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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
33/64

レイダーになろう

  032


 エリック・J・アカギは、朝霧のしっとりとした湿り気を頬に感じて目覚めた。

 立ち籠める白いヴェール越しに、微かに差し込む朝日を見やりながら伸びをする。

 なにごともない朝というのも、久しぶりな気がした。

 実際には、まだ千葉ヨウコの行方捜索という大問題が未解決であり、解放感に浸れるような状況ではない。

 しかし、仲間――ナージャと無事再会できた安心感は大きかった。

 加えて、こちら側の住人の助けもある。

 もう、水の欠乏、餓死の恐怖と戦いながら、右も左も分からぬ森の奥をさまようこともない。

 少なくとも、当面はそのはずであった。

 オルビスソーの住人は、朝日と共に起きだし、日没後間もなく床に就く。

 それは野営の時も変わらぬ事情らしく、メンバーの多くは既に起床し、旅支度を始めていた。

 朝食という文化はないらしく、その準備をしている者はいない。

 このあたりは、経済事情や身分、職種にもよるのだろう。

 ケイスは小量のアルコールで手っ取り早くエネルギィ補給。

 成長期であるオックスは乾燥させた茶色っぽい果肉のようなものをかじっている。

 一方で、オキシオなどは水の一滴すら取ろうとする気配がない。

「――おはようございます」

 エリックはカズマの通訳なしで皆に声をかけた。

 実際には、日本のように「お早う」「今日は」「今晩は」といった時間ごとの細かい区別があるわけではない。

 カタカナにすると「リシューフ」という一言で、どの時間帯でも通じてしまう。

 かといって日本語でいう「どうも」のような砕けすぎた感じもない。

 目上にも使える便利で汎用的な言葉だった。

「良く眠れましたかな、エリック殿」

 オキシオの気遣うような言葉も、エリックには何とか理解できた。

「はい。

 お気遣いありがとうございます」

 片言の共通言語で返す。

 オルビスソーに来てからまだ一週間足らず。

 もしかしたら、自分には語学の才能があるのかもしれない。

 なんとなく、そんなことを思う。

 学校の英語の成績はやや優秀程度ではあったのだが、人間、追い込まれれば思わぬ力を発揮するものらしい。

 実際、コミュニケーションすらままならない、というのがここまで大きな脅威だとは、今まで感じたことがなかった。

 そういった危機感こそが、語学の習得にもっとも大切なものであるに違いないのだった。

「あ、エリックさん起きたんですね」

 声に振り向くと、カズマが歩み寄ってくる。

 彼は着物に似たフ=サァン衣装の裾をタオル代わりにして、顔をごしごしやっていた。

「あっちに赤繭があるんで、顔洗ったりうがいしたりできますよ」

 ナージャの紅いマフラー型封貝は、すっかり〈赤繭〉の呼称で定着してしまったらしい。

 今は、その脅威の伸縮性をいかして、巨大なおけの形状を取り洗面台になっているとのことだった。

 大気中の水分を凄まじい勢いで集め液体に変換する機能まであるので、肝心の水にも困らない。

 しかも、この液体には高い治癒能力が付与されている。

 刃物による複数の刺し傷を負っていたカズマが、半日で全快した事実がこれを強烈に実証していた。

「――ねえ、カズマくん。ちょっと思ったんだけどさ。野盗に襲われたとき、赤繭(あれ)を使ってればわざわざインカルシまで怪我人を搬送する必要もなかったんじゃないかな?」

 エリックは昨夜から頭にあった素朴な疑問を、思い切ってカズマにぶつけてみた。

 答えはすぐに返る。

「それ、僕も思ったんでナージャに聞いてみたんですけどね」

 カズマは苦笑いしつつ続けた。

「どうも、あれは封貝使い専用みたいなところがあるそうなんです。何も考えずに普通の人間を放り込んじゃうと、効果が強すぎて、治癒効果が暴走する可能性があるとかないとか。彼女自身、細かい調整ができるほど使い慣れてないそうで」

「治癒効果が暴走?」

 にわかにはイメージがわかない。

「新陳代謝が促進されすぎて止まらなくなる感じなんですかね? 僕もよく分かりませんけど」

「まあ、薬も飲み過ぎれば毒になるしね。そういうことなのかな? 副作用を考えると危険すぎるとか……」

 たとえば、がん患者に治療目的で投与されるこうがんざいは、時に致死量を超える。

 それで死なないのは、医学的な計算、制御の元に使われるからだ。

 封貝を薬だと考えるなら、細かい計算のできない状態で軽々しく使用すべきでないことは、確かに理解できる。

「それより、エリックさん。オックスくんたちにランコォル種あげていいですか?」

「えっ――?」

 突然の話題変化にエリックはきょとんとする。

「いや、彼らもう出発するって言うんで。僕らはエリックさん以外全員が封貝使いですから、移動ならそれでどうとでもなるでしょ? ザックォージさん持込みの幌馬車も新しく加わりましたし」

「ああ、そういうことか……」

 昨夜の話合いで、彼ら先住民族オクスゥとはここで別れることが決まっていた。

 彼らはそもそもインカルシへ商売に来たのだ。

 集落の産品を都会で売る。

 途中、野盗に襲われ商品を奪われるというアクシデントはあったが、それで当初の目的が変わったわけではない。

 今までは恩人であるナージャを奪還するために行動を同じくしていたが、それが達成された以上、彼らには彼らのなすべき仕事がある。

「彼ら、ナージャを取り戻すために自分の馬とか売って軍資金にしてくれたじゃないですか」

「僕らが今着てる服からして、それでそろえてくれた物だもんね」

「そうなんですよ。それに、ナナさんたちの治療費の工面もこれから大変でしょ? ランコォル種は高級品種みたいだから、あげると色々助けになると思うんですよ」

「うん。喜んでくれそうだね」

 元より、ランコォル種はカズマがひとさらいから戦利品として勝ち取ってきたものだ。

 所有権は彼にある。

 エリックは、自分に口だしの権利があるとは考えていなかった。

「じゃ、そういうことで」

 カズマはにこりとすると、さっそく振り返ってオクスゥたちに声をかけた。

「あ、先生。ちょうど僕たち、そろそろ出発しようと思っていて。それでご挨拶を――」

「それなんだけどさ。オックスくんたちにあのランコォル種あげるから、持っていってよ」

「えっ……」

 一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたあと、オックスは声のトーンを一つあげた。

「はあ?」

「いや、だから――」

「駄目です。

 そんな、とんでもない。何を言い出すかと思えば、先生」

「でも、オックスくんたちには凄いお世話になったし。僕らには封貝があるし」

「だとしてもです」

 強く言うと一転、彼は聞き分けのない子にさとすような口調で続けた。

「先生、あのランコォル種をもし売るとして、いくらになるかご存じですか?」

「え、さあ……?」

 カズマは首を傾げる。

 どうやら見当すら全くたたないようである。

 だが、エリックは少し事情が違った。

 というのも、インカルシへ向かう途中、一泊したテズピ村でのやりとりを覚えていたのである。

 あの村の〈リベリの馬預り所〉で、オックスは自分の栗毛ゲーリ種と呼ばれる馬を一頭売っている。

 その際の買取り価格は、エリックの記憶が確かなら六〇〇グラティアであった。

 正確なことは言えないが、食事や生活雑貨の代金などから総合的にみて、エリックは一グラティアが日本円で一〇〇円に相当すると考えていた。

 米ドルに近い存在である。

 つまり、馬一頭の価値である六〇〇(グラティア)は六万円前後。

 ただし、これはランコォル種と比較すると数段劣る、普通の栗毛種の買取り価格だ。

 ランコォル種を高級スポーツカーとすれば、栗毛種は軽自動車くらいの位置づけに過ぎないのだろう。

 だとすると、ランコォル種は下手をすれば桁が一つ――場合によっては二つ違ってもおかしくない。

 実際、エリックのこの予想は、オックスの次の言葉で裏付けられた。

「ランコォル種は最低でも、一頭で三万グラティアにはなります」

「へぇ……」

 よく分かっていない顔でつぶやいたカズマが、声を潜めてエリックに寄ってくる。

「これって高いんですかね?」と囁いた。

「多分、三〇〇万円くらいじゃないかな」

 答えた瞬間、えっという表情でカズマが固まった。

 それからオックスに向き直り、もう一度、声にならない声で「えっ」と繰り返す。

「ランコォル種は人工繁殖が難しいんですが、それでも健康で若いオスとメスのつがいなら、競売価格は七万くらいからのスタートになると聞いたことがあります。最終的には一〇万を越えることもあるとか」

 オックスが冷静な口調で追い打ちをかけがごとく言った。

「七〇〇万から一千万円だね」

 エリックは横からぼそりと告げる。

「マンション買えちゃうじゃん!」

 カズマの叫びはほとんど悲鳴にも近しかった。

 ただし、実際に日本でマンションを買うなら最低七〇〇万の倍は欲しいところだろう。

「分かっていただけましたか、先生。ランコォル種というのは――というより、馬というのは一般的に財産として扱われる物なのです。持っていってよ、とお土産のように軽く他人に渡すようなものではありません」

「でも、オックスくんにはその財産である馬を売らせちゃったわけだし」

 カズマはしどろもどろになりつつも、なお言い張る。

「先生。大切な人を追いかけてユゥオへ向かうなら、海を渡らなくちゃいけないんでしょう? 船の運賃はとても高いですよ。お金が必要なのは先生も同じなはずです」

 これには頷ける点があった。

 冒険家とは名ばかりの奴隷商人であったコロンブスは、先住民族の虐殺を楽しむ航海に出る度、王侯貴族からばくだはな金銭的支援を得る必要があった。

 ならば同等の文明レヴェルであるオルビスソーでの航海についても、同じような認識を持っておくべきである。

 すなわち強力なコネと、豪邸が建つほどの莫大な金の必要性を、だ。

「――分かった。じゃあ、友好の証として預けるっていうのはどう?」

 言いながら、これは悪くないアイディアだと自分で感じたのだろう。

 カズマは次第に勢い込み始める。

「僕らがランコォル種を連れてると、いつ荒事に巻き込んで死なせちゃうか分からない。なにせ戦うとしたら相手も封貝使いだからね。だから、友だちのきみたちに預かって貰う。お世話してもらうお礼に、その間は好きに使って良い」

 舌先も滑らかに続けた。

「ね、これは良い考えだと思わない? 理にかなってる」

「しかし……」

 オックスはそれでも難色を示したが、結局は折れる形となった。

 ランコォル種のスペックなら、様々な用途で大きな利益を得られるはずである。

 売ることはできずとも、損な話ばかりではないはずだ。

 話がまとまると、オクスゥたちは早々にインカルシへと去って行った。

 多感な年頃であり、カズマによくなついていたオックスなどは、涙ながらに別れを惜しむであろう――

 と思いきや、彼らの旅立ちは実にたんぱくなものであった。

「それでは」と一礼すると、あとはもう振り返る素振りもない。

 快足のランコォル種に跨がっていることもあって、その背中は瞬く間に小さくなっていった。

 この一種、ドライな別れ際には、カズマも何か思うところがあったらしい。

「随分とあっさりでしたね」

 と小首をひねっている。

「彼らは部族を代表して行商を担当しているんだろう? なら不思議はない」

 と、肩を並べるようにして近付いてきたケイスが言った。

 その瞳は、彼らが消えていった街道の先へ遠く向けられていた。

「行く先々で出会いを繰り返す訓練を積んだ者にとって、別れとは生活の一部だ。そこに必要以上の感傷はない。兵士や医師がいつしか人の死に慣れ、それを見る度に涙など流さなくなるように」

「なるほど……」

 カズマが深々と首肯する。

 エリックも思いは同じだった。

 異世界オルビスソーは言葉も文化も風習も、そして物理法則すら地球とは異なる。

 だがその最大の違いは、やはり人間そのものなのだろう。

「――ところで、俺たちもそろそろ出発した方が良いように思うが?」

 と、ケイスが背後の馬車を親指で示した。

「あ、はい。そうですね」

 カズマは言うと、意見を求めるようにエリックをいちべつする。

「僕もそれで良いと思うけど」

 エリックは肩をすくめた。

「移動手段は? 馬車だと一泊することになるんだよね」

 カズマには移動用封貝がなく、ナージャの〈*脚踏風火〉は一人用。

 当然、エリックは封貝そのものを所持していないため、全員が封貝で移動するとなると一工夫が必要となる。

 エリックの問いはこうした事情を加味してのものであったが、ケイスは意外にも、普通に馬車で移動することを提案してきた。

「昨日は朝からの爆発騒ぎで、インカルシの都市機能は麻痺させられた。商売もずいぶんととどこおったことだろう。なら、今日はその反動が出る。

 物流もその分、活発になって街道の往来は激増することだろう。封貝を使って下手に悪目立ちするより、ごったがえす街道の行列に溶け込んだ方が逃亡者としては安全だろうな」

 この指摘が決め手となり、幌馬車による陸の旅が決定した。

 御者台にはマオ・ザックォージが座ることとなった。

 さすがに貴族出身とあって、馬の扱いはお手の物らしい。

 背に直接跨がる乗馬と馬車の運転は勝手が違うのではないか。

 そう指摘してみても、お前たちよりはましだと即座に突っぱねてくる。

 実際、彼女の手綱捌きは大したものだった。

 馬車は安定した走りで野営地を離れ、混雑する街道に無事入り込むと、ネクロスを目指し快調に滑り出した。

「――さて」

 街道に入ってしばらく、キャビンの一番奥、御者台に最も近しい位置に陣取ったケイスが口を開いた。

 片方の壁に背を預けた彼は、その長い脚を伸ばして反対側の縁にかけている。

 その姿勢のまま続けた。

「ネクロスについたら、まずすべきことはレイダー登録だ。これについて、少し打ち合わせておこう」

「一番は宿の確保じゃないんですか?」

 カズマがたずねる。

「レイダース連盟(ギルド)は、幾つもの宿と提携している。レイダーを客として紹介する代わりに、割引き料金で利用できるというように」

「つまり、先にレイダーとして登録してしまえば、宿はいくらでも紹介してもらえるし、安く済むってことですね」

「そうだ。だから、連盟に登録する方を優先した方が良い」

「なるほど」

「そこで問題になるのが、連盟に加入するためにはどうすれば良いかだ。

その方法をお前さんたちは知ってるか?」

「えっ?」

 カズマは怪訝そうな顔で言った。

「連盟の建物に行って、窓口で加入手続きをするんじゃないんですか?」

「もちろん、それがもっとも一般的な方法だ。しかし、唯一の方法ではないし、最善の方法でもない」

 言うとケイスは口調を改めるように一旦黙った。

 カズマをすっと指差しながら続けた。

「そうだな――たとえば実際、連盟のネクロス支部にまで行ったとしよう。まず、エントランスを潜って中に入るな? で、そこから具体的にどうする?」

「それは……多分、受付みたいなのがあると思うんで、まずそこに行って……」

「行って?」

「どうもー楠上カズマです。レイダーになりにきましたー、と」

「なんか、屋さんの出前みたいだね」

 あまりに軽いカズマの口調に、エリックは軽く吹き出しかける。

 もちろん、蕎麦屋の出前など取った経験はないため、あくまでイメージの話だ。

「ソバヤというのは分からないが……とにかく、それはそれで七〇点くらいの解答にはなるだろう。それで手続きを済ませれば、加入自体は可能だからな」

「一〇〇点でない理由は?」

 エリックが日本語で問うと、カズマがすぐに通訳してくれる。

 ケイスの答えもまた、打てば響くような早さだった。

「この場合の満点解答は、受付に行かずすぐに建物から出る、だ」

「えっ――?」

 思わずカズマと声が合う。

 おかしなことに、それからぽかんとした顔を見合わせるところまで、彼とは完全に動きがシンクロした。

「建物から出る?」

 エリックは再びケイスに顔を戻して目を白黒させる。

「ナージャは何か知ってる?」

 このカズマの質問に、ナージャはこてんと首を横に傾けて返した。

「さあ? 手ぶらじゃ駄目だから、一度外に出て、手土産になる獣なんかをぶっ飛ばしに行くんじゃないのか」

「やだ、なんでこの子、常になんらかをぶっ飛ばす方向の解答を提示してくるの?」

 カズマは、腰が引けたというように彼女から軽く身を離す。

 これは駄目だと思ったのだろう。

 観念したように出題者の方へ向き直った。

「ケイスさん。どういうことなのか教えてもらえますか?」

「どの組織にも言えることだが、一般に開かれた窓口を使うより、を辿って裏の窓口を使う方が、より深く相手に迫れるものだ。レイダース連盟にも同じ事が言える」

「ははーん」

 それで何かを察したのか、カズマが声を上げた。

「そうか。百貨店デパートなんかでも、普通に買物するより、外商部を通した方が割引き価格で取引できてお得ですもんね」

 したり顔で腕を組み、ひとりうんうんと頷いている。

「結論から言おう」

 ケイスが言った。

「連盟にはコネ専用の窓口がある。その受付は支部の建物内には存在せず、連盟と裏で通じた商店――それも個人経営の武器屋などに委託されていることが多い」

「よく分からないんですが……」

 エリックが正直に言うと、ケイスは薄らと笑んだ。

「まあ、実際に行ってみれば分かる。そういうわけだから、ネクロスでの手続きに関しては俺に任せて貰えるか?」

「それはもちろん」

 エリックはカズマと揃って縦に振った。

「でも、ケイスさんはどうしてそんなに詳しいんです?」

 ケイスは過去、レイダース連盟に加入したことはないと聞いている。

 だが、従軍中や護士組の幹部を務めている間に、有力なプラトォン・リーダーと知り合う機会があったらしい。

 そうして彼らにその実力を見込まれた際、もし連盟に加入する気があるなら――と、こうした裏窓口の存在を教えられたのだ、と語った。

「そのプルなんとかリーダーっていうのはなんだ?」

 ただならぬ響きに興味を引かれたか、ナージャが身を乗り出して訊いた。

「レイダーは基本的に、気の合う仲間同士で派閥を作っている。その集団をプラトォンと呼ぶんだ」

「と言うことは、僕らもレイダーになると、どこかしらのプラトォンに入れてもわないといけない?」

 ケイスはカズマのその言葉にゆっくりと首を左右した。

「そんなルールはない。実際、単独(ソロ)で活動しているレイダーも大勢いる。だが、プラトォンに属していると、なにかと有利なのは確かだ。仲間内での情報交換や情報共有などその最たる例だろう。

 他にも、困難な依頼に挑むときに戦力の補強を受けやすい。実力者が装備を変えた時、古いが価値のある物を安価で――時には無料で譲って貰えることもあるしな」

「気に入ったプラトォンがない場合、新しく自分で結成することもできるんですか?」

 エリックは小さく挙手しながらたずねた。

「たとえば、僕ら五人で同時にレイダーになって、派閥プラトォンを作るみたいな」

「可能だ」

 ケイスが微かに笑む。

「ただ、その場合はプラトォンとは言わない。登録上はそうなっていても、現場ではパーティ扱いだな。プラトォンは派閥内でパーティを複数作れる大規模な組織に使う言葉だ」

「じゃあ、僕らはよそのプラトォンに入るんじゃなくて、自分たちのプラトォンを新規設立した方が良さそうだね?」

 今度はカズマの方を見て進言する。

 すると、彼はすぐにその意図を理解し、同意を示してくれた。

「ですね。僕らの目的は、ヨウコを探し出すことですから。既存の派閥と方向性が合うはずもない」

「そのプラトォン、私も入りますので」

 御者席から〈*ワイズオレイター〉を通した声が届いた。

「入りますので」

 誰かが何かを言い出すより早く、彼女は決定事項としてそれを繰り返す。

 言うまでもなく、マオ・ザックォージの発言であった。

 結局、昨夜一晩かけてもケイスは彼女を説得できなかったらしい。

 この頑固な大貴族の次女は、断固として帰還を拒んだのだという。

 すまんが、しばらく好きにさせてやってくれないか。

 ケイスに頭を下げられたこともあり、エリックたちは当面、彼女を黙って受けて入れることにしている。

 現実問題として、百人長(グリーン)クラスの封貝使いは、その称号の示す通り封貝使いの中でも一〇〇人にひとりという強大な戦力である。

 実家関係のごたごたをおぎなってあまいつざいと言えるだろう。

 エリックとしては、自分よりよほど役に立つに違いない彼女を、無下に追い返すことなどできようはずもなかった。

 そして実際、彼女とケイスは頼れる人材だった。

 ケイスは、「街道が混雑するであろう」という予測の的中をはじめ、経験にもとづく様々な知識や知恵を惜しげもなく披露し、またエリックたちにさずけてくれた。

 道中、馬を休ませる機会があれば、隣り合わせた隊商の馬車からたくみに情報を引き出して来もした。

 一方、マオ・ザックォージは物資面での大いなる支えだった。

 食料、水、衣類……。

 護士組の幹部ともなれば財力も違うものなのか。

 特に、たるごと馬車に積み込まれていたみつを混ぜた水は、こちらでいう清涼飲料水にあたるものであり、エリックにとって久しく味わう甘味となった。

 また、その日の夜に立ち寄った街で彼女が取ってくれた宿は、一目でグレードの違いが分かる高級(はた)でもあった。

 加えてなにより有難かったのが、封貝を根拠とした二人の圧倒的戦闘能力である。

 彼らが味方でいる限り、野盗や魔物が出現したとしても何ら心配はない。

 その絶対的安心感は、エリックにオルビスソーに来て以来、はじめてとなる安眠を約束してくれた。

 ――そして、その安眠から目覚めた、くる二日目。

 追われる身でありながら心身のリフレッシュにすらなった旅が、順調に終わりを迎えつつあることに、エリックは誰に指摘されるまでもなく気付いた。

 最初の変調は、馬車の速度の緩やかな低下だった。

 キャビンから大胆に乗り出して道の先を見てみると、街道がいくつかの支流を抱え込み、そのふくいんを急激に広げ始めているのが分かった。

 加えて混雑の度合いだ。

 半刻前までは昼下がりの幹線道路程度には空いていたおうらいが、今は参勤交代の行列のようだった。

 一体、どこからこんなに――。

 不思議に思えるほどの群れがきだし、いつの間にか街道を埋め尽くしている。

 無論、それは当然のこと、方々の脇道から合流した人々ではあるのだろう。

 理屈は分かるが、理解がおいつかない。

 とにかく、荷馬車やそれを取り囲んで歩く集団が生む混雑は、今やはっきり渋滞と表現して良い過密ぶりだった。

 原因となっているのは、間違いなく一キロほど先に見える長大な城壁だ。

 右手側のやや手前から左手奥へ向かって、ほとんど視界を突き抜けるように続くそのようこそ、首都ネクロスを囲う国内最大の城壁である。

 そのネクロスからこっち、現在エリックたちの幌馬車が走る周辺にはだだっ広くなだらかな平野が開けており――四、五〇〇メートルの距離を隔てて――別の城門へ向かって伸びる一本隣の街道すらも見て取れた。

 ネクロスの街をお化けサイズのホールケーキだとするなら、四方八方の街道から群がるエリックの存在たちは、さながらアリの行列といったところだろう。

 だが、どの街道の人波も蟻ほど行儀の良いものではなかった。

 あまりの多さで人があふれ出し、ほとんど道が道としての機能していない。

 所によってはルートをれて路肩にキャンプを張る者たちが大きく横に広がり、同じく隣の街道からあぶれた集団と混じり合って、団子になってしまっている。

 そして、氾濫しているのは通行人だけではなかった。

 再び城壁まで遠く目をらせば、岩に張り付くフジツボのごとく、壁際に無数のテントが群がっているのが分かる。

 ケイスに問うと、入門チェックの順番待ちを相手にした屋台の類であるらしい。

「城門近くにあるテントは、大体が出店だな。タイミングが悪いとチェックインの混雑で一刻くらいは待たされることがある。その間、小腹の空いた連中が、あの露店や屋台で食い物や飲み物を買うんだ」

 これとは別に、城門から遠く離れた壁際には、掘建て小屋の集まりのような物も見える。

 屋台のテントが全体的に白っぽいのに対し、こちらは茶色や墨色が多い。

「そっちは、市民権を持たない奴ら集まった貧民街スラムだ」

 ケイスが言った。

「もう少し進むと、そこの住人の姿を見かけるようになる。粗末な服を着て、木のおけを持った幼児がいたら、それは貧民街の子供だ」

「どうしてそんな子が街道に現れるんですか? 貧民街から大分、離れてますよね」

 訊ねるエリックは、既にキャビンから下りて馬車の外を歩いていた。

 渋滞で馬車の進行速度が落ちているため、徒歩でも十分に並んで進めるのだ。

「見ての通り、人と馬車が行列を作ってのろのろ進んでいる。使用人だけ並ばせて、順番が近付くまで道から外れて寝て待つという商人も多い。

 長くその場に留まれば、生理的欲求が出てくるもんだ。つまりこの辺りでは必然的に、大量の排泄物が発生する」

 ケイスは小さく肩をすくめて続けた。

「それを集めて農家に肥料として売るのは、貧しい子ども達の貴重な収入源だ」

「そんな商売が……」

 だが確かに、江戸の昔から場所によっては戦後の間もなくまで、そうした文化は日本にもあったと聞く。

 そして野外のイヴェントでは、仮設トイレの類が混雑するのはよくある話だ。

 だが、この世界にそんな洒落たものがあるとは思えない。

 全ては垂れ流しなのだろう。

 中世のヨーロッパがそうであったように。

「それはそうと、ケイスさんはこのままチェックを受けて大丈夫なんですか?」

 エリックと同じく、馬車の外に出て周囲を物珍しそうに眺めていたカズマが、ふと思い出したように言った。

「大丈夫、とは?」

「だって、黙っていなくなったわけだし、探されてるかもしれないんでしょ? ナージャはほとんど顔見られてないらしいから、似顔絵付きの手配書みたいなのが出回る心配もそうないでしょうけど……ケイスさん、結構な有名人ですよね」

「ああ、それなら――」

 ふっと微笑を浮かべると、ケイスは近くの荷物を漁り始めた。

 出てきたのは、銀色に輝く金属製のヘルメットであった。

 表面に鏡のようなりはなく、アルマイト処理をほう彿ふつとさせる意図したつや消し加工がなされている。

 エリックがよく使用する野球用と異なり、全体的なシルエットは細長い。

 これなら被っても頭が大きく見える感じはしなそうだ、というのが第一印象であった。

 後部のすそが長く、首筋まで覆える点も野球用とは明らかに違っている。

 だが、最大の相違点は装飾だった。

 まず、天辺から後頭部にかけて、馬やニワトリを連想させる灰色のたてがみのようなものが付けられている。

 スパルタ兵の兜にもあった、いわゆる〈クレスト〉という奴だろう。

 方向感覚すら奪われる極度の密集隊形の中で、味方がどちらに向かって進軍しているかを知るための目印でもあったというから、厳密には飾り扱いは正しくない。

 他、付属品としては、目元を覆うバイザーのようなものがエリックの興味を引いた。

 このバイザーは、西洋騎士のヘルムに良く見るスリット入りのそれとは少し様子が違った。

 顔全体ではなく、鼻から上を覆うだけのもので、その意味ではバイクヘルメットの前面シールドに近い。

 視界確保用の隙間もこう状の無骨なのぞき口ではなく、意匠を凝らした優美な模様型の穴でまかなわれていた。

「俺の顔を知ってそうな奴が居る場所では――、できる限りこいつを被るつもりだ」

 と、彼は実際にそれを装着して見せた。

 バイザーを下ろして目元も隠す。

 それでも、ケイスを特徴付けるシャープな顎のライン、薄い唇は露出している。

 このため、中身が入れ替わればバレてしまう可能性はあった。

 一方で、この点だけをもって、彼本人を特定することは難しいだろう。

「見ての通り、アーマーも護士組のものをやめて、市販品に変えてある。これでそう簡単に気付かれることはないだろう」

「ザックォージさんは?」

 カズマが訊くと、封貝ごしに本人が答えた。

「フッ、私ならたとえ隊長が全身を隙間なく獣の毛皮で覆い尽くしていたとしても、一目でそれと見破って見せますよ」

「いや、そういうことを訊いたんじゃなくてですね……」

 怖いことを言い出すマオ・ザックォージに、カズマが引き攣った表情を見せる。

「――私は、隊長ほど顔を知られてはいません」

 と、彼女は口調を改め、今度は真面目に答えた。

「副長と隊長とでは、知名度も注目度も別物ですから」

 それは貴族の子女、すなわちザックォージ家の次女としても同様だという。

 庶民は貴族の顔など知らない。

 そもそも見る機会がない。

 よほど目立つなら別だが、自分は違う。

 彼女はそう説明した。

「そもそも俺たちは犯罪者扱いってわけじゃないからな。探されてはいるだろうが、手配書が回るような話にはなっていないはずだ」

 確かに、「ウチの幹部が行方不明です。なにか知りませんか?」などと聞いて回るのは、インカルシ護士組にとって醜聞を自分からばらまくようなものだろう。

「現状で、あまり深刻に考えることはないさ」

 ケイスのその言葉を素直に受け入れ、エリックはひとまず安心しておくことにした。

 それからしばらくは、退屈をもてあましたナージャが外へ飛び出して遊びに行く、いかないの問答などが発生したにせよ、おおむね順調に進んだ。

 結局、たっぷり一刻――二時間近くをかけて、一行は城門を無事通過する。

 そうして足を踏み入れたネクロスは、まさに大都会であった。

 人口は間違いなくエリックの知る東京の方が――せんで首都ではなくなったとはいえ――多い。

 繁華街の混雑ぶりも、映像で見た〈(へん)じょう日〉以前の新宿駅に比べればかわいいものだ。

 それでも、エリックはネクロス市街の活気と喧噪に圧倒された。

 ――何が違う?

 不思議に思って街並み、行き交う人々を観察することしばらく、ようやく理解した。

 顔である。

 人々の表情がまるで違うのだ。

 東京都心を行き交う人々はみな感情を押し殺したように、能面さながらの無表情でせかせかせわしなく歩き去って行くのが常であった。

 そこに喜怒哀楽はない。

 だが、フ=サァンの民は違うのだ。

 彼らは主張を恐れない。

 表情。装備品。所作……全てを通して自己を表現しながら道を行くのである。

 誰もが大いに笑い、語り、ぶつかり合っている。

 なにより目つきがまるで違った。

 瞳に三者三様、さまざまな情熱をダイレクトにたたええ、真っ直ぐに相手を見詰める。

 その全身から発散される熱量が、エリックの知る故郷の現代人とは圧倒的に違うのだった。

「すごくにぎわってますねえ」

 カズマはのぼり丸出しできょろきょろしていた。

 隣を並んで歩いているナージャも、盛んに歓声をあげている。

「やっぱり、インカルシよりさかえてる感じなの?」

 エリックは訊いた。

 結局、留守番やら何やらで第二都市インカルシをゆっくり眺めて回る機会には恵まれなかったのだ。

「いやあ、僕も中に入ったのは夜でしたしねえ……でも、やっぱりこっちほどじゃなかった気がします」

「――隊長、私は馬車を返却してきます」

 と、ザックォージが御者台から言った。

「すまんが、頼む」

「私、お役に立ってるでしょう?」

 恩に着せようというのではなく、フリスビィをくわえて戻った犬のような顔だった。

 尻尾を振りながら、主に頭を撫でてもらえるのを期待している。

「ああ、助かっている。返却が済んだら、手はず通りに合流してくれ」

「分かりました」

 にこりとすると、ザックォージは手綱に力を込めた。

 ゆるりと馬車が速度を増す。

 もちろんのこと、走り去っていく幌馬車のキャビンは既に空であった。

 積んであった荷物は全部外に下ろされ、今はエリックたち個々に分配されている。

 おかげで全員が、テントはくに備えた登山家のような出で立ちになっていた。

 例外が蜂蜜水の大樽だ。

 これは、ザックォージが馬車に積み込んでいた荷車に積まれている。

 組み立て式のそれは超小型の大八車リヤカーといったところで、一つだけなら大きめの樽を載せ、引いて運ぶことができる。

 協議の結果、その引き役はエリックの担当となったが、カズマが目立たないよう〈*ワイズオレイター〉で底を持ち上げてくれているため、負荷はほぼ無いに等しい。

「あの馬車、レンタル品だったんですね……」

 ザックォージが人混みに紛れ消えていくのを見届けたまま、カズマがぽつりと言った。

「ああ。そういう商売もあるんだよ」

 ケイスが答える。

 彼によると、インカルシ~ネクロス間では、人や物の行き来が活発であるため、貸し馬車、貸し荷車の需要が高いのだという。

「インカルシで借りたんでしょう? それをネクロスで返せるんですか」

「まあ、普通ならインカルシで借りた物はインカルシに返すのがセオリィだな」

 しかし、すぐに借り手がつくフ=サァン二大都市の間では、例外的にそうした制限はないのだ、とケイスは語った。

 ザックォージがこのネクロスで返した馬車も、誰かがすぐにレンタルし、結局はインカルシまで戻っていくことになる。

「でも、馬って結構良い値段で売れるんでしょ? 借りたまま逃げちゃう人がいそうだなあ」

「そういうことも稀にならある」

 ケイスは肩をすくめながら続けた。

「だが、多くはない。馬車は、借りるとき決して安くない補償金を預けるルールがある。その金は返却時に返ってくるが、逃げてしまえば没収だ。それに、業者はレイダーと提携している。奴らに追い回されたいと思う奴はなかなかいない」

「なるほどね……」

「さあ、俺たちも行こう。もう夕暮れまで二刻もない。――こっちだ」

 ケイスに誘われ、エリックたちは大通りを町の中心部へ向けて歩いた。

 五分ほどの間に二度ほど角を曲がり、やや人通りの少ない小路に入る。

 ケイスはどういうわけかネクロスの街を熟知しているらしく、その足取りに迷いのようなものは見られない。

 裏通りは、それでも今まで寄ってきた町村の目抜き通りより広々としており、人通りも多かった。

 やはりここは首都なのだと改めて実感させられる。

 メインストリートに立ち並ぶのが有力商会に所属する大型人気店なら、この裏通りには個人が細々と経営する小ぢんまりとした店舗が軒を連ねていた。

 ケイスが立ち止まったのは、その一角に構えられた武具店だった。

「ここからは、俺に任せてくれ」

 ドアを半分開けたところで、彼は振り返って念を押した。

「指示するまで、相手と会話するのは絶対に避けて欲しい」

 有無を言わせぬ迫力に、エリックとカズマは鼻白みながら頷く。

 ナージャもナージャで、店を勝手に見て回っていると宣言する。

「じゃあ、入るぞ」

 言うと、ケイスは扉を開ききって中に入っていく。

 体育館の用具倉庫ほどの広さしかない手狭な店内は、靴屋に良く似た独特の匂いが充満していた。

 所狭しと陳列されている商品を見る限り、どうやら鎧を専門とする工房兼店舗であるらしい。

 金属製品が見られないことから、もっぱらかわだけに材質を限定しているようでもあった。

「エリックさん、一応これ――」

 肩を寄せてきたカズマが、そっと通訳用の封貝を渡してくれる。

 もし、事前に馬車内で説明を受けていなければ、手渡されたそれを見てエリックは少なからず驚いていただろう。

 なにせ、大きさがあまりに小さい。

 小指の先ほどまで縮んだ、超ミニサイズの〈*ワイズオレイター〉であった。

 格上との戦闘経験を通し、カズマはこうした小細工が可能になるまで一気にレヴェルアップしたらしい。

 エリックは有難く封貝を借り受け、補聴器よろしくがいこうに押し込んだ。

 これで、相手にそれと悟られることなく通訳を受けられる。

 エリックは改めて店内をざっと見回した。

 どうやら、客はもくそうな冒険者風の壮年男性がひとりのみ。

 奥に、場違いな若い人間エインの女性がいるが、こちらは店員なのだと思われた。

 ケイスはその娘に向かって一直線に歩み寄っていく。

「――失礼。取次ぎの件にておうかがいしているが、こちらでよろしいか」

 娘は小さく口を開いてはっとした表情を見せたが、それも見間違いを疑うほど刹那のことだった。

 すぐに表情を引っ込め、

「左様で御座います。そちらの方々もご一緒で御座いますか?」

 といんぎんな口調と態度でたずね返してくる。

「仰る通りで、こちら手前が連れ立ち供にご挨拶に伺った者です」

 言いながら、ケイスは腰に下げた長剣をベルトごと外した。

 左手でさやの部分を鷲掴みにして持ち直す。

 これによって剣の大部分が背中側に隠れ、かつつかがケイスから遠く離れることになる。

 それが何を意味するかは、エリックにもすぐ分かった。

 刃物を抜きにくく持つことで、相手に敵意がないことを示したのだ。

「ご丁寧にありがとうございます」

 娘は深々と頭を下げ、

「当代にお取次ぎ致します。どうぞ、奥へ」

 と、半歩横にずれた。

 身振りで奥に続く扉へ誘っている。

「否。当方、性無き者にて、軒下をお借りして仁義を切らせていただきたく」

「そうは申されますが、わたくしめもご案内を仰せつかるばかりのはしたに過ぎぬ身です。どうぞお通り下さい」  

「左様なことでしたら、失礼ですが手前控えさせていただきたく」

 ケイスはすっと頭を下げた。「御敷居内、御免下されまし」

 娘も同じ角度でこうべれる。

 そして、「こちらに御座います」と奥へ歩き始めた。

 一礼してケイスが後を追い始める。

 彼は一瞬エリックたちを振り返り、目でついてくるように合図した。

「ねえ、エリックさん。これ、じんってやつですよね……?」

 途中、ひそひそとカズマが声をかけてきた。

 同じ事を考えていたエリックは、ただ黙って頷いた。

 ――仁義。

 もちろん、エリックもそれを詳しく知るわけではない。

 だが、しき率が低く、めいなども普及していなかった遙かな昔、ある種の業界でわされていた自己紹介の一種だとは聞いていた。

 旅人などが独特の言い回しにのっとった名乗りをあげることで、おのれの身分を証明したのだ。

 いわば、挨拶風の合い言葉といったところか。

 たとえばケイスが先程見せた、武器を持ち替え挨拶し、奥にどうぞという相手誘いを一度は遠慮する。

 だが、二度目は受け入れて、決まった言葉で礼を言う……

 恐らく、あの一連の作法も、そういったルールに従ったものなのだろう。

 何回目まで相手に譲る、その次からは受け入れる。

 パスワードのように、全て段取りが決まっているのだ。

 それらを正しくこなしきれば、旅の先々で歓迎を受けられ、作法を誤れば不審者として袋だたきにされて放り出される。

 映画「男はつらいよ」で知られる〈(トラ)さん〉の、


 ――わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。

 ――帝釈天たいしゃくてん産湯うぶゆをつかい、 姓は車、名は寅次郎。

 ――人呼んで〈フーテンの寅〉と発します。


 という、冒頭の口上もまたそうした仁義の一種だと耳にする。

 というより、エリックが知っている仁義関連の知識はそれ止まりであった。  

 フ=サァンの仁義は日本のそれともまた微妙に異なるもののようだが、なるほど業界の作法をあらかじめ調査できる能力が、レイダーには問われるということなのだろう。

 情報の価値を正しく理解していること。

 またその収集能力。

 これらを示すことができるかどうかで、レイダーはスタート地点から既に差が付くというわけだ。

 いかにも、実力主義をうたう彼等らしいやり方と言えた。

 ――理にはかなっているな。

 エリックは感心しながら工房に入っていくケイスの背に続く。

 恐らく、仁義はまだ終わっていない。

 むしろ、これからが本番なのだ。

 そして案の定、奥では、姿のいかにも職人然とした初老の男性が、一行を待ち構えていた。

 間違いなくこの店の主である。

 来客を告げた娘がそのまま一礼して彼の側にひかえたことも、そのことをにょじつに証明していた。

 本物の客人として茶を振る舞うことになるか。

 あるいは作法を誤った愚者として叩き出すことになるのか。

 それは今後のやり取りで決定される、ということのなのだろう。

「――失礼ながら、御当主とお見受けする」

 と、一歩進み出たケイスが一礼し、また剣の鞘を逆手に持つ礼の構えを取った。

 続ける。

「早速ながら、さしつけまする仁義失礼致して、手前より発します」

「どういたしまして、当家()せつは性無き者」

 がらついた声が泰然とした口ぶりで応じた。

「よって、そちらはひかえくださるようお願い致す」

「左様に仰せられれば御言葉の重るばかり」

 ケイスが淡々と続ける。

「どうぞお控えいただきたく」

「されば、逆意とは心得ますものの、再三の御言葉に従いましてこちら、控えていただきます」

「早速、お控えくださり痛み入ります」

 ケイスはすっとあごを引くように会釈すると、そのまま握り固めた右拳を自分の心臓あたりに持っていった。

 ちょうど、倒した右腕が胸の前で真横一直線になる形だ。

「手前、到って不調法あげますことは前後間違いましたら御免御許しをこうむります」

 ケイスはよどみなく口上を切っていく。

「向いましたるおんかたとは今回初めての御目通。手前、生国はシャイレーン。渡世上故あって、天涯孤独の身の上。しかるに姓名のに耐えうる姓などあろう筈もなく、ただケイスとばかり発する者。

 また、とかく土地土地の先達にご厄介をかけがちたる駆け出しにありますれば、以後面体お見知りおかれまして、恐惶万端お取り立ての程お願い申し上げます」

「御言葉御丁寧に痛み入る。遅ればせの仁義、また高うからの失礼御免をこうむります。おおせのごとく、そちら様とは初の貴見と相成りますが――」

 ここまでくると、もはや封貝による通訳も関係なかった。

 失われた古代語の舞台を見るようなものだった。

 テンポの早い難解なせりの応酬に、耳も脳もついて行けない。

 しかもケイスと店主は、挨拶が済んだら済んだで、今度は業界の昨今を巡るおかたい世間話をはじめた。

 どちらかと言えば、店主がもっぱら様々な問いを発し、ケイスからの返答をなつかしがったり、面白がったりしていたようである。

 紹介や推薦を貰うかわり、外から持ち込んだ情報を提供する。

 また年寄りのちょっとした話相手も務める。

 それが礼儀となっているのかもしれなかった。

「まあ、こういうわけだ」

 無事、推薦を取り付けたケイスは、店を出ると苦笑いしてみせた。

 任せておけと言った意味が分かったろう、という無言の問いがそこには込められている。

 確かに、彼がいなければ娘に話しかけた段階で、エリック達は資格を失い、ただの一般客として処理されただろう。

 それ以前、この店に辿り着けてすらいない。

「なんだか、何もしてないのに私は疲れたぞ」

 最後尾をぷらぷらと歩きながら、ナージャは説教から解放されたような伸びを繰り返している。

 気分は大体、エリックも同じだった。

「まあ、これで特典付きで連盟ギルドに入れるわけだ。そう考えると、割は悪くないはずだぞ」

 それから、再びケイスの後について一行はメインストリートに戻った。

 ネクロスにおいて、最も眼を引くのはなんと言ってもその水路の多さだ。

 街中の到るところに大小様々な川、溝、運河が流れており、それらはまるで蜘蛛の巣のように縦横複雑に絡み合っている。

 当然、渡河のために架けられた橋の数も相当なもので、エリックは少なくとも故郷における自動販売機やコンビニエンスストアと同程度の頻度でそれらを目撃することになった。

 レイダース連盟の支部は、そんな水の都の市街中心部近く、一〇コースは取れそうな幅のある運河の向こう岸に構えられていた。

 ごぶんれず、運河上には白い石造りの優美な橋が架けられており、これを渡ると正面ゲートに出る。

 支部本館はそこから広がるちょっとした庭園の更に奥、質実剛健を絵に描いたような、どっしりとした洋館であった。

 その無骨な外観は、どことなく高校の体育館を思わせる。

 恐らく起伏の少ないずんぐりとしたシルエットがその印象を生んでいるのだろう。

 こちらも渡ってきた橋同様、大部分が重そうな白っぽい石で組み上げられており、それが地上四階ほどの高さまで続いている。

 出入口としては、向こう正面に両開きの巨大なドアが少なくとも三つ。

 映画館や劇場のごとく、明らかに大勢が同時に出入りすることを考慮された造りであった。

 一歩足を踏み入れると、石材を中心としていた外見とは裏腹に、内部は壁から床まで木材で敷き詰められていた。

 四方の壁面は丸太をそのまま積み上げたバンガロー風の素朴さがあり、床板の色艶は歴史をそのまま染みこませたような円熟味を醸し出している。

「――へぇ、吹き抜けになってるんですねえ」

 カズマが頭上を見上げて小さな歓声をあげた。

 その言葉に偽りはなく、入口から中央付近までの広間ロビィ部分は、最上階までぶち抜きの吹き抜け構造になっていた。

「上の方には何があるんですか?」

 顔を戻してカズマが問う。

「二階から上は高ランカーたち専用だ」

 ケイスはちらともそちらを見ようとせずに言った。

 彼はメインストリートに入る前から、既に例の兜を被って顔を隠している。

 だが、周囲の人々は多くが甲冑やヘルメットで身を固めていることもあり、特に浮いた感じはない。

「ランクが低い奴らは一階からスタートする。もちろん新人もだ」

「ほほう」

「隊ち――ケイスさん、こっちです」

 不意に声をかけられて、全員が一斉にそちらを見る。

 馬車の返却を追え、こちらへ先回りしていたのだろう。

 マオ・ザックォージが手を振りながら軽くジャンプを繰り返している。

 ケイスが真っ直ぐにそちらへ向かい始めたので、エリックたちも続いた。

「ザックォージ。ご苦労だったな」

「ケイスさん。隊長と呼ばれたくなかったら、マオと呼んで欲しいという私の要求にも応じて下さいね」

「……そうだな。分かった」

 隊長という呼称が護士組のケイス・ヴァイコーエンに結びついてしまう怖れがあるのと同様、ザックォージは名門貴族の家名を聴く者に思い出させてしまう。

 外で気軽に――とはいかない呼び名であることは確かだった。

 自分も気をつけよう、とエリックは肝に銘じる。

 女性をファーストネームで呼ぶのには抵抗があるが、変な遠慮はかえって迷惑をかけてしまう。

「手続き、今からですよね?」

 マオが訊いた。

「そうだ」

「推薦、貰えたんでしょう? 急げば今日中に終わるかもしれませんよ」

「違いない。宿の件もあるし、早々に済ませよう」

 そう告げて、ケイスはすたすたと受付カウンターへと歩み寄っていく。

 窓口は、文字どおりフロア最奥の壁を窓状にくり抜く形で、等間隔にずらりと並んでいた。

 その数は、恐らくふたけたに及ぶであろう。

 壁の向こう側には年代様々な受付嬢が座っており、列を成すレイダーたちの応対に追われている。

 客と職員とを隔てる壁が、身を乗り出さないと相手に届かないほど分厚いのは、荒くれどもが受付嬢にそうを働くのを防止するためか。

 その数十センチに及ぶ厚みは、同時にカウンター台としても機能していた。

「それにしても……なんか、昼時の学食みたいに混んでるなあ」

 エリックは思わず日本語でつぶやく。

 それを耳ざとく聞きつけたカズマが、あははと軽い笑い声を上げた。

「なかなかうまいことを言いますね、エリックさん」

 実際、混雑ぶりもそうだが、飢えに起因するどこか殺伐とした雰囲気といい、両者に共通するところは多い。

 そんな無駄話をしているうち、思っていたより早く順番が回ってくる。

「――お待たせいたしました。本日はどのような御用向きですか?」

「ここにいる五名で、新規加盟登録をしたい」

 代表して前に出たケイスが、一瞬、エリックたちを振り返りながら言った。

「新規登録でございますね。この度は当連盟への加盟をご検討いただきありがとうございます。加盟ご希望の方には、書面に必要事項の記入をお願いしているのですが……」

 なんでも共通語の読み書きが誰もできない場合は、受付嬢が聞き取りして代筆してくれるらしい。

「いや、全員ではないが、何人かは読み書きできる。それから、これを――」

 言いながら、ケイスは懐を探って巾着袋を取り出した。

 例の武器屋か貰ってきた〈推薦印〉入りのもっかん――すなわち木の板である。

 サイズはアイス棒を二枚横に並べたような感じで、色は焦茶色。

 そこに、やきいんでよく分からない文字や複雑な模様がびっしりと刻み込まれている。

 それが人数分、五本。

「……お預かりします」

 受付嬢は流石プロフェッショナルというところか表情こそ変えなかった。

 それれでも、一瞬だけ言葉の前に不自然な間が置かれたように感じたのはエリックの気のせいか。

「本日は、派閥プラトォン加入の申請も同時になさいますか?」

 木簡を黙って確認していた受付嬢が、ややあって訊いた。

「加盟が認められるなら、この五名で新規派閥を設立して、それを申請させていただきたいとは思っている」

「では、そちらの分の申請用紙もお渡しします」

 言って、受付嬢は書類の束をすっと差し出した。

 同時、〈5〉とエンボス状に刻まれた銀色の金属プレートも渡してくる。

「その札をお持ちになって、お客様左手にございます〈5号〉別室にお入り下さい。係員の者が今後の手続きについてご案内します」

 礼を言って、全員で5号室に向かう。

 先程の受付は、銀行や役所でいうなら一般カウンターに相当したのだろう。

 一方、別室というのは保険や投資など契約関連の特設コーナーといった位置づけらしかった。

 入った5号室は四畳ほどの完全な個室で、中央に木製の長テーブルが鎮座し、それを椅子が取り囲むという会議室然とした空間だった。

 室内は無人であったが、全員が適当に腰かけたところで女性職員が現れた。

 受付嬢と同じ、こんを基調にしたシックな制服を着用した妙齢の婦人であった。

 そのよそおいはフ=サァン特有の着物に似たものではなく、ヴィクトリアン・メイドの服からフリルとエプロンを取り払ったような洋装であった。

 もしかしたら、レイダース連盟の制服はオルビスソー全土で共通なのかもしれない。

 エリックはなんとなくそんなことを考える。

「本日は、派閥プラトォンの新規設立申請もご希望とのことですが、まずは皆様の加入申請の方から承りたいと思います」

 彼女は言うと、書類の記入方法について説明しだした。

 とは言っても、識字率が低いオルビスソーだ。

 それほど複雑なことは求められない。

 氏名。年齢。種族。

 この三項目以外の記入は任意であるという。

 意外にもナージャが「簡単な読み書きならできる」と申告しだし、実際、エリックとカズマは彼女の力を借りて空欄を埋めていくことになった。

「あとは……プラトォンの名称と、代表者(リーダー)だな」

 個人レヴェルでの申請書ができあがると、最初に浮上した問題がそれだった。

 用紙に視線を落すケイスが、困ったように握ったペンをぷらぷらと揺らす。

 それから、どうする? というようにエリックたちを見やった。

「名前とリーダーかぁ。そういえば、考えたことなかったなあ」

 カズマが自分は関わりたくない、という明らかに興味を欠いた口調でつぶやいた。

 だが、そうは問屋が卸さない。

「――やっぱり、リーダーはカズマくんがやるべきじゃないかな」

 エリックが言うと、思いがけずナージャも同調の構えをとってくる。

「うむ。私もダーガ以外の奴にしたがう気はないぞ」

「えっ、僕?」

 カズマが椅子を鳴らした。

「レイダーって実力主義で、封貝使いの立場が強いわけでしょ? だったら僕は最初から除外だし、ナージャさんもこう言ってる」

 エリックは落ち着いて説得にかかった。

「いやいや、僕は小学校の班決めのリーダーすらやったことありませんよ。大体、僕らのパーティには立派な大人がいるじゃないですか」

 と、彼はすがるようにケイスたちに視線を向ける。

「いや、俺たちこそ立場的に無理だろう」

 ケイスが即答した。

 隣でマオもうなずいている。

「俺はお前たちの馬車に相乗りしたに過ぎない立場だ。だがそもそも、立ち上げるのは何のための組織だ? お前たちに共通する、お前たちの目的、悲願を果たすためのものだろう。大きな事をしたいなら、その責任の大きさからも逃げるな」

 声音こそ穏やかだったが、それはぐうの音も出ないいっかつだった。

 これにはさしものカズマも降参らしい。

 白旗だと言うように両肩をすくめ、代表者欄には自分の書いて欲しい、と告げた。

「では、プラトォン・リーダーは決まりましたので、あとは派閥の名称になりますが……」

 案内係が遠慮がちに発言する。

「それは、この場で決定しなければならないのですか?」

 マオがたおやかな微笑で問う。

 すると、案内嬢はいいえと首を振った。

「派閥の名称ですが、これは絶対的なものではありません。条件付きで変更が認められています」

 曰わく、

 一つ、大がかりな組織の再編成があったとき。

 一つ、派閥の名称がその派閥に相応しくないと認められたとき。

 一つ、仮登録の申請が、正式に認められたとき。

 一つ、その他、連盟が特に変更を認めたとき。

「――つまり、メンバーがごっそりと入れ替わったり、リーダーの名前をそのまま派閥の名称にしていたのに、そのリーダーが派閥から抜けてしまったり、といった場合ですね。また、仮登録しておいた名称は、無条件で一回だけ変更することが認められています」

「じゃ、仮称として〈ヨウコ探し隊〉とか〈ヨウコ見つけ隊〉とかしときます?」

 カズマがあからさまに適当な名を挙げる。

 だが、ケイスはペンの手を動かそうとはしなかった。

 彼以外のメンバーも反対に回ったため、カズマ案はあえなく棄却と相成る。

 じゃあ、どんなのなら良いんですか。

 不貞腐れ気味に投げられたカズマの問いに、エリックは応じた。

「カズマくんがリーダーなんだし、封貝の名前を借りて〈ワイズサーガ〉にしておけばいいんじゃないかな? 宣伝にもなるし」

「そうですね」

 マオが頷く。

「それで良いんじゃないですか?」

 時間をかけたくなかったのだろう。

 場に同調の空気が流れる。

 結局、派閥名はそのまま〈ワイズサーガ(仮)〉として登録された。

 後日、きちんとしたものを考案して正式登録、という流れで落ち着く。

「――確かにお預かりしました」

 受取った書類を束ね、デスク上でトントンと揃えながら案内嬢が言った。

「これで申請は終わりですか? なにか、加盟テストみたいなものは?」

 カズマがいささか拍子抜けした顔で訊ねる。

「通常でしたら書類審査をさせていただきますが、〈ワイズサーガ〉の皆様は推薦印をお持ちとのことで免除。このまま連盟加入が認められます」

「えっ、じゃあ僕らはもうレイダーを名乗って良いんですか?」

「はい、そのように考えていただいて結構です」

 案内嬢が頬に笑くぼを作る。

 だが、彼女はただし――と釘を刺すことも忘れなかった。

「レイダーとして活動している間は、これからお渡しします連盟認可証(ライセンスリング)を必ず着用して下さい」

 言葉と共に、彼女は横に置いていたトレイを自分の前にたぐり寄せた。

 トレイ上には、ドーナツのような黄色っぽい輪っかが無造作に置かれていた。

 個数は五個。

 エリックにはそれに見覚えがあった。

 忘れもしない。

 自身も無印レイダーである先住民族オクスゥのサイトが腕に通していた物とそっくり同じだ。

「こちらが、そのライセンスリングになります。基本的にたいという形を取らせて頂いておりますので、お取り扱いには注意してください」

「たいよってどういう意味だ?」

 ナージャが素朴な疑問、という顔で割って入る。

「失礼いたしました。貸与とはこの場合、連盟が皆様に無料でお貸しする、という意味でご理解ください」

「ただで貸してくれるのか」

 ナージャはにっこりとする。

「お前良いやつだな」

「恐れ入ります」

 案内嬢は礼儀正しく頭を下げる。

「しかし、あくまで貸与ですので取扱いにはご注意下さい。大変に耐久性の高い宝貝で作られておりますのでそうそう破損することはありませんが、その分、ライセンスリングは高価ですので」

「壊したりなくしたりした場合は、弁償……と?」

「はい」 

 あっさり頷く案内嬢に、カズマは軽く仰け反る。

「ちなみに、いかほどで?」

 いくらですか、という言葉は習得済みである。

 エリックは自分の口でそのまま訊ねた。

 たとえ、幾分気圧され気味であったとしても。

「程度にもよりますが、軽微な損傷なら八〇〇〇グラティア前後。半壊以上ですと修復できなくなったり、交換した方がコスト的に安くなりますので、その場合は二万六〇〇〇グラティアを頂戴しております」

「マンション買えちゃうじゃないですか!」

 カズマが叫んだ。

 こちらの通貨は、だいたい一〇〇倍すれば円換算になる。

 つまり修理で八〇万円。

 交換で二六〇万円。

 稼ぎの安い社会人なら、年収が丸ごと吹っ飛ぶ計算だった。

 だが、マンションは買えない。

 二六〇万で買えるとしたら、コンビニのATMだ。

 それから信号機。

 祖母が所有しているジュースの大型の自動販売機も、設置費用を含めると二〇〇万を超える物があると聞く。

 エリックは無言でつばみ込んだ。

 思わずレイダーになるのを思いとどまりそうになる。

 少なくともそれだけのインパクトを持った数字だった。

 ナージャを除いた三人も同様の思いらしく、表情を硬くしている。

「――どうしてそんなにお高いんですか?」

 引きった笑みを浮かべながらカズマが問う。

 声が震えていなかっただけマシ、といった顔色だった。

 対して案内嬢の返答は淀みない。

「素材となる宝貝がまず高価ですし、それを職人が手作業で作っているためとご理解下さい。なんと申しましても、このライセンスリングは血液を一滴垂らすだけで持ち主を正確に識別する高度な機能を有します。

 そして以降はレイダーとしての活動をつぶさに自動記録し続けるんです。戦闘を経験すればその一部始終を確認し、魔物の討伐に到ると今度はデータベ―スの中から該当を検索。その獲物に設定されている経験点をカウントして実績を評価するなど、他では実現できない様々な機能を満載しているのです」

 へえ……。

 エリックは声に出さず感嘆した。

 事実だとすれば、ちょっと地球にも存在しなかった超高性能ロガーということになる。

 エリックも毎日の活動を自動記録してくれる、似た物は持っていた。

 高校の入学祝いに叔父からもらった物で、いわゆるリストバンド型の活動量計であった。

 あれも高価な最上級フラグシップモデルだけあって悪いものではなかった。

 GPSや各種センサーを搭載。

 時計。歩数計。これらの機能は基本として、心拍数、運動中のカロリィ計算、睡眠時には眠りの深さまで記録してくれる優れものであったのだ。

 だが、地球の最先端技術でも、倒した魔物をカウントして獲得経験値エクスペリエンス・ポイントを算出してくれる機能の実装は不可能であっただろう。

「凄いじゃないですか! 経験値とか、ゲームみたいだ」

 カズマが価格のショックから一転、表情を輝かせて小さく叫ぶ。

「経験値? 経験点? それが一定以上たまるとレヴェルアップとかあるんですか?」

「はい。具体的な数値は非公開となっていますが、仰るような指標は確かにございます。新規ご加入の皆様にとっての当面の目標は、レヴェル10到達時に認められる無印ブランク級から白真珠パール級へのランクアップになるでしょう」

「おおっ、なんか面白そうな話になってきたな!」

 ナージャも眠たげな顔から一転、身を乗り出して話に加わり出す。

「その白真珠パールになると何か良いことがあるのだな?」

「はい。パール級からは、連盟内順位ランクを得られ、二階フロアに上がってより高難度の依頼を受けることができます。また連盟から受けられる各種優待のグレードも、等級に準じて上がっていきます」

「ようし、じゃあ早速、その輪っかをもらおうではないか。ええと、血を塗れば良いのか?」

 ナージャは立ち上がると、舌なめずりするように言う。

「はい。では、ナージャ・クラウセン様からでよろしいですね?」

「うむ。で、どうすれば良いのだ? 指とか斬り落すのか?」

「恐ろしいことをサラリと仰る」

 カズマが眉をぴくつかせながら呻く。

「左右どちらでも構いませんので、手のひらを上に向けてこちらに指を出していただけますか?」

 慌てず騒がず、案内嬢が落ち着いた口調で言った。

 こういう話を勝手に進める手合、血の気の多い手合には慣れっこなのだろう。

 そうでなくてはつとまらない商売だ。

「指?」

 ナージャは怪訝そうにしながらも、案内嬢の隣まで歩いていき、大人しく左手を差し出した。

 その時にはもう、案内嬢の右手にはボールペンのような物が握られていた。

 先端にはペン先ではなく、注射針のような細いトゲが光っている。

 彼女はそれをナージャの左中指の腹に近づけた。

 ちょっとチクッとしますね。

 ナースのようにことわってから、そっと先端で触れる。

 一拍おいて、思い出したかのように鮮血がぷくりと膨れあがった。

 案内嬢は冷静にペン型針をライセンスリングに持ち返る。

 そうして、ナージャの血に優しく押し当てた。

 リングは特に反応を見せなかった。

 アニメやゲームのように、分かりやすく怪しげな光を放つこともない。

 だが、それで正常らしい。

 エリックからは角度的に見えなかったが、リングに埋まっているプレート部分を見詰め、案内嬢は満足げに頷く。

「はい、終わりました」

「もう良いのか? 全然チクッとしなかったぞ。痛くなったのだ」

「登録は完了しました。クラウセン様、ご試着下さい」

「どうすれば良いのだ?」

「所有者がイメージしながら引っぱれば、それはみすアメのように伸び、すぐに適当な大きさまで縮みます。頭から通して首からさげたり、あとは腕、足首などに着用するのが一般的です。ただ、レイダーの義務として常に誰の目からも見えるようにしておいて下さい」

「ナージャさんはマフラーがあるから、首は無理だね」

 エリックは指摘する。

「じゃ、とりあえず腕にしておこう。付け直したりはできるのだろう?」

「ええ。

 何度でも可能です」

「よし。……おっ、なにやらプレートに表示があるな」

 早速、リングを左腕に通したナージャは、新しく腕時計でも買ったかのようにその見栄えを確認している。

「私の名前が書いてあるのだ。レヴェル1。白真珠パール級。順位なし。〇グラティア」

 読み上げながら、彼女は軽く眉根を寄せた。

「……む、お前の言っていた経験なんとかはってないな?」

経験点(それ)は表示されません。非表示項目です。ですが、きちんと内部には記録されていますのでご安心ください。支部にございます特定の装置でのみ読み取ることが可能です」

 なんでも、支部の受付で所定の手数料を払えば、

「まだ少ない」

「ちょうど半ば程度」

「間もなくレヴェルアップ」

 等、大体の貯まり具合を聞くことができるらしい。

「隠しパラメータなんだ。へえ――」

 カズマは遠足前日の小学生さがらに目を輝かせている。

 じゃ、リーダー特権で次は僕いいですか。

 そう言ってさっさと案内嬢に駆け寄っていくカズマに続き、一〇分足らずで全員が作業を終えた。

 今のところ、五人全てがブレスレットとして腕に着用することを選んでいる。

 その内、個々の都合で色々と調整されていくのであろう。

 レイダー証が行き渡った後は、半刻――一時間ほどかけて、加盟員としての心構えや、基本的な規則などを説いて聞かされた。

 最後に提携している宿を幾つか紹介してもらい、支部を出る。

 案内嬢推薦の宿は三つあったが、よくよく考えてみるとエリックたちにはほとんど先立つものがない。

 正確には、カズマは人攫いから巻き上げてきた金を少々だが残している。

 聞くと、その額は大体一〇〇グラティア――一万円前後とのことだった。

「安宿なら一日くらいなんとかなるかもしれませんけどねえ」

 心許ない懐事情に、カズマは渋い顔で頬をく。

「もうすぐ日暮だけど、短時間で稼げそうな依頼とか探すべきだったかな?」

 エリックは思わず出てきたばかりの支部本館を振り返る。

 だが、ケイスはその考えに肯定的ではないようだった。

「初心者向けとなると採取系の仕事だが、そうすると森や山に入る必要が出てくる。日の高い内ならまだしも、夜は危険だ。首都の近くだからと、あまり簡単に考えない方が良い」

「なら、街からでなければ良いんですよね?」とカズマ。

「いや、街は街で別の危険はあるぞ。人が大勢集まれば、中には厄介な奴が紛れ込む。他人から言わせれば、俺たちもそっち側に含まれるかもしれない。追われる身の上なんだからな」

「人気の無いところや危険な場所には近付きませんよ」

 何か思いついたのか、カズマはにやりと邪な笑みを浮かべた。

「ところでケイスさん。さっきの防具屋で興味が出たんですけど、これだけ大きな街なら武器やら防具やら売ってる店はたくさんありますよね」

「もちろん。

 それが――?」

「やっぱり男の子として憧れがあるんで、ちょっと見て回りたいんですけど……初心者や老人を騙して悪質な商売してる、気をつけるべき店とかあったりしますか?」

「まあ、そうだな。前の職場では商売柄、そういう悪質な業者の噂を耳にする機会はあった。インカルシにいてさえ聞こえてくるような店が何軒か、このネクロスにもある」

 具体的には?

 カズマが重ねて問うと、ケイスは四つほどそらんじた店名を挙げた。

「なるほど。まったく、悪い奴らがいるものですねえ」

 そう言って、カズマは吊り上げた口角の角度を更に深める。

 その笑みは他人をどうこう言えない、丸きり悪者のそれだった。

「ようし。じゃあ、ケイスさんたちは先に宿に行っていて下さい。えっと、あおびれ通りの〈欠け戦斧〉ってお店でしたよね」

「予定ではな」

「何かの都合で予定が変わったなら、この封貝にメッセージを吹き込んで目立たないところに隠すか、店の人に預けておいて下さい」

 言って、カズマは口訣省略で呼出した〈*ワイズオレイター〉をケイスの手に持たせる。

「僕は近付けば、それがどこにあるのかそくできますから、容赦なく変なところに隠して良いですよ」

「しかし……どこへ行く気だ?」

「ちょっとした探検ですよ」

 カズマは肩をすくめる。

「表通りの無難そうなお店で、格好いい武器とかをウィンドウショッピングするだけです。すぐに戻りますよ」

「明日まで待つ気はなさそうだな」

 諦め半分、呆れ半分といった口調でケイスが言う。

 カズマはそれにただ微笑だけで答えた。

「じゃ、ちょっと行ってきますね。――ナージャ、一緒に来てくれる? 一応、護衛役としてさ」

「もちろんなのだ」

「エリックさんはどうします?」

「一緒に行きたいけど、僕はこの通り荷物の運搬があるからね」

 引いているリヤカーを横目で示しながら言った。

「言葉は大丈夫です?」

「大丈夫じゃないけど、それはスペイン旅行に行っても同じだよね?」

「ごもっとも」

「それより、何する気? 本当は、ただのウィンドウショッピングじゃないよね」

 一応、ケイスたちにバレないよう日本語に切替えて問う。

「いやあ、本当にちょっとお店を見て回るだけですよ。まあ、あわよくば小遣い稼ぎができないかは試してみる気ですけどね」

 カズマは言い張り、無垢な天使を思わせる笑顔を浮かべた。

 だがエリックに言わせれば、それは逆に不安を掻き立てる悪魔の笑みにしか見えないものだった。

 率直に言って、嫌な予感しかしない。

 しかし、金を作ってくるという彼を、そのすべすら持たない自分が制止できようはずもない。

 エリックは複雑な色を湛えた嘆息とともに、人混みに紛れ消えていくふたりの背中を見送るしかなかった。

挿絵(By みてみん)

▼データファイル

●通過


全国共通通貨単位=グラティア

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貨幣  |   相当  | 円換算 | 特徴・形状・その他

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1E方貨 | 0.1グラティア| 10円 | 補助通貨。方は四角の意。赤銅色

1G銅貨 | 10エンヘル | 100円 | 庶民決済。10円玉に似た赤銅コイン

10G銀貨 |  銅貨10枚  | 1,000円 | 銀貨だが艶がなく黒っぽいコイン

100G金貨 |  銀貨10枚  | 10,000円 | 金貨だが金色ではなく白みがかっている

10,000G王貨 | 金貨100枚  |1000,000円| 商取引専用

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