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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
37/64

暁の感想戦

  036


 ナージャのマフラー型封貝は今、タライ型に成形されていた。

 あるいは、イメージ的にビニル製の子供用プールの方が近しいか。

 いずれであれ、そこに浅く張られた回復液は手を入れるとほんのりと温かかった。

 生まれたてのたいをそうするように、カズマは子猫コロパスをその中で仰向けにした。

 彼らは子どもの宿命として、頭部がとりわけ大きく、重たそうに見えた。

 支えとなるべき細首は、対してあまりに頼りない。

 力加減を少し誤るだけでってしまいそうで怖い。

 そのため左手を背中側にそわせ、特にうなじのあたりを下から支えることにした。

 空いた右手は水をすくい、鼻元にかからぬよう顔を塗らしてやる。

 三時間後に死ぬか。

 それが六時間後に伸びるか。

 実際、あってないような差ではあったが、より症状が重いのは小柄な女の子の方だった。

 。血。汗。

 その他の体液。

 そして恐らくは垂れ流しだった排泄物により、体毛が全身ガビガビに固まり、接着剤でそうしたようにべったり皮膚に張り付いている。

 まるで、鼻水を拭ったまま放置した毛糸のセーターだ。

 カズマはまず、その荒れ果てた毛並を手で揉みほぐすことから始めた。

 固まった毛のかたまりをつまみ、指の腹で優しくこすり合せる。

 髪にからみついたチューインガムを取るにも等しい、根気のいる作業であった。

 最初はなんとしても歯が立たないが、辛抱強く続けると少しずつ毛がばらけてくる。

 それに従い、硬化していた血や汚れが回復液に溶け出し、清水に落した墨汁のように黒ずんだもやとして広がり始めた。

 だが、それを許さないのが封貝の持つ不思議な浄化作用だ。

 濁りかかった回復液は、魔法さながらに元の透明度を取り戻していく。

「これは……凄いですね。お風呂に使えそうだとは思っていましたが、本当に汚れを消し飛ばしてしまっている」

 カズマの肩越しにその光景を眺めていたマオが、奇妙な驚き方を披露した。

「これ、この液体の浄化作用なのかな。それとも、器になってるマフラー封貝の方の力?」

 カズマは作業の手を止めることなく訊いた。

「どうなんだろうなあ。両方かもしれないな」

 カズマのベッドに腰かけたナージャが、脚をぶらぶらさせながら言った。

 ほとんど他人事の口ぶりだ。

「持ち主なのに分からないんだ」

 カズマは思わず苦笑するが、よく考えれば他人のことは言えない。

 自分も〈*ワイズサーガ〉や〈*ワイズオレイター〉の能力を完全に把握しきっているとは言いがたいのだ。

 それに、自動車のエンジン構造を知らずとも、自動車の運転はできる。

「ふんわりしてきたね」

 カズマの右横に並んでしゃがみこむエリックが、嬉しそうに指摘した。

「これなら、僕も手伝えそうだけど……」

「いや、それはやめておいた方が良い」

 意外な所からストップがかかった。

 輪から少し離れたところで静かに様子を見守っていたケイスだ。

「コロパスは子猫の姿で一度に何人も生まれてくる。だが、三人に一人は成人になる前に死ぬそうだ。幼いときは抵抗力が極めて低く、感染症にかかりやすいかららしい。それは風邪のように近付くだけでは移らないが、手で触れたりすると人間エインにも感染してしまう可能性があると聞いたことがある」

「人間に移るとどうなんるんですか?」

 カズマは問う。

「俺も詳しいわけじゃないが」

 断りつつも、ケイスは続けた。

「最初は皮膚に異常が現れるらしい。それから鼻炎に似た症状、発熱、倦怠感……。数日休めば治るが、稀に重症化することもあるそうだ。

 こうなると慢性化して大変だと聞くな。滅多にないが、命に関わる事態になることもあるんだとか。封貝使いは疾病に耐性があるからまだ良いが、ペルナの加護がない常人は慎重になるべきだ」

「彼らは――」

 と、カズマは手元に視線を一旦落しつつ言った。

「その感染症にかかっているんでしょうか?」

「まず間違いないだろうな。脱毛を伴った皮膚のただれやれ、出血などはその典型的所見だと聞く」

 ケイスの言葉に、マオも頷いた。

 彼女もこちらの世界の住人として、多少なり事情に通じているらしい。

 日本人が鳥インフルエンザや狂牛病にそれなりの知識を持つのと同じだろう。

 たっぷり小一時間ほどかけて丁寧に洗うと、女の子の方の毛並みは元の面影をなんとか取り戻すくらいには到った。

 こうして見ると、彼女ともう一匹は本当に兄と妹らしい。

 大きさが違うだけで、姿形は良く似ていた。

 毛並みは地球の猫でいうシャルトリュー種、あるいはロシアンブルー種を思わせる上品な蒼灰色ブルーグレイ

 すなわち完全なソリッドカラーであり、しまなどの模様、むらは一切みられない。

 子どもだからか、種族としての特性なのか、典型的な丸顔をしている。

 その上部、ふさふさの毛で覆われた両の耳は、やや大きめであった。

 両者とも固く目を閉じているため、瞳や虹彩の色までは確認できない。

 彼らの身体には、下手なゴルファーにえぐられた芝がごとき脱毛が無数にあった。

 下から除くピンク色の地肌は痛々しく腫れ上がり、熟れすぎて弾け裂けてしっまた果実そっくりに惨たらしい傷になっていた。

 だが、毛を洗い終えた頃には、それらの傷口も――少なくとも表面部分に限っては――早くもふさがりつつあるのが見て取れた。

「カズマ。差し入れだ」

 一階の居酒屋から戻ったケイスが、柑橘系のフレッシュジュースを渡してくれた。

 カズマは礼を言ってそれを頂戴する。

 最初は一口だけ含むつもりであったが、思いのほか消耗していたらしい。

 気付けば喉を鳴らして一気に飲み干していた。

「ナージャのこれは、病気も治せるのかな?」

 一息吐くと、カズマは口元を拭いながら問いを投げた。

 どうせ、ナージャ本人も把握していないことだ。

 全員に向けて訊く。

「メカニズムが分からないからねえ……なんとも言えないなあ」

 エリックが難しい顔でうなった。

「俺は難しいに一票だな」

 ケイスがエリックやナージャにも飲み物を渡しながら言った。

 ちなみにマオは、これから必要になるであろう綺麗な布や、子供服などの調達のため少し前から部屋を空けている。

「封貝は、契約者の健康時の生態情報を記録保存バックアップしておいて、異常や欠損が生じた――つまり怪我や病気になった――時、復元することができると言われている。事実、治癒能力が高い奴だと、腕を吹っ飛ばされても元に戻ることがあるからな」

 ケイスがごく当然のようにそう続けた。

 だが、カズマとエリックは「えっ」となる。

「なら、病気も治りそうな気がしますけど」

 エリックの分も代弁して、カズマは指摘した。

「問題はその病気の解釈だ。たとえば、シュドルフ病というものがある。

視力が極端に落ちるが、聴力が常人の数倍まで鋭敏になり、ごくまれにだが近い未来の出来事を予知できるようになることもある奇病だ」

 思わず、エリックと顔を見合わせた。

 視覚障害者は視力が弱い分、聴覚が発達するという話は地球でも聞く。

 だが、予知能力うんぬんはあり得ない。

 オルビスソーの非常識な摂理がもたらす奇跡なのだろう。

「それにダガン症候群だ。筋肉が異常発達する病気だが――これは別名、英雄病と言われていて、子どもでも大型の家畜を抱きかかえられる程の怪力を得る。どちらも医学的には病気だが、実はメリットも大きい。実際、治療したがらない患者も多いと聞く」

「つまり?」

 エリックが先を促す。

「つまり、封貝はそういう人間の価値観とは無縁の存在だということだ。だから、基本的に病気には手出ししない。客観的に、疑問の余地なく生命活動に致命的な害しかもたらさないものしか治そうとしない。

 仮に治そうとしてくれても、怪我ほど劇的な回復はできないことが多い。まして、直接の契約者が相手でないと精度が著しく落ちるのが普通だ。なにしろ、健康時のデータのバックアップがないからな」

「なるほど……」

 少なくとも、価値観が違うという部分についてはカズマも理解できた。

 たとえとしてぱっと思いつくのが、てんとう虫だ。

 彼らはえきちゅうである。

 人間の味方として、好意的に見られる代表例だ。

 農作物を食い荒らすアブラムシを駆逐してくれるからだ。

 しかし――と深刻な顔で聞かせてくれたのは、小学校時代の用務員だった。

 花壇の手入れをしながら彼が語ったところによれば、そのてんとう虫のうち幾つかの種は近年、その姿を急速に変えたのだという。

 森林伐採。人間による行きすぎた害虫駆除。

 これらによりエサを失ったのだ。

 そして食性を変えるに到った。

 今まで食べなかった物を食べ始めた。

 それがすなわち、農作物である。

  益虫であるてんとう虫が害虫化した瞬間だ。

 怪談めかしてそう言う用務員のおどろおどろしい語り口は、今も記憶に残っている。

 てんとう虫はなにか別の種に変化したわけではない。

 ただ、人間側が「助けになるか」「害になるか」で手のひらを返したに過ぎない。

 本来、自然界には益虫も害虫も存在しないのだ。

 ちょうに決まった境界がないように、またイルカと鯨が大きさで区別されている同じ動物であるように、多くの物は人間が自分の都合で分類を決めている。

 恐らく、病という概念もそうなのだった。

 そんな自分都合一〇〇パーセントのラベルに、封貝という第三者が興味を持つはずもない。

「実は僕、軽度の花粉症なんだけど――」

 だしぬけにエリックが発した。

 カズマは思考を中断し、そちらを見やる。

 彼は人差し指で頬を掻きながら、どこか言いにくそうな表情をしていた。

「医者からは、キミは花粉症のおかげでガンになりにくい。むしろ良かったねって言われたことがあるよ」

「えっ、花粉症ってガンになりにくいんですか?」

 カズマは驚いて問い返す。

「うん。なんか、専門医の間では結構有名な話みたい」

 エリックは困惑顔で頷く。

「花粉っていう異物に対して、免疫系が過剰に反応してしまうのが花粉症の正体らしいんだけど、それは悪いものに対する監視体制が厳しい証拠でもあるらしくてね。当然、その警戒はガンにも向けられるから、その分だけガンにもなりにくいんだとか」

「ちょっと待った。その理屈でいうと、アトピーも免疫系の暴走だし、蜂に二度刺されたらヤバイっていうアナフィラキシィなんちゃらもそうですよね。じゃあ、あっち系の人たちもガンのリスクが下がるってことになりません?」

「ああ、うん。アトピーにも同じ事が言えるとは実際、指摘してたよ。ガンの種類にもよるけど、極端な例だと抵抗力が通常の倍になるとか。

 たとえば金属アレルギィみたいな接触系は、皮膚ガン耐性が健康な人に比べて異常なくらい高いんだって」

 なんでも、スペインやアメリカなどの国立機関、日本においては東大の専門研究チームなど国際的な権威も認め、既に学会では定説となっている事実であるらしい。

「はー」

 カズマは臆面無く嘆声をもらした。

「花粉症、むしろ勝ち組じゃないですか。病気だって言って、なんでもやたらめったらに治せば良いんじゃないんですねえ……」

 ある病気であることが、より危険な大病を防ぐ効果があるとは驚きだ。

「だから、花粉症は軽度であるなら悲観的になることはないって。病院にいって病気なのを慰められたというか、祝福されたというか」

 なるほど、それでエリックが終始微妙な表情をしていたことにも納得がいく。

「じゃあ、この子たちの感染症も医療師に診せて、薬草なり効果のあるポーションを教えて貰わないとですね」

 言いながら、カズマはシュウを思い出した。

 インカルシでナージャ奪還に協力してくれた、オキシオの知人である医療師だ。

「働いて治療費をかせがないとだね」

 エリックが微笑した。

 自分も協力を惜しまない、という種の笑みだ。

 この仕事の話は、明け方近くになって再度話し合うことになった。

 夜の間は、睡眠の必要性が低い封貝使いが中心となり、交代で猫の面倒を見た。

 半分はカズマ。残りの半分をケイス、マオ、そしてナージャがローテーションする形だった。

「自分だけ寝ていられない」とエリックは渋ったが、そこは説得した。

 今後、自分たちが外に出ている間の面倒は、全てエリック任せとなる。

 だから今は休んで欲しい。

 そう説くと、彼はなんとか納得してくれた。

 五時間ほどして彼が床から抜け出してくると、ケイスが全員を集めて話を切り出した。

 名目上の代表こそカズマに譲ったものの、実質的なリーダーシップはやはり最年長の彼が負うところも大きい。

「レイダーとして、また独立した派閥プラトォンとして本格的に活動を始めることになった以上、はっきりさせておかなければいけないことが一つある」

 何だか分かるか。

 無言の問いと共に、彼は考える時間を皆に与えた。

「レイダーとして連盟から仕事を請け負えば、当然ながら報酬が発生する。

 その取り分のことだ」

 カズマは首肯しながら、なるほどと胸の中でつぶやいた。

 確かに、お金の問題はいつの時代、どこの世界でも揉め事の種となり得る。

「金には二種類ある。個人が自由にできるづかいと、派閥の共有資産だ。仕事クエストの報酬や狩りの収穫から、どれだけを自分の懐に入れ、どれだけを派閥の活動資金に回すか。重要な問題だ」

「後から喧嘩にならないように、ですね」

 エリックが表情を引き締めて言う。

 彼は幼少のみぎりより、全国的な強豪チームで野球を続けてきたのだ。

 大会出場や合宿などで頻繁に遠征を繰り返す部は、必然的に非常に大きな予算を抱えることになる。

 エリックはその責任を正しく理解して競技に取り組んできたに違いない。

 そして、今回の話はそれに通ずるところがあると感じたのだろう。

「難しい問題だと思は思いますが、それだけに業界での相場みたいなものもあったりするのでは?」

 マオが軽く挙手しながら訊いた。

 ケイスはこれに軽く頷いて答える。

「これと決まったものがあるわけじゃないが、確かに大雑把な基準みたいなのは確かにあるな。まず、狩猟や探索など、ほぼ全員参加の小集団パーティで得た収入。これは全体から七割を派閥に収めて、残りの三割を参加者全員できんとうに割るところが多い」

 だが、派閥のメンバーにはそれぞれ個性がある。

 何が得意で、何が苦手かは人それぞれだ。

 封貝を持つかどうかでも、できる仕事が違う。

 時にはバラバラになり、個々で違う仕事を請け負うこともあるだろう。

「この場合、派閥に入れるのは報酬の六割。四割は小遣いにして良い、としている派閥が多いらしい」

「パーティの時より、多めに小遣いにできる理由は?」

 とマオ。

「集団であげた成果は、誰がどれだけ活躍したかを考え出すと話が複雑になる。だから、多くの派閥はそういう思考を避ける。だが、個人で活動して個人で得てきた報酬は、そこが最初からはっきりしている。だから貢献度を加味して、少し多めに小遣いにしても文句が出にくいんだよ」

 また、派閥構成員は人員が必要なパーティでのそれを優先しなければならない。

 個人での依頼は集団としてのノルマをこなし、さらにその合間を縫って自主的に受けるものであるのだという。

 つまり、基本的に他のメンバーより積極的に、より多く働いた者が個人での報酬にありつく。

 ならば、自分の取り分を多くするのは当然だと考えられているらしい。

「あのう」

 マオに触発されたか、エリックが遠慮がちに手をあげた。

 眉をハの字にして、どこか言い淀みつつ続ける。

「僕は予定だと、街の中に残って言語の習得と、封貝を持ってなくても出来そうな仕事を個人で請け負うことになってたはずですが……」

 つまり、戦力外として常にパーティとは別行動となる。

 通常の、パーティの依頼をこなしつつ、副業的に個人のクエストという形にはならないと言いたいのだろう。

 カズマとしても、エリックのことは最大の懸念事項だった。

 仲間内で唯一封貝を持たない彼は、とかく劣等感を抱きやすい立場にある。

 名ばかりとは言え、代表者としてそのケアには気をつかわねばならない。

 が、年下であるカズマからの露骨なフォローは逆効果になりかねない。

 エリックをより恐縮させたり、酷くプライドを傷つけてしまう危険がある。

 エリートの道を歩んできたエリックだ。

 格下からあわれまれていると感じさせられることほどの屈辱はあるまい。

 カズマにはそんなつもりがなくとも、本人にそう思われてしまえばそれが全てとなる。

 エリックは年の割にしっかりしたところがある少年だ。

 だが、自分もまたそうであるように、彼もまだ一〇代。

 子どもなのだ。

 否、これは酸いも甘いも噛み分けたと思い込んでいる四〇、五〇の成人さえ陥りがちな罠だろう。

 プライドと劣等感の問題は、恐らく年代を問わない、極めて繊細で困難な問題なのだ。

「僕の考えを言って良いですか?」

 カズマは急いで考えをまとめつつ、口を開いた。

 反論が出ないのを確認して、続く言葉を紡ぐ。

「無駄に頑丈な封貝使いと違って、エリックさんは装備品の充実で身の安全を固める必要があります。

 余計にお金がかかるなら、エリックさんにはしばらく個人の仕事に専念してもらって、少しでも自分の自由にできるお金を稼いでもらうのは理にかなっていると思うんですが」

「なるほど。小遣いを多めに取れる仕事を優先させる代わり、それを使って装備を充実させろ、と」

 腕組みしたケイスが言った。

「その通りです。もちろん、メンバーの装備の充実は派閥全体で共有すべき問題ですから、組織からもお金の援助はしますけど」

「良いんじゃないですか、それで」

 マオが素早く賛意を表した。

「隊長が――ケイスさんがおっしゃった相場の話は、歴史の長い形の整った派閥での話でしょう。設立したばかりで、まだ形も整い切れていない私たちが、今のうちから必死でしがみつくようなルールでもありませんよ。派閥が軌道に乗るまでは、柔軟に対応していけば良いんじゃないでしょうか」

 例によって一切興味示さないナージャを含め、これに異論を唱える者はいなかった。

 空が白み始め、街がそろそろ目覚めようとしている時間帯ということもあり、その場は解散となった。

「カズマ、そろそろ出かける準備をしておけ」

 そういうケイスは、自らも寝台脇に置いた荷物の前で屈み込んでいる。

 ガチガチャと金属音がしているのは、装備品を整えようとしているからであろう。

「もう出かけるんですか?」

「今日に限っては、そうだ」

「レイダーの朝ってそんなに早いのか……」

 通訳を経て会話を聞いていたエリックが、感心したようにつぶやいた。

「いや、レイダーの始動は本来もう少しあとだ。連盟ギルドの窓口が開くのが、陽の二刻からだからな」

 の二刻――。

 言われても、ぱっとイメージが沸いてこなかった。

 こちらの世界では、時間の表現が複数あるためとかく分かりにくい。

 基本的には昼を六分割。夜も六分割。

 一日を計一二個に刻むのがオルビスソーの考え方だ。

 エリックによると、これを不定時法と言うらしい。

 日本でも江戸時代に採用されていた制度だという。

 刻んだ分のひとつだから、単位は刻。

 江戸時代ではときと読んでいたらしいが、オルビスソーではこくだ。

   こちらでは時計が普及していないため、庶民は一刻おきに鳴らされる鐘の音で大体の時間を把握する。

 ネクロスにも当然、大型の時計塔が複数有り、それらは街中に響き渡る大きな鐘を必ず備えている。

 管理は都市に委託された専門の職人達の仕事であるというから、彼らはいわゆる公務員の一種なのだろう。

 田舎の小さな集落にも規模こそ違え、こうした時計台やしょうろうの類が必ずある、とはケイスの弁だった。

 その上で「陽の二刻」を考えると――

 まず、夜が終わり日の出がくる。

 すると、それを知らせる朝一番の鐘が鳴る。

 これが恐らく「陽の一刻」だ。

 陽の二刻はその次に鳴る鐘だろう。

 今は夏と冬の間らしいので、日の出は日本で言う朝の六時前後と仮定できる。

 その二時間後なら、日の二刻は朝八時相当だ。

 なるほど、ギルドという公的機関の窓口が開くに相応しい時間帯ではある。

 その後、身支度を調えているうち、陽の一刻の鐘がなった。

 夜になる陰の鐘はコーンという落ち着いた音色だが、陽の鐘はガランゴロンと比較して少々癖がある。

 就寝時間と活動時間を考慮して、差を出しているのだろう。

 程なく、カズマはケイスにうながされて宿を出た。

 ナージャも一緒であったが、マオは別行動を取るという。

 コロパスたちのことは、予定通りエリックに任せた。

 一晩かけて面倒を見たおかげで、子猫たちはすっかり清潔な身体を取り戻していた。

 回復液から出したあと、十分に乾燥させたブルーグレイの体毛には本来の柔らかさと光沢も復活している。

 そこには一種の気品すら感じられ、まるで乞食にまで落ちぶれた貴族が一夜にしてその威光を取り戻したかのようだった。

 一方で、変わらなかった部分もあった。

 化膿した深い怪我の痕がそうだ。

 また、感染症によって醜くただれてしまった皮膚。

 炎症で腫れ上がった目周り。

 そして、身体のあちこちにできた哀れな脱毛。

 これらには、さしもの回復液もあまり効果をもたらさなかった。

 時間をかけた治療が求められるところである。

 だが、懸念された過治癒ともいうべき、再生効果の暴走が起らなかっただけましなのかもしれない。

「それで、僕らは一体、どこに向かってるんです?」

 目抜き通りは、既に朝の喧噪に呑まれつつあった。

 立ち並ぶ多くの店舗にはまだ準備中の札がかかってはいる。

 だが、開店に備えた慌ただしさは壁越しに通りまで伝わってくる。

 また、仕入れの商品の物流で往来もそれなりに頻繁だった。

 インカルシも大都市であったが、流石に首都となるとまたレヴェルがひとつ違うらしい。

「とりあえず一度、街から出る」

「外でなにをするのだ?」とナージャ。

 この問いに、ケイスは「訓練だ」と端的に答えた。

 果たして彼は真っ直ぐに市門を潜り、街道からも外れた人気のない平野にカズマたちを誘った。

 距離にして、ネクロスから二キロは離れただろうか。

 ただし、市外に出た瞬間、徒歩から封貝に切替えたため時間はそうかかっていない。

 多分、五分もかけていないはずだった。

「――よし、この辺なら良いだろう」

 プテラノドンに似た翼竜型の背に乗り、上空から安全性を確認していたケイスがゆっくりと地上に戻ってくる。

 召還時の口訣を信じるなら、彼の移動型封貝(ヴィクターワン)である。

 ――こいつは、飼うにしても日本の自分の部屋には収まりきれないな。

 カズマのその第一印象は、多分に現実逃避の要素を含むものだった。

 なにせ、羽ばたきに生み出された空気圧が、地表にぶつかり吹き荒れる様は丸きり暴力そのものだ。

 巻き上げられる砂塵は顔面を打ち付け視界を奪い、防風は呼吸を阻害する。

 ただ近付くだけで圧倒される、ちょっとした自然災害にも匹敵するエネルギィの塊だ。

 加えてその異形である。

 ちょんとつつくだけで、自分の胴体を簡単に貫通し、直径三〇センチの風穴をぽっかり空けてしまうであろう、重厚かつ鋭利なくちばしを視界に収めただけで、身体の芯から震えが込み上げてくる。

 スケールもそうだ。

 広げた羽を含めれば、本当にマンションの八畳部屋かは疑問という巨鳥である。

 自分を五秒で食い散らかせる化物がそこにいるのだ。

 獅子の檻に放り込まれる以上の本能的恐怖があった。

「レイダーは命懸けの商売だ」

 必死に畏怖の念と戦うカズマの耳に、その穏やかな声音は不思議とよく響いた。

 打たれたように顔を上げる。

 そしてケイスと目を合わせた。

「陽の二刻に支部が開く前に、今日から毎日、ここで訓練を行う。その必要性は、今の自分の状態を見ればもう分かるな?」

 言われて、カズマは自分の両手を広げて見詰めた。

 だしぬけに、小学五年生の頃の担任を思い出した。

 定年間近の老婦であった彼女の指も、よくこんな風に震えていた。

 甲状腺亢進症という病気のせいであったらしい。

「戦闘も商売のうちなのに、戦う前から六〇歳の老人みたいに震えてたんじゃ話になりませんからね」

 カズマは両の手を拳に変えながら、自嘲的に答える。

「まあ、そういうことだ。だが、誤解する前に急いで指摘しておくなら、震えるのはお前さんが特別臆病だからではない」

 そうか――?

 カズマは内心、首を捻った。

 ナージャを見ると、とてもそうは思えない。

 彼女は自分を丸呑みできるサイズの巨獣に対しても、スズメ感覚だ。

 躊躇なく駆け寄っていき、今この瞬間も、その嘴を触ったり顔をでたりしている。

 年下の女の子との、この差だ。

「ケヴレスによる統一戦争のひとつ前、オルビスソー全土を巻き込んだ大昔の大戦の時の話だ。それが一段落したあと、世界中で集まった軍関係のデータ検証が行われた」

 突然、何の話だと思ったが、カズマは黙って聞いた。

「そんな中、おかしなことに気付いた学者がいた。封貝使い一〇六名が、封貝なしの一般兵で組織された二万の軍にぶつけられた戦場のデータだ」

「何かあったんですか?」

 訊くと、ケイスはひょいと両肩を持ち上げた。

「死人があまりに少なかったんだ。一〇〇対二万でも、構図が封貝使いと一般兵との激突なら、それは普通、一方的な虐殺になる。

 封貝使いの圧勝だ。二万程度、その日のうちに壊滅だよ」

「でも、実際はそうはならなかった?」

「そう。もちろん、封貝使い側が勝ったには勝ったんだが……」

 一般兵側の死者は六〇八名。

 負傷者こそその一〇倍に達したが、全滅が当然の状況にあっては異様な小数だった。

 しかも、決着には二日かかっている。

「なぜ、こんなことが起きたか。実際、その戦闘に参加した両軍の兵士に聞き取り調査したり、現地を見分してみた結果、それが分かった。

 封貝使いたちは戦えなかったんだ。自分たちの方が圧倒的に強いと分かっていたが、頭を抱えて泣き続けるだけだった奴が、分かっているだけで八人いた」

 いざ封貝を呼出して戦った者も、多くが殺人の禁忌に苦しんだ。

「面白いことに、その戦場では封貝が炸裂した時にできる、地面の窪み――クレーターが多く見られた。だが、それがあっちこっちに分散してるんだ」

 ここまで言われれば、カズマにも話が見えてくる。

「誰もいないところを、わざと狙って撃ったんですね?」

 下に向けては無人の荒野を。

 上に向けては遙かなる蒼穹の彼方へ。

 封貝使いらは、戦場で意味のない土木工事と宇宙開発を行っていたわけだ。

「そう。敵側の兵からもそれに関する証言が複数得られている。どんなに少なくとも一〇人から二〇人は、あえて自分たちを避けて攻撃しているように見えた、と」

 実際、似た話は地球にも残っている。

その最たる例がアメリカの南北戦争だ。

 あの内戦の終結後、軍は戦場から捨てられたマスケット銃を二万七五〇〇挺を回収した。

 そのうち、二万四〇〇〇挺に弾が残っていたと報告されている。

 異様な数だ。

 多くの兵士が撃つフリを繰り返し、そして無駄に弾の交換を行った結果である。

 そうして彼らは人殺しを避けた。

 現在では、それが定説的な見方となっている。

 第二次大戦でも、相手に発砲できた兵士は全体の二割前後だけだった。

 この調査結果には米軍自身、衝撃を受けたらしい。

 実際、訓練方法の抜本的な見直しを迫られている。

 結局、まともな人間は殺される恐怖以上に、殺すことに強い抵抗を覚えるものなのだ。

 戦場では理性など吹っ飛び、人は生存本能のまま禁忌の領域に踏み込んでいく――。

 そう頑なに信じる者もいるが、多くの場合、それは妄想に近いということだ。

「その手の資料、ヨウコにたくさん読まされたっけなあ……」

 何となく当時を思い出して、カズマはぼんやりつぶやいた。

 まだ、近所の悪ガキと鬼ごっこに興じるような年齢だった頃のことだ。

 カズマは鬼から逃れるため、彼女のスカートの中に隠れようとしたことがある。

 当然、ヨウコは列火のごとく激怒した。

 ただ、激情に任せて暴力を振るう少女ではない。

 だが罰は当然、下される。

 大抵、カズマに課せられる刑とは哲学書や歴史書などの書写だった。

 それらは恐らく、自分の人格形成に無視できない影響をもたらした。

 懐かしさに、カズマはふと笑った。

 幼い日の思い出が、緊張を幾ばくか解きほぐしてくれたのが分かる。

 彼女はもう側にいないが、彼女の存在は自分から切り離せない。

 誰もそれを奪うことはできない。

 そのことが今、なにより嬉しかった。

 実際には懐かしがるまでもなく、鶴田やノアと組み、ラブレターに見せかけた挑戦状を送った際に、この刑罰は受けたばかりだが――。

「僕がまともに戦えるようになれば、全体の力も上がる。自分がこのまま中途半端なままで良いとは思ってないし、稽古をつけて貰えるなら望むところです」

 都合の悪いことは忘却と書いた屑入れに投げ込み、カズマはきりっとした顔で言った。

「その意気だ」

 ケイスが微笑んだ。

 まずは、お前の力が見たい。

 彼はそう告げて、まずカズマとの一対一の模擬戦を提案してきた。

「俺は力を二割以下におさえて、パール級の戦闘力を再現する。白級は脱初心者を果たして、レイダーとしてようやく一人前になり始めた連中だ。カズマ。お前さんの当面の目標でもある」

「はい。お願いします」

「初回の開始位置はそちらに譲ろう。好きな距離から初めて良い」

 言われて一瞬、考えた。

 現状、相手にダメージを与えられる封貝といえば――

 右腕の〈*ワイズサーガ〉しかない。

 つまり、封貝持ちなのに接近して殴りつけるという原始的な攻撃手段しかないのだ。

「そっちのタイミングで来て良いぞ。いつでも好きに始めろ」

 ならば、とカズマはケイスに向かって歩き出した。

 既にプテラノドンに似た巨鳥は引っ込められているため、気後れもない。

 そしてあと二歩、という所に到った瞬間、カズマは一方的に宣言した。

「行きます!」

 叫ぶと同時、いきなり残り二歩の距離を踏み込んだ。

 自然体のまま棒立ちしているケイスに正面から迫る。

 が、正面から殴りかかっても通用しないのは分かりきっていた。

 プロボクシングの世界ランカー上位に挑むのと同じだ。

 当たるわけがない。

 ならばひと工夫がいる。

 そして、それは仕掛ける前からイメージとしてあった。

 二歩目を踏み出すと同時、カズマは握りしめた〈*ワイズサーガ〉を右ストレートの軌道に乗せた。

 その時にはもう、無口訣で〈防御用封貝《Delta 1》〉の召喚を始めている。

 ショウ・ヒジカ戦をきっかけに手にしたこの新しい封貝は、無色透明なシールドだ。

 形状はほぼ正方形の薄いプレート型。

 一メートルを二、三〇センチほど超える、身を縮めれば何とか全身を覆えるサイズである。

 ただ今回、これを防御のバリアとしては使わない。

 ケイスの後方に気付かれぬよう展開する。

 背中に張り付くような近距離にだ。

 敵が身体ごと突っ込む勢いで突進してくれば、それがプロのボクサーであろうとも、高い確率で後ろ向きに間合を取ろうとするだろう。

 真後ろではなく、斜め後方に動くのでも構わない。

 そこにあるのは一メートル超四方の見えない壁だ。

 どうあれ必ず身体の一部が引っかかる。

 背中をぶつける。

 結果、刹那であれ絶対に隙を見せるはずだ。

 ――が、カズマは次の瞬間、驚愕に身を強ばらせた。

 拳を繰り出した瞬間、下がると思っていたケイスは全く予想外の動きを取った。

 むしろ前に出たのだ。

 そうして、すいと身体を沈めた。

 同時、地をわせるような極低空の回し蹴りが放たれた。

 重心のかかったカズマの軸足が、刈るように払われる。

 ふわりとした嫌な浮遊感。

 景色が異様な加速度で傾いた。

 本能的な冷たい恐怖で、うなじの産毛がチリつくように逆立つ。

 ややあって、重たい衝撃が全身を襲った。

 一瞬、肺から押し出された空気に血の味が混じる。

 何度か瞬き、痛みに暗転した視界を正常化させた時、もう勝負は決していた。

 いつの間にか、ケイスの左手に拳銃型封貝(Fox 2)が握られている。

 その銃口はまっすぐカズマの眉間に向けられていた。

「お前はこれで一度死んだ」

 言うと、ケイスは構えを解いた。

 空間に溶け込むように、その手から銃が消えていく。

「どうも、そのようです……」

「終わったら検証だ。何がよく、何が悪かったか。同じ局面に立ったとき、次はどうすれば良いか。まずは総括として、何か気付いたことはあるか?」

 言葉を切ると、ケイスはカズマから一度視線を外した。

 離れたところで見学していたナージャに顔を向ける。

「ナージャ、検討にはお前さんも加わって良い。意見があるなら積極的に述べてくれ」

「おお、私も良いのか」

 ぱっと笑顔を咲かせ、腕まくりするような仕草でナージャが近付いてくる。

「まず初手からだ」

 再びカズマに顔をもどし、ケイスが言った。

「感想戦って……やつ、ですね」

 カズマは転倒時にぶつけた肩をさすりさすり、立ち上がる。

 該当する言葉がないため、封貝は直訳で伝えたらしい。

 ケイスが怪訝そうな表情で微かに首を傾げた。

「感想戦?」

「僕の故郷でたしなまれている対戦型の盤上遊戯ボードゲームにおける作法です。

 対戦後、開始から決着までの手順、作戦、打った手を振り返って、その良し悪し、局面における最善手などを検討し合うことを、感想戦だとかポスト・モーテムと呼びます」

 ポスト・モーテムはチェスの習慣だ。

 医学界ではけんの意味で使われる。

 かなり一般化した言葉だ。

 感想戦の方は、もとは将棋用語らしい。

 囲碁でも使われるが、あちらでは単に「検討」と表現されることの方が多い。

 楠上家では主にシゲンがこれらを趣味としていたが、実際の対局となると、「ルールを知っている程度」というサトミが囲碁でも将棋でも圧倒的に強かった。

「――なるほど。俺は訓練において、その感想戦を重要視する方針だった。基本的に毎回やっていくつもりだから、お前たちもそのつもりでな」

「はい。お願いします」

 カズマが殊勝に返すと、ケイスは満足げに頷いた。

 それから、先程の問いを繰り返す。

 すなわち初手。

 なぜ、手合わせの開始をあの位置から始めたか――だ。

「僕の手持ちの封貝で、はっきりした攻撃力を持つのは〈*ワイズサーガ〉だけです。拳で殴るためには至近距離からスタートするのがベストだと考えました」

「そうだな。俺がカズマの立場でも、同じ選択をしただろう。ナージャはどうだ?」

「私がダーガなら、凄く遠いところから始める。そしていきなり逃げる」

 ケイスが声に出さず、「ほう」と口だけ動かした。

 ナージャはそれに気付いた風もなく、淡々と続ける。

「殴らないと攻撃できないんじゃ、勝ち目は薄い。実戦なら逃げた方が良い。相手が追いかけてきたら、それはそれでどんな移動型ヴィクター封貝ペルナを持っているか手の内が分かる」

「そうか……」

 カズマは思わず唸った。

「確かに今、未知の敵と遭遇したら、どう勝つかじゃなくてどう生き延びるかを考えるな……」

 至近距離から始める、というのは勝つことが目的なら最善手かもしれない。

 だが、生き延びることを考えればベストの選択ではない。

「手合わせの前に、これがあくまで訓練であるか、実戦を想定したシミュレーションであるかは明確にしなかった。とらえ方で最適解も異なるというわけだな」

 ケイスがまとめる。

「では、次。カズマの次の行動と戦術的思想についてだ」

 これは難しくない。

 自分が何を考え、どんな目論見で先程の攻撃パターンを選んだか。

 カズマはありのままをストレートに話した。

「ナージャ。今のを聞いて、何か意見はあるか?」

 ケイスが質問を飛ばす。

 その口ぶりは、黒板を背に立ち、問題に答えるよう生徒を指名する教師そのものだ。

「私は結構良かったと思うぞ。ダーガが盾を張ったことは気付かなかったし。今回はうまくいかなかったけど、運が良ければ計算通りにいったかもしれないな」

「えっ、封貝って気配で分かったりするんじゃないの?」

 この辺り、まだ封貝使いとして半人前のカズマは鈍感なところがある。

 あふれんばかりの圧倒的威圧感などは察知できるが、逆は難しい。

 微弱な気配を読み取れといわれても、今のところはお手上げだ。

「俺も、防御系封貝デルタ・ワンに背後を取られたことには気付かなかった」

 ケイスが横から加わった。

「感知特化のザックォージならもしかすると分かるかもしれないが、基本的にカズマのデルタワンは〈不可知〉かそれに近い特殊効果を持っていると考えて良いんじゃないか?」

「目に見えないだけじゃなくて、封貝が本来発している気配もないと?」

「多分な」

「うむ」

 ナージャも同調した。

「私もそう思うぞ」

「へえ……。デルタ系として、それは良くあることなの?」

「多くはない。だが、極端に珍しいわけでもない」

 ケイスの言い回しは微妙だった。

 実際、微妙な比率なのだろう。

「デルタ系の半分近くははっきり目に見える盾だし、透明でも薄ら光ってそれと分かったりする。

 完全に不可視のタイプでも、気配だけならなんとなく感じられたりな。だから気配も完全にないというのは少数派だ」

「私も話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだな」

 と、ナージャ。

「まあ、封貝を沢山みた経験があるわけじゃないから、当然かもしれないけど」

「でその盾を使った戦法については、他に感じたことがあるか?」

 ケイスが脱線しかけた話題を、感想戦に戻す。

 するとナージャがまたすぐに口を開いた。

「透明で匂いのない盾が珍しいなら、それを使うダーガ自身も珍しいタイプだと私は思ったぞ。

 素人は防御デルタ系の封貝を初めて使う時、そのまま盾としてのみ使おうとする。相手が攻撃してきたら〈Delta 1《デルタワン》〉を出して防ぐ。それで精一杯になってしまう。

 でも、ダーガはいきなり相手の動きを邪魔するための障害物に使った。デルタ系は防御にしか使えないという思い込みがないのだ。発想が自由なのは良いことだ」

「確かに、その点は俺も評価している。恐らく、ショウ・ヒジカに目を付けられたのもだからだろう。奴は、応用が利く先の読めない敵を好む」

「おお、いきなり褒められてますね」

 遥か格上たちからの高評価だ。

 カズマとしても満更ではない。

 だが、結果だけ見ればさんたんたるものだった。

 なにもできずの大敗北だ。

 喜んでばかりはいられない。

「不思議なのは、ケイスさんがなんで向かってきたかです。普通、あそこは引いて避けますよね」

 そのために、体当たりも辞さないという勢いを演出して見せもしたのだ。

 カズマは納得がいかず追求した。

「僕がザコだと分かっていたから、真正面から迎え撃ってカウンターで楽々しとめられると思ったんですか?」

「違う」

 ケイスがきっぱり否定する。

「武器が〈*ワイズサーガ〉だけというなら、それだけ警戒しておけば良いからだ。

 ――カズマ。お前自身、有効打を与えようとする場合、右の拳以外に選択肢を考えなかっただろう?」

 確かに、それはその通りだった。

「拳が来ると分かっていれば、引く必要などない。身体を低く沈めれば良いからだ。それでもう攻撃は届かない。あとはしゃがみながら打てる攻撃方法を選べば――」

 語尾をぼかしたケイスは、代わりに肩を軽くすくめた。

 チェック・メイト。

 王手詰み、といったところだろう。

「でも、ケイスさんは僕が持ってる封貝を全て把握してるわけではないですよね? あそこから別の何かが来る可能性は考えなかったんですか?」

「確かにお前の全てを知っているわけではない。しかし、少なくとも遠距離用封貝フォックス・ツーが音を出すだけの〈*ワイズオレイター〉であることは知っていた」

 また、仮に〈Fox 3〉を持っていたとしても、それが〈*ワイズサーガ〉の代替になる接近戦用だとは考えにくい。

 ケイスはそうも指摘した。

 封貝は互いの欠点を補い合う形でコンポーネントを形成する。

 射撃用が音しか出せない欠陥品なのに、その穴を埋めずに更に白兵戦用を増やすとは考えにくい、というのだ。

「カズマに〈Fox 3〉があったとしても、それは中・長距離向けだと予測できる。そして、そんなものがあるなら、あんな吐息のかかるような至近距離から始めたりはしない。

 結論。お前に〈Fox 3〉はない。違うか?」

「ああ……」

 ぐうの音もでない正論である。

 銃を持っているのに、熊に向かって素手で戦いを挑む馬鹿はいない。

 特に戦闘の素人は、なるべく敵から離れたがるものだろう。

「そうか。開始位置を殴り合いの間合から初めた時点で、他に手はありませんと言ってるようなものだったのか……」

「飛道具の選択肢があるなら、それなりの間合を取るのが常道セオリーだ。そうしないのは、刃物での斬り合いを好む狂戦士のような奴らか、お前のような他に選択肢がない奴のどっちかだ。前者としてはショウ・ヒジカがまさに典型例だったが」

「ああ、あれですか……かすっただけでも致命傷を喰ったような激痛と幻覚を食らわせてくる、あの極悪な特殊効果持ちの剣……」

 カズマは顔を歪めながらつぶやく。

 経験者としては、二度と思い出したくない悪夢である。

 まさしく心的外傷トラウマだ。

 逆に、嗜虐的なショウ・ヒジカの性格からすれば、あれは振るうのが楽しくて仕方のない凶器だろう。

 射撃もできるのに、刃物による接近戦を好むというのも理解できてしまう。

「――よし、では初回の感想戦はこんなところにしておこう。

 次は、なるべく多くの封貝を組み合わせて、自分に何ができるかを試してみろ。こちらからは一切攻撃しないから安心して良い。勝利条件は、俺から一本取ることじゃない。自分の封貝への理解を深めることにある」

「了解。よろしくお願いします」

 カズマはひとつ頭を下げ、走ってケイスから距離を取った。

 ナージャも再び見学者の位置まで離れていく。

 二戦目は中距離から始めた。

 距離にして二〇メートルといったところか。

 エリックなら、ピッチャーから捕手までの距離と表現したかもしれない。

「しかし、僕って攻撃手段がなさすぎだよな……」

 作戦を練りつつぼやく。

 そうせずにはいられなかった。

 そもそも、〈*ワイズサーガ〉にしても強力な武器というわけではない。

 金属製と思われるため、素手で殴るよりは威力があるだろう。

 現状はその程度のものだ。

 ショウ・ヒジカの封貝のように、打撃を当てれば何か特別な効果を発揮するということもない。

 至近距離まで間合を詰めないと有効打を叩き込めない不利。

 加えて破壊力の弱さ。

 どれをとっても戦闘向きとは言いがたい。

「射撃用が音出すだけって時点で、後方支援型とか芸術型とか、なんかそんな感じのタイプなんだろうなあ」

 思わず溜め息が漏れる。

 だが、それが贅沢な悩みであることに、カズマはすぐ気付いた。

 封貝を持たずにあれだけ苦労しているエリックを普段見てきているのだ。

 文句など言えるはずもない。

 むしろ罰が当たる。

 言葉の問題をはじめ、封貝が確かな――そして大きな助けになっていることは間違いないのだ。

 気分を切替え、カズマは「行きます」と宣言した。

 先程は、封貝のバリアを攻撃に応用して評価された。

 それに気をよくして、更に思いついたことがある。

 瞬間的に現れる、頑丈な見えない板。

 これは足場にもなるのではないか、というアイディアだ。

 ケイスに向かって全力疾走しながら、カズマは無口訣で〈防御用封貝デルタ・ワン〉を呼出した。

 透明な盾は約一・二メートル四方。

 階段のステップとしては大きすぎる。

 小さくできないか。

 念じてみると、ちょうど半分にできた。

 最大サイズの時は、感覚からしてどうやら四枚まで同時に展開できる。

 大きさが半分にならば――?

 試すと、目論見通りにいった。

 倍の八枚が同時に出現する。

 それを階段状に並べ、一気に駆け上った。

 敵には気配すら感じられない幽霊さながらの封貝も、使用者本人にはこれ以上なく存在をはっきり感じられる。

 誰であれ、目を閉じても正確に自分の鼻の頭を指で触れるのと同じだ。

 見えるかどうかは重要ではない。

 まるで身体の一部のように感覚で把握できるならなにも不都合はないのだ。

 実際、足を踏み外すのではないか、といった恐怖は全くなかった。

 下が透けて見えるのは少し怖いが、これは幅が何メートルあろうと変わらない本能的な恐怖だ。

 しかも、我慢できないほどではない。

 カズマは一気に踏破し、瞬く間に上空三メートル地点にまで到達した。

 ちょうど、学校の教室の天井の高さだ。

 そこからは高低差をなくし、バリアプレートを水平に並べて一本道を作った。

 進む度に背後に流れた分を消し、また先端に継ぎ足す。

 繰り返せば透明な道を延々と走り回れる。

 封貝が怖いくらいイメージ通りに動いてくれることもあり、様子を見るため速度を落す必要もなかった。

 見下ろす地上のケイスは一歩も動く気配を見せない。

 ただ顔を上げ、見えない天井裏を駆け回るカズマを目で追っている。

 防壁は見えず、気配も察知できない。

 この情報をケイスに知られたことは、決して不利益ではない。

 むしろ、カズマにとっては有利だ。

 それを使って何を仕掛けてくるか。

 ケイスはひとつ警戒すべき物を増やした。

 注意が分散すれば、その分だけ集中力を消耗する。

 すきを作りやすくなる。

 相手が次に何をしてくるか想像できないのは、常にストレスだ。

 カズマはケイスの頭上を大きく輪を描くようにして走り続けた。

 この封貝による空中通路の欠点は、カーヴだ。

 正方形を組み合わせるので――直角なら良いが――緩い曲り道にすると隙間ができる。

 足を踏み外す危険があるため、どうしても速度を落さざるを得ない。

 そしてもう一つ。

 封貝には、基本的に二種類の同時使用ができないという制限があることも無視できない。

 走り回るだけでは、相手を倒すことなど不可能だ。

 いつかは攻撃に転じる必要がある。

 だがそのためには一度、バリアを消さねばならない。

 だったら……!

 カズマは覚悟を決め、声を上げて口訣した。

「〈Fox 2(フォックス・ツー)〉ッ!」

 バリアを消すと同時、入れ替わりに〈*ワイズオレイター〉を複数召還した。

 テニスボール大の球体を隙間なく並べて、板状に並べる。

 新しい足場だ。

 だが、これはフェイントだった。

 好守の入替えと足場の確保のために〈*ワイズオレイター〉を呼出したと思わせつつ、だが本命は別にある。

 ケイスの背後に実体化させた、ピンポン球サイズの一個がそれだ。

 この封貝は、ジャリ……っというごく小さな音を一度だけ発する。

 手練なら――否、ケイスのような熟達のつわものだからこそ、その微かな異音を聞き逃すことはない。

 なにせ、ものが背後から忍び寄る何者かの足音だ。

 耳に入れば、そちらに一瞬、意識を向けざるを得ない。

 肉体は、訓練によって染みこまされた緊急動作を自動的に実行する。

 それこそが待っていた隙だ。

 瞬間、カズマは地上へ向けて身を翻していた。

 足からではなく、スカイダイヴィングのように身体を開いて落下する。

 その重力加速までを味方につけ、〈*ワイズサーガ〉でケイスを強襲する。

「――〈Fox 1(フォックス・ワン)〉ッ!」

 口訣することで威力が上がるかは疑問だが、とにかく叫んだ。

 ほとんど身体ごとぶちかます勢いで、渾身の右を繰り出す。

 と、思わせるのもまたフェイントだった。

 最後の一撃は必ず右で来る。

 それが読まれていれば、ケイスクラスなら完全に虚を突かれた状態からでも回避してくるだろう。

 ならば、もう一ひねりしないと攻撃は当たらない。

 ケイスが回避の体勢に入ったのを見たカズマは、すんでのところで拳を引っ込めた。

 空中で身体の向きを変え、両脚で着地の体勢を取る。

 口訣まですれば〈*ワイズサーガ〉で来ると相手は信じ込む。

 だが、一緒に念を込めなければ口訣は効果を発揮しない。

 いわばカラ口訣になる。

 〈*ワイズサーガ〉が義手として常に実体化した状態――常時顕現型であることを逆手に取った小細工である。

 必殺パンチ! と叫びながら、実際は蹴りを出すようなものだ。

 両脚が雑草に覆われた大地に着地した。

 三メートルの高さは馬鹿にならない。

 途中で着地体勢に入ったこともあり、衝撃は想像以上だった。

 膝のクッションでは勢いを殺しきれず、でん部が地面に突き刺さりかけた。

 危うく尻もちだ。

 動きも一瞬止めざるを得なかった。

 髄骨の《ずい》まで響く鈍痛がすねに走る。

 同時に発生した電流のような痺れは、身体の芯を通って顎にまで伝わった。

 それらの全てを意思の力でねじ伏せ、カズマは跳ね上がった。

 ケイスとカズマとを隔てる距離は二メートルもない。

 そして両者の間には今、一枚の見えない盾がある。

 落下中、「フォックスワン」と唱える裏で密かに召喚していたカズマの「デルタワン」だ。

 高さは腰のやや上方。

 ここまでならカズマの固い身体でも無理なく足が上がる。

 伏せた状態で浮いているその不可視の盾の縁に、カズマは靴底を思いっきり叩きつけた。

 押し出す要領で渾身の力で蹴り飛ばす。

 もちろん、狙いは虚を突かれて対応が遅れているケイス。

 そのがら空きのボディだ。

 打ち出された透明のプレートは、唸りを上げて飛んでいった。

 元々、接近戦の間合だ。

 目標までは数十センチ。

 これは避けられない。

 残心も忘れてカズマは勝利を確信する。

 だが、笑みを形作ろうとした口元の表情筋は、途中で痙攣するように引き攣った。

 ケイスの姿が、冗談のような動きで真横に滑っていくのを見たからだった。

 ほとんど瞬間移動に近い反則的な挙動だった。

 ――うそでしょ?

 驚愕するでもなく、理不尽に憤慨するでもない。

 ただ然させられた。

 心を無くすと書いて憮然。

 まさしく絶望で抜け殻になったような心境だった。

 これで駄目なら、どうすれば有効打を当てられるんだ?

 思いはその一言に尽きた。

 ケイスが相手なら、弾倉が空になるまでマシンガンを乱射しても命中させられる気がしない。

 銃弾を避けるような理不尽を相手に、どうしろと?

「よし。訓練状況、終了だ」

 その声にカズマははっとする。

 見れば、左横に回り込んだケイスが、いつの間にか構えていた〈Fox 2(フォリオン)〉の銃口をカズマから外そうとしている。

 その距離、約三歩。

 攻撃をかわした後、一瞬でそこまで移動したらしい。

「これは酷い……」

 カズマは思わずこぼした。

 半分、無意識からの言葉だった。

「えっ? 今の動きも、パール級に抑えての話ですか?」

「そうだ。白級は大体、あれくらいの動きをしてくる」

 そのあっさりとした肯定は、カズマを更に打ちのめした。

 つまり、標準的な封貝使いは全員このレヴェルということだ。

「じゃあ、ナージャも?」

「封貝使いは鉄砲の弾にも対応できるぞ。初めて会った時、ダーガにも見せたではないか」

 言われて思いだした。

 確かにルネ・クラウセンから彼女を紹介された時、拳銃を使ったデモンストレーションを見せられた。

 至近距離から発射された拳銃弾を、ナージャのマフラー型封貝が受け止める。

 そんな常軌を逸したパフォーマンスであった。

 あれは封貝の自動防御の凄さを見せつけられた形だった。

 カズマは説明を受けるまで、何が起ったのか理解できなかった。

 だが、ナージャは全てが見えていた者にしか許されない、平然とした顔だった。

 撃たれたこと。

 自分の顔に向かってくる複数の弾丸。

 全てを見た上で、封貝に任せておけば良いと判断し、その場から動かなかった。

 恐らく、そういうことなのだ。

 いざとなれば、いつでも自力回避に切替えられる。

 そんな自信があればこその態度であったと言えよう。

「でも、なんでそんな非常識な回避ができるのさ? 音速に近い弾丸を躱すのは、脳神経系の情報伝達速度の限界がるから物理的、生物学的に不可能って結論出てるんじゃなかったっけ」

「なんでって言われても、実際できるからなあ……」

 ナージャが困ったように眉尻を下げる。

 ジュリエットに「なぜ貴方はロミオなのだ」と涙ながらに迫られでもしたかのような表情だ。

「まあ、それを痛感できたなら今日のメイン課題はクリアだ」

 血相を変えるカズマを平然と受け流し、ケイスはさらりと告げる。

 感想戦と一緒に、それについて講義しよう。

 続く言葉でそう言われたため、カズマはひとまずやり場を失い欠けていた矛先を収めた。

「あくまで俗説だが、多くの者が信じていることに、封貝は時間を超越する存在だという考えがある。もう何度か言ったかもしれないがな」

 時間を超越する。

 改めて考えてみたが、うまくイメージできない。

 そんなカズマを尻目に、ケイスは続けた。

「そう言われるようになったのには、当然、理由がある。まず、封貝使いが老化しないこと。非常に長く生きられるようになること。

 人々は、そんな封貝使いを見て思ったらしい。連中が若いまま長く生きられるのは、封貝によって時を止められたからではないか、と」

「まあ、僕みたいに普通の人間から、徐々に封貝使いになっていった例もあるみたいですしね。

 いきなり老化が止まれば、そう思われるのは当然でしょう」

「実際、否定材料もないからな。同じ事は封貝使い自身も感じていて、それは同時にカズマの疑問――つまり、目の前から撃たれた矢を回避できる素早さの説明にもなる」

 それでピンきた。

 神経系の伝達速度を超える動き。

 限界を超えた回避能力。

 そして時間の超越。

 ピースを組み合わせていけば、全体像も見えてくる。

「気付いたみたいだな」

 よほど顔に出ていたのだろう。

 ケイスが薄らと笑んだ。

「そう。封貝使いの周囲は、時間の流れが遅い。個人差があるが、どうも胴体を基準にすると、服のそでの長さ分くらいの範囲から、その影響が顕著にで始めるらしい。そして皮膚に近付けば近付くほど、時間の流れは加速的にゆるやかになる」

 袖の実際的な長さと言えば、四〇から五〇センチになるだろう。

 つまり、封貝使いは自分の周囲に、全てがスローモーションになるオーラをまとっていることになる。

「えっ、それっておかしくないですか? だったら、ケイスさんが今しゃべった言葉も贈れて聞こえないといけない」

 なにせ口から出た瞬間、スロー再生が始まるのだ。

 音は何秒もかけてゆっくり範囲五〇センチのオーラ内を進み、その影響下から脱したところで通常の音速に戻る。

 結局、喋り始めから相手に声が届くまで、随分と時間がかかってしまうだろう。

「影響が出るのは、外側から向かってくるものだけだ」

「つまり、自分が出した声にスローモーションの呪いはかからないと? それでも説明にはなりませんよ。

 だって、外部からのものには有効っていうなら、僕の声にもスローモーションの呪いがかかる。僕の話は遅延してケイスさんやナージャに届くはずだ。でも、そんな様子はないですよね」

「それは、封貝が取捨選別していると言われている」

 カズマの反応を予測していたように、ケイスは素早く答えた。

 実際、想定していたやりとりなのだろう。

「それは分かる気がするな」

 やにわに発されたナージャの声に、カズマはそちらへ顔を向けた。

「私の〈*旋火の綾〉は危険に反応して自動で防御に入る。

 ダーガも、これが勝手に動いて鉄砲の弾を受け止めるのを見ただろう?」

 見ると、ナージャの声に合わせて首元の赤いマフラーがゆらゆらと微かに揺れていた。

 主の言う通りだ、と動きで主張しているようにも見える。

「だからといって、〈*旋火の綾〉は私の五〇センチ圏内に入った物になら何でも反応するわけじゃない。危ないものだけちゃんと選んで判断している」

「つまり、外側からの脅威と判定されるものだけ、スローモーションにしてるってこと?」

「封貝は、そうした脅威から時間を奪い、喰らうことでエネルギィを得ているのだ――と、唱える研究者もいたらしい。

 突入速度が速い攻撃ほど大きくエネルギィを奪われ、元からスピードが遅い物はそれほど減速されないことも、この仮説を補強している、と彼らは主張している」

「時間を喰う?」

 これは大変に奇妙な響きだ。

 地球が属する宇宙において、時間は空間とひも付けられた存在であるはずだからだ。

 もちろん、カズマは相対論など詳しくない。

 だが、時間だけを取り出してエネルギィとして扱うなどといった話は聞いたことがない。

 単に、重力や加速度への干渉、操作をそう表現しているだけとも考えられるが――

「でも、封貝だしなあ」

 存在そのものが理屈で説明できない。

 それが封貝だ。

 常識が通用するとは到底思えない。

 逆に、あらゆる理不尽は「封貝だから」で全て説明できそうな気がする。

「実際、そのスローモーション領域の理論なら……僕の攻撃が華麗にかわされたことに説明がついちゃうしなぁ」

「光の速さの攻撃は九九%以上、力を奪われて音速くらいになる。結局、人間が鉄砲を避けるのと難易度は同じだ。

 元が音速くらいの攻撃は、八割くらい削られて時速二〇〇キロくらいになる。これくらいだと、ある程度距離があって、反応が良ければ避けられる。封貝使いの世界では、そんな感じになると思ってれば良いらしいぞ」

 クラウセンが言ってた、とナージャが得意げに胸を張る。

「封貝使いにとっては、銃なんてブロテニス選手のサーブを避けるくらいの感覚なのか」

 そりゃ、対応もされちゃうよな。

 半分、呆然としながらも納得する。

「つまり、封貝使いに攻撃を当てたければ、少なくとも音速に近い攻撃でなければならない。それでも距離があって、かつ単発だと余裕で回避されちゃうから、手数で攻めるか、距離を詰める必要がある。もしくは回避が難しくなるくらい、相手の体勢を崩さなくちゃ駄目、と」

 カズマは指を折々、条件を列挙していく。

 積み上げていくうち、そのあまりの難度にどんどんとトーンが落ちていった。

「防御を忘れてるぞ」

 ケイスがとどめを刺すように言った。

「避けられないなら、デルタ系を召喚して受け止めてくる」

「そうだ……さらにその防御も破るか、させないかの方法を考えないと」

 カズマは途中で口を閉ざした。

 顔から一切の表情が抜け落ちていくのを感じる。

「無理でしょこれ」

 しかも、実戦だと相手は動き回る。

 牽制も、攻撃も、反撃もしてくる。

 今日のケイスのように、棒立ちで受けに徹してくれることなどまずない。

「その実感を忘れるな。自分の実力から、正確にミッションの難易度と達成確率を計算できない奴を待っているのは死だけだ」

 まさに教官といった口ぶりで、ケイスが言った。

「では、それを踏まえて今日得た教訓を自分なりにまとめて見ろ」

 これはもう早かった。

 改めて考えをまとめるまでもない。

「一、今の僕ではパール級にすら到底歯が立たない。

 二、よって白級以上の脅威を前にしたら一二〇%逃げに徹する。

 三、パターンがないとこの先には行けない。

 四、僕はとてつもなく弱い」

 色さえ貰えない、無印ブランク級。

 新入りレイダーはここからランクアップしていく。

 現状、この無印こそ自分の実力にふさわしい。

 それをカズマは痛感していた。

「まあ、そんなところだろう」

「しかし、僕はまだ半分も封貝使いになれてない感じですね。まず、その半径五〇センチのスローモーション領域というのが実感できない。ナージャみたいに、でっかい馬を軽々持ち上げるようなパワーもないし」

「成長型には、時々そういう奴がいるようだな」

 ケイスの口ぶりから察するに、そう異常な例でもないらしい。

 少なくとも今の段階で焦ることはないのだろう。

 レイダーの中には、少ないながら封貝使いでない普通の人間エインもいると聞く。

 身内を見ても、エリックだってその道を行くことになるのだ。

「いつになったら、僕もまともな封貝使いになれるんですかね」

「いつかは分からんが、属性が分かるようになれば一応、一人前と認められ派するだろう」

「えっ、属性?」

「封貝には幾つか系統があると言われている。大体は五大系統と呼ばれているどれかに属するんだが、それはエインでいうなら、移民系アンカー先住民オクスゥかみたいなものだ。それ自体に何かあるというわけじゃない」

「えっ、なにそれ。血液型みたいなもの?」

「ケツエキガタってなんだ?」

 なぜかナージャが不思議そうな顔をしている。

「まさかの、血液型の概念を知らない……」

 ケイスならまだしも、日本で生活していたナージャに首を傾げられるとは考えていなかった。

 では、輸血が必要になったらどうするのだ?

 逆に訊きたくなる。

 だが、考えてみれば彼女は封貝使いだ。

 地球上では傷を負う心配がそもそもなかったはずである。

 こちらの人間にしたところで、輸血はポーションなどでどうにかなるのだろう。

 それはともかく、カズマはふたりに血液型について簡単な説明を与えた。

 やはりケイスも知らなかったようで、感心したように聞き入っている。

「なるほど。そういう意味では、確かに封貝の属性というのは血液型くらいの位置づけになるのかもしれないな」

「だったら血液型と同様、それが分かったからといって何か特典があるというわけでもないんですね?」

「そうだな。特典は一切ない。だがある日、封貝側から属性を教えてくるんだ。それ自体は、封貝使いにとって極めて特別なことだ。本当の意味で封貝と通い合った瞬間であると考えられているからな。親に名を授けられたに近い瞬間だろう。

 だから一般的に、封貝使いは自分のコンポの属性を重要視し、誇りを持つ。属性を名前と一緒に明かすことで、封貝使い同士は仁義を切り、のりをあげる」

 就職したばかりの新社会人が、はじめて手にした自分の名刺のようなものだろうか。

 カズマは話を聞きながらぼんやりそんなことを考えた。

 ビジネスマン同士の挨拶で、相手から名刺を差し出されれば、自分のと交換できなければ示しが付かない。

 属性を知らないというのは、名刺を持たないようなものなのかもしれない。

「で、ナージャとケイスさんの封貝はなんて型なんですか」

「私は〈赤帝〉だ!」

 ナージャが得意顔で叫んだ。

 一方のケイスは落ち着いたものだった。

「俺は、〈ジ・クシュウ〉だな」

「他にはどんな血液型があるんです?」

「有名どころだと〈蒼帝〉だとか〈コード・カゥチギ〉あたりだな」

 カズマは思わず〈*ワイズサーガ〉の手のひらを見詰めた。

「僕の封貝にもそれがあるんですね? まだ教えて貰ってないだけで」

「そうだ。俺が見る限り、カズマは順調に力を伸ばしているように見える。そう遠くないうちに、加護を感じる日がくるだろう」

「だと良いんですけど」


 それで、その朝の稽古は一区切りとなった。

 カズマは休憩に入り、ナージャと入れ替わる。

 そして、彼女とケイスとの手合わせの見学に回った。

 始まってみると、流石にナージャはレヴェルが違った。

 多種多様な封貝を効果的に組み合わせて操り、ケイスとも互角にやり合っている。

 少なくとも、カズマの素人目にはそう見えた。

 実際、ケイスはカズマ戦の時とは別人だった。

 回避だけでは追いつかず、ひんぱんにデルタ系を呼出して防御に回っている。

 また、例のプテラノドン似の移動系封貝を呼出し、同じく〈脚踏風火〉で飛び回るナージャと熾烈な空中戦を繰り広げていた。

 街が近いこともあり、両者とも加減はしているのだろう。

 だが、カズマからすればもう別次元の手合だ。

 彼らは四、五本の手合わせを終えると地上に下りてきた。

 感想戦を挟みつつ、恐らく一時間前後は戦っていただろう。

 よく見て参考にしろ。

 ケイスからはそう言われていたが、速すぎて見えない物をどう参考にしろというのか。

 カズマとしては不平のひとつでも垂れたいところだった。

「――よし、では早朝の稽古はこの辺にしておこうか」

 ケイスが手拭いで汗を拭きながら呼びかけてくる。

 見た通り、一汗流したという清々しさがあった。

 コテンパンにのされた後、体育座りで長時間の見学を強いられていたカズマとは対照的だ。

「ナージャに関しては、ほとんど言うことはないな。その気なら、すぐにでもインカルシ護士組に入隊して、即戦力でやれるだけの力がある」

「そうだろう、そうだろう」

「非常に冷静かつ、理知的な立ち回りだった。戦場では、戦闘に入るとほとんど別人のように性格が変わる奴を時々見たが、お前はその典型例だな」

「ナディアのことだな。戦うときは、冷静になれるように交代するのだ」

「自分の中に、性格の違うもう一人の自分を作るやり方は、場合によっては非常に効果的らしいな。名前まで付けているのは初めて見たが」

 ケイスは丁寧に顔と髪から汗をぬぐい去ると、顔隠し用のヘルメットを被った。

「以後毎日、こんな感じで訓練をつける。明日からはマオも呼んで四人体勢にしよう」

「この後はどうするんですか?」

「そろそろ、陽の二刻の鐘が鳴る。

 それに合わせて連盟に顔を出すさ」

「レイダーの仕事だな?」

 ナージャが丸っこい女の子の拳を固め、目を輝かせる。

 楽しみにしていたらしい。

「そうだ。分かったと思うが、無印級ブランク程度の実力しかないカズマを、迷宮探索や隊商護衛といった高度な戦闘が発生するクエストに就かせるにはいかない。死ぬ危険がある。

 と言うわけで、まずは戦闘能力が低くてもできる種類の依頼をこなしてもらうつもりだ」

「えっと……たとえば、非戦闘系ってどんな依頼があるんですか?」

「今日、お前に体験して貰うのは――」

 気のせいか、ケイスは心持ち間を置いて、宣言した。

「農家が出している土木系の依頼だ」

 一瞬、聞き間違いを疑った。

 土木。

 ケイスがそう口にしたような気がしたからだ。

 だが、それは聞き間違いでも、言い間違いでもなかった。

 確かに、言葉通りの意味で土木らしい。

 たっぷり一〇秒は硬直した後、カズマはようやく我に返った。

「えっ、あの……」

 何から言葉にすべきか分からないままに口を開く。

 その時、カズマの戸惑いがちな声を掻き消すように、陽の二刻を告げる鐘が甲高く木霊し始めた。

 午前八時。

 首都ネクロスの、本格的な目覚めの時間だった。

挿絵(By みてみん)

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