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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
28/64

モンスター

 027


 ショウ・ヒジカは何かをぎんするように近くをうろうろ歩き回ると、やがて前触れもなく森の奥へ入っていった。

 二分もせずに戻ってきた彼の左手には、輪切りにされた高さ三〇センチほどの丸太が無造作に握られている。

 どう考えても人間の握力で掴めるような代物ではないが、それは当然のことのようにヒジカの手中に収まっていた。

 その異様な光景をカズマたちが呆然と見守る中、彼は丸太を地面に放り、どかりと腰を落した。

「それで……?」

 と長く細い足を大仰に組みながら、言った。

「この豚をどうする気だ、お前ら」

 豚、の部分でスコッチ・スウォージにいちべつくれながら、ヒジカは問う。

 最初にカズマ。続いてエリック、先住民族オクスゥたちへと順に視線を移していく。

「囚人を取り返そうっていうなら、護送中を襲うのが賢いやり方だな。案の定、その護送ルートであるこの森にこのタイミングで張り込んでいたことを考えれば――まあ、やりたいことは分からんでもない」

 ――完全に手を読まれている。

 カズマはぐっと奥歯を噛みしめた。

 もう、認めざるを得なかった。

 インカルシから尾行されていたのかとも思っていたが、違う。

 彼らはカズマたちの存在を論理的に割り出し、行動を読んだ上でここを突き止めたのだ。

 である以上、下手な誤魔化しはきかない。

 森に迷い込んだ余所者という演技で誤魔化せないか――という思惑は実行に移すまでもなくついえた。

 このままでは作戦は失敗に終わる。

 ナージャは殺され、カズマたち自身もその後を追うことになる。

 間違いなくそうなる。

 すなわち――全滅だ。

 状況を変えるためには、ショウ・ヒジカとその部下達をたおし、口を封じるしかない。

 しかし、そんなことは到底不可能だった。

 オキシオたちは後ろから刃物を喉に突きつけられ、事実上、人質として取られた状態にある。

 そうでなくても、百人長グリーンランクの化物封貝使いに武力で対抗などできようはずもない。

 どうする……どうすれば良い?

 カズマは焦燥に駆られつつ、だが少しずつ戻ってきた思考力で、あることに気付いた。

 それはつまり、なぜこの男たちは自分たちをさっさと殺さないのであろう、という素朴な疑問だった。

 考えみれば、ショウ・ビシカたちの動きはおかしなところばかりだ。

 第一に、インカルシの北側は玄武隊げんぶたいの仕切りである。

 西部をかんかつとするヒジカたち白虎隊が単独でここにいること自体、不自然といえた。

 あるいは応援として駆り出されたのかもしれないが、だとしたらカズマたちを発見、無力化した時点で本隊に連絡を入れるものだろう。

 だが、そうした気配はない。

 なぜ、殺さない? すぐにこうそくしない?

 自分たちは、囚人の護送馬車襲撃を企てる犯罪者だ。混乱する頭で、カズマは現状における自らをそう位置づける。

 ヒジカたちもそのことを知っている。

 その上で襲撃計画を暴き、現場を押さえた。

 なのに警察、あるいは逮捕権を持つ軍人に相当する彼らは、ただ威圧するだけで犯罪者を捕らえようとしない。

 彼はなぜ、おそらく問題になるであろう管轄外エリアまで入り込んだのか。

 テロリストを抹殺も逮捕もしないのであらば、その目的は――?

「おい、お前」

 ショウ・ヒジカのその声に、カズマは我に返って顔を上げた。

 自分にかけられと思ったそれは、だが様子をうかがうと、生まれたての小鹿のように怯えるオックスへ投げかけられたもののようだった。

「そう、お前だよ。チビ」

 すくめたオックスを追い詰めるようにヒジカは言った。

「今すぐ知っていることを話せ。計画を洗いざらいだ。拒んだら、そうだな……」

 ヒジカは品定めするようにカズマたちに視線を走らせ、オキシオのところで動きを止めた。

「まず、そのヒゲの仲間を殺す。嘘を言ったり、何か隠そうとしていると感じた場合は、その度にお前の指を一本ずつ切断していく。髭のも連帯責任で一緒にな」

 一息に言うと、ヒジカは唇を結んで口角をあげた。

 ちゅう類めいたそうぼうをぎらつかせる。

 さあ、始めろ。無言の命令だった。

 オックスはまばたきも忘れて大きく目を見開いていた。

 唇の小刻みな震えはでんしてしたあご全体に及び、血の気の失せた顔は青白いを通り越して土気色に染まっている。

 話せば破滅する。

 だが、口を噤めば自分だけでなく仲間もごうもんを受ける。

 どうして良いのか理解できず、混乱と恐怖でその目尻からはぼろぼろと涙があふれ出していた。

「沈黙、それが答えか?」

 ショウ・ヒジカが一歩踏み出した。

 口訣省略で召喚したのだろう。一瞬前まで空手であったその右手には、いつの間にか封貝《Fox 1》と思わしき長剣が握られていた。

「まっ……待ってくれ!」

 悲痛な叫びを上げたのはサイトだった。

 許可なく声を発した彼に、背後を取っている白虎隊員がけんのんな気配をふくらませる。

 喉元に添えられた白刃が鋭く角度を変え、サイトの首元の薄皮を切り裂いた。

 浅く入ったわずか数ミリのその傷に、鮮血がにじむのが見えた。

 と、ヒジカが笑みの形に唇を歪ませながら、手振りで部下を制した。

 そして、状況を愉しむように言った。

「なんだ。言ってみろ」

「白虎四番隊のショウ・ヒジカ隊長をお見受けする!」

 サイトはおぼれかけた者がようやく水面に顔を出せたというように、必死の形相で口を開いた。

「どうか、その慈悲にすがるチャンスを我々に与えていただきたい。この場を穏便に収めて頂けるのなら、我々には相応の謝礼を用意する構えがある!」

「謝礼?」

 ヒジカが怪訝そうに片眉を吊り上げた。

「そうだ……」

 サイトは唇を素早く舐め、脂汗で顔をてからせながら慎重に続けた。

「つまり、相応の金銭で貴官らの沈黙を買いたい。持ち合わせはそれほど多くないが、約束する。分割にはなろうと、必ず返済する。相応の額をお支払いする!」

「はぁ?」

 ヒジカはかくさながらに目をくと、顎を突き出すようにしながらサイトの方へ身を乗り出した。

「カネだと――?」

 言った後、短い沈黙を挟んで、ショウ・ヒジカは声を上げて笑い出した。

 がすぐに、こうしょうは不気味なほどぴたりと止む。

「馬鹿か、お前は」

 低い声が言った。

「そんなものに何の意味がある?」

「え……っ」

 予期すらしていなかったその返答に、サイトの顔から表情が抜け落ちる。

 一人分の間隔をあけてその隣に立つオキシオも同様の反応を示していた。

 実のところ、思いはカズマも同じだった。

 護士組の威を笠に着て、インカルシに近付く旅人や証人に近付いては、わいをせびる。

 そんなケチな守銭奴というのが聞いていたショウ・ヒジカの人物像であったのだ。

「欲しい物があれば直接それを奪えば良い。なぜ、貨幣を挟む必要がある?」

「しか……しかし……」

「俺は刺激が欲しいんだよ」

 ヒジカは軽い身のこなしで腰を上げた。

 気付くと立ち上がっていたというような、魔法のような動きだった。

 それから両腕を軽く広げ、ゆっくりとした足取りでサイトに歩み寄っていった。

「追い詰められたら、猫にも噛みつく鼠。特にあれは良い。最高の刺激だ。だから、俺はそれを見るために鼠を追い込むんだよ。金が全てだと思っているらからは金を奪う。そして――」

 足を止め、ヒジカは覗き込むようにサイトと視線を絡ませた。

 底冷えするような冷淡な声が続けた。

「金よりも大事なものがると思っているお前らのような奴からは、別のものを奪う。分かるか?」

 サイトが強ばった表情で絶句の気配を見せた。

 その反応で興味を失ったかのように、ショウ・ヒジカはくるりと身体を反転させた。

「まあ、良い。お前の頓狂とんきょうな発言は俺を少しだが愉快にさせた。くだらんことを言い出したら苦しめてから殺そうと思ったが、生かしておいてやる。それに、お前たち、人数が減ると困るんだろ?」

 今度こそ、カズマは身も凍るほど戦慄した。

 このショウ・ヒジカとしいう男は、聞いていたような小悪党ではない。

 それが確定した瞬間だった。

 護送に使われる可能性があるルートは三本。

 そこに二人ずつ配置し、計六人体勢で作戦に挑む――。

 ショウ・ヒジカはそんな計画の一部始終を、一瞬で看破したのだ。

 また、勘定にスコッチを加えていることから、カズマたちの作戦が人質を使った脅迫と交換であることにも気付いているのは間違いない。

「確かにお前たちは小物だ。俺たちに包囲されたことにも気付かず、気付いても対応できずに簡単に背後を取られる。正面からであれ、奇襲であれ、護送部隊とやり合えば一蹴される。だから、取引で人質と囚人を交換するしかない。――違うか?」

 問いとともに、オックスがヒジカの視線に再度、からめ取られる。

 彼はしばらく気の毒なほどガタガタと震えていたが、程なく観念したようにぎゅっと両目を閉じた。

 それが切っ掛けで、また大粒の涙が頬を転がり落ちていく。

 オックスは一拍おき、吐息を漏らすように「そうです……」とつぶやいた。

 犯行計画の自白、奪還計画の破綻を同時に意味する、終わりの一言だった。

 ごめんなさい。みんな、ごめんなさい。

 取り返しの付かない一言を発してしまった、という自責の念からだろう。オックスは半ば泣き崩れるようにうなだれ、呪文のように謝罪の言葉を繰り返し始めた。

 カズマは本人に見えていないと承知で、ゆっくり首を振ってそれに答えた。

 脅迫内容を考えれば、やむを得ないことだった。

 誰も彼を責めようという者はいないだろう。

「ショウ・ヒジカ隊長ッ! なにとぞ、この事は――」

 サイトが懇願口調で何か訴えかけようとする。

「いいぜ」

 言葉尻をとらえて、ヒジカが短く言った。

 刹那、場に水を打ったような沈黙がおりた。

 いいぜ。その言葉の意味を誰もがはかりかねていた。

 文字どおりにとらえるなら、ショウ・ヒジカは何かを肯定したのだろう。

 だが、その何かが分からない。

 意味を理解できない。

 そして、彼が発した次の一言は、カズマたち一行の混乱と沈黙をさらに深めることとなった。

「そもそも、俺はお前たちの計画自体をどうこうしようという気はない。最初からな」

 ショウ・ヒジカは肩をすくめるような仕草を見せると、椅子代わりにしていた丸太にゆらゆらと気だるげに戻っていく。

 カズマたちは発言の真意を探ろうというように、その一挙手一投足を凝視で見守った。

「なんなら、手伝ってやってもいい」

 にやりとしてショウ・ヒジカは続けた。

「首尾良く〈赤繭〉を取り返せたとして、この森から逃げ切るのは難しいだろう。それとも、何か良い手があるのか? お前たちが望むなら、部下に囮役を命じて追っ手をかくらんさせる」

「どういう……」

 カズマは、思わず口にしていた。

「貴方は一体、何を考えてるんだ。何が目的なんだ。どういうつもりで……」

「言ったろう、ワイズサーガ。俺は刺激が欲しいんだよ」

「刺激――?」

「〈赤繭〉を自由にするまでは見逃してやる。手も貸してやる。だから、その後だ。見返りとして、お前らは全力で俺を愉しませれば良い。死にもの狂いで抵抗しろ。全てを賭けて戦え。簡単だろう?」

 言って、幼児に諭しかけるように笑む。

「もう一歩で全てが上手くいく。ハッピーエンドが待っている。そう思った奴らは、猫に食らいつく鼠になり得る。一気に覚醒して思わぬ力を出してくる。俺はそれが見たいんだよ」

 ショウ・ヒジカは、自分の言葉が嘘でないことを示すように、部下へ目配せした。

 それを合図に、白虎四番隊の三人はオクスゥたちの喉元から武器を引き、距離を取る。

 思いもかけない成り行きに、カズマたちは互いに顔を見合わせた。

 サイトに到っては、未だに胴と繋がっているのが信じられないと言わんばかりの表情で、自分の首筋を撫でている。

 再度、作戦の詳細を求められたため、カズマたちは全てを話すことになった。

 中心になったのはオックスだった。

 彼は精も根も尽き果てた抜け殻状態で、ほとんど思考が働いていないように見えた。

 質問を投げられると、ぽそぽそと機械的に返すことが分かって以降、ヒジカは特に彼に狙いを絞って情報を引き出していった。

「――なるほど、〈モックノフの実〉。こいつら、なかなか考えているようですね。隊長」

 丸太に座り黙って話に耳を傾けるショウ・ヒジカの真横、主に仕える執事のように直立不動の構えを取っているのが、髭面の副官だった。

 部下の言葉に、ヒジカはフンと鼻を鳴らした。

 その反応は肯定とも否定ともつかない。

「まあ、良い。もう護送馬車は玄武門を出たはずだ」

 百人長グリーンクラスの四番隊隊長は、深みのある低音で言った。

 その声量はほとんど囁きにも近いが、不思議と良く通る。

 彼の指摘通り、既に夜は完全に明けていた。

 この北の森にも、あちこちに朝の優しい木漏れ日が差し込み始めている。

 一時間をゆうに越えるゆっくりとした尋問の最中には、夜明けを告げる鐘も鳴っていた。

「お前らは散開して適当な位置に付け。モックノフの煙幕を確認したら、適度に封貝の気配を巻きながら、姿を見られないように散開して、追っ手どもの目を引きつけろ。奴らに発見されたら、深夜、西側から森に入り込もうとしていた不審な人影を発見。これを追跡していたとでも言いつくろっておけ」

「了解」

 三人の隊士は異口同音に発すると、すみやかに動きはじめた。

 出していた封貝を全て引っ込めて気配を断つと、木立の向こう側へと消えていく。

 この一連の動きが眼前で展開されるに到って、カズマたちは揺れ始めた。

 手出しはしない。むしろ協力しても良い――等というかんげんを真に受けて良いのか。

 信じて安心した瞬間、背中から撃たれやしないか。

 そんな不安が付きまとうショウ・ヒジカを、今は少しだが受け入れかけている。

 否、ここまでくればもう、結果はどうあれ受け入れるしかない。

「――仲間を取り戻したあと、あなたと戦えというのなら作戦がいる」

 カズマは覚悟を決めて言った。

「護送部隊が相手でも同じように、非力な僕らはノープランだと強い封貝使いにはとても太刀打ちできない。勝負を楽しみたいのなら、僕たちに戦術を練る機会を与えて欲しい」

 口を開くのにもいちいち命懸けの思いだったが、意外にもショウ・ヒジカはこの要望をすんなり受け入れた。

「好きにしろ」

 薄笑みを浮かべて即答する。

「だが、馬車が来るまで時間がない。やるならすぐに始めろ。なんなら、この場で俺を殺す相談でも構わん。一人になった今こそが最大のチャンスと考えるのも面白い」

 ことごとく予想の斜め上をついてくる。

 こんな相手は初めてだった。

 だが、少なくとも時間がないという指摘に嘘はない。

 カズマは鼻白みつつも頷き返し、仲間たちに集合をかけた。

 どれだけ効果があるかは疑問だったが、ショウ・ヒジカからなるべく距離を取り、円陣を組むように身を寄せ合う。

「厄介なことになりましたな」

 口火を切ったのはオキシオだった。

 全員が重々しく頷く。

「奴の言うことを信用して良いものか……」

 よほど気になるのだろう。サイトはまだ首筋を触っていた。

「邪魔だてせぬと言っておきながら、いざ馬車が来くれば飛び出してきて敵に回るようなことがあっても驚きはない」

「その通りですが、もう後戻りはできませんよね」とエリック。

 この指摘は誰もが認めざるを得ないところであった。

 逃げ出せば、ナージャを見捨てることになる。

 彼女は死に、カズマたちも追われる身だ。

 しかも追っ手は、手口や計画を全て知った白虎四番隊である。

 捕らえられ、八つ裂きにされるまで三分は必要ないだろう。

 ならばもう、様々なリスクを背負った上で作戦を進めるしかない。

 その点においては、最初から議論の余地などないことなのだ。

「もし、本当にナージャを取り戻せたなら、後は僕と彼女に任せてみんなは逃げて下さい」

「しかし――」

 反論しかけたオキシオを、カズマは静かに首を左右して制した。

「さっき、封貝使いを相手にして、欠片でも勝てるヴィジョンを見出せましたか? 気付いたらもう後ろから喉元に剣を突きつけられていたはずです。

 今度も同じ事が起ります。一〇〇回やっても一〇〇回そうなる。失礼な物言いを許して頂けるなら、みなさんは必ず人質に取られてしまうリスク要因でしかありません」

 そうまで断言されれば、彼らも口を噤まざるを得ない。

「でも……カズマくんはどうするつもり?」

 その点は無視できない、とばかりにエリックが詰め寄ってくる。

「ナージャの状態にもよるでしょうけど、そりゃ逃げますよ。ナージャがそれなりに戦える状態なら、事実上、ショウ・ヒジカと二体一の力関係になります。うまく転がれば逃げ切れるかもれしません。

 彼らだって、この動きは完全に規則外のスタンドプレイでしょう。あまり派手には暴れられませんよ。それより、逃げ切れた場合、その後はどうしましょう。打ち合わせ通りで良いですか?」

「いや」

 オキシオが髭を震わせながら言った。

「白虎四番隊という不安要素が加わった以上、落ち合う場所の候補をもう幾つか考えておくべぎですな」

「どこか候補が?」

 カズマの用意した封貝を通して、エリックが問う。

 オキシオは是と応じ、既に考えていたのであろうポイントを幾つか挙げていく。

 サイトも自案を幾つか挙げ、全員でそれらを検証していった。

 ただひとり、オックスは情報を漏らしてしまった負い目があるからか、気落ちした様子で聞き手に徹する構えを見せていた。

「――おい」

 突然、頭上から降ってきた声に、全員が飛び上がりかけた。

 もっとも、戦士としての訓練を積んだオキシオとサイトは流石に驚くばかりではない。

 間合を取りながら臨戦態勢に入る。

「馬車が来る。そろそろ準備を始めろ」

 いつの間に接近していたのか、二メートル程離れた大樹の上方、女性のウエストほどもあろうかという大枝の上にショウ・ヒジカが立っていた。

「心配するな」

 顔を強ばらせるカズマたちを見下ろし、ヒジカは口角を片方だけ持ち上げる。

「話は聞いていない」

「貴官にも……護送隊がどのルートを通るかは分からないのか」

 サイトが頭上に声を投げる。

「知るか、そんなこと」

 ショウ・ヒジカは冷笑で答え、身体を反転させた。

「俺も姿を隠す。せい々《ぜい》うまくやるんだな」

 その言葉がカズマたちに届くのとどちらが早かったか。

 気付くと、四番隊隊長の姿は忽然と消えていた。

 立ち去り際に残した振動のせいか、あるいは単なる風の悪戯なのか、枝のしなりが葉ずれの音を生み、ざぁと潮騒にも似たさざめきが頭上に響き渡った。

 その音が朝の穏やかな空気に溶け込むように消えていくと、カズマは仲間に向き直った。

「仕方ありません」

 全員の顔を見回しながら口を開く。

「ルートが分からないなら、フォーメーションは打ち合わせ通りでいきましょう」

「だね」

 エリックが引き締まった表情で即応する。

 多方、オキシオとサイトからは声が返らなかった。

 自分たちにできることがあまりに少ない。

 結局は、リスクの大半を他人の背にあずけることになっている。

 そんな思いから内心、忸怩じくじたるものがあるのだろう。

 顔を横に背け、苦痛に耐えるように歯を食いしばっている。

 だが、やがて断ち切るように頭を振ると、彼らは意思の力でカズマと向き合った。

「カズマ殿……お力になれず申し訳ない」

「どうかご武運を」

 それぞれ持ち場へ向かっていく四人の背を見届け、カズマは自らも動き出した。

 懸念事項は山とあるが、考えるのはえてやめた。

 死刑執行。白虎四番隊。

 どちらも考えてどうにかなることではない。

 ならば今は、無心で目の前のことに集中した方が良い。

 もっとも、雑念を払って集中――と念じるだけでそれに徹することができるなら、プレッシャーに苦しむ人間など存在しなくなる。

 拭っても拭いきれない胸をざわつかせる不安は、どうあっても思考にこびりつき引き剥がせない。

 それは手のひらをじっとり塗らす汗として、肉体的にも現れていた。

 カズマはその手汗を、服のすそにこすりつけた。

 眠っているスコッチの元に戻り、道の真ん中へシーツごと移動させる。

 深呼吸して気を落ち着かせると、遠くに幾つか封貝の気配を感じ取ることができた。

 まさか本当に察知できるとは思っていない。

 思わず、心臓がひとつ大きく跳ねる。

 封貝の気配は、カズマにとっては音に似ていた。

 基本的には、距離が離れれば離れるほど感じ取りにくくなる。

 だが、強力な封貝使いのそれは、遠く聞こえてくるどこかの花火大会の三尺玉と同じだ。

 このサイズの花火は直径一メートル近い火薬の塊だ。

 スカイツリィとほぼ同じ地上六〇〇メートル付近まで打ち上がり、直径五〇〇メートルの大輪の花を咲かせる。

 その炸裂音が、場合によっては何十キロ先という驚くべき遠方からも轟き渡ってくるえんである。

 これが表情を確認できるほど近くに接近するとどうなるか――。

 その答えこそが先程、ショウ・ヒジカと対面した自分なのだろう。

 カズマはようやくその程度の自己分析を行えるまでには回復していた。

 封貝の気配は上空五〇メートルほどの高さにひとつ。

 その直下に、まとめて複数の反応がある。

 こちらは複数が重なり合っており、正確な数までは把握できそうになかった。

 ひとつ言えるのは、全てがショウ・ヒジカほど桁違いではない気がする、ということだ。

 ただし、白虎四番隊の平隊員とは明確な強弱の区別がつかない。

 もっとも、緊急時には数倍に膨れあがる、というようなこともあり得るだろう。

 現段階で彼らの実力を把握しようというのは危険に思えた。

 なんであれ、この一団がナージャを乗せた護送用馬車と上空監視の封貝使いであることは間違いがない。

 彼らは既に移動を開始しており、反応はインカルシから少し離れた森の中にある。

 移動速度はあまり速くなく、少なくともランコォル種と比べると明らかに見劣りするように感じられた。

 人間の小走り程度と考えて良いのだろう。

 ――ここまで三〇分かかるかどうかってところか。

 そう当たりを付けたカズマは、急いで準備に取りかかった。

 息遣いや足音の合成音をプログラムした攪乱用の封貝を無数に作り、周囲に撒いて回る。

 しくじればナージャは死ぬ。

 その切っ掛けを作ったのは自分の指示だ。

 この手に彼女の命がかかっている。そう思うと不自然に息が上がった。

 他にも成功率を上げる工夫があるのではないか。

 何か見落としてはいまいか。

 バラ撒いた封貝の数はこれで充分だったのか。位置は。

 そもそも、こんなさんな策で本当に良かったのか。

 通用するのか。

 このザマで自分はベストを尽くしたと言えるか。

 なにより、もし作戦が失敗したら自分たちはどうなってしまうのか――

 途中からは熱に浮かされたように思考が迷走しだした。

 疑念ばかりが脳裏に渦巻く。

 腰から下が麻痺したようにしびれ、膝に力が入らない。足元がおぼつかない。

 なんでこんなことになった。どうして自分がこんな目にあう?

 しまいには、泣きそうになりながら理不尽を呪い始めた。

 あまりに激しい動悸で胸が痛み、木の幹に背を預けて荒い息を必死に整えさえした。

 そうこうしているうちに時間は冗談のような速度で飛び去っていく。

 うそだろ、もう……?

 カズマは戦慄して、ごつごつした樹皮から背を引きはがした。

 気付けば、馬車はすぐそこまで迫っていた。

 途中で瞬間移動でもしたとしか思えない。

 焦りでうなじの毛が逆立つ。

 段取りは――

 一瞬、パニック状態に陥ったカズマは、まだ自分がナイフも抜いていなかったことに気付いた。

 そうだ。刃物をスコッチに突きつける。

 素手では脅しにならない。

 なんのためにナイフ借りたんだよ――

 自分の尋常ではない狼狽ぶりに、逆に驚かされた。

 急いで腰の後ろに手を回し、ぶら下げていた獲物を抜き取った。

 スコッチに駆け寄った。

 彼の巨体に手をかける。

 踏ん張って上半身だけ起こし、その背中側に回り込んだ。

 直後、カモフラージュをすっかり忘れていたことに気付いた。

 慌てて立ち上がり、スコッチにシーツを被せた。

 その上から、目立たないよう土を撒く。

 あまりに遠くからスコッチを発見されると面倒なことになる。

 上空からの目は生い茂る木の屋根が遮ってくれるが、馬車からの目に関しては自分の手で対策を講じておかねばならない。

「あとは……もう忘れてることは……いや、それよりどのルートに来る……?」

 再びスコッチの背中に隠れながら、かたを飲んで気配を探った。

 現在、馬車は向かって左側のルート上にある。

 そして、間もなく待ち伏せポイントの前にあるものとしては最後の分岐点にさしかかる予定だ。

 これをそのまま直進すれば、迎撃ポイントは左で確定。

 逆に曲がれば、カズマが待つ中央か右で迎え撃つことになる。

 カズマはついに目を閉じた。

 視覚情報を封じ、全神経を封貝の気配だけに集中させた。

 分岐点は――野球を通じて距離感にちょうじたエリックの見立てによると――約一四〇メートル先。

 そして今、馬車はまさにその分かれ道に差し掛かり、速度を極端に落した。曲がったのだ。

 問題は次だ。

 カズマは眉間に皺を寄せて自分に言い聞かせた。

 視界を閉ざしたまま、呼吸すら忘れて待つこと一〇秒弱。

 カズマは目蓋を開けた。

「――だ」

 封貝の気配から馬車が中央のルートに入ったことを確認したカズマは、静かに囁いた。

挿絵(By みてみん)

▼データファイル

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エイン

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 いわゆる人間。多様な人種によって構成されているが、言語は方言的なものを含めなければ共通。

 獣と入り交じった亜人や、レタルやクルプンは含まれない。

 系譜としては以下の2種に大別される。


 ●北方からの移民系「アンカー(ankar)系」

  ・[体型]男女ともに体格に一定の基準がなく、気候風土や栄養状態で差異が大きく出る。

  ・[体質]頭髪はダーク系、肌は日照時間によって変化。寒冷地では白、熱帯では茶色、温暖地帯ではその中間。オクスゥ系と比較して寒さに強く、体毛が濃い傾向にある。環境に対して柔軟。

  ・[人口]圧倒的多数派。

  ・[文化]多数派で宗教、世界観、文化なども多様。


 ●先住系の「オクスゥ(oksuh)系」

  ・[体型]男女ともに長身で骨太、肉付きが良く四肢が長い。アスリート体型が多い。

  ・[体質]頭髪は明るく、金色、薄茶、灰色。肌は小麦色。目は緑色。体毛が薄く、清潔を好む。環境に対して頑固。比較的、暑さには強いが、寒冷気候にも適応する。

  ・[人口]現在は小数派

  ・[文化]自然との調和を重んじる穏やかな民族だが、勇猛で封貝使いの割合が多い。女神イレスを信仰する拝火系の独自の世界観と、それにもとづく文化を持つ。

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