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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
34/64

マッチ売りになろう

033


 自動車の運転免許を取ると、今まで意識してこなかった道路標識が途端に視界の中で存在感を持ちはじめるという。

 同じ原理なのだろう。

 カズマは連盟ギルドに入り、ライセンスリングを手に入れた。

 これにより、道行く人々の何割かがそれをさり気なく着用していることに気付くようになっていた。

 たとえば、動物の三角耳と尻尾を持つ眠そうな顔の亜人。

 貴族の館の飾り甲冑がそのまま動き出したような巨漢は、肌の一部分すら見せるつもりはないらしい。

 対照的に、ほとんど下着なのではないかという際どい装備で大胆に肌を露出しているのは、見事に鍛え上げられたじょじょうだ。

 剥き出しの腕に色鮮やかなペイントを施し、羽根飾りを多用したこしみのを撒いた白い男に到っては、同じレイダーであっても何を商売にしているのか分からない。

 だが、彼等は皆一様に、首や腕、足首にレイダー証をつけている点において共通していた。

「ダーガ、封貝使いは結構たくさんいるんだな」

 隣を歩くナージャも同じ事を思っていたらしい。

 遊園地の入口からまずはどこへ行こうか迷う子どものように、世話しなく首をきょろきょろさせている。

 そう。

 注意していれば、レイダー証の持ち主の何割かは、リングだけでなく封貝の気配をも周囲に纏わり付かせているのが分かる。

 恐らく、仕事帰りにギルドへ顔を出すつもりなのだろう。

 その人数は、漠然と想像していたカズマの予想値より随分と多い。

「こんな世界が、〈果て〉の向こう側にあったなんてねえ……」

 カズマは改めて感慨にふける。

 そもそも〈果て〉とは、地球の一部を覆った黒い大壁でしかなかった。

 なんとしてもその壁を越えることができないため、近寄ることも、立ち入ることもできなくなってしまった区域。

 たとえるならそれは、原発事故で放射能に塗れ、閉鎖されたエリアに近しいものがあった。

 はいれはしないが、あくまで自分たちが住まう土地の延長戦上にはある場所。

 そういった認識だったのである。

 もちろん、それでもあちら側が自分たちの知る世界とは大きく様変わりしてしまっているであろうことは、誰もが覚悟していた。

 なにせ太陽光が届かず、気流や地下水脈も分断されているのだ。

 生態系は崩壊。

 暗く閉ざされた内部は、凍り付いた生物の住めない不毛の大地になっているのではないか――。

 一部の研究者たちは、そのようにさえ考えていた。

 教科書にも似たようなことが書かれていたし、カズマも授業でそう教わってきた。

 だが、まさか月が二個ある、完全な異世界が丸ごと広がっているなどとは考えもしない。

「本当、どうなってるんだろう……」

「なにがだ?」

 独り言のつもりであったが、ナージャが反応した。

「あ、うん。この世界のことだよ」

 カズマは一瞬、彼女に微笑みかけてから続ける。

「〈果ての壁〉の向こう側には北日本やアメリカや、ユーラシア大陸が閉じ込められてたはずだよね。でも、ここは明らかにそういうのじゃない。完全な別の場所だ。僕らは〈壁〉を越えて、一体どこに辿り着いたんだろうっ……て思ってさ」

「ダーガは難しいことを考えるなあ」

「そう? だって、僕らは〈果ての壁〉を通り抜けただけなのに、このオルビスソーにはその〈壁〉がどこにもないんだよ? こんなことってあるのかな。ドアを開けて中に入って、振り返ったらそのドアがなくなってたようなもんだよ、これ」

「ドアがなくなってしまうのは、困るかもしれないな」

 とてもそう思っているようには聞こえない、のんびりとした口調であった。「そう言えば、本土にあるユゥオって国の北にはさ、〈大北壁〉だとかいう誰も越えられない場所があるって、誰かが言ってたよね。

 もしかして、それが〈果ての壁〉なのかな?」

 ふと思い出して、カズマは訊いた。

 もちろん、相手はナージャだ。

 まともな返答を求めてのことではない。

 だが意外にも、彼女はどこか確信を窺わせる表情で、きっぱりとそれを否定した。

「そんなことはないぞ。〈大北壁〉はただの高い山だ。それがいっぱい繋がっていて、エネルギィの断層とかもあるから、封貝使いですら先に進めないというだけなのだ。地球にあった〈果ての壁〉とは全然違うものだぞ」

「えっ……」

 一瞬、言葉が喉に詰まる。

「そうなの?」

「ダーガは知らなかったのか?」

「うん。そりゃあ……っていうか、ナージャこそなんでそんなこと知ってるのさ」

「うん? なんでだったかな」

 こてんの首を傾げる。

 「誰かに聞いたんじゃなかったかな。ルネとかに」

 ――ルネ・クラウセン。

 シゲンやサトミの同僚であり、古い友人でもある男の名だ。

 そして、両親がいないというナージャの面倒を見る後見人でもある。

 少し思い出したが、確かに彼もまた〈壁〉を越えて、こちら側に来たことかある、というようなことを仄めかしていた覚えがあった。

 越える瞬間、ぶわっと風を真正面から浴びたような感覚に襲われる。

 出かけざま、そう教えてくれたのは彼ではなかったか――?

「それより、ダーガ。武器屋には行かないのか」

「ああ、行くよ。そう。のんびり散歩してる場合じゃなかった」

 豊かな流れの運河をボンヤリ眺めてていたカズマは、はっと我に返る。

 運河に渡された石橋の下――無数の橋脚が生むアーチの間には、水車と一体化した木造船が何台も繋がれている。

 恐らく、小麦をいているのだろう。

 そこへひっきりなしに近付いていく小さなボート群は、小麦を買い求める顧客であるに違いない。

 彼等は水車船から大袋を幾つか受取り、代金を支払っては岸辺に帰っていく。

 カズマにとっては物珍しい光景であったが、今は見とれている場合ではない。

 視線を引きはがし、数歩先で待つナージャに並んだ。「お店に行く前にひとつ確認しときたいんだけどさ、ナージャの封貝の槍って、他人も使えたりする? たとえば僕も貸して貰えたりさ」

「私が貸してやれば、槍として振り回すことはできると思うぞ。でも、使いこなすのは流石に無理だろう。封貝は基本的に、持ち主の言うことしかきかないからな」

「じゃあ、手に持って構えるくらいはできるんだ?」

「少しの間なら、多分。試したことはないけど」

「よし――」

 ならば、いけるか。

 カズマは無言で拳を作る。

「あ、そうそう。ナージャ、レイダーのライセンスリング、見えない所にしまっておいてね」

 言いながら、カズマは自ら率先して腕のレイダー証を肩の近くまで押し上げた。

 そうしてそでの下に隠してみせる。

 ナージャは不思議そうにしつつ、だが理由を聞かずにしたってくれた。

 黒いノースリーブを愛用している彼女の場合、カズマのように肩まで上げるだけでは結局は人目につく。

 そのため腕から首に付け直し、上から〈赤繭〉こと〈*旋火の綾〉を巻き付けていた。「ん、良い感じ。じゃあ、あとは……」

 シナリオと役者が用意できたら、残るは小道具と演出のみだ。

 これはなんとか街中で適当に調達したい。

 もとより店で売られているような価値ある物ではないため、できれば拾うなり何なり、無料で。

 カズマはそんなことを考えながら周辺を見回す。

「なんだ? どうしたのだ、ダーガ」

「なんかこう、良い具合のボロ布を探してるんだけど。どっか落ちてないかな」

「ボロ布?」

「うん。――そういえば、オルビスソーってゴミ捨て場とかどうなってるんだろ。朝、ゴミ袋を出しとけば回収車が来るなんてあり得ないし。家庭のゴミとかどうしてるのかな。処分場なんかも存在しないよね?」

「ゴミか。適当にその辺に投げ捨てているのではないか?」

 ナージャが事も無げに言う。「うへえ」

 カズマは想像して、思わず顔をしかめた。

「中世ヨーロッパのトイレ事情で一回、そういう話をエリックさんとした記憶が……。上から排泄物が降ってくるとか、それを踏まないためのハイヒールがあったとか」

 だが実際、それはいかにもあり得そうな話だった。

 ネクロスはとにかく、あちこちに水が流れている。

 それらの一つが、廃棄物の投棄用に使われていたとして驚くに値しない。

 一方で、日本の江戸時代はそれなりにリサイクル文化が発達していたともいう。

 これは、日本語の「冷やかし」という言葉も証明するところだ。

 買う気もないのに店に入って商品を見て回る――。

 今ではそんな語意で使われる「冷やかし」だが、これは元来、リサイクル業界の専門用語であったと言われている。

 というのも、江戸時代によく使われていた紙に、浅草紙というものがあったのだ。

 これは今の価値だと一枚あたり数十円。

 その安さから、江戸庶民のトイレットペーパー的存在であったらしい。

 その浅草紙は、一度使われた古紙を集めて溶かし、いて形を整えるという、まさに今で言う再生紙そのものであった。

 そしてその製造過程に、集めたクズ紙を水にひたしてドロドロにする工程があり、これを当時の職人たちは「冷やかし」と呼んでいたのだ。

 冷やかしにかかる二、三時間は、ただ紙を水中に放置しておくだけなので暇になる。

 その間に職人達は歓楽街に出て、何を買うでもなくブラブラ歩いて回った。

 この習慣が、転じて「冷やかし」と呼ばれるようになったのだ。

 言葉が生まれるほどに浅草紙はポピュラーな物であり、クズを集めて再利用するという文化は庶民にまで浸透していたわけである。「――と、あれなんか良さそうな気が……」

 いわゆる八百屋やおやであろうか。

 カラフルな果物や野菜を山と積み上げて売る店の軒先で、カズマは視線を止めた。

 より正確にいうなら、目に止まったのはその端っこ、丸めて放られた茶色い麻布の塊だった。

 人混みを泳ぐようにしてそちらに近付いていく。

 どうやらそれは、商品の木箱の下に敷くための、いわばビニルシート的存在として使い倒されたらしい。

 酷使を物語るようにあちこちがり切れ、酷いところは大穴になっている。

 流石に限界が来たとみられて放り出された物であると思われた。「おじさん、かぶりつきですぐ食べられる、大きさも値段も手頃なフルーツってありますか?」

 話しかけた店主は、八百屋のオヤというより、悪役マスクを脱いだプロレスラーといった風貌だった。

 筋骨隆々とした分厚い体躯は、封貝を持っていなくてもカズマ程度なら棍棒の一振りでユゥオまで吹っ飛ばせそうに見える。「ああ、それだったら……赤シーボルディなんかどうだい」

 言うと彼は二歩ほど店の奥に向かって後退し、木箱の中からそれを両手いっぱいに掴み取ってきた。

 これだ、と突きだしてくる。

 見ると、それはリンゴに良く似た果実であった。

 というより、そのものである。

 それも、祭りのリンゴあめに使われている、小さなサイズの種である。「甘い?」

「なんだ。お前さん、赤シーボルディを食ったことがないのか?」

 日本人が「お前、ラーメン食ったことないのか」と不審がるような表情だった。

 なるほど、オルビスソーでは――少なくともフ=サァンではそういう位置づけの果物であるらしい。「その……僕たち兄妹きょうだいは、両親が亡くなって親戚に引取られたんです。その家では、居候いそうろうのお前らが贅沢なんてできると思うなって言われて……果物なんて、その家の子に全部食べられちゃうんだ」

 なんとか不自然を誤魔化そうと、カズマはびんな子設定をとっにでっちあげる。

 だが、その効果は覿てきめんだった。

 覿面に過ぎたとさえ言えた。「オフッ……」

 突然、店主が吹き出したような奇妙な声をあげた。

 そして、それきりしばらく黙り込む。

 よく観察すると、身体を小刻みに震わせていた。

 更には、グローブのように大きな手で眉間を摘まむようにして目元を隠している。

「なんて……かわいそうな奴らなんだ……」

 わなないていた唇から、ぽろりとそんな低い囁き声が零れて聞こえた。

 好機。

 相手がのってきたのを理解して、カズマは攻勢をかける。

「だから、僕、一生懸命に街で働いて、お小遣いで夢だったフルーツを買いに来たんだ。妹と」

 もちろん、「妹と」のところでナージャをさり気なく見やり、彼女がそうなのだという演出もおこたらない。

「分かった」

 もう勘弁してくれというように、店主がずいと片腕を突き出してくる。

 そうしてカズマの話を強引に遮ると、彼ははなをすすりながら続けた。

「お前らのことは、よく……ようく分かった! もう何も言うな。赤シーボルディ、好きなだけ持っていけ。何ならでも構わねえ」

 ここにきて、カズマは何やら雲行きが怪しくなってきたことを感じ始めていた。

 ここまで感情移入されるとは想定外の何物でもない。

 かと言って、今さら「なーんちゃって、嘘よねん」などとも言えないのも確かだった。

 そんなことをすれば、たとえ封貝使いの頑丈さをもってしても、明日の朝日が拝めない身体になるだろう。

「ううん。死んだ母さんから、人の好意に甘えるだけの人間にはなるなって言われてるから。そんな人間は、妹を守れる強さを身につけられないって。だから僕、ちゃんとお金を払うよ」

 なんとか無難に話をまとめにかかる。

「そうか……そうか!」

 店主は目元を丸太のような腕で覆いながら、うんうんと何度も頷いた。

 だが、滝のように流れ落ちる涙はまるで隠し切れていない。

「そうだな。母ちゃんの教えは守らなくちゃいけねえ。妹のことも護らなくちゃいけねえ。それが男、それが兄貴ってもんだ」

「うん。あー……それでですね、ええと」

 カズマは若干、鼻白み気味に言う。

「その赤シーボルディを五個くらい定価で買ったら、オマケにあそこに捨ててあるっぽい布をもらっても良い?」

 と、不安混じりに店の隅に放り出された例の麻布を指差す。

「良いさ、ああ良いさ。持っていくが良い。何に使うのか知らねえが、あんなもんが欲しいってんなら幾らでも」

「あ、ううん。あれ一枚で良いんだ。僕らの部屋に入ってくる冷たい隙間風を塞ぎたいだけだから」

 言うと、店主はまたオウフッといった奇声を発した。

「ちくしょう、涙のやつ!」

 などと一人でむせび泣いている。

 この男、商売には向いていないのではないか。

 カズマは真剣に考え始めていた。

 貧民街の子どもがふんを集めて生活費を稼いでいるような世界だ。

 大人をだまして金をさせしめようという少年少女など珍しくもないに違いない。

 こうまで真に受けやすい性格だと、彼等の格好の餌食だろう。

「お前ら、強く生きるんだぞ!」

「あ、うん……ありがとう、おじさん」

 精算を済ませたあと、涙を溜めた目で両肩を揺さぶってくる店主に、カズマはようやくそれだけ言って店を後にした。

 ほとんど逃げるように人混みの中に飛び込んでいく。

 購入した赤シーボルディは、三つで二グラティア。

 本当に定価なのか、こっそりオマケしてくれたのかは分からない。

 いずれにせよ、カズマはせっかくなのでと、四グラティアで六つ買っていた。

 早速、歩きながらナージャとその赤い果実にかぶりつく。

「酸っぱいな……」

 青森産のいたって標準的なリンゴをイメージしていたのがいけなかった。

 思いのほか強い酸味に、カズマは思わず顔をしかめる。

「そうか? 私は好きだぞ」

「あ、いや、僕も嫌いだとは言わないよ」

 実際、想像と味が違っただけで、決して不味いものではなかった。

 酸味の中に見つかる蜜っぽいほのかな甘さの塩梅が、こうなると上品で爽やかなものに感じられる。

 これはこれであり。

 慣れればそう思わせるに充分な味だった。

「ナージャ、知ってる? ニュートンが重力に気付いたリンゴは、酸っぱくて食べられないリンゴだったんだ。僕らは甘くて美味しいリンゴしか食べないから、あれが普通だと思ってるけど、あれは長い品種改良の果てに生み出された人間の英智の結晶なんだよ」

 カズマは、マンガで読む世界の偉人伝〈ニュートン〉から得た、とっておきの知識を披露する。

 たが、ナージャは「ニュートンって誰だ?」の一言でそれを完全粉砕してのけた。

「つまり……そう甘くないってことだよ。人生とかリンゴとか」

 敗北感に打ちのめされながらカズマはそう結んだ。

「ふうん」

 という、どうでもよさそうなナージャの相づちが、カズマをさらなる哀愁へと誘う。

 最初は宿で待つエリック達にお土産、というつもりだったが気が変わった。

 ナージャとふたり、あっという間に三つずつ、全ての赤シーボルディを平らげてしまう。

 蜜にベタつく指先をめて処理する頃には、最初の目的地〈ゲイリィ武具店〉が目と鼻の先に迫っていた。

 詐欺かそれ以上のあこぎな商売をする超悪質武器屋として、ケイスが警告していた四店のうちの一つだ。

「ダーガ。ここは絶対に近付くなと言われていた店ではないのか?」

 ナージャが怪訝そうな顔で言った。

「その通り。だから、入るのは僕だけです」

「なにっ」

 ナージャが大仰に驚く。

「私は留守番なのか?」

「まあ、すぐに出てくるからね。それに、ナージャにはナージャにしかできない仕事を頼みたいんだよ」

 それはなんなのだ?

 眉根を寄せる彼女にプランを聞かせる。

 また、それに必要となる物を幾つか受渡しした。

 話の途中から、すでに興味深そうな顔を見せはじめていたナージャは、最終的に留守番役を納得して受け入れるようになっていた。

「――じゃ、あとは頼んだよ、ナージャ」

 カズマが言うと、応答は笑顔と共に返った。

「まかせておけ」

 その言葉に満足して、カズマは店に入っていく。

 悪名名高い〈ゲイリィ武具店〉は、小ぢんまりとした個人商店だった。

 規模で言えば、ちょうど仁義で推薦状をくれた例の革専門防具店程度。

 違いがあるとすれば、こちらの方が遙かに陰気であり、湿っぽく、また明らかに金属製品の割合が大きい点くらいであろう。

 商品は全てが乱雑に陳列され、二束三文のガラクタなのか伝説の名品なのかの識別すらつかない。

 少なくともカズマには、全ての売り物がどちらであるようにも見えた。

 通路も短いながら、商品で溢れかえった古書店のように狭く、おかげで進むのに難儀した。

 何カ所かは、細身のカズマでさえカニ歩きを強いられたほどである。

 そうしてようやく辿り着いた最奥、売買カウンターに店主の姿はあった。

 これを()()面、あるいは猿面というのか。

 店主の顔は前後に長く、長い鼻の下に到っては鼻梁より高く盛り上がっていた。

 種族的には、先住民族オクスゥと対を成す移民系アンカー人間エイン種で、性別は男性。

 年齢は五〇代か六〇代といったところだろう。

 肌の色自体は白人に近いが、酒でも回っているかのように頬や鼻の頭が強く赤らみ、照り上がっているのが特徴的だった。

「あ、あの……こちらのお店の店主様でいらっしゃいますか」

 カズマは身を縮こまらせながら訊ねた。

 きょろきょろと動かした目を次の瞬間には伏せ、何かに怯えるように持ち込んだ商品を胸に抱き締める。

「なんだ、お前は」

 何の情もうかがえない冷たい声音だった。

「ウチはお前みたいな小汚いはなれが来るような店じゃねえ。出ていけ」

 この反応はある意味で間違っていなかった。

 なにせ、今のカズマの身なりは普通ではない。

 元々来ていたフ=サァン衣装を脱ぎ、代わりに羽織っているのが――先程、八百屋でもらってきた穴だらけ、泥塗れの麻布なのだ。

 もはや服ですらない。

 誰もが一目で、無一文の乞食に近い存在だと見て取れる格好なのだ。

 店からしても客となり得る存在ではない。

 だがもちろん、カズマは回れ右をする気などさらさらなかった。

「お待ち下さい! 店主様、どうか私の話を……しょうですから、話だけでも聞いて下さい」

 懇願しながら必死に頭を下げる。

 その熱の入りように一筋縄ではいかないと悟ったのだろう。

 店主ゲイリィがチッと舌打ちする音が聞こえた。

「うるせえだ。一体、俺に何の用がだってんだよ」

 言って、ゲイリィは手にしていたペンを乱暴にペン立てへ突っ込む。

 帳簿の類だろうか。

 開いていたノートを、音を立てて閉じた。

「一〇〇数える程度になら時間をやる。話があるならさっさと始めろ」

「あっ」

 相手が話を聞く構えに入ったのを知り、カズマは顔を輝かせた。

「ありがとうございます!」

 勢いよく一礼し、それから嬉々としてゲイリィとの間を詰める。

「あの、これ……母の遺品なんですが……こちらで買ってはいただけないでしょうか!」

 と、抱きかかえていた売り物を両手で差し出す。

 八百屋にもらったボロ切れの余りで包んであるため、一見、どうあっても値段が付くような代物には見えない。

 だが、胡乱な顔で包みを解き始めたゲイリィの手が、ある瞬間、ぴたりと止まったのをカズマは見逃さなかった。

 息を呑む気配が伝わる。

 だがそれも一瞬。

 彼は何事もなかったかのような平静を装い、中に収まっていた槍をき出しにした。

「フン……」

 ゲイリィは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、それきり槍を眺めたまま黙り込んだ。

 その沈黙にどんな意味があるのかは分からない。

 だが「約束した一〇〇数える間」というリミットが完全に消し飛ぶには充分な時間が、無言のまま費やされた。

 やがて、どこか言葉に迷うような口調で、ゲイリィが言った。

「まあ、見かけこそそれなりに整ってるように見えるが……プロに言わせればただそれだけ。

 見かけ倒しの、買値がつかねえような安物だな、こりゃ」

「えっ……」

 カズマは小さく叫んだ。

 もちろん、本当に驚いたのではない。

 ゲイリィが見立てがでたらめなのは承知の上であり、またそれは予想通りの展開であった。

 なにせ、今彼が持っているのは一級品の封貝。

 ナージャのFox 1(フォックスワン)こと〈火尖鎗フレイムジャベリン〉なのだ。

 本来、逆の意味で簡単に値が付くようなものではない。

 ゲイリィはそれが封貝であることこそ見抜けなかったようだが、ただならぬ業物であることには一目で気付いたはずである。

 そしてだからこそ、嘘を言って安く買い取る。

 彼は話に聞いていた通りの人間だということらしかった。

「店主様、もう一度お確かめ下さい! それは、さる高貴な方からされた宝貝製の大変に貴重な槍だと。

 母からはそう聞かされております」

「――ああ?」

 意見されたのが気にくわなかったのか。

 ゲイリィがぎょろついた目を動かし、鋭くカズマをすくめた。

 だが、ここはカズマも引かない。

 値をつり上げねばならない。

「本当です。それは聖槍〈マッチ〉。炎よ――と口訣すると、先端にポッと火がともる特別な一品なのです」

「なにい?」

 不審感をありありと目に浮かべるゲイリィに対し、カズマは本当だと繰り返した。

 封貝ではなく、宝貝なので誰にでも使える。試しにキィワードを唱えてほしい。そうして槍が火をまとううところを確認してもらえればはっきりするであろう。

 切羽詰まった口調を演出してまくしたてた。

「オイ、小僧。嘘だったら、袋だたきで放り出される覚悟はあんだろうな」

 ゲイリィが声を低めて凄む。

「大丈夫で御座います」

 負けじと自信満々に応じると、流石にゲイリィも一瞬黙り込んだ。

 槍に視線を戻す。

 そのまましばらく固まったあと、彼はどこか躊躇いがちに「炎よ」と唱えた。

 これこそ、カズマの待っていた瞬間だった。

 瞬時に、店外へ向けて無言で念を送る。

 遥か格上であるショウ・ヒジカとの死闘を経験した今、カズマの手持ちの封貝からは、制限が大幅に取り払われている。

 〈*ワイズオレイター〉とてその例外ではない。

 レヴェルアップした後は、五メートルが限度であった射程距離が最低でも数百メートル単位まで伸びている。

 当然、外で待つナージャなど余裕でその範囲内に収められる計算だ。

 これはつまり、事前に彼女に渡しておいた封貝を通し、声を伝えられることを意味していた。

 今頃、彼女は「ナージャ、槍に軽く火をつけて」というカズマの声を封貝越しに聞いているはずだ。

 そして打ち合わせ通り、それに応じてアクションを起こす。

「おお……ッ」

 カズマの目の前で、ゲイリィが小さな嘆声を漏らした。

 刃を包み込むようにして突然あがった炎に――ほぼ無意識にであろう――軽く腰を引き気味にしつつも見入っている。

「いかがでございましょう?」

 もう消して良いよ。

 無言で鎮火の合図を送り、ナージャがそれに従ったのを確認すると、カズマは言った。

 口元に少々、得意げな笑みが浮かんでいたとしても、今だけはゲイリィも気にしないはずである。

「ほう、まあ……」

 ごくりと唾を飲み込むのが分かった。

 ゲイリィは素早く唇を舐めて続ける。

「なんだな。丸っきりの鉄クズじゃねえってのは本当らしいな」

「では――?」

 カズマは期待を表わすように、少し身を乗り出してみせる。

「いや、ちょっと待て。だが、それだけと言えばそれだけだ。こいつがしょせん、三流の安物であることに変わりはない」

 だが、と彼は思わせぶりに続けた。

「そうなると気になることが別に出てくる。どうして、お前みたいな小汚い貧民街の小僧が、三流品とは言え、値がつくような分不相応の武器を持ってるかってことだ」

 槍に向けていた恍惚とした目つきから一転、ゲイリィはぎょろとカズマをめつけた。

「オイ、小僧。こいつをどこからかっぱらってきやがった」

「そ、そんな……違います! それは盗んだ……盗品などではありません。信じて下さい。断じて違うんです」

「そう言えばお前、母親の遺品がどうとかぬかしてやがったな」

「そうなんです!」

 カズマは必死を装って言った。

「母は貧しい農村の出でしたが、若い頃はそれは美しく、その評判は近隣の村々まで知れ渡っていたと言います。そしてある日、狩りの途中で偶然村に寄られた、さるやんごとなき高貴な方のお目に止まり……」

「お手がついて、お前が生まれたってか」

 話の筋が読めたのだろう。

 ゲイリィが先回りして言った。

「はい、その通りで御座います。そしてその際、その貴族様はいつか準備が整い次第、必ず迎えに来ると……この槍を約束の証として母に預け、去って行かれたのだそうです」

「だが、いつまでたってもその高貴なお方とやらは現れなかった、と。一方で、世間知らずな田舎の小娘は、貴族のたわむれ半分の言葉を馬鹿正直に信じ込み、かたくなに信じ、信じ続けるうちに老いぼれて……最後は、病かなんかで人知れずくたばったってオチか」

 ゲイリィは嘲笑するようにフンと鼻を鳴らす。

「ま、ありふれたつまらねえ話だわな」

「私のことならともかく……母様のことを悪く言うのは!」

「――いいぜ」

 カズマの抗議の怒声を涼しげに受け流し、ゲイリィは短く言った。

「えっ?」

「買い取ってやるって言ってるんだよ、特別に」

 まるで妥協の結果、仕方なく……とでもいうような口調だった。

 だが、その厚い脂肪に覆われたはらの中では、小躍りしながらいくらのボロ儲けになるかの皮算用が始まっているに違いない。

「そう、二〇〇でどうだ」

 ゲイリィがさらりと言った。

「に……二〇〇?」

 カズマは思わず目をく。

 半分は演技だったが、半分は本当に驚いていた。

 二〇〇グラティアは、日本円に換算すると約二万円。

 とても――到底、伝説級の武器につける値段ではない。

 そのあまりの暴論ぶり故にか。

 なぜだかカズマは、ふと中学時代からつるんでいた友人の一人、吉田巧真のことを思い出した。

 ――最近、剣道界ではカーボンファイバー製の竹刀がすっかり普及した。

 これは従来の竹製品とは違い、手入れをあまりせずに済むという大きな利点を持っている。

 難点は、五〇〇〇円もしない普通の竹刀と違って、価格が二万円前後になってしまうことなのだ……

 ずっと剣道に打ち込んでいた彼が、いつかそのような話をしていたことがあった。

 つまり、二万円とは竹刀の価格なのだ。

 だがナージャの封貝は、刀剣でいうなら妖刀〈村正〉や国宝である〈童子切安綱〉にも負けない名品だろう。

 少なくとも数百万円からの取引になるはずである。

 ――おいおい、ゲイリィさん。けたを二つほど間違えちゃいませんか。

 カズマは胸の中で大いに皮肉るが、もちろん表情に出すわけにはいかない。

 それでも、ゲイリィはゲイリィなりに、カズマの反応をどのようにか特別に解釈したようだった。

 軽く嘆息し、

「分かったよ。お前の母親にめんじて、こっちも少しイロをつけようじゃねえか」

 やれやれと言わんばかりに首を左右する。

 そして、「……三〇〇」ぼそりつぶやくように続けた。

「三〇〇まで出してやるよ。どうだ。こっちとしちゃ痛い出費だが、お前にすりゃこれほどありがたい話もあるまい」

 ほとんど因縁をつけるような目つきで睨まれる。

「は、はい! ありがとうございます!」

「よし。じゃあ、商談は成立だ。だが、もう二度とこんなサーヴィスはしねえ。これっきりだ。ありがたく思えよ」

「もちろんです。店主様のご厚意は生涯忘れません」

 カズマは勢いをつけて深々と頭を下げた。

 もちろん、伏せた顔では舌を出している。

「じゃ、こいつが買取り料の三〇〇だ」

 店主は素早く、だが極めて丁重に槍を仕舞い込んだあと、一転してぞんざいな手つきで金貨を三枚、バンと卓上に叩きつけた。

 投げつけられなかっただけマシ。

 そんな横柄さが出た態度だった。

 それでも、ボロをまとった貧民の子どもに、金貨三枚はさぞ輝いて見えることだろう。

 カズマはその心情を正確にシミュレートして役作りに徹する。

「本当に……本当にありがとうございます。これで当面、生活には困りません。御店主は命の恩人です」

「ああ、分かった分かった。こっちは商売で忙しいんだ。話が済んだんならとっとと出ていきな」

 面倒そうに、ハエを払うような手振りまでつけられた言葉だった。

 カズマとしても、これ以上、赤らんだ()()親爺と顔を付き合わせている理由はない。

 ぺこぺこと頭を下げながら、そそくさと店を出る。

 それから物陰に隠れて、素早く服を着替えた。

 わざとぼさぼさに荒らしていた髪もざっと整える。

 こうして町を歩ける人間に戻ると、ナージャを連れて何気ない顔で表通りに戻った。

「――まったく、とんでもないごうつく親爺だ!」

 一ブロックほど離れたところで、ようやくカズマは口を開いた。

 たまっていた鬱憤をぶち撒けるように悪態を吐く。

「あの店主は、良心ってものを母親の胎内に置き忘れて生まれてきたに違いないよ。火がつくパフォーマンスさえなければ、値が付かないガラクタとして、逆に処分料を要求してきたに違いない」

「それで……結局、あの店の奴は私の封貝に幾らの値段を付けたのだ?」

 興味津々、と言った様子でナージャが報告をねだってくる。

「それがさ、聞いてよ。金貨三枚だよ。三〇〇グラティア。信じられる?」

「それだと、さっき食べた赤シーボルディ幾つ分だ?」

「えっ?」

 思わぬ問いに、カズマはきょを突かれる。

「えーと、あれは三つで二グラティアだったから……一五〇倍の三個で、いくつだ? 七五〇個?」

「すごくたくさん買えるではないか」

 七五〇個と聞いて、リンゴの海でも想像したに違いない。

 ナージャは夢見るように囁く。

「いやいやいや、本来マンション買える額でやりとりすべきものだからね。赤シーボルディなら万単位で買えてないと駄目だから」

「でも、そういう酷い店だからこそ、安心して売れたのではないか?」

「う、まあ……そう言われるとその通りなんだけど」

 真っ向からの正論にカズマは気勢削がれ、あっという間にしぼみみあがる。

 実際、「これは見事な。一〇〇万グラティアで買いましょう」などという真っ当な店、正直な店主が相手なら、今回のやり方は成立しなかったであろう。

 彼らとは不当な取引などできない。

「はぁ……確かに最初から分かってたことだし、もうそういうことで良いか……」

 カズマは諦観混じりに結論付ける。

「うむ。どっちにしても、いきなり金貨三枚も儲けたのだ」

「だね」

 同意し、気を取り直すように微笑して見せた。

「じゃ、そろそろゲイリィちゃんを束の間の夢から覚ましてあげてよ」

「承知。――〈Fox 1(フォックスワン)〉!」

 ナージャが口訣すると、その手元に売り払ったばかりのフレイムジャベリンが出現した。

 当然、頬ずりでもしていたであろう、ゲイリィの元からは、買い取ったばかりのお宝が煙のように消失したことになる。

 今頃、彼の店からは悲鳴が上がっていることだろう。

「買ってくれとは言った。しかしそれは所有権ではない。五分間のレンタル権だったのだよ、ゲイリィくん」

 カズマは呆然とする悪徳店主の顔を想像して、大いにりゅういんを下げる。

だまし騙され、貸し借りはなしだ」

「しかし、ダーガ。次は赤シーボルディが八〇〇個買えるくらいの値段で売りつけるのだぞ」

 成功にすっかり気をよくしたナージャが注文をつけてくる。

「頑張るよ」

 カズマは苦笑いで応えると、封貝で録音していたケイスの助言を再生して繰り返す。

 近付くべきではない悪徳商店は? そうカズマが質問した時の、彼の返答をそのまま残したものである。

「ええと、ケイスさんによると……残りは〈ドーンの剣店〉と〈ヤングス&エイト〉、〈リョウナ宝窟〉か。どれが近いか、教えてもらいながら進もう」

 カズマの言葉を聞くや「自分が情報を仕入れてくる」と、ナージャが進んで言い出した。

 言葉通り、彼女はすれ違おうとした若い町人風の男を捕まえ、すぐに店の所在を聞き出してくる。

 それによると、どうやら〈ドーンの剣店〉がもっとも位置的に近い所にあるらしい。

 実際に聞いた道順を辿ってみると、五分ほどで目的の地区に辿り着いた。

 封貝使いの鷹のような視力を駆使して、遠く、それらしき看板も確認できた。

 ここまでくれば、あとは手順通りである。

 カズマはまず路地裏に隠れ、例の麻布に着替えた。

 ナージャをヘアスタイリストに任命して、髪を適度にかき乱れさせるのも忘れない。

 最後に土を小量掴んで、頬にこすりつける。

 見事に薄汚れた物乞い少年のできあがりだ。

 カズマは例によってナージャに槍を出してもらうと、それを抱えて第二の標的〈ドーンの剣店〉に向かっていった。

 少なくともこの三日間、まともな食事にありつけていない。

 そう思わせるに相応しい、ふらついた足取りを演じつつ店内に入る。

 そして先程、ゲイリィ相手に披露した台詞をそのまま再現した。

「店主様……こちらの店主様はおられますか? お願いです。どうか、僕の話を……話だけでも聞いていただけないでしょうか」

挿絵(By みてみん)

▼あとがき


ウェーイ!

↑これ定期的にやっておかないと、つい若者向けのノリでいくという方針を忘れてしまいますね。

これが若者向けのノリとして正しいのかはさておき。


今回のエピソードは、連載開始前から頭にあった物の一つで、かつ内容が極めてコミカルなものであったため、非常に書きやすかったです。

おかげで一日でサラっと終わり、あとは簡単な推敲、校正だけで良かった。超安産。

なんともめでたい話です。


本当は週末まで引っぱろうと思ったのですが、気分が良いのでさっさとリリースすることにしました。

たまにはこういうのも良いだろう、と。

もう年末進行の足音が聞こえてくる時期ですしね。

そう言えば、もうじき連載開始から一周年。容量は1.2メガバイトを越えています。

書籍でいうなら3~4冊分。例年になく頑張ったんじゃないですか、私。

我ながら……偉いなあ。

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