地底の嘆き
028
磨き上げた木炭を思わせる艶めいた黒色の車輪は、わずかな軋み音すら立てることなく、ゆっくりとその運動エネルギィを手放していった。
流石は国家機関規格といったところか。護送用の馬車は工作精度が非常に高いのだろう。
その挙動には宮廷をいく貴婦人の優雅さが感じられた。
人攫いたちから奪って以来、カズマが酷使してきた安物など、これを前にすればただの騒音発生装置に過ぎない。
ただ、貴婦人はスコッチに訊いていた通りの異様な風体だった。
どこまでも黒一色で徹底統一されたそのカラーリングは、さながら喪服だ。
優しい朝の光の中にあってさえ、どこか禍々《まが》しさすら感じさせる妙な圧を備えている。
正面から向かい合うカズマからは確認できないが、こうなると所属を示すような文字や紋章を含め、車体からはあらゆる装飾が排されているという話も事実であるに違いない。
これを引くのは焦茶色をした二頭の馬だが、彼らはまるでこれから赴く場所とその意味を熟知しているかのように厳粛さをわきまえていた。
「――そこの者」
カズマの存在に気付き、一〇メートルほど前で馬車を停止させた御者が声を上げる。
「本日、この区域は立入り規制がかけられている。所属と氏名、目的を述べよ。お前は公務の妨げとなっている」
言葉の途中、馬車の扉が内側から開かれた。
空間が歪むほど強大な圧を放ちながら、中から男女二人組が下りてくる。
着衣はどちらも全身黒一色。
中華服とも西洋系の司祭が着る法衣ともつかない上着に、ゆったりとした厚手の長ズボンを履いている。
猛禽めいた隙の無い目つきは、何度かTVモニタごしに見たことのある国務大臣のSP――要人警護のスーツ組そっくりだった。
間違いなく、噂に聞く処刑部隊の封貝使いだった。
恐らくどちらも人間だろう。
男の方は外見通りなら教育実習生に近しい年代の若者。
対して女性は、その母親に相当する年代に見える。
二人は本当に親子で、自分は彼らの父親であり夫である男の仇なのではあるまいか――。
そう錯覚させられそうな表情で、彼らはカズマから視線を逸らさない。
今この瞬間にでも喉元を噛み千切らんと飛びかかってきそうな、猛犬の顔だった。
――来る!
そう感じた瞬間、カズマは反射的に怒鳴りあげていた。
「誰もそこを動くなッ」
封貝を通して作り上げられ、更に拡声された別人の声が周囲に響き渡る。
その木霊が消え去らないうちに、カズマは右手側に広がる森の木立の中に、口訣省略で合図用の〈*ワイズオレイター〉を召還した。
初めて呼び出した時に試したことだが、カズマがそう望めば、この封貝は投擲に近い速度でそのまま遠くへ飛ばすことができる。
飛行距離は、やはりカズマが手で同じ大きさの硬球を放り投げる程度。
加えて描かれる軌道も緩い放物線をなぞるとあって、その挙動は徹底して遠投に近い。
そうした使い方をまるでしてこなかったせいでカズマ自身忘れかけていたことだが、〈*ワイズオレイター〉はあくまで〈Fox 2〉。
すなわち、射撃・遠距離用のカテゴリで呼出されている封貝なのだ。
空間上に固定するのではなく、こうして射出して使うのが本来的なあり方なのだとも考えられる。
真偽はどうあれ、〈*ワイズオレイター〉は、右斜め後方へカズマから遠ざかるように飛んでいった。
ほぼ気配を発さないため、処刑部隊に気取られた様子は全くない。
ややあって突如、耳を劈く爆発音が周囲に轟き渡った。
準備をしていたカズマすら一瞬、戦慄で身を固くしてしまったのは、それが想定より随分と近いところから鳴り響いてきたからだった。
距離にして恐らく二、三〇メートル。
そちらを見ずやみくもに放ったせいだろう。
途中、木の幹や枝にぶつかるなりして、思いのほか飛行距離を稼ぐことができなかったに違いない。
だが、それは悪いばかりではなかった。
当然、何も知らなかった護送班はカズマ程度の衝撃では済まない。
不審者との間合を一気に詰めようと構えかけた彼らは、刹那、完全にそちらへと意識を逸らす。
確かにそれには、職業軍人をしてそうせざるを得ない威力があった。
その一瞬の隙に好機を見出し、カズマは再び声を張り上げた。
「我々は解放結社〈地底の嘆き〉である!」
馬鹿正直に本名を名乗り上げる必要はない。
適当にテロ組織をでっちあげ、続けた。
「冤を着せられ貴様等より不当に断罪されてきた無実の者たち、その無念を代弁するために我らは立ち上がった。盲目の黒き羊ども、インカルシ護士組よ。カタコウムに木霊する真実の嗚咽を聞け!」
二名の封貝使いが、唇を素早く動かした。
それは、カズマにも聞き取れないほどに小さな口訣であったらしい。
気付けば、男性は突撃銃型の銃を、女性は馬上の騎士が携えるような、手元から伸びる細長い三角錐のランスを、それぞれ構えていた。
カズマの知るランスとは先の尖った突き刺すだけの武器だが、彼女のそれは錐体を成すほとんどの直線部分に刃がついており、斬撃も可能としているように見えた。
長さは一般的な長剣より若干長い程度。
一メートル台前半だろう。
ヨーロッパの騎士用ランスは――TVゲームで得た知識を信じるなら――片手用武器としては最長の部類。
二メートルから時にその倍に及ぶこともあったというから、もはやシルエットだけ似た別物と考えるべきなのかもしれない。
どうあれ、スコッチの喉元にナイフを突きつけるカズマの威嚇を前に、処刑部隊はその武器を振るうことを許されない。
どうやら彼らは、既に人質が職場のOBであることに気付いたようだった。
一瞬、交わし合った目配せでもそれが察せられる。
揃って苦々しげな表情を見せたあたり、無視して強硬手段に出ることが戸惑われる程度には、スコッチ・スウォージに人質としての価値を見出してくれたらしい。
そこは腐っても退役隊員。スコッチは護士組にパイプを持ち、今なお相応の影響力を持っているのだ。
「〈地底の嘆き〉とやらに問う。お前の目的はなんだ」
膠着状態に痺れを切らしたか、女性隊士が睨み合いの均衡を破った。
カズマはすぐに用意していた言葉を投げ返す。
「貴様等が〈卑吝の丘〉に強制連行し刎頸せんと目論む、護士組の呼ばわるところの〈赤繭〉は罪無き善良なる国民である」それっぽい表現を意図して多様しながら続けた。「我々の要求はただ一つ。即刻、彼女の身柄を解放せよ」
「できると思うか――?」
時間を稼ぐつもりか、出方を窺っているのか。
女がすっと目を細めて凄みを利かせた。
もちろん、それに怯んだ素振りは見せられない。
「拒めると思うか――?」
即座に、強気の口調で切り返した。
が、眼前の交渉にだけ捕らわれるわけにはいかない。
盤面を広く。カズマは自分に言い聞かせ、思考をワイドに巡らせる。
もし、女隊士によって口火の切られたこの交渉が時間稼ぎだとすれば、それがなんのための時間を得ようとするものであるかを考えねばならない。
カズマが知らない封貝の能力で、知らぬ間に援軍を呼ばれたか――。
その可能性は否定しきれない。
むしろ高い。
だがこれは、カズマ自身が今から何かの対抗手段をとることができる問題ではない。
考えても仕方がないこととも言える。
ならば、考慮すべきはもう一つの可能性だった。
つまり、進路の監視役として上空にいた封貝使いが、密かに回り込んで背後からカズマを仕留めにかかってくるパターンだ。
この作戦を成功させるために向かい合う二名の隊士が、カズマの意識を正面に釘付けにする。
交渉にのるふりで会話を進めるというのは、そのためのもっとも効果的な手段と言えるだろう。
定石とも言える手口であるだけに、効果は極めて高い。
自分が相手の立場なら間違いなく試すだろう。
カズマはそう結論する。
なんにせよ、彼らがどの策を取ったところで、それは時間の問題で成功するはずだ。
もし、カズマが単独であったなら、だ。
そろそろか――
そう思ったのと前後して、遠くインカルシ方面から爆発音が響き渡ってきた。
思わずにやりとするカズマの表情に、処刑部隊は果たして気付けたか。
若い男性隊員に到っては、顔色を変えて身体ごと後ろを振り返っている。
女性の方は流石のプロ意識を発揮して敵から視線を切るという迂闊を見せなかったが、動揺を隠すことまで完全に成功させることはできなかった。
「なにが……」
若手がインカルシ方面とカズマとの間で視線を忙しく往復させている間、第二の爆音が木霊した。
この段に到って、また馬車の扉が開き、何事かと三人目が下りてくる。
焦茶色の髪と、同じ色をした口ひげを蓄えた白人の壮年男性だ。
「お前たちが要求に従わない場合、インカルシの各所に設置された爆発物が起動し続ける」
カズマは努めて冷徹な口調を徹しながら続けた。
「〈地底の囁き〉は私にだけ聞こえているわけではない。我々に聞こえているのだ」
言って、この犯行が個人ではなく組織によって行われていることをほのめかす。
これで人質と囚人交換は、インカルシ内で始まったとらしき同時爆破テロと関連づけられる。
詳細を把握できない処刑部隊は、事のスケールが雪崩をうって巨大化していく状況に対し、後手に回ったことを強く意識する。
主導権が犯行グループにあることを認めざるを得ない。
カズマの一挙手一投足に対して慎重になるほかない。
相手の心理を透かしてみながら、カズマは畳みかけた。
「真実を探そうとしない愚者どもよ。轟き渡るこの木霊こそ、貴様等に咎なくして自由を、生命を、尊厳を奪われ踏みにじられた人々、そして彼らと痛みを分かち合った同胞の嘆きと知れ!」
そして、第三の爆発が起る。
巫女のネネと医療師シュウは精力的にやってくれているらしい。
そしてもう、処刑部隊は理解したはずだった。
今、目の前で発生しているのは、インカルシがかつて経験したことのない未曾有の大破壊である。
そう誤解したに違いなかった。
「繰り返す。〈赤繭〉を即刻解放せよ。それともインカルシの街が瓦礫と化すまで、貴様等に〈囁き〉は届かないというのか?」
「貴様らッ……罪もない、無関係の市民を大勢巻き添えにしながら、義憤を気取るのか」
若い男性隊員が、怒りに耳まで紅潮させて叫ぶ。
「フッ」
カズマは鼻で笑った。半分は演技ではなく本気だった。
それから打って変わって冷ややかな抑揚のない声で言った。
「罪もない無関係の者を、か。どの口でそれを語る? 今、インカルシで起っていることは、お前たちが法の名のもと、無罪の善人に鉄槌を叩きつけてきたこととどう違う」
「詭弁を弄するな!」
若人は握り拳を震わせて熱弁をふるう。
「我々は法の手続きに乗っ取り、私情を排し、公共の福祉と秩序維持のために罪人を適切に裁いてきた。人が運用する以上、法は確かに常に完全とは言えない。我々は神ではないのだから。
だが、現行の法とはすなわち、人々が努力や反省、改善の歴史を重ねながら少しずつ練り上げてきた、その時における最善のものなのだ! 我々、司法に携わる者はそのことに誇りをもって日々、公務に携わっている!」
「人間は完全ではない。最善を尽くした。……それらは、過ちを犯した者が吐けばただの自己弁護にしかならない」
カズマは言下のもと返した。
「貴様が釈明に使ったその言葉は、〈地底の囁き〉が貴様等を許すときに使ってこそはじめて意味を持つ。それを解さぬ下賤の輩よ。適切という表現を用いた者が、かつて適切であったことがあるか顧みるがいい!」
「では、どうせよと言うのだ!」
「過ちを過ちと認め改められぬ者が反省を、歴史を、最善を口にするな」
言葉が終わらぬうちに第四の爆発が発生した。
恐らく、上空の封貝使いの目には、インカルシから立ち上る黒煙も見えはじめているだろう。
「もう良い、マッシュ」
「しかし、隊長!」
諫める口髭に、まだ収まらないという若者が抗議の声を上げる。
だが口髭はそれ以上、取り合わなかった。
「くそッ……」
かわりに馬車を横向きに殴りつけて罵声を吐く。
それから彼は眉間に深い皺を刻み、瞑目して何か考え込みはじめた。
やがて目蓋を固く閉じたまま、絞り出すように切り出す。
「やむを得ん……〈赤繭〉を、出せ」
「ゲルク!」
これには、年嵩の女隊員も正気を疑うように詰め寄る。
「レジィ女史。こうするしかないでしょう。ここまで事が大きくなってしまった以上、もう、我々の判断の領分を越えている。分かって下さい」
チームの母、あるいは姉御的存在として、リーダーからも一目置かれているらしい。
女は最上限の敬意と共に口髭から理解を求められ、渋面で黙り込む。
処刑部隊の意思が決定された瞬間であった。
口髭の隊長が指示を出し、馬車の中から〈赤繭〉が運び出された。
それは――本当に、赤繭としか表現のしようのない物だった。
もとはナージャの首元に巻き付いていた紅いマフラーだろう。
それが限界まで伸び、ぐるぐる巻きになってカプセル状の繭を形成している。
負傷で行動不能に陥った場合、そうしてナージャを守るよう自動プログラムされていたのかもしれない。
一目見て、ぎょっとした後に訪れたのは安堵だった。
もし、捕まってからずっとあのままであったのなら――
厳しい尋問や、人間性を無視した耐えがたい拷問などはなかった可能性が高い。
「同志をその場に下ろしたら、全員、馬車に乗込んで後方に下がれ」
馬車がバックできるのかは分からない。
だが、処刑部隊の反応を見るに、どうやら可能であるようだった。
彼らは若手を中心に逡巡、抵抗する様子を見せたが、その間にもまた上がった街からの爆発音が決定打となった。
カズマへ憎悪の視線を向けつつ、要求通り馬車に戻っていく。
やがて御者が手綱と韃を巧みに操り、黒塗りの馬車をゆっくりと後退させた。
五メートルほど下がったのを見届け、カズマは封貝を通して声を発した。
「聞こえるか、クラウセン!」
敢えてファーストネームを避け、ナージャに呼びかける。
声を変えていることもあり、彼女が自分の正体に気付いてくれるかには不安もあった。
そもそもナージャは〈*ワイズオレイター〉のことを知らない。
この球体のスピィーカー型封貝が出現したのは、別行動を取り始めた後のことなのだ。
しかし、カズマの不安は杞憂に終わった。
それはまさに一瞬の出来事であった。
いきなり赤繭に亀裂が走ったかと思うと、次の瞬間にはもう繭はほとんど消え去っていた。
まるで、巻き取りボタンを押された掃除機の電源コードだった。
びゅるんと音が聞こえてきそうな勢いで、繭が一気に分解、収縮する。
気付けば、伸びきっていた綸子は元のマフラーに姿を戻し、ナージャの首元に戻っていた。
繭の内側は液体で満たされていたらしい。
ナージャはその中、羊水にたゆたう胎児のごとく膝を抱えた姿で収まっていた。
彼女を包む巨大な水泡は、魔法さながらに宙を漂っていたが、やがてゆっくりと地面へ向かって降下していった。
水風船を叩きつけたかのような、ばしゃりという重たい水音が周囲に響き渡った。
水泡が弾け、周囲の地面に染みこんで消えていく。
そこにはただ、ナージャだけが残された。
眠っていたわけではないらしく、彼女はすぐに目を開いて身を起こした。
不思議なことだが、液体にどっぷり浸かっていながら、その肌には水滴の一つも残っていない。
別れたときそのままの衣服を纏っているものの、それにも水気を含んだ様子はなかった。
彼女は、天敵に出くわした猫科の動物を思わせる動きで、びょんと大きく跳ねた。
助走もなしで幅跳びの世界記録を越える跳躍を見せると、カズマの真横にぴたりと着地する。
その足元には口訣省略で呼出した〈*脚踏風火〉、手には炎の槍がいつの間にか握られていた。
「――ダーガ」
ナージャは油断無く正面の馬車を見据えたまま、カズマだけに聞こえる声量で言った。
「まさか、救出に来ていただけるとは」
その口調は封貝を複数召喚した時のみに出る、あの〝できる方〟のそれだった。
この時のナージャはいつもとは真逆、冷静沈着で思慮深い理知的な喋り方をする。
「お手数をおかけして申し訳ありません」
カズマはしばらくの間、口を半開きにしてその横顔を見詰めていた。
実感がわかなかった。
今、すぐそばに――
手を伸ばせば容易に触れられる距離にナージャがいる。
ナージャだ。あの、ナージャと言葉を交わしている。彼女の声を聞いている。
もう会えないかもしれないとさえ思っていた少女だ。
カズマの指示で危険に直面し、理不尽に殺されかけた命。
それが、ここにある。
何事もなかったように、何の恨みも感じさせないいつもの口調で、「ダーガ」と自分を呼んでくれている。
この世で彼女だけしか使わない、その呼びかけ方で。
その事実を心が受け入れるまでに、自分でも驚くほどの時間がかかった。
「ダーガ?」
怪訝そうな声と共に、一瞬、彼女が横目にカズマを窺ってくる。
それでようやく、カズマは我に返った。
自分が、感動に近しいもので呼吸も忘れていたことを理解する。
「こっ……ちらこそ」
舌をもつれさせながら、カズマは取り繕うように早口で続けた。
「大変な思いをさせちゃって本当にごめん。逃げ切れたら、改めて謝らせて貰うよ」
捲し立てると返事を待つことなく、カズマは封貝を召喚した。
それは森の中に現れるとすぐ地面を転がり、一〇秒もしないうちに消えた。
もし、処刑部隊がその存在に気付いたとしても――恐らくその可能性はゼロ同然だろうが――何が起ったか理解できなかったに違いない。
というより、何も起らなかったように感じられたことだろう。
だが、それは不発でも動作不良でもなかった。
主に一〇代の若者にしか聞こえないといわれる高周波数の音――いわゆる〈モスキート音〉をまき散らしたのである。
これは、後方支援に控えるオックスだけに聞こえる合図として考え出されたものだった。
事前の打ち合わせで、彼には「キーンという甲高いノイズ音が聞こえたら煙を出せ」と指示してある。
そして実際、オックスはうまくやってくれた。
一分もしないうち、森のあちこちから煙幕が垂れ込め始める。
オックスだけでなく、エリックや他の先住民族たちが逃げながら〈モックノフの実〉を火に投じてくれたのだ。
あとは、この混乱に乗じて逃げ切るだけでいい。
「――逃げるよ、ナージャ」
カズマは小声で言うと、今度は囚人護送の馬車へ向けて怒鳴りあげた。
「インカルシ護士組が冤罪を着せ処刑せんとしていた無実の同胞、確かに受取った。しかし、これは一時的な解放であってはならない。以降、彼女は本件に対し恒久的に保護されるべきである。
よって我々への追跡は一切、認められない。自由という正当な権利。これの遵守が認められた時はじめて、インカルシ内での連続爆破は収束し、協力者であるスコッチ・スウォージは帰路に就くであろう」
追いかけてくるな。
逃がさないなら爆破テロは終わらず、スコッチも解放しない。
要約すればそのような解釈になる要求を一方的に叩きつけ、カズマはスコッチを封貝の力で持ち上げた。
〈*ワイズオレイター〉は基本的に封貝の気配を発さないため、逃走時にも展開していられる。
攻撃力がない代償として、それなりの特典はあるということだ。
「ナージャ、身体の具合は?」
「七割ほど戻った、というところでしょうか」
言うが早いか、彼女は横からカズマの腰に腕を回した。
恐るべき膂力が加わり、カズマの足が地から離れた。
クレーンゲームで吊されるぬいぐるみの扱いだ。
「うわっ――?」
「行きます」
加速に備えて、ナージャが軽く腰を落すのが感じられる。
「駄目だ、ナージャ」
カズマは慌てて制止した。
「封貝を使ったら気配を辿られる!」
煙幕の効果は絶大で、早くも濃霧のように視界を白靄で覆いつくさんとしつつある。
慣れた者でも、やもすれば方向感覚を失っておかしくない。
だが、封貝を使えばそれも無意味になる。
警察犬を相手に匂いを残すようなものだ。
「封貝はできるだけ出さないで。気配を断ちながら、走って逃げるんだ」
「それで逃げられますか?」
「やるしかない」
得心がいったのか、ナージャが腕から力を抜いた。
解放されたカズマは再び自分の足で立つことになる。
立場を逆転させ、彼女の手を取って軽く引きながら言った。
「ナージャ、こっちだよ。煙の中でも方向が分かるように、高周波数の音を出す封貝を西方面にバラ撒いてある。僕が有効射程の五メートル圏内に近付けば、自動的に再生されて消える仕組みだ。ナージャ、聞こえる?」
「この、キーンっていう耳鳴りみたいなののことか?」
槍と〈脚踏風火〉を引っ込めたナージャが、いつもの天真爛漫な口調で答えた。
「これがダーガの封貝なのか」
「そう」
走りだしながらカズマは頷いた。
「音を操るFox 2〈*ワイズオレイター〉だよ」
「それとダーガ、私たちと同時に四方に散らばり始めたこのペルナ使いの気配は……?」
「たぶん、白虎四番隊の連中だ。色々あって、奴らと一時的に組むことになったんだよ。僕らの追跡を攪乱するために、ああしてわざと封貝の気配を出しながら違う方向に逃げてくれてる」
「なんだかよく分からない事になってるんだなあ」
ほとんど自棄に近い心境で笑みを浮かべながら、カズマは深く同意を示す。
この異世界とは一体何なんだ――?
息を切らし、懸命に走りながら思った。
幼馴染が行方不明になった。
前後して、自分は片腕を切断する重傷を負った。
それでもめげずに幼馴染を探しに決死の覚悟で〈世界の果て〉を越えてみれば、人攫いの一味に騙され奴隷商に売り払われかけた上に、ナージャは無実の罪で投獄。
そして今は軍隊相手に逃走中と来ている。
ここまでの状況におかれるような、何か悪いことをしたか?
この不幸に見合う何かを、事前に得でもしたか?
いずれも断じて否としか言いようがない。
「ほんと、なんでこうなったんだろ」
「――弱い奴はいつもそうだな。理由を求める」
独語に返ってきた思いもしない声に、カズマはびくりとして足を止めた。
もはや、もうもうと立ち籠める白煙は、伸ばした自分の腕の先端が霞んで見えるほどに濃くなっている。
声の主は、その向こう側からゆっくりと姿を現わした。
「理由なんてあると思うか?」
ショウ・ヒジカが気だるげな顔で言った。
「たとえ理由を知ったとしても、何もできない。結局、変わらないんだよ。お前らは」
「お前、嘘ついて私を悪者にした、あの時の本物の悪い奴だな!」
ナージャが詰め寄るように一歩前に出た。
カズマを自分の背後へ隠す位置を取る。
「久しぶりだな〈赤繭〉。まさか女だったとは思わなかったぜ」
にやりとしながら、ヒジカは値踏みするようにナージャを眺める。
「怪我の具合はどうだ?」
「お前の知ったことか!」
「まだ全快とはいってないか」
以前、対峙した時と覇気を比較でもしたのだろう。
実際、カズマが聞いた「七割程度」という自己申告は、ヒジカの見立ての正確性を証明している。
彼自身も目測を疑っていない様子であった。
「惜しいな」と小さくつぶやくのが聞こえる。
「そんなことは良いから、お前謝れ」
ナージャが腕を振り回しながら迫った。
「私は悪いことしてないのに、お前のせいで牢屋に入れられたんだぞ」
「だから、こうして部下を貸してやっている」
言葉とは裏腹に、ヒジカは悪びれた様子なく肩をすくめて見せた。
「喜べ。護送班の封貝使いは全員、面白いように餌に食い付いた。ついて来い。この先に、俺が用意しておいた逃走ルートがある。それを利用しさえすれば、もう奴らがお前たちに追いつくことは不可能だろう」
ショウ・ヒジカは言うだけ言うと踵を返した。
返事も待たずにさっさと歩き出す。
やむなくその背を追うこと一〇分ほど。
森を分け入った先に待っていたものは、果たして追跡を断つという意味においては確かに最善かもしれない経路だった。
即ち、地下通路――下水への入口である。
それは一見、緑に覆われた瘤状の小さな丘でしかなった。
直径三メートル半の巨大な大福が、空から落ちてきてひしゃげたような形状をしている。
高さは一番落差が大きい部分でも一メートル前後といったところか。
広大な森の中にあっては、別段目を引くようなものではない。
似たような大地の隆起は探せば幾らでも見つかるだろう。
だが、反対側に回って良く見ると、違いを一つ発見できる。
丘の盛り上がった部分が抉れたように窪み、草と影に隠れたその奥に鉄の格子が嵌め込んであるのだ。
「こんなところに下水道の入口が……?」
「これは下水じゃない」
カズマのつぶやきを、ヒジカが冷たく否定した。
「上水だ」
「じょうすい……ってなんだ?」
とナージャ。
「下水は、使って汚れた水のことだよ。それを街から海とかに流して捨てちゃうための水路が下水道。上水は、たぶん反対だね。飲んだり、水浴びに使ったりする綺麗な水。それを川から街に引き込む水路を上水道って言うんじゃないかな」
「その説明は、大体間違ってはいない」
ヒジカが親指で背後の入口を指しながら続けた。
「この森を北に行くと、横に長く続いてる山脈にぶつかる。その山を越えて更に北に行くと流れているのが大きな川だ。インカルシはその両方から水を引いている」
ヒジカは足首を使って足を上下させると、足の裏――母趾球のあたりで地面を叩いた。
「この森の地下には、そのための水道管が埋まっている。木樋ってやつだ」
樋とは管のこと。つまり文字どおり、木製の樋というわけだ。
かつて〈果て〉に北半分を食千切られる前のことだ。
東京都には千代田区という場所があった。
皇居があることでも良く知られた所であったと聞く。
その千代田区の失われた部分には、水道橋というエリアが含まれていた。
この水道橋の名前の由来こそ、まさにこの木樋である。
江戸時代、水道管と言えばそれはまだ木樋を指していた。
川をまたいで向こう岸まで水を送る必要があるときは、橋のようにこの木樋を川の上に掛けて通らせた。
いわゆる掛樋である。
水道のための橋。すなわち水道橋。
「中学の時、社会の担当が樋口っていう先生だったんだ。彼は先祖が木樋の出入口の近くに住んでたから、自分は樋口って苗字なのかもしれないって言ってたよ」
「じゃあ、私たちはその木樋を通って逃げるのか?」
ここまで来れば、流石に話の展開も読めるということだろう。ナージャが問う。
「そういうことだ」
ご明察、という顔でショウ・ヒジカは口角を持ち上げた。
「この辺りの木樋は、メンテナンス用に人間が出入りできるサイズのデカイやつが走っている。しばらく道なりにいけば、天然の地下水脈にぶつかる。これも人の手が入って歩ける場所が多い。
ルートをうまく選べば、それほど苦労せずに森を抜けた所まで行けるはずだ。地下に潜れば、封貝を使っても気配は漏れにくい。お前たちにとっては悪くない話のはずだ」
「……確かに」
カズマは渋々ながら認めた。
日本では、成人が入って動き回れるほど大きな木樋は珍しいはずである。
だが、ここは異世界オルビスソーだ。
文化どころか、物理法則すら同じであるという保証はない。
「これが、お前たち用の餌だ。鉄格子を外して中に逃げ込みさえすれば、ハッピィエンドが待っている」
ショウ・ヒジカはそこで一度、口を噤んだ。
意味有りげな沈黙を挟むと、ややあって再び口を開く。
それはまさに、カズマが恐れていた一言そのものだった。
「残る課題は、俺を斃すことだけということだ」
「なにっ」
ナージャが反射的に身構えた。
右手には早くも得物の火尖鎗を呼び出している。
「お前、やっぱり悪い奴だったのか! 私とダーガをここで殺すつもりか」
「赤繭の方は話が早くて良い」
ショウ・ヒジカは満足そうに笑んだ。
「その通りだ。戦うなら餌でやる気になった奴に限る。だが、赤繭。お前はメインディッシュだ。少しこっちと遊んでろ」
そう言って、人の姿をした化物は唱えた。
「――〈Victor 1〉」
▼あとがき
パーン!
アニマヒロキ「あっ……」
アニムスマキ「オラ、立てアバズレ」
アニマヒロキ「乱暴は……乱暴はやめて」
アニムスマキ「お前、週間連載に戻すみたいなこと言って、なんだこれは」
アニマヒロキ「それは……」
アニムスマキ「なにやってたんだ」
アニマヒロキ「…ノ…レイ……」
アニムスマキ「あ?」
アニマヒロキ「ゼノブレイドを少々……」
アニムスマキ「ゲームか」
アニマヒロキ「……」
アニムスマキ「ゲームなんだな」
アニマヒロキ「……」
アニムスマキ「お前、ゲームとか始めたらこうなること分かってたよな?」
アニマヒロキ「はい……」
アニムスマキ「なら、なんでやった」
アニマヒロキ「だって寂しかったの!」
パーン!!
アニマヒロキ「あっ」
アニムスマキ「なに不倫に走った主婦みたいなこと言ってんだこのアバズレ」
アニマヒロキ「だって部屋を片付けてたら姪っ子が置いていったWiiが発掘されて」
アニムスマキ「ソフトも? ゼノブレイドもあったのか?」
アニマヒロキ「あ、ううん。それは自分で買った。前からちょっと興味あったんで」
パーン!!
アニマヒロキ「あっ」
アニムスマキ「お前やる気ないだろ。ゼノブレイドとか最初から執筆うっちゃる気だっただろ」
アニマヒロキ「でも安心して。今週、書いてたらなんかまた50kb近くになったの」
アニムスマキ「お前またそのパターンかよ」
アニマヒロキ「だから強引に二つに割って、その片方を今回出したの」
アニムスマキ「もう半分はストックか」
アニマヒロキ「そう。だから次の分は心配ないんだもー」
アニムスマキ「あっ、ノポン族だ。かわいい」




