さばいばるぐらし!
016
幌馬車の残骸を解体し、大体同じサイズの木片を幾つか作る。時計がないこの世界では、その木片こそが時を計る唯一の目安となった。
原理は単純だ。薪として一本ずつ焚き火の中に投げ入れ、炭化するまでを一単位とする。これを三度繰り返す間、片方は眠って休む――。
相談の末、カズマとエリックは、そういうルールで夜を過ごすことになっていた。ひとりが休息を取る一方、もうひとりは寝ずの見張りにつく、という寸法だ。
ここまで眠った回数はカズマが一度。エリックはもうじき、二度目の睡眠時間を終えようとしている。その一度の経験と――いまいち信頼性を欠く――体感時間を合わせて換算すると、薪三本の燃焼時間はおおよそ四時間前後ではないか。それがカズマの感想であった。
頭上を覆う枝葉の面紗ごしにも空が白み始めたのを感じる辺り、あながちカズマの計算も的外れなものではなかったのだろう。四時間の睡眠が交代で三度――つま計十二時間が過ぎたとすれば、それは日没から日の出までの時間としては充分である。
合計八時間も独りで過ごすことになったカズマだが、退屈はしなかった。もちろん、惰眠をむさぼるのは大好きであるし、本来、一〇時間眠ることが許されるならそうしたい、というタイプではある。こんな時でもなければ、自分の方が多く睡眠ターンを稼げるよう、色々な策を巡らせたであろう。
しかし、今度ばかりは別だった。新たに出現した自分の封貝、〈Fox 2〉について色々と試してみたい。そんな好奇心と欲求が、眠気に勝っていた。
もっとも、この八時間で分かったことは皆無に近しい。
投げる、焼く、踏みつける、叩きつける、斬りつける、埋める、噛みつく、舐める、放置する、話しかける、金属バットで空の彼方へ吹っ飛ばす、添い寝する――ありとあらゆるアプローチに、この白玉は無反応であった。
判明したのは、同時に幾つもがこの世に存在し得ることのみ。少なくとも、現在まで五回に渡る口訣で六個の白玉が出現している。その内、一個はエリックのホームラン・スイングで遥か遠くへ飛んでいったため現在の所在は分からない。が、それ以外の五つは、今もカズマの側に転がっていた。途中、睡眠を挟んだが、その間も消失することはなかった。
これは、たとえば右腕義手と明らかに性質を異にする部分だ。ナージャのマフラーや炎の槍もそうだが、何度口訣しようが、二つ以上に分裂、増殖することはない。それが通常の封貝だろう。しかしこの白玉は違う。繰り返し召喚でき、実体化してしまえば勝手に消えることはない。二個いっぺんに呼出すことすらできる。
「つまり、燃費が良いんだろうなあ……」
焚き火の側に腰を落し、揺れる橙色の光を浴びながら、カズマは独りごちた。
燃費の良さは、つまり出力の弱さだろう。これが本当に、定説通りの射撃武器・飛道具であるのなら、おそらく一つひとつは豆鉄砲のように弱いに違いない。
そのかわり数で押す。――マシンガンのように?
カズマは試しにその光景を想像し、だが、すぐ顔をしかめることになった。
大量に買い込んだニワトリの卵を、蹴躓いて周囲にバラ撒いてしまった――といったような、間抜けな絵面しか浮かばなかったからだ。
それというのも、この白玉はあまり勢いよくは登場させられない。今までの実験で明らかになっている事実だった。遠く、速くとイメージしながら呼出しても、精々、手でソフトボールを投げる程度の速度で、これもやはり遠投程度の距離を飛んでいくだけであった。なんとも緩い放物線を描きながら。
無防備な人間の後ろ頭にでも運良く直撃させられれば、それでもタンコブくらいは作れるかもしれない。奇跡的幸運を味方につけたなら、あるいは昏倒に導けることもあろう。
しかし、昨日のような鎧を着込んだ野盗や、通常の物理攻撃をほぼ無効化してしまう封貝使い相手ならばどうか。到底、武器として使えるレヴェルとは思えない。
第一、それは普通の投石攻撃とどう違うというのだろう?
わざわざ封貝でやる程の意味は見出せないというのが現実だ。
「お前、欠陥品じゃ――ないよね?」
二つの白玉を両手に、のんびりお手玉遊びしながら問いかける。
もちろん、本気でそんな疑念を抱いているわけではない。
恐らく、これは発動にもうワンステップが必要な封貝なのであろう、という漠然とした予感がある。
焚き火に放り込んでしばらく炙っても、まったく熱くならない。剣鉈で思いきり斬りつけても傷一つつかない。こういった特性を、何の意味もなく与えられているとは考えられないからだ。
特性と言えば、見張り中にも新たに幾つか発見されている。
たとえば――と考えながら、カズマは傍らに置いていた予備の白玉の一つに向かって意思を飛ばした。念じた、と言い換えても良いだろう。すると、白玉は正確にそれを読取り、自らの力で宙に浮き上がった。そしてカズマがイメージした場所までふわふわと漂い寄ってくる。そうしていつの間にか、新たな三つ目の球としてジャグリングの列に加わっていた。
カズマを中心に、片手を伸ばしてちょっと届かない――約半径一メートル少しといったところの――範囲内でなら、この封貝はどんな三次元座標でも取れる。
つまり、触らずに移動させたり、空中に固定させたりできる、というのが新たな発見のひとつであった。
また、「その場に留まれ」と命じるとこれがなかなか頑固で、両手で引っつかみ足を踏ん張って、全力で押し引きしてもなかなか動かせない。意外な強度を発揮するのだった。
これらからは、三つの仮説を導き出すことができる。
ひとつは、攻撃用・射撃用というのは誤りで、これは防御用の封貝であるという可能性だ。白玉を大量に呼出し、念じて壁状に積み上げれば、それなりに信頼性の高い防壁になるだろう。
確かに、球体の群ということで接合部に小さな隙間はできる。しかし、剣や槍を通す程ではない。密集させずとも、真横や死角になる背後も含め、周辺をまばらに漂わせているだけで、斬撃などへの強力な抑止になると予想できた。
たとえばこれがあれば、昨日の野盗との戦いでも強力な防御になっていただろう。そう、カズマはぼんやり想像した。彼らが手にしていた刃物はほとんど脅威にならず、弓矢だけ警戒していれば良い、という有意性を構築できていたはずだ。比較して、死亡率を八割は下げることができていたのではないか――。
第二としては、迎撃用封貝という仮説があった。
現状、カズマが本命として据えているのが、このカウンター封貝説だ。
イメージとしては、複数召喚して常に自分の周囲に浮かばせておく。ここまでは、防御用説と同じだ。違うのはこれ以降。カズマに対する敵意、あるいは攻撃を感知すると起動して、自動カウンター攻撃に入るのではないか、という部分だ。ナージャのマフラーが攻撃に対してオートガードを発動させるように。
この説をとるなら、独りでどんなに弄ろうと何の反応も見せない、という現状にも説明がつく。敵が周囲にいない。攻撃を受けてもいない。だから起動しない――。理屈として、これ以上分かりやすいものもあるまい。
戦闘に入りさえすれば、この白玉はたちどころに本気を見せ、カズマを驚かせるような速度で敵に襲いかかっていくのではないか。あるいは飛んでいって、爆発でもするのではないか。そうであって欲しいという願望も相まって、これはカズマとしても大変にイメージのしやすかった。
第三の仮説は、これが別の誰かを支援するための弾丸ではないか、というものだ。
否、他人である必要はない。自分にはまだ目覚めていない〈Fox 3〉があって、これはそのための弾薬である、とも考えられる。
カズマの知る現実世界の射撃武器には、常に規格があった。何ミリ弾だとかいうサイズがあり、同じ弾丸を使うのならば銃の種類が違ってもそれを使い回せる。そのように聞いている。
ならば、この白玉は射撃用封貝が打ち出す弾丸として、非常にポピュラーな規格にのとったものなのではあるまいか。自分は、誰かに強力な弾丸としてこの白玉を提供できるのではないか――
それもこれも、全てはまだ想像の域をでない。
ナージャが戻れば幾つか検証もできるし、意見も聞けるだろう。とにかく、今は彼女の帰還を待つしかない。
と、そこまで考えて、カズマは手を止めた。
ジャグリングの途中、まさに宙に放られていた白玉は空中で動きを止め、自由落下とは明らかに異なるゆっくりとした動きで真下に落ちていった。
――ナージャはまだ戻ってこない。
封貝に集中することで敢えて考えずにいた、現状最大の懸念事項だ。
日没から夜明けまで、正確に何時間が経過したのかは分からない。だが、事前の打ち合わせでは「順調にいけば夜のうちに戻れるであろう」と見解の統一は取れていた。ナージャだけの証言ではなく、オキシオたちも同意を示したことなのである。
つまり、計画は順調に推移していない。何かトラブルが発生した。
これはもう、疑う余地がなくなってきている。
不意に微かな衣擦れの気配があり、そこへすぐに板張りの床が軋むような音が重なった。もはや幌馬車と呼ぶにはばかられるほど布地の大部分を失ってしまった荷車の奥で、エリックが身じろぎしている。
見ていると、彼は幌を裁断してこしらえた毛布代わりの布を下ろし、ゆっくりと起き上がった。細部まで見て取れるわけではないが、シルエットで動きはなんとなく分かる。
最終的に、彼は脱いでいたスニーカーをつっかけ、寝起き特有のどこかぼんやりした表情で焚き火へ当たりに来た。
「おはようございます、エリックさん」
「ゴメン。僕ばかり休ませてもらって。――おはよう」
「まだ交代には少し早いですよ。もうちょっと寝てたらどうです?」
「いや」彼はゆっくり首を左右した。視線は上に向いている。「もう、夜も明けるみたいだしね」
それから視線をカズマに戻して訊いた。
「ナージャさんは戻った?」
今度はカズマが頭を振る番だった。「まだです」
「そうか……心配だね」言いながら、彼は左こめかみ上の髪を後ろへ向かって流し梳くように撫でた。「何かあったんだろうか?」
「単純に怪我した人たちを運ぶだけなら、もうとっくに済ませて戻ってるはずです。単純に、暗いから帰り道で迷ったとかそういうことなのかもしれませんけど、何かあった可能性もありますね」
「どの段階で問題が生じたんだろう?」
それは見張り中にさんざん考えたことだった。
が、カズマはそれでも少し考え、それから自分の考えを口にした。
「恐らく、計画の初期段階でしょうね」
首をひねって、エリックがカズマを一瞥する。根拠を問う、無言の要請だった。
「誰も帰ってこないからです」カズマは言った。「計算上、ナージャは三時間で街に着きます。それから引き返して第二陣から怪我人を預かる。それを街に運ぶと、また引き返して最後はオックス君から荷物を受取る。で、また街に向かう」
そこまでの説明でエリックは大方を理解したようだった。なるほど――とつぶやき、大きく首肯する。
「確かにそうだね。変だ。ナージャさんが何事もなく引き継ぎを繰り返したなら、怪我人や荷物を渡したオックス君たち陸路組だけでも引き返してきて、夜の内にここへ戻っていなくちゃならない」
エリックのその言葉に間違いはなかった。オックスたちは引き継ぎが済み次第、近くの集落で水や食糧を買い、カズマたちへ届ける手筈になっている。それが、怪我人搬送のためナージャを貸し出した時の契約なのだ。
「逆を言えば」エリックが続けた。「彼らさえ戻ってないということは――」
「引き継ぎ自体がうまくいってなくて、オックス君たちはまだ馬でインカルシの街を目指しているのかもしれません」
「ナージャさんはインカルシに辿り着けなかった――?」
答え合わせをするように、エリックがカズマの顔をうかがう。
「それか、届けた先のインカルシで何か起って、引き返せなくなったか。もちろん、単に道に迷ってオックスくんたちとすれ違いやら行き違いを繰り返して遅れてるだけかもしれませんけど」
「それも決して歓迎できる事態じゃないけど、今となってはそうであって欲しいと思えるくらいだね」
それきり、ふたりして黙り込んだ。
どうしよう。どうすればいい?
そんな焦燥、迷いは当然カズマの中に――そして恐らくはエリックの中にもあるだろう。
だが――、どうしようもない。
なにもできない。
それは歴然としていた。
ここから動くことはできない。水も食料も欠き、自分の身すら満足に守れない弱者がなのだ。のこのこ救助に向かったところで、それは救助活動ではない。二次遭難の憂き目にあい、自分たちまでもが救助を請う側に回るだけである。
インカルシまで推定二〇〇キロ超の道のりは、徒歩だと間違いなく数日がかりだ。現状、カズマとエリックに、危険な異世界の大地をそれだけの距離、移動しきる力はない。
なにもできない。ただ、待つことしかできない。口を開け、餌を運んできてくれる親鳥をただ待つひな鳥のように。
どうしようもなく無力、非力なのだ。圧倒的に子どもなのだ。
未開の異世界に来れば、文明の発達した現代世界の知識を総動員して超人的活躍――というのは、条件に恵まれた物語の世界だけでしか成立しない。
「遠い、ね……」
エリックがぽつりと零した。
彼は両膝を抱き締めるように抱え、ただ揺らめく焚き火を見詰めている。エリックらしくない、どこか焦点のぼけた双眸であった。
遠い――。
なにが、とは問わなかった。その必要はない。同じ思いをカズマも共有している。
「僕らはあまりに弱い……」カズマはそう言った。「小さすぎます……ヨウコを助けて連れ戻すなんて勢い込んで出てきたけど、その言葉に具体性を何ら伴わせていない」
与えられた封貝さえ満足に使いこなせず、ちょっと放置されただけでたちまち死にかけてしまう。自立していない。
「きっと、ナージャさんが万全の状態でも、三人じゃ足りないね」
エリックのその言葉に、カズマは深く同意した。
情報がいる。世界中に根を張り巡らせ、広くヨウコの行方に繋がる手がかりを吸いあげなくてはならない。そのためには人手が必要だ。各地の文化に溶け込み、その地方の言語、訛り言葉を扱い、然るべき筋から本物の情報を得る能力。人材、人脈、金銭、時間が――大量に求められる。
仲良し三人で手分けして――で人を探し出せるのは、公園の隠れんぼまでだ。
「僕らには拠点が必要です。そして協力者を得なくちゃいけない。信頼できて、有能な多くのマンパワーが必要です」
「つまり、組織だね」
「組織を作らなくちゃいけない」カズマは頷くと同時に言った。「そのためにはお金が必要です。仮に善意で協力してくれる人がいたとして、捜索を続けるには活動資金がいる。人、お金、情報。今はそれを手に入れる手段すら思いつかないけど」
「人の助けを得るためには、発信力もいるね」エリックが続けた。「信用とか名声とか、後ろ盾がなければ人は寄りつかないと思う。お金だけで集めた人とは強い信頼関係を構築できない。でも、僕らには……そのどれも、まったくない……カズマ君の言う通りに」
「まさにひとつも。今日を生き延びるための水すらないありさまです」
このまま誰も戻らなかったら――?
この森で何日もつだろう。いや、そもそもここに留まるべきなのだろうか?
なんぞトラブルに巻き込まれたというのなら、ナージャは助けを求めている可能性がある。その場合、手を差し伸べられるのは仲間であるカズマとエリックだけだ。
一方で、遭難した時がそうであるように、動き回らず一つの場所でひたすら助けを求めるべきとも考えられる。実際、装備品ゼロで深い森の中に取り残された現状は、客観的には登山中の遭難とほぼ変わらない。
「――よし!」
カズマは景気よく言うと、勢いをつけて立ち上がった。
「とりあえず、水を集めましょう」
「えっ?」
突然の変調にとまどったのか、エリックが呆けたような声を出す。
「エリックさん。僕らは意気消沈して当然なくらい無力だけど、実際それで落ち込んで見せても事態は全く好転しないです。暗い顔してれば何か状況が良くなるって言うなら、いくらでも鬱になってみせますけど」
「そうだね」ややあって、エリックが薄らと笑んだ。「それは、その通りだと思う」
「一晩過ごして分かったけど、この森って昼と夜でそれなりに寒暖の差があったじゃないですか。だったら、理屈からして朝露が出てるはずです。葉っぱの上に浮いてる水分の塊を水筒に集めていけば、一口ずつ分くらいなら集まるかもしれない」
「なるほど――」
「そちらはエリックさんに任せます。僕は何か食べられる物がないか探してみるつもりです」
「分散して大丈夫かな?」
「大丈夫ではないですね。でも、状況を考えるとリスク覚悟で行動しなくちゃ手詰まりになるでしょう。エリックさんが寝ている間に色々試したんですけど、僕のフォックス・ツーは――」
と、カズマは転がしていた五つの白玉との距離を一メートル以内に収め、無言で命じた。
封貝たちは即座に応じる。まるで念動力に捕らわれたかのごとく勝手に動き出し、宙を漂って主の周囲に集結した。
「うわっ……?」エリックが仰け反るようにして小さな叫びを上げる。
「こんな感じに、僕の近くでふわふわ浮かせられることが分かりました」
「これは……すごいな。どういう原理なんだろう……」
「現代科学でも、磁力やら無線操縦の技術を使えばこれくらいなら実現できるんじゃないですか? 物凄い開発費がかかるでしょうけど。〈バック・トゥ・ザ・フューチャー〉の空飛ぶスケボーだって、なぜか自動車会社が再現しようとしてたじゃないですか」
「それは、まあ――」
少し考えるように言葉をきり、結局、渋々認めるようにエリックは小さく頷いた。
「むかしそんなのがあったらしいね。トヨタの〈レクサス〉だったっけ」
野球部の仲間が動画を回し観ているのを、彼も少し覗かせてもらったことがあるらしい。
超伝導体を液体窒素でマイナス二〇〇℃近くまで冷却し、磁石の上を飛ばす。確か、そのような原理ではなかったか――。
エリックは一旦そこまで言うと、口調を変えて続けた。
「でも、あれは映画のやつとは違うよ。それこそリニアみたいに、隠されたレールの上しか飛べない」
「そうなんですか?――まあ、なんであれ、僕はこの封貝を浮かせておけばそれなりの防御を得られます。猪が突進してきても、多分、跳ね返せるんじゃないかな。広範囲の探索はそれだけリスクが高まるから、守りが強い方が担当すべきでしょう。逆にエリックさんは守りの手段がないですから、この近くだけで行動して下さい」
「分かった。朝露、探してみるよ」
「僕は野苺やら山菜やらを当たってみるつもりですけど、エリックさん、アウトドア知識的に何か注意点みたいなのはありますか?」
「木に不自然な傷があったら、それはフィールドサインといって熊みたいな獣が付けたものかもしれない。彼らの縄張りや通り道であることを示す物だから、注意したほうが良いって聞いたことがある」
「なるほど、なるほど」
「あと、川とか水辺があれば、僕は苦手だけど――昆虫を探してみるのは有効かもしれない。水棲昆虫って言うんだったかな。水の近くで生息する昆虫は、一般的に毒を持たないから人間が食べても大丈夫なことが多いらしい。見た目は……ともかくね」
「あれですか。ザザムシとか?」
それならカズマも、郷土料理として認知していた。佃煮にして出してくる地方がある、とい話くらいは耳にしているし、TVの映像でよければ実際に観たこともあった。サトミがそういったものを極めて苦手としていたので、その時はすぐにチャンネルを変えることになったが。
「まあ、川や湧き水は水資源として貴重ですし、もちろん探してみるつもりでしたけど――その、昆虫の方も覚えておきます」
それから幾つか情報を交換し合い、方針を練った上でふたりは行動に移った。
時間を潰している間に随分と日は高くなり、今や樹木の屋根越しにも、枝葉によって斑模様に切り抜かれた陽光が届くようになっている。〈果ての壁〉に日差しを奪われ、絶えず薄暗い世界で生活してきたカズマたち世代にとっては、充分に明るい部類だ。
「そう言えば、日本でも馬刺が売られてたくらいだし、馬って食べれるんだよな……埋めた馬って、早めに処置して燻製にでもしてたらかなりの量の食料になったんじゃ……? それともこっちの馬は事情が違うのか」
剣鉈で藪を散らし、森の奥へ踏み入りながら、ようやくカズマはそのことを後悔し始めていた。
思考を切替えねばならない。
脳の中に新しい領域を作る必要がある。
求められているのは、この世界で生きるためのモードだ。
まったく別の、新しい楠上カズマだ。
現実世界で培ってきたことの応用でどうにかできるといった考えは捨てるべきだった。そんなものは、自分の常識が通用するという甘え、子供じみた楽観に他ならない。
不意に、この森に入って野盗と初めての戦闘に入ろうとした時――ナージャに先行を許す指示を出した時のことを思い出した。
カズマはあの一瞬、命のやりとりを覚悟した。
自分や仲間が殺される可能性ももちろんそうだが――その逆についても考えた。
もし、ナージャがやむを得ず誰かを殺害していたなら、その命の責任は指示を出したカズマが負わねばならなかったからだ。あの時、彼女に命令を出すというのは、そういうことを意味するのだと理解しておかねばならなかった。
森から脱出し、ナージャと合流することができれば、これから先、似たような状況を幾度も経験することになるだろう。
そしてそのうち何度かは、本当に死者が出るだろう。
自分、あるいは自分の指示を受けた誰かが人の生命を奪うだろう。殺すだろう。逆に死ぬこともあるだろう。
準備はしておかねばならない。強くそう思った。事実を受け入れるための、心の準備をしておく必要がある。でなければ、耐えられるかは保証の内ではない。ナージャやエリックに、動揺を悟られてしまうかもしれない。――誰より、ヨウコに。
一生、「人殺し」として自分を嫌悪し続けることになっても、その衝撃と恐怖から永遠に安らかな眠りに就けなくなっても、苦悩や痛みを他人に見せびらかすようなことはすべきでない。自分が悩み、心的障害を負っている事実の露顕は、ウイルスのように周囲を巻き込み、彼らの精神まで苛むことになるであろう。
傷ついた精神は隔離しなければならない。感染者はひとりでいい。
自分の中に新しい自分を作るとは、つまりそうした覚悟を伴う精神を構築するということだった。どうにかなる、なんとかなるの思想では、この先、進めなくなる時がいつかくる。備え、いざその瞬間に直面した時、歩みを止めてしまわぬように。
「――おっ?」
殊勝なことを生真面目に考えていたご褒美なのか。そう思いたくなるタイミングで現れたそれに、カズマは思わず足を止め、口元を綻ばせた。
見つけたのは、非常に小粒なイチゴ、いわゆる木苺に似た低木の群だった。
否、実際にそれは木苺そのものであるのかもしれない。ただ、植物に詳しくないカズマには、事実を確認する術がなかった。
はやる足を押さえきれず、藪を掻き分けてそちらへ向かう。
近くから改めて観察すと、それには「樹」と聞いて想像するどっしりとした幹はなかった。爪楊枝からストローほどの太さの、茎とも枝ともつかないものが直接、地面から生えている。それらの大部分は、白っぽく柔らかそうな産毛で覆われていた。膝から腰ほどまでしか到らない、全体的に背が低く華奢な印象を受ける植物だった。
無数に繁る鮮やかな新緑色の葉は、そのどれもが赤ん坊の手のように小さかった。太った雫形とでもいうのだろうか。さほどギザギザした感じはないが、大雑把なシルエットとしてはスーパーで見かけるシソの葉に似ている。
そして、問題の果実。
これは、カズマが漠然と知っている――つもりの――ラズベリィとほんど変わらないように見えた。はっきり違いがあるとすれば色で、こちらは大雑把に分類すると紫、あるいは黒に近い紺色の物が多い。
果実が黒っぽいというと、言葉だけ聞けばむしろ警戒したくなる。しかし、目の前の木の実からは不思議と毒々しさを感じなかった。実際見たことはないが、これが噂に聞くブラックベリィというやつなのかもしれない。なんとなく、そんな気がしてくる。
「これは……いけるんじゃないかな!」
三、四個もいで、まとめて鼻先に近づけてみた。匂いはさほど強くない。が、微かな生っぽさと、甘酸っぱい芳香が鼻孔をくすぐった。
やはり――食べられる野苺っぽい。ますます予感が強まった。
カズマは周囲を見回した。できれば大量に持ち帰りたい。葉を編んでカゴのようなものでも作れないか。そう考えての行動であったが、団扇になりそうなほど巨大な葉を茂らせる不思議な木を見て、閃いた。
「ようし、〈Fox 2〉、〈Fox 2〉……!」
連続で口訣し、白玉を追加で七個ほど呼出した。
このうち六個は、上から見た時、輪に見えるよう円形に整列させた。宙に浮かせた状態だが、高さも揃えて水平をとる。残る一個は、六球で描いた円の中心点に据えた。高さは少しずらし、これだけ低めになるよう調整する。調理用のボウルでたとえるなら、円の六個が縁で、中心点の一個が底だ。あとはこの白玉の群に、芭蕉に似た巨大な葉っぱを数枚、上から敷き詰めるだけで良い。
できあがったものを、カズマは半歩下がって観察した。満足のいく完成度に、思わずひとつ頷いてしまう。
「射撃用武器としてはどうかと思うけど、空中に固定できる個体って色々使えるなあ」
早速、果実を乱獲していった。それを片っ端から、白玉と木の葉で造った簡易バスケットに放り込んでいく。
ベリィを実らせた低木は一帯にかなりの数が密生していた。エリックとの二人がかりくらいでは、一週間かけても食い尽くせないそうにない。もし食べられるなら今後、命の綱になり得るだろう。
その後も、キノコの一種と思わしきもの、茎を切ると蓄えられていた大量の水分が流れ出すタンポポに似た花など、カズマは様々なものを集めて回った。
道に迷ってしまわないよう、木々に剣鉈でマーキングしてきた行為も役に立った。カズマはできるだけ種類の違う木を見つけ、その樹皮を削り剥がすように刻印を入れてきたのだが、これによって各木の特性が一部、明らかになったのだ。「油を含んだ燃料に向く木」、「湿り気が多くて燃えにくそうな木」、「蜜のような樹液を分泌する木」、「甘い香りがする木」、「柑橘系の匂いを発する虫除けに使えそうな木」……日本では見ない奇妙な樹木もあったが、それだけに発見も大きかった。
中でも、双子のように根元から必ず二股の幹を伸ばす「Vの字の木」は特質に値した。
この不思議な木の灰色をした樹皮は比較的柔らかく、剣鉈を斜めに入れると簡単に肉を抉ることができた。
肝心なのは、そこから分泌される樹液だ。
指で小量すくい、試しに舐めてみたところ、非常に爽やかで上質な甘味を得ることができた。
たとえばベリィがそれ単体では酸味が強くて食べにくかった場合、こうした樹液と組み合わせることで食べやすくできるかもしれない。
結果、カズマは数々の収穫を得て、ほくほく顔でキャンプに帰還することができた。
「お帰り。随分、時間をかけてたね」
先に戻っていたエリックが、馬車の中から下りてくる。手には預けていた革製の水筒が握られていた。
「おかげで収穫どっさりですよ。そっちは?」
「ずっと中腰で葉っぱつついてたからね。腰が痛いよ」
彼は冗談めかして言うと、背中側でウエストの辺りを軽く叩いてみせる。
「それにしても朝露、馬鹿にならないね。今朝は特別条件が良かっただけなのかもしれないけど、雨上がりみたいな量の水滴が葉っぱの上についてたよ」
カズマは頷く。それは藪を掻き分けて進むだけでも、充分に感じ取れたことだった。進路の邪魔になる枝を軽く手で払うと、バネ仕掛けのように揺れたそれが大量の水滴をまき散らして何度カズマの肌を塗らしたことか。足下でも朝露を浮かせた草木がズボンの裾をこすり、ただ歩くだけで生地をかなり本格的に湿らせるほどだった。
「で、そっちのそれは――封貝で作ったカゴ?」
「そうです。良い感じの葉っぱがあったんで。これ、ちょっとした発見ですよ」
「みたいだね」エリックが感心したように首を縦に振った。「そうか……そうだよね。何も他人を攻撃するために使わなきゃいけないって決まりはないんだ。むしろ、日常生活にもいかせないか考えた方が遙かに建設的だ」
「座標を相対指定できるのが良いんです。AからCまでは三センチずつ離れて整列し、僕の後ろをぴったり浮いて飛んでこい――って感じにイメージすると、本当にその通りに隊列組んで付いてきますからね」
「これ、途中ずっと出して荷物載せてたの?」
「いや、運搬用に使ったのは探索中の後半だけです」
「じゃあ、三〇分くらいかな? 疲れたりはしない?」
「七個連続で出した時はそれなりに疲れを感じました。けど、その時だけですね。初期投資オンリーで、維持に体力や気力は使わないみたいです。だからこれ、ランニングコストは多分ゼロですよ。荷物乗せても特に負荷が増したような感じはなかったですし」
「位置指定すると、相当な力で維持できるみたいだね」
「間違いなく、一個で五〇キロ以上はいけますよ。僕が全体重かけても微妙に動いた……ような気がする程度ですから。もしかすると一〇〇キロ近くいけるかも」
「だとすれば、棚受けみたいに並べて、そこに大きくて丈夫な木箱でも作って置けば、強力な飛行荷台になるね。二人掛けのソファでも固定すれば人間だって運べる。カズマ君が馬に乗れば、その速度で引っ張れる。三頭必要な馬が一頭で済む計算だ。凄い効率だよ」
同じ事はカズマも考えていた。
これから徒歩の旅が長く続くのなら、携行する荷物の負担は常に仲間内の懸念事項になり得ただろう。
しかし、この封貝を利用すれば、一気にいくつかの問題を解決できる。
それから焚き火を囲み、収穫物の検証会に入った。
エリックは朝露の他に具体的な収穫を得ていなかったが、他に何も成果をあげなかったわけではない。その代表例が、枝の部分だけが竹に酷似した、奇妙な樹木の発見だ。
彼の話によれば、その木は直径一メートルはあろうかという、どっしりとした大変に立派な幹を持っている。この幹に限っては、外見的に桜や梅のような一般的な樹木と大きな違いはない。ただ、決まって地上二メートル付近までしか伸ることがなく――その二メートル地点から、まるで噴水のように無数の枝が四方八方に伸び、重量に負けて垂れ下がっているのだという。
「ファミリィ用の花火を上に向けて立てたみたい」とは、エリック本人の表現だ。
どう見ても竹そのものであるその枝は、中が空洞になっているかもしれない。上手くすれば何かの容器や、水筒の代わりにできる可能性がある。彼はそう報告した。
他にもシイタケを彷彿とさせるキノコも見つけたようだが、これは危険という理由で無視したらしい。彼は当然のように、カズマが収穫してきた四種類の菌糸類に対しても同様の判断を下した。
「でも、ですね」カズマはめげずに主張した。「ここには持って来れませんでしたけど、良い感じの樹液もあったんですよ。あれは甘かったしいけるんじゃないかと」
「えっ?」
カズマのその言葉に、エリックははっとした様子で顔を上げた。なにか裏にある真意でも透かして見ようというように、カズマの相貌を凝視する。
「樹液を口に入れたの?」
「はい。だって、樹液って基本、毒とかないんでしょ? 毒キノコってのは聞くけど、毒樹液とか聞かないですし」
「いや――毒の樹液は、あるよ」
お気の毒ですが、という暗いトーンでエリックが言う。
「えっ?」驚き役が交代した瞬間だった。
「中学の頃、国際選抜の――ああ、野球のね――その関係でフロリダに行ったことがあるんだけど」
「フロリダ……って言うとアメリカでしたっけ」
問うと、エリックは無言でひとつ頷き、続けた。
「その時に注意されたのが、まさに毒のある樹液だったんだよ。今でも覚えてる。僕らが泊まったのは海辺のホテルでね。そのビーチの側に癒し系の木が普通に生えてたんだけど」
「もしかして、それが?」
「うん。〈マンティール〉だとか〈マンチニール〉とか、なんかそんな感じの名前だったと思う。見た目は普通なんだよ。でも、緑色したサクランボみたいな実には猛毒があるし、樹液とかも毒持ちで、雨でも降ろうものなら水滴にその毒が混じって、皮膚に触れると激痛と共に火傷みたいな水ぶくれができる。だから絶対に触るな、近寄るなってね。危険すぎてギネスにも載ってるって脅されたな」
「なにそれ。そんなものがあるなんて聞いたことないですよ」
血の気が引く思いだった。何も考えずぺろりとやってしまった自分の迂闊さに寒気を覚える。
日本にはない。話にも聞かない――。そんなものはもはや何の保証にもならないのだった。
改めて思い知らされた気がした。
ここは日本ではない。恐らく地球ですらない。生態系、物理法則、何もかもが違う異世界なのである。
「ちなみに、薪にして火にくべてもアウトらしいよ。発生する煙に毒が含まれて、最悪、目に入っただけで失明するって」
「うはぁ……自然界のトラップ、エゲツなさ過ぎじゃないですか……」
「だから、癒し系とかそんなイメージに躍らされて触れたり食べたりしない方が良いんだ。さっきのキノコとか、危なすぎるよ。命が幾つあっても足りない」
「じゃあ」と、カズマはベリィをはじめとする何種類かの果実に目を落とす。それらは現在、地面に敷いた巨大葉の上に広げられていた。
「これにもそういう危険があるわけですか……」
「当然、そういうことになるね」
しかし、だからといって全ての収穫物を破棄するわけにはいかない。エリックが集めた朝露は、それぞれが軽く一口含むのがやっと、という程度。これだけで生存していくのは明らかに不可能であった。
「実を言うと、僕も毒のことは考えなかったわけじゃないんですよ」
カズマがぽつりと言うと、エリックは得心顔で「だろうね」と応じた。
「正直、お腹空きすぎて死にそうだしね。睡眠時間が短かったカズマ君はなおさらだろう。こんな、いかにも食べれそうな野苺みつけたりしたら、その場で試してみたくなるのが心情ってもんだよ」
実際、その通りだった。カズマは道中、幾度もその欲求と戦わねばならなかった。
なんとか耐え切れたのは、それに大きなリスクが伴うことを理解していたからに他ならない。もし即効性の毒でもあれば、その場から動けなくなることも充分考えられた。そうなればエリックに迷惑をかけ、無駄に体力を使わせてしまうことになる。
ならばせめて、二人揃ったところで試した方が良い。
「まあ、見ていても仕方ないですし。ここはリスク負ってでも試してみるべきでしょう」
カズマは膝に手を置き、山盛りにされた果実に真っ直ぐ視線を注いだ。
「ナージャさんも……結局、戻ってこないしね」
「僕、一応しですけと封貝持ちですし。ナージャの話が本当なら、普通の人間より色んなものに耐性がついてる可能性があります。やっぱり、ここは僕がいくべきだと思うんですよ」
「逆に考えるべきかもしれないよ」エリックが言った。「耐性があるキミでは、本当の危険性は計れない。より有用なデータは耐性を持たない、僕の胃腸から取るべきだ――ってね。カズマくんは平気でも僕には毒っていうパターンなら、キミが先に試す事に意味はほとんどなくなる」
カズマは反論の口を開こうとしたが、機先を制してエリックが続けた。
「それにどっちかが毒で倒れ込んだら、助けを求めて最寄りの村なりを目指さざるを得なくなる。その時、倒れたのが僕であったなら、カズマくんは封貝で空飛ぶ簡易ベッドを作って僕を楽に運ぶことが可能だ。逆のパターンだと、僕がキミを背負って歩くことになる。病気になって弱った状態でもこの封貝が機能するなんて保証、どこにもないからね。どちらが機動力として勝るかは、言うまでもないだろう?」
「それは――」思わず唸らされる指摘だった。「確かに、そうかもしれません」
「そういうわけで、僕が先に実験させて貰う」
これ以上、議論する気はないらしい。エリックは言葉と同時にもう身を乗り出していた。伸ばした右手いっぱいにベリィを掴み、自分の元に引き寄せる。
「それで充分かは分からないけど、目安として食後一時間ほど経過を見よう。異変が出なければ、一応はOKと判断してカズマ君も食べる。これで良いかな?」
「良いか悪いかは別として、有効な対案がないことは認めます」
降参というように両手を肩の位置まで上げて、カズマは言った。
「ただ、アウトの場合の方針は、事前にきっちり固めておきましょう」
「カズマくんはどう考えてる?」
「毒キノコとかの実例を聞く限り、仮に当たっちゃったとしても即死ってことはないと思うんですよ。時間をかけて衰弱していくんじゃないかと。でも、そんな可能性はそもそも低いと思います。単にお腹を壊したってパターンで終わる可能性の方が高くて、それは寝てれば自然回復する可能性が高い」
「うん」
「つまり、よほどの毒じゃない限り治療は必要ないでしょうし、逆に治療が必要なレヴェルの毒なら、近くの村に運び込んだとしても無駄な気がします。率直に言うと、有効な治療を受けられる可能性って、かなり低いと思うんですよ」
しばしの黙考を挟み、エリックが「理解した」という表情で目配せした。
「民間療法、神頼み……」
「そう。まあそこまで原始的ではないにせよ、学校の保健室レヴェルの処置が精々というのは考えられることです。搬送に時間がかかりすぎるっていう意味でも、無一文が治療を受けられるか疑問って意味でも、色々難しいですね。運んでる途中、脱水症状で動けなくなって僕までダウン。全滅。――みたいなオチが待ってそうな気がします」
「じゃあ、単純にお腹が痛いとかなら下手に動かないことにする?」
「僕はその方が理性的な気はしますね。ただし、残された方は何もせず放置って状況に強いストレスを受けると思います。せめて水を大量に与えるべきなんでしょうけど、現状ではそれすら無理ですし」
「食あたりと中毒はどうやって見分ける?」
「高熱が出たり、意識が朦朧としたりみたいな症状を一応の目安にしてはどうでしょう」
「――うん」エリックが神妙な顔で頷いた。「良いね。それは僕も同じ考えだ。じゃあ、それで行こうか」
「被害にあうのはエリックさんです。希望の対処パターンがあれば尊重しますよ」
「いや、キミの考えには合理的説得力を感じるよ。腹痛の範囲なら様子を見る。熱や意識の混濁みたいな全身症状的なものが出たら、何らかの行動に出る。それで良いんじゃないかな。立場が逆でも僕は賛成したと思うね」
「では――」
話がまとまったところで、エリックがまず試したのが絞り汁だった。
ジュースとして飲んだのではない。
もしベリィが強い毒を持つなら、果汁が肌に触れるだけでも何らかの症状が出る可能性がある。ちょうど、フロリダの毒樹液のように。そのような思考が生んだ、予備的な実験であった。
カズマが見守る中、エリックの大きな右手が鷲掴みにしていたベリィを一気に握り潰した。指の隙間から多少の果肉と共に、思いのほか大量の果汁がしたたり落ちた。それらは飛沫をあげてエリックの左腕を黒紫に染めていく。
柑橘系とはまた違う、甘酸っぱい芳香がふわりと周囲を漂った。
無言でそのまま五分ほど待った。
エリックの体温も手伝い、果汁は彼の肌の上で概ね乾きいたように見えた。揮発により薄まったのか、ワインのような紫色の染みに見える。
この段に到っても、エリックの皮膚に別段、異常が生じることはなかった。
「大丈夫……みたいですね」
「うん。ちょっとベタつく以外は、何も感じない」
言ったエリックは、続く動作で指に付着した果汁を舌で舐め取った。
「どうです――?」
「ピリつくような感じは全くない。独特の酸味があるけど、果物らしい範囲で収まってる。ほのかに甘く感じるのは匂いのせいかな? 味だと思ってるものの七割だか八割だかは嗅覚由来だっていうしね」
「美味しいか不味いかで言うと?」
カズマが問うと、エリックは表現を探すように首をひねった。
うーんと小さく唸ると、やがて「美味しいよりの普通ってとこかな」と半ば疑問系に聞こえる語調で答える。
そして今度は果実をそのまま口に放り込んだ。最初の一つを嚥下すると、二口目は幾つかをまとめて放り込む。
「これ、まだ大量にあったんだよね?」咀嚼しながら彼が訊いた。
「山のように」
「ジュースにもなるし、果実として食べることもできる。人体に悪影響さえでなければ、これだけ大量に集めるだけでも〈インカルシ〉までの糧になり得るかもしれないね」
「それは思いました。そして、途中にあるらしい集落とかに持ち込めば、もしかしたらお金に変えられるかも、とも」
「馬車を解体して、大量の薪にするのもありだと思うんだ。こっちの世界には電気なんてありそうにないし、薪が貴重なエネルギィソースである可能性って高そうだと思わない?」
そう言うと、クイズでも出すような口調でエリックは続けた。
「前、部の連中とキャンプで山梨の方に行ったんだけどね。そこの〈セヴン〉で何を見たと思う?」
そこまで言われれば、文脈から想像は付く。それでも俄には信じがたいものを感じつつ、カズマは言った。
「もしかして薪ですか?」
「そう」勢い込んで頷く。「コンビニで普通に薪が売られてたんだ。この科学全盛の現代、それも日本でね。山梨県よりだったとはいえ、あそこ、まだ東京都内だったんだよ?」
つまり、薪の潜在的な需要はどんな世界、どんな時代にも必ずある。エリックの言わんとするのはそこなのだろう。馬車の荷台が薪として素晴らしい素材であることは、目の前の焚き火が証明してくれている。見た目も良く、充分に売り物にもなり得るだろう。
「飲料、食糧を兼ねつつ売り物になるかもれない果物。加えて薪ですか」カズマは思わず顎をひと撫でした。「なんか、一気にメドがついてきましたね」
「それもこれも、ノーコストで大量の荷物を輸送できるカズマ君の封貝があればこそだ」
謙遜抜きで考えると、それはまさにその通りだった。
封貝に荷物を預けられなければ、何十キロにもなろうという薪を運んで売ろうなどと言う発想自体が、そもそも出てこない。
「運搬力って、こういう旅では最重要ファクターの一つかもしれないね」
エリックがしみじみと口にした。
「戦士、魔法使い、僧侶に並んで運搬係がスタンダードになっていてもおかしくない、と?」
「うん」生真面目な表情でエリックが頷く。「結構、生存率とかに直結するかもしれない。活動半径や収入に直結するだろうし……正直、パーティとしてのグレードが一気に二、三上がったとしても驚かないな」
「確かに……ゲームとかだと、装備品やアイテムってほとんど重量設定ないですもんね。だから、システム上の限界まで何百本も剣を持ち歩けたり」
稀に重さの概念があるゲームも存在するが、その多くが現実性よりゲーム性を優先している。五〇キロまで持ち運べる設定であるのは良いとして、重量二〇〇グラムと設定されたシャツを数百着もどうやって運んでいるというのだ――? という疑問に答えてくれるものは少ない。
だが、これは現実なのだ。荷物には形があり、重さがある。羽のように軽いからといって、かさばるアイテムを何百個も抱えて歩くことはできない。ならば封貝とは、その現実と虚構のギャップを埋めてくれる、まさに魔法に近い存在だと考えることもできた。
「さて、じゃあ――どうしよう?」
カズマが積んできたベリィの山を、ちょうど半分に減らしたところでエリックが言った。
もちろん、消えた山の半分は彼の胃袋にそっくり収まっている。恐らくは五〇〇グラム以上は摂取した計算になるだろう。もし問題があれば、確実になんらかの影響が出るに違いない量だ。
「予定通り、最低三〇分から一時間は様子を見ましょう」
カズマは両膝に手をかけ、立ち上がりながら言った。
「何かあった時にすぐ対応できるように、分散はさけて一緒に行動した方が良いですね」
「森の探索に出る? カズマくんが見つけたベリィは追加収穫しておくべきだろうし」
「ベリィは毒持ちの可能性がまだ消えてないんで、問題がクリアするまで待ちましょう。それより、涼しいうちに馬車を解体して薪に変えませんか」
「了解」
ただし、休憩所として一人が横たわれるだけのスペースは残す。協議の結果、そのように方針が決定された。
たとえ準備が整い〈インカルシ〉へ向かえるようになったとしても、急な天候の変化で出発を先延ばしせざるを得なくなるような可能性が残る。寝床まで潰して薪に変えてしまうのは危険という考えだった。
「これはもう……賭けだね」
作業を始めてしばらく、額の汗を拭いながらエリックが言った。あるいは独り言かというような小声であったが、聞こえた以上、反応せずにはいられない。
「水のことですね?」カズマは言った。
「うん」
荷馬車の解体は昼過ぎまでかかるだろう。肉体労働だ。水筒に残った僅かばかりの水は――朝露で補填した分を含め――全て消費され尽くすに違いなかった。
カズマたちは水、食糧を完全に失うことになる。
これでベリィが物にならなければ「死」「全滅」といった可能性が一気に現実味を帯び始めるだろう。脱水症状や熱中症などで今日中にでも行動不能になる危険性がある。
「繰り返しになりますけど、どこかでリスク承知の勝負をかけないと、このままじゃジリ貧ですからね」
「分かるよ」作業の手を再開しながら、エリックが首肯した。「勝負っていうのはそういうものだ。勝つ側に回るには、必ずそういう局面で勇気ある決断をする必要がある」
ノコギリがないため、木材の解体は工夫して行う必要があった。
剣鉈を交代で使いながら、まず貴重品である釘を丁寧に引き抜いていく。この釘だけは、森からではどうやっても代替品を入手できない。それ故の貴重品だった。
ばらした木材は、カズマが召還した〈Fox 2〉を活用して、薪として適切なサイズに揃えていった。
この作業は、横向きに並べた白玉をペアで用意することで、大幅に労力と時間を短縮できた。つまり、上下から木材を挟み込んで固定すれば、あとは上から体重をかけるだけで良い――という理屈だ。支柱に使われていた頑丈な木材すら、カズマとエリック二人がかり、シーソーに飛び乗るようにして襲いかかられては、流石に膝を屈さざるを得なかった。
こうして叩き折り、長さを揃えた木材は、断面が凶器のようにささくれ立ち、尖って危険という意味で完璧とは言えない。売り物としての見栄えもそうだが、何より積み込みや運搬時の怪我をカズマたちは恐れなければならなかった。
そこでふたりは、目立った棘を剣鉈で刈り取ることで意見を一致させた。
無論、それだけでナイフを入れたバターのように、断面を綺麗な平面に変えることはできない。それでも峰で叩いて出っ張りを潰したり、平べったい岩にこすりつけてなるべく滑らかになるように処理した。この作業は主に、体力と腕力に勝り、たっぷり睡眠を取っていたエリックが担当することになった。
一方のカズマはというと、加工を終えた木材を――薪にする分だけ――蔦で縛ってまとめる作業を担当した。
この蔦は、エリックが今朝、朝露を探す途中で見つけたものだった。獲物を締付ける蛇さながらに森の木々に巻き付いている所を発見されたこの植物は、非常に長く頑丈である代償として、柔軟性を欠き、その点において荷造り用の紐には全く向かない代物であった。
とは言え、他に何か適当なものがあるわけではない。手に血豆をつくり、また皮膚がずるずるに剥けて血だらけになりながらも、カズマは苦労して薪をまとめあげた。
これと並行して、封貝の上に載せる荷台の制作も進めた。
素材は解体した荷馬車の木材。それに引き抜いた釘である。
大雑把なデザインはエリックがまとめ、組み立て作業はふたりで力を合わせて行った。
ここでも剣鉈は金槌代わりとして重宝され、またカズマの右の義手は並の金属より遥かに頑強であったため、それそのものが工具の代用品となった。
なんとか荷台が形になり始めた頃には、エリックによるベリィ試食から優に二時間は経過していた。彼の体調に変化はなく――肉体労働で多少、脈拍は上昇していたが――呼吸、体温、血色にもなんら異常は認められなかった。自覚症状もないという。
この時点で、一行の方針は完全に決定された。
カズマは自分が積んできた残りのベリィを五分で平らげ、体力と気力を大幅に回復させた。もちろん、「様々な問題に光明が見えた」という希望も、これを少なからず後押ししてくれていた。
こうなると、俄然やる気も漲ってくる。
ふたりはピッチをあげて荷台を完成させた。
その後、三〇分足らずで完成したのは、大体一メートル四方の底面を持つ、巨大な木箱であった。
カズマは一歩下がり、エリックと並んだ。その出来映えにふたり揃って口元を緩めた。
縦三個×横三列で、等間隔に四角形を描くよう配置された計九個の封貝に、カズマは胸の高さまで浮遊するよう命じた。荷箱がまるで自分の意志でそうしたかのように、ふわりと浮き上がる。底面に設けた背の低い仕切りのおかげで、白玉の上でも木箱がずれる気配はない。上面の前後左右を囲う枠は不揃いながらも三〇センチ以上の高さを誇っており、いかにも多くの荷物を積載できそうに見えた。ちょうど、軽トラックの荷台を半分にしたような感じだろうか。釘の数がまったく足りなかったため、強度的に心許ない部分があることは否定できない。だが、〈インカルシ〉までの二、三日ならばなんとかなるだろう。
「なかなか良いじゃないか! ねえ、カズマくん」
エリックが笑顔を輝かせて言う。彼の手に背中を叩かれながら、カズマも同意を示した。
「まさか、ここまでの出来になるとは。自分の才能が怖い……」
こうなると、作り上げた物の性能を試してみたくなる。
腹の飢え、喉の渇きが充分に癒やされたとは言いがたい状態だったが、カズマたちは早々に次の仕事へ移った。向かう先は、当然ながらベリィが密生するポイントだ。
体内時計を信じるなら、まだ時刻は正午前後であろう。
長距離を移動するなら早朝に発つのがベストだが、昼でも遅すぎるとまでは言えない。
カズマは充分な量のベリィを収穫したらもう、そのまま旅立つ気になっていた。エリックも似たような気分であるらしい。背後に感じるその足取りは軽い。
木箱を通せるルートを探しながら、ふたりご機嫌で森の奥へ進んでいった。会話はなかったが、鼻歌交じりの楽しい道のりだった。
現地の到着すると、さっそく二人がかりで採取に入った。
カズマはエリックが持っていたハンカチを借り、それでベリィジュースを作る作業を担当した。
まず、広げたハンカチに可能な限りの果実を乗せ、包み込む。あとはそれを〈*ワイズサーガ〉の馬鹿げた握力で圧縮してやば良い。指の隙間から零れ落ちる果汁は、ハンカチの生地に濾され、空になった水筒の中に溜まっていく。これを満杯になるまで延々と繰り返した。
楽しみながらの作業に、つい熱中してしまう。そのためだろうか、異変に逸速く気付いたのはエリックの方だった。
「――カズマくん!」
突然投げられた鋭い叫びに、カズマは身体をびくりと震わせる。
何事かと振り返ると、背後に血相を変えたエリックが迫りつつあった。何故か、水を溜めて顔でも洗おうかというように、合わせた両手で腕形を作っている。ただし、そこに収まっているのは水ではなく白玉。カズマの封貝だった。検証用として彼に渡していた物だ。
「どうしたんですか。我が白玉がなにか粗相でも?」
「じゃあ、さっきのは聞こえなかった?」
「はい?」カズマは小首を傾げる。
「さっき、何回かこの封貝から音が聞こえたんだよ。明らかに何か鳴ってた」
「何かってなんです?」
素朴な疑問を投げかけると、エリックは言葉に詰まったように黙り込んだ。
記憶を探るように瞑目する。ややあって、目を開けると言った。
「なんて言うか……ベル? チンっていう金属っぽい……たとえば小学校の音楽の時間のトライアングルみたいな」
――トライアングル。
はっとさせられながら、カズマは黙って眉根を寄せた。
実際のところ、心当たりがないわけではない。
カズマはここまで鼻歌交じりに作業を行ってきた。俗に言う脳内BGMというやつだ。
今回、それはビセーが作曲した〈カルメン前奏曲〉であった。本来、オペラなのだが、一般には前奏曲を中心に切り貼りしたクラシックの組曲として馴染みが深い。
そして、日本人にとっては間違いなく「運動会の曲」だろう。
これとは別に、〈カルメン前奏曲〉といえば、大変にシンバルが印象的な曲としても知られている。
しかし、カズマは全体的にテンポを落し、奏者によって重さ四キロものシンバルがかち合わされるその部分を、かわいらしいトライアングルに置き換えて再構成していた。
つまり、鼻唄の途中、カズマが頭の中でさかんにトライアングルを鳴らしていたことは間違いのない事実であった。である以上、「封貝からトライアングルの音が聞こえた」という証言の存在は、偶然と考えるにはあまりにできすぎている。
「トライアングルっぽい音が聞こえたんですね?」
カズマが念のため再確認すると、エリックは口を真一文字に結んで頷いた。
「一定のリズムでチンチン鳴ってました?」
「規則性はあるようだったけど、何も考えずに一定リズムでって感じではなかったよ」
カズマは黙り込んだ。この段階で、幾つかの仮説は立つ。
しかし、それを弄ぶよりも実際に試してみる方が早い。加えて確実でもあった。
ちょっと実験したいんで、封貝、そのまま持っててくれますか。言って、カズマは口笛を吹き始めた。先程までの鼻唄と違い、今度はエリックにも聞こえるようきちんと音を出す。
曲はやはり、〈カルメン前奏曲〉を選んだ。ただし、しばらくシンバルの存在を意識せず、管弦楽としてもイメージしなかった。
しばらくすると、息を呑む気配が伝わった。
ぼかし気味にしていた焦点を、正面のエリックに定める。
彼は目を見開き、驚愕を露わにしていた。口も半開きになっている。
カズマが不思議に思っていると、エリックは説明するように言葉を発した。
「――自分で吹いてるんだよね。その……口笛って?」
それを聞いて、カズマはようやく得心した。
むかしは良くあった話だった。何かしらの演奏を披露すると、周囲の人々が今のエリックのような反応を示す。あんぐりと口を開け、幽霊でも見たように動きを止めてしまう。話が大体行き渡っている現在では、滅多になくなっていたことだ。
「何事かと思ったよ」
戻し方を忘れた、というように彼は目を丸くしたまま言った。自分に音楽のことはよく分からない。しかし、今まで耳にしたことのある口笛とは、音の鳴り方が明らかに違うように思える。そのような主旨のことを、彼は相応しい言葉を探しながら、ゆっくりと語った。
「――ヨウコさんから話に聞いてはいたけど……確かに、これは特別なものだ」
思いもかけないところで幼馴染の名を聞き、カズマは思わず微笑んだ。
口笛で再現しようとすると、確かに〈カルメン前奏曲〉は色々と忙しい楽曲だ。ただ淀みなく吹くだけで、慣れない者には大したものに聞こえるのだろう。
加えて、全く息継ぎがない口笛というのも、それを知らない人間にとって新鮮に感じられるものであるらしい。実際、この技法を覚えるだけで口笛の聞こえ方を全く違ったものにすることができる。また、口笛は吸っても音になり、それで変化を付けられる――という事実についても、多くの者はほとんど知らずにいる。
イヤーフォンを五〇〇円相当の付属品から、二万円グレードに変えた時に得られる「まったくの別物」としかできない発見がそうであるように、ひとつの言葉でくくっていたものに明白な違いを見出した時、人は少なからず感動を味わう。
エリックは今、その新鮮な体験に感じ入っているように見えた。
頃合いと見て、カズマは実験に入った。
今度は管弦楽として曲をイメージする。自らは口笛で主旋律を奏でつつ、脳裏ではタイミングを見計らってシンバルの音を再現した。正確には、シンバルの代替としてトライアングルが響き渡るシーンを思い描く。同時、そのタイミングに合わせ、「はい」と声なき声の合図と共に、エリックの手にある封貝を指差した。
瞬間、封貝が鳴った。応えた、というべきなのかもしれない。
予想していたこととは言え、流石に実際に耳にすると衝撃だった。
イメージした通りのタイミングで、確かにトライアングルの音色が封貝から響きだした。
最初にチン、チンと風鈴が鳴るような二連打。そしてまた二連打。同じ間を置いてさらに二連打――。ややあって、一転して単発が入り、その後も駆り立てられるように単打が繰り返される。
完全に〈カルメン前奏曲〉のパターンだ。
「今のは……?」
オーパーツでも見るような目つきで、エリックが白玉の封貝を覗き込んだ。
次いで視線を持ち上げ、カズマの表情をうかがってくる。
「カズマくんが指差すのに合わせて音が……鳴ったよね。間違いなく」
「どうも、そのようですね」カズマは口笛を止めて答えた。「頭の中で鳴らした音が、そのまま封貝から出てきた感じです」
「つまり、チンって音を好きなタイミングで鳴らす能力?」
「いやあ、それはどうでしょう」カズマは苦笑する。「いくらなんでも、まさかそれだけってことは――」
少し考え、確かめる簡単な方法を思いついた。
カズマは〈なんたら音頭〉と名付けられそうなリズムを即興で作し、それをなぞって木霊する和太鼓の音色を頭に思い描いた。
反応はすぐ返った。
エリックの手の上で、封貝がビリビリと連続して震えた。その度にドンという臓腑に響く重低音が轟き渡る。その音は遅滞なく、完全な形でカズマのイメージを再現し続けた。
「うわ――ッ?」
あまりの衝撃にエリックが腰を引き、その手から封貝を取り落としかける。
持ち前の反応速度で落下を防いだものの、わたわたとお手玉のような醜態をさらすエリックを尻目に、カズマは思考した。
「チンって音を鳴らすだけっていうわけじゃなくて、僕がイメージした音を何でもそのまま奏でてくれる、というのが正解みたいですね。どうも」
「これはスピーカーだっていうこと?」目を白黒させてエリックが問う。
「それと増幅回路を兼ねたものでしょうか?」自問するようにカズマは言った。小首を傾げながら続ける。「問題は、恐ろしくクオリティの高い内蔵音源を利用して自動演奏的な再現処理をしてるのか、僕のイメージを何か超常的な原理でダイレクトにアナログ出力してるのかですけど……」
「えっ?」火星語を聞いたとでもいうように、エリックがぽかんとする。
「前者みたいなDAW系なら、多重録音とかミキサーみたいな編集機能もあるのかな?」
カズマは無視して独り言を続ける。
これらの素朴な疑問についても、「実際にやってみる」という究極の方法で確認することができるはずであった。リスクもなさそうに思える。とあらば、躊躇う理由も特にない。
カズマはエリックの手から封貝を掴み取った。眼前に掲げたまま、「録音」と無言のまま念じる。そして声に出して言った。
「オックスくん、カズマです。ナージャが帰らず、キミたちも戻らないため、緊急事態と判断して僕らは〈インカルシ〉に向かう。入れ違ったら、キミたちも街に向かってくれ。〈インカルシ〉で会おう」
言葉の途中、封貝から自分の声は聞こえなかった。
なんとなく思いつき、カズマは「〈Fox 2〉」と口訣する。
瞬間、封貝から微弱な力の波動を感じた。
『――オックスくん、カズマです』
それは間違いなくカズマの手の中――封貝から聞こえてきた。
録音に特有の歪みなどない。解像度と輪郭のはっきりした、極めて質の高い音質だった。
『ナージャが帰らず、キミたちも戻らないため、緊急事態と判断して僕らは〈インカルシ〉に向かう。入れ違ったら、キミたちも街に向かってくれ。〈インカルシ〉で会おう』
「あ……」
エリックは呆然として一連のやりとりを見守っていた。瞬きや、呼吸すら忘れているように見えた。
カズマは顔を上げて、彼と視線を合わせる。
「どうやら、これは僕のイメージ通りに音に関する全般を操作する能力みたいですね。頭の中で鳴らした音をそのまま拡大して響かせることも、音を封じて録音再生みたいなこともできる、と」
「やっぱり、ただ近くを漂うだけのものじゃなかった?」
硬直から解けたエリックが、絞り出すように言う。
「まあ、流石に木箱乗せて荷物運ぶだけってのもね」
カズマは手首をきかせて封貝を軽く上に放り投げた。落ちてきたところを手のひらで受取る。一連の手遊びを数度繰り返した。
「まだ細かい所は分からないですけど、色々遊びには使えそうですし、これがあればしばらくは退屈はしないで済みそうです」
「でも、それはあくまで〈Fox 2〉なんだよね?」
複雑そうな顔でエリックが指摘した。続ける。
「つまり、聞いた限りだと射撃用の武器って位置づけらしいけど」
「らしいですね」
カズマは認めた。ナージャばかりでなく、シゲンやサトミからもそう聞かされていた。
「じゃあ、その……マイクみたいに使えて、録音再生とかもできるとして、いや、それはそれで凄いと思うんだけど。でも、フォックス・ツー的に、それって何か使い道ってあるのかな?」
それは、この白玉が出現して以来、幾度となく繰り返されてきた、もはや恒例の疑問であった。
「ねえ――?」
そして今回もまた、カズマはそう返すことしかできなかった。
また50kb超え……なんでこうなるんでしょうか。
よし、もう諦めよう。20kbとか無理。
falloutの誘惑を断ち切り、むしろ更新した自分を褒めてあげたいです。
しかし、今のタイミングでfalloutと言って、誰がそれを「3」だと思うだろう(苦笑)
執筆中は九州で震災が起きたり、色々ありました。
falloutみたいな瓦礫ばかりの世界、ゲームの中だけで充分です。




