移動だ。

 だが、一瞬見えたショウ・ヒジカの姿は……

 混乱しかけ、すぐに思い出した。

 ショウ・ヒジカは幻獣型封貝を二体持つことで知られる。

 その片方が先の火眼金晴獣であることは言うまでもない。

 問題は、一体の龍種〈シン〉だ。

 こう竜は、蜃気楼を見せる特殊なブレスを吐くことで知られる。

 それは、精神や視覚――つまり脳に直接作用する操作系や幻覚ではない。

 光学的な幻影を生むタイプであるため、特殊な眼を持っていなければ看過は難しい。

「しまった……」

 ほぞをかんでも遅い。

 慌てて見渡しても、ショウ・ヒジカの姿は既に見当たらなかった。

 先程までいたはずの火眼金晴獣も――召喚を解除されたに違いない――忽然と姿を消している。

「日に二度もたばかられるとは」

 メイヴは己のふがいなさに奥歯を噛みしめる。

 〈次代の旗手〉、〈新星〉などともてはやされても、実戦ではこのざまだ。

 コンポーネントをどれだけ強力な封貝で固めていても、運用が拙ければこのように勝負で負ける。

 ――怪我のことは、指摘するべきではなかった。

 今更ながらに後悔した。

 恐らく、あそこがターニングポイントであったのだ。

 真っ向勝負を望むヒジカは、メイヴに負傷を勘づかれたと知った時点でもう、やる気をなくしたのだろう。

 怪我のことに意識がいき、メイヴは本気を出せない。

 剣が鈍る。

そう考えたのだ。

 自分の性格を考えると、ヒジカのその読みを否定することは難しい。

 ショウ・ヒジカは、いつ〈シン〉を召喚したのだろう。

 思わず検証している自分に気付いた。

 結果的に、ヒジカは回復要員としてもっとも貴重なスィーオドル・〝テッド〟・エトーと、最前線のアタッカー、ベズー・〝狂牛〟・ア=ラーウォの二名を戦闘不能に追い込み、さらにメイヴと互角に撃ち合った上で、無傷の戦線離脱を成功させている。

 奇襲としては完璧な成果だ。

 部隊を預かる者として、これ以上の屈辱はない。

 メイヴは竜種の幻獣封貝〈青龍〉を口訣召喚し、仲間の元へ向かった。

 彼らが留まっているのは、森と呼ぶには到底到らない、ちょっとした集落ほどの小さな雑木林であった。

 メイヴはその直上まで到ると、〈青龍〉にはそのまま周辺の警戒を命じて地上に降りる。

「――隊長か。敵は?」

 気配を察したマーティン・モウが一瞬だけ振り返り、メイヴの姿を確認した。

 片膝をついてしゃがみ込む彼の足元には、負傷した部隊員ふたりが力なく横たわっている。

「ショウ・ヒジカでした。申し訳ない。逃がしました」

 色々訊きたいことはあるはずだ。

 しかし、モウは一つ頷くだけで何も言わなかった。

 優先すべき事を心得ているのだ。

「それで、二人の容態は」

 背後から彼らに近付きつつ訊いた。

「手持ちのポーションは全て注ぎ込んだ。しかし――」

「あたし……なら、問題……ないよ」

 かすれた声をかぶせたのは、ア=ラーウォであった。

 彼女は先住民族(オクスゥ)由来の小麦色をした肌に、珠のような汗をびっしりと浮かせ、荒い息を繰り返していた。

 表情筋を総動員し、なんとか不敵な笑みを形作ろうとしているが、その努力はほとんど報われていない。

 言葉を発する度、紅く染まった口元に鮮血の小さな泡が生じる様には痛々しさしかなかった。

 もう一方のテッド・エトーの状態がより深刻であるため、彼女は後に回(トリアージ)されているのだろう。

 ポーションの投与以降は放置されいてたようである。

 両腕は、骨折により関節が二つずつほど増え、あらぬ方向へぐちゃぐちゃに曲がりくねっているが、未だえ木の一つも当てられていない。

「何が問題ないです。無駄に体力を使ってはいけません。黙っていなさい」

 たしめるように言うと、メイヴはマーティン・モウを一瞥した。

「ア=ラーウォは私がます」

「よろしくお願いする」

 テッド・エトーにかかり切りの古兵は、もはや顔を上げようともしなかった。

 あちらは、ア=ラーウォに輪をかけてひどい。

 胸から喉元にかけての肉がごっそりえぐられ、しかも――どれほどの高温でかれたのか――大部分が黒く炭化している。

 封貝使いでなければ即死の怪我だ。

 本人はとっくに意識を失っているが、身体は陸に打ち上げられた魚のごとく断続的にけいれんを繰り返している。

 封貝使いであることを考えても、死んでいないのが不思議なくらいの状態だった。

 リーサル・フォックスを喰うとは、本来そういうことだ。

 メイヴは思わず顔をしかめつつ、ア=ラーウォに視線を移す。

 テッド・エトーが盾になった上、彼女は両腕でうまくガードしたのだろう。

 それでも定命の人間(エイン)なら間違いなく助からないであろう大ダメージを負っているが、封貝使いとしては致命傷をからくも避けている。

 外傷に関しては、既に高速治癒も始まっていた。

 問題は――

「内臓、ズタズタみたいですね。折れた肋骨が肺に刺さっている可能性も高い。臓あたりも破裂しているかもしれません」

「はっ……みたい、だね……」

 彼女なりの意地なのだろう。

 ア=ラーウォは無理にでも口角を上げ、勝ち気な返答を寄越そうとする。

「内臓は私では診てやれません。とりあえず、腕を戻しましょう。

相当、痛みますよ」

「……やって、くれ」

 にやりとしてみせるア=ラーウォだったが、見えているはずの歯は完全に血に染まり、白い部分が欠片も存在していなかった。

 メイヴは近くでえ木に向く枝を見繕い、治療に入った。

 治療と言っても、やることは単純である。

 関節ではない場所で曲り、また関節であっても本来曲がらない方向を向いてしまっている両腕、および十指を正しい直線に力尽くで戻す。

 ただそれだけだ。

 もちろん、その一回いっかいに骨折時と同等か、それ以上の激痛が生じることは言うまでもない。

 だがこれをやらねば、封貝使いの高速治癒能力が、変形したまま骨や傷を治してしまう。

 結果、関節が正常に機能しなくなってしまうのだ。

 護士組の兵士なら、可能な限り早めにやって済ませておくべきだと誰もが承知している作業だ。

 メイヴは、まず右腕から取りかかった。

 切断や完全消失はまぬがれこそすれ、極めて状態が悪かったからだ。

 特に下腕部は肉がゴッソリとけずり取られ、骨が広範囲に渡って露出している。

 ポーションによる応急処置と封貝使いの超回復能力で再生が始まってはいるものの、ここまで酷いと時間がかかるだろう。

 ア=ラーウォに手頃なサイズの木片を噛ませ、まず変形した指を元の位置に戻していく。

 一つ作業を進める度、ア=ラーウォは噛み殺しきれなかった絶叫を喉奥から迸らせた。

 暴れないよう封貝で抑えながらの作業は、診る側のメイヴも額に汗する重労働となった。

 果たして四半刻(約三〇分)で済んだだろうか。

 ようやく右腕の処置を終えると、メイヴはお互いのために少し休息を入れることにした。

 あわせて、ア=ラーウォが望んだため適当な大樹を探し、そこへ彼女を運んだ。

 幹に寄りかからせて根元に座らせる。

 水も飲ませた。

 重傷者二名に、治療者が二名。

 人手が足りないことは明白であったため、ア=ラーウォを休ませている間に狼煙のろしいた。

 これで別行動のファウ・シノンを呼び寄せられる。

 その後、マーティン・モウを少し補助してから、ア=ラーウォの左腕に取りかかった。

「お待たせしました! あの、状況は」

 一〇割刻(約一〇分)から四半刻(約三〇分)の間、ア=ラーウォの処置が大方片付いた頃、見計らったようにファウ・シノンが合流した。

 感知・探知を得意とする彼女は、今回の作戦において後方支援を担当している。

 今日の戦闘にも参加せず、情報収集と物資の調達に回っていた。

 彼女は負傷した仲間――特にテッド・エトーの惨状を見ると、小さく悲鳴を上げて硬直した。

 それから血の気の引いた顔で、慌てて手持ちのポーションを漁り出す。

 メイヴはその内の一本を受取り、激痛との格闘で消耗しきったア=ラーウォに渡した。

 テッド・エトーの方も、意識不明の重体ではあるが生命の危機は脱したらしい。

 今は、マーティン・モウの封貝によって、巨大な氷塊の中に閉じ込められ眠っている。

 一種の仮死状態に置くことで怪我や病の進行、悪化を凍結させる。

治療環境が整うまでの時間稼ぎとして、まれに使われる手段だ。

「……一体、何があったんですか? 戦闘要員じゃないテッドさんはまだしも、ベズ―がこんなにやられるなんて」

「私の責任です」

 メイヴは項垂れながら認める。

 だが、それは充分な説明にはなっていなかったらしい。

 少なくともシノンは満足していないらしく、怪訝そうな顔で話の続きをうながしていた。

「いえ、とにかく……ヘマをやらかした私が言うのもなんですが、今はのんびり説明している暇はありません。説明は移動しながらということにしましょう」

「しかし、どうするのだ?」

 と、モウ。

「はい」

 自分もそう思いました、というようにファウ・シノンがついしょうする。

「移動ってどこに向かうんですか?」

「それは――」

 メイヴは言葉に詰まる。

 隊を預りながら、まだなんら成果を挙げていない。

 マオ・ザックォージにはまんまと逃げられた上、ショウ・ヒジカに部下を二人も殺されかけた。

 部隊は半壊。

 通常なら、インカルシの本部に一度帰還することも考えねばならない状況だ。

 しかし、このままおめおめと帰れるかという思いも強い。

 というより、それしか考えられないのが正直なところだった。

「インカルシに一度戻って報告するんですか? テッドさんたちの怪我のこともあるし」

「……馬鹿、言ってんじゃ……ないよ」

 芯の抜けた、囁きにも近い声が言った。

 そちらに顔を向けると、眠りに就いたと思っていたア=ラーウォが、すがめた眼でこちらを見ていた。

「舐められた、まま……逃げ、帰る……っての、かい」

「もう、ベズー。そんな怪我で何言ってるのよ」

 ファウ・シノンがかんぼうさとすように向かっていく。

「あんたは、黙ってな……ファウ」

 ア=ラーウォが血を吐きながら睨めつけた。

「仲間の血、見たら、もう収まらない……もん、だろ……普通」

「そりゃあ、私だって悔しいよ?」

 だったら、帰還などという選択はない。

 ア=ラーウォはそう吐き捨てた。

 今帰れば、負傷者である自分たちは療養を命じられる。

 隊は解散。

 全く違うメンで再構成されるだろう。

「やられっ……ぱなしの、泣き、寝入り……だ」

「まあ、確かにな」

 マーティン・モウが不思議と通る低音で言った。

「一度戻るにせよ、ショウ・ヒジカに関する情報をもう少し集めて手土産にでもせんと、かっこうもつかんだろう」

 それはその通りと言えた。

 ――我々はザックォージたちを見事に取り逃がしました。

 行き先?

 いえ、完璧にかれたので、全く想像が付きません。

 負傷者が出たのは、ショウ・ヒジカの奇襲によるものです。

ザックォージとは無関係であります。

 ヒジカの行方?

 こちらも完璧に逃げられたので見当すらつかない状況です。

 恐らく、ケイス・ヴァイコーエンを追っているものかと……。

 今帰ったところで、報告できるのはただ自分が無能であったという事実だけだ。

 任務から外され、別に追跡部隊が組織されるにしても、彼らに申し送るだけの情報すらなにもない。

「じゃあ、ネクロスに行きますか? 首都なら高度な治療も受けられると思いますけど」

 シノンが半ば途方にくれた顔で場へ問う。

 応えたのは、太い二の腕を胸元で組んだモウだった。

「ネクロスには護士組の情報員オブザーバーが多数潜り込んでいる。結局、二人が重傷を負ったこと、我々がしくじったことはつつ抜けになるぞ」

「オクスゥの、里……だ」

 自らも先住民族オクスゥ系であるア=ラーウォが、絞り出すように言った。

「ロニンカ、って……集落なら、顔が、く……封貝なら、一刻も、かから、ない……テッドの、治療も……」

 受けられる、ということなのだろう。

 メイヴは途中で力尽き、苦痛に顔を歪めるア=ラーウォに駆け寄った。

ない、任せられますか?」

 問うたが、彼女は言葉を返さなかった。

 返せなかった。

 だが、荒い呼吸を繰り返す中、あぶあせにてかる頬にくぼみを作りながら、にやりと笑った。

挿絵(By みてみん)

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