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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
42/64

エリナー・フォウサルタン

  041


 エリナー・フォウサルタンは、一七年前に生を受けた。

 生まれは西フ=サァンの南部。

 特にこれといった特徴もない森に囲まれた小村が故郷だった。

 エリナーは父の顔を知らない。

 だが、母ミーオのことは良く覚えている。

 彼女は優しく、そしてひときわ美しい女性であった。

「ナーガヒル村の奇跡」。

 そんな風にたたえられることも珍しくなかったという。

 肉付きのよいふくよかな肢体には、誰しもが背景に豊穣神の加護を感じるほどであった。

 フ=サァンで好まれる切れ長のそうぼうは不思議とするさや冷たさを感じさせず、むしろにゅうな彼女の人柄をそのまま現わしたかのように優しかった。

 年頃になると匂い立つような色香を漂わせつつ、しかし深い母性をたたえた包容力豊かな女性へと育った。

 当然、村の男達はこぞってミーオに夢中になった。

 およそ娯楽に乏しい田舎である。

 彼女の美貌は近隣の村々にまで噂として広がるほどだったという。

 だが、彼女の心を射止めたのは、村の男衆ではなかった。

 話を聞きつけ、感心を抱いていた地方領主でもない。

 王族だった。

 これには故郷ナーガヒル村を囲う森林地帯が関係していた。

 この森は非常に美しく、豊富な資源を内包しており、なによりレヒョーという稀少な鳥類の――国内でも数少ない――生息地として知られていた。

 当然のこと、この地は古くから王家の所領と定められていた。

 いわゆるりょうりんであり、地元民すら立入りを厳しく制限されていた。

 むしろ一部の村の者は森の管理者、監視者としての側面を持ち、レヒョーを密猟から守ることで王家から補助金を受けてさえいたのだった。

 そんなナーガヒルの森には、度々、王族が狩猟に訪れた。

 霊鳥とも呼ばれる神出鬼没のレヒョーを狩ることは、彼ら支配階級にとって大変なステータスであったからだ。

 選ばれた存在を射止めたる者は、また上に立つ者として選ばれた存在でもある。

 そうした考え方が、フ=サァンには根強くあったらしい。

 したがって王家や上級貴族たちの――とりわけ男児は、成人になるかげんぷくが近付くと、こぞってナーガヒルの森に集った。

 一八年前、ナーガヒルを訪れた一九歳の青年、ジョウ・フ=サァンもそのひとりであった。

 当時の第四王子である。

 ここからの経緯は、ミーオ本人から何度も詳しく聞かされた。

 エリナー自身、お気に入りの寝物語だった。

 「王子様のお話して」。

 ベッドに潜り込んだあと、何度も母にねだった記憶がある。

 結論として、母ミーオはジョウ第四王子にめられたのだった。

 そしてもった。

 こうして一〇ヶ月後に誕生した女児こそ、他ならぬエリナーである。

 もちろん、ナーガヒル村はしんかんした。

 騒然となった。

 当然である。

 ジョウ・フ=サァンがミーオに入れ込んでいたことは、誰しもが知っていた。

 エリナーが第四王子の子をたまったことも、よって公然の秘密であった。

 それほど、王子は開けっぴろげでだった。

 完全にミーオに入れげ、熱に浮かされていた。

 誰の目にも明らかだった。

 元々、彼には隠す気すらなかったのである。

 あろうことか、去り際「迎えに来る」と公言しさえしたのだ。そこは疑う余地もない。

 御付が止めるのも聞かず、ミーオに王家の紋章入りの短剣をした現場すら、村長をはじめ何人もの関係者がはっきりと目撃していた。

 むしろ彼らに証人となるよう命じ、ミーオに「フォウサルタン」の姓を名乗る栄誉を与えたのだった。

 空前絶後の大事件だった。

 村の娘が王族に目をかけられた。子を産んだ。

 上層部は目の色を変えた。

 たとえめかけでも良い。

 このまま本当にミーオが第四王子に輿こしれすれば……。

 彼らは何度もソロバンを弾いたことだろう。

 舌なめずりしながら夢想したに違いない。

 ――そうなればミーオは貴族だ。

 王子の血を引くエリナーに到っては正真正銘、王家の一員。

 フ=サァンの姫だ。

 場合によっては王位の継承権すら認められる可能性がある。

 必然、そのふたりを輩出したナーガヒル村は、中央に太いパイプを持つことになるであろう。

 ミーオは出世したからと故郷をないがしろにする娘ではない。

 彼女――あるいは成長したエリナーにたん願すれば、これからは様々な要望が通り得る。

 特例や優遇が受けられるかもしれない。

 こうして、ミーオとエリナーはにわかに村の特別な存在となった。

 隣人たちから貴人と同等の扱いを受け、に近いものとともに一定の敬意を払われた。

 村長を超える頂点とみなす者も少なくはなかった。

 もちろん、こうした状況の変化を誰もが歓迎したわけではない。

 村長の娘は、その象徴だった。

 ミーオより四年早く生まれた彼女は、コミュニティにおける最大の権力者の家系ということもあり、早くから独自の価値観を形成するに到っていた。

 つまりは、自分を特別な存在――村の女王であると認識していたのである。

 実際、彼女はそれに相応しい知性と美貌を兼ね備えていた。

 なにをするにも一番であったし、周囲の者もそれを認めていた。

 ミーオが生まれてくるまでは。

「彼女は一番だったんだよ。でも、ミーオさんが大きくなるとねえ。相手が悪すぎた」

 エリナーはそんなつぶやきを、周囲の大人から聞いたことがある。

 村長の娘から見ても、ミーオの美貌は明らかに次元が違ったらしい。

 なにより四歳若かったのも大きかったのだろう。

 村長の娘が先に歳をとり、家庭を持ち、肌の張りに少しずつ衰えが出てきた二三歳の頃、ミーオは輝くばかりの一九歳だった。

 村長の娘が独占してきた男達の瞳は、全てがミーオに奪われた。

 第四王子すらも例外ではなかった。

 いつかこの美貌が、森に狩りへ訪れる高貴なるお方の目に止まり――

 夢に描きながら夢に消えたそんなおときばなしを、ミーオは難なくその手に掴み、現実に変えようとさえしている。

 当時、村長の娘は荒れに荒れていたという話もある。

 確か、耐えかねた最初の夫が音を上げたせいで、離縁となったのもこの頃であった。

 もちろん、彼女は限られた少数派だった。

 村人の多くはミーオとエリナーの存在と成功を素直に祝福してくれた。

 きっと、村の希望を託していた部分もあったのだろう。


 風向きが変わったのは、その四年後だった。

 第四王子が結婚したのである。

 相手はもちろんミーオではなく、東部の大貴族の公女であった。

 村人とて、ミーオが第四王子の正妻になれるとは考えていなかった。

 だが、エリナーが生まれてからもう四年。

 迎えに来るという約束はいつ果たされるのか。

 そろそろ焦れを感じ始めてきた矢先の出来事だった。

 それからもう四年経っても、第四王子が村を再び訪れることはなかった。

 その間、彼は二人目の妻を迎えてさえいた。

 あの話は、にされたのではないか――?

 この頃になると、村人たちの態度が露骨に変わり始めた。

 絶世を冠するべき美貌こそいまだ健在なれど、ミーオももう三〇歳近い。

 このまま彼女を担ぎ上げ続ける意味はあるのか。

 まだそれだけの価値は残っているのか。

 エリナーの記憶にある母ミーオは、それでも頑なにジョウ王子を信じていた。

 不安に思うことは確かにあっただろう。

 だが、いつか――きっと。

 本当にそう思っていたように見えた。

 だが、エリナーが一〇歳にもなると、周囲は明らかに見切りを付け始めた。

 前後して、ミーオが体調を崩し、とこしがちとなったのも大きい。

 ――ごくつぶし。

 泥棒。

 詐欺師。

 影でささかれるようになった。

 村長の娘はもっと直接的だった。

 再び自分の元に女王のかんむりが戻ったと考えた彼女は、露骨にミーオをおとめ、なじった。

 食料や日用品の交換に応じぬよう、有力者たちに手を回す等、露骨な嫌がらせも目立ちはじめた。

 同調する者の数も日増しに増え、そのるいが幼いエリナーにまで及ぶのにも時間はかからなかった。

「ジョウ殿下のことをうらんではいけませんよ――」

 周囲からの迫害に泣いて帰った娘に、母は幾度となくそう言い聞かせた。

 彼女自身、そうやって心を支えていたのかもしれない。

「王族がしょ民を迎え入れるというのは簡単なことではありません。時間がかかることなの。高貴な方々のなさることには、常に深いお考え、深い意味があります。

 きっとジョウ様は私たちを試しておられるのよ、エリナー。何事も辛抱強くたえしのぶことができるか。自分のそばに置くに相応しい資格を持っているか。試練を与え、きっと試しておられるのよ」

 それからしばらく、村長が死に、だいわりがあった。

 末子相続の風習がある村では、慣例どおり最年少であった一八歳の末弟が家長の座についた。

 彼は有力者たちの同意を得て、同時に村長の座も継いだ。

 一連の流れで彼の姉である、元村長の娘は発言力を増した。

 彼女は早々に、ミーオへの援助を打りを正式に決定した。

 周囲の有力者たちからも異論は出なかったという。

 もう王子はミーオの元に戻らない。

 ついに村全体がそう結論を出したのだ。

 時を同じくして、ミーオの病が急激に悪化しはじめた。

 呼吸に雑音が混じり、一日中咳き込むようになった。

 その酷さにのどが切れ、唾液に血が混じる。

 食欲も目に見て落ちた。

 「食べ物が減らなくなるから良いことよね」。

 母は笑ったが、エリナーは隠れて泣いた。

 頬のこけた母の姿は、幼子の目にも衰弱が明らかだった。

 死がちらついていた。

 このままでは近く母を失ってしまう。

 そうしたらどうなるのだろう?

 一二歳の少女にとって唯一の肉親との死別は、世界の終わりそのものに感じられた。

 不安は、胸にじわりと広がっていく黒い毒のように、精神をむしばむ。

 エリナーは毎晩、震えながら眠りに就いた。

 ――病は肺。

 価格は張るが、相応の回復役ポーションを買えば治る。

 医療師はそう認めたが、フォウサルタン家にはもうたくわえがなかった。

 もちろん、下賜された短剣を売れば金は作れただろう。

 しかし、ミーオはかたくなにそれを拒んだ。

 そうすればたちまち経済的困窮から抜け出せたであろうが、身体を売ることも断固としてしなかった。

 ジョウ様が迎えに来て下さったとき、どう顔向けできましょう? そう主張して、咳き込みながらはたり、病身に鞭打ち農作業に出た。

 エリナーも家計を助けようと懸命に働いたが、やはり限界があった。


 恐れていた悪夢が現実になったのは、その三年後だった。

 今から二年前。

 エリナーが一五の時である。

 ミーオが遂に他界した。

 その最後は凄惨の一言に尽きた。

 呼吸もままならない苦しみと、断続的に全身を襲う激痛。

 これらがむしばんだのは生命だけではない。

 精神も同様であった。

 エリナーも苦しんだ。

 生活ももちろんだが、過酷な闘病生活が母の性格を変えてしまったことが何よりつらかった。

 けったんを吐き、喉をきむしって苦しむミーオは、娘につらく当たるようになった。

 あの美しく穏やかで優しかった母がひんぱんに声を荒げる。

 時に物さえ投げつけられる。

 痛みと苦しみが性格を歪めてしまったとしか思えなかった。

 愛した母が、誰か知らない別人になってしまったように感じられた。

 だが、今思えば、それもまだマシな状態だったのかもしれない。

 なぜなら末期のミーオは、ベッドの上で常にでき寸前の苦しみを味わっていた。

 吸っても吸ってもまるで呼吸ができない。

 休まることなくそんな地獄が続く。

 喋ることも、寝返りを打つ体力すらなくなり、その瞳は生きながらにして屍人のそれとなっていった。

 死がようやく彼女を苦痛から解放してくれたとき、エリナーは目の前が真っ暗になるような絶望、胸が張り裂けそうな喪失感、耐えがたい悲哀と同時に、どこかで安堵もした。

 これでもう、お母さんは苦しまずにすむ。

 その姿を見ずにすむ――。

 そして同時に、母の死に安心してしまった自分のみにくさを嫌悪した。

 あとで知ったことだが、この時期、中央ではちょっとした政変がおこっていたらしい。

 王家に一番新しく生まれた、生後八ヶ月の女の子――末姫が病没したのだ。

 エリナーの村がそうであったように、フ=サァンではその家で最後に生まれた子が親の財産と地位を受け継ぐ。

 いわゆる末子相続が一般的であった。

 この文化は、ぐんゆうかっきょしていた乱世のごりだという。

 フ=サァンがかつて何十もの小国に分かれ、互いに侵略を繰り返していた時代。

 争いに敗れた国の指導者は慣例として自分の首か、妻を差し出すことで勝者に服従の意を示し、一族の皆殺しを避けたという。

 一方、征服者はそうして得た女を人質として、また戦利品としてめかけとするのが普通だった。

 しかし、その女は前の夫の子を腹に宿している可能性がある。

 そのため、念を入れて最初に生まれてきた子には継承権を与えない。

 その次に生まれた、確実に自分の子と分かる者にのみ次代を担う可能性を認める。

 首長たちは、なにかの間違いで自分と血の繋がらない子に自分の国を与えてしまうことを避けたのである。

 この考え方が時を経て末子相続の思想に到ったのだ、とエリナーは聞いていた。

 そうした中、現フ=サァンの末子が死んだ。

 その子の上には八歳の第五王子がおり、彼が入れ替わりで末子となったのだ。

 王位継承権第一位の移動。

 すなわち新しいこうたい誕生の瞬間だった。

 これにより、にわかに注目されるようになったのが第四王子ジョウ殿下だった。

 皇太子となった第五王子の一つ上に位置するのが彼だ。

 これでもし幼い第五王子の身になにかあれば――

 その時は、フ=サァンの伝統に従い、ジョウ殿下がこの国の次の王となる。

 それでなくとも、末子が幼いうちに王位を継いだ場合、そのすぐ上の兄姉が補佐としてこれを支えるのが慣例だ。

 必然、第四王子はどの道、大きな権力を握ることになる。

 焦ったのは、ジョウ殿下に嫁いだ二人のきさきたちであった。――そう聞いている。

 彼女たちとジョウ殿下の間には、まだ子がなかった。

 今まではそれでも良かった。

 だが、自分たちの夫が第二位に繰り上がった今、子どもの存在は大きな意味を持つ。

 いずれ中央から離れ、ほとんど分家のように扱われることになる継承権三位。

 中央に残り、王家で大きな実権を握ることになる二位。

 両者には天地の差があった。

 自分の産んだ子が、この国を背負う存在になり得る。

 場合によっては、王座にすら――

 女達が野心をたぎらせるには充分な状況と言えた。

 だからこそ、后たちは思い出したのだった。

 無視していたある人間の存在が、ここに来て大きな意味を持ち始めたことに気付いてしまったのである。

 若かりし頃の第四王子が、とある村娘に生ませた庶子。

 エリナー・フォウサルタンである。

 特に、ジョウ王子の第二夫人カーラーは、気位が高く、また嫉妬深い性格で知られているという。

 これまでは目をつぶっていたエリナーの存在が、いよいよ我慢ならないものに変わったとしても驚くには値しない。

 実際、それから起った災難は、そんなカーラー妃によってもたらされたのではないか。

 エリナーはそう考えていた。

 もちろん、真実は別にあるのかもしれない。

 末子相続である以上、彼女が王子との間に子をなせば、エリナーの存在など笑い飛ばせる。

 カーラーはまったく関与しておらず、何か別の力が働いた可能性もあった。

 正確なことは分からない。

 だが、母ミーオが亡くなって数年後のある日、エリナーが何者かに襲われたことは事実だ。

 襲撃は深夜に起った。

 その頃のエリナーはせきひんも極まり、寝る間も惜しんで働かねばならなかった。

 夜のとばりが降りても、月明かりを頼りに布に刺繍をする。

 そうして縫い上げたものを、わずかばかりの食料と交換してもらう。

 それが日常だった。

 だからだろう。

 侵入者は草木も眠る陰の五刻まで待ち、エリナー宅に現れた。

 確実に就寝している時刻を狙ったのだ。

 不運だったのは、巻き込まれた親友である。

 あるいは、あえて彼女が一緒である時が狙われたのか――。


 エリナーにはたったひとりだけ、友人がいた。

 水車小屋を営む一家の娘、リロイ・タレンである。

 他の村でどうなのかは知らない。

 だが、少なくともナーガヒル村において水車小屋の住人はせんみんだった。

 彼らの人間性に問題があるのではない。

 忌まれているのは仕事だ。

 農民から麦などの収穫物を預り、水車の動力で粉に変える――すなわちせいふんは、古くから農民の憎悪の対象だ。

 水車小屋の主――こなきは、自分では農作物を育てない。

 持ち込まれた麦を粉に変え、その際に手数料をとることでもうけを得る。

 これこそが、村人にみ嫌われるえんである。

 他人の血と汗の結晶をかすめ取るかのような手数料収入を、農民は酷くさげすむ傾向にある。

 それは恥ずべき、浅ましい行為であるという考えが根強いためだ。

 製粉の作業にしても、粉挽きが汗水垂らし、自力でうすを回しているなら、まだ理解のしようもある。

 だが、水車を動かしているのは川の水流なのだ。

 その上、かれた麦粉を受取ると、農民はいつも「この程度か」という思いに駆られる。

 荷馬車に山積みして運び入れた麦が、いざ粉にすると袋に詰めて、両手で抱えられる程度になっている。

 目方を誤魔化しているのではないか――?

 村人に言わせれば、水車小屋の粉挽きは裏でなにをしているか分からない詐欺師であり、ぬすっだ。

 そもそも、粉をくなら自分たちでやりたい。

 自分たちで水車を造り、手数料など払わず済ませたい。

 それが農民側の本音だ。

 だが、それは国、あるいは領主によって法で禁じられている。水車に関する権利は、粉引きに独占的に与えられている。

 なけなしの収穫から国に税を取られ、神殿に税を取られ、粉挽きには手間賃を取られる。

 いざ粉からパンを焼こうとすれば、その権利すらも法でパン屋に独占され、また手間賃を取られる……

 村人の不満は疑心暗鬼を呼び、結果として水車小屋の住人は蔑視と嫌悪の対象とされた。

 川のほとりに住まう彼らは、村の一員としては決して扱われなかった。

 そんな疎外感が、エリナーとリロイ・タレンとを結びつけたのは、むしろ自然な流れであったのかもしれない。

 ふたりは互いの境遇に親近感を抱き合い、それ故に助け合い、そして親友と認め合う間柄になった。

「――ねえ、リロイはなんで私を助けてくれるの?」

 いつだったか泊まりに来た彼女に、思い切ってそう投げかけたことがある。

「なに、突然」

 リロイはくすりと笑い、だがエリナーの目に何かを感じ取ったのだろう。口元に微笑の欠片を残したまま「どうしたの?」と優しく言った。

 実際には、突然でもなんでもなかった。

 リロイは、いつその質問をされてもおかしくないほど、常にエリナーの助けになってくれていた。

 特に母の死後はそれが顕著だった。

 村人からの冷遇が決定的になり、日用品の売買や交換を拒まれるようになると、リロイの存在が生命線になった。

 間に入って交渉や取引を代行し、エリナーが必要な物を手に入れてくれたのが彼女であったのだ。

 リロイ自身、粉挽きの娘だ。

 決して村から良い印象を持たれていたわけではない。

 時に彼女は、エリナーが預けた金や物だけでは目的の得られないことがあった。

 そんな時は、自分のふところからこっそり金を足し、なんとか取引をまとめる――そんなこともしていたらしい。

 リロイはそんな素振りはおくびにも出さなかった。

 「譲ってもらえたよ」。

 何事もなかったような笑顔でエリナーのもとに荷物を届ける。

 ただそれだけだった。

 礼の言葉は受取ったが、それ以上の対価は頑として受け付けなかった。

「――みんな、村の人たちは、お母さんが死んでから……ううん、死ぬ前から……遠ざかって。私の味方になってくれる人なんていなかった。リロイだけだよ。こんなに良くしてくれるの」

 言って、改めて繰り返したのを、エリナーは今でも覚えている。

 どうして、ここまでしてくれるの?

「エリナーちゃん、ほんとに分からないの?」

 リロイの見せた意外そうな顔は、それこそ意外な反応だった。

「だって、私、リロイにこんなに良くしてもらえるようなことしてないよ」

「ううん。したよ。してくれたよ」

 今度はエリナーがいぶかしむ番だった。

 その様子を見て何か察したのだろう。

 どこか寂しそうに、それでいて嬉しそうにリロイは目を細めた。

「水車小屋の娘だって、私と遊んでくれる子なんていなかったよ。小さな頃から、私はずっと一人ぼっちだったよ」

「うん……」

 それは初めて聞く話ではなかった。

 水車小屋には近付くな。

 あそこに住まうのは普通の人間ではない。

 あれは村の「外」だ。

 奴らの領域だ。

 村では起らないことが起り、村では許されないことが行われる場所だ――。

 村の子どもがそのようにしつけられることも知っていた。

 厄介なことに、これはあながち間違いとも言えなかった。

 水車小屋は領主に保護された特殊領域で、一種の治外法権が保証されていた。

 また、水車小屋の主には一種の裁判権も与えられており、死刑執行人――けいの役割を兼任することもあった。

 これらの事実が、水車小屋が非日常に属する陰気な領域だとみなされる要因となっていたのだ。

「だからね、村の子たちが皆で遊んでるの、遠くから見てるだけだった。見つかったらいじめられるから側にはいけなかったけど……

 でも、楽しそうな声が聞こえるからどうしても気になって、隠れてちょっとだけ近付いて、良いなあって思ってこっそり見てたよ。私も村の子に生まれれば一緒に遊べたのにって、毎日思ってたよ」

「村の子じゃなくても大丈夫だったじゃない。私たち、一緒に遊んだじゃない」

「うん。そう。エリナーちゃんだけが、私のこと苛めなかった。エリナーちゃんだけが、一緒に遊ぼうって言ってくれたんだよ。

 私、びっくりして最初は喋れなかったよ。なんでこんな妖精みたいに綺麗な子が、私のところに来てくれたんだろうって。夢を見てるみたいだったよ。こんなに綺麗で優しい人が本当にいるなんてって。物語の中に入り込んじゃったみたいで、ふわふわしてたよ」

「そんなこと……思ってたの?」

 エリナー自身は、特別なことをしたつもりはなかった。

 辺境の農民でしかなかった少女が、なにかの間違いのような出会いで王族に見初められ、ただそれだけで生活が一変した――。

 そんな母の物語を聞いて育ったがために、世界が思いもよらぬところで反転、裏返り得ることを知っていたに過ぎない。

 つまはじき者が英雄や象徴になる。

 逆に、きらびやかな世界の住人が急転直下で賤民に落ちぶれることもある。

 ならば、水車小屋の娘として生まれてきたから、それがなんなのだろう。

 第四王子の庶子として生まれてきたから、どうだというのだろう。

 運命は人を変え、そして人は先に待つ運命を知ることはできない。

 要は、生まれで人を見極めることが、エリナーにはいかにもはかなく感じられていたのだった。

「私はただ、リロイが好きだっただけだよ。一番気が合ったし、遊んでて一番楽しかったから。友だちの中で一番好きだと思ったから。

 だから一緒にいたいと思ったの。助けてあげたいとか、そういう優しい気持ちでそうしたわけじゃなくて、ただ自分の好きにしただけなのに」

「エリナーちゃんはそれが良いんだよ。特別なことをしてるつもりなんてないのに、誰よりも優しい」

 それが優しさだとは今でも思えない。

 ただ、水車小屋の娘であるというだけで嫌がらせを受けると、エリナーが傷ついたリロイを自宅に招いてきたのは事実だった。

 沈んだ彼女を抱きしめて、姉妹のように一緒の寝台で眠った。

 やがてそれは習慣となり、何がなくともエリナーはリロイを自宅に招待するようになった。

 そんな日々がリロイとの間で、唯一無二の絆を育んだことは間違いない。

 その日がちょうど、リロイが家に泊りに来る日――二人の間で言うところの「約束の日」――と重なってしまったのは、だから本当に不運であったとしか言いようがない。

 月に一、二度程度のこの習慣が、彼女の人生を狂わせてしまったのである。

 全ての元凶たる侵入者に関して分かっている事は、今でもごく限られている。

 何者だったのか。

 性別、種族。

 人数……

 ただ、恐ろしく手際の良い者たちであったことは間違いない。

 実際、そのせいでエリナーに意識があったのは一瞬のことだった。

 リロイと寄り添いあって眠っていたところを、唐突に襲われた。

 そして、ほとんど悲鳴を上げる間もなく、一瞬で意識を刈取られたのだ。

 次に気付いた時、そこは深い森の中だった。

 既に夜は明けていたが、鬱蒼とした木々が頭上の陽光を遮り、周囲は薄暗かった。

 そしてかくするようなけんそうに満ちていた。

 遠くから絶え間なく木霊してくるのは、ハチの羽音さながらに本能的恐怖をかきたてる恐ろしい獣の鳴き声だった。

 時おり――これも彼方から轟いてくる――途方もなく巨大な生物の歩行音という名の地響き。

 それに怯えるようにどこからか一斉に飛び立つ何かの群れの羽音。

 木漏れ日を遮るように、頭上を通り過ぎていく奇形のシルエット。

 その全てが色濃く死を暗示していた。

 ほとんど恐慌状態で周囲を見回すエリナーは、近くにリロイが横たわっているのを見つけた。

 一瞬、歓喜に胸が高鳴ったが、それはすぐに氷のナイフで心臓を突かれたような恐怖に変わった。

 目を閉じたまま、ぴくりとも動く気配がなかったからだ。

 まさか――

 最悪の想像にうなじが総毛立った。

 両手両膝を地に突いたまま、這いずるようにそちらへ向かった。

 幸いにも最悪の想像はゆうだった。

 ただ眠っていただけらしく、呼びかけるとリロイはすぐに目を覚ました。

 ふたりはまさに着の身着のままだった。

 就寝用の薄着一枚に素足。

 母を亡くしてから、寝るときは必ずお守りのように抱いて眠ることにしていた王家の短剣だけが唯一、手元にあった。

 他には何もなかった。

 今いるのがどこなのかも分からないありさまであった。

 悪い夢を見ているのではないか――?

 何が起ったのか。

 どうして自分たちがこんな目に遭わされたのか。

 誰がそれを望んだのか。

 何も分からない。

 不安と恐怖に押し潰されそうで、リロイと抱き合ってふたり泣いた。

 森の深部とは、充分な準備と経験なくして生きて帰れる場所ではない。

 魔物と獣が徘徊する異界。

 闇の領域なのである。

 それは雪山での遭難や地下迷宮でのしつ、島影すら見えない大海原の漂流と何ら変わらなかった。

 死は既に確定している。

 あとはそれが早いか遅いかの違いしかない。


 それからのことは、思い出したくもない。

 恐らく、その森はならず者たちの縄張りだったのだろう。

 手を繋いでまよい歩くエリナーとリロイは、一刻もしないうちに武装した男達にそうぐうした。

 獣のように双眸をぎらつかせた、一見してそれと分かる野盗の集団であった。

 亡き母と親友のリロイしか知らないことだが、エリナーは幾つか力の弱い封貝を使える。

 加えてこの時、手には形見のナイフもあった。

 だが、その時は戦おうなど、考えもしなかった。

 心底怯えきり、硬直してなにもできなかった。

 真っ白だった。

「エリナーちゃん、逃げて!」

 そんなリロイの叫びを聞いたような記憶もあるが、あれは果たして現実であったのか。

 ほとんど何も分からないままただ狼狽え、気付いた時には男のひとりに組み伏せられていた。

 リロイはもう少しマシな立ち回りをしたのかもしれない。

 だが、所詮は多勢に無勢。

 遅いか早いかの違いはあれ、結果はエリナーと変わらなかった。

 不幸中の幸いがあったとすれば、彼らにも相応の知性と理性があったことだ。

 既に一仕事追え、戦利品を相手に夜通し楽しんだ帰り道ということも大きかったのかもしれない。

 どうあれ、連中はエリナーのナイフに気付いた。

 正確にはそこに刻まれている紋章が、王家のものであることを理解したのだった。

 連中の顔つきがいきなり変わりゆくあの時の様は、今も記憶に残っている。

「お前、昨夜あれだけ散々やったろう。まだそんな元気あるのか」

「ああ? 馬鹿か手前。見ろ、この女。こんな上玉そうそうお目にかかれねえぞ。こんな極上の女見たら枯れた爺だって蘇るぜ」

 粗野な笑みと血走った目でそんな軽口をたたき合っていた彼らの顔から、すとんといきなり表情が抜け落ちたのだ。

「女。お前……これどうした。お前の物か?」

 底冷えする低い声で問われた。

「てめえ、王家(ゆかり)のモンなのか」

 だが、それは到底一口に答えられるような話ではなかった。

 なにより怖かった。

 歯の根が合わず、口内でガチガチと音を立てていた。

「おい、こっちはいてんだよ」

 凄みのいた小声から、いきなりの怒号だった。

「答えねかコラァ」

 胸ぐらを掴まれ、息が詰まるほど乱暴に揺さぶられた。

 震えて嗚咽しながら、エリナーはたどたどしく、だが全てを話した。

 そうしなければ想像もできないほど酷い目に遭わされ、くびり殺されると思った。

 その判断は少なくともあくしゅではなかったらしい。

 一通り情報を得た野盗たちは、思いのほか丁重な――あくまで彼等なりの――扱いで、エリナーたちを拠点に運んだ。

 途中、目隠しはされたが、特にこうそくはされなかった。

「王族の関係者はさすがにまずいんじゃねえのか」

「しかし、奴らとは持ちつ持たれつだろう? 俺たちは契約守ってきっちりおかみからりてくる仕事をこなしてる。理由も聞かず、目的も聞かず、黙って(しゅく)(しゅく)とよ」

「その対価の特権が、奴らの血縁に手ぇ出した時にまで通用すると思うか」

 そんな会話も、だから部分的には聞くことができた。

 否、あえて聞かせていたところもあったのだろう。

 その内容は、彼等が野盗でありながら中央と繋がりがある事実を、露骨に主張していた。

 すなわち、国家公認の野盗――。

 その存在は、フ=サァンにも広く知られていた。

 田舎育ちの小娘の耳にすら入る程度に、である。

 さすがに成立経緯などまでは詳しくないが、彼等が王家から様々な特権を認められていることは有名だ。

 その意味では、本人たちがしばしば自称する〈盗賊ギルド〉という表現は間違っていない。

 現実、殺人など許可されない重罪に手を染めない限り、連中が何かの罪に問われたという話は聞かない。

 衛兵も彼等が関係する案件には手を付けない。

 事件化しないのだ。

 もちろん、こうした特権は無条件に与えられているのではない。

 代わりにこの特殊な盗賊たちには、星の数ほど存在する野良の盗賊たちを取り締る義務が課せられる。

 彼等は盗賊を狩る盗賊なのだ。

 そしてもう一つ。

 王家や高位の貴族から様々な依頼を受け、その汚れ仕事を引き受ける義務もあるともいう。

 政敵の暗殺から不穏分子を排除するための裏工作。

 噂には血生臭い仕事を手がけることもあると耳にする。

 だから、お前たちは逆らえない。

 逃げられない。

 俺たちの後ろには国家がついていることを忘れるな――。

 つまりはそうしたことを思い知らせることで、抵抗の意志をごうとした。

 今ならそんな風に分析もできる。

 事実、当時のエリナーとリロイは、自分たちが何者のとりことなったのかを知った瞬間、震え上がった。

 野盗どもの目論見通りに絶望するしかなかった。


 野盗が根城にしていたのは、古くそれでいて頑強な石作りの建造物だった。

 恐らく、国中に点在するという戦後に廃棄された砦の一つであったのだろう。

 リロイとはそこで引き離された。

 後に断片的に入手した情報を総合すると、彼女は近くにある織物工場に回されたらしい。

 何百人という子ども、女性をだだっ広いだけの空間に押し込め、ろくな休息も栄養も与えず、すり切れるまで延々とはたらせる。

 そんな場所だ。

 もちろん労働と言っても対価は一切与えられない。

 早朝から夜まで働かされ、仕事が終われば隙間風の吹くやすしんに、家畜のごとくぎゅうぎゅうに押し込まれる。

 一人用のベッドをようやく置ける空間で、二人ないしは三人が半分重なり合うように眠るのだ。

 彼らは劣悪な環境でただ労働力だけをしぼり取られる、とどのつまりは奴隷であった。

 一方、エリナーに与えられた役割は少し毛色が違った。

 鍵付きの部屋に閉じ込められはしたが、食事はそれなりに与えられたし、部屋付きのベッドは多くの場合、一人で使えた。

 だがもちろん、それは花の咲き乱れる庭園で午後のお茶――といった待遇からはほど遠いものでもあった。

 盗賊たちの間でどういった判断があったのかは分からない。

 だが、彼等はエリナーを決して客としては扱わなかった。

 泣いて懇願したが、王家の短剣も取り上げられた。

 そして、野盗にかどわかされた若い女性が経験し得る苦難が、エリナーにもまた与えられた。

 何度も死のうと思った。

 だが、できなかった。

 自分とリロイが互いに人質として機能していることを承知していたからだ。

 自分が反抗的姿勢を見せれば、そのとがは一緒に捕らわれた友人にも及ぶ。

 責任は連帯する。

 巻き込んでしまった手前、これ以上、リロイに迷惑はかけられない。

 それに、自分はまだマシだ。

 エリナーはそう考えていた。

 手持ちの封貝を使うことで、被害は最低限に抑えている。

 これがただの娘であったなら、捕らわれの生活はもっと悲惨なものになっていたであろう。

 リロイのことがあってさえ、耐えられなかったかもしれない。

 だが、エリナーは移動ヴィクター系を欠くものの、一通りの封貝を揃え持っていた。

 そのことを知る者が集落の中でさえ極めて限られていたのは、絶対に隠すようにという母の厳命に従っていたからだ。

 これ以上、村で特別視されると、どこにどんな敵を生むか分からない。

 特にお前の能力は人を傷付けこそしないが、人に恐れられるものなのだ。

 いつも優しい母に険しい表情でそう説かれれば、幼心にもそういうものなのだと思ってしまう。

 実際、エリナーは全封貝使いで三割から四割の所持率と言われる切り札(リーサル)封貝フォックスにも覚醒しており、その能力は確かに母の言う通りのものであった。

 一日に一度、一つの精神に強力な暗示をかけられる。

 具体的には、それがエリナーの異能だ。

 ある程度の知能を有していれば動物にも有効な、いわゆる精神操作系の能力である。

 人の心を弄ぶ忌むべき能力。

 卑怯な力。

 そう信じ、生まれてこのかた四度しか使ったことのなかったこの力を、囚われの身となってからのエリナーは躊躇なく使うようになっていた。

 自分の――リロイの身を守るために、選択の余地はなかった。

 たが、封貝の効果はいつも完璧とはいかなかった。

 リーダークラスを運良く支配下に置ければ、命令系統を通して下々にまで効果を浸透させることができた。

 しかし、相手が下っ端であれば、暗示の効果は波及しない。

 また、対象が一名に限られるため、一度に複数を相手にすることになると暗示自体をかけられないか、かけてもすぐに解けてしまう。

 何より効果は一日前後であるため、使い所を常に考えねばならなかった。


 エリナーの監獄には窓がなかったため、砦にいた期間が具体的に何日であったのかは分からない。

 なんであれ、終わりの日は突然やって来た。

 どのような紆余曲折を経てか、盗賊たちがエリナーの売却を決意したのだ。

 リロイは一緒ではなかった。

 暗示をかけた者たちの話によると、彼女はエリナーほどの商品価値を見出されなかったらしい。

 というより、ほとんど忘れられた存在だった。

 他の子どもや娘たち同様、工場で働かされる消耗品の一つとみなされているのである。

 一度組み込んだなら、歯車を移動させる必要はなくなる。

 別の仕事を与える必要もまたしかりだ。

 むしろそれらは手間ですらあった。

 次に盗賊たちが彼女という個に目を向けるとしたら、それは歯車として機能しなくなった時。

 すなわち死が訪れた時なのだろう。

 リロイがそんな歯車であるならば、エリナーはさしずめ人形であった。

 盗賊たちに命じられ、沐浴して新品の服に着替えた時――そして専門の運び屋に引渡された時、エリナーはそのことを理解した。

 自分の運命を知った。

 つまり、どこかの富豪や貴族に買われ、性的な嗜好品として扱われるのだ。

 一生涯そうして生きるのである。

 人間性を無視されるという意味では、人形と歯車に大した違いはない。

 どうあれ、リロイと遠く離れることになるのは辛かった。

 先に待ち構える地獄も恐ろしかったが、親友を失うことはもっと現実的な絶望だった。

 不思議なことに、エリナーを引き受けた運び屋に護衛はいなかった。

 盗賊たちが何人かついてくるかとも思ったが、これもなかった。

 運び屋は見たこともない形、意匠の馬車に乗っており、これが単独で仕事をできる理由になっているようだった。

 だが、それはあくまで外部からの脅威に対抗する手段でしかない。

 内部からの襲撃には、ほとんど無力であった。

 彼らはまだ、エリナーが封貝使いであることに気付いていないのである。

 対抗グループの野盗や魔物からの襲撃には備えているが、エリナーが反乱を起こし力尽くで逃げ出すことは考えていない。

 加えて見張りはおらず、相手はただ馬車を動かす運び屋ただ一人ときている。

 千載一遇のチャンスと言えた。

 ――この機会を逃せば、もう一生逃げられなくなる。

 馬車に揺られ始めてしばらく、未契約ブランク化された奴隷首輪に触れながら、エリナーはその事実を理解した。

 自分もリロイも。死ぬまで誰かの玩具にされる。

 二度と人間には戻れない。

 だったら……

 休憩に立ち寄った村でエリナーは決断し、そしてけに出た。

 運搬中は傷をつけない限り、お前をある程度、自由にしていいことになっている――。

 にやつきながら荷車の扉を開けて運び屋が迫ってきた時など、むしろチャンスとしか思わなかった。

「――最終決戦封貝リーサル・フォックス

 迷うことなく切り札を使った。

 運び屋はしたたかで経験ある裏社会の住人ではあったものの、封貝使いではなかった。

 装備品で対策はしていたようだが、リーサルフォックス相手では山火事にコップの水で立ち向かうようなものである。

 効果はたちまちあらわれ、彼は即座に深い催眠状態に陥った。

「あなたは、私を踏みにじり充分に欲望を満たしました」

「あなたはそのことに大変満足していています。それは、対価として私に可能な限りの便べんを図ろうと考えるほどに大きなものでした」

「私からの質問には知る限りのことを答え、必要とされた物は少し無理をしてでもそろえなければなりません。そうするくらいの物をあなたは得たと感じています。分かりますね?」

 運び屋がぼんやりした表情で首肯するのを確認すると、エリナーは早速、彼から情報を引き出しにかかった。

 我々はどこにに向かっているのか。

 問うと、寝起きのようなぼんやりしたかすれ声が「首都ネクロス」と答えた。

 催眠下特有の反応である。

 そこで奴隷商に売るのか?

 そうだ。

 その後は?

 上客のみに売りに出す目玉商品として教育され、売られる。

 それは、具体的にどのような用途の奴隷であるか?

 コレクション。とぎ。拷問……買い手の嗜好にもよる。

 吐き気のこみ上げてくる口元を押さえ、エリナーは続けた。

 首都までの所要日数は?

 二日プラス予備日。状況によって多少変わる。

 途中で引き継ぎや荷の確認などがあるか?

 通常、そのようなことはない。最初から最後まで自分ひとりが行う。

 知っておくべき情報を全て引き出すと、エリナーはひとり考えた。

 そういう体質であったのだろう。

 運び屋には面白いように暗示がよくきいた。

 有り金をすべて渡すように言えば、ちょっとした額が迷いなく差し出された。

 宝飾品、装備品も提供させた。

 今後の活動資金として、これらはなんとしても必要なものだった。

 それからは普段通りに振る舞いつつ、予定通りネクロスまで自分を運ぶよう指示した。

 さすがにプロだけあり、運び屋は命令にしたがって終始危なげなく事を進めた。

 市壁をなんなく潜ると、エリナーの望んだ通り、安全な場所で馬車を停めた。

 聞けば秘密の隠れ家があるというので、あとはそこに可能な限り長く隠れているよう、仕上げの暗示をかけるだけで良かった。

 エリナーはこうして拍子抜けするほど簡単に――少なくとも当面の――自由を得た。

 商品だけでなく運び屋まで消えてしまえば、盗賊たちは状況の把握が困難になる。

 エリナーが逃げたことが明らかならば、リロイが連帯責任を負わされる危険も出てくる。

 だが、運び屋が同時に消えれば、事故や襲撃を受けた可能性を考えるでろう。

 酷いことはされないかもしれない。

 そのためにも逃げ続け、隠れ続ける必要があった。

 だが、長くはもつまい。

 冷静にそうも考えた。

 どうやら、エリナー・フォウサルタンの容姿は人目に付くらしい。

 しかも相手は筋金入りのプロである。

 加えてメンツの問題もあるのだ。

 血眼になって自分を探すだろう。

 受け身のままでは、いずれ尻尾を掴まれる。

 必ず追いつかれる。

 自分とリロイが真の自由を勝ち取るためには、逃げ切るのではなく、戦うことを考えねばならない。

 勝ち取らねばならない。

 ――とはいえ、運び屋から得た金は、しばらくの寝食には困らない程度のものでしかなかった。

 世間知らずの小娘からすれば、こんな時、頼れそうな存在としてはレイダーくらいしか思い浮かばなかった。

 だが、「国家公認の野盗集団から特定の少女を奪還してほしい」などという依頼に動くレイダーはいないだろう。

 仮に奇跡的に巡り会えたとしても、要求される報酬は莫大な額になるはずだった。

 だが、そんな金はどこにもない。

 力がない。

 力を得るための対価となり得る物もない。

 八方塞がりに思えた。

 それでもなぜだか、リロイを見捨てることは考えもしなかった。

 一度もである。

 彼女のことは、血を分けた姉妹のように思えていた。

 なんとしても――たとえ自分を切り売りしてでも――リロイだけは取り戻さねばならない。

 もとの世界、もとの生活に返してやる必要がある。

 そんな使命感にも似たなにかが、ごく当然のように胸の中にあった。

 だから、行動にも迷いはなかった。

 エリナーすぐにネクロスの連盟支部におもむき、依頼を出した。

 仕事の内容は少しボカした。

 馬鹿正直に書くと、恐らくは事の大きさにおののき誰もに避けられてしまう。

 本来は偽名にすべきであったのだろうが、考えた末、登録は本名で行うことにした。

 ほとんどレイダーを騙すような依頼内容だ。

 自分も相応のリスクを負うのが、せめてもの誠意であるように思われた。

 覚悟を決めていたため、自分自身を報酬として差し出すことについては、もう躊躇いはなかった。

 レイダーの助けは絶対に必要だが、一方でレイダーであればなんでも良いというわけにもいかなかった。

 もちろん、立場を考えれば、依頼を受けてくれるだけも誰であれありがたい存在ではある。

 しかし、彼らの中にはレイダー証をつけただけの野盗といった輩も多いと聞いていた。

 これが最後の――けんこんいってきの手なのだ。

 失敗は自分ばかりでなく、リロイの破滅をも意味する。

 相手は慎重に選ぶつもりだった。


 その考えが甘すぎたことは、すぐに気付いた。

 選ぶ以前、話に食い付いてくるレイダーが皆無だったのである。

 逆に、潜伏したの一角には、けんのんな雰囲気を漂わせたこわもてがうろつくようになった。

 勘違いでなければ、エリナーを追ってきた盗賊ギルドの追っ手であったのだろう。

 連盟支部に張り出された依頼書にエリナー・フォウサルタンの名を見つけ、早々に捜索隊を向けてきたのだ。

 もちろん実名を出した以上、この事態は想定していた。

 エリナーは付近住人に封貝で暗示をかけ、これに備えていた。

 彼らは追っ手に情報を求められたら、何か知っている素振りを見せつつ、一度は口をつぐむ。

 脅されたり、報酬をちらつかせて更にせまられた、仕方ないと言った様子で嘘の情報を流す。

 その内容はこうだ。

「最近、妙に容姿の目立つ若い女がこの辺りに住み着くようになっていた。だが、貧民窟はそんな小娘が安全に暮らせる場所ではない。

 早速、男たちに目を付けられ付きまとわれているのを見た。以来、その娘をこの辺で見た奴はいない」

「女を連れ去った男たち――? ここでは他人の素性を詮索しないのがルールだ。連中が何者であれ、詳しいことを知っているのは本人たちだけだろう」

 ――ほどなく追っ手はこれに引っかかったらしく、存在しない誘拐犯を捜して散り散りになっていった。

 その後も時おりエリナーの潜伏先付近をうろつくことはあったが、一時期と比較すれば数もひん度も激減していた。

 だが、肝心のレイダーも現れない。

 この事実はエリナーの精神を徐々にもうさせていった。

 ただ時間ばかりが無為に過ぎていく。

 そうしている間にも、親友は奴隷として命を削るようなえきを強いられている。

 運び屋から受取った金も減る一方だった。

 仕事を受けてくれるレイダーは現れるのか。

 このまま待ちの一手で本当に良いのか。

 この生活はいつまで続けられるのか。

 リロイはまだ生きているか。

 病気などしていないか。

 親友を奪還するなど、愚かな夢だったのではないのか……

 いっこうに見通しの立たない現状に、心がすり減っていく。

 嫌なイメージだけが膨らみ、動悸がとまらなくなる。

 ろくに眠れず、寝付いても悪夢に飛び起きる。

 そんな毎日が続いた。


 彼らが訪れたのは、そろそろ限界が見えはじめた頃だった。

 その瞬間のことは鮮明に覚えている。

 彼らは男女混成の四人組であった。

 一見して、屈強な封貝使いであるところのレイダーには見えない人々だった。

 鼻から上を覆うタイプの騎士兜が印象的な長身の男性。

 ただ歩く姿にもどこか気品を感じさせる、どこか貴族的な物腰の若い女性。

 この二人はまだ分かる。

 だが、あとの二人はエリナーと年齢も変わらないであろう子どもであった。

 おまけにどういうわけか、胸には灰色の猫を胸に抱いていた。

 およそ野盗の大集団を相手に立ち回れるようなチームには見えなかった。

 だが、エリナーの直感は真逆の結論を出した。

 ああ、この人たちだ――

 一目で、自分が探していたのはまさに彼らなのだと分かった。

 気付けば、エリナーは隠れ家から這い出て、駆けだしていた。

 本当ならもっと慎重に事を運ぶべきだったのだろう。

 だが、真っ白な頭では正常な判断など下せない。

 この人たちだ。

 来てくれた。

 うわごとのようにつぶやきながら、彼らの前に姿をさらした。

 飛び出した。

 四人の男女は、〈ワイズサーガ〉を名乗った。

 驚くべきことに、彼らは自分たちの宿にエリナーをまねいてくれた。

「ご飯もありますよ。お疲れみたいですからお風呂にも入ってもらって……」  

 そう優しく声をかけてくれた派閥代表は、ナンジョウ・カズマを名乗る少年だった。

 不思議な響きを持つ家名持ちで、黒髪に黒い瞳という見たこともない姿をしていた。

 一見、線の細い中性的な一〇代のようだが、封貝使いの多くがそうであるように、見た目通りの年齢ではないのかもしれない。

 何歳も年上に見えるメンバーを率いているのだ。

 その可能性は高いように思われた。

「食事の前に、まず風呂で汚れを落してはどうか」

 部屋につくなり、彼らにはそんな提案を持ちかけられた。

 耳を疑ったが、本気だった。

 風呂に入れ、食事を与える。

 頼みにくい仕事を押しつけるため、依頼人がレイダーをもてなすためなら、そんなこともあるだろう。

 だが、逆のケースは聞いたこともなかった。

 しかも、彼らは純粋に、善意で勧めているように見えた。

 そのことを直感的に確信できたからだろう。

 封貝で作られた不思議な風呂にかってしばらく、エリナーは知らぬ間にうとうとし始め、最後は熟睡してしまうという大失態を演じてしまった。

 今思い返しても、薄ら寒くなるようなかつさである。

 優しげであるとはいえ、良く知りもしない他人の住み処での話だ。

 断じて緊張の糸を切らすべきではなかった。

 しかも、一糸まとわぬ姿で眠りこけるなど正気のではない。

 もちろん、目が覚めた瞬間、エリナーは平身低頭してびを入れた。

 幸いにも、彼らは仕事の話もせぬうちに眠りこけるというこちらの非礼をこころよく許してくれた。

 笑顔と共に返った「気にしないで」の一言は、偽らざる本音からの言葉に感じられた。

 ワイズサーガと運命を共にする覚悟が決まった瞬間があるとすれば、この時だったのかもしれない。

 もはや疑いの余地なく、彼らの善意は本物だった。

 ワイズサーガのレイダーたちは、眠ってしまったエリナーを叩き起こすのではなく、一人分の追加料金を宿屋に支払い、そのまま寝かせておくことを選んでくれた。

 それだけではない。

 女性陣は眠るエリナーの髪と身体を綺麗に洗い、清潔な衣類に着替えさせ、寝台に運ぶまでしてくれた。

 目覚めたのは夜半近くであったが、「お腹が空いているでしょう」と夜食を提供してくれさえした。

 不覚にも涙をこぼしてしまったのは、彼らのかもしだすどこか場違いなほど家庭的で牧歌的な空気と雰囲気に、緊張の糸が緩んでしまったからだろう。

 エリナーは泣きながら礼を言い、そして話始めた。

 つつみ隠さず、全てを話した。

 今までリロイにしか伝えていなかったことまで、何もかもを打明けた。

「――それは、一昔前に貴族たちの間で流行っていた遊びの一種だな」

 恐らくは派閥の最年長だろう。

 寡黙そうな長身の男性が、話を聞き終えるなり低い声で指摘した。

 名目上のリーダーはカズマだとしても、彼の説得力のある一言ひとことには実質的な指導者としての力が感じられた。

「どういうことです?」

 エリナーを代弁するように、カズマが訊いてくれた。

「真夜中、眠っているところをいきなりさらい、森の奥深くに放り出す。同じやり口が少し前に流行ったんだよ。貴族の間でな」

 ケイスを名乗ったそのレイダーは、軽く肩をすぼめながら言った。

「反逆者や邪魔者、不穏分子。悪質な罪人。目的は、そういう奴らの処刑だ。

 だが、普通に殺したんじゃつまらない。せっかくだから娯楽にしてしまおう。暇をもてあました貴族たちはそう考えた」

 そこで選ばれたのが、大森林やじゅかいということらしい。

 大型の肉食獣や魔獣、陰相転化した不死の化物が跋扈する死の領域に、着の身着のままでさらってきた哀れな被害者を放り出す。

 無理やり遭難させる。

「――そうして被害者があてどなくまよい、怯え、泣き、喚き、苦しみ……やがて死んでいくまでの一部始終を、遠くから見物したり、部下に観察させて後で報告させたりする。

 貴族ともなれば、遠くの光景を水晶に映し出したり、そういった能力を持つ封貝使いを雇うくらいは簡単だからな。屋敷でワインでも飲みながら鑑賞会としゃれ込むのさ。気の合う友人を招いたりしてね。処刑と拷問と娯楽を兼ねた、連中の悪趣味な遊びってわけだ」

 ケイスによれば、エリナーとリロイが盗賊に捕まったのも恐らく偶然ではないという。

 連中の縄張りが近いことを知って、あえてその森が選ばれたのだ。

「森の中で飢餓に苦しみ野垂れ死ぬか、魔獣に生きながらに食い殺されるか……普通はこのどちらかを見て楽しむものだが、今回の場合は、野盗がからむパターンを加えたわけだな。

 若く美しい娘が連中に襲われれば、どんな目に遭うかは言わずと知れている。どのルートに入るか、しかけた貴族は賭けでもして見ていたんだろう。

 友達を巻き込ませたのも、間違いなく意図してのことだ。極限状態の最中では、親しい者たちの信頼関係に亀裂が入り、裏切りや離別に至ることもそう珍しくない。美しい人間関係が無残に崩壊していく様を見て、奴らはまた歪んだ愉悦に浸るのさ」

 では、その貴族とは誰なのか。

 そこまでエリナーを苦しめて殺したがっている人物とは――。

 真っ先に思い浮かぶのは、ジョウ王子の第二夫人カーラーである。

 彼女なら、夫が庶民の女に産ませたエリナーの存在をうとんでいたとしても不思議はない。

 些細なミスを犯した侍女を激情にかられ殺しかけたという逸話から、〈苛烈〉のカーラとも呼ばれる女だ。

 一人で憎しみを育て、それを爆発させた結果ということもあり得るだろう。

 どうあれ、エリナーには衝撃の事実と言えた。

 自分を殺したいほど憎んでいる誰かがいる。

 必要以上に苦しませ、絶望の中で死んでいくのを笑って眺めようという人がいる。

 しかもその人物は強い力を持ち、現実に牙を剥いてきたのだ。

「で、結局、サタンの望みはなんなのだ?」

 出会った瞬間から一貫してエリナーを〈サタン〉と呼び続ける、赤い首巻きの少女が問うた。

 ナージャ・クラウセンなる、外見はエリナーとほぼ同年代に見える娘だ。

 多くの場合、封貝使いの実年齢は外見と一致しないものだが、彼女に限っては、言動から察するに見た目通りの年齢と考えてよさそうな気がした。

「そのリロイとかいう友だちを助けられればそれで良いのか? 取り上げられた親の形見のナイフはどうなのだ? それとも、友だちやナイフを取り戻すのは当然で、盗賊団をきっちり全員ぶっ殺さないと気がすまないのか?」

 これにははっきり、リロイが最優先だと答えた。

 もっとも大切なのは彼女であり、彼女さえ救出できるなら他の全てをあきらめても良い。

 ナイフも大切であるし、できるなら奪還したい。

 亡き母もそれを望んでいるだろう。

 だが、リロイに勝るものではない。

「では、依頼内容を盗賊団の壊滅としていたのは、交渉をしやすくするための方便であった、ということですね?」

 ごく何気ない動作の時にさえ、指先にまで神経が行き届いている。

 そんな印象を抱かせる、若く優美な貴婦人からの問いかけだった。

 まとっているのはレイダーらしく運動性を優先した衣服だが、たとえドレス姿でなくともその品位は少しも損なわれていない。

 マオ・ザックォージ。

 その名の語るようにザックォージ家なる名家に連なる血筋の女性らしいが、説得力は充分である。

 声音にも命令し慣れた上流階級特有の響きがあり、エリナーは自然と背すじが伸びる思いだった。

「――無茶とも言える要求を先に出すと、次に提示する少し緩めた条件が受け入れられやすくなるもの。人間の心理をついた、なかなかにかしこいやり方です。特別な教育を受けたことはないとのことですが、貴女は明晰な頭脳をお持ちのようですね」

 容姿以外をこのようにめられたことなど、ほとんどない。

 唯一、リロイが「優しい」と評してくれたくらいだろう。

 なにか救われた思いだった。

 たった一言が胸に染みいるほど、ここしばらくの生活は荒みきったものだったのだ。

「だが、どちらにしても難しい話だぞ。これは」

 眉間に険しく皺寄せるケイスの表情が印象的だった。

「国家公認のぞく――フ=サァン唯一の盗賊ギルドと言えば、〈スリージィン〉以外にない」

 大賊徒〈スリージィン〉。

 その名はもちろんエリナーも知るところであったが、意外にもカズマやナージャ、それにエリックと紹介された大柄な少年は初耳であったらしい。

 彼らは遠い海の彼方から来た異邦人であるらしく、あまりフ=サァンの内情には詳しくない様子だった。

「〈スリージィン〉は、ジィン、ロックジィン、ジィンファウスという三大首領を頂点としたぞくの集団だ。

 王家との取引で特権を手にしている上、多数の強力な封貝使いを抱える武装集団で、その力はほとんど軍隊と言えるレヴェルにある。

 ――はっきり言っておこう。奴らは、俺たちが壊滅どうこうを口にできるような相手ではない」

 ケイスの断定は、場に重たい沈黙をもたらした。

 焦ったのはエリナーだ。

 この流れで、「やはりこの仕事は無理」とでも結論されたのでは計画が破綻する。

 だが、ここに一石を投じる者がいた。

「――お引き受けしましょう」

 ナンジョウ・カズマだった。

 いきなりの結論に、エリナーのみならず全員が度肝を抜かれた。

 真意を窺うように、全ての視線がカズマに集まった。

「いや、だってそうでしょう?」

 当の本人はどこく風でけろりとしていた。

「僕らの目的はヨウコを探し出して連れ戻すことですよ。彼女は、それこそ――〈スリージィン〉ですか? そういう軍隊クラスみたいな大盗賊団に捕まっているかもしれないし、ユゥオという大国がらみのドラブルに巻き込まれてる可能性だってある。この程度で無理とか言ってたら、ヨウコになんて届くわけがない」

 無論、この主張がただちに全員の首肯を勝ち取ったわけではない。

 だとしても、あまりに相手が強大すぎる。

 しょうそう

 報酬に見合わないリスクを簡単に負ったことが知られると、レイダーとしての今後の活動に支障が生じ得る。

 どれも正論と言える指摘だった。

 エリナーにすらそう感じられた。

 だが、カズマは譲らなかった。

 なにが彼をああまでかたくなにしていたのかは分からない。

 だが、確固たる信念があったのだろう。

 相手が折れるまで、彼は引かなかった。

「だが、具体的にはどうするつもりだ。最優先目標として、リロイ嬢を救出するとしてだ。仮にそれを実行できる段階まで計画を進められたとしよう。

 だがその時、彼女の周囲には何十何百という同じ境遇の女性や子どもがいるわけだろう? 彼女たちの伸ばしてくる手をはね除けて、あくまでリロイ嬢だけを連れ帰るのか」

 ケイスがずばりと核心に切り込んだ。

 この問いかけはカズマにばかりでなく、依頼者であるエリナーにも突き刺さるものだった。

 確かに、〈スリージィン〉に捕らわれ奴隷として酷使され、また女性としての尊厳を踏みにじられる毎日を送っている人々は大勢いる。

 自分や、リロイとまったく同じ立場の被害者たちだ。

 何の罪もなくただ奪われるだけの歯車や人形だ。

「そもそも〈スリージィン〉と言うのは、どういう形態の組織なんですか? どこかに本部はあるにせよ、各所に支部的な根城があって分散してるイメージがあるんですが」

 このカズマの問いには、エリナーでも答えることができた。

 自分が捕らえられていた廃砦が、〈スリージィン〉の本拠と言えるほどの大規模な物ではなかったことは感覚で理解している。

 仕切っているリーダーも〈ジィン〉のつく名で呼ばれてはいなかった。

 ケイスやマオ・ザックォージ嬢の返答も、これを裏付けるものだった。

「だったら、拠点ごと乗っ取っちゃうっていうのはダメですか?」

 思えば、このカズマという少年は、口を開く度に周囲を仰天させるようなことを連発していた。

 それも極めてあっけらかんとである。

「どうせ、僕らは護士組の処刑部隊に追われる身です。この宿に潜伏してることも突き止められてるみたいだし、これからは逃げ隠れしなくちゃいけない毎日になる。だったらこの際、盗賊に協力してもらいましょうよ」

 どの道、リロイを奪還するためには〈スリージィン〉の拠点の一つに近付かねばならない。

 喧嘩を売ることになる。

 事が上手く運び、彼らを壊滅するなり、リロイを助け出すなりに成功すれば、それは〈スリージィン〉全体を刺激することにもなるだろう。

 護士組だけでなく、彼らからも付け狙われるのは確定だ。

 ならば、状況を逆に利用してやれば良い。

 それがカズマのぶちあげたプランだった。

 どうせ追い回されるなら、いっそこちらから攻めてしまってはどうか。

 〈スリージィン〉が各地に構える拠点をゲリラ的な奇襲で荒らして回り、あわよくば奪い取る。

 そうして転々と移動していけば、護士組も簡単には尻尾を掴めなくなるだろう。

 つまりは、そういうことらしい。

 これについても意見が割れた。

 ナージャ・クラウセンなどは乗り気であったが、エリックやマオ・ザックォージなどは慎重な姿勢を見せた。

「無茶を言わないでください。〈スリージィン〉は軍並の力を持つと言ったでしょう」

 とりわけザックォージ嬢は強く難色を示した。

「彼らは何十人という封貝使いを抱えているんですよ。中には、私たち護士組の隊士にも比肩し得るような国内トップクラスの使い手も確認されています」

 だが、カズマも食い下がった。

「それは全体の話でしょう? 拠点がたくさんあるってことは、戦力も分散してるってことじゃないですか。

 リロイ・タレンさんが捕まってる所がどうなのかは知りませんけど、その件が片づいた後に襲う所は、封貝使いが少なくて、僕らだけでもなんとかなりそうな小さな拠点を重点的に選べば良いんですよ」

 確かに、絵空事じみた作戦であるのは、マオ・ザックォージの指摘通りと言えた。

 だが、一考の余地くらいは、ある。

 議論の末、最終的にはそれが全員の共通見解となった。

 リロイ・タレンの奪還計画を進める中で、どこまでやれるか検証してみるくらいはしても良い。

 ける中、話はそういった方向でまとまっていった。

「じゃあ、そういうことで」

 空が白み始めた頃、改めてといった調子でカズマが言った。

 エリナーに微笑みかけながら、はにかむように生身の方の手を差し出してくる。

「フォウサルタンさん。僕らワイズサーガはあなたの依頼をお受けします。全力で、あなたの望みを叶えるよう努力します。お友達のこと、絶対に助け出しましょうね」

 戸惑ったのはエリナーだ。

 これぞ待ち望んでいた展開であったはずだが、それがいざ眼前で現実になろうとすると、思考が停止した。

 夢の中でしか聞けないと思っていた言葉を、当たり前のように、微笑とともに優しく語りかけてくれる誰かが、今、そこにいる。

 あまりに都合が良すぎる。

 酷く現実感を欠いている。

 だが、彼は実在するのだ。

 エリナーは求められた握手に応じようと両手を伸ばしかけ、途中で引っ込めた。

 手は、突然こみ上げてきた涙と嗚咽を押さえるために使わねばならなかった。

「ごめんなさい……私……」

 震える声で、慌てて謝った。

「断られるんじゃないかって……誰も受けてくれないんじゃないかって……」

「僕も、大事な人を探しています。凄く強い力を持った誰かに力尽くで連れ去られてしまって……今、どうしてるかも分からない」

 だから、フォウサルタンさんとリロイさんのことは、他人事には思えなくて。

 そう言って、ナンジョウ・カズマはまたはにかむように笑んだ。

「僕の場合は、幸運にも色んな人に助けて貰えました。この腕の封貝を手に入れることができたのも、フ=サァンに渡って来れたのも、全部手を貸してくれた人がいたからです」

「あなたは……生まれながらの封貝使いじゃなかったんですね」

 エリナーの言葉に、カズマは頷いた。

 そして続けた。

「僕やフォウサルタンさんが体験したような、個人じゃ太刀打ちできないような理不尽って結構どこにでもあって、それでなくすことになった物を取り戻すためには、どうしたって他人の助けがいるものだと思いませんか?

 その助けになる道具を、僕は貸してもらっていて……それがこの〈*ワイズサーガ〉なんだって。なんか、フォウサルタンさんの話を聞いてて思ったんです」

 そう語るカズマの表情は、なにか悩みを吹っ切ったような清々しさがあった。

「これは僕の物なんじゃなくて、僕は代理で預かってるだけなのかもしれません。大きな力や理不尽に泣かされてる人は、僕だけじゃないですし。

 だから、せめて手が届く範囲にこれを必要としている人が見つかったなら、僕は窓口になってこの手の力をその人に渡さなくちゃいけない気がします。きっと、この腕をくれた人たちもそれを望んでると思って……」

 だから、と彼はもう一度微笑んで、また手を差し出した。

 今度は生身の左ではない。

 鈍い輝きを放つくろがねの右腕であった。

〈*ワイズサーガ〉が握手を求めていた。

「この封貝を、フォウサルタンさんとリロイさんのために使ってください。僕に引っ付いちゃってるから、どれだけ役に立つかは分からないけど」

 また涙が溢れて、視界が歪んだ。

 それでもエリナーは両手を伸ばし、手探りでそのひやりとした手を握り返した。

 すがりついた、と表現した方が正確であったかもしれない。

 そうして、しゃくりあげながら礼を言った。

 何度も繰り返した。

 彼についていこう。

 自分の全てを彼らに賭けよう。

 たくそう。

 その先に待っているのがどのような結末であれ、受け入れよう。

 固く思った。

挿絵(By みてみん)

■あとがき


 ウェーイ! 前回更新から1ヶ月半も空いちゃったぜー(自棄)


 2月後半から3月頭にかけ胃の手術で入院していたので、その関係でちょっとこんなことになっちゃいました。

 別に命に関わる病気とかではないので、そこはもう良いんですが……

 入院中にも執筆できないかな、と思っていたのが結構、そうもいかなかったのが我ながら少しショックです。


 今回のエピソードは、話としては前回から全然進んでないわけですが、まあ長い間放置してたせいでストーリー忘れかけてる人も多そうですから、それを振り返る意味では丁度良かったかな、と。

 実はこの話数は既にもっと先まで書き進めていて、〈青薔薇〉たち追跡部隊と戦闘に入り、決着するところまでいっていたんですが、なんか途中で確認したら100キロバイト超えそうな勢いだったので、途中で切ることにしました。

 こんなことなら、さっさと分割を決断してもっと早くリリースしておけばよかったと後悔してます。


 カレンダーでは幸いにも連休になっているし、続きは大体書けてるので、休んでた分を取り戻す意味も含めて次話は今週中に公開出来たらいいなと考えています。

 多くの人にとって、三月四月は健康でも病気になりそうな感じの忙しい月であると思うので、なかなか通常モードにペースを戻すのは難しいかと思いますが、できる限りがんばりたいとは思ってます。

 読者諸兄には温かい目でお付き合いいただければ幸いです。

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