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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
35/64

ザックォージ家の鬼子

  034


〈欠け戦斧亭〉の出す夕食はまずまずだった。

 オルビスソーにも広く知られているフ=サァン料理は、海産物と山菜をふんだんに取り入れた多彩さが特徴だ。

 素材に「何を加えて美味しくするか」を考える他国の料理は、その意味で足し算式の思考だ。

 だからソースが発達する。

 一方、フ=サァン料理は違う。

「素材のうまみをいかに引き出すか」が第一にえられる。

 本来の美味しさを損なう要素を一つひとつ取り除き、持ち味をかそうという思想は、引き算の料理ともいわれる。

 国内最大の漁港でもある首都ネクロスは、新鮮な魚介類が容易に手に入ることもあり、この〈欠け戦斧亭〉でもまた典型的なフ=サァン料理を味わうことができた。


 ――価格を考えれば、悪くはなかったかな。


 マオ・ザックォージは食後の蜂蜜種をのんびり傾けながら、及第点の評価をくだす。

 貴族の端くれとして、それなりに舌はえている方だ。

 その自分がこれなら、平民である他のメンバーたちは大いに満足したことだろう。

「しかし、たった一刻で八〇〇も稼いでくるとはな」

 やるじゃないか団長。

 ケイスは感心しきり、といった様子でナンジョー・カズマの背を叩いている。

「いやあ、僕はもうちょっとくらいいけると思ったんですけどねえ」

 言葉とは裏腹、少年は褒められて満更でもないらしい。

 照れたように口元を綻ばせている。

 彼はギルドを出てから日没までの短い時間で、文字どおり一稼ぎしてきた。

 なんでも、〈赤繭〉ことナージャ・クラウセンの宝貝を普通の武器に見せかけて店に売り、すぐに回収する――というまがいの手をつかったのだという。

 そんな古典的かつ初歩的な手口に騙されるプロがいるのか。

 思わないでもないが、実際、カズマはそれを成功させている。

 あくどい商売で知られる武器屋を四店まわり、そのうち二軒から見事金をせしめてきたと言うから驚きだ。

 よほど、うまいことやったのだろう。

 封貝使いとしてはまだ話にならないが、まるきり無能というわけでもないらしい。

 だが、マオはいまだに彼を集団の長たる存在だと認める気になれずにいた。

 名目上の代表者として一応でも容認しているのは、ケイスがそれを認めているからだ。

 そもそも、マオはケイス個人を追いかけてきたのである。

 カズマたちの目的に共感したわけでも、強く協力を望んでいるわけでもない。

 彼らが異世界から来たという話すら、せいぜい半分程度しか信じていなかった。

 それは、ヨウコなる少女についても同じだった。

 マオにとっては、どこか現実感を欠いた遠い話にしか聞こえない。

 彼女を血眼で探すカズマたちとの間に、めがたい溝、温度差を感じる。

 何の罪もない少女が力尽くで連れ去られ、恐らく酷い目にあっている。

 今もきっと辛い思いをしている――。

 なるほど、事実なら気の毒な話だ。

 同じ女性として胸が痛む。

 だが現実問題、野党にさらわれて娼館や奴隷商人に売られる若い娘など、オルビスソーではさして珍しくもない存在だ。

 言ってしまえば、よくいる運の悪い他人の一人でしかないのである。

 彼女だけが特別不幸なのではない。

 悲劇のヒロインではない。

 それ故マオは、そのヨウコを探し出すため、今後の行動方針について熱っぽく語り合うカズマたちの輪にも積極的には加われずにいた。

 どこか微妙な距離を置いて、耳だけ貸す形になってしまう。

「――僕らはヨウコさんを探し出して連れ戻したいわけだけど、そのためにじゃあ何ができるって考えると……改めて無力を感じるね」

 そう言って長いまつを伏せたのは、エリック・アカギだった。

 この共通語を話せないばかりか、封貝のひとつも使えないという少年は、マオにとって大きな謎のひとつであった。

 彼は何の理由で、ヨウコなる少女の奪還部隊に組み込まれたのか。

 封貝を使えないハンデを押しのけるほどに何か秀でた才を持つが故か。

 しかし、今のところそのようなてんびんを彼に見ることはない。

 本人も、そこは自覚にあるのだろう。

「一番、使い物にならない僕が言うなってところだけど――」

 エリックはいささか自虐的な苦笑を浮かべ、だが真顔に戻って続けた。

「だからこそ、一番慎重に物を考えられる立場にあるんと思うんだ。

 僕らが失敗すれば、ヨウコさんを奪還できる勢力は消滅してしまう。

 だから、この慎重さはとても大切にすべきだと思うんだよ」

「それで、エリック。お前さんは今後、どうすべきだと?」

 ケイスが大人の落ち着きを感じさせる口調でたずねた。

 彼は時々、マオにも同じ物のき方をする。

 生徒が自分で考え、答えに辿り着くことを期待して待つ、教師の眼差しだ。

「長期的な方針としては、レヴェルアップに励むべきです」

 エリックは質問を予測していたとしか思えない速度で答えた。

「僕は言葉を。そして文字を学びます。また、非戦闘員でも稼げる道を探します。経済、情報の分野では封貝を持たなくてもできることがたくさんあるはずですから」

 封貝を持たずとも、か――。

 エリックの主張を聞きながら、マオはそっと目を閉じた。

 その手の思想には、個人的に色々と思う所がある。

「それから、カズマくんは封貝使いとして完成度を上げるのが課題になると思う。読み書きについて僕と同じ立場だから、一緒に頑張ろう」

 エリックが続けた。

「ナージャさんやケイスさん、マオさんは封貝使いとして頼りになる戦力ですが、それは今のところ個の力に過ぎません。時間をかけて連携を磨けば、僕らはより強い力を手にすることができるでしょう」

「そうだな」

 マオは目を開き、ケイスがゆっくりと頷くのを見た。

「あとは、ヨウコさんが本土にいると仮定して、海を渡るための準備ですね。とにもかくにもお金が必要です。人脈(コネ)づくりも大切だと思います。レイダーとして名を挙げて、優秀な人材を集めたいところでもありますが……これは個人的に後回しでも良い気がしています」

「えっ、なんでです?」

 カズマが目をぱちくりさせる。

「いや、だって仲間が増えたらそれだけ渡航費用が高く付くよ? オックスくんが言ってたように、オルビスソーでは船での長旅はとてもお金がかかるみたいだ」

「あー、お金か……」

 カズマが呆けたようにつぶやく。

 それを尻目に、エリックはなぜだかケイスに顔を向けた。

「そう言えば、ケイスさんはフ=サァンの出身ではなかったんですよね。

 つまり、本土から船で渡ってこられたことが?」

「そうだな」

「失礼ですけど、どうやって?」

 つまり莫大な渡航費用、および席の確保をどうしたか、という問いなのだろう。

「当時は、今とは状況がかなり違った」

 言って、ケイスは軽く肩をすくめた。

「独立戦争の事後処理のゴタゴタで……行き来がかなり活発だったんだよ。本土に駐留していたフ=サァン軍の引きあげもそうだし、断絶していた国交の回復によって多くの商船が次々に就航し始めていた。移民や難民の移動も活発だった。

 俺はその一つに運良く紛れ込んだってだけの話だ。兵士をやってたことろのコネは多少あったが、金はほとんど使ってない」

「そうか……戦中戦後の混乱で」

 エリックが考え込むような表情で動きを止めた。

「何かそういう話、歴史の教科書で見た記憶あるなあ」

 カズマが同調するようにつぶやいた。

「大戦直後の日本も、まんしゅうとか元入植地からの引きあげで、五〇〇万とかそういう単位の凄い数が海を越えて移動したんでしたっけ。あれに似た感じなんですかね?」

 その確認めいた問いかけに、エリックは重々しい口調で答えた。

「カズマくんの言ってるのはひきあげしゃだね。

 それは民間人だけで、軍人だった復員兵を入れると数は更にふくれあがるよ。

 ――ただ、そういうのは、戦後のゴタゴタが落ち着くと、今度は逆に渡航はきっちり管理されてるようになるものだ。日本も今は、勝手に船出してパスポートもなしに海外に行くなんてできない時代だよね?」

「まあ、そうですね」

「オルビスソーも事情は同じみたいだ。派閥プラトォンを大きくして仲間を増やしておきたいっていうカズマくん気持ちは分かるけど、効率を考えると、やっぱりそれは本土に渡ってからでも良いと思う」

かえる前のヒナを数えるような話にも聞こえるが、まあ長期的な方針としてはそれで良いだろう」

 ケイスが総括するように口を突っ込んだ。

「では、短期的な目標は?」

「それなんですけど――」

 答えたのはエリックではなく、カズマだった。

「ケイスさんたちは、〈乱捕らんどり〉ウォーカーって知ってます?」

「〈乱捕らんどり〉――?」

 マオは気付かぬうちに口から零していた。

 同じ思いらしい。

 ケイスと無意識に顔を見合わせてしまう。

「なぜここでそんな名前が出てくるのかは分からんが、知らない方が珍しいくらいのビッグネームだな、それは」

 ケイスが怪訝そうにしながらも応じる。

 その返答に、カズマは「やっぱり」と言う顔を見せた。

 それから言った。

「僕とエリックさんが、ひとさらいの一味にだまされて奴隷商人に売られかけたことは話ましたよね」

「……ああ」

「その時、人攫いの奴らが言ってたんです。アグリという同業者が、まれに見る美少女を野盗から受取って、〈乱捕〉ウォーカーという奴隷商に届ける仕事をしたって」

「なるほど」

 低いつぶやきと共に、ケイスの相貌に影がきざした。

「その売られた少女が、お前さんたちの探すヨウコである可能性を考えているわけだな?」

「ええ。ただ、諸々の状況を考え合わせると、その子がヨウコである可能性はかなり低いと思います。でも、もしものことを考えると無視するわけにもいきません。ね、エリックさん?」

「ん――ああ、まぁ……そうかも、ね」

 ぼんやりしていたらしいエリックは、どこか煮え切らない生返事を寄越す。

 きょを突かれて驚いた、というのともまた様子が違った。

「エリックさん?」

 そこに異変を察したカズマが、しわを刻むように眉根を寄せた。

「あ、いや……その奴隷商に売られてしまった女性のことは、確かに無視できない問題だと思うんだ」

 違うんだ、というように両手を振りながらエリックは続けた。

「でも、僕はカズマくん以上に、彼女がヨウコさんである可能性を低く見てるって言うか……ほぼ完全にあり得ないと思ってるって言うか」

 語尾がどんどんと尻つぼみになっていく。

「そうなんですか? まあ、シガー・イングリスに拉致されたヨウコがこんなところにいるのは明らかに不自然ですし、気持ちは分かりますけど」

「うん。でもそれだけじゃなくて、僕は……その、ユゥオ? そこにヨウコさんがいるって決め付けるのも危険だと思うんだ。イングリスに連れ去られたから彼の国にっていう考え自体は自然だし、分かるんだけど。

 でも違う可能性についても、もう少し柔軟フレキシブルに考えるべきなんじゃないかな……って」

「まあ……、それはそうかもしれませんね」

 考え自体には一理、認められる。

 だが、エリックの奇妙な態度には何か釈然といかない。

 おおよそ、そんなところだろう。

 カズマは言葉ほどすっきり受け入れられた顔をしていない。

 だが、すぐに切替えた様子で話題を戻した。

「とにかく、そういうわけで〈乱捕〉ウォーカーの奴隷商に探りを入れる必要があります」

「しかし、探りと言ってもな……」

 ケイスが難しい顔でうなった。

「なにか問題でも? そもそも、オルビスソーの奴隷商ってのをうまくイメージできないんですよね。インカルシにもネクロスにもお店があるって話だったから、この街にも店舗があるんでしょ?」

「店はある」

「じゃあ、限られた人しか入れないとか? 貴族会員オンリーとか」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 うまい表現を探そうとするように、ケイスは一旦口をつぐんだ。

「要は、敵に回すと厄介な組織なんだよ。商売が商売なだけに、ガードも固い。やつらは百人長グリーン級の封貝使いを何人も抱えている。

 その上、奴隷商は違法な商売でもなんでもないというのがな。あれは国家が認めた合法的なシステムだ。その娘を見つけて、金で買い取るというならまだしも、力尽くでぶんどることを考えているなら至難だぞ」

「そんな……」

 カズマとエリックが双子のように声を揃えた。

「だって、野盗が誘拐した何の罪もない人たちを買い付けて、首輪つけてボロ儲けしてるような連中なんでしょ? それが合法って」

 ケイスに言っても仕方がないことだ。

 だが、分かっていても収まりが付かないのだろう。

 カズマが鼻息も荒く身を乗り出す。

「野盗が村民を襲って人をさらうのは確かに犯罪だ。だが奴隷商は、そういう非合法の手段で捕まえられた人間であることを知らずに人間を買っている、という建前なんだ。だから罪に問われることはない。盗品を盗品だと知らずに買った者が裁かれないようにな」

「いやいや、その辺は買い取る側もきちんと確認する義務があるでしょう。……っていうか、知らずに買ってるって絶対嘘でしょ、そんなの」

「だが、証拠はない。奴隷は財産であり、財産を持つ者はそれを自由に売り買いする権利が認められている。犯罪者でも、正体を隠して好きに人間を売り払える。そういうルールなんだ」

「滅茶苦茶だ!」

 カズマが卓上で拳を握り固めて叫ぶ。

 その態度に関心を引かれたらしい。

 逆にケイスが問うた。

「そこまで言うということは、お前さんたちの世界には奴隷の売買はないのか?」

 流石、隊長。分かってる。

 自分も同じ事を疑問に思いはじめていたマオは、胸の中で小さく拍手(かっ)さいした。

「いや……ないことも、ないですね……」

 黙り込むカズマにかわって、渋い表情で答えたのはエリックだった。

「数百年前までは当たり前のように奴隷が売り買いされていたし、今聞いたオルビスソーの奴隷事情にも負けないくらいひどい話だって歴史書にいくつも記されています。

 ――いや、なにも昔の話だけじゃない。今も〈果て〉の出現で国を追われた多くの難民たちが、事実上の奴隷にも等しい扱いを受けて、それこそ強制労働させられてたり、身体を売らないと生きていけない生活を強いられてたりしますから」

「うっ……」

 カズマが声を詰まらせた。

 明らかに、痛いところを突かれたという顔をしている。

 してみると、エリックの言っていることは少なくとも事実に近い部分が含まれるのだろう。

「……エイベル・ミーアポルという人が作った〈奇妙な果実(ストレンジ・フルーツ)〉って曲なんかを知ってると、エリックさんの言ってることは否定できないですね」

 大きく両肩を落としたカズマが、かすれるような小声で認める。

「のちにビリィ・ホリディという女性歌手が有名にしたこの歌は、なぶり殺しにされた黒人たちが木に吊されてさらし者にされたことと、そこに大勢の見物人が集まったこと、その死体と一緒に記念写真を撮るのが流行したことなんかを批判したブルースです。写真は絵ハガキにもなった。

 当時、黒人をそんな目に合わせても罪には問われなかったそうです。公的な奴隷制度はなくなっても、彼らはまだ事実上の奴隷だった。一九三〇年代……歴史的にはつい最近の話です」

 ケイスが「黒人」というものが何なのか問うと、カズマは肌が黒やそれに近い茶色をした人種エインのことだ、と説明した。

 彼らは肌の色が違うというだけで、他のエインから迫害を受け、何の理由もなく奴隷階級に押し込められたのだという。

「日本でも、一部ではしゃちくなんて言葉が使われてるようだしね」

 エリックが神妙な表情で告げた。

「あれも一種の奴隷なんじゃないかな。神経がすり切れるほどのノルマを押しつけることで正常な判断や逆らう気を奪う。度を超えた酷使で鬱病になって、最後は過労死……ニュースで結構聞く話だよ。

 あんなのが横行してる以上、多少ましだからって偉そうに異世界(こっち)の事情を笑えない」

 場に奇妙な、そして居心地の悪い沈黙がおりた。

「――まあ、とにかくだ」

 雰囲気がどんどんと重苦しくなる上、話の脱線で収拾がつかなくなると判断したのだろう。

 ケイスが空気を振り払うように言った。

「結論として、できるだけ早いうちに〈乱捕〉の店を案内しろってことなんだろう?」

「そうです。というか、ウチは派閥プラトォンの方針として奴隷関係の依頼には積極的に関わっていく、くらいの構えでいたいですね」

 いつになくきっぱりとカズマが言い切る。

「確かにな。お前さんたちの探すヨウコという少女は――今回の件を別にしても――売り払われて奴隷市場に出回る可能性がある。

 そっちの業界に注意の網を張っておいて損することはないだろう」

「ええ。ほんとは考えたくもない可能性ですけど」

「なるほど、分かった」

 ケイスの口調は、明らかに結論を導き出そうというそれだった。

「そういうことならカズマの言う通り、一度、〈乱捕〉ウォーカーの店に行ってみるか」

 瞬間、カズマが小さく顔を跳ね上げる。

「やっぱり、ケイスさん知ってるんですね?」

「実際に足を運んだことはないが、場所くらいはな」

 ケイスはそこまで言うと、何かりょうするように口を閉ざした。

 それからなぜか、マオの方に視線を寄せてくる。

 どきりとしながらも、意中の異性に見詰められるのは悪い気がしない。

「なんですか?」

 平静を装いつつ、あえてマオの方からいた。

「いや、そうなるとマオに主役を張ってもらった方が良いかもしれないと思ってな」

 一瞬、えっ? となる。

 だが、すぐに彼の言わんとすることは理解できた。

 奴隷は財産。

 つまり、ちょっとした高額商品なのだ。

 生活に余裕のない庶民が持てるようなものではない。

 富豪。

 大商人。

 豪農。

 貴族……。

 きゃくの大部分がいわゆる富裕層で占められるえんである。

 そして事実、ザックォージ家も顧客だった。

 マオの日常生活の一部分を影から世話していたのも彼らである。

 実家で冷遇されていたマオには、メイドや執事は限られた数しか与えられなかった。

 不足分は奴隷をあてがわれたのである。

「ええと……マオさんが主役っていうのは?」

 カズマがケイスとマオの間で視線をうろうろさせながら訊いた。

「奴隷は金持ちの持ち物だ。店に出入りする客も当然、そういう連中ということになる」

 ケイスは「分かるだろう?」と言うように肩をすくめ、続けた。

「そんな店を、庶民感丸出しの俺たちがウロつけば、どうあっても不審がられる。その点、マオは本物のお嬢様だ。相応しい衣類の持ち合わせもある。彼女が奴隷をつくろいにきた貴族。俺たちはその護衛。そういう構図を作った方が、店に変な警戒感を持たれずに済むってことだ」

 ああ、なるほど。

 ふたりの少年は揃ってつぶやき、首肯を繰り返した。

 その横、先程からまったく話に加わる気を見せない〈赤繭〉は、何かに急き立てられるかのようにフルーツの盛り合わせを頬張っている。

 彼女は恐らく、誰かが部屋に戻ろうと言い出すまでこの調子だろう。

「――しかし、カズマの話を信じるなら、その上玉だという娘が〈乱捕〉の店に売られたのは何日も前だ」

 ケイスが眉間にうっすらとしわを寄せてつぶやいた。

「商品はそれなりの仕込みを済ませてから店頭に出すと聞くが――普通なら、流石にもう店頭に出されている頃だろう。あるいはもう買い手がついてしまっている可能性もある。店に行くなら急いだ方が良いな」

「奴隷商の店っていうのは、毎日決まった時間に開いてるものなんですか?」

「そうだ」

 エリックの問いに、ケイスが頷く。

「ただ、その辺のパン屋と違って、午前中はやっていない。午後から夜だな。開いているのは」

「つまり、今この時間帯?」

「そうだ」

 ケイスが答えた直後だった。

 やにわに全員の視線がマオに集まる。

「えっ……」

 気圧されたマオは軽く上体を仰け反らせた。

「もしかして、今から用意しろと言うんですか?」

「マオ、頼めないか?」

 ケイスからファーストネームを呼ばれるのには、まだ慣れていない。

 その魅惑的な低音に自分の名をつむがれると、どうしても胸が高鳴る。

 甘い痺れのようなものが身体の芯を震わせる。

 正直、彼が頼ってくれること自体が嬉しくて仕方なかった。

 これは卑怯だ。

 そう思ずにはいられない。

 彼に頼むと言われれば、断れるわけがない。

 頭にくるのは、カズマがそれを察して早くもにやけだしていることだ。

 まだ出会って三日も経たない年下に、こうまで見透かされるのは屈辱以外の何ものでもない。

「――仕方、ありませんね」

 だが、結局はそう言うしかなかった。

 ケイスに大人げない小娘だとは絶対に思われたくない。

 元より、彼とは年齢の開きがある。

 それは、貴族社会の基準で言えばごく普通の開きでしかない。

 しかし、当のケイス自身がマオをまだ子どもに見ている節がある。

 マオの望む理想の関係からはほど遠い。

 ならば、彼の認識を少しずつでも変えていかねばならないのだ。

「少しお時間をいただければ、用意はできます。しかし、私の格好だけでは充分ではありませんよ? それなりの店にはそれなりの馬車で乗り付けませんと」

「そうだな」

 ケイスが少し皮肉っぽく笑んだ。

「この時間、徒歩で出歩く貴族様なぞそうはいない」

 それならば、とマオは社交界でもよく使われる業者を紹介した。

 ギルド所属の信用のおける店だ。

 そこからのケイスは流石だった。

 宿の若い者に謝礼金を握らせ、業者の元へ走らせる。

 そうして、半刻後に宿まで来るよう予約を取り付けた。

 高級馬車の定員は通常、三名から四名。

 これに備えて、マオ以外のメンバーも素早く選定する。

 出発が半刻後となると、あまりぐずぐずはしていられない。

 ゆうの席はそのまま解散となった。

 支度の関係で最も忙しいマオは、〈赤繭〉を連れ、先頭を切って二階へ向かう。

 フ=サァンでも、オルビスソーの一般的な形式にのっとり、一階を酒場兼雑家屋、二階部分を宿泊施設としている店は少なくない。

 ケヴレス統一政権時代に入ってきた文化だ。

 その二階の一角を占める女子用に借りた中級の二人部屋は、マオからすると辛うじて合格点をつけられるレヴェルだった。

 狭めの部屋にとりあえずベッドを二つ並べただけという間取りであったが、シーツはそれなりに清潔。

 寝具も、寝返りを打つ度に悲鳴のような軋み音を上げる安物ではない。

 夕食前、一番安い大部屋を少し覗かせてもらったが、あの地獄のような場所と比べればここは楽園と言えた。

 なにしろ最低グレードの大部屋は、「家畜が一緒にいない分だけ馬小屋よりはマシ」程度の劣悪な環境であったのだ。

 だだっ広い部屋の一面にわらを敷き詰め、そこに不特定多数の宿泊客を押し込める。

 本当にただそれだけの空間だった。

 仕切りもない。

 収納も、ベッドすら存在しない。

 では、どこで寝るのか。

 ケイスに問うと「そのまま、そこに」と彼は答えた。

 つまり、宿泊客らはすえた悪臭を放つ、湿った藁の上に直接、寝転がるのだ。

 荷物は盗まれる危険があるため、多くの者が貴重品の袋を抱いて眠る。

 一応、柱ごとに個々のスペースは区切られているようだが、マオが見る限りほとんど用をなしていないように映った。

 雑魚寝が当然なのだ。

「――わずかばかりの収穫物を売りに来た貧しい村民。封貝を使えない稼ぎの知れた駆け出しレイダー。隊商に使われている荷物運びの奴隷……。

 そういう連中にとっては、あの大部屋での寝起きこそが日常だ。マオ、お前はなんだかんだと貴族なんだよ。俺も兵士をやっていた頃は、あんな部屋で身体を丸めて夜を過ごしたことが何度もある」

 ケイスにかけられたその言葉は、正直、ショックだった。

 同時に、ザックォージ家を飛び出した時のことを思い出す。

 家名を捨てると決めた時、マオは〈レイダー〉か 〈護士組〉か就職先で迷った。

 なんと言ってもレイダーは自由の象徴のような商売だ。

 一方、護士組も実力主義で知られる可能性に満ちた職場だ。

 熟考の結果、マオが選んだのは護士組だった。

 それは、家族に愛されなかったとは言え、貴族であったことは否定できない事実であったからだ。

 今までザックォージの娘として、少なくとも飢える心配とは無縁な生活を享受してきた。

 庶民からすれば充分に恵まれた環境で育てられた。

 だがそれは本来、持っていて当然の権利ではない。

 貴族としての様々な重責を負うこと。

 領民とその暮らしを守ること。

 ひとたび、戦争ともなれば真っ先に前線に駆けつけ、生命を賭けて雄々しく戦うこと。

 こうした義務と引替えに得ていたはずの特権なのである。

 幼少期をぬくぬくと貴族の世界で過ごし、特権を貪るだけむさぼってから「貴族辞めて自由に生きます」では、筋が通らない。

 あまりに自分勝手が過ぎる。

 そう考えたからこそ、マオは護士組の門戸を叩いた。

 民と街の安全のために尽くそうと決めたのだ。

 今まで特権に浴してきたその分のりは、せめて公共の福祉のために身を粉にする事で返す。

 自由に生きると宣言するのは、その精算が済んでからで良い――。

 だが、ケイスはそれでも結局、お前はお嬢様だという。

 あの大部屋で数知れない夜を過ごす経験をしなければ、貴族は捨てられないものなのか。

 貧しさを知らないものに、自由を語る資格はないのか。

 なにも、彼がそういうつもりで言ったのではないことは分かっている。

 ケイスは決してとがめたのでも、糾弾したのでもない。

 だが、よく分からない劣等感故か。

 マオは必要のない深読みをどうしてもめられずにいた。


「――おい、お前。なんだかさっきから動かないけど、それもしょうに必要なことなのか?」

 不意に背後から浴びせられた声に、マオは飛び上がりかけた。

 悲鳴を上げずに済んだのはぎょうこうであったと言える。

 気付けば、化粧の途中、姿見と向き合ったまま考え込んでいたらしい。

 確かに鏡と睨めっこしたまま動かなくなる人間は、端からだとさぞかし異常に見えたことだろう。

「いえ……ちょっと考え事をしていただけです」

 慌てて言い取り繕うが、

「そうか」

 と、〈赤繭〉ことナージャ・クラウセンは素っ気ない。

「いやな。私は化粧のことはよく分からないから、鏡の前で瞑想するのも必要な作業の一つかと思って、ちょっと声をかけるか迷ったのだ」

「化粧にそういうプロセスがあるとは聞いたことがありません」マオは生真面目に返した。

「ですので、注意していただいて助かりました。時間もあまりないですし」

「うむ」

「ですが、あの……声をかけられる度にお前と呼ばわれるのは、少し」

「ん?」

 〈赤繭〉は小首を傾げる。

「お前、名前なんだっけ」

「マオ・ザックォージです」鏡越しに彼女を見詰め返した。

「この際です。貴女(あなた)もマオと呼ぶようにして下さい。私も貴女のことはナージャと呼ばせていただきますので」

 こちらも、いつまでも〈赤繭〉扱いはあんまりだろう。

 そう思って提案を持ちかける。

 ナージャは特にこだわりもないらしく、すぐに「分かった」とだけ答えてくれた。

「それで、私に着替えを手伝えと言っていたが、なにをすれば良いのだ?」

「ドレスの背中側に、自分ではとめにくいボタンがあります。まずは、それをお願いできますか」

 また、髪を飾るアクセサリも、後部や上から見て位置や見栄えを確認しなければならないのだ、と続けた。

「それから、この首飾りなんですが――」

「うむ。これも後ろでとめるのだな」

 ここまでくると自分でもできないことはない。

 だが、ナージャは思いのほか器用で、頼むと何でもないことのように軽く片付けてしまう。

 下手をすれば、長年使っていた侍女より手際が良い。

 それがながなんとも心地よく、マオはつい甘えてしまう。

 ナージャが身に纏う芳香に気付いたのは、そんな最中のことだった。

 背中越しにネックレスの両端を受取ろうと、彼女が身を寄せてきた瞬間、ふわりと花の匂いが鼻腔をくすぐった。

 最初はなんとも思わなかった。

 だが、すぐにその異常さに気付く。

「うわっ!……なんだ? 動いたらつけられないではないか」

 弾かれたように振り返るマオに、ナージャが抗議の声をあげる。

「貴女……ちょっと良いですか?」

 マオは椅子から腰をあげて、ナージャの亜麻色をしたショートヘアに顔を寄せた。

 鼻先がその赤ん坊のように柔らかい、艶やかな頭髪に少し埋もれる。

「なんで貴女、こんな良い匂いなんですか」

 最後に首筋付近の体臭も確かめて、マオはようやく近づけていた身体を引き離す。

 それからきつもん口調でただした。

「なんなのだ、突然?」

 突然の展開に戸惑ったのか。

 ナージャは目をぱちくりさせていた。

「だって貴女は何日もずっと牢に繋がれていて、湯浴みはもちろん、身体を拭く機会すらなかったはずでしょう。それからもずっと、水浴びも満足にできなかったはずなのに……」

 封貝使いにも新陳代謝はある。

 脳内物質。

 

 汗。

 これらも分泌される。

 普通の生物と違い、それらがなくても――究極的には血液すら失っても――死にはしないと言われているのに、だ。

 なぜか。

 ホルモンバランスが一定なら、感情の揺らぎは生まれない。

 血圧や心拍が乱れないなら、ケイスに口づけされても、マオは頬の一つさえ赤らめることができないだろう。

 感動もない。

 胸の高鳴りもない。

 ならば、そこに意欲や情熱は生まれようはずもない。

 どんな刺激にも反応せず、何も感じない人間……

 それは動く死体とどう違うだろう。

 だからこそ、死ぬほどの傷を負ってもすぐに回復し、一〇〇年生きても老いない封貝使いは、あえて汗をかき、涙を流し、羞恥に頬を染め、くしゃみや咳をするように努めている。

 感情などの人間らしさの対価として、一定の不自由を自ら受け入れているのだ。

 故に、体表で雑菌が繁殖すれば、体臭が発生することもある。

 それは普通の人間と変わらない部分なのだった。

「若い女性とて、汗にまみれ、泥に汚れたまま何日も屋外をさのまよえば、酸味がかった悪臭を放ち出すというもの。なのに貴女は花のようにかぐわしい……何故です?」

「よく分からないが、私の身体の香りはロータスなのだとサトミが言っていたような気がするな」

 詰め寄るマオに、ナージャは説明にもならぬ説明を口にした。

 ロータス。

 彼女がいたという異世界の花の名か。

 マオは首をひねりつつも、「どういうことです?」とだけ訊くに留めた。

「私にも分からない」

 ナージャはあっさりそう答えた。

「ただ、そういう性質なのだと教えてもらったし、お前もそう感じたようだから間違いではないのだろう。私だけでなく封貝も同じらしいぞ。特にこの――」

 と、彼女は首元に巻き付けた紅く長いりんを指先でつまんだ。

「〈*旋火の綾〉が集める水も、ロータスの属性を持っている。私はあのケイスという奴にやられてしまったあと、ずっとその水に浸かって傷を治していたから、身体は常に綺麗だったし、ロータスの匂いがするのも当然なのだ。ダーガだって、怪我を治すためにしばらく入れておいたから、まだ匂いが残ってるんじゃないか?」

 自分と同じ匂いだから、私は気付かなかったが。

 ナージャは事も無げにそう言葉を結ぶ。

「ちょっと待って。じゃあ、なんですか。その綸子に満たした水をお風呂代わりにすれば、私も貴女のいうロータスの香りに包まれて、しかも身体を常に清潔に保てるわけですか」

「だと思うぞ。本来は治癒能力だが、それには傷口についた汚れを取り除くことも含まれるからな」

 ナージャが言葉を終えるより早く、マオは彼女の両手を包み込むように握っていた。

「素晴らしいではないですか!」

「おおっ?」

「封貝でお風呂を作れるなど、全女性の味方としか思えません」

「なんだ、いきなり」

 勢いに気圧され、ナージャが顔を強ばらせる。

 だが、マオは構わずまくしたてた。

「レイダーになった以上、長旅や迷宮探索は避けられません。その間、身体の清潔をどう保つかは女性レイダーが取り組む永遠のテーマの一つでしょう。貴女とて、憎からず思う異性に不潔な姿をさらしたくない気持ちは、多少なりとも分かるはず」

「よく……分からんが、お前がばっちいのを嫌っていることは伝わった」

「ナージャ。繰り返しますが、貴女の封貝はとても素晴らしいものです」

「そうか? まあ、私は凄いからな」

 得意げな顔を見せつつも、あまりピンときていないように見えた。

 そのこともあり、あまりこの話題を長引かせたくないのだろう。

「とにかく、早くこのネックレスを着けさせるのだ」

 ナージャは手にしたままだったネックレスを突きだして主張した。

「そうですね……」

 冷水をかけられた思いだった。

 感情を剥き出しにしていたことが急に恥ずかしくなって、マオは声のトーンを落す。

「どうも私は、生活環境の激変で浮ついているところがあるようです」

「貴族とレイダーとかなり違うからな。マオは、ドレスや飾り物をたくさん持っているし。あれか。貴族は貴族でも、お姫様みたいなやつだったのではないか?」

「お姫様、ですか……」

 マオは鏡の中で苦い笑みを浮かべる自分と目を合わせた。

 だが、すぐに居たたまれなくなって顔を伏せる。

 現実、領主一族の娘を「ひめ」と呼ばわうのはフ=サァンにおいて一般的なことだ。

 ザックォージ領をべる伯爵家の末娘であるマオも例外ではない。

 だが――

「私は、そんな良いものではないですよ……」

 気付けばマオは、自嘲的にそう答えていた。

「貴女の仲間の、エリックと言いましたか? 彼も封貝を持たないことに強い劣等感を持っているようでしたけど、それも無理からぬ話。オルビスソーで生きていく上で、封貝使いであるかないかというのは、人生を分ける大きな要素です」

「それはそうだろうな」

 ナージャはすぐに首肯した。

「封貝を持ってない奴らは歳を取ってすぐにボロボロになるし、少しの怪我で死んでしまうし。一〇〇人いても、一人の封貝使いに敵わないくらい弱いのも駄目だ」

「そう。ですが、封貝の有無が決定的な優劣を決めるわけではない分野もあります。たとえば芸術。たとえば学問。それに経済。政治。そして戦争」

「戦争もか?」

 ナージャが不思議そうに問う。

 それにマオは笑顔で答えた。

「実際に敵を倒すというのなら、封貝使いは圧倒的でしょう。ですが、封貝使いをどこに何人配置し、どう動かすか。作戦を考え、指揮する軍略に封貝は必要ありません。経験と知能、センスが物を言う分野です」

 黙って聞いていたナージャが、うーんと唸る。

「確かに……いつも敵と戦うのは私だが、勝つための作戦は後ろでダーガが考えているな」

「そうでしょう? 軍師に封貝はいりません。そして、私の実家であるザックォージ伯爵家は、とりわけその思想にこだわりを持つ貴族でした」

「ん? ぐんしってなんだ?」

「軍師とは、乱暴にいうなら貴女にとってのカズマのような存在です。

 兵士がどう動いて、どう戦えば勝てるか。後ろで作戦を立てる専門家を言います。そして古くより中央に仕えてきたザックォージ家は、代々優秀な軍師――戦略家を数多く輩出してきた家系なんです」

 そしてそのきょうが高じるあまり、封貝を認めないところにまで行き着いてしまった。

 そんないびつな一門でもあるのだ。

 マオはそう補足した。

 良い機会である。

 着替えと化粧の間、手持ちぶさたのナージャは退屈することだろう。

 少し自分のことを話して気を紛らわせてやるのも、今後を思えば良いことなのかもしれない。

 なんとなくそんな気がしてきて、マオはまた語り始めた。

「独立戦争終結まで、オルビスソーの全ての貴族にとって武功をあげることこそが出世への最短路でした。

 なればこそ貴族は、こぞって勇猛な封貝使いの血を求めたんです。身内から強い使い手を生み出せば、名も上がる。貴族としての格も上がる。今も、傾向としてそういう考え方は変わっていないくらいです」

 しかし、ザックォージ家は違う。

 封貝礼賛主義の対極をいくな貴族として広く知られているのだ、とマオは続けた。

「知謀、策謀に封貝はらず」――。

 それが、ザックォージが固く貫いてきた家訓だった。

 戦略に通ずるならば、封貝ではなく、ただ智勇をもってそれを成すべし。

 初代がそもそも封貝を持たず、それでもばくりょうの頂点にまで上り詰めた人であった、というのも大きいのだろう。

 また、彼の跡継ぎに封貝使いが現れなかったことも背景として無視できない。

 結果として、「封貝不要」のこだわりはことさら強くザックォージ家に刻まれることとなった。

 代を重ねるうち、やがてそれは絶対遵守の血の掟となるにさえ到った。

 マオからすればもはや妄執の域である。

 封貝の才能は遺伝と無関係に現れる。

 その事実は数代前から既に広く認められていたことだ。

 だが、ザックォージはそれでも血縁から徹底して封貝使いを遠ざけた。

 当主一族は、たとえ相手がどれだけ高貴な血筋であろうと、封貝を持たない者としか婚姻を許されない。

 そうまでして徹底排除に努めた。

 それでも、一定の割合で封貝持ちは生まれてくる。

 そんな時は、たとえそれが当主のちゃくであろうと即刻、継承権をはくだつされた。

 その上で男子なら養子に出されるか、一生飼い殺し。

 女子の場合はめかけとしてどこぞの下級貴族や商家へととつがされた。

 そして彼らには二度と、ザックォージの家名を名乗ること、伯爵家の敷居をまたぐことが許されなかった。


 そんな名門ザックォージ家に、なんの間違いか数十年ぶりに誕生したペルナマスターが――

 一際強力なそれをいだいて生まれた、末妹マオであった。

 当然、この事態、その存在が歓迎されようはずもない。

 事情はザックォージの思想に染まった家臣、じゅうたちも同様であった。

 マオを産んだのが正妻ではなく妾であり、また難産故の帝王切開であったこともたたった。

 妊娠中から体調を崩していた生母が、産後すぐに逝去したこともまた不幸だった。

「末姫は封貝で母親の腹を割いて飛び出してきた」。

「噴き出す鮮血を全身に浴び不気味な笑みを浮かべて立ち上がった」。

 従者たちまことしやかに囁き合い、生まれたての赤子をおとしめた。


 マオはすぐ離れの小館をあてがわれ、そこで育てられることとなった。

 本家との接触はその一切を禁じられた。

 乳母。

 幾人かの侍女。

 そして奴隷の召使いが道連れに封じられた。

 ただ、乳母のマアサは優しかった。

 マオの境遇を哀れみ、愛情を注いでくれた。

 ――だが結果として、それは良かったのか悪かったのか。

「今はお会いになれませんが、マオお嬢様が励めば、いつの日か必ずや御当主様や奥方様もお認めになるでしょう」

「御当主様がたもマオ様と会えず、その腕に抱いてやれぬことを大層寂しがっておいでのはず」

「マオお嬢様もまた、我が子の一人として他のご兄姉と変わらず愛されているのですよ」

 マアサのそれは優しい嘘だった。

 捨てられた幼子にかける精一杯の情けだった。

 だが、なまじ希望を持たせたがため、マオは現実を正しく認識せずに育つことになった。

 りっになれば、本家の父様や母様にもお目通りがかなう。

 軍師になって活躍できるくらい沢山勉強すれば、きっと兄姉たちとも会える。

 遊んで貰える。

 マオは愚かにもそう信じた。

 日がな一日、屋敷の窓ガラスにへばりつき、遠く見える内園で跳ね回って遊ぶ兄姉の姿を、羨望に目をきらめかせて眺め過ごした。

 いつか、自分もあの輪の中に。

 ザックォージの娘として恥じぬ存在に成長すれば、まだ一度も会って話したことのない彼らとも、あんな風に笑って、きらきら輝きながら――

 そんなマオに現実を知る日が来たのは、一〇歳の時だった。

 エシュリン社発行の〈戦術奨励会報〉という機関誌がある。

 国家が公認する戦略研究の専門家、研究者たちが様々な戦況を想定し、その局面における最善の一手を求めるという仮想戦シミュレーション問題集だ。

 マオは日々の勉学の成果を示すため、幼少期より幾度となくこれに挑戦。

 その年の下半期に発行された最新号で、ついに一四〇点を獲得するに到った。

 これはその道で生きようとする者が、最初の課題としてつきつけられる合格点。

 専門家と素人を分かつ、一つの目安として認知されるラインであった。

 マオはエシュリン社から送られてきた証書を受取り、成績を確認するや、その時が来たのだと確信した。

 いつも真っ先に成績を知らせる相手はマアサだったが、この時は違った。

 前から決めていたことだった。

 自力で一四〇点を超えたなら、客観的にもザックォージの娘として決して恥ずかしい存在ではなくなる。

 まして自分はまだ一〇歳。

 多くの成人が難関とする課題をクリアしたのは快挙と言える。

 その事を、自分の口で、お父様とお母様にお知らせする。

 お目にかかってご報告する。

 きっと喜んで下さる。

 はじめてお会いしたのに、いきなり褒めていただけるかもしれない。

 もしそうなら、どんな風にお声をかけてくださるだろう。

 きっと、父様も母様もマアサのように優しい笑顔をなさるに違いない。

 その時、もしかしたらマオと名を呼んでくださることがあるだろうか――?

 父様。母様。マオが頑張りました。

 封貝を持って生まれてしまいましたが、それに頼らず、大人にも負けぬ知略を身につけました。

 息を切らし、マオは初めて誰にも――マアサにすら――行き先を告げず屋敷を飛び出した。

 胸を弾ませ、両親と兄姉の暮らす本邸へ走った。

 背に冷たいものを感じ始めたのは、応対に出てきた侍従の顔を見た時だった。

 彼はマオをどこかで恐れながら、それでいて氷のように冷淡だった。

 事情を話してもそれは変わらなかった。

 ――何かがおかしい。

 一〇歳児でありながら、否、だからこそかもしれない。

 マオは一瞬で異変に気付いた。

 マアサは言っていたではないか。

 本家の人々は皆、待ちわびていると。

 マオが相応しい人間としてザックォージの本邸に戻ることが許される日を、指折り待っている。

 試練を越える時まで、心を鬼にして遠ざけているだけであると。

 でも、この侍従が自分を見る目は――

 マオはそこに到って、えて考えるのをやめた。

 渋る侍従を押しきり、強引に両親の元へ案内させた。

 父と母は、その日最後の客人を送り出した直後であったらしく、二人揃って客間に残っていた。

 マオは早鐘のように打つ鼓動をなだめすかしながら、おずおずとその扉を潜った。

 そして初めて、対面で両親の姿を見た。

 初めまして。お父様、お母様の娘マオです。

 鏡に向かって、ひとり何度も練習した言葉を発するより早く、その言葉は投げつけられた。

「……どういうことだ?」

 初めて耳にした父、ザックォージ伯オースンの声は、血の通わない冷ややかなものだった。

「今日の面会の予定は全て済ませたはずだが」

 マオは立ちすくんだ。

 思考が麻痺し、身体が指一本動かなくなったあの時の衝撃は、今も到底、忘れられない。

 実の父はマオをほんの一瞬だけ瞳に映し、だが振り払うようにすぐ逸らした。

 そして決定的な一言を発した。

 退出させろ、と。

 侍従が恭しく頭を垂れ、何か弁解の言葉を口にしていたのは記憶にある。

 だが、耳には入れど頭は素通りするばかりだった。

 マオは全てを理解しつつあり、だがそれを認めまいと必死だった。

 自分では分からないが、打ちのめされ、発狂しかけた者に時おり見られるような、曖昧で不気味な笑みでも浮かべていたのだろう。

 父の隣で沈黙を守っていた母が、柳眉を潜めて言うのが聞こえた。

 それは耳朶を震わせるというより、氷のナイフを胸に直接差し込まれるように、マオの中に滑りこんできた。

「はやく追い出しなさい。二度と屋敷に近づけぬよう。……このようなことを許したのは誰? 乳母の教育ですか」

 彼女は踵を返しながら、抑揚を殺した声で吐き捨てた。

「ザックォージに子は三人。どこの者とも知れぬ他人に我が物顔で邸内をうろつかれるのは不快です」

 両親の背中が遠ざかり、対面の扉に吸い込まれていくのを、マオは瞬きも忘れて凝視していた。

 何が起っているか分からない。

 彼らはどうして――?

 そう思いたかったが、実際はもう現実をはっきりと理解していた。

 自分に向けられた二つの双眸が全てを物語っていた。

 何も映さない、まるで金属でできたような虚ろで冷たく、それでいてにごった瞳。

 気付くとマオは侍従に背中を押しやられるようにして、屋敷を出口に向けて歩いていた。

 途中、立ち止まり、乾いた声を何とか振り絞ったのを覚えている。

 先に進むよううながす侍従に、マオは言った。

「……自分で、歩けます」と。

 ずたずただった。

 ぐちゃぐちゃだった。

 屋敷までのそれなりの距離を、どんな顔で戻ったかは記憶にない。

 ただ、次の日、目覚めるとマアサがいなくなっていた。

 高齢故に暇を与えられた、と侍女は告げた。

 もう、戻ることはないとも。

  マオはようやく、心底思い知った。

 自分は最初から何も持っておらず、求められも、愛されもしていなかった。

 頑張れば認められる未来などない。

 それは幸せな幻でしかない。

 ザックォージは封貝を持つ者を、例外なく断固として認めはしないのだ。

 ペルナを封じ、禁じ、ただひたすらに勉学で道を立てても。

 彼らには関係がない。

 そのような次元で思考はしていない。

 使う使わないにかかわらず、封貝を持っている時点で論外。

 罪なのだ。

 許されざる忌み子なのである。

 どんなに励んでも、努力しても。

 絶対に。

 ――彼らは私を見ない。

 父と母の子にはなれず、姉と兄の妹にもなれない。

 生まれた時からそれはもう決まっていて、永遠に不変なのであった。

 その日を境に、恐らくマオは一気に歳を取った。

 一〇歳の娘が自死を考え出したのだ。

 年相応とは言えないだろう。


「――ああ、でも誤解しないで下さい」

 パフに白粉を塗しながら、マオは薄く笑んだ。

「私の人生は不幸ばかりではありませんでした。既にお話ししたように、少なくとも一〇年間はマアサがいてくれましたし。友だちや……そういったものには恵まれませんでしたけど、でも寝床と食事に困ったこともありませんしね」

 それに、なんといっても護士組での出会いだ。

 ケイス・ヴァイコーエン。

 封貝の有無や、家名になんらこだわらず、ただ生身のマオを見てくれた初めての男性。

 それはあのマアサからも得られなかったものだった。

 彼に出会って、はじめてマオは人間になれた気さえしている。

 そしてケイスは、愛情を渇望していた当時のマオに、自分がそれを与える立場に回れることをも教えてくれた。

「たった一つの出会いで、人は救われ、変れるものです。家族に愛されず、受け入れられなかった子どもなど世界に大勢いるでしょう。

 ですが、私が隊長から貰った物を手にできるのは一握りの幸運な者だけです。ですからナージャ。こんな話をしたからと言って、私に同情ばかりする必要はないん――」

 と、そこに来て、マオはようやく気付いた。

「……いない?」

 すぐ背後にひかえ、鏡越しに顔を覗けたはずのナージャが消えている。

 慌てて身体ごと振り返った。

 彼女は小さな鏡には映り込まない、奥のベッドに移動し、そこに腰をすえていた。

 ちょうど、マオに背中を向ける形で座り込んでいる。

「あの、ナージャさん?」

 どういうことだとマオは色めき立つ。

 それは確かに、こちらから勝手に話し出したことだ。

 だが、化粧や着替えにかかる時間、彼女を退屈させないために。

 そう思って始めたことでもある。

 決して楽しい話にならない過去を明かすのは、それなりに勇気と覚悟のいることでもあった。

 なのに、という思いが抑えられない。

「私のはんしょうにまつわる聞くも涙、語るも涙の感動話を……まさか、聞いてなかったなんてことは……」

 ありませんよね、と続けようとしたときだった。

 ナージャが「うん?」という顔で振り返った。

「――ッ?」

 マオは声にならない悲鳴をあげ、反射的に半歩後ずさった。

 一瞬、朱に染まったナージャの口元が鮮血に塗れてそうなっているように見えたからだ。

 だが、良く見れば違う。

 血にしてはむらがなさ過ぎる。

 何より彼女は左手に、マオが先程まで使っていた口紅を握っていた。

 それで全てが繋がる。

「ちょっ……ナージャ!」

 慌てて駆け寄った。

 ルージュを引ったくるようにして奪う。

「何をやってるんですか、貴女は」

 間髪入れず詰め寄った。

 だが、肝心のナージャは悪びれる様子もない。

「いやあ、お前が一生懸命に顔に色々やってるのを見てな。私も興味が出てきたのだ。何やら楽しそうだったし」

 あっけらかんと言い放ち、紅をやたらめったらに塗りたくり、唇が三・五倍ほどに肥大化したように見える口元をにっと綻ばせる。

 まさにモンスターだった。

「三歳児ですか、貴女は!」

「何を怒っている、マオ。

 私が美しくなり過ぎて悔しいのか?」

「よくもまあ、そう自分に都合良く解釈できるものです。ああ、もう。こんなに……」

 マオは化粧箱にとって返し、メイク落とし用の綿布を引っつかむ。

「ほら、これを貴女の〈赤繭〉から出るロータスの水で湿らせて下さい」

「なぜだ?」

「なぜでもです!」

 強く迫ると、ナージャもそれ以上は追求してこなかった。

 マフラーの先端から涙のように水滴が零れてくる。

 それで布を濡らした。

 じっとしているように命じ、応じた彼女の口元をぬぐってやる。

「まったく、この忙しい時になんでこんな事態に……」

 だが、なんとなく手間のかかる妹の面倒を見ているようで、悪い気はしなかった。

 ぶちぶち文句を垂れつつも、徐々に語気からとげが損なわれていくのを自分でも感じる。

 最後はちょっとにやけそうにすらなった。

 育ちのせいか、なかむつまじい兄弟姉妹の関係にはどうしても憧れてしまう。

 それに、年代の近い女の子とこんな風に接するのは――生まれて初めての経験だった。

「貴女には化粧なんていりません。こんな、赤ちゃんみたいにぷるぷるの綺麗の肌……まつだって長くて豊かですし。ナージャ。貴女、大人しくしていればとても愛くるしい女の子ですよ」

「そうなのか?」

 ナージャがにこにこと嬉しそうに言う。

「なら、ダーガがチュッスをしたくなるくらい好きになってしまうのも仕方がないな!」

「ほら、喋らない。きにくいじゃないですか」

 ナージャは答えなかった。

 代わりに、その視線と注意がマオを挟んで背後の空間に寄せられていく。

 怪訝に思って振り向くと、カズマの〈*ワイズオレイター〉が部屋の中央、胸の高さに浮いていた。

「ダーガの封貝だ」

 ナージャがつぶやく。

 恐らく、今この瞬間、壁越しにカズマが召喚したものだろう。

 分かってみれば、確かに封貝の気配を極めて微弱に感じる。

 だが、マオをして注意しなければ気付かないレヴェルだ。

 そのことに驚きつつ、同時にカズマがなぜこれを寄越したのかも気になった。

「おうい、ナージャ。マオさん。そろそろ準備は良いですか? なんか、もう馬車が来ちゃったみたいで」

 突然、〈*ワイズオレイター〉からカズマの声が聞こえてきた。

 なるほど、これなら確かにドアをノックするより確実に、そしてクリアに声を届けられる。

 大声を張り上げずとも会話が成立するため、他人の耳を気にする必要もない。

「はい。もう、大方準備は整っています。先に表に出ていて下さい。すぐに参りますので」

 封貝に話しかけると、それは正確にカズマの元にも届いたらしい。

「分かりました。じゃ、馬車のところで待ってますねー」

 軽い調子でレスポンスが返る。

 これはカズマが先日の死闘を経験して、新たに獲得した無線通話機能を応用したものだと聞いていた。

 無論、「新たに獲得した」等と言われても、それまでのカズマの能力をマオは全く知らない。

 そういうものかと思うだけだ。

「さあ、これで大体取れました。鏡は置いていくので、後は自分で綺麗にして下さい。くれぐれも、化粧品には手を触れないように」

「分かった。しかし、私に留守番をさせるのだ。そちらも、ダーガのことをよろしく頼むぞ」

「もちろんです」

 屈めていた腰を伸ばしながら、マオは微笑した。

 馬車の定員の問題で、彼女とエリックの二人は宿に残ることが決まっている。

 その間、ナージャはエリックの読み書きの勉強に付き合うのだと語っていた。

「貴女のダーガのことは、私に任せておきなさい」

 少し年上ぶって――姉貴分を気取って言ってみた。

 じゃあ、行ってきます。

 手を振ると、ナージャは同じ仕草で見送ってくれた。

 マアサともなかなかできなかったやり取りだ。

 彼女は今頃、どこで何をしているだろう。

 久しぶりに家族と言える唯一人の存在のことを思い出した。

 ナージャは少しの付き合いでも人柄が知れる、無邪気で素直な良い子だ。

 マアサのようになんでも話せる、どこか家族のような関係になれるかもしれない。

 そして、もしかしたら生まれて初めての友だちにも。

 これから決して好きではない奴隷商に向かおうというのに、マオの足取りはいつになく軽かった。

挿絵(By みてみん)


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