静寂は一炎によって掃われる
雨・・・生命の歴史を語る上で欠かすことのできない存在。生命の発生と進化に多大なる影響を与え続けてきた存在。
なぜ今、雨の事を考えていたのかは分からない。今、目に映る世界は瓦礫の山、そして手当たり次第に燃やし尽くし勢いを弱めながらも、淡々と新たに燃え移る場所を瓦礫の中から探し出そうと揺らめく炎。動くものは炎だけ。その光景に心地よさを感じて長い間眺めていた。眠ったり起きたりを繰り返して何十時間もたった真夜中、初めて揺らぐ炎以外に動くものが視界に入り込んだ。
「いました!隊長に連絡しろ!研究施設中央部跡地で覚醒者と思われる存在を確認。これより生存を確認する!」
自衛隊なのか?普段武装した人間を見ることがないからわからないが、黒い戦闘服に身を包んだ人たちが、瓦礫を踏み分け、炎をよけながら徐々に近づいてきている。逃げだすべきなのかどうかも分からない。ただ何よりもまず体を動かす気が起こらない。戦闘服姿の男たちが周りを取り囲み、何やら計器の様なものを見ている。そのうちの一人の長髪の男が、私の手首に触れながら瞳を観察している。私もなされるがままにするのではなく起き上がって見せれば、彼らの作業を省いてあげられるのだろうが、どうにも体が動かない。何かに固定されているというわけでもなさそうなのだが。間もなく男たちは通信機の様なものを取り出し連絡を取り始めた。
「隊長、こちらブラボー、調査中の研究施設跡地で覚醒者を発見。生存を確認しました。どうやら女性です。・・・了解。」
「徳田、杉吉、周辺にさらに覚醒者がいないか確認しろ。残りはアルファチームがこちらに到着するまでさらに詳細に彼女の事を調べる。」
息の合った了解の返事の後、徳田と杉吉と思われる二人が再び瓦礫の山をかき分け、隊から離れてゆく。残った者たちは再び計器を操作しながら先ほど隊長に連絡していた男に何かを報告している。そして報告を受けた男が俺の真横にひざまづき、私の顔の上で手のひらをひらつかせ話しかけてきた。
「キミ、意識はあるかな?あーそうだな、これから君にいくつか質問をする。もしyesならまばたきを一回、noなら二回、いいかな?」
いいかな?と同時にその男が私の目元を見つめてきたので、これは今瞬きをするんだなと思い、ゆっくりと一回瞬きをした。どうやらきちんと意志は伝わったらしく、私は次の質問をした。
「キミは自分が何者であるか覚えているかい?」
まさかそんなことをわざわざ聞かれるとは思っていなかったので戸惑ってしまった。もっとこの瓦礫の山について聞かれたり、他に生存者がいるのかとかを聞かれるのかと思っていた。もしそんなことを聞かれていたとしてもやはり戸惑ったのだが。私はあまりにもこの状況を把握していなかった。目が覚めたら、瓦礫の山と火災の真ん中にいたのだ。そしてそれと同じくらいに自分の事を知らなかった。
その後もいくつかの質問を受けたがどれも答えることは出来なかった。
それは私を失望させた。本来知っていなければならないはずのパーソナリティが私にはないのだ。
広大に広がる記憶の平原に想起の鶴嘴を打ち込もうとも掘り返されるのはただ砂ばかり。そのうち何をどのように思い出せばいいのかもわからなくなり、頭の中には静寂が訪れた。随分と長い間静寂の中にいたように感じる。だがその静寂の空間は一瞬にして消え去った。、まるでブラウン管テレビを消した時のように記憶を辿ろうとしていた私の意識世界は一点に絞り切られていった。外の世界では、私が一点を見つめるように瞳の動きを止めていたほんの数秒の事だっただろう。私が意識世界から我に返ったのと同時に、私を取り囲む兵士たちも行動を変えていた。私を含め、その場にいた全員が同じ方向を見つめていた。空がオレンジ色に染まり、その下では島の木々が燃えていた。能力者全員が第六感によってその膨れ上がるエネルギーによって感じ取っていた。“爆発だ”と。と、その時、後方から複数の足音が聞こえてきた。振り返ると戦闘服を身にまとった隊員達が駆け足で近づいてきていた。するとさっき私に質問をしていた男が近寄ってきた人たちに向かって叫んだ。
「隊長今の爆発は一体!?」
「我々の事が嗅ぎつけられた。船は移動させてあるが、いつ第二派が来るかわからん。そいつを連れて島を脱出するぞ」
合流した男たちの中で眼帯をした痩身の男。彼が恐らく隊長なのだろう。確かに彼からは他の者たちよりもはるかに強い能力を秘めているのが感じられる。
男たちは私を担ぎ海岸線に向かって逃走を始めた。そして隊長と呼ばれる男と、さっきまで私に質問をしていた長髪の男が走りながらお互いの調査結果を報告し合っていた。
「隊長、この女をインデックス(全世界の能力者の詳細を網羅したシステム)に照会しましたが機械男と同様に該当しませんでした。しかし簡易的な実体検査ではありますがカテゴリーGという結果が出ました。私たち全員もこの女からは強力な力を感じます。やはり紫色の話と言い、インデックスに不備があるのでは? または・・・平等なアクセス権というのが嘘だったのでは?」
「いやインデックスは完璧なシステムだ。そしてすべての国に平等なレベルでのアクセス権も与えられている。無闇にアクセス権の平等性について触れるな。不謹慎だぞ。」
「しかし、そうでなければいったいどうやってこいつ等は今までインデックスの捜索を逃れてきたんですか。あの機械男の言うことが真実なら、こいつらは“大避難”以前からすでにカテゴリーD以上のウォルド(能力者の呼び名)であったと言うじゃないですか。それほどの奴らが13人もこんな海のど真ん中で、インデックスが始動してから五年間も隠れていたなんて信じられません!」
長髪の男の語気がどんどんと強く、そして焦りを帯びてゆくのに反し、隊長と呼ばれる男は冷静に言った。
「もしも、インデックスの捜索を逃れることのできるウォルドがいたとしたら?いやむしろいると考えて行動するべきだ。我々はもうすでに謎の能力の影響を受けた人間を二人、この目で目撃しているのだから。」
その言葉を聞いて、今まで感情の高ぶっていた長髪男が急に青ざめていった。
「ではやはりこいつも・・・。隊長、俺たちヤバすぎることに関わっちゃてませんか?」
「・・・」
その後二人が何かを話すことは無かった。
海岸線までの逃走の途中、さっき別行動を命じられていた徳田と杉吉が既に船に乗り込みいつでも脱出できる準備を整えているとの報告があった。そしてその報告から一分もしない内に彼らの視界には海岸線に乗り上げ、彼らの帰還を待つホバーシップが見えた。しかしホバーシップは彼らの到着を待たずにものすごいスピードで海に向かって発進した。と、次の瞬間それまでホバーシップが止まっていた場所と脱出に向けて走っていた小隊の真ん中に爆炎が立ち上がった。
「くそっ!ヤバい、完全に見つかった!船と離れちまったら俺たちこのまま焼き殺されるぞ!ワケのわかんねぇ女なんか拾いに来たばっかりに!!何で誰も気づかなかった!!」
この時、彼らの身には突然の出来事がいくつも起こっていた。
一つはミサイルによる爆撃である。第六感を備え持つにも拘らず、なぜミサイルの様な高熱、高速度、高質量の物体の接近に気付けなかったのか。
二つ目はさっきまで自力で立ち上がることが出来ず抱えて運んでいた女がいつの間にか立ち上がり、燃え上がる炎をにらみつけていたこと。
そして三つ目はミサイルの爆炎が突然巨大な綿あめが突風に吹き流されるかのように彼らに向かって流れてきたこと。
そして最後はその炎の塊が彼らを包みながら通過し、そしてその炎は彼らを焼くことは無く過ぎ去り、女がその炎を纏う様に右腕に巻き付けたことだった。
誰もが急接近してきた炎に身を丸め構えていたが、自分たちの周囲を高エネルギーが過ぎ去っていったのを第六感で感知し、屈めていた身をゆっくりと解き、女の方をみた。そして誰かが言った。
「キミは・・・一体?」
女は何も答えず、彼らに背を向けた。そして炎を纏った腕を斜め上に上げ、そのまま腕から乗用車のタイヤくらいの大きさの火の球をいくつも発射した。空中に飛び出した火の玉はそのまま緩やかにカーブし上空に飛来してきていたミサイルを撃墜した。ミサイルは空中で大爆発を起こした。女は煌々と光る爆炎を背にしながら、呆然と立ち尽くす男隊の方へ振り返ってこう言った。
「さっきから何か勘違いされてるみたいなんですけど、俺・・・男ですよ」