フォーリィ式交渉術
▼登場人物
楠上カズマ…………………主人公
エリック・J・アカギ……カズマ一行の仲間
ナージャ・クラウセン……カズマの仲間。現在、無実の罪で投獄中
オックス……………………カズマを師と仰ぐ先住民族の少年
サイト………………………オックスと同郷の青年
オキシオ……………………オックスらを束ねる商隊の長
ケイス・ヴァイコーエン…朱雀2番隊・隊長
ショウ・ヒジカ……………白虎4番隊・隊長
▼オルビスソー地図
022
大地を抉る蹄の音が怒涛のごとく鳴り響いていた。
いまやオックスの駆るランコォル種は、駈歩を越えて全力疾走の一歩手前まで速度を上げている。
自らの頼りない体感に全信頼を置くなら、その時速は既に乗用車に匹敵。恐らく四〇キロに達していると思われた。
荷台では比例して激しくなる揺れと騒音のなか、カズマを中心にエリック、そしてレンカショップの街で合流した、オックスの兄貴分サイトが身を寄せ合っていた。
カズマの通訳を通し、既にエリックも状況の把握に到っている。
夜明けに〈赤繭〉と呼ばれる封貝使い――すなわちナージャの処刑が執行されるとあり、付き合わせた顔には例外なく隠せない焦燥が色濃く浮かんでいた。
「――とにかく、情報が必要です」
カズマはオルビスソーの共用語で低く言った。
ワンテンポ遅れ、エリックの右耳もとに浮かせた白丸の封貝〈*ワイズオレイター〉が、エリックのために日本語通訳を流す。
――そのはずであった。
初めての試みであるため、当然、成功の保証はない。
だが、結果をうかがうカズマの無言の視線にエリックがこくりと首を縦に振ったことで、実験の成功は証明された。
突っ込んで確認してみると、国際会議場や海外中継でお馴染みの、同時通訳に似たタイミングで日本語訳が聞こえたという。
重なってはいるが、タイムラグはある。しかし、致命的なほどではない。そういうことだろう。
カズマが喋ればカズマの声で。サイトが喋ればサイトの声を合成した音声が、そのまま日本語として流れる。これもプログラムした通りの挙動であるようだった。
無論、これとは反対、日本語をオルビスソーの言語に変換する封貝も用意してある。こちらはエリックの日本語が理解できるよう、サイトと御者台に座るオックスのもとへそれぞれ飛ばしてあった。
今のところ、いずれも挙動に問題は出ていないようである。エリックがほぼリアルタイムで会話に加わることができるようになった瞬間であった。
「僕とエリックさんは、当然ながらどんなリスクがあろうとナージャを奪還するつもりです」カズマは主にサイトへ向けて言った。「でも、何も情報がない現状では打つ手がありません」
「そこは、我々も全力で支援しましょう」
間髪入れずサイトが言った。
「しかし」
難色を示すその日本語は、当然ながらエリックの口から発されたものである。
慣れない封貝通訳を通したやりとりにまだ自信を持てずにいる彼は、言葉の途中から既に不安そうな面持ちであった。
「これは非常に危険な――命の覚悟を強いられる試みになると思いますが」
これに対し、サイトはすぐさま反論を投じた。それは二重の意味で、エリックの危惧を綺麗に払拭するものであった。
「エリック殿。あなた方は死を待つばかりであった我が同胞に手を差し伸べて下さった。ならば命を賭してその恩義に報いようとすることに、私が何を躊躇うことがありましょう」
「そう言えば」はっとした様子でエリックが顎を上げた。「そのお仲間の――シスさんは大丈夫なんですか? サイトさんは彼を連れて治療先を探していたと聞いてますけど」
「シスなら、レンカショップの宿屋に預けてきました。幸いにも、シノ・アマム神殿から安価で回復宝貝を都合してもらうことができましたので、もう傷は塞がっております。ポーションが体力の回復まで済ませてくれる等級のものではありませんでした故、このまましばし療養は必要ですが」
「回復の見込みはたったと?」
「はい」サイトが初めて笑顔らしきものを見せた。「もとより、迅速に適切な処置を行えば命に関わるような傷ではなかったことも幸いしました。少しの間、身動きが取れないでしょうが、逆に言えば宿で横になっていればもうなんら心配はありません」
少なくとも本人は、「寝てなどいられぬ」と強く主張するくらいには回復しているつもりらしい。出発間際、サイトから処刑の話を聞いた時の反応がそれであったという。
恩人が自分たちを助けたばかりに生命の危機にさらされと聞いた彼は、説得しなければ武器を取って起きだしてきそうな勢いであったとのことだった。
人の好い笑みを浮かべて旅人を奴隷商に売り飛ばそうとする人間もいれば、恩義を決して忘れない人間もいる。そういうことのなのだろう。
エォラや人攫いの件は警戒心を強める理由にはなった。しかし、オルビスソーを憎悪し、そこに住まう全ての人間を避ける理由にはならない。
「――ですので」サイトが結論付けるように言った。「シスのことは何ら心配ありません。今は、ナージャ殿の救出のことだけを考えましょう」
短い沈黙が下りた。
救出。一口に言っても、それが簡単でないことは誰もが理解している。
「しかし、ナージャが捕まったのは早くても一昨夜でしょう? それでもう処刑とは……」
首を振り振りカズマは沈黙を破った。一体、この国はどうなっているのだ。そんな視線をサイトに投げかける。
「フ=サァンというのは罪人に対していつもこれほど厳しいんですか?」
「違うとも、その通りだとも言えます。これが普通の人間が街中で暴れたというのなら、軽く灸を据えられて終わりもするでしょう。しかし、相手が封貝使いとなると事情が違う。彼らはそれだけ社会に脅威として認識されているのです」
「それにしたって……」
「――いや」
不平を重ねかけたカズマを、エリックの静かな声が制した。
「確か、数人集まれば国家転覆の危険がある封貝使いが、英雄級と定義されているんだよね? 国家転覆というからには国内に複数ある主要都市を落して回れるということになると思う。となると、インカルシのような大都市だって、一つくらいなら単独で軽く瓦礫の山にできる、くらいの認識でいるべきなんじゃないかな? だとすれば、危険思想を持った封貝使いは早めに処理したい――というのも理解できないことではないよ」
「おおむね、ご指摘の通りです」
エリックの言葉を、サイトは重々しく認めた。
「英雄級や伝説級というのは、正確には封貝使いの等級ではなく、レイダーたちが使っている格付けであるため、称号持ちがすなわち封貝使いとは限らないのですが――」
これにはカズマにとっても盲点をつく指摘であった。
「えっ、そうなの?」思わず目を瞬く。「それって、じゃあ封貝持ってないのに封貝使いばりに強い人がいるってことですか?」
「スケーリングは危険度判定にも使われます。たとえば百人長級の魔物と表現すれば、それは同ランクのレイダーでなければ手に負えない、といった目安になるのです。他にもたとえば、かの〈雷帝〉ヒウンに匹敵するとも囁かれる、神聖ヴェイレス王国の処女王。彼女は封貝使いではありません。しかし、封貝とは違う神秘の力を行使すると言われ、これは〈雷帝〉その人によっても認められています。もし彼女がレイダース連盟に加入したり、その逆に敵対者としてリスト化されれば神話級に準ずる戦力、あるいは脅威として認定されるでしょう」
続くサイトの言によれば、処女王ジャンヌ以外にも封貝に匹敵する特殊能力を持つ存在はそれなりに認められているらしい。例を挙げれば、人間に準ずる知能を持った怪物。野盗のメンバーにも見かけた半人半獣の亜人種。特徴を聞く限り、いわゆる吸血鬼としか思えないような化物も存在するのだという。
「分かりました。じゃあ、システム側の言い分として、反社会的と認定した封貝使いは即座に極刑、という方針もやむをえないとしましょう」
カズマは渋々認め、話の軌道修正をはかる。
「で、実際の話、そういう封貝使いの処刑っていうのは良くあることなんですか?」
「私の知る限り、少なくともインカルシではかなり珍しい例のはずです」
その問いに対しては準備ができていたのだろう。サイトがすぐに答える。
「極刑と分かっている以上、そして誰もがインカルシに護士組という国家最強戦力が詰めていることを知る以上、封貝使いやレイダーは少なくとも表向き秩序を大きく乱すようなことはしません。問題を起こして引っぱられても、素直に恭順の姿勢を示し、罰金と都市外追放の刑を受け入れます」
「では、ナージャさんはそれを知らず、護士組という治安維持部隊に勾留されても従わなかったから、死刑判決を受けた――?」
エリックの言葉にサイトは頷く。「恐らく、そういうことでしょう」
「それ以前、どうしてナージャはその護士組? とかいう組織に捕まったんだろう」
これは話を聞いて以来、カズマの脳裏にずっとあった疑問だった。
「そりゃナージャはちょっとわんぱくなところはあるかもしれません。でも、あれだけ無茶はするなと言い含めておいた以上、自分勝手に振る舞ったとは思えないんですよね。人の命を背負って飛んでいたことを理解できない子でもないと思うし。大体、オキシオさんだってついてたんだ。なんで護士組に目を付けられて、あろうことか戦闘にまで発展したんだろう」
彼女は常識知らずではあるが、愚かではない。
付き合いは短いながら、カズマはナージャ・クラウセンという少女をそう評価していた。そして、それに間違いがあったとは今なお考えていない。
「先生がご指摘の点については、僕、ショウ・ヒジカの名前が出てきたことが気になってるんですけど……。情報によれば、最初にナージャさんと遭遇して、闘ったのは彼の部隊なんだよね、サイト兄さん?」
御者台の方からオックスの声が届いた。全員が一斉にそちらを向く。だが当の本人は馬車の制御に集中しているらしく、荷台を振り返る気配はない。
「確かに、オックスの指摘は一考に値します」サイトが弟分の言い分に首肯で返した。「インカルシからこっちへ来ていたレイダーたちもおおむね似たような見解であるようで」
「というと?」エリックが訊ねる。「なにか、いわくのある人物なんですか?」
「ショウ・ヒジカはインカルシの正規兵団〈護士組〉のメンバーです。白虎四番隊と呼ばれる遊撃小隊を率いるチームリーダーで、百人長級の封貝使いだと言われています」
続いて語られるショウ・ヒジカの人物評を聞くにつれ、カズマはその表情を歪めていかざるを得なかった。エリックを見ればやはり同様であったらしく、こちらも眉間に深い皺を刻んでいる。
卑怯。狡猾。インカルシの外辺をうろつき、近付く行商や旅人に接近しては、何かと難癖をつけて個人的な賄賂を要求する俗物。抵抗、反抗する者に対しては無実の罪をでっちあげ武力を好んで行使する利己主義にして享楽主義者。
そこに描き出されるのは、典型的小悪党の姿であった。
「じゃあ、まさか……」これには流石のカズマも開いた口が塞がらない。「ナージャはそいつに絡まれて、賄賂の要求を突っぱねたから一方的に悪者にしたてあげられた……? それで死刑に? そんなことで――?」
「なんてことだ!」
エリックが烈しい口調で手のひらに拳を打ち付けた。パンという乾いた破裂音が耳朶を打つ。
「公権力を背景にそんな横暴を働く者が――こっちの世界にもいるものなのか」
「転び公妨を思いっきり悪質にしたパターンだ……」
カズマは半ば呆然としながらそう零す。
実際、日本でも似たようなことは起っている。
これは、警察官が不審と一方的に決め付けた人物に職務質問をしかけ、自分から肩をぶつけるなどして転倒した風を装うことから始まる。
直後、警官側は「突き飛ばされた」と主張。公務執行妨害を持ち出し、逮捕の口実を成立させる。そうして嬉々《き》として手錠を取り出すのだ。
転び公務執行妨害。縮めて「転び公妨」。
言葉として成立するほど例のある、社会問題の一つ――
少なくとも、不審人物として頻繁に職務質問を受けていたシゲンは、吐き捨てるようにそう主張していた。
「もし、オックスくんやサイトさんの言うように、冤罪で捕まって処刑されようとしているのなら、断固としてそんなことを認めるわけにはいかない。元からそのつもりだったけど、どんなことをしてでもナージャさんを助け出さないといけないよ」
エリックの双眸は、いまや義憤にぎらつきさえしていた。たとえ、バットを持たせて勝負所のバッターボックスに向かわせるときでも、これ程に険しい眼はしないだろう。
「問題は、その処刑についてです」
カズマは平坦な声で指摘した。
隣で感情を爆発させている人間がいると、時として人は逆に冷静になる。今のカズマがその境地であったが、当然、腸が煮えくり返るような思いはエリックとなんら変わるものではない。
「いつ、どこで、どういった感じに行われるか。これが分からないことには、策もたてられない。サイトさん、その辺の情報は何か入ってませんか」
「滅多にないとは言え、封貝使いの処刑に前例がないわけではありません。レイダー仲間たちから買った情報によれば、刑の執行は市外にある封貝使い専用の処刑場で行われるのだとか」
サイトからもたらされたこの話は、カズマにとって予想外のものだった。
「なんで、わざわざ外でやるんです?」
「封貝使いの中には、その死と引替えに封貝を暴走させて大きな破壊をもたらすタイプがいるそうです。もちろん、護士組サイドもこれに備えた対応はしているようですが、やはり万が一のことを考えると――」
「インカルシの中でやるのはリスクが高い?」
「ええ。インカルシではなく、北にある首都〈ネクロス〉で昔、そういった実例があったことは確かに話として広く伝わっています。一世代前の話なので、私は詳しいことを知らないのですが――。ともあれそれで大被害を被ったことから、教訓としてそういうシステムが出来たそうです」
「じゃあ、ナージャさんも処刑場に護送される可能性が高いわけですね」
エリックがひとつの光明を見たというように表情を輝かせる。
「まず、間違いないでしょう」
一瞬の空白が生まれた。互いに交わし合った目配せで、全員が全員、考えを同じくしたと知る。なにか、奇妙な一体感があった。
死と引替えの暴走――。もし、インカルシサイドが本当にそれを恐れており、相応の備えをしているというなら、処刑準備が整った段階でもはや手の出しようがない。暴走を防ぐための人員を配置していることは確実で、カズマたちには当然、それを突破するほどの力はない。
「現状、封貝を持っているのは僕だけ」
またしても、沈黙を破る役割を引き受け、カズマは言った。
「手持ちの札は、僕以外だとエリックさん、オックスくん、サイトさん。確実なのはこの三枚。全てが人間で、封貝使いを相手にしたとき、一〇秒も持たずに殺されてしまうでしょう」
「生死不明のオキシオさんが、もし無事でいてくれれば戦力に加わり得るけど――」
エリックは言いながら俯いた。彼ひとりが加わったところで、相手が封貝使いで固めたフ=サァン最強の暴力装置となると戦力増強とは言いがたい。
状況は地球でいうなら、大型ナイフを唯一の武器に、沖縄の米軍基地に突撃をかけるようなものだ。無策で挑めば発見後、三分以内に全員が拘束、ないし殺害されるだろう。策があったとしても、その時間が延びるに過ぎない。結果はなんとしても変わらない。
「取引や交渉での解放が望めない場合、捕まった人間を取り戻せることがあるとしたら、それは刑務所や基地に乗込むのではなく、護送中を狙う選択をしたときだけです」
カズマは全員の顔を見回しながら断言した。そしてまた自ら続ける。
「お金と同じですね。確実に大金を得たいなら、銀行強盗じゃなくて現金輸送車を襲うのが常道だ」
「問題は襲うこと自体が困難だってところだね。輸送ルートは極秘情報だ。一般人には知る術がない」顔を上げたエリックが指摘し、次いでサイドに視線を向けた。「それとも、処刑場への護送ルートは分かるものなんですか?」
若き先住民族は、その太く鍛えられた首を左右して問いに答えた。
「事情通のレイダーの中にも、やはりそこまで知る者はいなかった。もう一〇〇人捕まえて聞いてみても結果は同じでしょう」
「その手の情報を持っているのは具体的に誰?」
カズマはサイトとオックス、両方に向けて訊ねる。
答えたのは、やはり年長のサイトだった。
「恐らくですが、それを把握しているのは護士組の玄武隊だけでしょう。玄武隊は、インカルシの北側を管轄にしている連中です。北地区はインカルシ城や護士組本部を含めた行政の中心が含まれているため、この玄武隊がインカルシを統括する司令部を兼ねています」
「つまり一番偉いんだ?」
「そう。玄武一番隊の隊長は、そのまま護士組全体のトップ。総隊長でもあります。ですから、勿論のこと連中は極秘となる情報も把握しているでしょうし――」サイトは思考を巡らせるように、一瞬視線を明後日の方向へ外す。それからすぐに続けた。「あとは、やはり玄武拾番隊の連中でしょうね。輸送ルートを知っているというか、ルートを決めているのは彼らだと思います」
この拾番隊というのは、インカルシの司法を担う法曹部隊であるのだという。インカルシ内部の犯罪を裁くのはもちろん、護士組の内部監査も行っている部署であり、罪人の処刑も彼らの仕事となるらしい。その性質上、護士組内部の中でも群を抜いて人員が多く、また封貝を持たない非戦闘員が大半を占めているという。
「ナージャ殿の処刑は、この拾番隊の主導で行われるはずです」
サイトがそう結ぶと、カズマは間髪入れず質問を投げた。
「その拾番隊の連中は、今ぐらいの時間、どこにいるのかな?」
「そうですね」サイトは腕組みし、わずかに首を傾げた。「恐らくは本部の隊舎ではないでしょうか。護士組の本部は、インカルシ城内の一区画に設置されています。つまり、城の一部ですね」
「じゃあ、忍び込んで吐かせるなんてことは――」
カズマに皆まで言わせることなく、サイトは結論を口にした。
「絶対に無理です。それが可能であるのなら、同じくインカルシ城のどこかにある牢獄に忍び込んでナージャ殿を救出できるでしょうし、そちらの方が手っ取り早い」
「ですよね……」
肩をすくめる余裕もない。カズマはまた口元を覆い隠すようにして考え込む。
護士組とやらがどの程度の連中なのかは分からない。しかし、ハンデ付きとはいえ、あのナージャを倒したのだ。やはり一般人に対する職業軍人の集団といったパワーバランスを想定しておくべきであった。
「えっと、封貝使いの処刑って例が少ないんですよね。長い目で見ても、あまり制度として使われる機会はなかった――?」
意味をはかりかねたのだろう。先住民族たちはすぐにそれらしい応答を示さなかった。ややあって、サイトが浅薄を恥じるように訊いた。
「カズマ殿、それはどういったことですか?」
「滅多に使われない。だけど、大事なことだから廃止とかにもできない。そういう行政上のシステムって、基本的に長いこと弄られることがないんですよね」
だから? という顔をしているサイトに微笑みかけ、カズマは続けた。
「つまり、昔からのやり方が今でも使われてる可能性が高いってことです。護士組の拾番隊でしたっけ。処刑関係の情報は彼らから引き出すしかないけど、インカルシ城内の宿舎にいるから手は出せない。でも、拾番隊だった人は?」
「そうか……」なるほど、という顔でエリックが目を細めた。正解を確かめるようにカズマを見る。「カズマくんが言いたいのは、OBのことだね?」
「そうです。拾番隊は司法セクションだから、構成員は必ずしも封貝使いではない――みたいなこと、さっき言ってましたよね」
「その通りです」サイトが認めた。「拾番隊は、内務監査班の執行部隊を除いて、ほぼ全員が文官。封貝を持たない普通の人々が占めています」
「だったら、僕らにも何とかしようがある。退職した〝元〟拾番隊を当たりましょう」
誰か心当たりはあるか。視線で問うカズマに気付かず、サイトはもう考え込みだしていた。
日本で言うなら、護士組は自衛隊か警察に相当するのだろう。辞め方や最終的な地位にもよるが、比較的、退官・退職後のルートを特定しやすい職種だ。なにせ、国家権力である。天下り先となる外郭団体や、企業の受け皿にはことかかない。
「あっ」
御者台の方から聞こえてきたその声に、カズマは思索を中断してそちらを見た。
「サイト兄さん。〈スコッチの館〉のスコッチ・スウォージって確か――」
弟分の言葉を受け、サイトは打たれたように顔を上げた。
「そうだ。スコッチ・〝強欲〟・スウォージ!」
彼は小さく叫ぶと、きょとんとするカズマとエリックに向き直って早口にまくしたてた。
「インカルシで賭博場を経営しているスコッチという人物がいます。元護士組であることを吹聴し、事実そのコネや威光を背景にちょっとした街の顔役まで上り詰めた初老の男で――ある種の俗物なのですが、奴が拾番隊にいた事実を触れ回っていることは、街の誰もがうんざりするほど知っています」
「どんな人物なんですか?」とエリック。
「インカルシの司法機関に携わっていたキャリアをことさら強調して、自分に逆らったり敵対したりしたら大変なことになる、拾番隊にいる友人達から罪を上乗せして裁かれるだろう。そんな風に周囲を威圧して、揉め事を背負いがちなカジノを一から始め、軌道にのせた人物です。〈強欲〉の渾名が物語る通り、彼を単なる肥えた豚だと見なす者も多い一方、その経営手腕や強かさについては一定の評価を受けている人物でもあります」
組織の威を借りるやり方から察せられるように、彼自身にカリスマはない。封貝も有しておらず、その意味ではただの人間なのだという。
「話を聞く限り、事情を説明したところで、親身になって情報を与えてくれるタイプではなさそうだ」
エリックが渋面を作ってつぶやく。これにはカズマも同意だった。
「良くて、情報と引替えに多額の謝礼を要求されるでしょうね」サイトが異世界人ふたりの予測を裏付けた。「そして、正しいか保証のない情報を我々に渡し、と同時に護士組に我々を売ってポイントを稼ぐくらいのことはやりかねない男です」
「信用できないタイプか……」カズマは思わず唸る。
護士組の情報をカズマたちに売り、護士組にカズマたちの情報を売る。報酬の二重取りで自分だけが勝者になる。確かに、予測され得るそのやり口を聞けば、スコッチなる男の人物像ははかりやすい。
ただ、その事実が問題を難しくしていた。
口を割らせることさえできれば嘘は吐かないタイプが情報の入手先としては理想だ。
しかし、そんな人間は滅多にいない。
何より、今夜のうちにそんな相手から情報を引き出すことは不可能だろう。
簡単に口を割らないからこそ、彼らは信用できる人間なのだ。
一方、〈強欲〉のようなタイプからは、簡単に情報を買えるであろう。少なくとも手段は多い。
しかし、口の軽い人間の喋ることは信用ができない。
どちらを取るか。
時間と備えさえあれば、当然ながら前者を探しただろう。
だが、厳しい時間制限がある中で前者に固執すれば、最悪、なんの収穫もなくその時を迎えてしまうことになりかねない。
後者――スコッチを選べば、怪しくはあれ少なくとも足がかりになるヒントくらいは得られる公算が高い。
「サイトさん。その〈スコッチの館〉の場所は分かりますか?」
カズマは言った。
「知っています。乗込む気ですか」
「できればもう少し情報源として信用できるタイプが良いんですけど。スコッチ以外に誰か心当たりはあります?」
「――いえ」少し間を置いて、サイトは残念そうに首を振った。
オックスも無言で、兄貴分と同じ立場であることを示す。
「現状、僕らは藁をも掴みたい立場です。選択の余地はあまりありません」
「しかし、スコッチからどのように情報を引き出すので?」
「一応、手持ちのお金は全部持っていくつもりです。ただ、ちょっと脅しをかけるくらいの覚悟はしておくべきでしょう。その場合、気になるのがカジノという場所です。〈強欲〉はボディガードや警備員の類は雇ってますよね?」
「人間の警備員は多数。封貝使いは白級と青級ひとりずついます」
よどみなく応じるサイトに、カズマは思わず彼を見詰める。
「くわしいですね」
「〈強欲〉本人は、そういうことを自分から喋って回ります。金で構築した防備を自分の力として自慢したがる男です」
なるほど、と思いながら頷いた。
続くサイトの情報によれば、封貝使いは白級の方を店の用心棒に、ワンランク上の青ランクはスコッチの身辺警護に回しているのだという。
よって、スコッチとの面会許可さえ取り付ければ、警戒するのはこの身辺警護の一人だけで良い。
「青ランクって言うと――」エリックが記憶を探るように目線を上に上げる。
「下から三番目ですね」助け船を出すようにサイトが口を挟んだ。「封貝初心者や封貝を持ってないただの人間が無印。その上が白級で、フ=サァンではここまでで全レイダーの七割を占めると言われています。その上に青級が来て、このランクが護士組の実戦部隊の最低入隊条件になっていますね」
とすれば――と、カズマは思考を巡らせる。相手が複数だったとはいえ、その護士組に敗れたナージャは恐らくこのあたりに位置するのだろう。
つまり、暴力を使ってスコッチに情報を吐かせるなら、ナージャクラスの化物をどうにか突破しなければならない。当然、正面きっての挑戦は全く通用しないに違いない。
「ただ――」
話はまだ終わっていなかったらしく、サイトは眉根を寄せながら言葉を続けた。
「私が付き合いで〈スコッチの館〉に行ったのは、一年半ほど前が最後になります。今お話したのは、その時点での最新情報です。知らない間に警備体制が変わっていることがあるかもしれません」
「まあ、その時は出たとこ勝負ですね」
「でも、先生」
オックスが心配そうな声をあげた。
「仮に、スコッチから情報を聞き出せたとして、どうやって護送されているナージャさんを護士組から奪うのですか?」
今にも不安で震えだしそうな声音は、しかし「なにかお考えがあるのですよね」という期待をも微かに孕ませている。
「そっちも正直、出たとこ勝負になるとは思うんだけど……でもまあ、僕らサイドは無実の罪で犯罪者扱いだからね。もう開き直って、突き抜けちゃおうかと思ってる」
「どういうこと?」エリックが怪訝そうに問う。
「具体的には……なんというか、つまりテロる感じで」
「テロる?」
意味が伝わらずとも、その響きに何か不穏なものを感じたのだろう。サイトは口元を強ばらせていた。
「僕ら的には、奪還実行時に護士組の隊員たちが大挙して集まってくることが一番怖い。インカルシ自体が彼らの庭だしね。逃げるにせよ潜伏してやり過ごすにせよ、人海戦術で追い回されたら僕らじゃ対応しきれないと思うんですよ。なので、彼らを集めないように眼を分散させる必要があります」
「なにか考えがあるの?」とエリック。
答えるより先に、カズマは封貝〈*ワイズオレイター〉をひとつ、口訣なしで召還した。
「治安当局を混乱させるのに一番良い手は、同時多発テロ。これ以外にないと思うんですよ」
手のひらの上でポンと白玉を弾ませつつ、御者台の方へ首をめぐらせる。
インカルシまであとどれくらいかかるか。オックスに問うと、恐らく四半刻くらいではないか、という答えが返った。
つまり、約三〇分である。
礼を言って、カズマは話にもどった。
「テロと言えば、爆発が定番です。そこで、手分けしてこれをインカルシの街の広範囲にバラ撒きます」
カズマはそこで言葉を区切ると、荷車の上、揺れに対応しながら慎重に立ち上がった。
既に音の入力と挙動設定を終えた封貝を握りしめる。
オックスのそれを含めた三つの視線が自分に注がれるのを意識しつつ、〈*ワイズオレイター〉を全力で投擲した。
白玉は降りそそぐ月光を微かに弾きながら、思ったより大きな放物線を描いて飛んでいく。
それが重力に屈しきり、地に墜ちるまで何秒を要したか。正確なところは分からない。
だが、接地の瞬間は誰もが正確に把握した。せずにはいれなかった。
その時が訪れると同時、張り詰めた弦が震えるように空間が揺れた。雷鳴にも似た爆音が轟く。
世界が切り裂かれたのではないか――。
そんな本能的恐怖さえ掻き立てる鳴動は、周辺の空気を物理的衝撃力を伴う暴力そのものに変えた。
地と空間を伝って馬車を追いすがったそれは、戦慄するカズマたちの肌を舐め回すようにして通り過ぎ全身を粟立たせる。
痛む鼓膜に、怯えたランコォル種があげる甲高い嘶きがとどめとばかりに突き刺さった。
「今のは……ッ!?」
驚愕に腰を浮かせたエリックは、もう二度と元には戻らないとばかりに目を剥き、爆心点を呆然と凝視し続けていた。
双子の兄弟のように、サイトもほとんど変わらない格好で身を強ばらせている。
「上手くいくもんだなぁ……」
想像以上の破壊力に、カズマは我が事ながら感嘆の吐息を漏らす。
「カズマくん、さっきの――爆発は」
「いや、エリックさん。今のは本当の爆発じゃありません」元の位置に腰を落しながらカズマは言った。「音だけです。単に物凄く大きな音です。だってホラ、音はしたけど火の手も上がらなかったし、それっぽい光も見えなかったでしょ?」
「そう言えば……」
頭の芯にきたのか、サイトは痛みを堪えるように片目を閉じている。
「今のは爆発音を合成して、落雷クラスの超極大ボリュームで鳴らすようプログラムした〈*ワイズオレイター〉です」
「そんな小さなものから、今の音が?」
「小っこくてもそこは封貝ですから。何万ワットっていう電源繋いで、アンプやサブウーファをダース単位で重ねまくってもなかなか再現できないくらいの爆音を、こいつは単独で鳴らしてくれることが証明されました。もう身体で理解して貰えたと思いますけど、このレヴェルとなれば音だけでも空間が割れるような効果を出せます。そんなものが街中でいきなり鳴り出せば、誰もが爆発だとしか思わないでしょう」
「音だけであんなに凄いことになるんですか……本物の爆発みたいだった」
身をもって経験しながらもまだ信じられない、という口調でオックスはつぶやく。
だが、それは紛れもない現実であった。カズマたちの属する現実――地球でも再現可能な、科学的現象である。
特に海外では、「いかに大きな音圧を生み出せるか」といったコンテストの形をとり、この手の試みはそこかしこで行われている。そして人々はその桁外れの爆音体験を楽しむのだ。少なくともそのくらいには日常的な現象なのである。
大袈裟な実験ともなれば、使われる機材はスピィカーの数だけでも三桁単位。ここまでくると、音響機器を単純に積み上げるで一つの建造物かと思わせるほどの規模になる。
そこから津波のごとくぶちまけられる音響たるや尋常なものではない。
ロングヘアの女性が会場をうろつこうものなら、たとえ一〇メートル離れていても扇風機に煽られたかのごとく髪が豪快に暴れ出す。服は波立ち、震動は内臓を痺れさせるほどだ。倍の距離を隔てて地面に置かれた空缶すら、自らの意思をもったかのように踊り出すのである。
また、このレヴェルの音圧はシュレッダーにも早変わりする。掴んだ紙束をスピィカーに近づければ、烈しく震える空気がそれを一瞬で引き裂き、紙くずに変えるのだ。
紙どころかCDでさえただでは済まない。怒涛の振動波を前にして、合成樹脂製の円盤はあっという間に粉砕。弾け飛ぶ。自動車に搭載すればフロントガラスが歪み、修復不能な大亀裂が入るという始末だ。
「――この封貝は起動方法を自由にプログラムできます」
また新たに〈*ワイズオレイター〉を手のひらに召還しつつ、カズマは言った。
「今みたいに、強い衝撃を受けたら鳴るようにしたり、特定の人物が特定のキィワードを唱えた場合にのみ発動するようにも設定できるわけです」
カズマが許可さえ与えていれば、他人でも〈*ワイズオレイター〉を使える。これは森の中でエリックと共に最初に確かめたことの一つだ。
衝撃で再生というのは、今初めて試したことだが、どうやら可能であったらしい。
「あまりワイドレンジで正確にというのは難しいでしょうけど、条件付きで時限式起動にもできるでしょう。僕はドラム演奏をイメージすれば、一秒の誤差もなく一分間をカウントすることができます。良く演奏する曲なら、これも狂いなく演奏時間を揃えられるし」
だからカズマはストップウォッチを使った体内時間ゲームで負けたことがない。
この類の芸当は特別なことではなく、方向性こそ違え、どの分野の人間にも可能なことだ。
食堂で働く料理人は食材の重さを手で持つだけで計測できる。
エリックは一塁から二塁までに相当する距離を、何もない広場でも走るだけで把握してしまうだろう。
「この体内時計を利用すれば、一定の無音演奏タイムを最初に挟んで、そのあとに本命の超極大音量の爆音がくるようセッティングするだけで、理論的には時限式を再現できるはずです。そして一般的な封貝と同じように、〈*ワイズオレイター〉も役目を終えたら自動で消すことができます。これにより、痕跡は残りません」
「そうか……」
エリックがはっとした顔でうなった。
「予めインカルシの街中にそれを設置しておいて、ナージャさんの奪還作戦と前後して爆音が鳴るようにすれば――」
「そうです。あたかも同時爆破テロが起ったように錯覚させ、インカルシの街をパニック状態にできるでしょう。当然、治安当局である護士組はこの対応に追われざるを得ないでしょう。戦力を大きく分散させて、結果、僕らに対する追っ手や妨害の数を最小限にできると思います」
「確かに……流石、カズマ先生」
「ありがとう。でも、褒めちゃだめだよ、オックスくん」
普段なら飛びつく賞賛の声であったが、カズマは穏やかに諭し返した。
「無関係の人たちを巻き込むというのは本当にテロそのものだ。その意味で僕はこの案を下策だと思ってる。まあ重低音中心にして鼓膜へのダメージは最小限に留めるし、指向性を持たせられないか試してみるつもりだから、実害はほぼなしってことで許して貰いたいとは思ってるけどね」
「街の治安のために罪もない婦女子の首を刎ねようというのだ。街にそれなりの代償を支払ってもらうもやむなし、といったところでしょう」
腕を組んだサイトが難しい顔で言った。表情を見る限り、言葉ほどには良心を説得し切れていないのであろう。そしてそのことに、彼自身気付いている。
「でも、これだけじゃまだ弱い」
カズマは冷静に指摘した。
「まず、護送が封貝を使った空輸だったら手の出しようがない。瞬間移動みたいな封貝があったら、そもそも途中で襲うって状況が発生しないし。透明化されたりしても同じです。どうしようもない。あと、通路自体が出入口ともに厳重にロックされた地下トンネルとかね。このパターンも、入り込む方法がないから計画は御破算です」
「ああ、それは――」
エリックが言われた気付いたとばかりに声をあげる。
「そうだね。その通りだ」
「陸路であったとしても、ナージャクラスの封貝使いが小隊単位で守りについているはずです。彼らを無力化してナージャを奪還するとなると……何か、アイディアがあるひとはいませんか?」
しばらく待ったが、どこからも声は上がらなかった。
実力で大きく勝る相手に、寡兵で挑もうというのだ。正攻法ではどうともならない。そのことが分かりきっているだけに、求められるのはどうしても奇策ということになってしまう。
しかし、根が善良な彼らだ。搦手を攻める、弱みにつけ込むといったことには頭が回らないのだった。
「やっぱり、そうそう妙案はないですか」カズマは嘆息した。「となると、ここは悪者らしく人質を取って、無理やり交渉に持ち込むくらいしかないですね」
「えっ、人質?」
エリックとサイトが、それぞれ違う言語で声を重ねた。
「流石に、悪者に誰か襲われてるのを見れば、護送の連中も止って対応しようとするでしょう。そこでナージャとの交換を持ちかける」
「先生、それは流石に……」
オックスが怖じ気づいたような小声で指摘する。
「でもさ、他に護士組とやり合える手段ってある?」
カズマは割り切った口調で問い返した。
「テロリストと言えば爆破と人質交渉が基本セットみたいなものじゃないか。それに、人質なんてフリで良いんだよ。泣きまねしてるオックスくんの首筋に僕がナイフ当ててればそれで成立する。彼らは僕らがグルなんて知らないんだからね」
それから全員で情報と知恵を出し合った。
処刑場は、インカルシの北部を東西に横切る険しい山々の麓。人がほとんどよりつかない〈卑吝の丘〉だ。
そこへ到るまでには深い森が広がっており、護送が陸路で行われるならここを通ることになる。
処刑は一般公開されない。
ここまでは、護士組が〈公示ギルド〉を使って開示した公式情報であるらしい。
刑の執行は地球時間でいう午前九時ごろ。
インカルシから〈卑吝の丘〉までは、距離だけみれば徒歩でも二、三時間で辿り着ける。
したがって、牢から出されたナージャがインカルシを出発するのは朝の六時くらいではないか。
それがサイトたちの見解だった。
これが正しいなら、タイムリミットはあと十数時間。
充分ではないが、奪還作戦のための準備が多少は許されると見て良い。
「とにもかくにも、まずは輸送ルートの割り出しですね」
顎をさすりながら言うサイトに、エリックが同意を示した。
「それが分からないことには、何も始まらない感じです」
と、そのとき、御者台からオックスが鋭く声を発した。
「先生! インカルシが見えました」
その言葉に全員が顔を上げた。無言で前方に視線を向ける。座高の低いカズマは、中腰になって高さを稼いだ。
それは進行方向向かって左斜め前方にあった。
巨大な月から降りそそぐ青白い光を受け、長大な石造りの外壁が浮かび上がって見える。
距離にして、もう一キロメートルを切っていることは確実であろう。
その城壁に空いた巨大な黒い穴のように見えるものは、恐らく幾つかある門の一つに違いない。
無数の篝火が煌々《こう》と焚かれ、そこだけ昼間のように照らし出されていることからも確かだ。
流石は国内屈指の貿易都市と言うべきか。この時間だというのに、門の周囲には入場待ちと思わしき群衆のシルエットが見てとれた。
「オックスくん、どこか目立たないところで馬車止めて」
カズマが声を飛ばすと、オックスはすぐにその命に従った。
街道を少し外れた所に適当な木陰を見つけ、そこで手綱を緩める。
軋み音を上げて車輪から完全に運動エネルギィが抜けきったのを確認すると、彼はようやく荷車の方を振り返った。
「先生、どうかされましたか?」
「サイトさん経由で入ってきたレイダーの情報だと、ナージャは壁の外でショウ・ヒジカの部隊に見つかって戦闘に入ってる。奴はこの辺を徘徊してるってことだ。ランコォル種は金持ちの馬なんでしょ。警戒しておいた方が良い」
「それもありますが、ここからは別行動を取った方が良いでしょうね」
これはサイトの発言である。
インカルシで最優先すべきは、情報を引き出すため〈強欲〉スコッチの元へと急行することに他ならない。
だが、これは雁首揃えて全員で向かっても意味がない。
最低でも一人はオキシオたちの行方を確認するため、彼が向かうはずであった医療士の元へ向かうべきではないか――。
それが彼の主張であった。
「じゃあ、オキシオさんの足取りを追うのはサイトさん。オックスくんは僕を〈スコッチの館〉に案内して。用心棒に封貝使いがいるなら、そっちは僕が担当せざるを得ない」
カズマは一口に言って、最後にエリックを見た。
「エリックさんは、ここで待機していて下さい。ランコォル種は街の中に入れたくない。預けると無視できないお金を取られるし、僕らとの繋がりを掴まれたら没収されたり、足止めされたりするかもしれない」
言って、カズマは新たに召喚した封貝を二つ、彼に差し出した。
「片方は、例の音響爆弾みたいな大きな音が出るタイプです。再生と日本語で口訣してください。それで起動します。音は、日本の救急車のサイレンを合成して出すようにしました」
カズマは自分の防御用に常に周囲を漂わせている〈*ワイズオレイター〉のうち、ひとつに念を送った。
その頼もしい護衛は、オックスやサイトにも分かるよう、サイレンのサンプル音をごく小さく再現して鳴らし出す。
「なにかあったら、救難信号がわりにこれを使って下さい。聞いた人は、どうしても手が離せない場合を除いてこの場へ急行ということで」
「分かりました」とオックス。
サイトも神妙な面持ちで了解の意を示した。
「もう一つの方は、録音機能を持たせた〈*ワイズオレイター〉です。何かが起きて逃げざるを得なくなったとき、その暇があるならメッセージを吹き込んでその辺の木の根元にでも埋めて下さい。再生は僕たち関係者しかできないように設定してあります。敵に聞かれることはないんで、暗号化とか考えずストレートに喋ってもらって結構です。どっちも使い捨てなんで、そこだけ気をつけて下さいね」
「留守番か……」
エリックは複雑な表情でふたつの封貝を受取った。
「僕にもなにかできることはないのかな」
「僕は、拠点と足を守るのも重要な仕事だと思いますよ?」
カズマは微笑んで言った。
「それに、僕とオックスくんは情報を仕入れ次第、サイトさんはオキシオさんたちの行方が掴め次第、ここに戻ります。それからは、例の偽爆弾をインカルシ中にバラ撒くために、エリックさん含め総出で作業することになるでしょう。足が速くて体力があるエリックさんには容赦なく走り回って貰いますから、今のうちに英気を養っておいて下さい」
「……分かったよ」
その歯切れの悪さは、彼がカズマの言い分に完全な納得を得ていないことを如実にあらわしている。
足手まといになっていのではないか。ここ最近、彼がそんな苦悩を抱えていることも分かっている。
だが、今はそれと長々向き合っている時間はない。
封貝という存在が、それを「持つ者」と「持たざる者」との間に大きく深い溝を生んでいることには、流石にカズマも気付きつつあった。
それが自分たちの人間関係にも亀裂を走らせるものとならないよう、今は祈るしかない。
なにか嫌な胸騒ぎを感じたが、カズマはやむなくそれを無視して馬車から降りた。
「ここからインカルシまでは歩きましょう。サイトさんはレイダーの資格も持ってるそうですし、僕やオックスくんを連れていても入門審査はそれほど問題なくパスできるでしょう?」
「ええ」
後に続いて荷車から飛び降りたサイトが白い歯を見せる。
「お任せ下さい」
それから彼は誇るように右腕を肘から立てて見せた。
その手首には、金属製と思わしき幅広の腕輪が光っている。
全体的に時計のベルトのように薄いようだが、横幅は二センチ前後と大きめ。そこに、地球の軍人がつける認識証を細長くしたようなものが埋まっており、小さくなにか文字が刻まれている。
素材そのものの性質か、あるいは塗装や加工の賜物なのか、黄系――薄橙色――の表面はほとんど艶が見られない。
カズマはなんとなく、歩数や消費カロリィ、睡眠支援、心拍計などを兼ねた、故郷でいうところの活量計のようなものを思い浮かべた。
「もしかして、それがレイダーの身分証明?」
カズマの問いに、サイトはイエスと答えた。
宝貝で作られた特別製で、連盟に加入した時点で全員に与えられる身分証であるという。
「宝貝そのものが持つ能力で、倒した魔物などが自動記録されるので大変に便利なのです。連盟が設定した経験値がそれによって加算され、これはランクを上げるためのポイントとしても加算されますし、また一定値溜めると連盟から報償が貰えるんです」
「へぇ……」
「レイダーは、このタグを見える場所に付けておくよう義務づけられています」
「なんで?」
「力を持つことに対する責任もそうですが、やはりそれだけ社会的な特権も多いですから。等級によって色が違うことも、その特権に差があることを示しています。
たとえば緑級以上は、多くの街で出入りするときの関税を求められません。チェック自体もほぼ顔パスであることがほとんどです。私は最下層なので薄い黄色。その上の初心者級は白。以降、青、緑、ゴールドなどはそのままの色ですね」
「一目でレイダーであることはもちろん、実力の目安も分かるわけだ。でも、腕に防具つけてる人は着けられませんよね、それ? 僕みたいに封貝になってる人もいそうだし」
「この連盟証はブレスレットと決まっているわけではありません。宝貝自体に命じることで大きさがある程度、変えられます。なので防具の上からも着けられますし、ネッククレスやチョーカーのように首飾りにしているレイダーも大勢いますよ」
カズマたちはエリックにしばしの別れをつげ、一路インカルシを目指した。
街道をそのまま進み、南の〈朱雀門〉を目指した。
ここはショウ・ヒジカの管轄である街の西側から外れるため、その意味でも都合がよかった。
「ただ、ナージャさんを仕留めたとされるケイス・ヴァイコーエンは朱雀隊ですけどね」
オックスが不安をかきたてるようなことを言うが、さらに聞くと、このヴァイコーエンは寡黙で実直なタイプの、その意味では信頼できる人間だと言われているらしい。
ショウ・ヒジカとは対極的と言っても良いだろう。
「というより、ショウ・ヒジカが例外的に悪質過ぎるだけですね」と、サイト。「彼を除けば、クセこそあれ護士組というのは庶民に対してそう脅威となる存在ではないんですよ。本来」
歩き出してからは、緊張を押し隠そうというように誰もが良く喋った。
おかげで退屈もせず、二〇分もかからなかったこともあり、朱雀門へはあっという間に辿り着いた感があった。
カズマの危惧とは裏腹に、門では思ったほど待たされることはなかった。
サイトが代表して手続きし、武装した守衛と二言三言やりとりすると、もう通行許可が下りた。
これがレイダー証の威力か。
カズマは勝手に感心する。
ナージャを取り返して落着いたら、皆で連盟に入るのも良いかもしれない。改めて思う。
門を潜ってすぐ、自分はこちらだと言ってサイトが離脱した。
どうやら、彼ら先住民族が頼りにしていた医療士というのは、街の西側にいるらしい。
一方、〈スコッチの館〉は今、カズマたちがいる南側にあった。
とはいえ、ほとんど街の中心部近くに位置しているらしく、しばらく石畳の目抜き通りを歩かされた。
やがてオックスの先導がなければ迷いそうな横丁に入り、さらに進むこと一〇分弱。
いつしか周囲の風景は一変していた。
なにかねっとりとした湿度を感じる重い陰気と、躁状態の異常な陽気が入り交じった奇妙な雰囲気が、辺り一帯に薄霧のごとく立ち籠めている。
得体の知れぬ錆びた香りや、すえた刺激臭が漂う細い裏通りには、割れた酒瓶の破片が散乱し、腐った木片が浜に打ち上げられた腐魚のようにあちこち転がっている。
そんな中、目立ちはじめたのは、鬼火のように揺らめく街灯の篝火のたもとに佇む、肩からコートを羽織った女たちの姿だった。
それが、客待ちの街娼であることにカズマが気付いたのは、しばらくしてからだった。
「オックスくん……」
なんとなく声に出したが、言葉が続くことはなかった。
存在は知っていた。地球にだっている。日本でも恐らく探すのは苦労しない。
だが、実際にその目でみる彼女たちの存在は衝撃だった。
自分でも何にショックを受けているのか分からないほど、カズマを呆然とさせた。
知っていることと、肌で感じることとは違う。
改めて思い知らされた気がした。
「カズマ先生、こっちです」
オックスが平坦な声で言い、カズマの服の袖を引っぱった。
この中性的な少年は今、イスラムの女性、あるいは協会のシスターがそうするように布ですっぽりと頭から上半身を覆っている。
下半身は長ズボンを脱ぎ、切り裂いた布を巻き付けてスカートのように見せていた。
単純だが、彼が行うと大変に効果的な女装となっている。
「――先生、あれが〈スコッチの館〉です」
しばらくして、足を緩めたオックスが小声で囁いた。
その視線を辿ると、なるほど館と呼ぶに相応しいどっしりとした大きな構えの屋敷が見えた。
通りとは短い上り階段で接続されており、その先に車寄せ風の柱と屋根のあるエントランス。更にその奥に、入口の分厚そうな両開き扉が見えた。
扉の両脇を固めているのは、いかつい風貌の巨漢二名である。
その気配を感じないことからどちらも恐らく封貝使いではない。
しかし、全身にまとったその分厚い筋肉は、カズマなど一薙ぎで吹っ飛ばし、元の世界まで送り返せそうに見えた。
「おい、ちょっと待て」
正面から堂々と階段へ向かったカズマとオックスは、扉まであと数歩というところで呼び止められた。
身に纏った筋肉同様、実に野太い声音であった。
「小僧。ここはお前みたいな貧相なガキの来る所じゃねえぞ」
サンタクロースのように豊かな口ひげは、しかしまだ若さの窺える焦茶色。首は両手をかけてもカズマでは締め切れないほど太く、その両脇にある僧帽筋はシャツの上からでも分かるほど、冗談のように盛り上がっている。
丸腰でも脅威なのは明白だが、彼はさらに左腰から長剣をぶらさげていた。
「あの……僕たちは、お客じゃ……なくて」
カズマは嵐に怯える子栗鼠のように縮こまって言った。
「あぁ――?」
「お父さんが、その、お金を払えなくなってしまって……スコッチさんが、この子を……妹を連れてくれば許してくれると」
悲愴感を出して訴えながら、「この子を」のところで後ろに立たせているオックスを流し見る。
顔を伏せ長い睫の下に憂いを湛えた彼は、女性に見せたかけた衣装もあいまって、どう見ても借金のカタに身体を要求された薄幸の美少女にしか見えない。
まったく喜ぶ気にはなれなかったが、案の定、この手の話は珍しくないらしい。
カズマの言葉と恥じらうようなオックスの仕草をみた瞬間、立番のガードマンたちは下卑た笑みを口元に浮かべた。
「そういうことかよ。そりゃ災難だなあ。駄目な親父を持つ娘はよ」
「まあ、お前みたいなのは大勢いる。仲良くやるんだな」
「うまくすりゃ、借金返してなおリターンに預かれるぜ?」
男達は囃し立てるように言うと、行きなとばかりにクイと顎を扉の方へ振った。
カズマは感極まったように口元を押さえた。「うっ」と小さく嗚咽を漏らす細かい演技も忘れない。
そのままオックスの手を取り、彼らの気が変わらないうちにそそくさとドアを潜った。
これから脂ぎった好色オヤジに、大切な妹を生贄に出すのだ。これくらいはあって良いだろう。
一歩足を踏み入れた瞬間に感じたのは、真夏、クーラーのきいた部屋から屋内へ出たときのそれに似た、纏わり付くような熱気であった。
加えて息苦しさを感じさせる一種異様な喧噪。大勢の人間が息を潜める不気味な気配。
賭場特有の強い光と、それが生む濃い影は、慣れない者には息が詰まる。
カズマは目立たない柱の陰に一時避難し、体勢を整えることにした。
「なんとか入り込めましたね」
頭に被せていた長めのスカーフを外しながら、オックスが一息吐く。
「まあ、カジノって言っても、会員制でもない開かれたお店だからね。ここまではあまり心配してなかったよ。問題はこの先だ」
小声で言いながら、柱の陰よりそっと内部の様子を観察する。
館は二階建てになっているらしく、近くには上層に通じる階段がある。
そのすぐ側にはマホガニィ材を思わせる光沢のある重そうな机が鎮座しており、いかにも秘書然とした若い女性がひとり座っていた。
恐らくは受付かエリアマネージャの類だろう。
さらに奥、一階部のほぼ全てをぶち抜いた大きなスペースは換金所や荷物預り所、談話スペース、酒場といったものが占めていた。
すなわち、賭場は二階がメインという間取りらしい。
そして、――いる。
瞬間、背中を冷たいものが伝うのをカズマは感じた。
一階奥、酒場のどこかにひとり。
ワンランク落ちるが、二階の左手壁際にも、もうひとり。
それぞれ、空間が歪んで感じるほど異様な圧を発している何者かが存在する。
間違いない。
これが死の予感。
これが、封貝使いの気配なのだ。
ナージャと一緒にいるときは、これほどの――吐き気さえ催しそうなまでの濃厚なプレッシャーは感じなかった。
彼女がそれを隠すのに長けていたのか、感じられないほど微弱な力しか持っていなかったのかは分からない。
カズマ自身に、当時そうしたものを感知する能力が欠けていただけ、と考える方が自然な気もする。
なにせ、出せる封貝はいまだ攻撃《Fox》系が二種のみ。
普通の封貝使いと違って、移動系や防御系はまだ何一つ使えない半端ものなのだ。自分の封貝の名前すら、先程ようやく知った超ド素人がカズマなのである。
なんにせよ、今なら分かる。
下から二番目の白級と、その上の青級ですらこれだ。
どんな策を練ろうと、到底叶わない。
完全武装した熟練の兵士、あるいは血に飢えた大型肉食獣が同じ空間にいるようなものなのだ。
彼らとの遭遇だけはなんとしても避けねばならなかった。
気付けば、包帯で隠した〈*ワイズサーガ〉が震えている。カズマは怯える相棒をなだめるように、そっと左手を添えてやった。
「――オックスくん、〈強欲〉の部屋はどこにあるか知ってる?」
「いえ」
女装を解いても少女に見える少年は、ぷるぷると可愛らしく首を振った。
「サイト兄さんならともかく、僕はここに来るのほとんど初めてですから。知っているのはこの店の場所だけです」
「となると、あの受付っぽいお姉さんに教えてもらうしかなさそうだな」
探し回っても良いが、店内に居るはずの封貝使いに目を付けられる怖れがある。
一応、そこからの策も用意してはいるが、可能なら是が非でも避けたいパターンでもあった。
「――よし。じゃ、やるか」
カズマは自分を奮わせるように言った。
「オックスくん、持ってきた鞄かして」
手を差し出すと、彼は肩にかけていた横に長い直方体の革鞄を差し出した。
サイズは割合小さく、玄関前にいたガードマンの巨大な握り拳なら、並べて四個入れば良い方だろう。
それからカズマは、一緒に頼んだ水筒も受取った。
水筒なんて何のために? と訝しげな顔をするオックスを尻目に、カズマは口を緩めて水筒を傾けた。
器がわりにした手で滴る水を受け止める。
そのまま顔を洗うときのように、顔へ叩きつけた。
「先生ッ?」
「良いんだ。じゃ、僕はちょっと行ってくるから。オックスくんは店の外に出て裏手、に回っててくれる?」
早口に言うと、質問の暇を与えずカズマは柱の陰から出た。
持久走大会のゴール付近のようにぜえぜえと荒い息を吐き、よたよたと受付へ接近していく。
荒い息の男が、汗だくで目を血走らせ、怪しげなバッグを抱えて近付いてくる。その異様な気配を逸早く察知した受付嬢は、カズマが来客用の椅子に辿り着くずいぶん前から顔を引き攣らせてその動きを見守っていた。
カズマはその視線を完全に無視して、彼女の机にバッグを置くと、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
背もたれに体を預けきり、すくい上げられた金魚のように口をぱくぱくさせて喘ぐ。
水筒の水を被って作った偽の汗を腕で拭った。
「あの……お客様?」
「ああ、失礼……」
カズマは今にも死にそうな切れ切れの声で言った。
「私はインカルシ護士組玄武隊の開発セクションより任を受け――」
と、ここでカズマは咳き込む演技を入れた。
ヒューヒューと喉を鳴らし、切迫した感で呼吸を繰り返す。
それから固唾を飲んで続けた。
「そちらの荷をお届けに参ったものです。スコッチ・スウォージ氏から極秘でご依頼いただいていた、こちら――超高感度爆轟殺傷型の特殊宝貝四個セットになります。お納め下さい」
カズマは震える手で、デスクに置いた皮鞄のロックを外した。
覆いをぺろんとめくって見せる。
正面を受付嬢の方に向けていたため、それだけでも中身は良く覗けたはずである。
そこには歩いている途中に召喚した〈*ワイズオレイター〉が四個、団子のように仲良く並んでいるはずであった。
これは確かに普通の品ではない。そう思わせるために、念じて全てを細かく振動させている。
自らの意思を持つようにふるふると小刻みに震える白い球体は、知らぬ者から見ればさぞかしハッタリのきく存在だろう。
「じゃあ、確かにお届けしました。それでは、私はこれで――」
カズマはこれ以上、物騒な物は視界に収めたくない、というようにすっと視線を切り、そそくさと腰を上げた。
素早く踵を返して逃走の構えに入る。
「ちょっと待って!」
狙い通り、受付嬢が慌てふためいた様子で呼び止めてきた。
カズマは内心とは裏腹に、恐怖に目を見開きながら振り返った。人差し指を口元で立て、必死の形相で「しーっ」と繰り返す。
「大声やめてッ」
カズマは声をひそめながら叫んだ。
包帯で包んだワイズサーガの方で、びしびしと〈*ワイズオレイター〉を指差す。
「高感度。高・感・度だからコレ。爆轟型封貝なんですって。下手に扱うと爆発しちゃうから! この館ごと吹っ飛びますよ。私はまだ死にたくない」
受付嬢のざあと音が聞こえないのが不思議なほど、見事に血の気が引いていく。カズマは畳みかけた。
「とにかく、私の仕事はコレを極秘にここまで運ぶこと。あとはそちらで処理して下さい。でも、動かすのは私が出て行ってからにしてくださいね。大きな音や衝撃、あと封貝の気配にも反応して爆発するから。そこ、気をつけて下さいね。じゃあ」
一息にまくしたてると、カズマは出口に向かって回れ右する。
「ちょ、待って。ちょっと待って下さい」
「――なに!」
なぜ行かせてくれないのだ、という苛立ちをそそのままにカズマは振り返った。
「このようなお届け物があるというのは窺ってません」
「それはそちらの都合でしょ。元々、極秘で頼まれてたものだから、記録には残さない約束だし。だから、ウチだってそっちの受取りサイン貰わなかった。通常の取引じゃないんだ。分かって貰えた? じゃそういうことで――」
とうとう受付嬢はデスクを回り込み、直接、カズマに取りすがる道を選択した。
がっちりとカズマの二の腕を両手で掴んで離さない。
受付に置かれた綺麗どころにしてはなかなかの腕力と言えた。
「なんで帰らせてくんないのさ!」
カズマは声量を落したまま噛みつく。
「それより走ったら駄目だって。振動、振動が伝わっちゃうでしょ。これ高感度だって――ホラァッ!」
カズマはがくがく震えながらそちらを指差す。引っぱられるように、受付嬢がそちらへ鋭く視線を投げるのが分かった。
直後、その美しいブルーアイズが零れそうなほど大きく見開かれる。
バッグの中、先程まで小刻みであった球体爆弾の振動が、それと分かるほど大きくなっている。
震えというより、ガクガクという――それはもはや揺れの領域に足を踏み入れていた。まるで、それ自体の怒りの発露であるかのように。
「ヒッ――」と声にならない悲鳴を発し、受付嬢がカズマにしがみついた。
心の中でガッツポーズをとりながら、カズマもどさくさに紛れて彼女を抱き締めかえす。
そちら方面にはあまり文化が発展していないのだろう。
その肢体は日本人女性――たとえばサトミやヨウコほどの香しさこそなかったが、柔らかさは変わらなかった。
とはいえ、あまり怖がらせるのも気の毒だ。
感触を充分に堪能したカズマは、封貝に命じてその振動を少しずつ収めていった。二〇秒ほどかけて元の小刻みな震えまでゆっくりと落着かせる。
ややあって、腕のなかで受付嬢が安堵の吐息をもらした。
それから彼女はようやく自分の失態に気付いたらしく、弾かれたようにカズマから離れた。頭を下げてしきりに非礼を詫びてくる。
もちろん、カズマは「なんら問題ない」と紳士的に歯を光らせて収めた。
「おい、何の騒ぎだよ。ミーナ」
不意に、奥の方から声がかかった。
一八〇センチを優に超える上背と、露出した腕に刻まれた派手派手しいタトゥーが、それだけで対峙する者を威圧する。
エントランスのガードマン程ではないが、彼もまた鍛え抜かれた鋼のような肉体の主だった。
店の守り手であることの証として、その腰には帯剣が許されていた。
「ヴィック、ちょうど良かった」
地獄に仏をみたように受付嬢がぱっと顔をほころばせる。
「小声で。小声で!」
カズマが慌てて指摘すると、彼女ははっとした様子で口元を押さえた。
「ヴィック。お願い、この方をスコッチ様のお部屋までご案内して」
「あぁ――?」用心棒が面倒そうに目を細める。「なんで俺がだよ」
「ヴィック、静かに。声を落して」
「なんだってんだ」
受付嬢は大袈裟な身振り手振りを交えて、端的に事情を説明した。
一通り話を聞いた用心棒は、胡散臭そうにカズマをじろりと一瞥し、それからデスクに置かれた封貝入りの鞄を覗き込んだ。
そこで小刻みに揺れる怪しげな球体を見る到って、ようやくこれが単に与太話と切り捨てられるものではないと悟ったらしい。その相貌に緊張が走る。
「おいおい、マジかよ。なんだこりゃ。こんな怪しげな宝貝、見たいこともねえぜ」
「私だってそうよ。さっき、本当に爆発しかけたんだから」
「ああいうのは、もう勘弁して下さいね」カズマが口を挟む。「お姉さんがバタバタ足音立てて走るもんだから、冗談抜きで危ないところだった」
「そうなのよ」
ミーナが勢い込んで言った。半歩、用心棒に詰め寄る。
「こんなの私たちの手に負えないじゃない? ボスが極秘で注文した物だっていうし。下手に扱うわけにはいかないから、特例だけどこの方に直接、ボスの部屋まで持っていっていただこうと思うの。でも、それには案内役が必要でしょう? もちろん、私は絶対に嫌よ」
「一時的に無効化とかできねえのかよ」
ヴィックと呼ばれた用心棒は言うと、受付嬢と示し合わせたようにカズマを見た。
どうなんだ、という無言の問いが投げかけられる。
「そう言われても、私は単に下っ端の運び屋ですからねえ」
カズマは額を湿らす偽の汗を拭い、肩をすくめた。
「それに試作品らしいですし。そんな便利な機能はついてないと思いますよ。あったら、私だってスイッチ切って運んで来ますよ。途中で何度死にかけたことか」
「チッ。そんなヤベエ物、俺だってごめんだぞ。メイトランさんに頼めよ。こういうときこそ、封貝使いの専属ボディガード様の出番だろ。あの人、まだそこで飲んでるからよ」
と、用心棒は背後に続く酒場スペースを顎で指す。
だがこれは言下の元、受付嬢のミーナに切り捨てられた。
「駄目よ。封貝の気配にも反応するって言うのよ。メイトランさんなんて絶対近づけちゃ駄目に決まってるでしょ」
「おう……そうか。封貝も駄目ってか。なんだってそんな難儀な設定なんだよ」
「元々、これは封貝を持ってないスコッチ氏のような人が、封貝使いに襲われたときのための備えだからですよ。封貝に反応するってことは、対封貝使い用のトラップにもなるし、はぐれた護衛と合流するまでの時間を稼ぐ道具にもなる」
カズマは口からでまかせを並べ立てたが、一定の説得力はあったらしい。そういうことかよ。腕組みした用心棒は、得心したように軽く唸った。
一方で、スコッチの元へ行かされる件については納得がいかないらしい。
「しかしなぁ」渋い顔で首をひねる。「この時間帯はアレだろ。ボスはお楽しみの真っ最中ってとこだろ。嫌だぜ、そんな所に来客告げに行くのはよ」
「そこを何とかお願い。私だって、今の時間、ボスのお邪魔する勇気なんてちょっと……だし」
「おいおい。それを俺に押しつけるたあ、どういう理屈だよ」
「埋め合わせは今度するから」
ついには両手を合わせて拝みだす。
こちらの世界にも、日本と同じようなジェスチャがあったのか。カズマは変なところで感心しそうになった。
「あのう、私も予定になかった仕事をさせられることになるんですが、それは? できれば、頑張ってのチューとか、そういう追加報酬などいただけたら」
半分、冗談交じりの申し出であったが、意外にも受付嬢はカズマが言い切る前に動き出した。
素早く間合を詰めると首の後ろへ両手を回し、カズマの口元に勢いよく自分の唇を押しつけてくる。
強弱と何度か角度を変えたあと、水っぽい音を立てながらミーナはようやくカズマの元から離れていった。
行為自体は艶めいたものであるはずだが、その動きは作業だった、実に淡々としたものだった。
これで良いでしょ。そう言わんばかりの投げやりさが強くある。
しかし、上手くいっても頬に軽く触れる程度と考えていたカズマにとっては、予想を大きく超える展開と言えた。
この世界の女性の貞操観念はどうなっているのか。
よもや接吻は、握手と差がない程度の位置づけなのか。
呆然としながらも、様々な思考が頭を巡る。
「おう、坊主。気が済んだならさっさと行くぞ」
その太い声で、カズマはようやく我に返った。
「は……はぁい」
それでもどこか夢うつつで返す。動揺のあまり口調は思わず関西風になっていた。
「ほな、行きましょか」
「おい。肝心の荷物放ってどうする気だ、お前」
「おお、いかんいかん」
カズマは慌てて鞄を持ち上げる。肩紐を腕に通し、「小さく前にならえ」の手の間に挟み込むようにしてバッグ本体を抱えた。
「こっちだ」
先導する用心棒は、喧噪から離れるように一階の壁際を奥の方へと進んでいった。
やがて人気のない細く長い通路に入る。
両側には窓もドアもないのっぺらぼうの白壁が続き、それは突き当たりに待つ右方向へ九〇度の曲がり角まで続いている。
「この先に、スコッチ氏の私室が?」
「ああ。この時間帯は、奴隷やら借金のカタにとった情婦を連れ込んでお楽しみってのが恒例だ。だから邪魔されるとそりゃあ怒るんだよ」
「へぇ、それはうらやま……けしからんですな」
「だからお前、下手なクチきいて余計に怒らせたりするなよ。用が済んだらさっさと出てこい。でないと、案内した俺まであとでとばっちり食いかねないからな」
「任せといてくださいよ。僕、お母さんからも、お前はしっかり者すぎて寂しい。一度くらいは叱ってみたいって言われてるくらい、隙のない男なので」
カズマは一瞬立ち止まると、片手を腰にやり、もう片手でそらした胸をどんと叩いた。
必然、抱えられていた鞄は支えを失うことになる。
重力加速で勢いを付けたそれはそのままカズマの腹の辺りに激突。
衝撃で、球型の封貝が二つばかり外へ勢いよく飛び出た。
「ばっ……お前ッ」
半歩先で一連の動きを見ていた用心棒が顔色を変える。
彼は小声で短く罵倒だか呪詛の言葉を叫ぶと、俊敏な動きで宙を舞う封貝に飛びついた。
この辺りは、流石に訓練された肉体の主といったところだろう。
彼は左右それぞれの手で正確に封貝をキャッチし、身を躍らせた体勢のままヘッドスライディングの要領で床を滑った。
「おおー、凄い。スゴイ」
思わず拍手喝采のカズマだったが、用心棒はこめかみに青筋をぴくつかせながらやおら立ち上がった。
「この、大間抜け野郎ッ!」口を開くなりの怒声だった。「何がしっかり者すぎて寂しいだ。隙がないとのたまったそのクチで何やらかしてくれやがる!」
「まあ、そう興奮しないで。無事だったから良いじゃないですか」
カズマはにこやかに笑って、言った。
「案内ご苦労様でした。今夜はもう、休んでもらって良いですよ」
「アァ――?」
顔を引き攣らせたように凄む用心棒だったが、手の中から独りでに逃げ出し宙を舞い始めた封貝に、やがて声を失う。
カズマは混乱する彼をよそ目に、鞄に残った二つを含め四個全ての封貝を動かした。
滑らかかつ複雑な軌道を描いたこれら忠実な相棒は、瞬く間に用心棒の懐に入り込み、その頸部に張り付く。
あとは力加減に気をつけながら、封貝同士の感覚を狭めてやれば良かった。
頸動脈を圧迫された用心棒は、最初の数秒こそ激しく抵抗していたものの、それも長くは続かなかった。
程なく全身が弛緩し、その場に崩れ落ちる。
いわゆる、「落ちた」状態だ。
「やっぱり、封貝スリーパーは普通の人間相手ならかなり有効だな」
封貝と考えると火力は皆無に等しいが、その変わりこうした使い方や単に音を出す程度では、一般的な封貝が力を発揮するときにどうしても出してしまう〝封貝の気配〟とやらももほとんど漏れ出すことはない。
音もなく忍びより、あっという間に気絶させる。
隠密用としては大変に使える武器と言えた。
カズマは念のため、倒した用心棒の武装を解いた。
年頃の男の子としては、やはり腰に下げたロングソードが気になって仕方ない。
そんな場合ではないと知りつつ、つい鞘から抜いて、ポーズを取ってしまう。
「これが本物の剣か……」
刀身に映った自分の姿をほれぼれと覗き込む。
「何やらとてつもなく格好良いな。これは貰っておこう」
他に財布らしき布袋も見つかったが、これは流石にそのままにしておいた。
逆に、剣を頂戴するなら対価くらいは必要だろう。
そう考え、再生すると可愛らしい子どもの声で「おじちゃん、どうもありがとう。だいすき」と流れるようにした〈*ワイズオレイター〉を彼のポケットにねじ込んでおいた。この天使の囁きをきけば、目覚めた彼のすさんだ心も必ずや癒やされるに違いなかった。
「ここまでは、なんとか上手くいってるな」
カズマは封貝で気絶した用心棒の身体を一緒に運びながら、前進を再開した。
途中、懐から用意してきた布きれを引っ張り出して広げる。
一度半分に折って三角に形を整えると、それを顔の下半分に巻き付けた。
頭の後ろで先端同士を結び合わせ、簡易覆面にする。
「さて、それじゃあ本命だ――」
前方に見えてきた重厚な木製ドアを見つけ、カズマは表情を引き締めた。




