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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第一部「恋しかるべき、君」
3/64

→犯人

  002


 年間八十三万人。

 頻発ひんぱつする神隠しの被害者数は、交通事故の年間被害者数とほぼ変わらない。やや多くさえある。十六年間続いているのだから、被害者の総数は千三百万人超。国内だけの数字である。

 こうなると、もはや誰にとっても他人事ではなかった。親類縁者や友人知人など、名前を知っている人間から被害者が出ていない、という方を探す方が困難になりつつある。

 高校という比較的大きな集団に所属していれば、なおさらだった。カズマの学校では、今年に限っても既に二名の失踪人が出ている。ひとりは生徒本人ではなくその母親だったが、もうひとりは音楽の担当教員であった。

 今回消えた柴田夏梨(カリン)は、三人目の被害者ということになる。

 当然、朝から学校は騒然そうぜんとしていた。始業と同時に全校集会も開かれた。

 体育館に全生徒が集まると、校長が登壇して長話――というお決まりのパターンだった。

 しかし、「折目おりめ正しい生活」だの「日頃からの心がけ」だの言われても仕方がない。

 それで原因不明の失踪を防げるわけではないことは、誰もが知っている。

 何せ、三年前には音楽番組の生放送中、楽器演奏中であったロックバンドのベーシストが消えたのだ。全国の視聴者が見守るただ中で、である。

 気をつけようがない。防げない。誰も逃れられない。

 高説こうせつれる校長が、今この瞬間消える可能性だって否定できない。

 柴田夏梨のことでショックを受けながらも、生徒はどこか冷めた態度で状況を受けとめている。

 例外があるとすれば、楠上カズマの周囲(コミュニティ)だった。

 とかく物ごとを深く考えないメンツで固められた集団だ。他が通夜のような湿っぽさでも何処吹どこふく風といったところ。なんら気にとめずに通常運行で我が道を進む。

「おい、カズ。ちょっと良いか」

 机に突っ伏していたカズマは、そんな友人の一人に肩を揺さぶられた。

 熟睡していたわけではない。すぐに目を開けて、顔を上げる。

 声から察していた通り、クラスメイトの鶴田がそこにいた。小学校時代からの腐れ縁で、親友とも悪友とも言える存在だ。家も徒歩十分とかなり近い。ヨウコを別格とすれば、彼もまたある種の幼馴染と表現して差し支えないだろう。

「ん――」

「起きろ。昼休みになったぞ」

「あれ、もうそんな?」

 カズマは基本的に授業時間を睡眠に当てている。今日も、全校朝礼から教室にもどると、すぐにまどろみに入った。今日は移動教室や体育の着替えが途中に入らなかった。おかげで午前中はずっと眠り続けていたらしい。

「お前、ちょっと寝過ぎだろ」

「だね」軽く目をこすりながら認めた。「ちょっと寝だめしとこうかなと思って」

「なんだよ。徹夜で動画鑑賞会か。肌色多めのヤツならボクも混ぜて下さい」

「いや、徹夜で山岳(トレイル)ランニングってとこかな」

「ツチノコでも探す気か?」ふっと笑い、だが明らかに興味を失った様子で鶴田が言った。「じゃ、いいや。それよりお前、今からちょっと付き合ってくれるか。メシおごるからさ」

「鶴田君が? なんでまた」

「俺がおごるわけじゃない。お前に相談があるってやつがいてさ」

 これだけ言えば分かるだろう? という顔で、彼はクイと首を捻ってみせる。

「ああ――」

 ただちに状況を理解したカズマは、のろのろと立ち上がった。先導する鶴田に従い、人気のない実習棟の方へ向かう。

 この時間、日陰にどっぷり漬かってしまう校舎裏に、問題の人物は既に姿を見せていた。

「おう、ノア(スケ)。ご指名の大先生、連れてきたぞ」

 待たせていた大柄なシルエットに向けて、鶴田が陽気に声をかけた。

 その男子生徒には、カズマも見覚えがあった。骨太の長身。白い肌。いかにも女子受けしそうなスタイリングの長髪は天然のライトブラウン。相貌そうぼうはあどけなさを残しながらも凜々《りり》しく整い、だがりは深すぎず親しみやすい。十中八九、果ての出現で故郷を追われてきた移民の子である。

 ノアというのは、カズマと同年代のアメリカ人に多い名前だった。

 一方、スワンソンという苗字はスウェーデン系であったと記憶している。

 総合すると父母いずれかがスウェーデン系アメリカ人であった可能性が高い。

 どちらも〝果て〟に国土の大部分を奪われ、壊滅に近い被害を被った国家だ。

「カズ」と鶴田に呼ばれ、カズマは我に返った。

 眼で答えると、彼はクイと白人の友人を親指で示す。

「こいつはNoah(ノア) Swansonスワンソンっていうんだ。今回の相談者な。俺らと中学同じだったんだけど……クラスかぶらなかったし、知らないよな?」

「少なくともフルネームは今、知ったね」

「で、ノア。こいつがお前の恋愛相談に乗って下さる、千葉ヨウコ生態学の第一人者として知る人ぞ知る、楠上(なんじょう)部屋出身の元大関、一真カズマ富士フジ親方だ」

「ごっつぁんです」

 なぜ鶴田が自分を相撲取りのように紹介したのかは分からない。

 だが深く考えるより早く、カズマはみっつ手刀で「心」の字を切りながら応じていた。

「親方、よろしくお願いします」

 ノア・スワンソンも乗ってくる。冗談を解するウェットな性格らしい。

「うむ。苦しゅうないよ」カズマは微笑んだ。

「でな、もう察しがついてるだろうけど、ノアは千葉さんに気があるんだよ。まあ、なんて言うの? この通り、顔だけは中途半端に良いもんだから、むかしから女子受けが良いんだよ、コイツ。おかげで調子に乗っちゃって、自分なら落とせるとでも思ったらしい。身の程知らずにも、難攻不落の千葉城に挑もうとかホザきだしたわけ」

「鶴田。お前、もう少し言い方ってないもんか?」

 スワンソンが不服そうに口を尖らせる。

「こういうのは回りくどいのなしで、スパッとストレートに行くのが一番なんだよ」と鶴田は悪びれない。

「まあ、そうかもしれないけど。なんか、関係ない毒が混じってた気がするんだよな」

 話を詳しく聞くと、スワンソンとヨウコとの間に大した面識はないらしい。

 中学時代に委員会か何かが同じであったため、かろうじて「全くの他人ではない」程度。

 ただ、相手が今でもこちらを覚えているかは五分五分。もちろん、メールアドレスも知らない間柄なのだという。

「だもんで、電話やメールで告るってのは無理っしょ? 親方も教えてくれないよね?」

 伏せがちの顔からやや上目遣うわめづかいに聞かれるが、土台、無理な話だった。

「うん。無断でそんなことやらかした日には僕が殺されるし、大体、裏でこそこそ連絡先調べていきなりメールとか電話っていうの、ヨウコが一番嫌いなパターンだよ。やめといた方が良い」

「あー、やっぱそうか」

 スワンソンは少し長めの横髪をくような仕草を見せ、そのまま頭をガシガシと掻きむしった。

 千葉城攻略に失敗し散っていった男達から、事前に集められるだけの情報を集めたというだけのことはある。基本的な禁忌タブーくらいは把握しているということだ。

「だから、俺的には手紙でも書こうかなあ――なんて思ってるんだけど」

「ま、そういうわけなんで、このアホに協力してやってくれるか」

 コーディネーター役の鶴田が引き継いだ。

「手付けとして今日の昼飯はノアのおごり。告白が上手くいったあかつきには、成功報酬として今年いっぱい、昼飯を週三でおごりってことになってる。どうだ、カズ」

「新弟子の入門は、よほどのことがない限り断らないよ。僕は」

「おお、ということは」スワンソンがぱっと顔を輝かせた。

「事前に僕に相談しに来たのは実に良い判断だと思う。もちろん、スワンソン君の部屋入りを歓迎するよ」

「おお、根拠は分からんが何やら異様に頼もしい。ならば俺の事は是非、ノアと呼んでくれ」

「OK、ノア」差し出された大きな手を握り返す。「でもね、僕は基本的に中立でもある。これまでも何件か前例があるけど、他にも入門志願者がいれば同じように受け入れるし、同じように稽古をつけ、同じようにちゃんこをご馳走になる」

「始めた俺が言うのもなんだけど、相撲すもうネタ引っぱるよなあ……」

 鶴田が何やらつぶやいている。カズマは無視して続けた。

「ヨウコは、家族同然の大事な存在だからね。僕が望んでるのはあくまで彼女の幸せであって、それが何よりの優先事項だよ。ノアたちに手を貸すのは、好きな人ができて幸せそうにしてるヨウコが見たいからでしかない。だから、この人はヨウコを大切にしてくれそうにないと判断したら僕はすぐに手を引くし、敵に回る。それは知っておいてね」

「俺はカノジョを大事にするタイプだと思ってるけどな」

「そうであることを祈るよ」カズマはにこりとして続けた。「あともう一つ、ヨウコは今のところ、恋愛にあまり興味を持ってない。このことも念頭に置いといて」

「そこも噂通りなんだな。一部では、女が好きなんじゃないか的なことまで言われてたけど、あれは?」

「さすがにそれはデマだよ。恋愛の対象は普通に異性だと思う」

「じゃあ、これだけ言い寄られて誰とも付き合う気配がないのはなんでだ?」と鶴田。

「まあ、なんて言うのか……ヨウコはプライドが高いからねえ」

 露骨に「どういう意味だ?」という顔をするふたりに、カズマは説明の口を開いた。

「ほら、恋に恋するってあるでしょ? ヨウコはああいうのが嫌いなんだよ。どんなに時間が経っても、あれは経験だったとは考えない。彼女は十年前の、幼稚園の頃の失敗すら未だに覚えて当時の自分を責めたりするんだ。実際にね」

 彼女は他人から拍手をされても、すぐに忘れてしまう。だが、受けた嘲笑や、ミスはずっと忘れない。それが自分への苛烈なまでの厳しさに繋がっている。

 恋愛がなかなか成立しないのも、だからだ。

 異性から受ける好意、賞賛すら、自分の価値を上げるものだとは考えないのだ。

 彼女が糧と認め、自信に変えるのは、時間を熱意をかけてその手で積み上げていったものだけだ。自分の言葉と行動で作り出したものに限られるのである。――少なくとも、今のところは。

「失敗や汚点で、経歴に傷が付くのを嫌うエリートみたいな感じの話か?」

 ピンとこない、という表情で鶴田が言う。

 だが実際の所、その表現は的を射ていた。

「うん。まそにその通りでね、恋愛に限らず、ヨウコは万事そういう考え方をするんだよ。たとえばふたりはさ、道ばたで派手に転んじゃったとき、友達に何やってんだよって笑い飛ばしてもらうのと、誰にも見られずに一人で粛々と片付けちゃうの、どっちが良い?」

「それだと、どっちかって言うと――」ノアが少し考える素振りを見せ、答えた。「やっぱ、笑って済ますのが良いかな。誰もいないところで一人でコケて一人で立ち上がって、一人で歩き出すとか居たたまれねえ」

「俺もだなあ」鶴田も同調する。「誰かにツッコミでも入れて貰わないと、一人の場合、その空気をどう処理して良いのか分からなくなるわ」

「そう、それな」

 ふたりが盛り上がりはじめる。

「ヨウコは逆なんだ」

 カズマは言った。

「運悪く、彼女が転んじゃったところを目撃なんかしちゃった日には、それからしばらく口きいてもらえなくなる」

「なんか、経験ある風な言い方だね」

 ノアが言う。

「うん。さっき言った、十年前の話。まだ小学校にも上がってなかった頃の」

「そりゃ難儀な性格だな」

 鶴田が難しい顔でうなる。真逆のタイプであるだけに、理解が追いつかないのだろう。

「誰かの前で無様をさらしちゃっても、誰にも知られずに失敗しちゃっても、同じように自己嫌悪しちゃうんだ。そういうタイプからすれば、恋愛は落とし穴満載(まんさい)のトラップハウスみたいなもんだからね。ヨウコとしては自然と慎重になっちゃうみたい。興味はあるみたいだけど、リスクに見合うものではないとも思ってる感じ。充分な準備と勝算がない限り、多分、踏み込もうとしないと思うよ」

 もし告白する立場に回ったとしても、きっと百パーセント成功するという確信がなければ、彼女はいかないだろう。

「でも、アレじゃん。そんなのと関係なく、気付いたら好きになってたとかいうパターンも多いじゃん。罠だとして、気付いたらもうはまっちゃってるもんじゃないの?」

 ノアは、同意を求めるように鶴田の顔をうかがう。

 恋愛観において共通する部分が多いらしい。男達は互いに頷き合っている。

「僕も、ノアの言う通りだと思うけどね。結局、ヨウコはきっとまだよく分かってないんだと思う。食わず嫌いというか、潔癖症けっぺきしょうというか。自分を制御できないような事態を恐れて、過剰反応で避けてるところもあるんじゃないかな」

「それじゃあ、試しに付き合ってみるか的ノリでのOKは絶対に出してこないわけか?」

 鶴田の問いに、カズマは深くうなずいた。

「それはまず、あり得ない」

「なるほどね。それで、あれだけ玉砕率ぎょくさいりつが高いんだな」

「でもそれ、俺的にはかなりヤバイよね? ほとんど、付き合う=結婚型の女子みたいなもんじゃん。本気でれされさせた上じゃないと見込みないってことだよな」

 ノアの顔がさっと青ざめる。

 彼らにも大分、千葉ヨウコの実像が見えてきたらしい。

 カズマは新弟子の言葉を頷いて認めながら言った。

「確かにスペック自体は飛び抜けてるけどね。さっきも言ったように無駄にプライド高いし、扱い方をちょっと間違うとすぐ大爆発起こすし、かといって放置しても激怒するし。付き合うとなると一番面倒くさいタイプだと思うよ。あと、浮気すると間違いなく酷い目にあわされる。刺されるじゃなくて、拷問ごうもんされる」

「俺は一途いちずなタイプだから、その点は大丈夫だ」

 ノアは親指を立てつつ、白い歯を光らせた。立ち直りが恐ろしく早い。

「まあ、最初から止める気はないしね。その気なら実際、告白してみれば良いよ。手紙っていうのは、条件を考えるとノアにとってはベストに近い手段だと思う。少なくともヨウコはちゃんと読むし、真剣に考えるはずだよ」

「おお、やはり俺のプランニングは間違いじゃなかったか」

「その場合、問題になるのが手紙の内容なんだけど」

「それなら、草案そうあん的なのは一応用意してあるんだよ。これ、どうかな」

 ノアはすぐに上着のポケットから便せんを取りだした。言葉とは裏腹に、その顔には自信が見られる。もう、このまま出して良いという出来の物を用意してきたのだろう。

 続いてノアは、スーマトフォンのカメラ用ライトを点灯てんとうした。読みやすいよう、カズマの手元を照らしてくれる。

「では、拝見はいけん」断って手紙を開いた。

 用意された便せんは三枚。もちろん、手書きだった。

 内容としては自己紹介にはじまり、ヨウコに興味を抱いた経緯けいい、それが好意から恋心へ変わっていった過程かていなどを丁寧につづっている。

 意外なほど繊細せんさいな字もあって、なかなかに好感が持てる文面だった。

 一通り読んだ後、カズマはそれを念入りに折り畳んで戻した。

 優しく微笑んで、ノアに返す。

「どうだった?」

「その手紙は次にトイレ行ったとき、トイレットペーパー代わりに使って流しちゃうと良いよ」

「詰まっちゃうじゃん」ノアが驚いたように言う。

「いや、問題はそこじゃねえだろ」すかさず鶴田が指摘した。「どういうことだ、カズ。それじゃ駄目そうなのか? 俺も読んだけど、悪くなさそうだったぞ?」

「ノン。まるで話になりませんな」

 カズマは架空の口ひげを撫でつける仕草で、紳士的に断言した。

「ええと……どの辺が駄目だった?」恐る恐るノアが訊ねてくる。

「いいかね。ヨウコがラヴなレータをもらうのはこれが初めてじゃないのだよ、友よ(モナミ)。捨てずに取っておくタイプだから、部屋にある保管箱はぎゅうぎゅう状態なんだ。そんな子が、どこにでもあるような手紙貰ってだね、キュン――この人ってば今までと何か違う。もしかしてこの人が? この人が私の凍てついた心を溶かし尽くしてくれる太陽の王子様なの? 今すぐ抱いて!……ってなると思う? ノン。なりません、ムッシュ」

「それはそれで千葉さんのキャラが崩壊しすぎだけどな。要は、内容に問題がないのが逆に問題ってことだろう?」

 鶴田が要約するように言った。

「そう。大体、みんなヨウコに幻想抱きすぎなんだよ。あの人、中身は少年だから。それも熱血系主人公タイプですから。根本的に、勝負とか挑戦とか冒険とかいう言葉に心躍らせる性格なんだよ。魂の姿をヴィジュアル化したら、絶対に鼻のところに絆創膏ばんそうこう貼ってあるね。で、ラグビー用のヘッドギアを常時着用してるに違いない」

「親方」ノアがすっと頭上へ腕を伸ばした。

「はい、元気よく挙手きょしゅしたノア・スワンソン君。発言を許します」

「勝負とか挑戦とかを手紙にすると、それは恋文ではなく果たし状になるのではないかと」

「おお。今、スワンソン君がいいところに気付きました」

 カズマは職員室から無断拝借(はいしゃく)してきた、銀色の伸縮棒を取り出した。伸ばした。

 先端をノアに突きつけ、講釈を続ける。

「そうです。ヨウコが求めているのは自分を熱くさせてくれる挑戦者です。好敵手と書いてライヴァルと読む感じの異性です。男ではなく漢です。なので、最初はそこから入って、互いに切磋琢磨せっさたくましていくうちに、いつしか二人の間には友情を超えた何かが芽生めばえ……という展開以外でしか彼女は落とせないと心得ましょう」

「恐ろしくかたよった攻略ルートだな」鶴田が露骨ろこつに顔をしかめる。「しかも響きだけ聞いてると、なんかボーイズラヴ(BL)の話みたいで若干気持ちわりぃ」

「親方、俺も理解の限界キャパ超えちゃって、もうどうして良いか訳分からない状態なんですけど」

 ノアも途方とほうに暮れた顔で肩を落とした。

「仕方ない。五十六いそろくさんも言うておられる。ここは実際に私がやってみせ、諸君に道を示すしかないようだね」

「えっ、親方が自らが身体張るってこと? でも、初めて会った俺のためにそこまで――」

「なあに。主いわく、〝力士たる者、右の頬に張り手を食らったら左の頬も差しだすべし〟。当然のことだよ」

「言葉の意味はよく分からんが、なんかありがとう」

「これも師たるものの務めだ」

「マジ最高だよ。俺が女だったら、親方にこのラヴレター渡してるよ」

 ノア・スワンソンのまなじりには薄らと涙がにじんでいる。

「キリストが相撲取りをたとえに名言吐くかねえ?」

 鶴田のまなじりはあくまで冷静だった。

 ともあれ、これで大まかな方針は決まったことになる。

 おごりの約束に従ってカズマたちは食堂に向かった。

 確保した席で、昼食を取りながらラヴレターの文面を練りはじめる。

「勝負」「挑戦」「冒険」の三要素を含んだ新感覚のラヴレターである。

 計画では昼休み中に手紙を完成させ、ヨウコの机にこっそり忍ばせる。そして、今日中に反応を確かめることになっていた。そのため、事は迅速じんそくに運ぶ必要があった。

 もっとも、約十六年間にわたって千葉ヨウコの生態せいたい観察を続けてきたカズマである。

 この程度の課題はさしたる困難にもならない。

 実際、天ぷらうどんをすするかたわら、手紙は五分程で軽くできあがった。



  拝啓はいけい 千葉蓉子様


  こんにちは。僕は元気です。

  時は来ました。空いている会場は既に押さえてあります。

  ザコに興味はないけど、僕という壁にチャレンジさせてあげても良いんだからね。

  いいか千葉。コラ、オイ。

  9・9(きゅうてんきゅう)、本校体育館裏、特設会場。ベルトみがいて待っててやる。

  んのか。怖じ気づいて逃げんのか。

  会場入り時間は下記の超難問クイズを解くと分かるよ。解けるんならな(笑)

  あなたのチャンピオン(食堂で天ぷらうどんとか食いつつ)より


  ゴング 本日○時ジャスト(○に入る数字は9+7の答えです)

  ヒント。十の位に一繰り上がっちゃうよ。諦めずに考えてね。ガンバ。



 会心の出来と胸を張れるそれを、カズマは弟子たちにも見せてやった。

 二人とも一読するや全身を硬直させた。固唾かたずを飲む音がはっきりと聞こえた。

「いや、さすがに……これ、大丈夫なのか」

 と、鶴田に到っては、怖じ気づいたようなことをこぼし出す始末であった。

「なあに、これを無視できるような娘ではない。必ずや奴は来る。かつてない形相で来る」

 カズマは泰然と笑み、親友を安心させてやった。

「この9・9ってのは、今日の日付って意味で良いんだよな」とはノア。

「そうだよ」

「で、実際に彼女が来ちゃってからはどうすんの?」

「そこからはノア次第だよ。さっきのトイレットペーパーでも渡せば良いんじゃないかな」

「それ俺が書いた手紙のこと?」信じられない、という様子でノアが言う。「いや、あれ一応ラヴレターだから。親方、素で間違えてたよね、今」

「スワンソン君。大事だいじの前だ。そのような些事さじにこだわってはなりませんよ」

 カズマは丼に残った鰹だしの汁を飲みくだす。そして続けた。

「聖書にも書いてある。力士たるもの、左に張り手を食らったらちゃんこも食え、と」

「書いてねえよ」

 鶴田はあくまで冷静だった。

 そして、決行の時は寝ている間に来た。

 放課後――正確には帰りのHRホームルームが始まる前から、カズマと鶴田は教室を抜け出した。そのまま体育館裏に向かい、ノアと合流する。

 手紙はうまいこと、カズマ自身がヨウコの机に忍ばせてある。彼女がそれに気付いたことも、目視で確認済みであった。

「しかし、ちょっと早すぎねえか」

 先程から鶴田は愚痴り続きだ。

「そりゃあ、先に来て待ってなきゃいけないのは分かるけどさあ」

「おう。それは俺もちょっと思ってたわ」ノアも同調する。「千葉さん、今日は掃除当番だって親方も言ってたし。早めに待っとくのは当然として、HR抜け出すまでする必要ってあったわけ? うちの担任、結構サボリには厳しくてさ」

「ふたりとも、柴田夏梨さんが失踪したのは知ってるよね」

 カズマは口調を改めて言った。

 ふたりがはっとしたように目を見開く。

「彼女はヨウコの親友だ。今日は放課後、捜索隊に入れてもらって色々探し回る予定だったんだ。つまり現状、彼女は告白がどうとかいう精神状態にない。一刻も早く友達を探しにいきたい心境なわけなんだよ」

「おいおい」ノアが血相を変える。「そんなら、告白は別の日にした方が良かったんじゃ」

 その目前で、カズマは正確に二度、人差し指を振った。

「それは逆だよ、ノア。別の日だったら告白は一蹴される。ヨウコはきちんと考えた上で、その結論に確信と責任を持った上で完膚無きまでにお断りする。そしてもう気にもかけない。思い出のアルバム行きだ」

「それは、キツイな」鶴田がげんなりした顔でつぶやく。「俺なんぞ、別に好きでも相手からだって、ラヴレターの一つでも貰ったら一週間は事あるごとに読み返すぞ」

「僕もだよ」カズマは微笑む。「話を戻そう。今日のヨウコは、友達の失踪の件で普通の精神状態じゃない。これは分かるよね? 彼女自身、その自覚があるはずだ。つまり、同じお断りの返事でも少し誠意のない対応をしてしまったんじゃないか、急ぐあまり失礼な態度を取ってしまったんじゃないか、と後日反省する可能性が高い」

「おおっ、つまり――?」ノアが拳を握りしめる。

「つまり、柴田さんの件が一段落した後、セカンドチャンスを貰えるかもしれないわけ。しかも、ヨウコの方から、前は失礼な態度をとってごめんなさい的なコンタクトを取ってくることが期待される。この敗者復活戦こそがノアにとっての真の本番になるんだ」

 なにせ、一度断っている身の上だ。呼出して更に念押しでフルというなら、流石のヨウコも及び腰になる。声がかかった時点でデートにでも誘えば、そうそう断れないだろう。そこで何か演出できればワンチャンスくらいは生まれる。限りなく確率は低くとも。

「すげえ!」ノアが叫びを上げた。「そこまで読んでの二段構えかよ。親方、マジ策士じゃん」

「こいつ、寝てるから成績は悪いけど、こういう実戦勝負ではえげつない心理戦しかけてくるからタチ悪い強さ発揮するんだよな。むかしから」

 鶴田が素直に喜べない褒め言葉をこぼす。

「もちろん」はしゃぐノアにカズマは冷静な口調で告げた。「セカンドチャンスの件は賭けだ。保証があるわけじゃない」

「ああ、分かってる」

「でも、その可能性を作れる機会は今日をおいて他にないんだ」

「なんか、聞けば聞くほどイケそうな気がしてきた。親方を頼ってマジで正解だったわ」

 そうこうしている間に、約束の時間は刻一刻と近づいてきた。

 カズマと鶴田は早めに物陰に退避。ノアだけを残してヨウコの登場を待つ。

「しかし、なんだかんだと今日のところはフラレる前提なんだよな」

 鶴田が小声で言った。死角になる体育館の壁際、しゃがんだカズマに対し、彼は中腰でその上から顔を覗かせている。

「正直、今日のヨウコからOKの即答取れる男は地球上に存在しないよ」

 噂をすれば影がさす――とはよく言ったものだった。

 直後、角の向こうから人影が現れた。約束の時間より随分早い。加えてまだシルエットでしか判別できない状態である。だが、背格好と歩き方からカズマは確信した。

 千葉ヨウコその人だ。

 予想通り、彼女は連れの類を伴っていなかった。事が済み次第、直で帰路に就く気だろう。すっかり帰り支度を整え、通学鞄を片手にしている。

 注目の告白シーンはすぐに始まった。ヨウコが距離を詰め切るのを待つより早く、ノアの方から声をかけたのである。が、陽気に握手でも求めるかと思いきや、彼はぺこぺこと頭を下げ始めた。外見はどうあれ、この国で生まれ育った彼の中身は完璧に日本人だということだ。

「女に不自由してこなかった男とは思えない卑屈さだな」

 鶴田が呆れ半分に囁いた。

「気圧されてるんだろうね。なんだか知らないけど、今のヨウコは相当気が立ってる」

「分かるのか?」

「歩き方からして、もう完璧に飢えた肉食獣だね」

「まあ、完璧に喧嘩売ってる手紙だったしな。内容考えれば当然か」

 もはやカズマでなくとも、事態が剣呑な方向に展開しつつあるのは明らかだった。

 ノアは必死に頭を下げつつ、大袈裟な身振り手振りで必死に何かを訴えている。

 対するヨウコは腕組みしたままの仁王立ちであった。右足の爪先だけが苛立たしげに地面を叩いている。カズマと鶴田からは距離があるため会話を聞き取れないが、告白シーンに相応しからぬ内容であることは間違いなさそうだった。

 そしてまた状況が動く。

「なんだなんだ?」鶴田が声量を抑えたまま器用に叫んだ。「なんかノアのやつ、ついに土下座しだしたぞ」

「うーむ」これにはカズマも唸った。「ちょっと予想外の展開だな」

「ってオイ。あいつ、なんかこっち指差してねえか?」

「ヨウコもこっち見てるね……猛禽のような目で見てるね」

「千葉さん、なんか歩き出したけど。まっすぐ近付いてきてますけど」

「殺意のオーラをまとってるね」

「あの子、自分をコケにした奴には拷問とかしちゃうタイプなんだよね。カズマ君?」

「顔色を変えずに人間を肉塊に変えちゃえるタイプだよ。モナミ」

「俺たち、死ぬのかな」鶴田が諦観を漂わせた顔でつぶやいた。

「いや、なにも揃って犠牲になることはない」カズマは微笑を浮かべ、優しく親友の肩に手を置いた。「ここは君に任せて、僕だけでも逃げるんだ」

「一瞬感動しかけたけど、お前最低だな」

 カズマはその声を完全に無視して、彼に背を向けた。近くに転がっていた木の枝を素早く拾う。地面に矢印を引き、鶴田に向けた。最後に「私が主犯です」と書き殴った。

「よし、これでいける!」

「行かすか!」

 脱兎の如く離脱をはかった矢先、鶴田にシャツの裾を掴まれた。

 つんのめって転倒しそうになる。両手を地についてなんとか身体を支えた。

「鶴田君。キミには自己犠牲の精神というものがないのか」

「お前が言うなっ」

 両手両脚を総動員して前に進もうとしたが、鶴田もがんとして掴んだ服を放そうとしない。

 その時、砂を踏みしめる渇いた音がした。

 破滅の訪れを告げる音色であった。

「カァズマくぅん」

 底冷えのする声で名を呼ばれる。それで一切の抵抗、及び遁走の意思、機会は失われた。本能と肉体が絶望を理解し、動作を停止させる。

 もう、動くのは首から上だけだった。

 カズマは六秒かけて、錆びたブリキ人形のように振り返った。

「やあ……ヨウコたん。奇偶だね。どうしてこんな所で会ったんだろう。運命かな」

「運命を知りたいの?」

 彼女はにこにこ笑っていた。顔の下半分だけに限って笑っていた。

「私に見えてるのはね。とある人物の逆鱗に触れてしまった愚か者が屍と化す――三十秒後に訪れるであろう、決して逃れられ得ない運命なんだけど。これって誰の末路なんだろう。ねえ、カズマ君。あなたご存じなくって?」

「多分だけど」震える声でカズマはなんとか絞り出した。「ツで始まってタで終わる苗字の人じゃないかな。間にはルが入る気がする」

「……お前最低だな」鶴田が間髪入れず言った。

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