青薔薇
040
その夜、〈ワイズサーガ〉の派閥会議が緊急で行われたことは驚くに値しなかった。むしろ必然と言えた。
集合は名目上の代表、カズマによってかけられた。だが、彼がそうしなければ他の誰かが招集をかけただろう。マオ・ザックォージ自身、その誰かの一人に己がなり得たことを知っていた。
会合の場には〈欠け戦斧亭〉の男子部屋が選ばれた。
時は既に夜半。陰の四刻に迫ろうとしていた。
集った面々を見渡すと、昨日から一気に頭数が増えた感じがした。
マオを含めた基本メンバー五名は当然として、奴隷コロパスのリックテイン、そして眠りから目覚めた依頼人、エリナー・フォウサルタンの二名が加わり、計七名。
数字だけ見ればわずか二名の増員だ。だが元が小数であったためか、ちょっとした変化が大きなもののように錯覚される。
リックテインの妹、ミーファティアが頭数に入っていないのは年齢の問題だ。話を理解できないし、なにより彼女はベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。フォウサルタンと入れ替わるように夢の国へ旅だった彼女は――兄の見立てを信じるなら――恐らく朝まで目覚めることはないという。ナージャを相手に昼間、全身全霊を傾けて戯れたせいで力を使い果たしたのだ。
会合は、カズマによるコロパスの紹介からはじまった。
そして彼は、奴隷についての独自の考え方にも触れた。派閥の設立者として、構成員にも同様の認識を求めもした。
すなわち、少なくとも仲間内では、彼らを絶対服従の道具としては扱わないこと。あくまで雇用主と使用人という接し方が望まれること。彼らが充分な働きを示したあとは、奴隷という身分からあらゆる意味で完全解放される予定であること……。
このうち幾つかは、マオを驚愕させるに充分なインパクトをもっていた。
特にその自由度と、解放という部分だ。
奴隷は奴隷だ。生まれた時は違ったにしても、一度奴隷の身に落ちればそれは死ぬまで変わらない。
唯一、主が死んだ時のみ自由になる可能性はあるが――しかし、通常は遺族が財産の一部として奴隷をも相続する。そして、奴隷を持つ身分の者が、相続者を全く持たず天涯孤独で死んでいくことはほとんどない。実質、奴隷に解放の望みはないのだ。
上から下に落ちることはあっても、その逆はない。階級は変わらない。覆らない。そういう前提で成立している規則や慣習、制度は無数にある。社会の根幹となるシステム。土台なのだ。それがグラつけば、その上に積み上がった全てが影響を受ける。崩壊する。
だからこそ、カズマのぶちあげた思想は社会的に断じて許されるものではなかった。反社会的思想。粛正されるべき危険思想とすら言えた。
だが恐らく、彼は余所者であるが故にそれを理解していないのだろう。
「えー、そういうわけですので、皆さんもご理解とご協力のほどよろしくお願いします」
カズマは殊勝に頭を下げたが、顔は笑っていた。上機嫌とさえ言える。
コロパスが助かった事実に安堵し、純粋に喜んでいるのだろう。
「もちろん、リックテイン君たちが馴染むまで時間がかかると思います。ケイスさんやマオさんは、一般的な奴隷との扱いとのギャップに戸惑う部分もあるでしょう。最初から全てがうまくいくとは僕も考えてないです」
だが、と彼は続けた。
カズマらの究極目標――千葉ヨウコという少女の奪還において、彼女が奴隷落ちしている可能性を考えれば、どうしても奴隷というものの扱いに慎重になってしまう。オルビスソーの奴隷制にある不条理を無条件に飲み込むことはできない。それを受け入れてしまえば、彼女がこうむっているかもしれない数々の理不尽、苦痛をも認めたことになってしまうからだ。
カズマはそう語った。
「ええと、フォウサルタンさん?……であってましたよね。とりあえず、僕らはこういうものです」
とりあえず言うべきは言った。そう判断したのか、カズマはそこで依頼人に身体ごと視線を転じた。エリナー・フォウサルタンがびくりと身体を震わせる。
「なんか、色々と手順っていうか順番が狂っちゃった気がしますけど、改めてお仕事の話、聞かせて貰えませんか?」
何か言おうとしたのか。それとも、あわあわと口だけ開いただけなのか。
いずれであれ、フォウサルタンの唇が動き出した矢先だった。
「ちょっと待ってくれ」
ケイスが静かに言った。
「今のカズマの説明は完璧とは言えない。俺からも少し、補足させてもらっていいか」
「はい――?」
他に何かありましたっけ。カズマのきょとんとした顔がそう問うている。
「俺たちが依頼を選ぶ権利がある程度には、依頼人にも仕事を任せるレイダーを選ぶ権利がある。少なくとも、相応の理由がある場合には」
違うか、という無言の確認に、カズマはこくんと頷いた。
「そこをいくと、俺たちは多くの依頼人にとって仕事を任せたくないレイダーである可能性がある」
「僕みたいな経験ゼロのド素人が混じってるってことですか?」
「いや、そういうレヴェルの話じゃない。――単刀直入に言おう。我が派閥〈ワイズサーガ〉の構成員は明日、全滅する可能性がある」
場が静まりかえった。
カズマ、エリック、ナージャの三者は、驚いたというよりよく意味が理解できていないという顔だった。これは無理からぬ話だろう。
「より正確に言えば、皆殺しにされる可能性がある。その場合、周辺にいる人間も高い確率で巻き添えになる。新しく入ったコロパスたちも、そして依頼人――」
ケイスがすっと目を細めた。もちろん、その瞳に映されているのはエリナー・フォウサルタンだ。
「フォウサルタン嬢。君も、このままでは一緒に始末される危険がある」
「なんで私たちが殺されねばならんのだ?」
ナージャが不思議そうに訊いた。それは恐らく、マオ以外の聴衆の声を代弁する問いだった。
「忘れたか?」ケイスがふっと皮肉めいた笑みを漏らす。「俺たちは追われる身なんだぞ」
そして、彼は事情を話しはじめた。〈灰の眼〉から仕入れてきた最新の情報、情勢を大雑把に聞かせていく。
黙りこくって聞くカズマたちの表情が、徐々に青ざめていく様はいっそ見物とすら言えた。
「えっ……正式辞令って……じゃあ、もうその追跡部隊は動き出していておかしくないってことですか?」
カズマが呆然とした顔で言う。
「今夜中に動き出す可能性も確かにある。だが護士組の慣例では、一刻を争う緊急出動でない限り、動き出すのは翌日からだ。特に、今回みたいな――急造部隊に厄介事を代表して押しつけたような形になるとな。兵を出さなかった隊は祝儀を集めて、実働部隊に渡すというようなしきたりがある。ちょっとした宴会を開いて、急造メンバー同士の顔合わせの機会を提供したりな。まあ、旅立ち前の験担ぎのような部分もある」
こうした護士組内での独自の風習は、古くに自然発生的に成立したのだと聞いている。抹殺指令となれば、相手も死に物狂いで抵抗してくる。封貝使い同士の激突となれば、護士組とてノーリスクとはいかない。命懸けの仕事だ。
もう二度と会うことはないかもしれない。そう思えば、死地に赴かんとする同僚に挨拶のひとつもしておきたくなるのは人情だ。
行く側も行く側で、事前の情報収集、連携確認、方針の練り込み、装備の用意など、相応の準備をしておきたい。
「今回は、上層部もザックォージ家の圧力を受けて、バタバタと慌ただしく話を決めている。事前に部隊入りが内定している隊士に、用意をしておけ、といった話を通す暇もなかっただろう。準備にはどうしても時間がかかるはずだ」
「それで、追跡部隊の代名詞にもなっているその〈青薔薇〉という人は……その、危険なんですか?」
エリックが、カズマの通訳を介して聴いた。
「非常に優秀な封貝使いだ。奴は、玄武三番隊という警護を主任務とする部隊のナンバースリーだった。そもそも玄武三番隊ってのは、貴族や上級市民の身辺警護をメインにやってるエリート集団でな。緊急時に他の部隊に助っ人として求められる、切り札的な存在でもあった。その特性から、あらゆる事態に対処可能な高い次元のオールラウンダーや、特定分野に抜きんでたエキスパートたちがずらりと顔を揃えている。時期にもよるが構成員は一二人前後。比較的大きな部隊だ」
「ナンバースリーって三番目ってことだろ? 大した事ないな。ケイスが部隊の隊長で、マオが副長だったなら、お前たちの方が格上ではないか」
ナージャが珍しく数字の話を持ち出す。
彼女が――ごく初歩的なものであれ――算術に頭を使うことがあるという事実自体に、マオはどこか新鮮な驚きを覚える。
「護士組は確かに実力主義だ。だからといって序列はかならずしも戦闘能力で決まるわけじゃない。政治的な要素や、組織内での慣習、キャリアや適性の問題が複雑に絡む」
「ケイスの言っていることは分かりにくいぞ」
ナージャがわずらわしげにしかめ面を作った。
「もっと分かりやすく言え。その〈青いの〉はケイスやマオより強いのか、どうなのか」
「私の場合ですが――」
マオは仕方なく、この場に来て初めて自分から口を開いた。
「どこか閉鎖された場所に〈青薔薇〉と閉じ込められて、一対一でどちらかが死ぬまで戦えと言われた場合、死体になるのは間違いなくこちらでしょうね。死ぬまでというのにおかしな話ですが、一〇回やったとして一〇回とも結果は変わらないと思います」
「ふむ」ナージャが大仰に頷く。「で、ケイスはどうなのだ?」
「マオが言った条件でなら……分からないな」
既に何度かシミュレーションをしていたのだろう。ケイスの答えは、思いのほかよどみのないものだった。
「実際、手合わせしたこともないし、〈青薔薇〉の手の内を全て知っているわけでもない。それは相手も同じだろう。だが、話を総合した限り、汎用性ではやつの方が上だ。それを経験で補えるとして五分。一〇回やったら五回は死ぬかもしれないな。ナージャやカズマは、ショウ・ヒジカを覚えてるだろう? 一度、戦ってるからな。だったら、こう考えれば良い。〈青薔薇〉は時間をかけて愉しむことをしないショウ・ヒジカだと」
「なら、僕は瞬殺ですね」
カズマが硬い表情でつぶやく。流石のナージャも声のトーンが落ちる。
「奴が呼出したドラゴンは、固くで面倒な相手だったのだ」
「厄介なのは〈青薔薇〉だけじゃありませんよ」
マオは鋭く言った。
「追跡部隊のメンバーには、マーティン・モウの名前もあります。〈氷犬〉の異名を取る古株で、ケイスさん以上の従軍経験を持つ非常に優秀な兵士です。彼が恐らくが追跡部隊の参謀でしょう」
それから、ファウ・シノンだ。
ある意味、最も警戒すべきなのがこのク・ェリ族の二四歳である。
ク・ェリは犬が上位種族に進化し、人型への変化能力を得た末、最終的に獣人と化した――兎獣人と似た背景を持つ種族だ。
高い身体能力に、優れた嗅覚。加えて、ファウ・シノンは探知系に特化した封貝を持っている。
追跡部隊の面子として彼女ほど厄介な存在もない。
「他に回復用員も揃えていますし、護士組上層部が本気であることは間違いありません。たとえケイスさんと組んでいようと、確実に私を殺そうというための布陣です」
「そこで改めて考えなくちゃならないのは、俺たち封貝使いの殺し方だ」
ケイスが少し口調を変えて言った。
「それはつまり、俺たちを殺る時に相手が使ってくる手でもある」
「封貝使いを殺せるのは封貝だけ、というのがセオリーでしたよね。その上でわざわざ問題にするってことは、他にも何か手段があるってことですか?」
〈*ワイズオレイター〉の封貝通訳を通して、エリックが言った。
「その考え方は正しい。封貝使いは非常に頑丈で、治癒力が高い。通常の武器では全く傷を負わないか、極めて傷を負いにくい。誰でも使える劣化封貝ともいうべき宝貝で造った武器なら、ある程度その効率も上がる。それでも、攻撃を超高速で動き回る封貝使いに当てられるかとなると別問題だし、防御系の封貝で邪魔されることも考えなくちゃならない」
「しかも厄介なことに、封貝使いは飲まず食わずでも死にはしないし、睡眠も絶対に必要ってわけじゃないようですしねえ……」
カズマがあごに手をやりながらつぶやいた。
「これほど敵に回すと面倒なのもいませんよ」
「私は分かるぞ。封貝使いの弱点は、ずばり精神なのだ」
ナージャが自信たっぷりの笑顔で叫んだ。
実際、それは相応しい態度だった。彼女の解答は模範解答の一つであるからだ。
「その通り」
ケイスもそれを認めた。
「防御系封貝の中には精神に干渉する攻撃に耐性を与えてくれるものもあるが、これは例外の部類と言っていい。一般論として、精神の強さは封貝使いも人間と――そして他の亜人、獣人たちと変わらない。
恋人に拒絶されて自殺する封貝使いもいれば、事業の失敗で首をくくる者もいる。誰もが悩みを抱え、劣等感に悩み、将来に不安を感じ、人間関係に苦しむ。大切なものを奪われば絶望し、夢に破れては挫折を味わう。他と何も変わらない部分だ」
言葉の途中から、マオは顔を背けたい衝動と戦わねばならなかった。
可能なら部屋を飛び出したかった。
精神的に疲弊し、死を望むようになった封貝使い。
何のことはない。それは紛れもなくケイス本人のことだ。
もちろん、マオもそこまで事情を詳しく知っているわけではない。
ケイス自身、自分のことを饒舌に語るタイプではない。
しかし、彼が過去の戦争を通して、帰るべき場所を失ったことは聞いている。
それどころか戦場で経験した何らかの出来事を通じ、「自分は本来生きて帰るべきではなかった」という考えを抱くに到った節がある。
だからケイスは、今も死に場所を求めて彷徨っている。
もっとも死の確率の高い戦場を探している。
楠城カズマたちと行動を共にすることにしたのも――
つまりは、彼らたちが無茶、無謀に挑もうとしているからに他ならない。
拉致された異世界の少女を巡って、超大国ユゥオに殴り込む。
それはまさに、自ら死地に赴くも同然の行為であるからだ。
「あ、ということは……」
エリックがはっとした様子で顔を上げた。
マオも重たい思考の靄を振り払って、場に注意を戻す。
「追跡隊が組織されて、僕らの足取りも掴まれている可能性が高い以上、明日からは全員が固まって行動しなくちゃいけませんよね? 今日みたいに各自バラバラで仕事みたいなことは、もうできない」
「なんでだ?」
とナージャ。
「そうだね……まず第一に、相手は一流の封貝使いが五人だから、僕らは戦力で負けてる。なのに分散すると、簡単に各個で撃破されちゃうから。これが最大の理由かな」
幼子に言い聞かせるような、優しい口調と表情だった。
「第二に、今ケイスさんが言ったことだよ。ナージャさん幾ら強くても、見てないところでカズマくんが襲われて、人質にでも取られたらもう満足には戦えなくなってしまう。封貝使い相手に正面から戦う必要はない。精神的に追い詰めた方が楽なんだ。倒せなくても、絶望させたり、徹底的に追い込んで心を折ったり、自殺に追い込んだりなら普通の人間にすらできる」
「そうだ。そして、封貝使いの殺し方はそれだけじゃない」
人差し指と中指の二本を立てて、ケイスは続けた。
「簡単に言えば、呪術がそうだ」
「じゅじゅつ……って言うと、つまり呪い?」エリックが言った。
「正解。呪いだ。これは普通の封貝では防げない。実際、お前たちはもうその事例を経験しているはずだぞ」
「――あ、そっか。コロパスだ。リックテイン君たちのことですね?」
少し黙考したあと、カズマがぱっと顔をあげて言った。
ケイスは微笑でそれが誤答でないことを認める。
一方、まだ「どういうことだ」という顔のエリックとナージャに、カズマは説明の口を向けた。
「いや、だってさ。コロパスってあれでしょ? リックテイン君の前で言っちゃうのは失礼に当たるかもしれないけど、神様を怒らせた罰かなんかの呪いで、人間と猫が混じっちゃった種族なんでしょ?」
「あの……はい。本当のことなので、別に失礼なんかじゃ……」
いきなり名指しで話題の主とされたコロパスは、困惑ぎみの様子だった。
当人の了承を得たカズマは一度、唇を舐めた。続ける。
「で、そのコロパスたちはナージャの回復液で治療したんだよね。もし封貝の治癒効果が呪いにも有効ならさ、彼らは種族にかけられた呪縛からも解放されたはずじゃない? 純粋な猫になるなり、人間に戻るなり」
「ああ……」
「おおっ!」
得心がいったらしく、エリックとナージャが同時に声をあげる。
「これは単にナージャのマフラーパワーの限界ってだけかもしれないけど、別の仮説も成り立つよね。つまり、封貝の治癒は基本、傷や一部の病気は治せるけど、呪いには効かない」
「そして、正解は後者というわけだ」ケイスが言った。
「この呪いですけど、実はまだはっきりした定義や境界は分かっていません」
後を継ぎ、マオは補足の口を開く。
「ある種の病気にも呪いの要素が混じっていたりします。七割は細菌の働きで説明がつきポーションでも治るが、残り三割は呪詛の要素が強いから医療の領域では手が出せない、というような感じです。また、封貝や宝貝がもたらす特集効果の中にも、無視できない確率で呪詛の一種と考えられているものが含まれます」
ショウ・ヒジカのフォックスワンこと〈呪怨烙印〉はまさにその代表例である。そう伝えると、途端にカズマが渋面を作った。
聞いた話だが、彼は身をもってその脅威を知る者のひとりであるらしい。
「あれかあ……」
「その呪術や呪詛ですか。それらは、具体的にどんな人々が使うものなんでしょう?」
エリックが軽く挙手の構えを取りながら問いを場に投じた。
答えたのはケイスだった。
「確率や効力の問題を別にすれば、ある程度の知能があれば誰にでも、どんな種族にも扱える。エリック、こっちの文字や言葉を勉強すればお前さんにもな。そういった低級な呪術は〈民間呪法〉なんて呼ばれ方で広く存在を知られている。怪談や伝説などと同様、どの田舎にもある程度は伝わってるもんだ」
もちろんそれらは信頼性が低くい。
ケイスはすぐにそう付け加えるのを忘れなかった。
効果が出ない。
出たとして一定ではない。
そもそも客観的には呪術の体を成していない。
場合によっては「おまじない」と言い換えるべき程度のものまで含まれる。
そんな物が大半だ。
「しかし、だ。逆にレタルって種族は、用途が限定されるかわりに、信用性の極めて高い呪法を幾つも持っていることで有名だ。人間でも先住民族系は、呪術的な知識や伝統を色濃く残していることで知られてるしな」
「ちなみに――」
と、マオは流れを切らずに言った。
「さっき話した精神に干渉する攻撃を、呪術で実現する手段もありますよ」
「ああ、ショウ・ヒジカの〈カースブランド〉ですね。あれは……敵に幻覚を見せ……るだけじゃないな」
カズマがぶつぶつと続ける。最後の方はほとんど囁きだった。
「実際、痛いから知覚操作か神経系への作用もあるか」
「幻惑だけじゃありません。他にも催眠、洗脳、魅了、精神破壊……。市販の宝貝にすら、これらの呪的効果を持つものがあります。同時に、それらに対する耐性を授ける宝貝製防具も市販されていますしね。つまり、封貝や宝貝の一部は、呪術を組み込んだ呪具であるとも言えるわけです」
ランクの高いレイダーが市販品で装備品を固めているのは、だからなのだと続けて説明した。
彼らのほとんどは高位の封貝使いだが、それでも鎧や兜で全身を守っている。
あれは、各種耐性を求めるとなると、やはり防具をまとわざるを得ないからに他ならない。
「コロパスのような亜人が封貝使いと戦えるのも、今までの話と関係が深い」
ケイスが総括するように言った。
「人間以外の種族は基本的に霊的に上位である何らかの存在――たとえば神々――から呪詛や祝福を受け、その身に宿している。だから、彼らの牙や爪には時に封貝に迫る特殊能力を発揮するわけだ。特に、長く生きることで上位種に進化した個体なんかは、その力も顕著だ。彼らはその身体能力だけで時として一級の封貝使いと渡り合うこともある。彼らもまた、封貝使いを殺せる存在のひとつだ」
「で、〈青薔薇〉はそういった呪術や精神的な攻撃をしかけてくると思いますか?」
そうした問いを投げられることは想定済みだったのだろう。
カズマの言葉に、ケイスはすぐ首を振った。
「まず、〈青薔薇〉というのは非常に実直な性格の娘だ。何事にも筋を通そうとする気位の高いタイプと考えてくれ」
「えっと……委員長タイプ?」
カズマは彼にしか分からないたとえを持ち出し、ひとりで首をひねっている。
「年齢や境遇が近いせいで、私はケイスさんよりメイヴ・スカイアナハと接する機会が多かったと思いますが――」
前置きした上で、マオも口を揃えた。
「彼女に対する印象はやはり同じですね。真面目で責任感が強い女性で、命を奪うことに対しても厳しい考え方をしていました。何らかの理由で誰かを殺さねばならないのなら、返り血を浴び、断末魔の叫びを聞き、死にゆく相手からの憎しみの目と恨みの言葉を受け止めなければならない。その痛みに耐える覚悟で臨まねばならない。それがメイヴ・”青薔薇”・スカイアナハの考えです。姿を隠し、手を汚すことなく人命を奪う呪殺は、彼女の主義に反するものと言えるでしょう」
「そういう人なら、無関係の人を巻き添えにして、いきなり大出力の封貝でこの宿屋ごと地上から消し去ろう……みたいなことはしないって考えちゃって良いんですかね?」
カズマの危惧はマオにも良く理解できた。微笑で安心させてやる。
「良いと思いますよ。彼女なら……そうですね。多分、私たちしかいない時を狙って、事によっては正面から堂々と姿を現わすんじゃないでしょうか。戦う前に、話をしようとしてくる可能性もありますね」
「それはよかった……。大通りを人混みに揉まれながら歩いてるとき、いきなりドンと衝撃を感じて、見てみたら真っ赤に染まったお腹からナイフが生えてた……みたいな暗殺パターンだと、ほとんど手の打ちようがないですからね」
「建物ごと爆撃とかは大丈夫として、狙撃で頭を撃ち抜かれるとかは大丈夫なのかな?」
ぼそりと言うエリックの顔は土気色だった。
封貝の加護を持たない彼は、もっとも死ぬ危険が高いメンバーのひとりだ。
本人が一番、そのことに自覚的なのだろう。
「安心なさい。狙撃は私が〈動物寓意譚〉で常に警戒していますよ」
マオは言った。
「鳥や蜘蛛を召喚して、狙撃ポイントになり得る位置を見張っています。はじめて部屋を借りた日から、今この瞬間にかけてずっとね」
「全然知らなかった……なんか、僕らの安全のために、ありがとうございます」
世辞ぬきに、エリックは本当に感心した様子だった。
「いえ、私自身の安全のためでもありますので」
「ということは、鳥や蜘蛛の目を借りて、周囲に潜んでそうな情報員の割り出しとかもやってくれたりしてたんですか?」
とカズマ。
「当然ですよ。護士組で訓練を受けた者にとっては、ごく当然の手続きです。朝起きたら顔を洗うのと同じくらい、身に染みついた作業ですよ」
「で、そういう奴は見つかったのか?」
常に結論を急ぐナージャは、今回もずばりそれを求めてくる。
「無理ですね。向こうもプロです。完全に風景に溶け込んでますよ。狙撃なんかはどうしたってそれと分かる動きが必要ですが、情報収集は一般人のふりをしながらさり気なく行えますからね」
「だとして、結局、私たちはこれからどうするのだ?」
ナージャは目を瞬かせながら、漠然と場の面々を見回していった。
「相手は数も戦力もこっちより上で、戦っても勝ち目はない。居場所も多分バレてるから、明日になれば追いつかれてしまうんだろう? だったらこんな話などしてないで、さっさとこの宿から移動した方がいいのではないのか」
「それはナージャの言う通りだし、あとフォウサルタンさんのこともあるね」
カズマが重苦しい口調で指摘した。
「まさかこんな状況になるなんて思ってなかったから、ついウチ来る?……的に誘っちゃったけど、このまま僕らと一緒にいたら、仲間と思われて一緒に襲われるかもしれない。最悪、殺される。そんな派閥なんかに仕事を頼むのは嫌だっていうなら……」
「そうだな」ケイスが両目を軽く閉じて賛意を示した。「依頼以前の問題として、こんな物騒な派閥とは関わりたくないというなら、今すぐにでも距離を取るべきだ。とは言っても、今さらそうしたところで、どれほど意味があるかは分からんがな」
後半部分の指摘がいまいちピンと来なかったのだろう。
カズマたちが怪訝そうな顔をする。
だが、マオにはケイスの言葉が理解できた。
つまり、彼女――フォウサルタンが〈ワイズサーガ〉のメンバーと共にこの〈欠け戦斧亭〉に入ったことは、護士組の情報部員にチェックされているだろう、ということだ。
となれば当然、エリナー・フォウサルタンは身元を洗われる。
奴隷に変装したマオの協力者、あるいは情報提供者などの嫌疑をかけられて、である。
ここでまずいのは彼女の身分だった。
結局、エリナー・フォウサルタンは突然この世から消えても誰も困らない最下層の人間、奴隷階級なのだ。これは遠目に首輪を見るだけで子どもにすら分かることである。
ならば調査に手間をかける必要などない。消してしまった方が手っ取り早い。
もしくは、宿から出てきたところを捕まえて拷問にかければ良い。
用が済めば、関係者であろうと無関係の第三者であろうと始末だ。
明日の朝、川底に沈んでいるところを誰かに発見される。
だが、それで騒ぎ出す者は誰もいないだろう。配慮の必要がない命。
使い捨ての消耗品。
それが奴隷であるからだ。
そして情報部員とは、顔色一つ変えずにその手の仕事をやってのける訓練を受けた者たちだ。
彼らは、フォウサルタンが無関係の清らかな少女であるうと、何ら気にしない。
つまりは蚊と同じだ。
血を吸うのはメスだけだが、蚊を見た人間は「オスかもしれない」などと面倒なことは考えない。
疑わしければ叩き殺しておく。
そういった思考で情報部員は人間を処理できる人種なのだった。
公平を期すため、マオはこういった可能性をそのまま言葉にしてフォウサルタン本人に伝えた。
その上でどんな判断を下すかは、彼女次第だ。
「そっか……そういうことまで考えなきゃいけないのか……」
カズマは言われてはじめて気付いたらしく、苦い顔をしている。
「うわぁ……」
かすれた声でつぶやき、髪をくしゃくしゃにしながら頭を抱える。
「フォウサルタンさん……なんてお詫びしたら良いのか……」
カズマはそのままの体勢で、半ば怯えるような上目遣いを依頼人に向けた。
「なにかの助けになれると思って依頼を受けようとしたのに、逆にとんでもない迷惑をかけてしまって……本当、なんて言えば良いのか…」
「それに関しては、むしろ私が頭を下げなければいけませんね」
マオは努めて平静を装いながら認めた。
「私も、実家がこれほど大胆な決断をするとは思っていませんでした。身内だからと、どこかでまだ甘く考えていたところがあったのでしょう。皆さんは我がザックォージのお家事情に巻き込まれただけ。責任を言うなら私にあります」
まさかそこまでは。命を取ろうとまではしないだろう。この歳まで生かされてきたのだ。殺す気まではない証拠である――。
そんな淡い期待、楽観を抱いていた自分を呪いたかった。
結局、夢は夢だったのだ。自分が作り上げた理想の、幻の家族像。
実際の彼らは――父や母、兄姉たちは、マオという末子の存在を本当に、心底疎んじていたのだった。
煙たがってはいても、心のどこかでは……等といった繊細さとは無縁であったのだ。
可能であればすぐにでも死んで欲しい。
亡きものにしたい。
一貫してそう考えてきたのである。
マオが生まれたその日からずっと。
それが今日、この上なくはっきりしたのだ。してしまったのである。
「……こうなると、コロパスたちのことも考えないとな」
ケイスが唐突に言った。マオには、彼があえて話題を変えようとしてくれたように感じられた。
「えっ?」
どこか呆然と話を聞いていたリックテインが驚いたように目を見開いた。
「明日、妹と一緒に巻き添くって殺されるかもしれない。なら、いっそのこと奴隷商に返品してくれ。お前さんたちがそう考えても不思議のない状況だ、と言うことだ。この子らとは主従ではなく雇用関係であるというのなら、暇を欲しがっている奴を解雇するのも――カズマ、お前の仕事のうちだぞ」
「ですね」
言うとカズマは居住まいを正し、改まった口調で続けた。
「リックテイン君もフォウサルタンさんも、事情は今聞いた通りです。事態は切迫しています。いきなり決断を迫るような展開になっちゃって申し訳ないんだけど、確認させて下さい。あなた方は今後どうされますか? 今すぐここから離れるか。それとも、僕らと取引を続けるか。正直、僕らも自分のことで手一杯ですけど、どちらを選ぶにしてもできる限りのことはさせてもらいますので」
問われたエリナー・フォウサルタンは、凍えたように身を縮こまらせていた。顔は終始にうつむき加減で、前髪が表情を隠してしまっている。
「僕は!」
一方、コロパスの反応は早かった。リックテインが必死の形相で声を上げる。妹の隣、寝台の上で正座をした彼は、膝の上で固く拳を握りしめていた。
「僕たちは、ご主人様にもう命を救っていただきました。なのに恩返しもしないで逃げ出すなんて、できません」
「ん―」
どうやら望んでいた回答ではなかったらしい。カズマは明らかな難色を示しながら言った。
「いやあ、でもリックテイン君ってばまだ六歳くらいだし。ミーファティアちゃんに到っては二歳くらいなんでしょ? 恩とかそういうの抜きに、自分のことを最優先に考える権利がある歳だと思うけどなあ」
「六歳なりに権利があるなら、六歳なりの矜恃もあるさ」
ケイスが半分独り言のようにも聞こえる口調で言った。
「選択の自由は、選択の結果にある責任とセットだ。なら、カズマ。自由という言葉で選択権を与えたなら、その責任もそいつにまっとうさせろ。それが与えた側の責任ってもんだ。自由ってのはただ宝石のようにキラキラ美しいだけのものじゃない」
考えさせられる指摘であったのだろう。カズマは打たれたような表情で黙り込んだ。だが、すぐに咀嚼、理解したらしい。真剣な表情で頷く。
「確かに、その通りなのかもしれません」
言うと、彼は小さなコロパスを正面から見据えた。顎を引くように軽く頭を下げる。
「ごめん。リックテイン君。なんか、僕の態度は責任者として中途半端だったみたいだ。君が自由意志で決めたことなら、歳がどうとか口を挟むべきじゃなかった。侮辱されたように感じたなら謝るよ」
「いえ、そんな……僕たちのことをたくさん考えてくれて、すごくありがたかったです。申し訳ないくらいです」
コロパスの意志が確認されたなら、あとはもう一つだ。
「――フォウサルタン嬢。貴女はどうなさいますか」
同じ女性なら返答しやすいかもしれない。そう考え、マオは自らエインの少女に話を振った。
エリナー・フォウサルタンは一瞬顔を上げ、だがすぐ伏せた。それから時間をかけ、そろりとまたマオたちの顔色を窺ってくる。
仕草から察するに、どうやら結論自体はまとまっているらしい。だが、その反応を見るのが怖い。そんなところだろう。
「私も――」
少女は勇気を振り絞るように、ぎゅっと目を閉じた。
「私、お仕事、みなさんにお願いしたいです」
正直なところ、この返答は意外だった。ケイスを含め、他の面々も同じであったのだろう。一瞬、場に沈黙がおりる。
「えっ……と、さっきリックテイン君に謝ったばっかな手前、ちょっと言いづらいんですけど……良いんですか?」
カズマが真意を見透かそうとするように娘を見やる。
エリック相手ではないが、意訳するなら「正気か?」と言ったところか。
それにフォウサルタンはこくんと小さく、しかしはっきりと頷いた。
「分かってるんです……きっと、もう、みなさん以外に私の話を聞いてくる人なんて……」
――いない。
消えていく言葉尻は、それでもマオの耳に何とか届いた。
事実、それは現状の正確な認識と言えた。
彼女のあの馬鹿げた依頼書がいつから連盟の掲示板に張り出されていたのかは知らない。しかし、相手にされたのは今回が初めてだろう。そして、今回が最後の機会になるに違いなかった。
「それで、フォウサルタン嬢」軽く腕組みしたケイスが言った。「君の依頼の概要は野盗団の壊滅だと聞いているが、実際のところ相手ははっきりしているのかな?」
「――はい」
この時、どうして彼女が躊躇いがちに頷いたのか。
頑なに誰とも目を合わそうとしなかったのか。
それらは、次に発された一言が全て説明してくれた。
そして、場を震撼させた彼女のその言葉は、同時に派閥〈ワイズサーガ〉の今後の方針をも――否応なく――決定づけた。
正確に言えば、こちらの世事にうといカズマたちは、最初、彼女の言葉にきょとんとした顔だった。絶句するオルビスソーの民を不思議そうに眺めるばかりであった。
だが、ケイスとマオによって事情の説明が進むにつれ、徐々に表情を引き攣らせていった。最後は葬儀の席のように黙り込んだ。全て聞き終える頃には、話がもうただの野盗退治では済まないことを、彼らも理解していた。
そこからはもう荒れに荒れた。喧々《けん》囂々《ごう》たる意見の応酬が始まった。誰もが眠気すら忘れて議論に加わった。いつもは我関せずを貫くナージャですら例外ではなかった。
気付いた時には、もう夜明けが近付いていた。
最初にそれを知ったのは、もちろんマオだった。外を警戒させている鳩の目ごしに、白み始めた空が見える。
間もなく日の出――陽の一刻の鐘がなるだろう。
「そろそろか?」
元部下の様子から、時が迫りつつあることを察したのだろう。ケイスが訊ねてくる。
「ええ。じきに夜が明けます。準備に入った方が良さそうですね」
「シノンは現れたか?」
「いえ。それらしい姿は、まだ」
「まあ、そうだろうな」ケイスが肩をすくめる。「向こうも馬鹿じゃない」
その通りだった。マオが小動物や昆虫を使い周囲を張っていることなど、追跡部隊は当然、想定済みのはずだ。彼らがこの〈欠け戦斧亭〉へ接近してくるとしても、念入りに姿を変え、現地協力者の手引きを受けながら、完璧な形でやり遂げるだろう。
「彼らは、もう動いてると考えるべきなんですか?」
後ろからカズマが会話に加わってくる。
「そのつもりでいるべきだ」ケイスが答えた。「護士組では遠征に夜明け前から出発することが多い。そしてインカルシからネクロスまでは、封貝であれば一曲、鼻唄を歌っている間に着く。もう市内に入っていてもおかしくはない」
「移動封貝か。ナージャですら時速数百キロ出てそうだもんなあ……」
「私が見つけていないだけで、もうその辺にいる可能性もありますので、全員気を引き締めておいて下さい」
マオは振り返って全員に向けて言った。
「この宿の出入りを見張れるポイントは無数にあります。周りは店が多いですが、そこの者に金を握らせて場所を確保するくらいは、現地の情報員なら簡単な仕事でしょう」
あとは、朝の仕入れや開店準備のどさくさに紛れてしまえば良い。流石のマオも狙撃ポイントの警戒が精一杯だ。従業員や物資の出入りをつぶさに監視することは不可能である。ならば死角の突きようはいくらでもあると言えた。
そうして既にこちらの出方を待っている者がいるとすれば、それは間違いなくファウ・シノンだ。
そもそも追跡部隊の最大の懸念は、マオの瞬間移動能力であるはずだ。
マオの第一移動封貝〈イゼル・カルタゾーノス〉は、額に長く真っ直ぐな角を持つ馬に似た幻獣だ。イゼル《上位》・カルタゾーノスの名の通り、カルタゾーノス種の上位種で、飛行能力に加え、短距離テレポーテーションを特殊能力として持つ。
しかもイゼル・カルタゾーノスは、瞬間移動後に封貝の気配を弱め、普通の馬のように振る舞えてしまう。追跡部隊にとっては悪夢のような能力と言えるだろう。
そこで、ファウ・シノンである。
彼女の持つ封貝には、特定の対象を追跡する能力がある。
まず、近くからその目で相手の姿を識別、確認する。この条件を満たせば、ファウ・シノンは対象をマーキングすることが可能だ。
一度、マーカーさえ付けてしまえば、瞬間移動をしようと、山を越え谷を越え、船で海を渡ろうと、相手のいる大雑把な方向と距離が常に把握できるようになる。まさに対マオ用の切り札的存在だ。
「――よし、じゃあ出るぞ。全員、手はず通りに頼む」
ケイスは既に全身をいつもの装備品で固めていた。もはや必要性が疑わしい顔を隠すためのヘルメットも着用している。
「対応を一つ誤れば即座に死に繋がることを忘れるな。自分のミスが隊を全滅に導くこともあるぞ。マオ、しんがりは頼む」
「了解」
マオは、ケイスを先頭に一階へ下りていくメンバーたちを見送る。
旅人は移動距離を少しでも稼ごうと、日の出と同時に出発したがるケースが多い。この宿にもそうした考えの客が何組かいたらしく、階下は既に活気づいている。
マオは手早く準備を整えると、自らもその喧噪に加わっていった。
追跡部隊からすれば、宿からマオが出てくるときが勝負だ。可能ならこのタイミングでファウ・シノンを使い、追跡印を付けておきたいはずである。
ここを逃すと、〈青薔薇〉たちは〈ワイズサーガ〉の動きを予測できなくなる。大袈裟な話、宿を出た瞬間、全員が別々の方向に旅立っていく可能性もあるのだ。ナージャやカズマの能力にしたところで、まだ未知な部分があると考えているはずだ。警戒すべきは、マオのような瞬間移動に限った話ではない。透明化。認識阻害。変化。擬態。追跡者を煙に巻く厄介な効果の封貝の存在は幾つも確認されている。カズマらがそれを持たないという確証はない。である以上、難敵であり最優先目標であるマオには最低限、ここで首輪を付けておきたい。〈青薔薇〉たちは必ずそう考えるはずだった。
――でも、ここは敢えてマーカーをつけさせます。
下り階段を降りきり、カウンターの横を素通りして出口に向かいながら、ふとカズマのそんな言葉を思い出した。
それが夜を徹して行って練り上げた、〈ワイズサーガ〉側の戦術だった。
〈青薔薇〉たちには、こちらの能力を知ってもらう。
カズマはそう語った。
能力は隠しておくべき。敵に知られれば研究され、それだけ不利になる。一般にはそう考えられている。
だが、彼はどのような場合にも例外があると考えているようだった。どちらかと言えば、ケイスも同じ意見であるらしい。
相手に知らせ、警戒させる。考えさせる。それが牽制となり、迂闊な対応はできないという重圧に繋がることもある。これが彼らの大雑把な考えだ。
待ってくれていたケイスたちに入口前で合流し、〈欠け戦斧亭〉を出る。
全員で目抜き通りを歩き、通常の手続きを経て市壁を潜った。それから昨日から稽古場として使い始めた、人気のない平地に向かう。
目的地に着くと早速、ケイスとカズマが手合わせを始めた。
「今朝は少し実戦的にいくぞ。敵の強さの見極め方を多少なりとも知ってもらう」
「封貝の気配っていうか、オーラみたいな強弱ではなくてですか?」
「気配なんぞはひとつの目安程度にしか参考にならない。隠したり、抑制したりする手段が幾らでもあるからな。大体、お前自身がそうだろう。〈*ワイズオレイター〉は力を使ってもほとんど気配を出さないじゃないか」
「まあ、そうですね」
カズマが一本取られたというように苦笑する。
「より確実なのは、気配なんて曖昧なものが生む圧力ではなく、攻撃から感じる圧力だ。まあ、口で言っても仕方ない。カズマ、防御封貝を出してみろ」
ケイスが指示すると、カズマは素直に「Delta 1《デルタ・ワン》」を口訣した。彼の防御は聞いていた通りの代物だった。〈*ワイズオレイター〉同様、ほとんど気配を発さない無色透明の楯板だ。
「今から俺が攻撃をしかける。ちゃんと防御に当てるようにするから、変に動き回るなよ」
「攻撃、ですか――?」
「まずは無印級の力でいくぞ。怖いかもしれないが、それだけで終わるなよ。目を閉じっぱなしにだけはするな。見て、受けた時の手応えをしっかり感じろ」
「はい」
腰が引けてはいるが、カズマは通る声ではっきりと返した。
「確認しておくが、無印級は封貝を使いこなせない初心者や、非戦闘系で弱い力しか持たない連中。つまり、お前と同格の連中だ」
ケイスは言いながら、無口訣で射撃封貝〈フォリオン〉を召喚した。左右の手に一挺ずつ、大型ナイフほどの長さを持つ双子の拳銃が出現する。
「いくぞ、構えをくずすな」
「はいッ」
カズマが固い返答を発した直後、ケイスがトリガーを絞った。
巨大な羽虫が一羽ばたきしたかのような、ブゥワンという奇妙な発射音が五度連続した。左から始まり、右、また左と、交互に計五発。普通に歩いたときの足音程度の間隔でそれが続いた。
「――ッ!」
カズマは声にならない悲鳴をあげながら、それを受け止める。
盾が透明なだけに、迫ってくる棒状の光弾がはっきり見えてしまうのだろう。加えて、受け止めたときに生じる火花も網膜を焼きにくる。実戦慣れしていない者にとっては恐怖であるに違いない。
頭に赤林檎を乗せて、それを射んとする弓兵と向き合うのは、誰にでもできることではない。たとえ相手が国家を代表する凄腕の射手と知っていても、だ。
「どうだ、カズマ?」
銃口を下ろして、ケイスが静かに訊ねた。
頬の筋肉を硬直させたカズマは、すぐには応えられなかった。恐らく口の中がからからに乾いているのだろう。唾を何度か飲み込み、ようやく返答の口を開く。
「あー……怖い。これ、怖いです」
「それは分かる。が、問題はそこじゃない。感覚として、盾を破られて死ぬイメージはあったかということだ」
「ああ、それは……」言われてみれば、という顔でカズマがつぶやいた。「そういうのは、あんまりなかったですね。不思議と」
実際、そういう経験はないが、全力で投げられた大きめの石、あるいは鉄の塊などを、金属の盾で受けた感じに近い。彼はそう証言した。
「なんで、破られるとか貫通しそうとか、そういう危うさは感じなかったかな?」
「結構。その実感が大切なんだ。――じゃあ次。今度はレヴェルを一つあげるぞ。無印の上、白級の平均的な力で撃つ」
「今の僕より明らかに格上ですね」
「そうだ。封貝をある程度使いこなせる中級者だな。多くのレイダーがこのランクに属する。ここからが本物のプロだ」
「プロの攻撃……大丈夫ですかね?」
「死ぬようなメニューは組まないさ」
ケイスは信頼できるという考えがあるのだろう。カズマはあっさり納得した様子で、再び見えない盾を構えた。
「頑張れよ、ダーガ」ナージャの声援が飛ぶ。「当たって穴があいても、私の〈*旋火の綾〉で治してやるからな!」
「穴……」
カズマが苦虫を噛み潰したような顔でぼやく。
「凄い嫌な想像しちゃったんですけど」
「いくぞ、カズマ」
「はい」ケイスの声にカズマがすっと表情を引き締めた。「お願いします」
「――〈Fox 2〉」
先程の五発が徒歩の足音だとすれば、今度は早歩きだった。……ォンという発射音もワンランク大きなものになっていた。光弾自体もサイズが違う。長さも太さも人間の小指ほどだったものが、人差し指サイズにまで肥大化している。光量も微かに大きくなっているように見えた。
「わ……ぁ――ッ!」
カズマは最初の二発こそなんとか受け止めたが、三発目でバランスを右へ崩された。吹っ飛ばされかけた盾に引っぱられるようにして踏鞴を踏む。
四発目は逆。右に傾いていた身体が、今度は大きく左に振られる。立っていられなくなり、尻餅をつきかけた。それを後ろに伸ばした右手でなんとか押しとどめた――その頭上を、五発目の光弾が通り抜けていった。
「ふっ……ひゃぁ……」
カズマは半開きの口角から垂れけた唾液を、慌てたようで拭う。
「どうだ? 違いをどう感じた」
対するケイスは淡々とした口ぶりだった。
「重さが段違いですね。投石攻撃が、子どもとか女の子の体当たりにグレードアップした感じです。しっかり踏ん張ってないと、身体ごと持っていかれるし、なんか軋む感じもありました。何発も正面から受け止めてると、そのうち壊れちゃいそうな不安が……」
「そう。無印の攻撃は牽制だ。間合の調整や時間稼ぎをしつつ、流れを作る。相手に隙ができるのを待つ。だが、白級になると攻撃が速く、重くなるから、崩しの効果が期待できる。隙ができるのを待つんじゃない。より積極的に、隙を作る攻撃になる」
「怖いなあ……ワンランク違うだけでこんなに違うのか」
「次は青級だ。インカルシ護士組入隊の最低条件。レイダーで言えば弱小派閥の幹部クラスだな」
つまり、直近の脅威となっている追跡部隊の最低レヴェルだ。
実際には、〈青薔薇〉をはじめ更にワンランク上の百人長級が何人がいるため、彼らの平均は青級を大きく上回る。
「準備はいいな?」
「お願いします!」
要領が掴めてきたのだろう。二人のやりとりも段々と簡潔になっていく。
すぐにケイスが唱えた。
「――〈Fox 2〉」
三度、二挺光線銃〈フォリオン〉が獰猛な咆哮をあげた。
今回、白級の際と変わらなかったのは一点。間隔だけだった。
前回と誤差の範囲で収まるであろう、早歩きほどのリズムだ。
それ以外は一変していた。明らかに、ここに来て最大の変化、激変と言えた。
まず、光弾の放つ輝きからしてまるきり別物である。ロウソクの火だったものが、今や燃えさかる炎に変貌していた。発射音もはっきり違う。地を伝って肚に響いてくる低音がそれと分かるほど増していた。
そして弾速。破壊力。この二点はもはや次元が違った。
一発目の発射音とほぼ同時、いきなりカズマの盾から怪音が響いたことも、それを如実に物語る。
バギンという、太い枯れ枝を力任せにへし折ったような――それは一種、乾いた断末魔とも表現したくなる響きだった。
なにが起ったかは、恐らく封貝使いではない三人すら直感的に理解しただろう。盾が一瞬で粉砕されたのだ。
同時、カズマは後ろ向きに吹っ飛んでいた。大きく開いた足をピンと伸ばした状態で宙を舞い、二拍分ほど経って綺麗に背中から地に落ちた。
途中で早々と危険を見出したに違いない。二発目以降の光弾は、ケイスが自らの意志で消去済みであった。そうでなければ、カズマの四肢は爆散、あるいは血の霧と化して周囲にばら撒かれていたことだろう。むろん、こうなるとナージャの回復綸子も用を成さない。かつてカズマであった肉片のごく一部を回復液に入れたところで、それが何になるだろう。
「カズマくん!」
しばし呆然としていたエリックが、我に返ると慌てて駆けだした。
「大丈夫かー」
と、こちらは幾分のんびりとした様子で、ナージャが後に続く。
ふたりは手を貸し、身体を支え、カズマを立たせた。幸い怪我はなかったらしく、彼は自然な動作で服の砂を払っている。
「今のが青級。上級者が集う、レイダース連盟の二階を住み処にしてる連中の平均と言ったところか。感想はどうだ?」
ケイスの問いに、カズマは熱に浮かされたような顔で首を振った。
「これは……到底無理ですね。僕じゃ勝負にならない。特に重さ――破壊力が尋常じゃないですよ。崩しどころじゃない。初撃が既に決め球というか、フィニッシュになってる」
「そうだ。それが感じられたなら完璧だよ」
鷹揚な首肯と共に、ケイスが満足げに言う。
「レイダーの中でもっとも大きな壁は、白と青の間に横たわっていると多くの者が考えている。実際、白までで全レイダーの七割から八割が占められていると言われてるからな。普通の奴はその壁を超えられずに一生を終えるんだよ」
その壁とはなにか。答えはリズムだ。
無印の間では、攻撃の一発一発が牽制であり、組み立ての一部として機能する。本格的に前へ出ていくタイミングを計るためのプロセス、準備段階に過ぎない。
白級になると、これに積極性が加わる。どう相手を仕留めるか具体的なイメージを持ち、そこに相手を追い込んでいく崩しの要素が入る。
だが、青には牽制も崩しもない。正確にはあるが、それが凝縮されている。一発一発が、下手をすれば則死級の破壊力を秘めているのだ。
こうなると、牽制や崩しで「流れを作る」「優位を取る」「主導権を握る」というプロセスも必要がない。全てをすっ飛ばし、決着に直結する一撃を凄まじい速度でばら撒いていく。
「――つまり無印級は牽制から入り、流れの中から優位を取り、相手を崩して、それでようやく勝負を決める。四行程を経るわけだ」
ケイスが指を折り数えながら、まさにマオが考えていたことを解説しはじめる。
「白級は最初から崩しにかかり、それが成功した瞬間、仕留めにかかる。行程は二つ。一気に半分になる計算だ。――ところが、これが青以上になると、いきなりフィニッシュの威力を持った崩しから始まる。下手をすれば一撃決着の世界だ。つまり四拍子、二拍子、そして無拍子。これが速度感の違いとなってはっきり出てくるってわけだな。下の奴らは上のリズムに全く対応できず、だから一方的かつ一瞬で仕留められてしまう」
「あー……それ分かるかも」
カズマが乾いた笑みを浮かべて、弱々しく認めた。
「青級見た今なら、最初の無印の攻撃とか割と余裕を持って対応できそうな気がしますもん」
「ちなみに、百人長級もこれから試すんですか?」
カズマの通訳を介してエリックが心配げに問う。
「残念だが、百人長級は体感させてやれない。そこまでいくと、ガードごとカズマを消し飛ばしてしまう」
「ですよねー」
カズマは引きつり気味の笑みで言う。
「僕、四枚までなら同時にバリア張れるみたいですけど、それでも全部貫通されちゃいますか?」
「いや、四枚なら防げるだろう。だが、お前はまだ安定してない。四枚出せたとして維持できるか。強度を均一に保てるか。どうしても不安が残る。そんな状態ではお互い、安心して実験できないだろう?」
「そうだぞ、ダーガ」ナージャも諫めにかかる。「無理して膝と擦りむきでもしたら大変ではないか。ばい菌が入って病気になることもあるのだぞ」
「どうしよう。この子、さっき腹に風穴があいても大丈夫的なこと言ってた人と同一人物ですよね?」
「まあ、そういうわけで百人長級にチャレンジはもう少し成長してからだ。それまで、今の経験を忘れず胸に刻んで危機管理に役立てることだ。今のお前なら、相手の最初の一撃の速さと重さで、大体のランクを判断できるだろう」
「はい。無印が相手なら、今後の努力次第で勝てないまでも負けない立ち回りができるようになるかもしれません」
「とは言え――」
ケイスが軽く肩をすくめると、身体を反転させた。
「それもこれも、まずこの場を生きて切り抜けられたらの話だがな」
同じ物に気付いていたマオも、調子を合わせるようにそちらへ注意を向ける。と同時、仲間に合流すべく歩き出した。
「うむ」
頷くナージャも珍しく真顔だった。さり気なく立ち位置を変え、自分の背後にカズマを隠そうとしている。そして続けた。
「お客さんだぞ、ダーガ。猫とサタンも私の傍に来るのだ」
「あ……はいっ」
遠巻きに訓練を見守っていた非戦闘員たちが、弾かれたように動き出す。
彼らの慌ただしい足音と重なるように、向う正面、平地を縁取るように広がる森林の奥から、微かな馬蹄の響きが聞こえ始めた。
同じ方向の上空からも、接近してくる封貝の気配が感じられた。
それらは瞬く間に存在感を増していき、ぼんやりとしたシルエットからディテールを帯びた人型に変化していった。
地上をランコォル種に乗って現れたのは三名。否、正確にはひとりだけ自走している者がいる。〈猛牛〉の異名を取る女性隊士ベズス・ア=ラーウォだ。彼らはマオたちから一〇歩ほどの距離を置いて静かに馬の脚を止めた。上空の一名――マーティン・”氷犬”・モウは、そのまま制空権を抑えるつもりらしい。降りてくる気配は今のところない。
そして、ファウ・シノンの姿は見えなかった。非戦闘系である彼女は、恐らくどこかに伏せているのだろう。
「馬上より、失礼」
騎馬組の先頭に立つ、一見してリーダー風の人物が言った。
若い女の声だった。
無骨なインカルシ護士組制式の甲冑も、彼女が纏えば荘厳な煌めきを放っているようにも見える。
追跡部隊の長。〈青薔薇〉メイヴ・スカイアナハその人であった。
「お久しぶりですね、ヴァイコーエン卿。そして我が友マオ・ザックォージ。私が何故、この場に現れたかには想像が付きますね?」 彼女は優雅に身を翻し、体重を感じさせない身のこなしで地上に降り立った。
左腕にかかった護士組の紋章いりマントを品良く払い流した。
「しかし、事実はその想像とはかけ離れたところにあるのかもしれません。貴方がたにとって、状況は大変に芳しくないものになっているのです。特に――マオ。ショックを受けるかもしれないが、貴女には落ち着いて聞いて欲しい。つまり、護士組から正式に拝命した私の任務についてです」
「メイヴ……」
「私は出奔した貴女と、これに関与した者の処分を命じられました。その任を帯び、兵を預ってここに来たのです。分かりますか?」
だしぬけにメイヴから封貝の気配が膨れあがった。
それはさながら、視界に収まる全ての物を焼き炙る爆風だった。急速に押し出された空気が物質化寸前まで圧縮され、鈍器のようにマオたちの全身を襲う。目を開けていられないどころか、呼吸すらできない。荒れ狂う乱気流の中での溺死。そんな理不尽すら現実にしてしまいかねない暴力であった。
だが、実際のところ、メイヴ・スカイアナハはただ静かに、唇の上でこう囁いたに過ぎなかった。
「――〈Fox 1《フォックス・ワン》〉」
心臓を氷の腕で鷲掴みにされたような恐怖が、マオの全身を震わせた。本能が狂ったように警鐘を鳴らし始める。
あれは危険だ。あまりに。
メイヴ・スカイアナハが右手に握っているのは、青白い蛍光を放つ神秘的な騎士槍だった。全体が、氷洞の最奥に眠る永久氷壁から削りだしてきたかのごときアイスブルーに輝き、武器というよりは美術品さながらの優美さを醸し出している。
長さは両手持ちの大剣程度。少なくとも彼女自身の身長よりも長い。剣で言う柄にあたる部分は、まさに騎士槍のヴァンプレイトよろしく傘状に広がっており、そこから先端に向かって鋭く長細い三角錐が伸びている。各辺は薄らと透き通る鋭利な刃となっており、それが通常のランスのようにただ突くばかりの武器ではないことを物語っていた。
だが、この美しい封貝の最大の特徴は他にある。
本体である騎士槍と同時に顕現し、メイヴの周囲をゆっくりと飛び回る無数の青い輝きだ。それは氷でできた花のようにも――彼女の異名の由来ともなった青色の薔薇のようにも見えた。
「マオ・ザックォージ。ケイス・ヴァイコーエン……」
彼女が静かに告げた。
「私は貴方がたをこの手にかけねばならぬのです」




