彼の日記
4月17日水曜日 晴れ
隣の席の古谷さんと、少し仲良くなってきたような気がする。古谷さんはどこか変わった子だ。
おれが一人っ子だと言うと古谷さんは「私は双子だったの」と言った。あまり触れるべき話題ではないのかと思ってへえ、とだけ答えたら、「一人っ子なんだけどね」と笑った。
あまりに真面目な顔で、それでいて穏やかな声だから、聞き入ってしまって細かいところまで覚えている。古谷さんはこう話した。
「生まれる前、確かに私たちは二人だったの。でも私たちの状態は不安定で、このままじゃ二人共消えちゃうところだった。だからあの子が、私を助けてくれた。一つになれば大丈夫だからって」
〝あの子〟はホントに居るんだよ、と古谷さんが笑うから、おれは確かに居るんだろうと思った。相変わらずお前は単純だとまた馬鹿にされそうだ。
4月22日月曜日 雨
古谷さんが言っていたあの子の話が、頭から離れない。古谷さん以外、誰にも知られずに、生まれる事すら叶わなかったあの子。自分が存在してるって、感じられるのは古谷さんが自分を想ってくれる時だけだろう。誰かがいないと、自分の存在は確認できないものだ。
4月26日金曜日 曇り
古谷さんにアドレスを聞かれた。せっかくだけど、おれはメールが苦手だ。大丈夫だろうか。
今日も早速メールが着たけれど、いつもどおり返しただけだった。
4月27日土曜日 晴れ
今日読んだ本は面白くなかった。ただただ暗いだけの話は好きじゃない。
やっと眼鏡を買ってもらった。付けたらなんか、画質が良くなってる感じすらある。
それから、夕方に古谷さんから電話が来た。学校で会うと軽快に喋る古谷さんだけど、電話ではぽつぽつと話をする。やっぱり不思議な人だ。
5月1日水曜日 晴れ
古谷さんはおれの健康をやけに気にする。
そういえば、翼さんにもよく「涼太君ちゃんと食べとる?」ときかれ、食べ物を貰う。この間貰った煮物は美味しかった。古谷さんのお母さんのきんぴらごぼうも。
5月4日土曜日 晴れ
古谷さんに呼び出され、夕方公園へ行った。
私服だからだろうか、なんだか様子がいつもと違っていた。やけにそわそわと落ち着きが無くて、淡々としているクールな古谷さんっぽくない。でも楽しかった。ゴールデンウィークの予定は司達と会うくらいしかなかったから。いや、十分だけどね。
5月10日金曜日 曇り
書道部の見学に古谷さんがやってきて、鞄についているキーホルダーがお揃いだと多嶋さんに指摘された。安達さんにつけてとお願いされたし、そもそも割りと気に入っているからいいんだけど、なんだかそう言われると複雑だ。
古谷さんは入ってくれるみたいで少し嬉しい。
5月20日月曜日 雨
美味しいドラ焼きのお店を教わった、こんど買って、手土産にでもしよう。
ついこの間は和菓子か洋菓子、どっち派か聞いてもわからないと答えていた古谷さんが、「断然生クリーム派」と言っていた。彼女の身になにがあったのだろう。美味しいショートケーキでも食べたのかな。
5月28日火曜日 雨のち曇り
あの子の話を覚えているか、と美波さんに聞かれた。もちろん覚えている。
美波さんはどうもここの所、記憶がおかしいのだという。確かに、ここ数週間の美波さんの様子は、日に日に可笑しくなっていた。まったく別人のような時すらある。同じ顔で同じ声なのに、表情の作り方や笑い方話し方が、ちょっとずつ違う。
直接は言わなかったけれど、美波さんが言いたかったのは、つまりこういうことだろう。
あの子が、美波さんの意識をのっとっている時があって、その間の事は美波さんの記憶には残らないんだ。
でも、どうしてあの子がそんな事を。
6月2日日曜日 晴れ
美波さんを怒らせてしまった。
というよりきっと、傷つけてしまったんだと思う。
夕方、約束通りいつもの公園に行くと、美波さん(なのかわからない)は俯いて悲しそうな顔をしていた。
「こんなつもりじゃなかった」と言って、何度も謝られた。おれは、どうすればいいかわからなかった。この人は〝あの子〟なのだろう。
そうしてよくよく美波さんの言動を思い返したら、あの時が〝あの子〟だったんだ、と考えればふに落ちる出来事が多い。
照れ屋で、にこにこと明るくて優しいのが〝あの子〟。会話が面白くって素直じゃなくて、よく見ると表情が豊かなのが美波さん。
家に帰ってから掛かってきた電話で、美波さんに「二重人格じゃないか」と言ってしまった。まさか、こんなに美波さんが傷つくとは思わなかった。
6月3日月曜日 晴れ
帰り道、翼さんとあった。翼さんはおれの様子をみて「どうしたん」とたずねた。この人は、落ち込んでいる人間に対して妙に鋭い。司によれば、翼さんは不幸な人間がいると困るのだという。知り合って結構立つけれど、この人も変わっている。
昨日の話をすると、翼さんは
「本当のことを素直に言えばいい」
と笑った。
おれが黙っていると「でも一番大事なことだけ、ちゃんと決めるんやで」とチョコレートを一つくれた。
一番大事なこと。決めなきゃならないこと。
どちらでもいいじゃなくて、どっちがいいか。
6月4日火曜日 晴れ
心臓が潰れそうだった。
内臓のあちこちが痛くて、体が熱くて、どうにかなりそうだった。
〝あの子〟が最後に笑った後、次に目覚めた美波さんはぼろぼろ泣いた。子どもみたいに声を上げて泣いて、ごめんねとありがとうを繰り返していた。
どれくらいたったのかわからないけど、少し落ち着いてから〝あの子〟の話を伝えたら、またわんわん泣いた。
「あの子がいてくれたから、私はいるのに」
「あの子はいたの。本当に、いたの」
おれは、美波さんに泣かないでと言えなかった。だから代わりに一番大事なことを告白したら、やっぱり美波さんは泣いて、それから少し笑った。あの子に良く似た笑顔だった。
ありがとうございました!