コロパス
035
宿屋前から出発した馬車は、一〇分足らずで目的地に到着した。
さすが首都だけあって、ネクロスには眠らない一画があるらしい。
もちろん、インカルシにもその手の区域がなかったわけではない。
カズマが知る限り、たとえばカジノ〈スコッチの館〉を含む一帯がそうだ。
だが、ここは規模が違う。
道は広々としており、変に秘した雰囲気もなかった。
それは行き交う人々も同じだった。
胸を張って夜の盛り場を闊歩している。
実に堂々としたものだった。
かといって、日本の歓楽街のように光の氾濫とでもいうような派手さ、下品さはない。
あちこちで焚かれた篝火は立ち並ぶ店の軒先を印象的にライトアップしているが、それらはどこかシックで落ち着いた空気を醸し出し、ここが心得た大人の社交場であることを主張しているようだった。
こちらではそういう作法だというので、カズマが一番に馬車を降りた。
ケイスが続き、最後に出てくるマオを二人で待つ。
彼女が貴族の若き令嬢であり主人。
ケイスはその護衛で、カズマは下僕役をつとめる。
それが、馬車のなかで決まった配役だった。
道中聞いた話によると、〈乱捕〉ウォーカーはネクロス内に三つの直営店を持っている。
ケイス曰わく、今カズマが目の前にしているのは二号店。
いわゆる支店の一つでしかないが、それでもインカルシの本店に匹敵する規模を誇るのだという。
――と言う割に、小さくないか?
それがカズマの第一印象だった。
左をパブ、右を娼館に挟まれた〈乱捕〉の支店は、どう見ても小さなコンビニ程度の大きさしかない。
高さもなく、間違いなく地上一階建ての平屋だ。
どっしりとした重そうな木製の扉。
その脇に立つ品の良い守衛。
この二点を除けば、上流階級が出入りする場所には見えない。
隠すつもりはないのだろうが、看板のひとつも見当たらなかった。
どう考えても、商品である奴隷を二〇人も置けない広さだ。
たとえ、それぞれを公衆トイレの個室ほどの狭い檻に閉じ込めるにしても。
店に入ってみると理由が分かった。
そこには奴隷など一人もいない。
首輪などの備品の展示販売所。
そして、商談用の応接スペースがあるのみだった。
では商品はどこにあるのか。
それについては、地下へ続く石階段が全てを物語っていた。
「――して、お客様」
伝統的なフ=サァン衣装ではなく、スーツと呼べそうな上下揃いの黒服に身を包んだ案内人が言った。
彼はカズマたち一行を先導し、軽やかな足取りで階段を降りていく。
「今宵はどのような商品をご所望で?」
手入れの行き届いた口髭の下で、薄めの唇が笑みを作った。
その珈琲色をした口髭は、逆さになったカモメ型。
いわゆるカイゼル髭を緩やかにしたものだ。
上品な物腰とユーモアを湛えながら隙を感じさせない眼差しは、深く豊富な人生経験の賜物か。
恐らく、カズマの父親世代かそれより少し年上といったところだろう。
サイド部分に髭と同色の短髪を残す他は、大部分が禿げ上がっていることも、彼の年代予想を容易にする材料の一つだ。
カズマはなんとなく、瘠せて背の伸びたスーシェ版エルキュール・ポワロをイメージした。
「ご覧の通り」
と、マオは一歩後ろを歩くカズマを一瞥し、言った。
「私は珍種を好んで集めておりますの」
彼女の視線に釣られるようにして、案内人の双眸がカズマをとらえる。
烏の濡れ羽色をした髪。
同色の瞳。
片方だけならまだしも、両方が日本人ほどに真っ黒というケースは、オルビスソーでは非常に稀少である。――そういう話は、既に幾度か聞く機会があった。
髪や瞳が黒い人間は他にもいるが、どこか茶色がかっていたりと、完全な黒色であることはない。
「なるほど……確かに、大変な珍種をお持ちでいらっしゃいますね。この商売に就いて長らく、あらゆる種を見てきたつもりでおりましたが、どうやら、お客様にはその思い上がりを正す機会をいただいたようです」
カズマは話を聞きながら、無口訣で〈*ワイズオレイター〉を召喚した。
戦闘のためではない。
そもそも、この封貝は射撃用カテゴリにありながら、現状、一切の破壊能力を持たない。
攻撃にはほとんど使えない役立たずだ。
だがその分、利点もある。
それは、ほとんど封貝としての気配を発さないことだ。
封貝の察知能力に長けたマオ・ザックォージにも認められたのだから、信じて良いのだろう。
また、サイズをかなり幅広く調整できるのも強みの一つだ。
これはショウ・ヒジカ戦を通して新たに獲得した機能だった。
巨大化に関してはまだ実験できていないが、小型化についてはミリ単位まで縮小できることを確認済みだ。
そして今、カズマはその縮小能力を使って、極小の〈*ワイズオレイター〉をダース単位で生み出していた。
真昼の直射日光下ならまだしも、篝火や宝貝照明に淡く照らされた夜の屋内なら、まず目視は不可能。
そんな見えない無数の封貝を飛ばし、一足先に地下を探らせる。
封貝が拾った音はカズマの脳に直接届く。
人の気配。
話し声。
息遣い。
音から得られる情報量は決して少なくない。
今はまだ試せていないが、ゆくゆくは反響定位にも挑戦するつもりだった。
これは超音波を発し、それの跳ね返りによって周辺の地形や障害物の形――精度が上がればその大まかな材質まで――を探れるという技術だ。
コウモリはこの能力で暗い洞窟の中を自在に飛び回る。
一種の音波式レーダーだ。
もちろん、これは人間にとっても強い味方だ。
なんと言っても、健康診断のエコー検査は同じ仕組を利用している。
また、一部の意欲的な盲人たちは、障害を克服するためにこの技術を活用しつつあるという。
だがもちろん、彼らは超音波を使うことができない。
そもそも、人間の聴覚では聞き取れない周波数の音を超音波と呼んでいるからだ。
そのため視覚障害者は舌を弾いて出した音の跳ね返りを利用している。
ただ、封貝で反響定位を使うなら、やはり超音波にこだわる必要がある。
カズマはそう考えていた。
誰にも気付かれずに周囲の状況を探れてこそ、意味があるのだ。
この解決策として、カズマは〈*ワイズオレイター〉を使えば超音波をも知覚できるのではないかと期待していた。
「こちらで御座います」
階段を降りきると、そこにはごく短い通路があり、その先にマホガニィ材に似た重厚な造りの扉があった。
案内人は一礼してから、そのドアを押し開く。
〈*ワイズオレイター〉は既にこのドアに張り付き、中に三人の気配が存在することを確認していた。
音の響きからして、その先にある部屋はあまり広くない。
そして実際、通された部屋は八畳ほどの小さな空間だった。
恐らくはハブ的な存在なのだろう。
その証拠に、四方の壁全てにドアが見える。
ここから目的によって異なる扉を潜り、各エリアへ向かうというわけだ。
「いらっしゃいませ」
なかで待っていた二人の女性、一人の男性が揃って深く腰を折った。
清潔な身なり、洗練された所作は高い教育を受けた身であること証明しているが、全員の首元に無骨な首輪が鈍く輝いている。
話に聞いていた、奴隷の証だ。
「お客様は珍種をお求めとのこと。その上で、何か具体的なご希望はございますでしょうか?」
案内人が今にも手揉みしだしそうな顔で言った。
「そうですね。さる筋から、あなた方が稀に見る美貌の若い娘を仕入れたという話を聞きました。ごく最近の話です。なにか心当たりはありませんか?」
マオが硬質な声で問う。
「稀に見る、美貌の――でございますか」
「それとも、こういったことはより上位の、全商品を取り仕切る方にお訊ねすべきかしらね?」
「ああ、いえ」
案内には苦笑交じりに首を振った。
「私、案内人のミューラーを名乗りましたが、こう見えて支店長の補佐を務ます者。このネクロスはもちろん、インカルシに入った商品に関して知らぬことはないと自負しております」
「ほう――」
マオがその柳眉を片方だけ小さく持ち上げた。
「では、私の求める物についても何かご存じというわけですね」
「心当たりは御座います。が、申し上げにくいことに、既にそれは他のお客様にご購入いただいたものかと」
「先を越されたと言うわけですか。それは残念ですね」
本当にそう思っているようには聞こえない口ぶりだった。
「私は欲しい物を手に入れるのに、手段をあまり選ばない質です。所有者が代わったというのなら、そちらを当たるまで。差し支えなければ、どちらの御仁の手に渡ったのか教えていただけて?」
「申し訳御座いません、お客様」
謝罪の言葉と同時、ミューラー当人はおろか後ろに控える奴隷達まで揃って頭を垂れた。
「それぞれお客様の事情、秘密を厳守することもまた、我々に課せられた使命の一つに御座いますれば。何卒ご容赦いただきたく」
「――でしょうね」
と、マオは意外にもあっさり引き下がる。
「私もこの蒐集癖を両親から窘められている立場。今夜、ここを訪ねたことを知られてはいささか困るというもの。皆それぞれに秘しておきたい事情があるのは理解できます」
「恐れ入ります、お客様」
案内人は下げていた上体をゆっくりと起こし、微笑した。
「では、せめて私が逃した獲物の特徴だけでも教えていただけますか?」
マオの問いに、案内人は快く応じる構えを見せたが、カズマはもう半分も話を聞いていなかった。
そもそも、案内人がカズマを見て「ついぞお目にかかったことがないタイプである」と発言した時点で、知りたいことについての答えは出ている。
この副支店長は黒髪黒目の奴隷を見たことがないと認めたのだ。
ならば、同じ身体的特徴のヨウコをも知らない。
必然、〈乱捕〉ウォーカーに売られたという哀れな美貌の少女は、ヨウコとは別人であったことになる。
「――ですが、お客様。当店は多種多様、豊富な品揃えを自慢としております。必ずやお眼鏡にかなう一品も御座いましょう」
「そうかもしれませんね」
マオはツンとした顔で言った。
ここまで彼女は、気位が高く、同時に気難しくもある貴族の令嬢を見事に演じきっている。
「良いでしょう。このままトンボ帰りというのも馬鹿らしいですし、少しばかり店内を歩かせて貰います。
案内はいりません。しばらく自由に回らせていただけますか」
「もちろんで御座います」
ミューラーは恭しく一礼した。
「何か御座いましたら――ここに係の者を控えさせております――どうぞご遠慮なくお声かけ下さいませ」
ありがとう。
血の通わぬ言葉を投げると、マオはさっさと歩き出した。
カズマはケイスと共にその背を追う。
奴隷商の地下空間は広大だった。
商品は種族や容姿、年齢、技能、希少性などの総合値でグレードが決まっているらしく、それに応じてエリア分けされ収容・展示されているようであった。
その地下展示場は三層構造。
どうやら、高校の体育館が丸ごと収まるくらいの規模がある様子だった。
マオはまず、もっとも距離の近い最上級クラスのエリアに足を向けた。
後をついていくと、やがて商社のオフィスをそのまま再現したかのような大部屋に出た。
ずらりと並べられた無数のデスク。
その上に摩天楼のごとく積み上げられた資料の山々。
その書類に向かい黙々とペンを走らせる、いかにも出来る風貌の事務員たち……
彼らの作業場はガラスの嵌め込まれた壁で仕切られており、カズマたちは通路からその風景を眺めることになっていた。
まるきり工場見学の構図である。
「えっ――、ここであってます?」
道を間違えたのではないかと質すカズマに、マオは首を振って答えた。
「あってますよ。ほら、首輪が見えるでしょう?」
言われるままにオフィスへ目を戻すと、確かにほぼ全員の首に奴隷の証が見える。
彼らは清潔な衣類に身を包み、てきぱきと仕事をこなしていた。
胸には識別番号を大きく併記したネームプレートが付けられている。
客はこれを頼りに、該当する奴隷の詳しい情報を得ることができる仕組だ。
情報源は、そこら中に置かれている商品カタログだ。
ぱらぱらとそれを捲るマオに聞いてみると、彼らの価格は平均して万単位。
日本円に換算すると数百万円から、高い物だとさらにもう一つ上の桁に届く数字になる。
ケイスによれば、彼らは質の高い教育を受けた上級奴隷と呼ばれる種であるのだという。
何十人という奴隷を抱える大貴族や豪商が、その奴隷を束ねるリーダーとして購入するらしい。
「なんか、普通にやりがいのある仕事任されてますって感じで……」
「奴隷の概念が変わるか?」
ケイスが先回りして問うてくる。
カズマは素直に頷き返した。
「この支店は奴隷を売買する店であると同時に、商品である奴隷にとっては家だ。連中だって食事は必要だし、生活雑貨もいる。価値を高めるために教育を受けさせるなら、それにも金がかかる」
ケイスは奴隷達の方を顎でしゃくりながら続けた。
「このセクションで働いている連中は、そういった商品の管理から物資の調達に到るまで、支店経営に関する様々な実務を任されていると聞く。字も読めれば、計算もできるわけだ。身分こそ奴隷だが、実際の話、その辺の農民や町民などよりよほど洗練されているし、能力も高い」
「そもそも、カズマ。貴方は奴隷と聞くと脊髄反射的に拒絶の構えを取るようですが、こういった教育と仕事を求めて自分から奴隷になろうとする者もいるんですよ。
この街に入る前、見たでしょう。悪臭を放つ木桶を担いで、蠅のように人糞馬糞を集めて回る彼ら貧民の中には、奴隷の方がマシだと考える者も珍しくないんです」
マオが諭すような口調で言った。
「それに重犯罪者や、契約不履行者――つまり人殺しや強盗、誘拐など、大罪を犯せば罰として奴隷に落されると知りながら手を汚した自業自得の愚か者や、返せなかった時は奴隷として自分を売るという約束で借金した者など、奴隷として扱われるに充分過ぎる理由を持つ者も少なくないことをお忘れなく。
それとも、貴方の世界では犯罪者にも行動の自由や仕事を選ぶ権利が認められていたんですか」
その鋭い指摘にカズマは一瞬、言葉を失った。
確かに、有罪が確定した犯罪者は、自由を奪われ監獄に放り込まれる。
そして様々な労働を課せられる。
これは、どこの国でも大体変わらない事情だろう。
基本的に、受刑者は房内作業の内容を自分の意志で選んだり、拒否したりすることはできない。
つまりは一種の強制労働だ。
それを奴隷と変わらないと言うなら、確かにそういう側面もある。
「そういえば、スコッチも若い女性を……あー、なんというか……」
カズマは言いかけて、マオの手前それをどう表現するかで悩んだ。
逡巡した結果、結局ストレートに口にする。
「つまり、性奴隷みたいな子を何人か持ってるようでした。僕はスコッチを倒したあと、希望するなら逃げる手伝いをすると持ちかけたんですけど、全員に断られたんですよね」
あれはちょっとした衝撃であったな、と今さらながらに振り返る。
――あたしは自分の意志でここにいるってこと。
彼女たちのひとりに言われた言葉は、今も脳裏にこびりついている。
あの娘達は、自分たちを哀れんでなどいなかった。
スコッチの情婦となることで、それ相応の対価を得ている。
そう納得して、あの場に留まっていたのだ。
奴隷を丁重に扱う、その意味では優しい主。
そんな存在の下で深く考えず、決断せず、責任を負わずに生きるというのは、ある種の人間にとっては非常に楽なものなのかもしれない。
「でも、誘拐されて嬲りものにされて、挙句、奴隷として売り払われる子もいる」
カズマは顔を上げた。
毅然として言った。
「奴隷という言葉で全てを一括りにして否定する僕の考えは、確かに浅いものだったかもしれません。
でも、逆も真なんだ。奴隷であることを望む人間がいるからって、一括りにして全てを見逃して良いわけじゃない」
その考えが誤りでないことは、エリアを移動するにつけ明らかになっていった。
一番に最上級クラスを見たなら、グレードはもう落ちていくしかない。
若く、美しく、健康で、活力に満ちた有能な奴隷は上位。
ならば中位の奴隷は、上位が備えていた要素を幾つか欠く者たちだった。
頭脳労働には優れるが、容姿が醜く年老いた人間男性。
上級に近い条件を備えながら、主人の持ち物を盗み取る手癖の悪さを矯正できない爬虫類型の亜人も、この中位に分類されていた。
他には、なまじ容姿が美しかったがために、多くの男性から性的な虐待を受け続け、精神を病んだ娘。
命令には忠実だが、知的障害を抱えるため高度な仕事をこなすことができないエインのメイド。
「高い戦闘能力を備えます!」と大々的に謳われている猫科の亜人男性は、一方で凶暴性が強い元犯罪者。
完全な肉食であり、一日の消費量も大きいため、虎を飼うように食費がかさむのが欠点だという。
同じランクでも、中の上と中の下とでは、やはり条件や値段も違う。
だが、これらはそれでも中位でまとめられる商品たちだ。
扱いも、狭い部屋に閉じ込められていることを除けば、劣悪とまではいかない。
栄養状態も良く、少なくとも肉体的には健康そうで、身だしなみも決して見苦しいものではない。
問題は地下三階――
最下層に押し込められた、下級の奴隷達だった。
一つ上の中級奴隷たちを見た時も、ペットショップの犬猫のような待遇に憤慨させられたが、ここはそれ以下だった。
飼育員が全員解雇された動物園といったところか。
彼らの扱いは、明らかに家畜かそれ以下のものだった。
奴隷たちは、ただ頑丈さだけを追求した無骨で錆くれた狭い檻に閉じ込められていた。
入浴など、そこに叩き込まれた瞬間から一度もしていないのであろう。
衣類にしても一ヵ月に一度しか着替えを許されていないかのように薄汚れ、汗や皮脂や老廃物が、元の生地の色を分からなくするほどに不潔な染みを作っていた。
物理的環境だけでなく、待遇も酷いものだった。
生命維持に必要な最低限の食事しか与えられていないらしく、多くが痩せ細り、頬をこけさせていた。
中級までの奴隷はそれなりに与えられた室内を動き回っていたが、最下層ではそういうこともない。
誰もが絶望に瞳を濁し、身じろぎひとつせず、ただ虚空を見詰めている。
檻の中には汚れきって黒ずんだ藁が敷かれているだけで、他にはトイレ代わりなのであろう、陶器の粗末な壺が置かれているだけだった。
これらは目に染みるような刺激臭を漂わせ、奴隷自身が発する獣じみた体臭も相まって、吐き気を催す悪臭を生み出していた。
地下三階も――上層がそうであったように――階段近くに同じグレードの中でも優れた商品を展示するという配置は変わらない。
奥に進むにつれ、どんどんと品質が落ちていく。
ただ、最下層そのそれはとりわけ極端だった。
ポーションを使うだけの価値もないとみなされたに違いない。
大きな怪我や重病を患った者は、そのまま放置されていた。
こうなると食事を与えるのも勿体ないと判断されるのだろう。
多くが骨と皮だけになり、ほとんど死を待つばかりの有様だった。
落ちくぼんだ目、乾燥しきりひび割れた唇。
中には蠅がたかり、膿んだ傷口に蛆が涌いている者もいる。
そんな彼らには、数百グラティアから酷いと数十グラティアという捨て値の札が付けられていた。
「新作ゲームを我慢すれば買えるのか……人間が……」
下位のそのまた最下位に位置する半死半生のグループには、子どもが多かった。
主に障害や病気を持つ、何にも使えない――それどころか、長くは生きられないであろう幼児だ。
「彼らは一体、どうして? 何のために奴隷にされてるんですか」
「人間の肉や命には、使い道がある。貴族の中には魔獣や猛獣をステータスとして飼い慣らしている奴らもいるしな。そういった生物にとって、人型の子どもはご馳走だ」
ケイスは淡々とそう言った。
つぶやくような声音だった。
「宝貝の精製に、エインの生き血がもっとも優れた効果を持つと信じている職人もいる。知能が高い生物を生贄に捧げる邪教の輩。人殺しで能力を上げることができる封貝……
奴らにとって、安価に買える最下層の奴隷は、合法的に手に入る良質の材料であり、燃料であり、贄なんだ」
「……彼らも何か罪を犯したんですか。奴隷になることと引替えに、お金を借りたんですか?」
「いいや」
ケイスが低く言った。
その瞳はただ無感動に足元の小さな檻に注がれていた。
本当に何も感じていないのではない。何も感じないよう、意図して回路を遮断している。そんな風にも見えた。
「多くは捨て子や孤児、あるいは誘拐されるか、親に売り飛ばされた子たちだ。犯罪者や負債者と違って、本人には何の責任もない」
カズマは目を固く閉じ、奥歯を噛みしめた。
深く呼吸を繰り返した。
そうして、握りしめた拳から小刻みな震えが引いていくのを待った。
だが途中、声で呼ばれたような気がして目蓋を開いた。
微かな、ほとんど吐息にも近いかすれ声。
無数に散布した〈*ワイズオレイター〉ごしでなければ到底拾えなかったであろう、半分は声にすらなっていない呻きだ。
「どうしました――?」
かけられるマオの声を無視して、カズマは早足でそちらに向かった。
特定に時間がかかったのは、それが最下層も最奥、それも他の檻に埋もれ隠されるようにしてあったからだった。
一際小さな檻だった。
明らかに幼児用と思われるもの。
その隣、更に輪をかけて小さな錆くれた檻。
二つが隙間なく並んでいた。
密接しているのは、中に閉じ込められた奴隷たちも同様だった。
彼らは格子の隙間から伸ばした手を互いに繋ぎ合う形で寄り添っていた。
いずれも、死にかけた灰色の猫だった。
「コロパス、ですね……」
遅れて歩み寄ってきたマオは、檻の中のものを一瞥した瞬間、弾かれたように顔を逸らした。
沈痛な面持ちで絞り出すように言う。
ユー=パス神よ……。そう小声で囁くのも微かに聞こえた。
カズマは詳細の説明を視線だけで促す。
ショックでなかなか口をきけないマオに代わって、ケイスがそれに応えた。
「――コロパスは、邪神〈イス〉が生み出したとされる古い亜人の一種だ。かつて人間に同名の種族がいたが、イスの不興――怒りを買って呪いを受けたと伝説に語られている。コロパス族は、神の戯れで猫と融合させられ、半人半獣の存在になったそうだ」
カズマは目を見開いた。
「彼らは……人間なんですか?」
そしてまた二つの檻に目を戻す。
二匹は痩せこけ、骨に直接毛皮が張り付いたような異様な風体でこそあれ、少なくとも外見的特徴はまさに猫のそれそのものであった。
ただ、サイズは確かに地球産とは明白に違う。
一般的な猫より二回りかそれ以上は巨大である。
どちらかと言えば中型から大型犬に近い。
「コロパスは寿命の短い種族です」
ようやく平静を取り戻したか、それでもマオの声音は弱々しい。
「二〇年生きられることはほとんどありません。その分、封貝を使わず素手という条件でなら、私たち封貝使いとも互角に戦えるほど身体能力が高いのですが……元気なうちは、人間にとても近い姿をしています。
猫の特徴は耳と尻尾、爪などにわずかばかり残るのみ。
ですが、寿命が近付いたり重病を患って生命力が枯渇してくると、彼らのように……人の姿を保てなくなるんです。
彼らは多くの場合、獣の姿で死にます」
「じゃあ……」
カズマは敢えて、続く言葉を飲み込んだ。
そこまで言われれば、問わずとも分かる。
つまり、目の前の彼らは死にかけているのだ。
もっとも、それはマオやケイスに教えられずとも見れば分かることだった。
毛皮越しにも全身あちこちに滲んで見える血は、彼らが暴力、虐待を受けていたことを如実に示していた。
そしてそれらは長い間、一切の治療を受けることがなかったらしい。
ある部分は鮮血を吸って固まった毛がガチガチに硬直化し、ある部位は化膿してじゅくじゅくした傷口にカビが繁殖していた。
もっとも凄惨なのは顔だった。
何らかの感染症なのだろうか。特に両目のまわりは重度の火傷で生じる瘢痕がごとく、ケロイド状に荒れ果てていた。
患部周辺は異常な広範囲に渡って体毛が抜け落ちており、露出したピンクの地肌と肉が、鮮血色と焦のような黒色による醜い斑模様に侵されていた。
炎症のせいか、はたまた爛れた肉が形を崩したせいか。
通常、睫毛が生える辺りは上も下も大きく腫れ上がり、ほとんど目を潰さんばかりであった。
実際、角度の関係も相まって、カズマからは彼らの瞳が何色をしているのかすら確認できない。
大量に溜まって瘡蓋のような茶色い固形物と化した目やにも、その惨状に拍車をかけている。
鼻腔の周りも酷いものだった。
乾燥した鼻水。
紙やすりでこすったような傷による出血。
これらの相乗効果が、目を背けたくなる光景を生んでいる。
マオが表情を曇らせるのも当然のことだった。
そんな中、
――いもおと、だけ、でも……
大きな方が、恐ろしく時間をかけて言った。
呼吸音とほとんど変わらない、唇から零れた時点でもう消え始める、そんな囁きだった。
本来、それは誰の耳にも届かず、虚しく散るべき声だった。
音として拾えたのは、間違いなく〈*ワイズオレイター〉を持ったカズマだけである。
「――行きましょう」
直後、カズマは踵を返しながら言った。
誰の答えも待たず、階段へ向かって歩き始める。
「もう、いいのか?」
追いついてきたケイスが訊いた。
カズマは歩調を緩めることなく、ただ前を見たまま首を縦に振った。
「ここで知るべきことは知りました。これ以上、ここにいても得るものはない気がします」
階段を上り、一気に地下一階まで戻った。
案内人の宣言通り、部屋にはまだ三人の奴隷が待機していた。
カズマたちを見送った後、別の客をもてなしたらしい。
ちょうど、使い終えたティセットを片付けようとしている。
彼らの傍らにはホテルのルームサーヴィスに見る銀色のカートワゴンがあり、カップセットや菓子を乗せたサーヴィングスタンドが乗せられていた。
ひとりがカズマたちに気づき、作業の手を止めて一礼した。
他の二人が遅れてそれにならう。
「お客様、お戻りでしょうか」
最年長の男性奴隷が、代表してマオに問いかけた。
白髪交じりを上品に後ろへ撫でつけた初老の紳士だ。
首輪がなければ、どう見ても大貴族に仕える応接専門執事である。
「――お嬢様、こちらを」
マオが何か言う前に、カズマは機先を制した。
全財産を収めた巾着に似た布袋を差し出す。
受取った時の重み、そして微かな金属音でそれが何であるかに気付いたのだろう。
マオは注意していなければ分からない程度に目を細めた。
「貴方、まさか……」
「すみませんが、何か筆記できるものをお借りできますか?」
マオの囁きを無視して、カズマは奴隷に言った。
勿論です。少々お待ち下さい。
言うと、彼はすぐに筆記セットを乗せたトレイを手に戻った。
いちいち先端をインクに浸して使う羽ペンと、オルビスソーに来て以来見る最も高級な白紙の束だ。
カズマはペンを取り、覚えてきた二つの文字列を書き込んだ。
その部分だけ破りとってマオに渡す。
彼女は受取ったそれを見てから二秒後、疲労感を漂わせながら深く溜め息を吐いた。
ほんど睨めつけるようにカズマへ視線を絡めてくる。
ごく短い間、ふたりの間で視線がぶつかり合った。
先に折れたのはマオだった。
根負けしたようにも、あきれ果てただけのようにも見える嘆息をもう一度繰り返し、軽く目を閉じる。
それから奴隷に向き、訊ねた。
「商品の購入はこちらで頼めば良いのかしら」
「ご利用ありがとうございます。もちろん、ご注文はどうぞ私どもにお申し付け下さい」
ロマンスグレイの紳士が恭しく腰を折った。
直後、素早く若い女性奴隷が背後から彼に近付き、カタログの束を手渡した。
それはリレーのバトンのように、今度はマオの手に渡る。
それから、執事風奴隷は片づいた応接テーブルにマオを案内した。
椅子は充分な数あったが、腰かけたのは主人のみ。
護衛と奴隷を演じるケイスとカズマは、彼女の背後に立ったまま控える。
「では、改めましてお客様」
マオの対面から男性奴隷が会話を再開した。
「お手数ですが、ご希望の商品をお手元のカタログで再度、お確かめ下さい。もし認識番号をお控えでしたら、それを元に検索されると手間を省けます。番号を覚えておいででなければ、特徴をお話しくだされば私どもがお力になれるかもしれません」
「番号は控えています。この二冊は結構」
マオは事務的な口調で告げると、上級および中級奴隷のカタログを押し返した。
それから残された一冊のバインダを開く。
最下層に放り込まれた最底辺クラスのリストである。
彼女は迅速に、該当するページを見つけ出した。
それを奴隷に伝える様を、カズマは彼女の肩越しに黙して見守った。
「三階位からフォーン308と……同じく309の二名ですね?」
「それで間違いありません」
「三階位ですと、貸出での提供はございませんので、買取りのみとなりますが――?」
「承知しています」
「お買い上げ、ありがとうございます。お支払い、受け渡し時期はいかがいたしましょう」
交渉窓口の奴隷はマオしか眼中にない。
その問いも当然、彼女だけに投げかけられたものだった。
だが、承知の上でカズマは言った。
「ただちに」
念を押すようにすぐ付け加える。
「可及的速やかに」
奴隷たちの視線が一斉にカズマに集い、そして戸惑いに揺れた。
まるでレーザーサイトの赤い光点を心臓に定めながら、殺人の禁忌から引鉄にかけた手を震わせるように。
おたくの奴隷が割り込んで何か言っているが――?
そんな困惑顔で、ロマンスグレイの奴隷はマオへ確認の視線を向ける。
この場でのカズマの位置づけは奴隷だ。
それが主人の商談に許可もなく口を挟む。
考えるまでもなく、一般的には異常事態そのものなのであろう。
「――構いません」
抑揚を欠いたマオの声が告げた。
「彼の言う通りに。即金で支払い、その場で連れて帰ります」
対する奴隷が見せた狼狽は、ほんの一瞬のものだった。
「承知いたしました。では、そのように手続きを進めさせていただきます。
最後に追加オプションについてですが、こちらのご説明に移らせていただいてよろしいでしょうか」
「そうですね」
ちらとカズマを一瞥してから、マオは答えた。
「こちらのお店は初めてです。齟齬があっても困りますし、一応聞いておくべきでしょう」
「では、ご説明致します」
その言葉から始まったのは、主にアクセサリの話だった。
商品につけられていた値札には、首輪と登録事務手数料が含まれている。
首輪は、奴隷の造反や命令違反を禁じる効果を持った、特殊な宝貝製である。
だが、標準でついてくるそれは最低グレードのものに過ぎない。
「ご存じかと思いますが、プログラムされているのは『主人の命令に逆らってはならない』、『主人に害をなす行為の禁止』という二点のみ。
これに反すると首輪に仕込まれた針が突き出て、タンパク質由来の合成神経毒が皮下注入されます」
これは数分で自然に分解される。
障害、後遺症を残すこともない。
一方で、消えるまでは全身に絶え間なく激烈な痛みが走り、麻痺、悪寒、痙攣、嘔吐、発熱、軽度の呼吸困難など、様々な症状を併発するという。
「そして――これは重要なポイントですが――主人として登録できるのはお一人様のみという限界が御座います」
これでは柔軟な運用ができない。
そのように感じられるお客様には、別料金でより高度なプログラムを可能としている首輪もご提供している。
奴隷はにこやかにそう続けた。
「主人として登録できる人数の増加。よりきめ細かな禁止事項の設定。これらをご希望であれば、それに応じた首輪を奴隷のご購入と同時にご用意される方が良いかもしれません。
使い始めてみると、当初は思いつかなかった要望が色々新しく出てくるものです。途中で首輪を交換しますとその分コストもかさみますし、それなら機能を使い切らずとも最初から想定より多少良い物を――というのが当店の常連様に多く見られる考え方です」
「なるほど……」
マオは付き合い程度の相槌を打つ。
「ときに、奴隷の死亡時や、何らかの事情で奴隷を解放する場合ですが――他の店と同様、主人の意志で首輪を外すことは可能ですか?」
「はい。その首輪を当店に返却していただければ、減価償却を適用した上で所定の額が払戻しされるのも、業界で共通した制度です」
奴隷の値段には首輪の料金も含まれる。
首輪を返せば、その分の金が戻ってくる。
つまりは、大昔はコーラと同じだ。
かつてジュースは瓶入りで売られ、その瓶は店に返却すると金になったという。
現在でも一部ヨーロッパでは、ペットボトルで同じ事が行われていると聞く。
向こうのペットボトルは、だから単なるジュース用でもリサイクル前提に分厚く頑丈にできているのだ。
「――結構」
マオは泰然と、ひとつ首肯した。
「では、追加オプションは不要。血液を使った契約の儀も、購入後に自分で済ませます。そちらには首輪の初期化だけをお願いするとしましょう」
「かしこまりました。では、早速手続きに入りますので少々お時間をちょうだいします」
奴隷たちが、給仕係の娘を一人残して部屋を出ていく。
程なく、入れ替わりに例の副支店長が現れた。
彼はマオの対面に腰を据え、すぐに正式な契約書の作成を始めた。
流石に貴族といったところか。マオはこの手の面倒ごとには慣れたもので、紅茶片手に淡々と進めている。
だが、カズマは内心、落ち着かないところがあった。
「大丈夫か」
様子に気付いたケイスが、肩に手を置いてくる。
「お前さんの決断についてとやかく言うつもりはないが、苦労はするぞ」
彼の言い分は理解できた。
地球の猫と同程度の寿命しかもたない、死にかけた重病の獣人。
それが二人だ。
少年の方が四〇〇。
より幼い女児が三〇〇。
あわせて七〇〇グラティアは、日本円に換算すると七万円前後となる。
人間か、それに近い知的生命体の所有権としては破格だが――
奴隷として使うなら治療が必要であり、その費用が購入額を上回る額に達しかねないことを考えれば、割安感は消える。
加えて彼らは、治療の甲斐無くそのまま死んでしまっても不思議ではない。
「レイダーのライセンスは取ったんです。働いてなんとかしますよ」
「お前の本来の目的からは遠ざかるぞ」
本来の目的。
もちろん、それが指すのはヨウコの捜索だ。
「……それでも、です」
契約書に署名するマオを眺めていたカズマは、そこではじめて肩を並べるケイスに目を向けた。
「ヨウコは時として、結果以上に過程にこだわる人です。
だから僕は、ただ彼女を見つけさえすれば良いわけじゃありません」
「確かに時々会うな。そういうタイプには」
「苦手ですか?」
「いや」
ケイスは短く言った後、わずかに身を置いた。
「好き嫌いで考えたことはないな」
「でしょうね。見たところ、ケイスさん自身に多少なりその傾向がありそうですから」
そういう気分ではなかったが、カズマは形だけでも笑って見せた。
すると、ケイスも同じようににやりとする。
「そういう自分はどうなんだ?」
今度はカズマが苦笑する番だった。
「僕は、ヨウコからずっと男の道を説かれてきましたからね」
始まりがいつだったのかは、もう記憶にすらない。
幼稚園か小学校か。
そのどちらでもないのか。
ただ、まだ一桁の年代ではあっただろう。
ずっとヨウコと一緒にいるには、どうしたら良いか。
無邪気に発したその問いに、彼女は年齢を考えると酷く難しい顔で答えた。
それからというもの、ヨウコはカズマに思想を語るようになった。
自分の思う理想のお姫様像。
比較して、自分に足りないもの。必要なもの。
と同時、姫君に忠誠を誓う、騎士の役割と重要性についても、彼女は語った。
そして、それこそが質問に対する彼女なりの答えなのだった。
「――もし心から助けを求める人がいて、助けられるのが世界で自分しかいないのなら、それに手を伸ばそうとしないのは男じゃない」
カズマは暗誦するように言った。
実際、かつてヨウコが言っていたことの、それは受け売りだった。
「彼女はそう考えていて、彼女と肩を並べていたいのなら認められないような生き方はできない。資格のない者は一緒にはいられない。となると、もう選択の余地はないでしょう?」
「なるほど」
ケイスが肩をすくめる。
「実に分かりやすい話だな」
「そう。過程を重視するタイプは、分かりやすいタイプでもあります」
「不器用な奴は、シンプルにしかなれないからな」
「それだけが理由ってわけじゃないですけどね。結局、彼女の理想は、僕自身の理想ともそんなに遠くなかったんですよ。だから、続けていられる……」
カズマはまた正面に顔を戻して続けた。
「さっき、あの最下層を見て……それでも何もせずにいたら、僕は後々までずっとそれを引きずったと思うんですよ。今日のことを思い出す度に自己嫌悪する。そういう性格なのは分かってますから。
それを回避するための自己防衛なんですよ。彼らを買うことにしたのは。多分、本当の意味での人助けとは違うんじゃないかな」
「自分には関係ないことだと、すっぱり忘れられないタイプか」
「自分の失敗や後悔をいつまでも覚えていて、時々フラッシュバックさせては頭を抱えて転げ回るタイプですよ、僕は。
――ほら、このガラス細工のように儚な気に澄んだ瞳が物語ってるでしょ。少年のハートの繊細さを」
カズマはケイスを見詰め、睫毛をばちばちと戯け混じりに瞬かせる。
ケイスはただ鼻を鳴らすように笑うだけで、言葉を発さなかった。
元より、さして時間を要するものでもなかったのだろう。そうこうしているうちに契約が終わった。
立ち上がったマオが、促すようにカズマたちを見やる。
副支店長の案内を受け、全員で地上一階に戻った。
契約書の作成中にも急ピッチで準備は進められていたようで、少し待つと係員が商品を乗せた手押しのワゴンを引いて現れた。
「こちら、本当に首輪の初期化だけしか行っておりませんが……」
副支店長が念を押すように言った。
主人として登録しておかないと、反抗厳禁のプログラムが発動しないため、奴隷は好きなだけ暴れられる。
最悪、危害を与えられる恐れもある。
そういった警告がしたいらしい。
客の安全ではなく、店の責任問題を考えてのことだろう。
「この弱り切った小さなコロパスに、封貝使いのガードを潜って私を傷つけることができると思いますか?」
マオはきっぱり言うと、「いいからさっさとよこせ」と言わんばかりに眼に力を込めて係員を見据える。
二人のコロパスは、エジプトのミイラのように、それぞれ白く清潔そうな布に全身を包まれていた。
死んだように動かないのは、薬物で眠らせているためらしい。
首輪に主従登録していない場合は、安全のためこのような処置を取ることがあるのだという。
差し出された彼らのうち、腕力のあるケイスがやや大きめな男の子の方を、ほとんど赤ん坊と変わらないサイズの女の子をカズマが受取った。
副支店長と奴隷達の見送りを受け、店を出る。
待たせていた馬車の御者は、契約外の荷物を見るや露骨に顔をしかめた。
俺の仕事はエインの成人三名を運ぶこと。
そうのたまい、それ以外の生物を同乗させることを相当に渋った。
だがそれも、ケイスが割増料金を握らせるまでだった。
握った硬貨の重みを確かめるとたちまち上機嫌に変わり、別人のような笑顔を浮かべ始める。
恐らく彼は、金額次第であらゆる主義信条をただちに翻せるのだろう。
カズマからすればある意味で羨ましい性格だといえる。
「――カズマ。説明して貰いますよ」
馬車が走り始めてしばらく、やにわにマオが言った。
「一体何を考えているんです、貴方は」
有罪判決を言い渡す裁判官も、こんな声を出すのだろう。
その冷ややかさにカズマは思う。
「いえ、考えなしに暴走してしまった結果ですので……」
カズマは少し、猫の子を抱く腕に力を込めた。
「無責任だとは思わないんですか? 私たちはレイダーです。戦闘を伴う危険な仕事です。それが、こんな子を抱えてどうやって稼ぐつもりですか」
それに関しては、現状で非戦闘員のエリックを頼るつもりだった。
封貝を持たない彼は当面、街で言葉の学習に専念する予定だ。
カズマたち封貝使い部隊が外に出ている間は、彼らにコロパスを預けられないか。
だがこれは所詮、短期的展望でしかない。
人数が増えれば本土に渡る際の船賃が膨れあがる。
そんな話をしたその日に、さっそく二人もメンバーを増やしてしまったのだ。
その辺りを突かれれば、カズマは沈黙するしかなかった。
加えて、自分の都合で衝動買いしておきながら、面倒は他人に丸投げするようなことを言い出せば、マオを余計に怒らせることは目に見えている。
「……ついカッとなってやってしまったことを、大いに反省しています」
カズマは殊勝に反省の言葉を口にし、ただ身を縮めていることにした。
幸いであったのは、乗込む前に「なるべく飛ばして欲しい」とケイスが頼んでくれていたことだ。
割増料金で気をよくした御者は、この要望に忠実に応えてくれたらしい。
こんこんと続くマオの説教に耐えること五分強。
馬車は想像していたよりも随分早く、宿屋〈欠け戦斧亭〉に到着してくれた。
カズマは車輪が完全に止まりきるより早く、馬車から飛び降りた。
後ろでマオが何か叫んでいるのが聞こえるが、気にしない。
目視で座標を確認し、ナージャの部屋に封貝を飛ばした。
「ナージャ。聞こえてたら、マフラーに回復の水を溜めるやつを大至急、準備しておいて。繭型じゃなくて、お風呂みたいな桶型が良い。
サイズは小さな子ども二人分。濃度を調節できるなら、少し薄めで」
ナージャの繭は、普通の人間には効き目が強すぎる。
水や肥料をやり過ぎた花は、逆に腐って枯れてしまう。
同じ事が起る危険があるのだ。
だが、コロパスは獣人だ。
聞けば寿命が短い代わり、身体能力はエインの何倍も高いという。
ならば、封貝の回復液にも耐えられるかもしれない。
どの道、彼らはこのままだと長くない。
どのような治療方法を選ぶにせよ、多少のリスクを覚悟で挑戦するしかないのだ。
カズマは猫人の子を抱えたまま、店に飛び込んだ。
店主への説明はマオに任せ、慌ただしく階段を上りきる。
気配で、ナージャが男部屋の方にいることは分かっていた。
出がけに聞いていた通り、エリックの勉強を手伝っていたのだろう。
「ナージャ、準備は?」
ノックを省いて、いきなりドアを開ける。
「おう、ダーガ。できてるぞ」
彼女は空いたスペースに作った、赤マフラーの湯船をくいと指差す。
「それにしても、そんなに急いで……その白いのは何なのだ?」
「奴隷の子どもだよ」
カズマはデスクセット近くにいる彼らに歩み寄った。
抱いたまま、身体の角度を変えて、抱いた子猫が見えるようにしてやる。
「奴隷って……それ、猫だよね?」
エリックが顎を落とし気味にして問う。
首輪つきで売られている猫。
それはペットというのではないのか?
言葉にせずとも、表情が如実に主張を物語っていた。
「いや、これはコロパスっていう猫と人間のハーフです。弱って死にかけると人の姿を維持できなくなって、ただの猫になるんだとか」
「ほほう」
これが……というように、ナージャは奴隷の顔を覗き込む。
丸きり、カブトムシの虫かごに張り付く小学生男子そのものだ。
「これ、ダーガが買ったのか? ダーガが飼うのか?」
「死にかけてるのに放置されてたから、つい買ってきちゃったんだ」
カズマは言い、悪徳武器屋を騙して荒稼ぎしたあぶく銭を購入資金にしたことも伝えた。
この半分は本来、協力してくれたナージャのものである。
それを無断で使い切ってしまったことを詫びつつ、カズマは簡単にことのあらましを説明、報告した。
「でも、その子……生きてるの? なんか全く動かないけど」
「まだかろうじて、ですけど。だから、ナージャの封貝に入れて回復させてやりたいんだ」
「それは構わないが、異常が出ないか注意しないと駄目だな」
ナージャが珍しく深刻な表情で唸る。
「カプセル型じゃなく、お風呂型にしてもらったのはだからだよ。ずっと側に張り付いて、中の様子を見ていられる」
カズマは言って、腕の中の女の子を一度、ベッドに置いた。
それから彼女を包み込んでいた白い綿の布を解いていく。
これが人間の姿であればナージャに任せたかもしれないが、奴隷の童女は完璧な猫の姿をしている。
緊急事態ということもあり、まごついてはいられなかった。
途中、ケイスが男の子の方を抱いて現れ、無言でカズマと同じ作業を始めた。
不潔で粗末な着衣も剥ぎ取り、二人とも生まれたままの姿にする。
それから兄妹一緒に、回復液の中にそっと横たわらせた。
「これ、呼吸はできるんだよね? 完全に沈めちゃって良いんだよね?」
「もちろん、沈めても呼吸できずに死ぬことはない。でも、肺を満たすほど体内に大量に取り込むと、回復効果が強く出過ぎるかもしれない。
念のために、浅めにして完全には沈めないようにしておくか?」
それは問いの形をとりつつ、実質的には強制力を持った提案だった。
封貝の持ち主の助言を無視する理由はない。
カズマは頷き、そうするよう彼女に頼んだ。
するとすぐナージャは瞑目し、集中するように黙り込んだ。
呼応して、桶型に固まったマフラーの中で水位が少しずつ下がっていく。
さながら、栓を抜いたバスタブだった。
「毛皮ごしにも、死体のように冷たくなっていたのが分かった」
ケイスが眉間に皺を寄せた顔でつぶやいた。
「難しいかも、しれんな……」
同じ事はカズマも痛感していた。
極限にまで達した栄養失調は、彼らから肉と脂肪の一切を削ぎ取っていた。そして恐らくは、ほとんど全てに近い生命力も。
抱くと、まずそのあまりの軽さにカズマはショックを受けた。浮き出したあばら骨の感触がダイレクトに伝わることにも、また。
そんな、あまりに痛ましい姿が硬直したまま動きを止めているのだ。
もう、死体以外の何物にも見えない。
むしろ生きているのが不思議なくらいだった。
「みんな、ありがとう」
カズマはぼそりと言った。
ワンテンポ遅れて、集った仲間達に目配せしていく。
いつの間に加わっていたのか、店主と二名追加の交渉を終えてきたマオの姿も見える。
「明日もあることだし、みんなは寝床にもどって。ここは僕が見てるから。各自、もう休んだ方が良い」
すぐに反応する者はいなかった。
それでもややあって、「うん」だとか「ああ」だとかいう生返事がぽつぽつと返り始める。
だが、待てども誰ひとり、実際その場から動こうという気配を見せない。
散々小言を並べていたマオですらそうだった。
それぞれの胸中は分からない。
カズマはただ、このボロ雑巾のように放り出されていた子猫たちに、自分の行く末を重ねる思いだった。
種族としての寿命そのものの短さ。
だが、それをうんぬん言う以前、幼くして野垂れ死にしようとしている不遇。
その救いのなさはヨウコ当人と、彼女を探し彷徨う自分たちの行く末にも似ている。
実際、状況を考えればヨウコのことは絶望的だ。
一〇〇パーセント無事な彼女と笑って再会できる望みなど、本当のところはほとんどないのであろう。
同様に、目の前の小さな亜人たちが死神を退け、また笑えるようになる可能性もまた限りなく低い。
その非常な現実を前に、祈りなどなんの影響も持ちはしない。
よく分かっている。
だがそれでも、カズマは祈らずにはいられなかった。
この話は約一週間前の22日、自動プログラムに登録して投稿していたと思っていたのですが……
恐らく私がなんらかのミスを犯したため、正常に実行されなかったようです。
楽しみにして下さっていた読者諸兄には伏してお詫びします。もしいらしたら女性の読者にも勿論。




