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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
24/64

フライングカーペット

▼登場人物

 楠上カズマ…………………主人公

 エリック・J・アカギ……カズマ一行の仲間

 ナージャ・クラウセン……カズマ一行に同伴する封貝使い


 オックス……………………カズマを師と仰ぐ先住民族の少年

 サイト………………………オックスと同郷の青年

 オキシオ……………………オックスらを束ねる商隊の長

 ショウ・ヒジカ……………白虎4番隊・隊長

  023


 スコッチ・〝強欲〟・スウォージの部屋は、館の支配者に相応しい堅固な構えをとっていた。

 カジノは基本的に木造建築であったが、彼のプライヴェート空間だけは頑強な石造りの壁で囲まれている。

 そこに嵌め込まれているのは、鉄板でもんでありそうな分厚い木製の扉だ。

 そしてこのドア潜る以外、少なくとも屋内から入り込めるルートはなさそうであった。

 幸いにも、扉を守る番人の類は見当たらない。

 だが、それが必要ないほど頑強なロックシステムが採用されていることは一目見れば分かった。

「鍵か……」

 カズマはつぶやきながら、一瞬、自分の迂闊うかつさを呪った。

 案内役の用心棒を早々に眠らせたのは失敗だったかもしれない。

 め落すならば、彼に扉を開けさせてからのすべきではなかったか――。

 無論、高火力の封貝があれば強引に破ることも可能だろう。

 しかし、カズマはあいにくそのような持ち合わはない。

 仮に持っていたとしても、そんなものを使った瞬間、封貝使いのボディガードが――文字どおり――飛んで来るであろうことは火を見るよりも明らかである。

 白級パール青級ブルー

 ふたりの格上を同時に相手にできるヴィジョンなど、雑魚ブランク級のカズマにありはしなかった。

「となると、開けて貰うしかない、か」

 言って、カズマは後ろをいちべつした。

 気を失った用心棒が、二つの宝貝に下から支えられ、ベランダに干された布団のように折れ曲がったまま浮いている。

 彼は案内役としてカズマをここまで連れてきた。

 つまり、彼は室内に入るか、中のボスに来客を告げるための手段を持っていたということだ。

 そして、それは恐らく――

 と、カズマは扉の右側に視線を流した。

 どう考えてもこれと無関係でないよな。

 天井から垂れ下がった白いひもを観察しつつ、胸のうちで唱える。

 上の方に鈴が付いていれば、ほとんど賽銭さいせん箱とセットになっている神社のガラガラだ。

 違いがあるとすれば、あれより一回り細いくらいか。

「これ、古いタイプのチャイムかな」

 いつか観た、白黒時代むかしの海外映画を思い出しながら、カズマは独りつ。

 試しに手をかけてみると、確かに引っぱれば動きそうな気配があった。

 紐のすぐ後ろには二本の金属パイプが、雨どいの配水管のようにかべづたいにわせてあるのも見える。

 これらは釣り針のように先端が曲がっており、先っぽは開け閉めできる蝶番付きの蓋で覆われていた。

 これも見たことあるな。

 カズマは無意味に蓋をぱかぱかと繰り返し開閉させながら、記憶の糸を手繰った。

 パイプの太さは女性の腕ほど。

 レトロなヤカンを思わせるくすんだ金色で、カズマの胸のあたりから上方向へ垂直に伸び、天井をぶち抜いてどこかへ繋がっているようであった。

「ああ……これ、潜水艦ものとかで見る伝声管か」

 カズマの住んでいたコンドミニアムの公園にも、動物の絵が描かれた同じ仕組の遊具があった。

 ヨウコと電話ごっこをしてよく遊んだのを覚えている。

 そういうことなら――と、カズマはさっそくひもを引っぱった。

 予想通りなら、これで室内にあるベルなり何なりが音をあげ、来客を告げるのであろう。

 そうしてしばらく待てば、向こう側からこの管を通して応答が返るはずであった。

 つまり紐と伝声管のセットで、一種のインターフォンになっているのだ。

 カズマのこの仮説は、すぐにその正当性が実証された。

「――はい。何かありましたか」

 若い女性の声が聞こえたあと、ふたを鳴らすカシャンという金属音が素早く二度、連続した。

 それが無線でいうところの「どうぞ」や「送れ(over)」を意味するのであろうことは、状況からすぐ想像できた。

「店内見回りのヴィックだ」

 カズマは呼出した封貝を伝声管のラッパ口に近づけた。

 再現したのは先ほど気絶させたばかりの用心棒の声である。

 一口、二口だと難しいが、あれだけ何度も話し声を聞いていれば、近い声を合成するのも難しくない。

「緊急の要件でボスにお伝えしたいことがある。取次いでくれ」

 そこまで言うと、カズマはつまみを持って伝声管の蓋を二度閉めた。

 金属音がきちんと鳴ったのを確認して、間髪入れずにまた開く。

 声が返るのを待った。

「分かりました。お伝えします。少々お待ち下さい。――終わります」

 か細く言うと、女性の声はそれきり途絶えた。

 言葉通りスコッチに話を伝えに行ったのであろう。

 彼女は秘書のような存在なのだろうか。

 あるいは、単に使い走りを頼まれたあいしょうに過ぎないのか。

 そんなことを考えていると、唐突に伝声管からガラついた品のない男の声が飛び出してきた。

「何の用だ! メイトランはどうした」

 これが〈強欲〉のスコッチか。

 不快な肉声を鼓膜こまくに突き刺されたカズマは、顔をしかめながら管から顔を離す。

「お邪魔して申し訳ありません、ボス」

 カズマは封貝に用心棒の声で言わせた。

「実は、ちょっと厄介事が発生しまして。メイトランさんが直接対応できないことを含めて、ちょっとお耳に入れたいことが」

「だからなんだと聞いている」

 どら声が不機嫌そうにがなり立てた。

「この時間は邪魔するなと言ってあるだろうがッ」

「そこを何とか、ちょっとお時間いただけやせんか。現物を持ってきてます。こいつを一目見てもらえれば緊急の意味も分かっていただけるでしょう。逆に、見ないと到底信じていただけそうにありませんや」

 一拍おいて下品な舌打ちの音が聞こえた。

 待ってろ。

 いらたしげに吐き捨てられ、伝声管が閉じられる乱暴な気配が伝わる。

 カズマは、〈*ワイズサーガ〉を隠すための包帯を解いた。

 それから、用意してきた変装用ケープという名の手拭いを懐から取り出し、頭から被った。

 オックスほどではないが、カズマの中性的と言われることの多い容姿だ。

 こうして露出を極端に小さくすれば、性別の見分けは付けにくくなる。

 二分ほど経った。

 これからどうたち振る舞うか。壁にもたれながら考えていると、扉の内側から施錠が解かれる固い音が響いた。

 カズマは壁から背を離し、ドアへ歩み寄る。

 開かれた扉から顔を覗かせたのは、予想していた通り若い娘であった。

 静脈が透けて見えるほど白く薄い肌の四肢を剥き出しに、レース生地のふわふわとした白いワンピースを着ている。

 実物を見るのは初めてだが、これこそベビィドールと言われるものなのかもしれない。

 場違いにも、カズマはそのことに一瞬、感動した。

 が、浸っていられる時間はない。

「ごめん。声を出さないで」

 素早く一歩踏み込みながら、カズマは小声で言った。

 とは言っても、動かしたのは唇のみ。

 実際に喋ったのは、服の内側に隠した封貝である。

 声は、人攫い一味の女、エォラのそれを利用させてもらっていた。

「私はスコッチに用があるだけ。貴女たちに危害を加えるつもりはない」

 言って、カズマは右腕を見せた。

「分かるでしょう。私を通しても貴女が責められることはない。封貝使いをただの女の子が止められるわけないなんてこと、誰だって分かる話だ」

 娘は青い顔のまま動きを止めた。

 すきを突き、カズマは室内へ身を滑りこませた。

 後ろ手に扉の鍵を閉める。

「繰り返すけど、貴女を傷つけるつもりはないから。でも、怖がらせてはしまうかもしれない。それは、ごめんね」

 エォラの声で謝罪しながら、用心棒から奪ったばかりのロングソードを抜いた。

 ひっと喉を鳴らす娘とは目を合わせず、カズマは「案内して」と短く命じた。

「素直に応じてくれれは、スコッチだって傷つけるつもりはないよ」

 入ってすぐの空間は狭かった。

 壁に囲まれたバス停といったところか。エントランス代わりにでも使われているのだろう。

 衝立ついたてのように機能している奥の壁には、右端に小さなドアがあり、そこを経由することで向こう側に広がっているのであろう空間にアクセスできるらしい。

 カズマは娘を先に立たせ、その扉を潜った。

 ふたりを迎え入れたのは、スコッチの人となりをにょじつに反映した空間だった。

 成金主義。装飾そうしょく過多かた

 言語化すればそんなところに落着くだろうか。

 頭上には黄金色の豪奢なシャンデリアがきらめき、その直下にはやはりゴテゴテした派手な意匠の施された金色基調のテーブルセットが鎮座している。

 椅子のクッション部分は、眼が痛くなるような真紅のフェルト布地で統一されていた。

 ちょっとしたホールと呼べそうな大部屋であったが、当のスコッチの姿は見当たらない。

 彼はどこ?

 娘に所在しょざいただそうと口を開きかけた時、奥にあるドアが向こう側から開かれるのが見えた。

 表面に下品な光沢を放つふかぷらさきの布地を被せた、悪趣味としか言いようのない扉である。

「すぐ戻る。そのまま待っていろ」

 半分、身体を外に出した男が、室内に顔を向けて誰かに命じだした。

「それから、その小娘には身体に準備をさせておけ。痛いだ苦しいだのとぎゃあぎゃあ泣かれてはたまらん。いいなッ」

 一方的に言い捨てると、男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 叩きつけるようにドアを閉じ、バスローブ風の上着の胸元を撫でつけた。

 それからきっとカズマたちの方を睨み付けて、太く短い足をせわしなく前後させつつ近付いてくる。

 スコッチ・〝強欲〟・スウォージその人であることは一目で分かった。

 彼は、ちまたささやかれるという「えたブタ」なる陰口から想像される通りの、脂ぎった中年そのものだった。

 男性としては小柄なカズマよりさらに頭一つ分低い短躯たんく

 だが体重は二倍近くあるのだろう。

 腹は妊婦のようにつきだし、たるんだ顎は三重になって歩く度にぶるぶると震えている。

 肥満体質によくある「首のないタイプ」で、脂肪に半ば埋まっている顔は、直接、胸の上に乗っているように見えた。

 おぞましいことに、彼はつい今しがたまで全裸であったらしい。

 その上にただバスローブだけを羽織って出てきたようで、露出した胸部は汗で暑苦しくてかっている。

 許されるなら今すぐにでも視線をらしたくなる姿であった。

「おい、ラーマ。なんだ、その怪しげな女は?」

 せかせかと歩き寄りながら、スコッチはどら声をあげた。

「あ、……申し訳ありませんっ」

 ラーマと呼ばれた娘はすくみあがって深々と頭を垂れる。

「馬鹿か貴様は。謝れと言っているのではない」

 言いながら、〈強欲〉は指すべてが親指に見える手を突き出し、カズマを指差す。

「そこの女が何者かと訊いているのだ。それにヴィックは――」

 と、そこで肥えたバスローブの豚は口をつぐんだ。

 視線の動きから、言葉の途中でカズマの背後にぷかぷかと浮かぶ用心棒ヴィックの存在に気付いたことが分かる。

 スコッチはその短い足をぴたりと止めた。同時に表情が強ばるのも分かる。

「そろそろ、落着いて話ができるかな。スコッチ・スウォージ」

 カズマはエォラの声で言った。

 これ見よがしにロングソードをかざしてみせる。

「誰……」

〈強欲〉は状況を確認しようと血走った目玉をぎょろつかせる。

「誰だ貴様はッ。どうやって……ヴィックをどうしたのだ」

「彼には眠って貰っただけ」

 唾を飛ばしてわめくスコッチに、カズマはゆっくりとした口調で答えた。

「今ので貴方に許された質問は終了だ。今度は、こちらの質問に答えてもらうよ」

「なんだと?」

「貴方は、玄武げんぶじゅう番隊の元隊士だったと聞いている。その情報にちょっと興味があってね」

「はっ。何を言い出すかと思えば」

 スコッチはあざけるように口角を持ち上げた。

 相手が封貝使いであることは歴然としており――非封貝使いではあれ――自慢の用心棒もあっさりと倒されている。

 その上、目の前にロングソードの切っ先を突きつけられてさえいながら、この威勢である。

 流石に街の顔役に相応しい度胸と言えた。

「何を知りたいのかは知らんが、貴様程度のみんが知ることの許される情報などひとつもないわ」

 まくしたてると、スコッチはもはや興味を失ったと言わんばかりにトーンを落した。

「分かったら、今すぐ武器を捨て、這いつくばって非礼をびろ」

 名前も覚えていない手下の一人に命じる口調であった。

 否が返ることなど想像もしていない。

「ああ、その前にその暑苦しい服は全て脱いで、顔と身体を見せてみろ。美しければ女としては生かしてやる。醜ければ――まあ、五体満足で俺の館から出ることはできんだろうな」

 言って、スコッチは下卑た薄笑みを浮かべた。

「まったく」

 カズマは半分、本気で感心しながら言った。

「本当に大した度胸だね、スウォージ。心臓に毛でも生えてるのかな」

「ここまで入り込んだ手腕は、まあ認めてやる」

 スコッチはまるで取り合わず、一方的に続けた。

「だが、それだけだ。さあ、どうするか決めろ。俺をたのしませるためだけに残りの人生を捧げるか、ここで死ぬかだ」

「スコッチ。貴方は初めて会うタイプだ。もう少し話をしても良いと思うくらいにはユニークな男だよ。でも、残念ながらあまりゆっくりはしていられない。貴方には、決断を迫られているのがどちらかということを知ってもらおう」

 カズマはさとすように告げ、「〈Fox 2(フォックスツー)〉」を口訣した。

 目の前の空間に、四個の〈*ワイズオレイター〉が出現する。

 スコッチとの間には三メートル前後の開きがあるが、なぜだか「いける」という確信があった。

 カズマは無言で念じ、封貝を〈強欲〉へ向けて飛ばす。

 これまでの経験で分かっているのは、〈*ワイズオレイター〉の射程が一メートル前後しかないという事実だ。

 カズマからそれ以上離れると、自在に動かせた〈*ワイズオレイター〉もぽとりと地面に落ちてしまう。

 まるでリモコンの電波が届かなくなったラジコンヘリのように、だ。

 だが今、他ならぬ〈*ワイズオレイター〉自身が教えてくれているような気がした。

 ――お前は我々の特性を学び、名を知るに到って、その関係性の深度を深めた。いまや当初とは比較にならぬ程に、我々を自在に操れるであろう。

 そんな承認を感じるのだ。

 事実、〈*ワイズオレイター〉はカズマから一メートル以上離れ、二メートル地点に到達。

 スコッチの立つ三メートル先に到っても、落下の気配を見せなかった。

 その気なら、まだまだ行けそうな手応えすらある。

 カズマは封貝と繋がる見えない糸を引くように、くいと義手の人差し指を動かした。

 呼応して、四個の球体は例のように標的のけい部に肉薄し、包囲網を形成する。そして徐々にその半径を狭めていった。

 もっとも、スコッチはたるんだ皮膚と分厚い脂肪のせいで、どこまでが首でどこからが胴体なのかの見分けすら付かない。

 脂ぎった肉塊に、ずぶずぶと封貝が埋まっていくのが分かるだけだ。

「スコッチ」

 カズマは冷めた口調で言った。

「私は貴方に個人的な恨みがあるわけじゃない。だから、こうした強引な手段に訴えるのは正直、良心が痛む。できるなら手荒なことはしたくない。どうだろう。協力して貰えないかな?」

「貴様ァ、こんな真似をしてただで済むと思ってないだろうな」

 カズマは黙って封貝を締付けた。

 途端にスコッチが潰れたカエルのような声を喉から発する。

 案内役の娘が小さく悲鳴をあげた。

「ええと、ラーマさんだったかな」

 カズマがそちらを向くと、娘はびくりと身体を跳ね上げた。

 蒼白な顔を恐怖で引きらせている。

 見ているだけで気の毒になるほどの怯えようだった。

「怖がらせてごめんね。何度も言うけど、貴女たちには本当に何もしないから。怖いなら、貴女も奥の部屋に隠れてて良いよ。……あ、その前にひとつ。この部屋のどこかに、シーツの替えか人間が入るくらい大きな袋は置いてある?」

「はい」

 蚊の鳴くような声が答えた。

「じゃあ、悪いけどどっちでも良いから、それをここに何枚か持ってきてくれる? それと、あるかどうかは知らないけど、非常ベル鳴らしたり、どこかに助けを呼んだりはしないでね。騒ぎが大きくなると、私もより大胆な行動をとらなくちゃいけなくなる。言ってる意味は分かるでしょう?」

 娘はがくがくと震えるように頷くと、逃げ出すように駆け去って行った。

 聞く話が事実なら、スコッチは毎夜のようにここの寝室で乱痴気パーティを繰り広げている。

 ならば恐らく、リネン室[*ホテル・病院などでシーツや枕カバーなどを保管しておく専用の小部屋]くらいはあるに違いない。

 カズマのその予想は、どうやら間違いではなかったらしい。

「さあ、ギャラリィもいなくなった。これで虚勢を張る必要も、醜態を恥じる必要もなくなったよ。スコッチ」

 カズマは封貝ごと、人質たちを壁際まで運んでいった。

 計一六個の封貝を追加で召還し、用心棒とスコッチを仲良く並べて壁にはりつけにする。

 手足の一本一本につき二個の封貝を使った完全な固定だ。

 これで彼らは、四肢を一ミリも動かせなくなる。

「尋問を再開しよう」

 カズマは二分間、封貝の首輪を締付けてちっそくさせ、一〇秒間だけ解放する。そしてまた二分間締あげる――というパターンを数度繰り返した。

 水に顔を押しつけ、溺れかけたところで上げさせる、といった古典的な拷問の再現だ。

 彼なりの意地があるのか、スコッチは思いのほか強情だった。

 単なる俗物かと思いきや、苦痛にさらされてもなかなか口を割らない。

 やむなく、カズマは例のひとさらいたちから学んだ技術の一端を用いざるを得なくなった。

 内臓への効率的な衝撃の与え方。それがもたらす窒息とスタン効果。小さな刺激で大きな痛みを与える方法。

 専門家のノウハウは、やはり高い効果をもたらした。

「――それで、その三つのルートのうち、明日の処刑で使われるのはどれ?」

 カズマは壁際まで移動させた椅子に座り、向き合うスコッチに優しく問いかけた。

 絶え間ない苦痛であぶら汗にまみれた顔を、酸欠でどす黒く変色させた〈強欲〉は、もはや当初の威勢をすっかり失っていた。

 いちじるしく消耗しており、答えようにもいちいち呼吸を整えなければならない。

 香油ででつけていた灰色の頭髪は大量の汗を吸って、かいそうのようにべったり皮膚に張り付いている。

「それは……知らん……」スコッチが言った。

「〈強欲〉、また繰り返すつもり?」

「待て、落着け」

 かすれた声で彼がこんがんした。

「嘘ではない。三つのルートのうち、どれとどれを組み合わせるかは当日、出発直前に決めるのだ。今の段階では俺だけではなく、担当者ですら知らない。嘘じゃない。情報のろうえいを防ぐための慣例だ。まだ決まっていないのだ」

「本当に?」

 カズマは静かに問い重ねる。

「本当だ。少なくとも、俺が居た頃は常にそういうやり方をしていた。その風習が変わったという話も聞かん。恐らく今回もとうしゅうされることだろう」

「そうは言っても、なにか目安くらいはあるんでしょう? こういうケースでは、こういうルートが選ばれやすいだとか」

「いや、それはない」

 スコッチは力なく首を振った。

 もはやそれすら億劫おっくうというように疲れ果てているのが分かった。

「落石でルートの一つが潰されただとか、そういう突発的な事態でも生じれば別だが……。冗談ではなく、クジやコイントスで決めることすらあるのだ」

「他に、私が知っておくべきことは何かない?」

「話せることは、もう……俺は知っている限りのことを話した……つもり、だ」

「そう。なら、ひとまずはご苦労様」

 カズマは立ち上がりつつ、事務的に告げた。

 これで解放されると信じたのだろう。

 一瞬、スコッチは期待に瞳を輝かせた。

 だが、彼にはまだ使い道がある。

 カズマは封貝に命じて頸動脈を圧迫させた。

 もう、コツは掴めている。すぐに、落ちたスコッチの頭が、かくんと垂れ下がるのを確認した。

 それから、娘に持ってこさせたシーツをスコッチの足元に広げた。

 準備ができると、はりつけに使っていた封貝を消した。

 必然、支えを失ったスコッチの肥満体は、壁からがれて落下を始める。

 そして彼は狙い通り、シーツの上に伏して倒れた。

 ここまでくれば、あとは簡単だった。

 胎児たいじのように身体を丸めさせると、もう一枚のシーツを引き裂いて作った紐で手足をしばる。

 これは、人(さら)いに自分がやられた経験が役に立った。

 どこをどう合わせ、どのような角度で固定すれば動きにくいか。

 カズマには実体験で分かっている。

 なにより、これは二度目の作業であった。

 め緒とされた人間は、遅くても数分、早ければ数秒で自然に覚醒かくせいしてしまう。

 そのため、スコッチを尋問する前に、まず用心棒をどうにかしなければならなかったのだ。

 この時、カズマが選んだのは手っ取り早い四肢の拘束こうそくであった。

 やはり加工したシーツを使って用心棒の全身を縛り上げ、猿ぐつわをませた上でリネン室に放り込んだのである。

 スコッチにも同じ事をすれば良かった。

 ただし、リネン室には入れない。

 風呂敷を畳むようりょうで下にいたシーツをまとめあげ、彼の全身を包み込む。

 最後に布の口をしばると、サンタクロースが背負う巨大プレゼント袋のようなものができあがった。

「――これでよし、と」

 カズマはばええに満足して、手を二度ほど打ち合わせた。

 これでもう〈スコッチの館〉に用はない。

 あとはここを抜けだし、外で待つエリックと馬車の元へ帰るだけだ。計画通りならそれで良い。

 ただ最後に、奥にある寝室へ足を向けた。

 当初の予定にはなかったが、見てしまった以上は無視もできない。

 ドアを開く。

 予想通り、そこには退たいはいを極めた空間が広がっていた。

 色濃く漂うのは、汗と化粧、香水、そしてアルコールの匂い等が入り交じった、びるように肌にまとわり付いてくる空気だ。

 中央には、詰めれば一〇人は横になれそうなてんがい付きの巨大ベッドが鎮座していた。

 暗めの照明はシェードに色づけられ、淡い紫色の光となって妖しげに寝台を照らしている。

 そのいんな明りの中で、四人の女性がうごめいていた。

 全員が裸か、ほとんどそれと変わらない下着姿をしている。

 頭部に猫科の三角耳をつけた獣人の娘を含め、人種や体格がそれぞれ違う、バラエティ豊かな面々だった。

 スコッチの趣味()(こう)が分かるというより、せっそうのなさがうかがえる人選である。

 どうやら、三人のベテランが新入りを取り囲み、ある種の教育をほどこしている最中であったらしい。

 寝台の中央で獣耳の少女が押し倒され、白い裸体を真っ赤に火照らせていた。

 彼女はドアが開く音を聞きつけると、一瞬、ぼぉっとした視線を入口に投げた。

 そこに見知らぬ誰かが立っているのを認めるや、弾かれたように上体を起こし、シーツで胸を隠す。

「ええ――お取り込みのところ、失礼します」

 なんとなくはなじろみながら、カズマは声を投げた。

 すぐにかつにも、自分の声帯を使って言葉を発してしまったことに気付く。

 慌てて封貝を使い、また人攫いのエォラの声を借りた。

「成り行きで、ここの主人であるところのスコッチ・スウォージを倒しちゃいました。もし、自分の意志に反してここに連れて来られ――」カズマは相応しい表現を探すため、一瞬だけ言葉を途切らせた。「ある種の強制労働を強いられている方がおられましたら、逃亡のチャンスであることをお知らせします」

 娘たちは動きを止め、互いに無言で顔を見合わせた。

 それからしめし合わせたようにカズマへ視線を戻す。

「……彼は死んだの?」

 初めて見る顔が代表するように質問の口を開いた。

 四人の中でもっとも背が高く、もっとも肉体的な意味で成熟した女性であった。

 年の頃は恐らく二〇代半ば。

 深くくっきりとした二重まぶたが、ともすれば眠そうな半目にも見える。

 そのイメージに相応しい、とろんとしたどこか眠たげな声音の主でもあった。

「気絶しているだけだよ」カズマは答えた。「ただ、彼にはまだ役に立って貰うつもりでいる。連行してもうひと働きさせたあと、今日の午後くらいに解放することになるだろう」

 娘たちは黙って話を聞いていた。

 突然の展開に頭がついてきていないようにも、単に興味を持っていないようにも見えた。

 あれ――?

 ここにきてカズマは、深くフード状に被ったケープの下、露骨に眉根を寄せた。

 きみたちはもう自由だ。逃げられる。解放される。

 そう告げた瞬間、捕らわれの娘達は飛び上がって歓喜の声を上げるだろう。そう思っていたのだ。

 自分の元に駆け寄ってきて、口々に唱えられる礼の言葉とともに次々と抱きついてくるかもしれない。

 白状すれば、そんな淡い期待さえしていたところだ。

 それが、この無反応だった。

 居心地の悪い沈黙が続き、それはやがて場にどこか白けた空気をもたらした。

「ええと……私はこれから意識を失ったスコッチを連れてこの場から去るけど、希望者がいれば同行を許可し、ここからの脱出くらいは支援できますよ?」

 カズマはいささか気後れ気味に言った。

 で、どうする? と眼の動きだけで問う。

 もはや気分は、「逃がしてあげる」といったものではない。「誰か付いてきてくれる人はいませんか」だ。

「――あのさあ」

 娘のひとりが、わずわしげに声を上げた。

 骨格が華奢であるうえ肉付きも薄いため、どこかはかなげで妖精のような印象を受ける少女だ。

 だが、発されたその言葉はイメージとは裏腹に随分ととげ々《とげ》しいものだった。

「スコッチが死んでないなら、あたしらは別にそれで良いんだけど」

「良いって――?」

 カズマはおっかなびっくり問い返す。

「だからあ、あたしは自分の意志でここにいるってこと」

 聞き分けの悪い弟に投げるような、いらたしげな口調であった。

「スコッチの情婦なんて、そりゃあ理想的な商売じゃないけどさ。でも、仕事ってそういうものでしょ? 食事、服、装飾品、健康、お金、安定性。少し我慢すれば、ここではちょっとした貴族のご令嬢みたいな生活が手に入るの。だから、逃げる気なんてさらさらないよ。誰もが同じとは言わないけど、私はそう」

 言うだけ言うと、娘はひょいと両肩をすくめて顔をそむけた。

 もう話すことはない。そう言わんばかりの、明らかに興味を失った者の仕草だった。

 みんなが同じ考えなのか。

 半ば然としつつ、カズマは他の三人にも視線を向けた。

 そうしてしばし待つ。

 返ってきたのは無言の肯定。無関心であった。

 余計なお世話と、はっきり口にされないだけましであったのかもしれない。

 だが、考えてみれば当然の話だった。

 カズマ本人はヒーロー気取りであったが、彼女たちからすれば刃物片手に乗込んで、部屋の主を一方的に拷問した不審者だ。

 助けてあげるよと言われたところで、素直に差し出された手を握り返す気にはなれないだろう。

 カズマはうなだれ、すごすごとその場を後にした。

 こうなった以上、切替えて脱出に神経を集中しなければならない。

 意気消沈しつつも、自分に言い聞かせる。

 居間と言って良いのか――スコッチの私室のメインとなっている空間には、窓の類は見当たらなかった。

 防犯上の観点からだろうか。脱出ルートとして使えそうな所は皆無に近かい。

 最悪、来た道を引き返せば良いが、これは危険が大きい。

 人間ひとり分の大荷物が不自然に増えているのだ。

 多くの関係者に不審がられるだろう。

 と、なると――

 考えながら、カズマは再び寝室側へ向かって歩き出す。

 あるだろうと思っていた浴室は、期待通り存在した。

 サウナも備えたかなり本格的な設備で、フ=サァンの風呂文化の高さ、その一端を覗かせている。

 大勢が一度に利用することを想定しているのだろう。

 脱衣所にせよ、浴室にせよ、スパや温泉施設を思わせる規模を誇っている。

 こうなると比例して大きく求められてくるのが、かん能力だ。

 フ=サァンは日本ほど湿度が高い気候ではなさそうだが、それでも風呂場となれば空気の入れ換えを避けることはできまい。

 この予測はずばり正解だった。

 二階までぶち抜きの吹き抜けになった浴場には、その天井近い位置に巨大な通風口が幾つか設けてあった。

 覗き防止の意味もあるのだろう。三〇センチはあろうかという分厚い壁をくり抜いた、下が見えにくいトンネルのような穴だ。

 そこにブラインドのような格子スリットのある蓋が被せてある。

「五メートルはあるな……」

 近付いて真上に見上げれば、たちまち首の痛くなる高さだ。

 封貝〈*ワイズオレイター〉がなくば〇・五秒であきらめていただろう。

 が、不思議と今ならなんとかいけそうな気がした。

 カズマは一度、居間に戻った。

 放置していたスコッチを封貝で浮かせ、一緒に風呂場へ戻った。

 彼はまだ目覚める気配を見せず、シーツに包まれたまま巨大な肉まんのように動かない。

「――さて」

 カズマは改めて頭上の通風口を振り仰いだ。

 いずれも封貝に頼ることになるが、あれを越えるための方法はふたつある。

 ひとつは、これまでの実験で確実に実現できることが分かっている――階段式だ。

 つまり、複数の〈*ワイズオレイター〉を板状に並べる。

 最初は地上一〇センチ地点に一枚。

 それに乗った後、今度は二〇センチの高さに同じ封貝の群れを作る。

 そうやってステップを重ねながら五メートルの高さまで少しずつ登っていく方式である。

 もうひとつは、エレヴェータ式とでも言うべきか。

 こちらはまだ、試したことのない実験的な方法だ。

 今まで、カズマはスコッチや用心棒といった人体、一〇〇キロを超える荷物などを封貝で持ち上げ、空中を自在に移動させてきた。

 ならば、自分を乗せて運ばせることもできるのではないか、という試みである。

「一度、試してはみようと思ってたんだよね」

 一抹の不安を覚えつつも、カズマは準備にかかった。

 といっても、まずすべきは理論上可能であるかの検証だ。

 カズマのFox 2(フォックスツー)〈*ワイズオレイター〉は、基本的に主との相対位置で座標を定める封貝である。

 つまり「(プラス)一メートル」と念じれば、封貝はカズマから一メートル分離れた空間上に浮いて固定される。

 その後は何も指示せずとも、カズマが動けば一メートル分プラスした距離を保ってついてくる。

 カズマ自身は動かず封貝だけを移動させたい場合は、たとえば「+一メートル」から「+五〇センチ」と指示を変更すれば良い。

 この時、封貝は五〇センチ分だけカズマに近付いて止まる。

「+〇センチ」と命じれば、さらに五〇センチ動いてぴたりとカズマの肌に張り付くだろう。

 では、そこから逆に「マイナス五〇センチ」と命じたら?

〈*ワイズオレイタ〉はカズマを五〇センチ分押しのけて、逆方向へ進もうとするのではないか。

 ――押しのけて動く。

 これがもし上方向に働けば、それは上空に向かって浮き上がっていくことになる。

「まさか、すり抜けたりはしないよね……」

 釘を刺すようにつぶやきつつ、カズマは〈*ワイズオレイター〉を七個ずつ、五回にわけて、計三五個を召喚した。

 呼出す度、床の上に隙間なくぴったり並べて整列させていく。

 できあがったのは横七×縦五の長方形だ。

 カズマはその封貝プレートの上に乗り、両の脚で立った。

 そのまま、ゆっくりと垂直上昇していくイメージを頭のなかで描く。

 上手くいくか――?

 もちろん、危惧きぐが全くないわけではない。

 今回のチャレンジは、解釈によっては主従の関係が入れ替わってしまう。

 カズマという基準に、道具がかんしょうするのだ。

 カズマが封貝を動かす一方、封貝もカズマを動かす。

 目的を果たすため、封貝が主を押しのけるのだ。

 解釈によっては、作戦遂行のために部下が上官に指示を出すようなものなのかもしれない。

 封貝の世界において、それは許されることなのか――?

 だが、これらのねんはあっさりゆうへと変わった。

 あのエレヴェータが浮上するとき特有の目眩にも似た奇妙な浮遊感。

 それが、今、カズマに襲いかかっていた。直後、ゆっくりと封貝の絨毯は浮上を開始する。

「おおっ」

 思わず声が出た。

 一瞬ふらつき、だがカズマは踏ん張って体勢を整えた。

 二メートル地点で一度、止める。

 これ以上高くなると、なにかの不具合で転落した時に怖い。

 封貝にはまだどんな制限があるか分からないのだ。

 主であるカズマにかんしょうできるのは三〇秒間だけ。そんなルールがないとも限らない。

 しかし、しばらく試してみると、そうした制限はほとんどないことが分かった。

 上下に動かしてみたり、調子にのって横方向へのスライドもさせてみたが不具合は生じない。

 むしろ、操縦しているうち感覚がつかめてきて、安定感が増した感すらあった。

 もはや、ゆっくりとなら空飛ぶ絨毯じゅうたんのように操縦できる気さえする。

 流石に宙返りは無理であろうし、乗心地は決してめられたものではなかったが。

 カズマは「いける」という確信を得ると、すぐさま脱出にかかった。

 別の〈*ワイズオレイター〉でスコッチを持ち上げ、一緒に通風口まで上っていく。

 間近で見ても、やはり窓のサイズは充分に思えた。

 腹ばいでいずるようにすれば、スコッチの巨体でもなんとか通り抜けられそうな大きさはある。

 カズマは目立つ騒音を立てぬよう細心の注意を払いつつ、通風口に蓋をしているブラインドシャッターの破壊に着手した。

 これは思いの他、それほど苦労しなかった。

〈*ワイズオレイター〉でじんわりと圧力をかけていくと、ただの金属ではやはり太刀打ちできない。

 ミシミシと軋み音をあげながらしばらく粘ったあと、ネジが引き千切れたのか、ブラインドは枠ごと弾け飛んだ。

 ぽっかりと空いたその通風口から、まずスコッチを押し出す。

 途中で尻がつかえたが、封貝と義手で押しやると、こすれながらも何とか通った。

 全行程を通して、これがもっとも困難な作業となった。

 続くカズマ自身はなんなくこれを抜け、脱出に成功した。

 頬に撫でる夜風が心地よい。

 カズマはそのまま空飛ぶ封貝絨毯でムササビのように宙を舞い、すみやかに〈スコッチの館〉から離脱した。

 半ブロックほど離れた路地裏に下りる。

 通りからは裏手に当たるだけあり、闇に紛れれば人目につく心配もなかった。

 館の方から、騒動の発覚を知らせる非常ベルの類が鳴る気配もない。

 それでもカズマは、地面に下りてすぐスコッチを包んだ袋を物陰に隠した。

 それから徒歩で〈スコッチの館〉まで戻り、外で待っているはずのオックスを探した。

 彼は玄関前へ続く階段に、歩き疲れた迷子のように座り込んでいた。

 その内気な性格をあらわすように、最下段の端っこにちょこんと腰を落し、体育座りよろしく膝を抱えている。

「オックスくん、お待たせー」

 声をかけると、彼は幽霊を見たように口を半開きにし、それから弾かれたように立ち上がった。

「先生――?」

 混乱したように左右にきょろきょろと視線を彷徨さまよわせている。

「えっ、どうして? いつまに外に」

「窓から脱出したのだよ」

 カズマは得意な顔で、オックスの両肩を掴んだ。なだめるようにぽんぽんと軽く叩きながら続ける。

「作戦は成功だ。急いでエリックさんのところに戻ろう」

「成功したんですか」

「うん。人質候補も確保できたし」

「人質……」

 その意味を確かめるように、オックスは小声で囁く。

「人質?」

「袋詰めにして向こうに置いてある。回収してからエリックさんたちと合流だ」

「えっ、袋詰めって」

 歩きながら説明する。そう言って、カズマは返事を待たずにそちらへ足を向けた。

 慌てた様子で、オックスの足音が背後から続いてくる。

「あ、起きちゃったかな」

 路地裏の物陰につくと、スコッチ入り巨大肉まんが蠢いていた。

 自然覚醒した〈強欲〉が手足を縛られた状態で、芋虫のようにのたうっているらしい。

「先生、これは……」

 明りを掲げながら、オックスが固い声で問う。

 ちろちろと揺れる照明に舐められるその横顔にも、口調動揺の強張りが見て取れた。

 その耳もとに口を寄せ、カズマは小さく囁いた。

「名前覚えられると厄介だから、ここからは〝カズマ先生〟はなしだよ」

「あ、はい」

 オックスが慌てた様子で頷く。

「で、この中身だけど、スコッチ・スウォージその人だよ。ビックスくん、明りをかしてくれたまえ。顔を見られないように、光の輪の中には入らないようにね」

 カズマは小型カンテラを受取り、暴れるシーツ製の袋に近付いていった。

 一度、カンテラを地面に置いて、シーツの縛り口を解いていく。そしてスコッチを露出させた。

 闇に紛れたオックスが息を呑む気配が伝わる。

「彼にはまだ、利用価値がある」

 カズマは人攫いの声を借り、封貝を通してそう言った。

「暴れられると面倒だ。少し危険だけど――」

 スコッチの背後に位置どるカズマは、立ち上がりながら封貝を再召喚した。

 顕現した四個の球体は、暗殺者の無音のナイフのように〈強欲〉の首元へ忍び寄る。

 ややあって、またスコッチの巨躯が崩れ落ちた。

「眠り薬とかあると便利なんだけどなあ」

 ぼやいてから、ちらと相棒を一瞥する。

「オックスくん、それっぽいの持ってない?」

「それなら、テズピ村で念のために買っておいた痛み止めがありますけど」

「痛み止め?」

「はい。クブトン草をせんじた一番安いやつです」

 なんでもそれは、オルビスソーで広く使われている解熱げねつ鎮痛ちんつう剤であるらしい。

 クプトン草自体は、その辺の野原にも自生する多年草であるため、誰でも簡単に採取でき、安い。

 加工も容易であることから、貧民も自分で煎じて使うことが多いという。

 話を聞くうち、カズマはなんとなくアスピリンを想像した。

「へえ、そんなのがあるんだ。お金に困ったら作って売れそうだね」

「路上生活する孤児などは、まさにクプトン薬を自作して売ったりしてますよ」

「で、それは睡眠薬としても使えるの?」

「いえ、どちらかというと飲み過ぎた時の副作用として考えられています。クプトン薬は大量摂取すると意識が混濁したり、急激な眠気に襲われたりするんです。身体にも負担が大きいので、普通は睡眠薬として使う人はいません。

 ……ただ、貧しい人たちは麻酔が必要なときにそういった大量摂取を敢えてすることがあるとは聞きます。むかしは僕たちの部族でも似たような使われ方をしていたとか」

「そっか。じゃあ、悪いけどスコッチ氏にはそれでしばらく眠っていて貰おう」

 カズマはすぐ決断した。

 善良なオックスは渋っていたが、なんとか押し切って協力を取り付ける。

 二人がかりで気を失ったスコッチの口を開けさせ、水筒の水で強引にクプトン薬を流し込んだ。

「これで、どれくらい眠らせていられる?」

「効き目には個人差が出ますけど、少なくとも半刻は起きないでしょうね」

 半刻というと六〇分前後。

 それだけあればインカルシを脱出するには充分と言える。

 カズマは安心し、白い大風呂敷を肩に担ぎ上げた。

 無論、はた目にはそう見えるというだけで、実際には封貝のサポートを受けている。体感重量はゼロに近い。

「じゃ、行こうか。オックスくん」

「――はい」

 どこか非道な行いに手を染めたという罪悪感が残るのだろう。

 オックスの返答は歯切れが悪い。

 カズマにも似た思いはある。

 だが、おおむね満足のいく成果を挙げられたことに対する達成感の方が勝っていた。

 自然、帰路の足取りは軽くなる。

 念のためにおうとは微妙に道筋を変えつつ、一路、南門へ急いだ。

 問題があるとすれば、この南門の通過であった。

 夜中に怪しげな大荷物を抱えて街を出ようとすれば、可能性は低いが門兵に見とがめられる危険がある。

 「ちょっと中を見せてみろ」と言われればそこでおしまいだ。

 ナージャの奪還どころか、人攫いの封貝使いとして彼女と同じ牢に叩き込まれることけ合いである。

「オックスくんは、どうやって外に出るか、何かアイディアある?」

「考えてはいるんですが……難しいですね。どうあってもノーリスクでは無理だと思います」

「あ、やっぱり?」

 館を後にして数十分。迫ってきた外壁を見上げながら、カズマはげんなりする。

「ただ、インカルシは外から持ち込む分には厳しいですけど、出ていく荷物に関しては――それがフ=サァン内に限定されるなら――比較的チェックはゆるいんです」

 なんで? と聞きかけたが、すぐに自己解決した。

「ああ……港町なんだったね、ここ」

 カズマはまだ見ていないが、インカルシの東側は海に面しており、国内屈指の規模を持つ大きな港があるとは話に聞いていた。

 その先に広がる海を越えたところにあるのが、噂に聞くオルビスソー本土だ。

 インカルシ、いてはフ=サァンとして見れば、その港から出入りする荷物こそが最優先すべき監視対象なのだろう。

 貿易品は国の経済に関わる。

 門から悪党が怪しげな荷物を持ち出すのとはわけが違う、ということだ。

 海洋貿易でやり取りされる荷は価値もさることならがら、量がまたけた違いだ。

 密輸にはどれだけ目を光らせても足りることはあるまい。

「とはいえ、もちろん門の方もノーガードではないんだよね?」

 念のために確認すると、オックスは生真面目な表情で首を縦に振った。

「明らかに不審な荷物が持ち出されようとしたりすれば、当然ながら検査はされます。今の僕らは……堂々としていれば、たぶん大丈夫でとは思いますけど」

 小声でやりとりする間にも、南門は近付いてくる。

 既に両脇でかれているかがり火に照らされた門番たちの姿がはっきりと見えはじめていた。

「どっちにしても、僕の〈Fox 2(フォックスツー)〉じゃ、あれを超えさせるのは無理だ」

 カズマは月夜を一際黒く切り抜く城壁のシルエットをにらむ。

 遠目からの目算でも、インカルシを取り囲む外壁の高さはもっとも低いところですら一〇メートルを超えていることが分かる。

 限界を試したことはないが、今のカズマが〈*ワイズサーガ〉を遠隔操作できるのはせいぜいが半径五メートル前後のけんないであろう。

 スコッチだけを持ちあげ、ひょいと向こう側へ移動させる――というような芸当はできそうにない。

「かと言って、僕が一緒に浮いて壁を越えるとなると流石に目立つしなあ……」

 自慢の〈*ワイズオレイター〉は呼出してその辺に浮かべているだけでは、ほとんど封貝としての気配を発しない。

 普通の封貝がガソリン式バイクのエンジン音だとすれば、〈*ワイズオレイター〉は自転車の走行音のようなものだ。

 よほど近くなければ基本的に感知は難しい。それだけ近いなら実際に眼で見た方が早いだろう。

 ただ、街を巡回しているであろう護士組のことは、考慮に入れておく必要があった。

 普通なら感じ取れないほど微弱な封貝の気配を察知する能力者や、いわゆる千里眼のような異能を発揮する封貝使いがいる可能性があるためだ。

 特殊な信号を発し、レーダーのように不審者を見つけ出すペルナの持ち主――。

 そんな厄介な存在がいたとして、まったく驚くべきことではないのである。

「先生。ここは賭けてみませんか」オックスが言った。

「門から普通に出てみるってこと?」

「はい」

「バレたら?」

「そのときは、先生の音だけ出る爆弾を使って逃げましょう。タイミング良く耳をふさげば僕たちはなんとか耐えられると思うんです。でも、準備ができていない門番の人たちは、ショックでしばらく身動きが取れなくなるはずです」

「それだと、爆発だ!……とかなって、騒ぎにならない?」

「見つかったら騒ぎになるのは、封貝で外壁を飛び越えるパターンでも同じですよ」

 それは、その通りだ。カズマは黙ってしゅこうする。

「襲撃を受けたわけではないので大がかりな捜索は行われないでしょうし、なにより夜です」

 オックスが続けた。

「護士組が来る前に身を潜めてしまえば逃げ切れるんじゃないでしょうか」

「うーん……」

「やはり、希望的観測にすぎるでしょうか?」

 オックスにしては大胆だいたんな物言いである。が、筋は通っているように思えた。

 どうあってもリスクは付きまとう。その指摘に間違いはない。

 ならば、一番手っ取り早い手段にすがるのも考え方のひとつだ。

 なにより、ナージャの奪還は時間との勝負なのだ。あまりぐずぐずはしていられない。

「いや、それで良いよ。門から出るっていうオックス案は採用だ」

「はい。ありがとうございます!」

「じゃ、ちょっと打ち合わせしようか」

 一端、目抜き通りからはずれ、建物と建物の隙間に入った。

 もしものときに音響爆弾を使うなら、その準備もある。

 カズマは〈*ワイズオレイター〉を幾つか用意し、オックスにも二個渡した。

「それ、前に実験したやつと大体同じ感じのやつね。ただ一応、音に指向性を持たせるようにしておいた。前方向に音が固まって飛んで、後ろ側にはあんまり来ない感じになってる……と思う」

「では」とオックスは受取った封貝に眼を落す。

「相手と自分との間に落すべきなんですね? 封貝自体に向きとかはあるんですか」

「ない。それは僕もよく分からないけど、封貝側でオート判定してくれると思う。それから、さっき言った指向性については、たぶん僕が思ったほど上手くは機能しない気がするんだ。気休め程度と思って、耳塞ぐのはちゃんとした方が良いよ」

「分かりました。気をつけます」

 それから作戦の細かい調整と、緊急時の対応をふたりで煮詰めた。

 最後に細々とした用意を調えると、改めて南門へ進路を取る。

 残り一〇〇メートルを切った門前はすいていた。

 時間が時間だけあり、出入りする人間の数も限られるのだろう。

 当然、暇をもてあました守衛の目に止まる危険性は相応に高まる。

 である以上、近付く段階で「あれはなんだ」となるのは是非避けたい。

 カズマたちは身を隠すように路肩に寄り、通りに沿って並ぶ建物の軒先をかすめるようにしてゲート前広場へ接近した。

 袋を背負ったカズマが前に立ち、後ろからそれを支えるようにしてオックスが続く。

 門はもう、守衛の顔にあるほくろの数が分かるほど近付いている。

 ここに到って、予定通りカズマは歩く速度を落した。

 背負うのはスコッチが収まるほど巨大な袋だ。

 軽々と持ち上げていたのでは怪しまれる。

 演技で表情を険しくし、足取りも設定に合わせなければならない。

 ふたりは道の端から真ん中に出て、いよいよ門前の広場に入った。

 インカルシは、基本的に入るときに税金を払うルールだ。出る場合は、個人なら特にチェックも金も必要がない。

 運が良ければ、門番と会釈すら交わさず通り抜けることさえ可能だという。

 カズマはきょろきょろと辺りを見回しながら、忍び足で広場を横切っていく。

 一〇メートルを軽く超える城壁に構えられた玄関口であるだけに、ゲートそのものもサイズはやはり尋常ではない。

 巨人族――そんなものがオルビスソーにいればだが――の出入りすら想定しているのではないか。

 そう思わせるに充分な高さと幅があり、数十人がかりでしか開け閉めできそうにない、それそのものが一つの建造物にすら見える超巨大鉄扉が、観音開きにされて両脇に固定されている。

 ゲートでは二台の馬車が入場手続きを行っているだけで、それもしゅく々《しゅく》としたものだった。

 見える範囲でうろついている門番は三人。

 いずれも武装した兵士だが、封貝の気配はまとっていない。

 うち二人は、これから入ろうという馬車の荷の確認に追われており、カズマとオックスには気付いていない。

 あるいは気付いているが、注意は払っていなかった。

 問題は、出ていこうとする通行人を担当していると思わしき三人目だ。

 篝火に照らされにぷきらめく甲冑をまとったそう年の男性で、手入れの行き届いた焦茶色のあごひげがそのせいかんさを引き立てている。

 人種の違いを別にすれば、どこかオキシオに似た兵士だった。

 彼はもちろん、一〇歩先から歩み寄ってくるカズマたちの存在に随分前から気付いていた。

 既にぎょうの構えでふたりを待ち構えている。

 今のところ決定的な不審感を抱いてはいないようで、その証拠に詰め所の壁に立てかけた槍や、腰に下げた長剣に手をかける気配はない。

 カズマは一度、不用意に彼と視線を合わせてしまい、慌てておもてを伏せた。

 そのまま眼を合わせないように顔を逸らした状態でこそこそとゲートを潜る。

 まず、先頭を行くカズマが兵士の横を通り過ぎた。

 幸いにも、突き出された槍で行く手を塞がれるということはなかった。

 視線が背中の白い袋にじっと注がれているのを感じるが、息を止めて耐えた。

 呼吸をすれば、息と一緒に心臓まで口から飛び出るだろう。

 カズマが通過すると、続いてオックスが兵士の横をすり抜けにかかる。

 そして一歩、二歩。

 ここから先は自分との戦いとも言えた。

 駆け出したくなる気持ちを必死に押さえこみ、歩調を維持する。

「――お前たち、止まれ」

 小刻みに四歩進んだところで、その声はかけられた。

 カズマは反射的に足を止めた。

 風呂敷を握る手に、自然と力が籠もる。

 このパターンを事前に考えていなかったわけではない。

 聞かなかったふりをしてそのまま進むか。命令に大人しく従うか。

 オックスとも話し合った。

 対応を誤れば、一気に破滅だ。

「……ッ」

 カズマは眼を固く閉じて、息を大きく吸った。

 そして気持ちを切替える。

 顔を微妙に伏せたまま、懐に隠した封貝を使って、女性の声で答えた。

「わたくしどもに――何でございましょう、騎士様」

「このようなぶんに、女ふたりでそのような大荷物。一体、何事か?」

 金属のこすれる微かな音と共に、騎士が近付いてくる。

 声は幾分穏やかで、彼が疑惑というより単純な好奇心で呼び止めたことを物語っていた。

 このような事態を想定し、あらかじめ女装していたことも必要以上に警戒されなかった理由なのだろう。

「まず、荷を下ろせ。重いだろう」

 言葉とともに、騎士の足音が荷物のほんの数センチ先で止まる。

 カズマはフード状にかぶった布から横顔がこぼれぬよう、完全には振り返らずに応じた。

「い……いえ、騎士様。わたくしどもなら、このままで大丈夫にございます」

「よい、下ろして楽にせよ」

 こうまで押されては、もはや逆らうと逆に不自然になる。

 カズマはオックスと素早く目配せを交わし、ゆっくりと袋を地に下ろした。

 それを満足そうに見届けると、番兵は口調を改めて言った。

「では、すいくらいはさせてもらおうか」

「わたくしどもは、アブラミンチ家につかえるしがない女中にございます。騎士様」

 代表してカズマが答え、ぺこりと頭を下げる。これにはオックスも倣った。

「アブラミンチ家? 聞かぬ家名だな」

 当然だ。そんなカロリィの高そうな貴族など実在されてはたまらない。

 腹の中で思いつつも、もちろんおもてには出さない。

「はい、騎士様」

 カズマは愛想よく言った。

「当家は下級貴族の末席に名を連ねるに過ぎぬおいえでありますがゆえ

「当主は?」

「ハンバーグ・アブラミンチ様にございます」

 形式的な質問でしかなかったらしい。よどみなく応じてみせると、番兵はフムと小さくつぶやいただけだった。

「して、この荷はなんだ?」

「それは……」

 カズマは言いよどむ。短い沈黙がおりた。

「まあ、良い。大した手間にもならぬだろう。あらためさせてもらうぞ」

 守衛は言うやしゃがみ込み、さっさと袋の結びに手を伸ばした。

「あっ、騎士様――ッ!」

 カズマは声を上げ、オックスは悲鳴を飲み込んだように喉をひくつかせる。

 籠手ガントレットをつけているためか、門番の手の動きは繊細さにかけた。

 固く縛った結び目を解くのに苦戦し、思いのほか時間をかけている。

 だが、口は着実に緩まり、やがて完全に解かれた。

 守衛は露わになった中身をいちべつすると、すぐに顔を上げた。

 その表情には、もはや先ほどまでの温情はない。

 無言でカズマとオックスを観察したあと、彼は冷ややかな声でうた。

「――これは、どういうことかな?」

 答えたのはカズマだった。

「騎士様、これには訳が……ございます」

「そうだろうな」

 守衛は冷たく言い放ち、やおら立ち上がる。

 彼は腰に差したロングソードの柄に手をかけ、カズマとオックスから視線を外さずに抜き放った。

 切っ先が広げられたシーツの上に積み上げられた、無数の石の一つをつついた。

 触れた石がカラと乾いた音を立てて山の上から転がり落ちていく。

「やはり、ただの石か」

 その様を一通り見届けたあと、番兵は再びカズマたちを見やった。

「なぜ、こんな真夜中にわざわざ石ころなど? 他にも雑草、土くれ、ボロ布……ゴミの山ではないか」

「騎士様、お聞き下さい」

 カズマは懇願口調で言った。

「申せ」

「騎士様の仰る通り、これはまさしくゴミの山です。しかし、わたくしどものお仕えするアブラミンチ家にはそうとはお考えにならない方がおられます」

「なに、どういうことだ?」

「当主、ハンバーグ・アブラミンチ氏の五つになるご子息、ポーク坊ちゃまがそうです」

 このポーク・アブラミンチには、外で遊び回っては石や泥団子を持ち帰る悪癖がある。

 それだけではなく、宝物だといってそれらを後生大事にしまいこんでしまうのだ。

 おかげでアブラミンチ家は彼のコレクションであふれかえり、ちょっとしたゴミ屋敷のようそうていし始めている――。

 カズマはか弱い女性の声を合成し、涙ながらに語った。

 声のモデルはスコッチの館で会った受付嬢である。

「ならばそのむね、主にちんじょうしゴミは処分すれば良いではないか」

「それがそうもいかぬのです。ポーク坊ちゃまは旦那様がたがお年を召してから授かった待望の第一子。そのため、坊ちゃまに異常なまでの愛情を注がれておられるのです。

 盲目的にかわいがるあまり叱ることをなさいませんし、私どもにもそれを決して許されません。いくら申し上げても、ポークが悲しむからと旦那様も奥様もゴミの処理に同意なさらないのです」

「なるほど、それで夜中に隠れてこそこそと捨てにいかざるを得ないと。家にも内密で」

「さようでございます、騎士様。なにとぞわたくしどもをお見逃し下さい」

「無能な上を持つと現場が苦を強いられる。どこも同じということか。身につまされる話よな――」

 なにか思う所があるのか、守衛は首を振り振りしみじみとぼやいた。

「そういうことなら、私も協力せざるを得ぬだろう。私は何も見なかった。アブラミンチ家などという下級貴族のことも、その女中のことも知らぬし、見たこともない」

「あっ――」

 カズマは一瞬、何を言われたのか理解できない、といった風を装い、直後、慌てた感じで勢いよく頭を下げた。

「ありがとうございます、騎士様。その寛大なご処置に心より感謝致します」

 オックスもはっとした様子でカズマにならう。

 無言で深々と腰を折るのが見えた。

「なに、気にするな。早く荷物をまとめて行くが良い。石の山など、事情を知らぬ者に見られれば不審がられる。人目につくのはお前たちにしても歓迎すべきことではなかろう」

「はい。お心遣いありがとう存じます」

 カズマはオックスと協力して、すぐにシーツの四隅を結び合わせた。

 それから元のように背負い上げ、礼の言葉と共に幾度も頭を下げた。

「お優しい騎士様。わたくしの主が、あなた様のように慈悲深く凜々しい殿方であったなら良かったのに……」

 念押しでびを売っておくのも忘れない。

 元手ゼロの商売だ。惜しむ必要はなかった。

「これ、滅多なことを言うものではないぞ」

 一応はしっせきの言葉こそ口にすれ、門番は満更でもなさそうな顔だった。口元からは白い歯が零れさえしている。

「それに私は騎士などという立派な身分ではないのだぞ」

「いいえ、その気高さはたとえじょくんを受けてはいなくとも、まさしく寝物語に聞いた異国の守護騎士そのもの。少なくとも今この瞬間、あなたは私の騎士様です」

 カズマはめちぎり、最後にもう一度、丁寧に腰をくの字に折った。

 女性らしい優雅な動きできびすを返し、オックスに一声かけてから歩き出す。もちろん、内股は忘れない。

 遠ざかる背中を最後まで見送る気配の門番に苦笑いしつつ、その視線を切るようにさっさと街道を外れて死角に入る。

 石ころを捨てに行くというのだ。

 多少、道かられても不自然には思われないだろう。そんな思惑もあっての行動である。

 ここまでくれば――。

 そんなあんの息を、誰はばかることなく吐き出せたのは、五分ほど歩いたあとだった。

 カズマは身を隠すに充分な木陰を見つけ、ようやく一息入れた。

 隣では、精も根も尽き果てたといった様子で、オックスが腰から崩れ落ちている。

「なんとか……切り抜けましたね……」

 へたり込んだ彼は、がっくりとうなだれたまま力なくつぶやいた。

「ほんとに」

「寿命が縮まる思いでしたよ」

「僕もだよ。……こういうのはちょっと、もう二度とやりたくないね」

 カズマは木の幹に背を預けつつ、軽く目を閉じた。深く嘆息する。

 もう一度、目蓋を開けたとき、オックスが水筒を差し出していた。

 カズマは笑顔で先に飲むよう勧め、少し迷ったあとその場に腰を落した。

「でも、ほとんど計算通りにいきましたね。ちょっと驚きました」

 一口(のど)うるおしたオックスが、輝くばかりの笑顔で言った。

 彼はそれからカズマの頭上、約五メートル付近を漂っているスコッチを見上げた。

 カズマも釣られてそちらに視線を向ける。

 これが、最終的にふたりが採用した策のタネだった。

 どんな方法をろうと、相応のリスクは避けられない。

 ならば一番、それが小さなやり方を考えれば良い。

 そんな考えのもと辿り着いたベストな道が、〝あえて荷物検査を受ける〟だったのである。

 目立つ大荷物を隠そう、隠そうと頑張れば、逆にその挙動の不審度は増してしまう。

 怪しいものをそうでないように見せようとするから無理が出る。

「だったらこの際、もう隠すのやめちゃったらどうかな?」

 作戦会議の最中、うんうんうなって悩むオックスを尻目に、軽い口調でそう提案したのは、やはりカズマだった。

 いかにも何かありそうな動きで意図的に注意を引く。

 それによって、裏にある本命のタネに気付かせない――。

 ヒントは日本でも良く見る機会のあった手品マジックにあった。

 具体的なプランはこうだ。

 まず、シーツ製の風呂敷からスコッチを出し、代わりにその辺に転がっている石ころや、自分たちの上着、持っていた手拭い、雑草、落葉、土砂の類を詰め込んで元の袋状態に戻す。

 取り出したスコッチは、カズマが可能な限り高い位置に浮かせる。

 もちろん、いくら高いところに浮かせていようと離れている相手の視界には収まってしまうだろう。

 これを避けるため、道沿いに並ぶ建物の屋根スレスレに置きながら、闇に紛れて門まで接近する。

 カズマたち自身も、道の端に寄って早めの発見から逃れる。

 そうしてゲート前広場に入れば、作戦の半分は成功だ。

 充分に接近してしまうと、五メートル地点の浮遊物など、意図して頭上を振り仰がない限り視界には入らなくなるためだ。

 五メートルと言えば、一軒家の二階天井に相当する高さである。

 普段、道路を歩いていても、近くの家の二階から自分を見下ろしている住人の眼に気付くことはなかなかない。同じ原理である。

 だが、これだけだと、まだ万が一ということがあった。

 そのため、広場に入ってからというもの、カズマたちはあえて目立つ行動を取った。

 抜き足差し足、空き巣のように慎重に歩いた。

 人目におびえるように、ハトのごとく常に首を振り振り周囲をうかがう素振りを見せた。

 フードを被って女性的に顔を隠し、内股で歩いた。

 夜中に巨な大風呂敷を背負い、性別不詳の二人組がこそこそと城門を抜けようとしているのだ。

 一度、気付けば目をらせない光景になる。

 一体、何者だ。男か、女か。あのデカイ袋はなんだ。

 何が入っている。どこへ運びだそうというのだ……?

 疑問が渦巻き、目をらせなくもなるだろう。

 それは門番の視線を地表付近へ誘導、固定することを意味する。

 その間、無数の封貝に支えられて上空を飛ぶスコッチは、ヤモリよろしく壁伝いにするするとゲートへ近付く。

 カズマは時おり、その動きをちらちら確認する必要があったが、この眼の動きは目深に被ったフードで隠された。

 こうして下からはカズマとオックス、上からはスコッチという同時脱出の構図は作られた。

 荷物検査が申し渡される段に到って、これは理想的な形となった。

 番兵がしゃがみ込み、足元に広げたゴミの山へ視線を釘付けしたのである。

 もちろん、このすきを逃すカズマではない。

〈*ワイズオレイター〉を無言で操作し、スコッチを誘導。

 アーチ状の高い天井を持つ巨大ゲートのじょうへんを突っ切らせ、一気に外側へ運び出した。

 もちろん、充分な時間が稼げるよう、説明を求める番兵に必要以上にまわりくどい言い訳を並べ立てることもおこたらなかった。

「はい、このカード。よく覚えて下さいね。タネや仕掛けがないことも確認して」

 観客にトランプを手に取らせ、それに集中させている裏で、マジシャンは自分の手の中に仕込んだタネを発動させている。

 あとは騎士様、騎士様と黄色い声でめそやし、気持ち良く解放してもらえば良い。

 この作戦のリスクの低さは、もし空に浮かせたスコッチが見つかっても、幽霊だ魔物だとキャーキャー叫びながら、無関係を装って逃げられることにある。

 カズマ自身がスコッチを担ぎ、封貝で壁越えを行った場合だとこうはいかない。

 見つかれば現行犯である以上、言い逃れのしようがないのだ。

「――さて、いつまでも浮かせてるのもあれだし、そろそろ袋に戻してあげようか」

 カズマは言って、封貝に降下を命じた。

 ともなって、宙づりにされたスコッチが無音のヘリコプターのように下りてくる。

「彼には気の毒なことをしてしまいましたね」

 再びシーツに包みながら、オックスが同情的につぶやいた。

「言えた義理じゃないけど、僕もスコッチは災難だったと思うよ。彼の部屋を見たけど、まあちょっと普通じゃなかった。カジノの経営者でなくたって、相当あくどいことをやってきたんだと思う。

 でも、そんな相手だからって、一方的に暴力を振るったり、拉致したり、無理やり危険な薬を飲ませて良い理由にはならないからね。彼は悪党かもしれないけど、もはや僕だって負けないくらいの悪党だよ。少なくとも、そうなってしまった」

 いずれ、何らかの形でつぐないはしなくてはいけないだろう。

 報いが訪れるだろう。

 だが今は、手を汚さなくてはナージャに届かない。

 同じ事を理解しているのだろう。オックスもそれ以上はなにも言わなかった。

「時間が惜しい。ここからは封貝で移動しよう」

 カズマはまず二個、〈*ワイズオレイター〉を召還した。

 オックスの方に飛ばし、彼を左右から挟み込む位置で停止させる。

「これは……?」

 自分の鳩尾みぞおちあたりの高さを漂う二つの球体を、彼は不思議そうに見やる。

「その二つを左右それぞれの手で握ってみて」

 カズマが頼むと、オックスは顔にハテナマークを浮かべながらも黙って従った。

「で、それを支点に自分の身体を持ち上げるんだ。椅子から立ち上がるとき、アームレストを上から押さえつけるみたいするでしょ? あの感じ」

「ああ、なるほど」

 オックスは理解の証に頷き、ちょんと地面を蹴った。

 左右の脇に浮いた封貝に体重をかけ、押し込むようにすると肘をぴんと伸ばす。

 封貝は胸の高さに浮いているため、必然的に彼の足はぶらぶらと数十センチ宙に浮くことになる。

 カズマも別に呼出した封貝で同じ体勢を取った。

 さらに補助としてそれぞれに二個ずつ封貝を追加した。

 こちらは下から足の裏にぴたりと張り付き、押し上げるように支えるよう設定する。

 準備が整うと、カズマは全ての封貝の遠隔操作を開始した。

 こうすると、立った状態で地表に近い場所を滑るように飛ぶことができる。

 多少の腕力は必要になるが、自転車程度の速度は出るため、走るよりかは何倍も体力消費が小さく、そして速い。

「わあっ、凄い! これはなんだか凄いです。楽しいです」

 最初こそ少し怖がったオックスだが、すぐに年相応の無邪気な歓声をあげ始めた。

 こんな使い方もできるなんて。なんだか僕まで封貝使いになった気分です。

 はしゃぐようにカズマへ報告してくる。

「僕を中心に五、六メートル――」

 言って、オルビスソーではメートル法が通じないことを思い出す。

「つまり、ええと、人間三人から四人分の身長くらいの範囲内であれば、かなり自在に封貝を使いこなせるようになってきた。本当は何十個と呼び出して、空飛ぶ絨毯みたいにする方が楽に飛べるんだけど、体力切れが怖いからね」

「いえ、僕はこれで充分ですよ!」

 オックスは本気でそう思っているらしく、言葉のあともにこにこしていた。

 昼間ならばもう少し速度も出せただろうが、やはり暗いと事故の怖さがある。

 ある程度、夜目がきくとはいえ、今はオックスが腰からさげたカンテラの光だけが頼りだ。

 ここで変に無理をして怪我でもしては後の作戦にも影響してしまう。

 カズマは慎重を心がけた。

 それでも、その辺の長距離ランナーには負けないほどの速度は出ている。

 すぐに、エリックの待つベースキャンプの地が見えてきた。

 さらに近付くと馬車の周囲に幾つか灯がともされ、複数の人影がたむろしているのが分かる。

 一足先に戻っていたサイトと、彼が連れ帰った――それはオキシオの姿であった。

「おお、オキシオさん」

 先に彼の存在に気付いていたカズマは、馬車の周囲で焚かれる篝火の輪に入ると、封貝を消してその名の主の元へ駆け寄った。

「よかった。無事だったんだ」

「――ッ! カズマ殿」

 オキシオは目を丸くしながら振り返った直後、その場で片膝を立てた礼の構えを取った。

 ちょうど、陸上のクラウチング・スタートのセット前に近い体勢だ。

 その状態から、彼は深くこうべれた。

 オキシオたち先住民族オクスゥにとっての土下座に近い作法なのかもしれない。

 そのうやうやしい所作は、カズマになんとなくそんな印象を抱かせた。

「この度の失態、面目次第も御座いません。ご厚意により、貴重な人材をお借りしておきながら、我々は……」

 地に付かれた彼の手が、震えながら土をきむしるのが見えた。

「別にオキシオさんに過失があったって言うわけじゃないんでしょ。何があったのか、詳しく聞かせてもらえます?」

「はっ」

 オキシオは頭を下げたまま、うめくように事の次第を語り始めた。

 それはおおむね、サイトから得ていた情報とほとんどたがわぬ内容だった。

 わく、インカルシ到着寸前に白虎四番隊のショウ・ヒジカに運悪くそうぐうしてしまった。

 ナージャもオキシオも可能な限り穏便に――と振る舞ったが、ヒジカ隊から理不尽な攻撃を受け、やむなく逃走の構えをとった。

 その際、怪我人たちをかばって重傷を負ったナージャは、最後の力を振り絞りインカルシに突入を決行。

 オキシオたちを秘密裏に逃がすと、自らおとり役を買って出た後、力尽きて護士組に捕らわれた――。

「ナージャ殿の陽動もあり、我々は夜陰やいんに紛れてインカルシに潜入することができました」

 そこまで語ると、オキシオはようやく頭を上げた。

 相変わらず顔は伏せられているが、そこに沈痛な表情が浮かんでいるであろう事は見なくても分かる。

「市内には護士組を含めた警戒けいかいもうが敷かれていましたが、これもなんとかやり過ごすことができ……何もかも、すべてはナージャ殿の献身のおかけです」

「そっか。彼女、凄く頑張ったんですね」

 エリックがどこかいつくしむような表情と声音で言った。

「僕らが思っていた以上に、彼女は頑張ってくれてたんだ」

「どうやら、そのようですね」

 カズマはうなずく。

「しかし……撃たれて重傷とは」

 想定してはいたことだが、痛手だった。

 奪還作戦への影響は否定しきれない。

 彼女が無傷、あるいは軽傷であったなら、解放さえしてしまえば戦力として計算できたのだ。

 しかし、負傷しているというならそれも期待できなくなる。

 奪還難易度は、これでまた数段上がってしまった。

「――それでオキシオさん。巫女様とモンドさんは?」

 辛抱強く黙って話を聞いていたオックスが半歩、オキシオに詰め寄った。

 巫女様というのが毒を受けた少女。モンドというのが、重傷を負い大量出血で死にかけていた男の名なのだろう。

「安心せい」

 オキシオは太い声でさとすように言った。

「治療は間に合った。ネネの解毒も、モンドの治療も既に終えておる。モンドの方はまだ意識が戻っておらぬし、両者とも失われた体力が戻るまで時間はかかるが、峠は越えた。ネネの方は会話ができるまで回復していた。ナージャ殿のおかげよ」

「確か、お知り合いの治療師の所に連れて行く、とおっしゃってましたけど」

 エリックの問いに、オキシオは丁寧に頷いた。

「はい。こんにしているところがございましたので。そこは、予定通りに」

「思ったのですが、治療師――おそらく僕らの故郷でいうところの医者――はどうして必要なんでしょう?」

 エリックが不思議そうな顔で続けた。

「オルビスソーには回復宝貝ポーションというのがあって、それを飲めば毒や傷を治せるんですよね?」

「確かにポーションの――とりわけ特級のそれが発揮する力は絶大です。しかし、治療のためにいくらでも金を出せるという人間は、非常に限られているのが現実。故に、世間は治療師を必要としているのです」

「えっと……つまり、どういうことですか?」

 カズマが訊いた。

「前にも少しお話ししたかもしれませんが、ポーションと一口に言っても効能やグレードは様々なんですよ」

 答えたのはオキシオではなくサイトだった。

「もちろん、最高級のポーションは、それ一つで毒、怪我、疾病、全てをもまとめて駆逐してしまいます。歴史的なケースを持ち出すなら、切断された四肢すら復元されたり、肉体年齢が明らかに若返ったりした例もあるとか。しかし、それは大金を出せる貴族たち専有物です。いや、物によってはたとえ高位の貴族ですら簡単には手を出せないこともあります。

 そこへきて庶民や貧民となると……買えたとして、頭痛なら頭痛に、腹痛なら腹痛、風邪には風邪にと、それぞれの症状に多少効くといった下級品がやっとです。そうして、なけなしの金をはたいて買ったポーションも、正しく使わなければ効果は出ません。そのため、傷や病気の症状から原因や治療法をきちんと見極めるのが非常に重要になるのです」

「ああ、なるほど」

 カズマはエリックと声を揃えて首肯した。

 実際、サイトの説明には深くうなずけるところがある。

 結局、医療はその七割が原因の特定にかかっているのだ。

 少なくとも、表向き製薬会社勤務という肩書きであったシゲンやサトミはそう語っていた。

 検査、そして検査。問診。視診。触診。

 検査結果をフィードバックしては、また検査。

 病院に行けばまず徹底して行われるのは、不調の原因を究明だ。

 そうして、診断を確定させた医者は自信満々で手際よく治療に入る。

 一方、原因を究明できなかった場合は途端にしどろもどろだ。

 まるで、教師に当てられると分かっていながら、予習を忘れた生徒のように口ごもり出す。

「それに――」とサイトが続けた。「高価な上級ポーションを使わずとも、数種類の安いポーションや薬草を適切に組み合わせれば、安く治療できることも少なくありません。その見極めには、やはり専門の知識を持ち、多くの症例を見た経験を持つ治療師がどうしても必要になります」

「しかも、オルビスソーには見た目は人間なのに、頭から猫耳が生えてたりする種族もいるからねえ」

 カズマはうんうん頷きながら言った。

「僕、スコッチの館でまたそういうの見ちゃいましたよ。今度は女の子だったけど」

「そう」

 サイトが言った。

「種族が違えば、また問題も変わってきます。その種族に有の病などもありますので。専門家が求められる所以ゆえんの一つですね」

「そういうわけだったんですね」

 エリックが納得顔で微笑を浮かべる。

「でも、良かった……」

 オックスがまさに安堵になで下ろす、といった様子で胸に手を置く。

「巫女様もモンドさんも無事で。シオさんも、レンカショップに置いて来ちゃったけど、あとは体力の回復を待つばかりだし」

「でも、お金は?」

 ふと思い出してカズマはたずねた。

「治療費は凄く高いんでしょ?」

「それは、これから考えなくてはなりません。ただ、オックスが元々インカルシで売るはずだった荷物を持ってきてくれていますし、馬も金に換えています。かき集めれば、頭金くらいにはなるでしょう」

 とオキシオ。

「なんだったら、僕のランコォル種も売っちゃって良いですよ。どうせ貰い物だし」

 カズマは軽い口調で言った。

「まあ、これから奪還計画のトンズラ用に使うかもしれないから、それが済んでからってことになるだろうけど」

 この提案には、先住民族オクスゥの三人がそろって難色を示した。

 ただでさえしょうで多大な援助とほどこしをいただいているのに、これ以上は求められない。到底、許されない。

 金の工面は我々が部族として取り組むべき問題である。

 ここは気持ちだけ有難く頂戴しておく。

 それが彼らの主張だった。

「――むしろ、我々は一命にかえてもご恩をお返しせねばならぬ立場。このオキシオも、ナージャ殿の奪還にどうぞ使って下さい」

 言って、またオキシオは額を地にこすりつけんとばかりに下げた。

「あの、頭を上げて下さい。オキシオさん」

 そこは流石に体育会系といったところか。

 年長者に低く出られるのは居心地が悪いのだろう。

 エリックが困惑顔で言った。

「オキシオさんが手伝ってくれるなら心強いです。ねえ、カズマくん」

 なぜか助けを求めるように問われたため、カズマは急いで返答した。

「そうですね。計画の性質上、人手は多いほど良いし、純粋に戦力的にも助かります。スコッチの館で用心棒の封貝使いを見てきましたけど、まあ、あれは化物でしたからねえ。白級パール青級ブルーでしたっけ? どっちも下位ランクなのにあのプレッシャーはない。護士組にはあんなのがごろごろいるっていうなら、頼れる大人の存在は精神的にも大きいですよ。安心感があります」

「そう言っていただけると」

 オキシオが恐縮したように顎を引く。

「それで、カズマ殿にオックス。そちら側の成果はいかがなもので――?」

 訊ねるサイトの視線は、情報収集組(カズマたち)の後ろに置かれた、意味有りげな巨大風呂敷に注がれている。

 この質問をきっかけに、語り部役はカズマに移った。

 オックスの補助を得て、われるままスコッチの館での出来事を話してきかせる。

 入口からスコッチの私室に到るまでは興味深そうに、どこか愉しみながら耳を傾けていたギャラリィであったが、内容が〈強欲〉本人への尋問に入ると空気を一変させた。

「スコッチが言うに、護送は陸路。玄武拾番隊に存在する氏名非公開の処刑しょけい部隊が、護送から執行まで全てを担当するそうです。この処刑しょけい――いわゆる執行官は常任の専属が三名。それにプラスして非常任の三名からなる計六名が存在するとか」

「非常任の三名ってどういうこと?」

 エリックが片眉を吊り上げる。

「拾番隊の中で持ち回り(ローテーション)してやってるようですね。処刑自体がそんなに多いわけじゃないようなので、専属の三人以外は、予備人員として副業的にやらされてるみたいです。基本的に封貝使いが優先して割り当てられるそうなので、スコッチ自身、二〇年以上のキャリアの中で、四度しかローテーションが回ってこなかったそうです。そして、その間に処刑に立ち会ったことは一度もなかったと言ってました」

「なるほど……。じゃあ、ナージャさんを処刑場まで運ぶのはその六人ってわけだね」

「そう。敵の最大戦力は、封貝使い六人ということになります」

「俗に言う一個小隊ですな」

 姿勢を楽にしたオキシオが、眉間に深い皺を刻んだまま焦茶色の顎ひげをひと撫でする。

「僕がスコッチの館でた強い方の封貝使いがブルーランク。護士組の封貝使いは弱くてもこの青級だっていうから、あれが六人いるってことになりますね」

 あるいはこう考えるべきかもしれない。ナージャのような化物が半ダースいる、と。

「で、問題の護送ルートですが、これもスコッチの話から明らかになりました。彼が嘘を吐いたのでなければ、処刑場所である〈りんの丘〉までは護士組内で決められた極秘ルートがやはり存在します。ただし一本ではなく三本」

「おおッ」サイトとオキシオが同時に歓声を上げる。

「その三通りのルートは言った通り全て陸路で、通行には囚人護送専用の馬車が使われます。これは全面黒塗りの特注品なので部外者でも一見してそれと分かるとか」

「その三つのルートのうち、今回どれが使われるかは――?」エリックが訊く。

「問題はそこなんですけどねえ……」

 カズマは渋面で肩をすくめると、軽く溜め息を零した。

 代わって、帰る途中、既に話を聞いていたオックスが説明の口を開いた。

「スコッチもどのルートが使われるかは知らなかったそうです。それは出発の直前に決められるのが通例で、法則性はなく、場合によってはクジなどに頼ることもあるとか」

「ということは、直前まで処刑人部隊のメンバーも、どのルートを使うかは知らない――?」

 目を見開くエリックに、カズマはひとつ頷いて答えてみせた。

「どうもそういうことらしいです。本当は決まりがあるけど、それを隠そうとしたスコッチが嘘をついているとも考えられます。……でも、いかにも実際ありそうな話ではありますしねえ。どっちにしても真偽を確認する術はありません」

「しかし、三本しか道がないなら、そのどれに入るかさえ尾行して確かめれば、あとは先回りできるでしょう」

 サイトのその指摘は、カズマも考えたことである。

 とあらば当然、護士組も対策くらいは考えている――ということになるのだった。

「ハシゴを二つ、ぴったりくっつけたところを想像してみてください。フレームである縦棒が護送ルート。横棒――脚をかけるステップが、連絡路です。つまり三本のルートには、ハシゴの横棒のように別ルートへ移動できる小道が幾つもあるんです。護送班はそれを使って、三本ある道をひんばんに入替えながら進むそうです」

 ルートの設定とは、正確にいうなら三本のうちどれを行くかを言うのではない。

 無数にあるどの連絡路を使うかの選択を意味するのだ。

「一番右の道に入ったからといって、出てくる時も右の出口からとは限らない、と?」

「残念ながらそうなります」

「確実に待ち伏せを成功させるなら、我々は三つに割れて横並びに配置せねばならぬということか……」

 オキシオは唸るようにつぶやくと、それきり思案顔で黙り込んだ。

「あっ、そうだ」

 エリックが何か思いついたように声をあげた。

「護送ルートは森の中を通るんだよね? 特定できないなら、特定させれば良い。木を切り倒すとかして、三本のうち二本を塞いじゃうのはどうだろう?」

「エリック殿の言われることは私も考えた」

 サイトが抑揚のない声で告げた。

「非常に有効な手だと思われるが、一方で相手が封貝使いであるということがネックになる。道を塞ぐのが倒木であれ岩であれ、半端なものでは封貝で吹き飛ばすか、馬車ごと飛び越えるなりされてしまう可能性が高いのではなかろうか」

「あぁ――」

 指摘されて理解したのだろう。エリックが論破を認めて天を仰ぐ。

「では、どうされます」

 決断を求めるように、オキシオがカズマを見やった。

 この場では唯一の封貝使いだからか。それとも腹黒さを見抜かれているのか。

 いずれにせよ、先住民族オクスゥたちはカズマを便宜上の指揮者と見なしている節がある。

「僕としては、色んな修羅場を潜ってるであろうオキシオさんの判断を仰ぎたかったんですけど……やっぱり、さっき言ってたみたいにルートごとに別れるべきでしょうか?」

「難しいところですな」

「待ち伏せというところは、もう決定なの?」

 エリックが素朴な疑問、というように確認を入れた。

「ランコォル種なら護送用の馬車よりも速いだろうし、後ろから追いかければ、襲撃するだけなら確実に成功させれると思うけど」

「それは最後の手段としてありと言えばありなんですけど……」

 カズマは言葉をにごす。

「なにかあるの?」

「これから話すつもりだったんですけど、処刑執行班のうち封貝使いであることが確実な常任三人は、二人が馬車に同乗、一人は封貝で飛んで空から周辺警戒をするっていうフォーメーションらしいんですよね」

「そっか」

 エリックがまた落胆の表情を見せた。

「なら、後ろから爆走しながら追ってくる不審者なんてさっさと見つかっちゃうね」

 結果、余裕をもって迎撃体勢を敷かれてしまう。

 最悪、早々に応援を呼ばれることすらあり得るだろう。

 相手は次元違いの戦闘力を持つ殺人集団だ。

 正面からぶつかっても勝ち目はない。

 不意をつき、戦わずして勝つ方法をとる以外に道はないのだ。

 だからこそ、作戦は事実上、罠を張っての待ち伏せ一本に絞られるのだ。

「幸いにも、僕は短距離なら封貝で飛んで移動できることが判明しています」

 カズマは言って、証言を求めるようにオックスへ視線を投げた。

 全員の注目が集まる中、小さな証人は深く頷き、カズマが封貝を使って何度か飛行してみせた事実を認めた。

 皆が納得したのを確認してから、カズマは言葉を続ける。

「足場の悪い森というロケーションを考えても、封貝による飛行は普通に走るより速いでしょう。三本のうち真ん中のルートに陣取っていれば、それがハズレでも隣のルートへ素早く移動できるはずです」

「ならば、やはり我々は三つに分かれますか」

 オキシオが結論付けるように言い放った。

「中央は封貝を持つカズマ殿が単独で。左右を他が分担して張るということで」

「それが良さそうですね」

 エリックは表情を引き締めて言うと、良く通る声で続けた。

「カズマくんには全員に音響爆弾型の〈*ワイズオレイター〉を配って貰う。馬車が現れたら、そのルートを担当していた人は音を鳴らして馬車を足止めする。これは同時に、作戦開始の合図にもなります。爆音を聞いたハズレルートの担当者たちは、当たりへ向かって移動。ナージャさんの奪還に加わる。

 爆発音は非常に大きいので、インカルシ市内まで問題なく届くでしょう。ですので街には最低誰か一人、待機要員を置いておきます。そうすれば、爆発音を聞いて、援護に回ることができますので。具体的には、作戦開始と同時に市内でも音響爆弾を起動させる。

 あとは、音に反応して街中に仕掛けた〈*ワイズオレイター〉が連鎖して爆音を再生。同時多発テロの発生を偽装して、護送班に揺さぶりをかけると共に、護士組の戦力を分散する、と」

 良いまとめだった。カズマは無言で首を大きく縦に振る。

 先住民族オクスゥ三人組にも異論はなさそうだった。

「問題は、護送馬車を止めた後、どうやってナージャさんを解放するかですが……先生」

 オックスに水を向けられたカズマは、了解の旨を示して背後の風呂敷に向かった。

「オックスくんのいう解放までの手段ですが、凶悪なテロリストであるところの僕たちは、伝家の宝刀、囚人と人質との交換交渉を持ちかけます」

 喋りながらシーツの結び目を解いていく。

 やがてまとめられていた四隅が解放されると、はらりと散った布の内側から眠りこける肥満体が姿をあらわした。

 絶句と息を呑む気配が周囲から伝わる。それを尻目に、カズマは言った。

「で、こちらがその人質候補。〈スコッチの館〉で調達してきた、〈強欲〉のスコッチさんとなっております」

「ぁ……」

 エリックが震える指をスコッチに向ける。

「それ……そのひと、カズマくんが連れ……誘拐してきたの!?」

「まあ、そうなりますね」

「犯罪じゃないか……」

 彼は見えない力で胸を突かれたように、座った状態で後ろ向きにバランスを崩す。

 両手をついてそれを支えると、口を半開きにしたまま固まった。

「冤罪で処刑される無実のナージャさんを救うために、死傷者を出さない偽の爆弾テロをしかけるだけのはずだったのに……もう、丸きり……議論の余地もなく……犯罪者だ」

「いや、さらってきたのは僕ですし、犯罪者も誘拐犯も僕だけですよ。エリックさんやオックスくんたちは、あくまで僕に巻き込まれただけです」

「いや、そういうわけには……第一、護士組にはそんな理屈通らないと思うよ」

「彼らには最初からどんな理屈も通りはしませんよ」

 カズマは皮肉に口元を歪めながら、ひょいと肩をすくめて見せた。

「理屈が正しく通るなら、そもそもナージャはこんなことになってない」

「それは……まあ、そうかもしれないけど」

「よし――」

 ぱんと手を打ち鳴らし、カズマは全員に向けて声を張った。

「じゃあ、方針も固まったしそろそろ移動しませんか? 実際、護送ルートの下見は早めにしておいた方が良いと思うんですよ」

「ですな」

 言いながら、オキシオたちが腰を上げ始める。

 帯びた武器が金属的な音を立てた。

 もう後戻りはできない。

 横たわるスコッチの存在は、全員にそれを強く印象づけた。

 早めに人質を確保し、全員の前でさらす。覚悟を試す――。

 計算して追い詰めたのではないかと問われれば、カズマはそれを否定しきれない。

 無事に帰れる確率の方が低い作戦に挑もうというのだ。

 怖じ気づき、逃げる者が出るのなら早めに去ってもらった方が良い。

 そんな思惑は確かにあった。

 だがそれ以上に、カズマは自分自身を追い込む必要があった。

 恐怖。不安。躊躇。

 どれもまだ完全に克服できたわけではない。

 できるなら逃げ出したいと一番強く感じているのは、もしかすると自分なのではないか――。

 ずっと胸の奥にあった疑念だ。

 だから逃げ場を奪う。開き直らせる。

 カズマは誰より楠上カズマの勇気を信じていなかった。

 やがて、全員がランコォル種の馬車に乗り込み、移動が始まった。

 御者台にはオキシオが志願して座った。

 絶望的な試みを控えながら、不思議と一行に悲愴感はなかった。やるべきことが絞られ、カズマ同様、どこか開き直った部分があるのかもしれない。

 作戦開始直前ともなればまた精神状態も変わるのだろうが、少なくとも現時点では計画の細部確認に余念がなく、途中、一度も会話が途切れることもなかった。

 時に笑顔さえ漏れることさえあった。

 夜がふけていく。

 スコッチを連れてゲートを脱出した時より、不思議と頭上を覆う闇が深まったような気がして、カズマは荷台から夜空を見上げた。

 地上付近は微風だが、上空ではかなりの風が吹き抜けているらしい。

 東から西――海か陸地に向かって寄せる潮風が、快晴であったてんきゅうに大量の雲を流し込もうとしているのが見えた。

 その一部が早くも二つの月にそれぞれかかり、光が遮られつつあるのだ。

 視線の動きに気付いたのだろう。エリックが静かな声を上げた。

「雲が出てきたね」

「ええ」

 カズマは夜空を仰ぎ見たまま、ぼんやりと答えた。

「もしかすると、今朝方には荒れるかもしれませんね――」

 垂れ込め始める暗雲。

 誰に指摘されずとも、それが精神衛生上、決して望ましくないものであることは全員が感じ取っている。

 カズマ自身、不必要に不安を掻き立てることのないよう口調と声音には気を遣ったつもりであったが、それが思いどおりの響きを伴って仲間達に届いたかには、正直なところまるで自信を持てなかった。

挿絵(By みてみん)

また70kbを越えてしまった。

キリが良いところまで……と思うと、どうしてもこんな感じに。

おかげで隔週更新みたいなことになっちゃってますが、どうなんでしょうね。

キリが悪くても20~30に分割して、更新間隔縮めた方が読みやすいものでしょうか。

個人差がありそうだなあ……

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