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翌日からの巡回という名のオバサン相手のデートは、午後の授業の間、二十分程だった。オバサン達は、当たり前だがこの特別支援学校に我が子を通わせている。
つまり、子供に何らかの障害や病気があって、家に帰って来ると目が離せない場合が多い。子供が授業を受けている間が、一番自由に動けるのだ。
だから日中の巡回ということになった。
そして夜間は光輝と瑞輝が時間をずらして一回ずつ巡回している。
そんな巡回を続けていた数日後のある晩。光輝は台所に立っていた。
今は瑞輝が巡回に行っている。その間に夕食の準備をしていたのだ。
ふと、背後で冷蔵庫を開ける気配がした。
「お帰り、瑞輝。早かっ……。」
振り向いた光輝は、言葉を続けることができなかった。
缶ビールを持って立っていたのは兄ではなく、炎の精だったのだ。勿論人間大である。
「どうしたんだ、びとー。どうやってここに……。」
混乱する光輝に、びとーはニヤリと笑ってみせた。
「理事長先生は火を使っておいでだ。俺は炎のあるところならどこへでも跳べるんでね。」
納得した光輝は尋ねた。
「桃ちゃんは?」
「檸檬に任せて家に置いてきた。お子ちゃまに酒は要求できないからな。」
炎の精だけにアルコールが好物らしい。缶を弄ぶ姿が絵になる。
「本当はウォッカやウィスキーが良いんだが。」
「人ん家来て贅沢言うなぁーっ!」
乱入してきたのは瑞輝だ。巡回が終わったらしい。
「うるさいのが戻ってきたか。」
「桃ちゃんはどうしたっ!」
「理事長先生と同じこと言うな。やっぱり双子だ。」
仄かに笑ったびとーは続けた。
「桃は檸檬に任せてきた。家では屋外のように不特定多数の人間の目に触れる訳じゃない。滅多なことはないだろう。それに檸檬にライターを渡してある。
何かあったらこれを点けて俺を呼べってな。
ついでだから言っておくが、お前達も巡回の時はライターを持って歩けよ。
何かの時は火を点けて俺を呼ぶんだ。」
びとーは微笑みを消して、急に真面目な顔つきになる。瞳の奥の光が鋭い。
「前置きはこれくらいにして本題だ。
この前、利害関係の話をしたが、もう一度聞く。
本当に瑞輝以外に利害関係のあるヤツはいないのか?」
「何度も言わせるな。親父やお袋に兄弟はいなかった。
隠し子でもいれば別だが、聞いたことは無いし、俺達は二人兄弟だ。
更に二人とも結婚もしていない。利害関係があるのは俺だけなんだ。」
「怒るな、瑞輝。お前を疑っている訳じゃない。」
ムッとして言い返したが、いつものように喧嘩腰にならないびとーに、
瑞輝は眉をひそめた。
「何かあったのかい?」
おかしいと思ったのは光輝も同じだ。思わずびとーに問い掛ける。
「何か、というと何にも無いんだが、今日の女が妙なことを言っていたんで、
ちょっと気になったのさ。」
「「妙なこと?」」
同時に言う二人に、びとーはクッと笑った。
「桃だったらハッピーなんとかって言うぜ。」
だが、すぐ真顔に戻って光輝を見る。
「理事長先生はこの学校を閉めるつもりなのかってさ。」
「は?」
「学校が無くなるのかって聞かれたんだ。
……この学校は私立だろう?
理事長先生が閉めるって言やぁ、すぐにでも閉鎖できるんじゃないのか?」
「それはそうだけど……。」
「この学校が無くなったら、うちの子を受け入れてくれる学校は無いかもしれない。
もし受け入れてもらえても、うちの子は新しい環境にパニックを起こして、
慣れるまでに大変な時間が掛かる。
だから、学校が無くなって欲しくない。そう言っていた。」
びとーは益々厳しい顔つきになる。光輝を見た。
「俺は理事長先生を見ていて、本当に子供が好きなんだと感じている。
毎朝、元気に通ってくる子供達に辛い思いをさせると判っていて、
この学校を閉めるという選択をするとは到底思えない。」
瑞輝に視線を移す。
「瑞輝にしてもそうだ。
理事長先生がこんなに子供達を大切に思っているのに、
それを知っていて、理事長先生からこの学校を取り上げたりはしないだろう。
それに、瑞輝自身、学校は継がなくても、この学校の子供達が好きな筈だ。」
「ああ。」
瑞輝は素直に頷いた。
「それなのに廃校なんて話が出るのは何故だ?
…とりあえず今日の女には、理事長先生が廃校にする気なら、
この時期に俺を秘書として雇わないだろう、と言っておいたが、
この前の噂といい、ラクガキといい、妙なことが多すぎる。それには何か原因がある筈だ。そして原因になりうるのは、やっぱり財産とかそういったものじゃないのかと思ってな。」
「「もしかして……。」」
「またハッピーなんとかだな。……二人共、思い当たる節があるのか?」
戸惑ったように光輝が口を開いた。
「はっきり断ったんだが……、ここの売却の話があったんだ。
マンションか何かにする為に、学校を潰して土地を譲ってくれっていう……。」
「そうか。なら、それに絡む嫌がらせっていう可能性もあるんだな。
それさえ把握しておけば、後は何が起ころうが理事長秘書の権限で何でもやるさ。」
びとーにいつものような不敵な笑みが戻る。
そんなびとーに瑞輝が真面目な表情のままで問うた。
「なぁ、びとー。」
「うん?」
瑞輝は喧嘩腰に戻る。
「何で光輝は理事長先生で、俺は瑞輝って呼び捨てなんだぁーっ!」
「当たり前のことを聞くな。
理事長先生は桃からも檸檬にも理事長先生って呼ばれてるんだぜ?それとも。」
びとーはニヤリと笑った。
「瑞輝は俺からもニセモノって呼ばれたいのか?」
瑞輝、撃沈す。
「……良い。瑞輝で……。」
「びとー。これ、貰い物だけど。」
そこに光輝がウィスキーを出した。びとーは瞳を輝かせた。
「なんだ、あるじゃないか!勿体ぶるなよ。」
「いや、勿体ぶった訳じゃないけど、話に気を取られていてね。……食事もするかい?」
びとーは首を振った。
「俺は栄養を摂るという意味では食事をする必要は無いんだ。
勿論、食べられない訳でもないし、味や食感も判るが、
命を繋ぐという意味では炎の気を取り入れる方が遙かに効率が良い。」
「そうなのか。」
「ああ。」
頷きながらびとーは美味しそうにウィスキーを流し込む。
「ウィスキーを水みたいに呑むな!少しは味わえ!」
撃沈状態から復活して、突っかかる瑞輝にびとーは笑った。
「瑞輝は檸檬より子供っぽいな。そんなに俺に構って欲しいのか?」
「人をガキみたいに言うな!お前だって、そんなに年かわらないだろうが!」
対するびとーはちょっと考えた。
「それは返答に困るな。
若いとか老いたっていうのは確かにあるが、精霊には年齢なんていう縛りは無いからな。それにもしあったとしても、寿命の短い人間と同じ物差しでは測れないだろう。
俺の年齢は、この外見で勝手に判断してもらうしかない。」
「檸檬くんって言えば。」
光輝が口を挟んだ。
「びとーは檸檬くんのことも、勿論桃ちゃんも、可愛くて仕方ないって感じだね。」
びとーはニカッと笑った。
「ああ。可愛くて仕方ない。二人ともな。
桃の純粋さも、檸檬の一生懸命さも、その波動を側で感じているのはひどく心地良い。
新しい主人があの二人で良かったと思ってる。」
光輝も瑞輝も微笑んだ。
びとーが自分の主人を二人と言ったのが、何故か無性に嬉しかった。